「“一億特攻”への道」
NHKスペシャル「"一億特攻"への道 ~隊員4000人 生と死の記録~」について。
また特攻志願者を募る話には興味深い推測が語られていた。
航空兵の兵舎では、隊員に「熱望」「望」「否」を書かせて、それを集めていたそうだが、内心は否でも、そう書くわけにはいかない雰囲気だったという。
そして、特攻に行かせる兵を選ぶときには、「熱望」から選んだわけではないという。戦史の研究者は、成績上位者は熱望としても、出撃は後回しになっていると指摘し、おそらく選ぶ側では、優秀な兵を早々に失うのはもったいないと考えたのだろうという。
そして特攻に熱狂する国民意識は"一億特攻"というスローガンとなって、終戦まで止まらなかった。
終戦関連番組で特攻をとりあげたものは今までもいろいろあった。
随分前になるが本ブログでも「特攻 歪められた戦果」について書いたことがある。
今回とりあげる「“一億特攻”への道」では、タイトルが示すように、全国民の特攻への関わりにも焦点が合わされていた。
まず、本心はともかく、特攻を支持し、それを促進した国民の姿である。
ほとんど熱狂的とも言えるぐらいに、特攻隊員を神聖視し、周囲が若者を特攻へ送り出す姿。
そして特攻を美化し、それに続けという調子のマスコミ報道。
最近の戦争関連のドキュメントは、国民を軍部にだまされた被害者としてではなく、それに積極的に協力した共犯のように扱うものが増えている。
個人的には、食料がないとか、不自由を強いられる暮らしはイヤだったろうし、身近な人の戦死には涙もしたであろうけれど、群衆行動としては戦争を支持し、戦死を賛美したというのが、やはり事実なのだろう。
その特攻を正当化する理屈として「一撃講和」というキャッチフレーズが使われたという。
既に戦争に勝利することは無理とわかっていて、それでも戦い続ける理屈として、敵に大きな損害を与えればそれを契機に多少でも有利に講和が結べるという期待である。
本当かどうかわからないが、開戦の真珠湾攻撃で、敵の戦意をくだいて早期に講和すると考えていたという話に通ずるものだ。
しかし相手の気持ちになって考えれば、こんな理屈が成り立つはずはないだろう。やられたら少なくともやられた分のお返しをしなければ講和しようなどと考えるだろうか。ましてや米国は本土は戦場にならず、戦争で大規模な損害を受けていないわけで、戦争継続になんら不安を感じたりはしていなかっただろう。
「一撃講和」などということを、賢明なはずの指導者たちが信じていたとは私には思えない。
結局、白旗を掲げて責任をとるのがいやな指導者が、決断できないままずるずると戦争を続ける、そのために都合の良い理屈をひねくりだしただけだろう。そして損害をどんどん大きくしてしまった。
そもそも戦争の終え方はもちろん、戦争の目的すら明確でないままに突入した戦争だから決断のしようもなかったのかもしれない。
随分前になるが本ブログでも「特攻 歪められた戦果」について書いたことがある。
今回とりあげる「“一億特攻”への道」では、タイトルが示すように、全国民の特攻への関わりにも焦点が合わされていた。
まず、本心はともかく、特攻を支持し、それを促進した国民の姿である。
ほとんど熱狂的とも言えるぐらいに、特攻隊員を神聖視し、周囲が若者を特攻へ送り出す姿。
そして特攻を美化し、それに続けという調子のマスコミ報道。
最近の戦争関連のドキュメントは、国民を軍部にだまされた被害者としてではなく、それに積極的に協力した共犯のように扱うものが増えている。
個人的には、食料がないとか、不自由を強いられる暮らしはイヤだったろうし、身近な人の戦死には涙もしたであろうけれど、群衆行動としては戦争を支持し、戦死を賛美したというのが、やはり事実なのだろう。
その特攻を正当化する理屈として「一撃講和」というキャッチフレーズが使われたという。
既に戦争に勝利することは無理とわかっていて、それでも戦い続ける理屈として、敵に大きな損害を与えればそれを契機に多少でも有利に講和が結べるという期待である。
本当かどうかわからないが、開戦の真珠湾攻撃で、敵の戦意をくだいて早期に講和すると考えていたという話に通ずるものだ。
しかし相手の気持ちになって考えれば、こんな理屈が成り立つはずはないだろう。やられたら少なくともやられた分のお返しをしなければ講和しようなどと考えるだろうか。ましてや米国は本土は戦場にならず、戦争で大規模な損害を受けていないわけで、戦争継続になんら不安を感じたりはしていなかっただろう。
「一撃講和」などということを、賢明なはずの指導者たちが信じていたとは私には思えない。
結局、白旗を掲げて責任をとるのがいやな指導者が、決断できないままずるずると戦争を続ける、そのために都合の良い理屈をひねくりだしただけだろう。そして損害をどんどん大きくしてしまった。
そもそも戦争の終え方はもちろん、戦争の目的すら明確でないままに突入した戦争だから決断のしようもなかったのかもしれない。
このような構造は今でもあちこちにありそうに思う。
また特攻志願者を募る話には興味深い推測が語られていた。
航空兵の兵舎では、隊員に「熱望」「望」「否」を書かせて、それを集めていたそうだが、内心は否でも、そう書くわけにはいかない雰囲気だったという。
そして、特攻に行かせる兵を選ぶときには、「熱望」から選んだわけではないという。戦史の研究者は、成績上位者は熱望としても、出撃は後回しになっていると指摘し、おそらく選ぶ側では、優秀な兵を早々に失うのはもったいないと考えたのだろうという。
そして特攻に熱狂する国民意識は"一億特攻"というスローガンとなって、終戦まで止まらなかった。