今昔物語集とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 今昔物語集の意味・解説 

こんじゃくものがたりしゅう〔コンジヤクものがたりシフ〕【今昔物語集】

読み方:こんじゃくものがたりしゅう

平安後期説話集31巻現存28巻。源隆国覚猷鳥羽僧正)を編者とする説があるが、未詳12世紀初め成立天竺(てんじく)(インド)・震旦(しんたん)(中国)・本朝日本)の3部分かれ一千余の説話収める日本最大古説話集。古写本片仮名宣命体書名は、各話が「今は昔」で始まることに由来する今昔物語


今昔物語集

読み方:コンジャクモノガタリシュウ(konjakumonogatarishuu)

平安時代日本最大仏教説話集。


こんじゃくものがたりしゅう 【今昔物語集】

通称今昔物語』。平安後期説話集三一巻。天竺インド)・震旦中国)・本朝日本)の三部分け仏教説話世俗説話とを収める。話が「今は昔」で始まるので、この名がある作者宇治大納言源隆国だとか鳥羽僧正その他諸説あるが不詳

今昔物語集

主名称: 今昔物語集
指定番号 273
枝番 00
指定年月日 1996.06.27(平成8.06.27)
国宝重文区分 国宝
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 9冊
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  『今昔物語集』わが国最大説話集で、その成立十二世紀前半考えられている。
 この京都大学図書館所蔵になる鈴鹿本は、現存『今昔物語集』諸写本祖本として著明古写本で、巻第二五・七九・十十二十七・廿七・廿九の九巻分を存する体裁大判袋綴冊子本で、近年修理になる新補朽葉表紙付している。原表紙料紙共紙外題はなく、本文料紙楮紙に天単罫の押界を施している。各冊首に「今昔物語集巻第『幾』」と首題掲げ一字下げに部立を記し、ついで各標目一行(巻十七二段)に書すが、この「今昔物語集」の書名本書によってのみ確定できるのである本文は「今昔」で始まり、半葉一一行、行およそ二八前後に「トナム語リ伝ヘタルトヤ」の形で統一された宣名書の片仮名交り文で、片仮名小字右寄せまたは割書し、文中には黒仮名点、声点付されている。書写奥書はないが、その大判体裁料紙書風等よりみて、鎌倉時代中期書写本認められる
 本書本朝諸本一部には、後筆で「総六丸」の披見識語があり、うち巻第廿七には「一見畢、南井房内総六丸、此比春日大社開門尤以目出タシ云々とみえている。この識語は『大乗院日記目録文安三年一四四六七月条の記事一致し、『経覚私要鈔宝徳三年一四五一七月四日条にみる今昔貸借記事相まって本書南都での伝来考えるうえに注目される

今昔物語集

読み方:コンジャクモノガタリシュウ(konjakumonogatarishuu)

分野 説話集

年代 平安後期

作者 撰者未詳


今昔物語集

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 16:32 UTC 版)

鈴鹿本(鎌倉中期写)

今昔物語集』(こんじゃくものがたりしゅう)とは、平安時代末期に成立したと見られる説話集である。全31巻。ただし8巻・18巻・21巻は欠けている。 『今昔物語集』という名前は、各説話の全てが「今ハ昔」という書き出しから始まっている事に由来する便宜的な通称である。

成立

『今昔物語集』の成立年代と作者は現在も不明である。

年代

11世紀後半に起こった大規模な戦乱である前九年の役後三年の役に関する説話を収録しようとした形跡が見られる事から[注 1]1120年代以降の成立であることが推測されている。一方、『今昔物語集』が他の資料で見られるようになるのは1449年のことである[1]。 成立時期はこの1120年代~1449年の間ということになるが、保元の乱平治の乱治承・寿永の乱など、12世紀半ば以降の年代に生きた人ならば驚天動地の重大事だったはずの歴史的事件を背景とする説話がいっさい収録されていないことから、上限の1120年代からあまり遠くない白河法皇鳥羽法皇による院政期に成立したものと見られている[2]。成立とほぼ同時期の写本と考えられる鈴鹿家旧蔵本(鈴鹿本、国宝)の綴じ糸について放射性炭素年代測定を実施した結果も、最も古いもので1000年から1200年の年代を示しており、成立年代を裏付ける結果となっている[3]

作者

作者についてはっきり誰が書いたものであるかは分かっていない。

諸本

現存する『今昔物語集』の写本は鈴鹿本の子孫である[4][5]。鈴鹿本は1833年天保4年)には「奈良人某」、1844年(天保15年)には鈴鹿連胤の所有であり、この時期に伴信友が調査して、諸本の祖本であることを指摘している。その後、鈴鹿家に伝えられ、1920年(大正9年)、鈴鹿三七の『異本今昔物語抄』という小冊子によって世に知られた。最終的に、1991年、子孫から京都大学付属図書館に寄贈され、1996年6月27日に国宝に指定された[6]

内容

構成

天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の三部で構成される。各部では先ず因果応報譚などの仏教説話が紹介され、そのあとに諸々の物話が続く体裁をとっている。

いくつかの例外を除いて、それぞれの物語はいずれも「今昔」(「今は昔」=「今となっては昔のことだが、」)という書き出しの句で始まり、「トナム語リ傳へタルトヤ」(「と、なむ語り伝えたるとや」=「〜と、このように語り伝えられているのだという」)という結びの句で終わる。

その他の特徴としては、よく似た物話を二篇(ときには三篇)続けて紹介する「二話一類様式」があげられる。

原話

『今昔物語集』に採録されている説話は、『宇治拾遺物語』や『古本説話集』、『宇治大納言物語[注 2]などにも採録されており、互いによく似ている。共通する説話の数は『今昔物語集』と『宇治拾遺物語』間では81、『今昔物語集』と『古本説話集』の間では31、『宇治拾遺物語』と『古本説話集』の間では22にのぼる。大多数は互いによく似ており、中には一言一句一致する場合さえある。したがって、『宇治大納言物語』を除くこれらの3書がそれぞれに取材した資料が同じであったか、そう言ってもよいほど近い関係にあったことを示しているように思われる。しかし、これら3書が取材した資料は散逸した『宇治大納言物語』ではないかと誰もが考えるが、その証拠は何もない。『宇治大納言物語』の名は南北朝時代を境に急に見られなくなる。南北朝時代以降は文献にこの名が記されていても、実体は『宇治拾遺物語』や『小世継』であると推定できる。『宇治大納言物語』はおそらく南北朝の戦乱か応仁の乱のころに散逸してしまい、その書名だけが他の作品と混同されるようになったのであろう。『宇治大納言物語』がこの世から消え去った頃、奇しくも『今昔物語集』が文献の上に初めて姿を表してくる[7]

本朝世俗部の話には典拠の明らかでない説話も多く含まれる。

文体

原文(鈴鹿本)は平易な漢字仮名交じり文和漢混淆文[注 3]で書かれ、その文体はあまり修辞に凝らないものである。一方、擬態語の多用などにより、臨場感を備える。芥川龍之介は『今昔物語集鑑賞』で、「美しいなまなましさ」「野蛮に輝いている」と評している。

極力、どの地域の、何という人の話かということを明記する方針で書かれ、それらが明らかでない場合には意識的な空白を設け、他日の補充を期す形で文章が構成されている。例えば、典拠となった文献で「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました」という書き出しから始まる説話があり、その人名が具体的には伝わっていない場合であっても、その話を『今昔物語集』に収録する際には「今ハ昔、  ノ国ニ  トイフ人アリケリ」との形で記述され、後日それらの情報が明らかになった場合には直ちに加筆できる仕様になっている。このような編纂意図から発生した意識的な欠落部分が非常に多いのが、本説話集の大きな特徴である。

各巻の内容

天竺部

巻第一から巻第四までは仏教説話。巻第五は非仏教説話や釈迦前世譚を含む。

  • 巻第一 天竺(釈迦降誕と神話化された生涯)
  • 巻第二 天竺(釈迦を説いた説法)
  • 巻第三 天竺(釈迦の衆生教化と入滅)
  • 巻第四 天竺付仏後(釈迦入滅後の仏弟子の活動)
  • 巻第五 天竺付仏前(釈迦の本生譚・過去世に関わる説話)

震旦部

巻第六から巻第九までが仏教説話。

  • 巻第六 震旦付仏法(中国への仏教渡来、流布史)
  • 巻第七 震旦付仏法(大般若経法華経の功徳、霊験譚)
  • 巻第八 欠巻
  • 巻第九 震旦付孝養(孝子譚)
  • 巻第十 震旦付国史(中国の史書、小説に見られる奇異譚)

本朝(日本)仏法部

  • 巻第十一 本朝付仏法(日本への仏教渡来、流布史)
  • 巻第十二 本朝付仏法(法会の縁起と功徳)
  • 巻第十三 本朝付仏法(法華経読誦の功徳)
  • 巻第十四 本朝付仏法(法華経の霊験譚)
  • 巻第十五 本朝付仏法(僧侶の往生譚)
  • 巻第十六 本朝付仏法(観世音菩薩の霊験譚)
  • 巻第十七 本朝付仏法(地蔵菩薩の霊験譚)
  • 巻第十八 欠巻
  • 巻第十九 本朝付仏法(俗人の出家往生、奇異譚)
  • 巻第二十 本朝付仏法(天狗、冥界の往還、因果応報)

本朝世俗部

  • 巻第二十一 欠巻
  • 巻第二十二 本朝(藤原氏の列伝)
  • 巻第二十三 本朝(強力譚)
  • 巻第二十四 本朝付世俗(芸能譚)
  • 巻第二十五 本朝付世俗(合戦、武勇譚)
  • 巻第二十六 本朝付宿報(宿報譚)
  • 巻第二十七 本朝付霊鬼(変化、怪異譚)
  • 巻第二十八 本朝付世俗(滑稽譚)
  • 巻第二十九 本朝付悪行(盗賊譚、動物譚)
  • 巻第三十 本朝付雑事(歌物語、恋愛譚)
  • 巻第三十一 本朝付雑事(奇異、怪異譚の追加拾遺)

影響・評価

『今昔物語集』に想を採った近代小説家は多い。中でも大正時代の芥川龍之介による『羅生門』と『』は有名である。

週刊朝日』に1978年から長期連載された「デキゴトロジー」は、「現代の『今昔物語』」を標榜していた[8]

河合隼雄によると、『今昔物語集』の内容は「」と読みかえたいほどで、ひとつひとつの物語が近代を超える知恵を含んでおり、その理由としては、当時の日本人意識が外界と内界、を区別しないまま、それによって把握された現実を忠実に書き止めている点にあるとしている。ポストモダンの問題意識は、それがデカルト的(心身二元論的)切断をいかに超越するかにあり、その点で『今昔物語』は真に有効な素材を提供するとしている[9]

現代の注釈書・テキスト

日本古典文学全集

小学館より、1971年から1976年にかけて刊行。巻11から31にかけての本朝仏法部、本朝世俗部をおさめる。

『今昔物語集 1』 巻11~14
巻11・13・14は実践女子大学蔵本(黒川家旧蔵)、巻12は鈴鹿本が底本。
『今昔物語集 2』 巻15~19(巻18欠)
巻15・16・19は実践女子大本、巻17は鈴鹿本が底本。
『今昔物語集 3』 巻20~26(巻21欠)
巻20・22・24は実践女子大本、巻23・25・26は東京大学国語研究室蔵本(紅梅文庫旧蔵)が底本。
『今昔物語集 4』 巻27~31
巻27・29は鈴鹿本、巻28・30・31は東大本が底本。

新日本古典文学大系

岩波書店、1993年から1999年にかけ刊行。2001年に索引が刊行。

  • 岩波文庫で抄版『今昔物語集』がある(池上洵一編、天竺・震旦部/本朝部(上中下)、2001年)
『今昔物語集 1』岩波書店。ISBN 4-00-240033-6 C0391。  巻1~5
巻1・3・4は東大本、巻2・5は鈴鹿本が底本。
『今昔物語集 2』岩波書店。ISBN 4-00-240034-4 C0391。  巻6~10(巻8欠)
巻7・9・10は鈴鹿本、巻6は東大本が底本。
『今昔物語集 3』岩波書店。ISBN 4-00-240035-2 C0391。  巻11~16
巻11・13・14・15・16は東大本、巻12は鈴鹿本が底本。
『今昔物語集 4』岩波書店。ISBN 4-00-240036-0 C0391。  巻17~25(巻18・21欠)
巻17は鈴鹿本、巻19・22・25は東大本、巻20は実践女子大本、巻23は静嘉堂文庫本、巻24はカリフォルニア大学バークレー校東アジア図書館本(旧三井文庫本)が底本。
『今昔物語集 5』岩波書店。ISBN 4-00-240037-9 C0391。  巻26~31
巻26は東大本、巻27・29は鈴鹿本、巻28・30・31が蓬左文庫蔵本が底本。

新編日本古典文学全集

小学館より、1999年から2002年にかけて刊行。巻11から31にかけての本朝仏法部、本朝世俗部をおさめる。

『今昔物語集 1』 巻11~14
底本は日本古典文学全集と同じ。
『今昔物語集 2』 巻15~19(巻18欠)
底本は日本古典文学全集と同じ。
『今昔物語集 3』 巻20~26(巻21欠)
巻20・22・24・25・26は実践女子大本、巻23は東大本が底本。
『今昔物語集 4』 巻27~31
底本は日本古典文学全集と同じ。

その他 現代語訳

脚注

注釈

  1. ^ ただし後者については説話名のみ残されており、本文は伝わっていない。
  2. ^ 散逸している。
  3. ^ ただし、ひらがなではなくカタカナである。

出典

  1. ^ 大乗院経覚の日記『経覚私要鈔』宝徳元(1449年)年七月四日の条「四日、霽、夕立、今昔物語七帖返遣貞兼僧正畢、…」
  2. ^ 『修験の道 三国伝記の世界』、pp.8-21 では成立年台は1130年-1150年と推定している。
  3. ^ 小田寛貴、中村俊夫、古川路明「『今昔物語集』「鈴鹿本」の加速器質量分析法による14C年代測定」『名古屋大学加速器質量分析計業績報告書』6、pp. 99-117、1995年3月
  4. ^ 『修験の道 三国伝記の世界』第一編「今昔物語」の世界、池上洵一、1999年、以文社、pp.8-21
  5. ^ 今昔物語集 文化遺産オンライン
  6. ^ 小田寛貴、中村俊夫、古川路明「『今昔物語集』「鈴鹿本」の加速器質量分析法による14C年代測定」『名古屋大学加速器質量分析計業績報告書』6、pp. 102-103、1995年3月
  7. ^ 『修験の道 三国伝記の世界』、pp.12-13
  8. ^ 『週刊朝日』2023年4月14日号、162-165頁。
  9. ^ 河合隼雄『対話する生と死』(潮出版社、1992年/新版・だいわ文庫、2006年2月)

参考文献

  • 『修験の道 三国伝記の世界』第一編「今昔物語」の世界、池上洵一、1999年、以文社、p.8-21

関連資料

  • 佐藤辰雄 「今昔物語集の大日本国法華経験記受容をめぐって(上)」、『実践女子短大評論』 第18号、実践女子大学、pp. 1-20, 1997年1月16日。NAID 110007470889
  • 佐藤辰雄 「今昔物語集の大日本国法華経験記受容をめぐって(中)」、『実践女子短大評論』 第19号、実践女子大学、pp. 1-21, 1998年1月16日。NAID 110007470902
  • 佐藤辰雄 「今昔物語集の大日本国法華経験記受容をめぐって(下)」、『実践女子短大評論』 第20号、実践女子大学、pp. 1-24, 1999年1月16日。NAID 110007470914

関連作品

外部リンク


今昔物語集

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 07:11 UTC 版)

巨樹」の記事における「今昔物語集」の解説

『今昔物語集』巻第三十一には、近江国栗太郡ハハソ)の巨樹があったとの伝説記述されている。その幹回り500尋(900メートル前後)にもなり、朝日の影は丹波国をさし、夕陽の影は伊勢国にさした。その木はあまりに大きく栗太郡はおろか志賀甲賀の三郡の百姓田畑作ることさえできなかった。そのこと天皇訴えたところ、願い聞き入れられ遣いにより、巨樹切り倒され田畑を耕すことができるようになり、豊穣を得ることができた。今(物語集成立の時代でも、その郡にはその時の子孫がいるという。この伝説は後世でも類型派生しており、室町時代成立の『三国伝記』では、ハハソからの木へと変わり郡名由来となっている(最後に切り倒される)。いずれも大開発(開拓)の時代」に生じた伝説とされる

※この「今昔物語集」の解説は、「巨樹」の解説の一部です。
「今昔物語集」を含む「巨樹」の記事については、「巨樹」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「今昔物語集」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

','','','','','','','','','','','','','','','','','',''];function getDictCodeItems(a){return dictCodeList[a]};

すべての辞書の索引

「今昔物語集」の関連用語

1
今昔物語 デジタル大辞泉
100% |||||










今昔物語集のお隣キーワード
検索ランキング
';function getSideRankTable(){return sideRankTable};

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



今昔物語集のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
中経出版中経出版
Copyright (C) 2025 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの今昔物語集 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの巨樹 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS