「古代ローマ人の24時間」(その3)
アルベルト・アンジェラ「古代ローマ人の24時間―よみがえる帝都ローマの民衆生活」(関口英子・翻訳)の3回目。
昨日は食をとりあげたが、今日は性をとりあげる。
性の話は第47、48章にまとめて書かれているが、それまでにもちょくちょく売春の話は書かれている。たとえば、インスラの様子を書いている場面で、その行為中の音や声が聞こえるという描写があるし、料理屋で料理を配る女性と交渉して、性交渉に至る(そして料理の支払いにそのサービス料が上乗せされる)という話もある。
第47、48章にあるのは、そうしたゆきずり(?)の性行動ではなくて、もっと親密な(必ずしも夫婦というわけではない)関係というか、むしろ富裕層のそれが中心になっている。
その性行動の具体的な内容については差し控えるとして、ちょっと驚いたのは、そうした話題は、現代ではあまりおおっぴらに語られるものではないのだけれど、古代ローマではそうでもなかったようだということ。
これを読んで思い出したのが、バチカン美術館にある多くの古代ローマの彫刻などの蒐集品。この美術館はたしかユリウス2世が法王時代に蒐集したものがベースになっていたと思うが、この法王が異教の神像などを蒐集したことは大したものだと評価する一方、その多くが性器などを切除あるいは隠蔽されていて、なんという野蛮なことをしたものだと思う。
そう時代は違わないと思うが、ミケランジェロのタヴィデ像など、性器もしっかり彫刻されている。ところが同じミケランジェロでも、システィナ礼拝堂の最後の審判では、性器の露出は隠蔽されてしまった(それを復元する努力が続けられている)。このあたりの扱いの差はどこからくるのだろう。ダヴィデ像は世俗の場所に置かれ、最後の審判はもっとも厳粛な聖堂に描かれたということだろうか。
本書の書評は今回で一応終了するが、ここに描かれた古代ローマ人の日常というのは、これからも折に触れて参照したくなるものだ。本書はまず図書館で借りて読んだのだけれど、そういう使い方のために、手元に置いておくことにして、文庫版を購入した。
昨日は食をとりあげたが、今日は性をとりあげる。
柿沼陽平「古代中国の24時間―秦漢時代の衣食住から性愛まで」も、一日の終わりに性をとりあげているが、これも本書に倣ったものかもしれない。
性の話は第47、48章にまとめて書かれているが、それまでにもちょくちょく売春の話は書かれている。たとえば、インスラの様子を書いている場面で、その行為中の音や声が聞こえるという描写があるし、料理屋で料理を配る女性と交渉して、性交渉に至る(そして料理の支払いにそのサービス料が上乗せされる)という話もある。
第47、48章にあるのは、そうしたゆきずり(?)の性行動ではなくて、もっと親密な(必ずしも夫婦というわけではない)関係というか、むしろ富裕層のそれが中心になっている。
その性行動の具体的な内容については差し控えるとして、ちょっと驚いたのは、そうした話題は、現代ではあまりおおっぴらに語られるものではないのだけれど、古代ローマではそうでもなかったようだということ。
はじめに |
第1章 当時の世界 |
第2章 日の出の数時間前 |
第3章 午前6時―裕福な人が住む邸宅 |
第4章 午前6時15分 ―室内装飾にみる古代ローマの趣味 |
第5章 午前6時30分―主人の目覚め |
第6章 午前7時─ローマ式の服装 |
第7章 午前7時10分―女性のファッション |
第8章 午前7時15分 ―古代ローマ時代の男性の身だしなみ |
第9章 午前7時30分―二〇〇〇年前の美しさの秘訣 |
第10章 午前8時─古代ローマ風の朝食 |
第11章 午前8時30分―開門の時間 |
第12章 上空から見た霧の朝のローマ |
第13章 すみません、今何時ですか? |
第14章 午前8時40分―理髪師と一日の最初の労役 |
第15章 独特な世界、インスラ |
第16章 午前8時50分―インスラの人間的な側面 |
第17章 午前9時―インスラの「非」人間的な側面 |
第18章 午前9時10分―ローマの道路 |
第19章 午前9時20分―商店と工房 |
第20章 午前9時40分―神との出会い |
第21章 午前9時50分 ―古代ローマ人の名前はなぜ長いのか? |
第22章 午前9時55分―ローマ人の遊び |
第23章 午前10時―路上の学校 |
第24章 午前10時20分 ―家畜の市場、フォルム・ボアリウム |
第25章 あらゆる富を引きつける都、ローマ |
第26章 午前10時30分―インドのような雰囲気だった 古代ローマの街路 |
第27章 午前10時45分―芸術作品に囲まれ、 つかのまの憩いを楽しむ |
第28章 ローマ人の身体的な特徴 |
第29章 古代都市ローマが抱えていた八つの大きな問題 |
第30章 午前11時―奴隷市場 |
第31章 見習い巫女とのつかのまの出会い |
第32章 午前11時10分―フォルム・ロマヌムへ |
第33章 午前11時30分 ―ローマの裁判所、バシリカ・ユリア |
第34章 ローマの元老院 |
第35章 その時、コロッセウムでは…… |
第36章 午前11時40分―大理石に囲まれた皇帝たちの フォルムを散策する |
第37章 午前11時50分―古代ローマのトイレ |
第38章 正午―古代ローマにおける出産 |
第39章 12時20分―タキトゥスとの出会い |
第40章 12時30分―コロッセウムでの公開処刑 |
第41章 午後1時─昼食は、バールで軽く |
第42章 午後1時15分~2時30分―みんなで公共浴場へ |
第43章 午後3時―コロッセウムの中へ |
第44章 午後3時30分―剣闘士の登場 35 |
第45章 午後4時―宴に招かれる |
第46章 午後8時―無礼講の時間 |
第47章 古代ローマにおける性行動の変化 |
第48章 午後9時―古代ローマ人の性 |
第49章 午前0時―別れの抱擁 |
謝辞 |
訳者あとがき |
古代ローマのカーマ・スートラ
発掘調査によって発見された落書きや古代の文献、あるいは碑文などから、ローマ時代の性行動にま つわるこまごまとした事柄が浮かびあがってくる。たとえば、トラヤヌス帝治世下のローマでは、「セ ックスをする」という意味の動詞はフォトゥエレ [fotuere] だった。この単語は何世紀ものあいだほぼ 変わらずに使われ続け、現在でもイタリア語 [fottere] だけでなく、フランス語 〔foutre] にも形をとど めているし、この動詞に含まれる軽蔑したようなニュアンスまで変わらない。
また、男性器を指す言葉も驚くほどたくさんあった(メントゥラ、ウィルガ、ハスタ、ペニスなど)。 一方、クンヌスといえば、女性器のことだ。男根は、ファスキヌス〔fascinus〕と呼ばれることもあった が、これは fas、つまり「好ましいもの」という単語から派生したものである。というのも、男根は多 産、ひいては繁栄をつかさどるものだったからだ。そのため、男根には悪運や邪悪な霊を祓う力がある と考えられており、ローマ帝国では、街角や店の中や家々などいたるところに男根が描かれたり、彫ら れたりしていた。
なかでも好奇心や想像力をそそられるのは絵画である。ポンペイでは、発掘調査がはじめられた当初 から、エロティックな光景の描かれた小さな壁画がたくさん見つかっていた。そのうちの多くが、発見 当時の倫理観からするとあまりに露骨だったため、見つかるとすぐに意図的に破壊されてしまった。 そ れ以外のものは切り取られ、有名な「秘密の部屋」、あるいは「エロティック絵画の部屋」と呼ばれる 場所に展示された。このコレクションの大半は、現在ナポリ国立考古学博物館で見ることができる。
一般的に考えられているのとは異なり、このような絵画は娼家の壁にあったものではなく、一般の家 の壁から見つかったものだ。裕福な家に典型的に見られた美術コレクションの一部として、エロティッ クな光景が描かれた小さな絵画を所有することは、洗練された貴族的な趣味だと考えられていた。現代 にたとえるならば、 古典様式の裸体像を客間に飾るのと同じような感覚だったのだ。オウィディウスは、 この手の壁画が裕福な邸宅にあったと書き記しているし、スエトニウスは、ティベリウス帝の寝室にも この手の壁画がたくさんあったと述べている。
この点に関しては、ローマで、現在のイタリア外務省になっている建物の庭を発掘調査していた一八 七九年に、驚くべき発見がなされている。一軒の別荘の遺構で、テヴェレ川の堆積物の下に埋もれてい たためによい状態で保存されていたフレスコ画が見つかったのだ。発掘されたのは四つの部屋と二つの 廊下だけだったが、この別荘がアウグストゥス帝の娘ユリアと、その夫でかの有名なアグリッパという、 ビッグカップルのものであることがわかった。四角形に区切られたフレスコ画には、裸の男性が、明ら かに迷っている女性を口説いている様子が描かれていた。女性は服を着たままベッドの端に座り、頭に はベールまでかぶっている。 ところが、その続きの絵では立場が逆転している。 半裸の女性が官能的な 身ぶりをし、驚きを隠せない様子の男性に抱きついているのだ。このフレスコ画には、おそらく主人に 仕える使用人だろうと思われる複数の人物も描かれており、男女が親密な時を過ごしているあいだにも、 その場にいたことがうかがえる。
信じられないのは、このようなセックスの場面を描いた絵が、子どもや少女の目にも付く場所にあっ たということだ。ローマ人は、このような絵を猥褻とは考えていなかったし、日常生活においても、性 についてあからさまに語っていた(ウェヌスやプリアープスなどセックスの神々も崇拝の対象だった)。 性は、家々の壁だけでなく、客を招待する際に使用する高級食器やランプの装飾の題材にもなっていた。 すでに述べたように、なにか罪深いものを見せるという感覚ではなく、室内に高級感、文化レベルの高 さ、豊かさというイメージを与えるものと捉えられていたのだ。
発掘調査によって発見された落書きや古代の文献、あるいは碑文などから、ローマ時代の性行動にま つわるこまごまとした事柄が浮かびあがってくる。たとえば、トラヤヌス帝治世下のローマでは、「セ ックスをする」という意味の動詞はフォトゥエレ [fotuere] だった。この単語は何世紀ものあいだほぼ 変わらずに使われ続け、現在でもイタリア語 [fottere] だけでなく、フランス語 〔foutre] にも形をとど めているし、この動詞に含まれる軽蔑したようなニュアンスまで変わらない。
また、男性器を指す言葉も驚くほどたくさんあった(メントゥラ、ウィルガ、ハスタ、ペニスなど)。 一方、クンヌスといえば、女性器のことだ。男根は、ファスキヌス〔fascinus〕と呼ばれることもあった が、これは fas、つまり「好ましいもの」という単語から派生したものである。というのも、男根は多 産、ひいては繁栄をつかさどるものだったからだ。そのため、男根には悪運や邪悪な霊を祓う力がある と考えられており、ローマ帝国では、街角や店の中や家々などいたるところに男根が描かれたり、彫ら れたりしていた。
なかでも好奇心や想像力をそそられるのは絵画である。ポンペイでは、発掘調査がはじめられた当初 から、エロティックな光景の描かれた小さな壁画がたくさん見つかっていた。そのうちの多くが、発見 当時の倫理観からするとあまりに露骨だったため、見つかるとすぐに意図的に破壊されてしまった。 そ れ以外のものは切り取られ、有名な「秘密の部屋」、あるいは「エロティック絵画の部屋」と呼ばれる 場所に展示された。このコレクションの大半は、現在ナポリ国立考古学博物館で見ることができる。
一般的に考えられているのとは異なり、このような絵画は娼家の壁にあったものではなく、一般の家 の壁から見つかったものだ。裕福な家に典型的に見られた美術コレクションの一部として、エロティッ クな光景が描かれた小さな絵画を所有することは、洗練された貴族的な趣味だと考えられていた。現代 にたとえるならば、 古典様式の裸体像を客間に飾るのと同じような感覚だったのだ。オウィディウスは、 この手の壁画が裕福な邸宅にあったと書き記しているし、スエトニウスは、ティベリウス帝の寝室にも この手の壁画がたくさんあったと述べている。
この点に関しては、ローマで、現在のイタリア外務省になっている建物の庭を発掘調査していた一八 七九年に、驚くべき発見がなされている。一軒の別荘の遺構で、テヴェレ川の堆積物の下に埋もれてい たためによい状態で保存されていたフレスコ画が見つかったのだ。発掘されたのは四つの部屋と二つの 廊下だけだったが、この別荘がアウグストゥス帝の娘ユリアと、その夫でかの有名なアグリッパという、 ビッグカップルのものであることがわかった。四角形に区切られたフレスコ画には、裸の男性が、明ら かに迷っている女性を口説いている様子が描かれていた。女性は服を着たままベッドの端に座り、頭に はベールまでかぶっている。 ところが、その続きの絵では立場が逆転している。 半裸の女性が官能的な 身ぶりをし、驚きを隠せない様子の男性に抱きついているのだ。このフレスコ画には、おそらく主人に 仕える使用人だろうと思われる複数の人物も描かれており、男女が親密な時を過ごしているあいだにも、 その場にいたことがうかがえる。
信じられないのは、このようなセックスの場面を描いた絵が、子どもや少女の目にも付く場所にあっ たということだ。ローマ人は、このような絵を猥褻とは考えていなかったし、日常生活においても、性 についてあからさまに語っていた(ウェヌスやプリアープスなどセックスの神々も崇拝の対象だった)。 性は、家々の壁だけでなく、客を招待する際に使用する高級食器やランプの装飾の題材にもなっていた。 すでに述べたように、なにか罪深いものを見せるという感覚ではなく、室内に高級感、文化レベルの高 さ、豊かさというイメージを与えるものと捉えられていたのだ。
これを読んで思い出したのが、バチカン美術館にある多くの古代ローマの彫刻などの蒐集品。この美術館はたしかユリウス2世が法王時代に蒐集したものがベースになっていたと思うが、この法王が異教の神像などを蒐集したことは大したものだと評価する一方、その多くが性器などを切除あるいは隠蔽されていて、なんという野蛮なことをしたものだと思う。
そう時代は違わないと思うが、ミケランジェロのタヴィデ像など、性器もしっかり彫刻されている。ところが同じミケランジェロでも、システィナ礼拝堂の最後の審判では、性器の露出は隠蔽されてしまった(それを復元する努力が続けられている)。このあたりの扱いの差はどこからくるのだろう。ダヴィデ像は世俗の場所に置かれ、最後の審判はもっとも厳粛な聖堂に描かれたということだろうか。
本書の書評は今回で一応終了するが、ここに描かれた古代ローマ人の日常というのは、これからも折に触れて参照したくなるものだ。本書はまず図書館で借りて読んだのだけれど、そういう使い方のために、手元に置いておくことにして、文庫版を購入した。