「食料危機の未来年表」
高橋五郎「食料危機の未来年表 そして日本人が飢える日」について。
衝撃的な数字が示される。
日本国の食料自給率は18%。
これは著者が独自に算出したもの。政府が発表しているのは食料自給率は38%である。
38%でも十分低いようにも思うけれど、それをはるかに下回る18%とは。
著者算出の食料自給率はカロリーベースというものである。これは動物性食品や加工食品については、その生産に投入される飼料・原料などの自給状況もふまえたものだという。ちなみに日本の畜産物の資料のほとんどすべてが輸入に頼っているとのことだ。
この日本国のカロリーベース食料自給率18%は世界の中でどうなのか。これについても著者は世界182ヵ国の数値を同じ方法で算出している。日本国は128位である。
※主要国:OECDと中国
もう一つ著者が算出している自給率にはタンパク自給率というのがある。これは摂取タンパクのうちどれだけが自給されているかというもので、日本は27.1%だそうだ。体を維持するのに必要な栄養素であるタンパク質に特に注意をはらったものだ。
こうした食料を輸入に頼る状態を「隠れ飢餓」と呼んで警鐘を鳴らしているわけだが、それには今後、思うように輸入ができない状況が考えられるという理由がある。
本書によると、貧しい国は食料自給率に高い数値が出るのだが、それは食料を外国から買うお金がないからであって、そうした国の国民の摂取カロリーは必要量を下回っており、多くの国民が飢餓状態にあるという。
本書には最初に「未来の飢餓年表」という将来を予測した年表が付いているのだが、それによると日本国の食料自給率は2035年:20%、2040年:25%、2050年:30%と上昇するが、それは買い負けで輸入が減少するからとされている。
本書では飢餓を避けるための政策提言もされている。
なかでも強く主張されているのが農地法の廃止である。ちょっと長くなるけど引用しておこう。
著者は中国農業にも詳しいのだが、人民公社などは昔の話、今は会社組織での農業が伸びているのだという。
衝撃的な数字が示される。
日本国の食料自給率は18%。
これは著者が独自に算出したもの。政府が発表しているのは食料自給率は38%である。
38%でも十分低いようにも思うけれど、それをはるかに下回る18%とは。
著者算出の食料自給率はカロリーベースというものである。これは動物性食品や加工食品については、その生産に投入される飼料・原料などの自給状況もふまえたものだという。ちなみに日本の畜産物の資料のほとんどすべてが輸入に頼っているとのことだ。
政府算出の自給率はどうなのかというと、著者によるとどうも算出方法には曖昧な点があるようで、そのこともあって独自に計算が必要だったという。
この日本国のカロリーベース食料自給率18%は世界の中でどうなのか。これについても著者は世界182ヵ国の数値を同じ方法で算出している。日本国は128位である。
■主要国のカロリーベース自給率 (全穀物・全畜産物) | ||||
順位 | 国 | 自給率(%) | ||
6 | ラトビア | 190.6 | ||
7 | リトアニア | 185.2 | ||
10 | オーストラリア | 167.8 | ||
11 | カナダ | 166.5 | ||
13 | エストニア | 152.0 | ||
16 | フランス | 122.3 | ||
17 | アメリカ | 121.6 | ||
18 | ハンガリー | 117.9 | ||
31 | ポーランド | 101.5 | ||
40 | スロバキア | 89.3 | ||
42 | チェコ | 88.9 | ||
44 | フィンランド | 86.2 | ||
45 | トルコ | 86.2 | ||
55 | スウェーデン | 79.6 | ||
58 | 中国 (本土) | 74.6 | ||
60 | デンマーク | 74.0 | ||
76 | ドイツ | 60.7 | ||
85 | スペイン | 55.4 | ||
87 | オーストリア | 54.5 |
※主要国:OECDと中国
91 | メキシコ | 48.3 |
96 | ノルウェー | 43.5 |
98 | イギリス | 41.1 |
100 | ニュージーランド | 40.2 |
101 | イタリア | 39.2 |
105 | ギリシャ | 34.8 |
107 | スロベニア | 32.6 |
110 | コロンビア | 30.9 |
112 | スイス | 28.7 |
116 | アイルランド | 25.7 |
119 | ルクセンブルク | 23.7 |
123 | チリ | 22.3 |
128 | 日本 | 18.0 |
130 | ベルギー | 16.9 |
133 | 韓国 | 13.9 |
136 | ポルトガル | 11.3 |
141 | コスタリカ | 6.3 |
147 | アイスランド | 5.2 |
148 | オランダ | 4.7 |
150 | イスラエル | 4.2 |
はじめに | |
序 章 飢餓未来年表と世界の食料自給率 | |
飢餓へのカウントダウン /日本は「隠れ飢餓」の国 /人類全体の食料自給率は85% | |
第1章 飢餓の世界化 | |
食料危機は世界の現実 /食料危機の定義 /人類が必要とするカロリー≒穀物の量は? /穀物消費量でみる4つのタイプ /「穀物支配国」の動向 /奪われ続ける貧困国と「飢餓輸出」 /アメリカの穀物生産に異変も /食料危機の責任はだれに? | |
第2章 国民が知らない日本の「隠れ飢餓」 | |
食べたいものを食べられる日常はいつまで /日本政府は有事を想定しているのか? /農家従属命令 /政府が発表する食料自給率38%の闇 /重量ベースと生産額ベースという自給率 /本書試算による日本の食料自給率は18% /各国の食料自給率からわかること /貧困の中の高自給率 /注目すべきタンパク質自給率 /ベールを脱ぐタンパク質覇権国家 /日本のタンパク質自給率は世界155位 | |
第3章 現代の食料システムの限界 | |
世界の耕作放棄地は1億ヘクタール以上 /世界の耕地70%を支配するのは大規模農業経営者 /フードメジャーの存在 /国際サプライチェーンの分断 /自由貿易で食料危機は解決しない /畜産物の増産は可能か /規模拡大論だけでは行き詰まる /日本の食料問題は外交問題 /アメリカの対日農業戦略 /飢餓問題に取り組む組織の現状 | |
第4章 飢餓人口シミュレーション | |
穀物の生産・消費長期予測 /世界穀物生産は2039年がピーク /食料危機の震源はアフリカだけではない /日本のXデー /100万人の餓死者 /気象専門家の警告 | |
第5章 世界の飢餓対策 | |
貧困国に国連農場を /耕作放棄地の把握と整備を /飼料向け穀物を半分に /先進国による100・200目標 /遺伝子組換え作物とゲノム編集食品 /若者を惹き付けるスマート食料供給システム /農地土壌改良の新技術 /代替畜産物の可能性 /化学肥料・化学農薬の削減 /気候スマート農業 (CSA)を超えて /10億トンの「食品ロス」の解消 /市場原理のジレンマから脱却 /市民・農家株式契約システムの導入 | |
第6章 日本の「隠れ飢餓」脱出計画 | |
日本の穀物生産は消滅の危機に瀕している /農業就業者50万人に備える /「農地所有適格法人」の無意味さ /志ある農家を邪魔してはならない /海外のプロ農家にトビラを開けよ /中国でさえ資本制企業の農業参入を自由化 /農畜産物生産費統計の公開をやめよ /理想はデンマーク農業 /日本は新時代の農地開放を | |
おわりに | |
主要参考資料(本文に掲載したもの以外) | |
巻末資料「本書主要データの根拠について」 |
こうした食料を輸入に頼る状態を「隠れ飢餓」と呼んで警鐘を鳴らしているわけだが、それには今後、思うように輸入ができない状況が考えられるという理由がある。
本書によると、貧しい国は食料自給率に高い数値が出るのだが、それは食料を外国から買うお金がないからであって、そうした国の国民の摂取カロリーは必要量を下回っており、多くの国民が飢餓状態にあるという。
本書には最初に「未来の飢餓年表」という将来を予測した年表が付いているのだが、それによると日本国の食料自給率は2035年:20%、2040年:25%、2050年:30%と上昇するが、それは買い負けで輸入が減少するからとされている。
この年表にはいろいろショッキングな予測が載せられている。たとえば2035年には東京の最高気温は45℃になるという。
本書では飢餓を避けるための政策提言もされている。
なかでも強く主張されているのが農地法の廃止である。ちょっと長くなるけど引用しておこう。
日本は新時代の農地開放を
日本の農業再生のために残された最後の手段は「農地開放」であろう。日本の農家の戦後は農地解放から始まった。地主に雇われて農地を小作する小さな農家は、貧乏と働きすぎから一家の大黒柱が早死にするなど悲惨をきわめた。その清算が農地解放、法律名は「農地法」(1952年)であった。
この法律のおかげで制度的な地主・小作関係が解消され、どの農家も農地所有権を手に入れることができた。国民にとっては主食のコメが手に入りやすくもなった。第2次世界大戦後の農地解放はそういう貢献をした。
しかしそのおかげで豊かになった農家はごく少数で、30アール・50アールを手にしたところで家族を養うことは難しかった。だから農業以外の働き口があれば、隣近所が奪い合うほど農業以外の仕事には飢えていた。次第に出稼ぎや在宅しながらの通勤兼業の口が増えていくと、農業は衰退する一方となるのは時間の問題だった。
農地解放を政策的にひっぱった農地法だったが、食料生産をめぐる環境は様変わりをし、その役割もそろそろ終わりに近づいた。時代の変化にそぐわなくなったのである。この法律は日本国籍の農家以外には農地の所有を認めず、農家にだけその恩恵を閉じ込める意味で国民全体から見れば不公平、土地という公共財を特定の伝統的集団の利益に絞る日本最大の利権保護法という一面を持っている。その農家数は減り、農業の担い手は減り、農村から若者や子どもの姿が消えていったのに、この法律だけが変わらないまま生き残った。
最近改正された農地法の中身には、既述のような農業法人経営を増やそうとの意図もうかがわれるが、現在、非農業分野から農業経営に参入する例は、まれであるといえるほど限られる。それなのに、都市から参入する法人にまで地域のさまざまな慣行に従うことを強制する「地域との調和要件」などという、農村の古いしきたりに順応すべきだとの政策を前面に出す。筆者は、このようなしばりをかけようとする役所の神経を疑う。 都会の若者や経営者の大部分は、ともかく農村の古い慣行やしきたりを嫌う。
「農地法」の農水省担当部署がつくっているさまざまな説明文を読むと、それらからは次のような官僚主権意識・明確な国民不信感が伝わってくるのは筆者だけだろうか。
・農地は法律で厳しく管理しないと効率的に使われない
・農業をする者の資格を法律で管理しないと農業が衰退する
・農地所有権は農家以外に渡してはならない
・農地と農家のことは農水省が管轄し、他省庁には渡さない
農地所有権も耕作権(農業権)もすべての国民に門戸を開くべきであり、それが最も「農地を効率的に利用する」(改正農地法第1条) 最良の手段であるはずだ。要は、国民を信頼するかしないか、減る一方の農家の手取り足取りの管理を止めるかどうかの問題である。
農家自身も、そろそろ農地から「解放」してほしい、と思っているのではなかろうか。「農地法」という法律には、小手先の「改正」よりも、もっと早めにやるべきことがある。それは、どの政党もなぜか守ることしか考えない点では一致する「農地法」を廃止すること、すなわち一般社会への制度的な農地開放である。
日本の農業再生のために残された最後の手段は「農地開放」であろう。日本の農家の戦後は農地解放から始まった。地主に雇われて農地を小作する小さな農家は、貧乏と働きすぎから一家の大黒柱が早死にするなど悲惨をきわめた。その清算が農地解放、法律名は「農地法」(1952年)であった。
この法律のおかげで制度的な地主・小作関係が解消され、どの農家も農地所有権を手に入れることができた。国民にとっては主食のコメが手に入りやすくもなった。第2次世界大戦後の農地解放はそういう貢献をした。
しかしそのおかげで豊かになった農家はごく少数で、30アール・50アールを手にしたところで家族を養うことは難しかった。だから農業以外の働き口があれば、隣近所が奪い合うほど農業以外の仕事には飢えていた。次第に出稼ぎや在宅しながらの通勤兼業の口が増えていくと、農業は衰退する一方となるのは時間の問題だった。
農地解放を政策的にひっぱった農地法だったが、食料生産をめぐる環境は様変わりをし、その役割もそろそろ終わりに近づいた。時代の変化にそぐわなくなったのである。この法律は日本国籍の農家以外には農地の所有を認めず、農家にだけその恩恵を閉じ込める意味で国民全体から見れば不公平、土地という公共財を特定の伝統的集団の利益に絞る日本最大の利権保護法という一面を持っている。その農家数は減り、農業の担い手は減り、農村から若者や子どもの姿が消えていったのに、この法律だけが変わらないまま生き残った。
最近改正された農地法の中身には、既述のような農業法人経営を増やそうとの意図もうかがわれるが、現在、非農業分野から農業経営に参入する例は、まれであるといえるほど限られる。それなのに、都市から参入する法人にまで地域のさまざまな慣行に従うことを強制する「地域との調和要件」などという、農村の古いしきたりに順応すべきだとの政策を前面に出す。筆者は、このようなしばりをかけようとする役所の神経を疑う。 都会の若者や経営者の大部分は、ともかく農村の古い慣行やしきたりを嫌う。
「農地法」の農水省担当部署がつくっているさまざまな説明文を読むと、それらからは次のような官僚主権意識・明確な国民不信感が伝わってくるのは筆者だけだろうか。
・農地は法律で厳しく管理しないと効率的に使われない
・農業をする者の資格を法律で管理しないと農業が衰退する
・農地所有権は農家以外に渡してはならない
・農地と農家のことは農水省が管轄し、他省庁には渡さない
農地所有権も耕作権(農業権)もすべての国民に門戸を開くべきであり、それが最も「農地を効率的に利用する」(改正農地法第1条) 最良の手段であるはずだ。要は、国民を信頼するかしないか、減る一方の農家の手取り足取りの管理を止めるかどうかの問題である。
農家自身も、そろそろ農地から「解放」してほしい、と思っているのではなかろうか。「農地法」という法律には、小手先の「改正」よりも、もっと早めにやるべきことがある。それは、どの政党もなぜか守ることしか考えない点では一致する「農地法」を廃止すること、すなわち一般社会への制度的な農地開放である。
著者は中国農業にも詳しいのだが、人民公社などは昔の話、今は会社組織での農業が伸びているのだという。
なお著者は大規模農業が良いと言っているわけではない。むしろフード(穀物)メジャーによる大規模農業には批判的である。