「この世界の問い方」(その3)

71WIY2G4CTL.jpg 大澤真幸「この世界の問い方 普遍的な正義と資本主義の行方」の3回目。

今日は「2章 中国と権威主義的資本主義」から。
ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」によれば、中国も惨事便乗型資本主義を使って国としての経済力を高めてきたという。
西欧の資本主義は、従来、民主政体とともに発展してきたものだと考えられてきたが、民主主義政体とはいえない中国がなぜ資本主義体制を成功させたのか、それを権威主義的資本主義ととらえている。
西欧型のルール(都合の良いところ)に適合しながら、独裁政権が資本主義をコントロールしているというわけだ。

ここで昨日言及しておいた「レント資本主義」のことを引用しよう。
 これほど法外な格差が生ずる最大の原因はどこにあるのか。先に結論を言ってしまおう。原因は、本来はコモンズ(共有物)であるべき文化、「一般的知性」の領域に、私的所有権が設定されていることにある。一般的知性とは、マルクスの概念で、人間の集合的な実践の中から自然発生してきた広義の知的産物のことである。一般的知性の究極の実例は、言語である。もし誰かが、言語を――そのすべてではなくてもその一部を――自分のものだと主張し、使用料を徴収したとしたらどれほどとてつもないことかを考えてみるとよい。現在、起きていることは、これと似た事態である。 どういうことか、説明しよう。
 GAFAMはどうしてあれほど儲かるのか。彼らのビジネスは、当然ながら、インターネットという土台があるからこそ可能になっている。だが、考えてみると、インターネットは、アマゾンやグーグルが発明したわけではない。ジェフ・ベゾスやラリー・ペイジが、インターネットを含む一般的知性の蓄積に付け加えたことは、ごくわずかなことだ。彼らがやっていることは、自然の産物である土地を――したがって共有地を囲い込んで、私的所有権を主張したあのやり口と同じである。土地はもともとあったものであって、地主が創ったわけではないが、囲い込んでしまえば「自分の所有物」である。同じことはサイバースペースにもいえる。アマゾンやグーグルは、サイバースペースの中の共有地をささいな理由によって囲い込み、それを自らの私有地としているのだ。ジェフ・ベゾスの資産が、アメリカの平均的な中産階級の年収の100万年分以上になるのは、このためである。
 利潤を生み出すカラクリは、単純化してしまえば、次のようになる。それが「私有地」であるならば、その土地を他人に使わせることで、その他人から「賃貸料(レント)」を取ることができる。 GAFAMの収入は、基本的にはこの「賃貸料」である。この状況を指して、「レント資本主義」と呼ばれることがある。「いや、私は、グーグルやアマゾンをただで使わせてもらっているよ」と思うかもしれないが、その場合には、利用者は、グーグルやアマゾンに個人情報を渡してしまっている。ショシャナ・ズボフが看破しているように、その個人情報こそ最大の剰余価値の源泉である。グーグルやアマゾンに、個人に対するそこまでの監視が可能なのは、そのプラットフォームが、彼らの私有地として扱われているからである。
 現代の資本主義において、搾取の最大の武器は、サイバースペース上のプラットフォームやコミュニケーション手段の上に設定された私的所有権にあるという。この私的所有権は、ヴァーチャルな空間の上での、純粋に法的な擬制である。 物理的な対象に対する所有権であれば、それを誰かが実際に使用しているとか、それを誰かが占拠しているとか、といった法以前的な自然の事実によってある程度は支持されている。しかし、ヴァーチャルな空間の私的所有権は、いかなる自然の事実によっても守られてはいない、まったく恣意的で作為的な虚構の設定だ。それは、正統なものとして受け入れられている法によって守られなければ、無に等しい。
 そうであるとすれば、サイバースペース上の私的所有権を活用して利益を得ている資本は、そうした法をインターネット上のすべての参加者に強制できる直接的な「権威」をどうしても必要とする。つまり、経済から相対的に独立した強い国家権力が必要になる。そのような国家権力をもつ資本主義は、まさに権威主義的資本主義ではないか。レント資本主義の形態をとる現在のリベラルな資本主義は、結果的に、権威主義的資本主義によく似たシステムへと変貌していく。

まえがき
 
1章 ロシアのウクライナ侵攻
   ―普遍的な正義への夢を手放さないために
(1)何のための軍事侵攻か
  ―小さな真実の下にある大きな妄想
ロシアはヨーロッパなのか?/「どこまでが西か」をめぐる競争/「大国」への野望/ユーラシア主義?/プーチンの歴史的参照項/「ほとんどわれわれ」さえも……
(2)「文明の衝突」ではあるが……
どちらがファシスト的なのか/文明の衝突=歴史の終わり/衝突の過剰/リベラル・デモクラシーが残ったのか?/寄生する階級闘争/二段階の解決
(3)偽善ではあるが、しかし……
ロシアを非難しない国々がたくさん/ロシアはグローバルサウスの同盟者か?/偽善が可能な世界
(4)〈戦争の最も望ましい終わり方〉をめぐって
戦争の理想的な終息について/反政府運動―その理由が重要だ/ロシア人にとってよいこと/愛国と普遍/日本人にとっての教訓
 
2章 中国と権威主義的資本主義
   ー米中対立、台湾有事と日本の立ち位置
(1)中国はどうして台湾に執着するのか
世界一、親米度と親中度の差が大きい国/アメリカと中国―ポジからネガへ/台湾への執着/帝国的なものの転用/帝国的なものの否定/平等性と序列/自らを世界そのものと合致させようとする意志
(2)集団的自衛権を行使するときがくるのか?
日本はどちらに付くのか?もちろん/集団的自衛権の行使の一環として/中国を経済的に追い詰める?/権威主義的資本主義/「悪いとこ取り」なのに
(3)権威主義的資本主義
そもそも中国は資本主義なのか/常態としての腐敗/毛沢東の二つの失敗/最大の「走資派」/法則を逆走する/伝道への情熱の欠如/集権化と分権化の絶妙なバランス
(4)ふたつの資本主義が残るのか?
  否、残るとしたらひとつだ
それはアメリカである/アメリカの金権政治/レント資本主義/基礎的な不安/その上でもうひとつの不安/ほんとうの問い
 
3章 ベーシックインカムとその向こう側
   ―コロナ禍とBI、そしてコモンズ
(1)あれも、これもすると私たちは第三のものを得る
リーマンショックの教訓/「ソフィーの選択」を迫られる/「あれか、これか」ではなく「あれも、これも」/BIのように/MMTが成り立つための根拠/MMTが見落としているもの/資本主義という枠組みを捨てるとき
(2)ベーシックインカムそれは可能だ。
  しかし可能性こそがその限界だ。
日本社会はベーシックインカムを必要とするか/BIは財政的には可能である/利己的にして贖罪的な消費の先に……/まさにそれゆえにBIには限界がある/親切な奴隷主のように/レントとしてのBI/コモンズへ
 
4章 アメリカの変質
   ―バイデンの勝利とBLMが意味すること
(1)今回の勝利が真の敗北の原因になるとしたら……
「民主党政権」の教訓/まさに「理性の狡智」のように/子どもの投票/救済者はやってきた?/空いているポジション
(2)BLMから考える
BLMとコロナ禍/「私はあなたたちのために何ができるのでしょうか」/行動の前に言葉が/リー将軍のみならずリンカーン大統領も/みんな人種主義者だった、しかし……
 
5章 日本国憲法の特質
   ―私たちが憲法を変えられない理由
短い憲法/長寿の憲法/変えられない理由/冒瀆の繰り返し/敗戦の傷/Pである。ただしQは例外だ。/「創設」の行為/とてつもないシニシズム/積極的なアクターとして
著者は、権威主義的資本主義は独裁制と相性が良いといっているように聞こえる。これについては、「システム・エラー社会」が指摘する、プラットフォーマー独裁の状態と似ているとも思える。習近平のかわりにザッカーバーグがいるような。

さてロシアとの比較で気になるのは、中国は自分自身を清の後継者だと考えているらしいこと。清は漢民族の王朝ではなく征服王朝だが、それにはおかまいなく直前の王朝の版図を承継したというわけだ。

清の王族の故地は満州だが、彼らに満州を渡すことは許せない。

台湾を不可分の領土といい、南シナ海を領海だと言うのは、中国にとっては歴史的に当然のことだという感覚らしい。

昨日、ロシアは西欧に憧れをもちながら、西欧からは周辺でしかないというコンプレックスを持っていると書いているが、そんなコンプレックスは微塵もないのが中国である。誰が見ても中国はヨーロッパではないし、ヨーロッパの周辺でもない。
だから中国は西欧が気づいた「標準」は、都合の良いところだけは適合させておき、もっと賢く実質的な支配力をそれこそ西欧のルールを利用して(つまり資本力にものをいわせて)伸長させるのだろう。
 第一に、中国は、自身の制度を諸外国に輸出することに、さして熱心ではない。ここが、アメリカと中国で大きく違うところである。アメリカは、自らのモデルを世界に普及させようとしている。それは、ほとんど宗教的な情熱をもった伝道の活動に等しい。そして、アメリカは、その伝道にたいてい失敗してきた。しかし、中国には、そのような意味での失敗はない。なぜなら、そもそも、自分のやり方を輸出しようという情熱に乏しいからだ。
 どうして、中国は、自分の制度の輸出にさして熱心ではないのか。それは、前々節で述べたことにすでに含意されている。つまり、これは、中国の中華意識と関係したことがらである。中国は、自国をワンオブゼムの国民国家としてではなく、世界で唯一の真の文明国と見なす傾向がある。周囲にいるのは、基本的には蛮族である。生蕃(教化に服さない蛮人)と熟蕃(帰順した蛮人)の違いこそあれ、蛮族は蛮族だ。 蛮族に、文明国のやり方をそのまま輸出する意味はない。
 中国は、現在でも中華意識をもち、他国を対等に見てはいない。このことは、この国が、同盟国をほとんど持たないところによく表れている。冷戦のときでさえも、中国は、ワルシャワ条約機構に加盟していたわけではないし、ソ連と軍事同盟を形成していたわけでもない。なぜ、中国は、他国と同盟しないのか。同盟は、基本的には、自/他が対等であることを前提にしているからだ。同盟は中華意識とは両立しがたい。現在でも、中国の同盟国は、北朝鮮だけだが、中国・北朝鮮の関係は、とうてい対等とは言えないので、これは通常の意味での同盟ではない。

日本国は、西欧からは異分子と見られていることは間違いないはずだが、それでも必死に西欧「標準」に卑屈なまでに従うことで、なんとか国際社会に地位を占める。それがかつては日本国の利益にもなっていたが、「安いニッポン」になってもそれを続けることにメリットがあるかはわからない。
夜郎自大はもう終わりにしないと。

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