「現代カタストロフ論」(その3)

金子勝・児玉龍彦「現代カタストロフ論―経済と生命の周期を解き明かす」の3回目。

71oprnGscyL.jpg 1回目では、本書がカタストロフをどうとらえているのか、私の理解が及ばないところだけれど、紹介した。2回目では、その代表例として新型コロナが紹介されている。

注意したいのは、医療崩壊を考えるから「カタストロフ」という言葉が使われるのかもしれないが、カタストロフィー理論が示すのは、新型コロナウィルスの変異という現象のことで、これも「カタストロフ」という言葉が使われている。
読者は、この全く異なる意味で同じ「カタストロフ」という言葉が使われていることに十分注意すべきだろう。1回目の記事で「多義あるいは曖昧の虚偽(equivocation) 」に注意すべきとしたものだ。

さて3回目は、本書がとりあげる「カタストロフ」のもう一つの場、経済現象に注目する。
とはいうものの、経済現象でのカタストロフ(カタストロフィー理論での)がどんなものになるのか私にはわからない、知識がない。

バブルが崩壊する現象がカタストロフィー理論で説明ができるのか、それを明示的に解説した論説というのがあるのだろうか。


なので、今回もカタストロフィー理論で読み解くのではなく、本書がとりあげている「カタストロフ」を紹介しよう。
はじめに―「現代カタストロフ論」とは?
 
第一章 カタストロフはどのように起こるか
1 新しい時代が始まる
2 繰り返す変異株の波―リアルタイムの進化の観測
3 五〇年周期で起きる政治経済の大転換
4 生命科学の五〇年周期のパラダイムシフト
5 イノベーションと創造的破壊
6 五〇年周期の政治諸制度の変化
7 新しい政治的分断と格差・貧困の拡大
8 人口減少と社会保障費削減の悪循環
 
第二章 なぜカタストロフに行きつくのか?
    ―周期のメカニズム
1 繰り返しながら変わっていくことの科学
2 なぜ変異株が周期的に襲ってくるのか?
3 周期的カタストロフをデータから解き明かす
4 重なり合うカタストロフ
5 経済を周期で見る景気循環論
6 従来の景気循環論の問題点
7 自壊に向かう循環
8 カタストロフの底へ向かう循環
  ―戦争とパンデミックの時代
 
第三章 カタストロフから新しい世界を創る
1 グローバルな感染症と向き合う
2 少子高齢化に対応した新しい産業革命
3 先端産業の衰退を克服する
4 地域からエネルギーと情報と生活のフィードバックを
 
あとがき

 日本は中曽根政権の下で、強いナショナリズムを掲げながら、その実は新自由主義のイデオロギーで産業戦略を「武装解除」してしまい、一九八六年に日米半導体協定を受け入れ、日本の半導体産業を潰していった。その結果として、台湾のTSMC (Taiwan Semiconductor Manufacturing Company) や韓国のサムソン電子の追随を許していった。アメリカは今日の米中戦争においても同じような半導体戦争を続けており、中国の半導体の弱点と台湾の半導体企業TSMCをめぐる半導体戦争という面を無視できない。さらには安倍晋三元首相と今井尚哉政務秘書官の下で、経産省の大失敗した原発輸出路線にのめり込んで、医療機器、センサー、半導体など東芝のさまざまな先端産業分野を潰してしまった事例を典型として、産業衰退を深刻化させて中国は米中貿易戦争でファーウェイなどが圧迫を受ける中で、新型コロナウィルスを封じ込める過程で、情報通信技術を利用して、国民全員を管理するイントラネット化の方向をたどるようになった。 OMO(オンラインとオフラインの融合)を通じて、スマートフォンが二四時間、感染症や災害を防止するシステムを構築しつつある。それは反面で二四時間、顔認証から個人データを掌握し、利便性を強調しながら個人を徹底的に監視するディストピアを生み出す危険性をはらんでいる。アリババのジャック・マーの行方不明事件が起きているように、米中貿易戦争で後退させられた中国の情報通信産業は、いまや一四億人の人口を相手にしたディストピア化で生き延びさせられようとしており、こうした自由と情報人権の無視はかえって情報通信業の自由と活力を失わせ、危業の衰退を招く危険性を秘めている。

半導体や先端産業については、もう少し具体的に歴史の流れがまとめられている。

 まず、第一の悪循環は、付加価値が高い新しい製品を創り出せず、日本企業の国際競争力が低下していくサイクルである。 起点は、日米貿易摩擦であった。一九八六年と一九九一年の日米半導体協定を契機に、日本の先端産業分野は次々と衰退していった。一九八六年日米半導体協定によるダンピング禁止と一九九一年日米半導体協定による二割の外国製輸入割当が決められ、半導体やコンピュータなど先端産業の衰退が始まった。

ただ私の記憶では、日本の半導体の競争力が強かったのはメモリーで、プロセッサについては全く歯がたたなかったように思う。プロセッサは標準化あるいはデファクトを握る戦いであり、この分野では勝ち目がなく、儲かる部分、勝てる部分に注力した結果がメモリーだったのではないだろうか。

日本でもTRONといったプロセッサからOSに至るトータルな技術開発があったけれど、これについても米国からの強い圧力に抗しきれなかった。
米国以外の国を巻き込んで、Intel、Microsoftの牙城を崩すような外交的努力をするべきだったのではないかと思う。
ただしTRONの技術は今でもあちこちで活躍しているようだ。システムがハード的にもモジュール的に構成されるようななればTRONが使われる場ば多くなると思う。


ところで、引用の最初の部分だが、自民党政権は米国追随をずっと繰り返し、その行きつく先が、日本の武装解除はやりすぎだった、平和憲法は邪魔だと考えている米国のために、憲法を改正しようというのと同じ思考様式に見える。どれだけ「普通の(戦争ができる)国」を目指しても、そこには米国と戦争することは含まれない。
これは国防や半導体に限るものではなく、農業においても、日本で開発された種苗類が米国の穀物メジャーにみすみす奪われたといわれる例でも同様である。

また、これこそカタストロフではないかと思うのがバブル崩壊だと思うのだけれど、これを機に(それまでもその傾向があったけれど)、短期的利益を追うために、マネーゲームと人件費削減があたりまえになり、付加価値を生むはずの技術者はどんどんリストラされ、彼らは韓国・台湾・中国へ技術移転していくことになる。

このあたりの「エートス」は新自由主義のそれに通ずるものがあると思う。

こうして企業活動が良い技術・良いアイデアを作るものから、マネーゲームをするものへと変質するのが「カタストロフ」だということかもしれない。
ただし、これで生まれた新しい経済世界は長続きするものではない。本来の価値創造型活動に依拠するものではないからだ。かくして出口のない状態が続き、次に確実に起こるだろうカタストロフはマネーゲーム自体が崩壊することかもしれない。そうなればマネーの社会的役割はなくなり、米などの実物経済に落ち着くことになる。

今の岸田総理は「新しい資本主義」と言う言葉を使っているが、何をもって「新しい」と考えているのかが私には伝わってこない。
ある本には、新しい資本主義は、たとえば株主至上主義ではなく、労働者・顧客を含んだ組織体として経済を動かしていくものであるべきという論が展開されている。
もし岸田首相もそういう資本主義像をイメージしているのなら、それにふさわしいルール作りを進めなければならないと思うけれど、今のところ、そういう施策は見えてこない。

次は民主主義の「カタストロフ」かな。

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