「行動経済学の処方箋」(その3)

大竹文雄「行動経済学の処方箋―働き方から日常生活の悩みまで」の3回目。

71FwImcYRzL.jpg 本書の紹介を今日で終わりにするが、最後に行動経済学の話題からはずれて、私にもいかにも経済学らしいと思える話。

「見えざる手」
『国富論』といえば有名なのは「神の見えざる手」という表現である。しかし、この表現は、『国富論』では一箇所しか出てこない。しかも「神の見えざる手」の「神」というのはそには書かれていないのである。
 そのたった一箇所の「見えざる手」という語句が含まれる文章は、抽象的には、現代の経済学者が厚生経済学の基本定理として理解しているのと同じことを意味している。具体的には、「人はみな、自分が使える資本でもっとも有利な使い道を見つけ出そうと、いつも努力している。その際に考えているのは、自分にとって何が有利なのかであって、社会にとって何が有利かではない。だが、自分にとって何が有利かを検討すれば自然に、というより必然的に、社会にとってもっとも有利な使い道を選ぶようになる」というものだ。「それによって、その他の多くの場合と同じように、見えざる手に導かれて、自分がまったく意図していなかった目的を達成する動きを促進することになる。そして、この目的を各人がまったく意図していないのは、社会にとって悪いことだとはかぎらない。自分の利益を追求する方が、実際にそう意図している場合よりも効率的に、社会の利益を高められることが多いからだ。社会のために事業を行っている人が実際に大いに社会の役に立った話は、いまだかつて聞いたことがない」。
 つまり「利己心だけに基づいた競争市場で社会全体の利益が達成される」ということを意味している。文章自体はそう表現されている。ただ、これが述べられている場面は現代の経済学者の理解と若干違っていて、「国内で生産できる商品の輸入規制」について議論しているところである。輸入規制をすれば国内産業は良くなるように見えるが、そうではないということを議論している。貿易が自由化されると皆が儲かる海外に投資するという形でお金を使おうとするから国内が豊かにならないという批判があり、それに対して、いや、神の「見えざる手」で国内が豊かになると説明しているのだ。
 興味深いのは、実はこれが「フェルドシュタイン=ホリオカ・パラドックス」と関係していることである。「フェルドシュタイン=ホリオカ・パラドックス」とは、グローバル化が進めば、国内貯蓄と国内投資は無関係になるはずだけれど、各国の国内貯蓄と国内投資には相関関係が存在するというフェルドシュタインとホリオカが発見した逆説的な事実である。国内貯蓄が多くても、投資家は世界中で一番儲かるところで投資を行うはずだから、国内投資が増えるとは限らないというのが経済学の基本的な考え方であり、まさにそれがアダム・スミスが批判されたポイントだった。それに対してアダム・スミスは、放っておいても皆、国内に投資すると反論する。なぜなら、外国は物を運ぶのも大変だし、騙される可能性も高い。そういう取引コストが結構あるから、皆できるだけ国内に投資したいと考える。だから放っておいても投資家や起業家は国内に投資するので国内が豊かになるという反論だ。このことを「見えざる手」と表現したのだ。

プロローグ 経済学の常識、世間の常識
 
第一章 日常生活に効く行動経済学
1 「得る喜び」より2倍大きい「失う悲しみ」
2 宿題を先延ばしにしないためには?
3 よい生活のためにも初期設定が重要
4 「みんながしている」の効果
5 行動経済学で考えるお金の貯め方
6 人は誰にも偏見がある
7 悩んだときは変化を選ぶ
8 合理的な選択へと導くナッジ
 
第二章 行動経済学で考える感染対策
1 新型コロナウイルスへの10の手段
2 自粛していない人がこんなにいます
3 ワクチンの接種意向は高い
4 社会を縛る思い込み
5 古くて新しい生活様式
6 床に描いた矢印の効能
第三章 感染対策と経済活動の両立
1 ワクチン接種が行き渡った後の社会
2 なぜ日本人は社会経済活動よりも感染対策重視なのか
3 指数関数を直感する「70の法則」
 
第四章 テレワークと生産性
1 コロナ禍で進んだテレワーク
2 同僚と働くピア効果
3 オンライン会議は創造性を阻害する?
4 体罰を有効と思い違うワケ
5 仕事の「意味」と労働意欲
6 行動計画が悩みを減らす
7 良い人間関係が生産性を高める
8 ボトルネックを見つける
 
第五章 市場原理とミスマッチ
1 品不足になったマスクとトイレットペーパー
2 ラグビー日本代表と外国人労働者
3 誤解されてきたアダム・スミスの「国富論」
4 最低賃金の引き上げは所得向上につながるか?
5 企業の社会的責任と従業員の採用
6 「もったいない」で損してない?
7 贈り物の経済学
8 税制がもたらす意外な変化
 
第六章 人文・社会科学の意味
1 社会の役に立たない学問なのか?
2 反事実的思考力を養う
3 神社・お寺の近所で育つと
 
エピローグ 経済学は役に立つ
アダム・スミスといえば『国富論』そして「見えざる手」と、市場経済主義の古典という評価がなされることが多いが、本書では上に引用したようにそんな単純な話ではないと指摘している。

著者の指摘には大いに納得するところだが、他書でもアダム・スミスは市場原理主義者ではないと力説していたものがあったと思う。
それによると、アダム・スミスは『国富論』以前に『道徳感情論』という著作があり、内容には関連するところが多いという評価だったと思う。つまり決して機械のようなホモ・エコノミクスを措定して経済活動を考え、市場原理主義を主張したのではないという。
そして、本書でも同様の主張となっているが、市場を理想的に機能させることがスミスの考えたことであって、それはあらゆる規制を廃して、すべてを市場にまかせることではない。独占禁止法は市場競争を守る法律だと思うが、これも政府による規制である。
新自由主義者は、すべて市場に任せるというが、彼らは独占禁止法も市場に介入する悪法だというのだろうか。

要するにスミスはフェアな競争が行える市場を理想としていて、市場への政府の介入を否定したとは思えない。「見えざる手」はそうした市場で働くものなのだと思う。
自由競争が行えないような偽市場では「見えざる陰謀の手」しか働かないと言えるのでは。

次に経済学からは少し離れた話題。
 「なんで文学部に行くの」
 同じ文系の学問でも、役に立っていないのではないかと批判されるのは、社会科学よりも人文学であろう。多くの反論があるが、その中でネットでも話題になったものに、当時、大阪大学大学院文学研究科教授だった金水敏氏が、2017年の大阪大学文学部卒業セレモニーで行った式辞がある。金水氏は、文学部卒業生たちが「なんで文学部に行くの」とか「文学部って何の役に立つの」という文学部に対する批判をしばしば受けると指摘する。それに対して他の学部であれば、比較的明確に役に立つと答えられるという。「医学部は人が健康で生活できる時間を増やす」、「工学部は、便利な機械や道具を開発することで生活の利便性を増す」、「法学や経済学は、法の下での公正・平等な社会を実現したり、富の適正や再配分を目指したりなど、社会の維持・管理に役立つ」と言える。しかし「文学部で学んだ事柄は、職業訓練ではなく、また生命や生活の利便性、社会の維持・管理と直接結びつく物ではない」と言う。
 では、文学部で学んだことは何の役に立つのか。それは、「問いを見いだし、それについて考える手がかりを与えてくれる」ということだという。具体的には、「私たちの時間やお金を何に使うのかという問い」や「私たちの廻りの人々にどのような態度で接し、どのような言葉をかけるのかという問い」にもつながり、「日本とは、日本人とは何か、あるいは人間とはどういう存在なのか、という問い」にもつながる。したがって「文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったとき」だと金水教授は述べる。

本ブログでは以前、「文系学部廃止」の衝撃という書評記事を書いている。その本では、一部報道機関が文系学部廃止と報じたのは誤解によるものであること、ただそれを多くの人が信じてしまったところに根の深い問題があると書いていた。

私は、歴史や考古学を面白いと思い、日本の歌集(万葉、古今、新古今、…)を素晴らしいと思う。そういう楽しみを与えてくれるだけで、文科系の学問が十分社会に貢献していると思う。

経済学が世界を混乱させているのはいただけないと思うけれど。

上に引用した文章で、なるほどと思ったのは、文系の学問の本領は「人生の岐路に立ったとき」に発揮されるということ。
ただこれは言葉としてはその通りだと思いつつ、では具体的にどう役にたつのだろう?
思うに、それが自分が何に価値を置くのか、あるいは美しいと思うのかということではないだろうか。
数値では測れない価値、美しさ。AIの成長が著しい今こそ、文系の学問が大事になるのかもしれない。

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