「歴史修正主義」
武井彩佳「歴史修正主義―ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで」について。
「歴史好き」という人種がいる。テレビの歴史エンターテインメントを楽しみ、歴史遺跡を訪ねたり、「歴史」を知ったり、ひたったりする。私もそういう一人に数えても良い。
そのことが悪いわけではない。私もこのブログで取り上げた書評の多くが歴史ものだと思う。もちろん直接取り上げてなくても、「ローマ人の物語」とかは随所で参照させていただいている。
であるけれど、本書を読むと、歴史はエンターテインメントとはとても言えない、あまりにも重いものだと、改めて考えさせられる。多くの人が口をつぐんでしまう、そういう歴史である。
それをさらに重たいものにしてしまうのが、歴史修正主義というやつだ。
ちゃんとした歴史家は、ともすれば歴史研究のイロハも知らず、それゆえいくら歴史学的批判をしてもそれを理解しようとしない歴史修正主義者に対して、論争は不毛で、かかわりあうのは疲れるだけということで、そうした虚説が拡散されることを放置してきたようなところがあるという。
同様のことは、呉座勇一「陰謀の日本中世史」にも書かれていたと思う。
「陰謀論」というのは、言葉としては他書でも出会うことや、私も今までも使ったことがあるが、あらためてどういうものを陰謀論というのか、本書では、歴史修正主義と良く似た論理であるとして、次のように解説されている。
歴史は勝者が書くもの、という話がある。勝者に都合の良いように、事実を曲げたり、隠蔽したり、誇張したりして綴られるのが歴史書であるというわけだが、これは勝者に限ることでもなく、敗者の側も、いろんな形でその怨念のこもったストーリーを残すこともある。悲劇の主人公への同情から、実際以上に英雄化したり、悲劇っぽく脚色した話が作られることは多い。
そればかりか、歴史家がどれほど事実に即した記述に努めようとも、歴史家の主観から自由にはなれない。本書ではE.H.カーの著書から引いてその事情を説明している。
だからといって、歴史は信用できないというのは極端な話だし、誠実な歴史家なら、事実を捻じ曲げるということもないだろう。カーの喩で言えば、いろんなところで釣りをする多くの歴史家が釣ってきた魚全体を見ることが大事ということになろう。
ところが、ここに釣られた魚を見せられても、それは俺が釣ったものじゃないから本当にいたのか信じられないと、自分が釣った(という)魚ばかりを見せつけて、この海の真実の姿だと言い張る人たちがいる。
そして主張が通らなくなってくると、表現の自由を持ち出して来たりするのだが、これについても何を言うのも自由ということにはならない。本書では否定論を封じるための国連人権委員会のスタンスを紹介している。
そして国によっては、否定論を拡散する行為を法律で禁止しているところもある。「ホロコーストはなかった」ということを主張する出版・放送その他は犯罪となる。そこへ至るまでには、いろいろ紆余曲折もあったようで、それについては「第5章 アーヴィング裁判」に集約されるだろう。
本書は、ホロコーストの否定など、反ユダヤ主義的な問題を中心にしているが、他にも欧州には同様の歴史がある。
ロシアのウクライナ侵攻にも、根の深い問題がある。
ロシアとウクライナの対立にはそういう歴史があった。また、ロシアがウクライナの「ナチ勢力」と言うのは、反ソ連のためにドイツに味方した勢力があったということを指すのかもしれない。そのことをもっていまだにナチ勢力がいて、それを懲らしめるというのかもしれない。(さすがに無理があるような)
さて、ホロコーストの否定は欧米では犯罪扱いとなっていて、それを決定づけたのはアーヴィング裁判ということだが、歴史が法廷であらそわれ、さらには国家が統制することになった。これは逆からみたら、たとえば否定論が国家公認となれば、ウソが勝利したということになるわけで、それに対して異議申し立てができないとなると、もはや歴史学は自由で誠実な研究ができない状態となるだろう。
その危険は歴史家は良くわかっているそうだ。
否定論の拡散は許せないが、かといってその禁止を国家権力に委ねることも危険なら、結局、国民の良識に期待することになる。
良識ある国民なら否定論や陰謀論に惑わされることもなく、国家が禁止する必要もない。
だが、国民に良識を期待できなければ、否定論・陰謀論の拡散はとどまらない。
「歴史好き」という人種がいる。テレビの歴史エンターテインメントを楽しみ、歴史遺跡を訪ねたり、「歴史」を知ったり、ひたったりする。私もそういう一人に数えても良い。
観光名所を作るには、ただそれが存在するだけではなく、それにストーリー、とりわけヒストリーを付随させるのが良いという。ただの石ではなく、そこに源頼朝が腰かけたというような。
そのことが悪いわけではない。私もこのブログで取り上げた書評の多くが歴史ものだと思う。もちろん直接取り上げてなくても、「ローマ人の物語」とかは随所で参照させていただいている。
であるけれど、本書を読むと、歴史はエンターテインメントとはとても言えない、あまりにも重いものだと、改めて考えさせられる。多くの人が口をつぐんでしまう、そういう歴史である。
それをさらに重たいものにしてしまうのが、歴史修正主義というやつだ。
ちゃんとした歴史家は、ともすれば歴史研究のイロハも知らず、それゆえいくら歴史学的批判をしてもそれを理解しようとしない歴史修正主義者に対して、論争は不毛で、かかわりあうのは疲れるだけということで、そうした虚説が拡散されることを放置してきたようなところがあるという。
同様のことは、呉座勇一「陰謀の日本中世史」にも書かれていたと思う。
なお、歴史修正主義の中で、特に、あったことをなかったことにする―とりわけホロコーストー言説は、否定論(denial)といい、それを主張する人は否定論者(denier)と呼ぶそうだ。
はじめに | |
序 章 歴史学と歴史修正主義 | |
第1章 近代以降の系譜 ードレフュス事件から第一次世界大戦後まで | |
1 陰謀論、マルクス主義の「修正」―イデオロギー化 | |
2 ドイツ外務省の試み―戦争原因研究本部の設置 | |
3 変質した歴史家―H.E.バーンズの場合 | |
第2章 第二次世界大戦への評価 ―一九五〇~六〇年代 | |
1 ニュルンベルク裁判への不満―ドイツだけが悪いのか | |
2 ナチ、ネオナチの歴史観―ヒトラーに責任なし | |
3 フランスでの台頭―最初のホロコースト否定 | |
第3章 ホロコースト否定論の勃興 ―一九七〇~九〇年代 | |
1 起源と背景―反ユダヤ主義の政治的表現 | |
2 歴史修正研究所を訴える―マーメルスタインの〝挑戦〟 | |
3 ドイツ、フランスの否定論者―確信犯たちの素顔 | |
4 ツンデル裁判の波紋―メディアによる拡散 | |
第4章 ドイツ「歴史家論争」 ―一九八六年の問題提起 | |
1 ナチズムと戦後ドイツ社会―過ぎ去ろうとしない過去 | |
2 ホロコーストの比較可能性、歴史の政治利用 | |
3 冷戦後の遺産―「否定」排除の社会的合意 | |
第5章 アーヴィング裁判 ―「歴史が被告席に」 | |
1 リップシュタットは何を問題としたか | |
2 歴史改竄の技術―R.エヴァンズによる検証 | |
3 「悪意」への判決―歴史学に残したもの | |
第6章 ヨーロッパで進む法規制 ―何を守ろうとするのか | |
1 歴史否定の禁止対象とは―各国の法 | |
2 ドイツの半世紀を超えた闘い―民衆煽動罪 | |
3 表現の自由より優先すべきか―フランス・ゲソ法 | |
第7章 国家が歴史を決めるのか ―司法の判断と国民統合 | |
1 全ヨーロッパ共通の記憶へ―民主主義の尺度に | |
2 アルメニア人虐殺問題―ジェノサイドか否か | |
3 主戦場となった東欧―旧共産主義体制の評価 | |
おわりに | |
あとがき |
陰謀論の特徴は、根拠がないことが明らかでも、いったん世に出ると真偽にかかわらず生き続け、完全に消えることがない点だ。実際に『シオン賢者の議定書』は、いまも一部のアラブ諸国やネット空間で流通している。言説が事実かそうでないかということと、その社会的な受容と延命の間には必ずしも関係性がない。
それはなぜか――。端的に言えば、陰謀論は証拠を必要としないからだ。ある主張を展開するにあたり、通常は根拠となる証拠が必要だが、陰謀論では証拠がないこと自体が、陰謀集団による「真実」の隠蔽の結果として説明される。つまり、世の中を動かしている権力者や陰謀集団が自分たちの悪事をうまく隠しおおせているので、嘘の証拠は見つからないという前提から出発する。そうすると、世の中の問題はすべて陰謀の結果として説明できる。
したがって、陰謀論者には証拠は意味をなさない。自分の主張に対して強い反証となる事実が目の前にあっても、受け入れることを拒否し、自分の世界観に基づいて解釈する。つまり、自分の信じる「現実」の姿が先にあり、これを説明するための道筋は立てるが、証拠を示す必要はないため、現実を説明する解釈はいくらでも可能である。さらに言えば、すでにある動機がその人の認識を条件付けるため、原因と結果の関係に関する錯誤がある。
それでも陰謀論を信じる傾向のある人は、社会に一定の割合でいるという。 性格や生育環境により、陰謀論に共鳴しやすい集団が潜在的に存在すると考えられている。しかしこうした世界観は、彼らの信念でもあり、放棄させるのは困難だ。
ただし、陰謀論は荒唐無稽なので無視すればよいと考えていると、悲惨な結果をもたらすこともある。現に『シオン賢者の議定書』は、帝政ロシアでユダヤ人に対するポグロム(虐殺)を誘発したといわれる。さらにこの偽書はヒトラーの世界観にも影響したようだ。
歴史修正主義の論理は陰謀論に似ている。まず陰謀論も歴史修正主義も、支配的な説明モデルに対する一種の対抗言説であると自らを位置付けている。歴史が知られるような結果となったのは、誰かが後ろで糸を引いていたためである。その証拠は、権力により隠蔽されている。「正史」は、こうした黒幕である個人や集団の利益のために書かれたものである。したがって歴史の教科書には本当の歴史は書かれていない――こうした主張は、歴史修正主義者と陰謀論者の双方で見られる。
それはなぜか――。端的に言えば、陰謀論は証拠を必要としないからだ。ある主張を展開するにあたり、通常は根拠となる証拠が必要だが、陰謀論では証拠がないこと自体が、陰謀集団による「真実」の隠蔽の結果として説明される。つまり、世の中を動かしている権力者や陰謀集団が自分たちの悪事をうまく隠しおおせているので、嘘の証拠は見つからないという前提から出発する。そうすると、世の中の問題はすべて陰謀の結果として説明できる。
したがって、陰謀論者には証拠は意味をなさない。自分の主張に対して強い反証となる事実が目の前にあっても、受け入れることを拒否し、自分の世界観に基づいて解釈する。つまり、自分の信じる「現実」の姿が先にあり、これを説明するための道筋は立てるが、証拠を示す必要はないため、現実を説明する解釈はいくらでも可能である。さらに言えば、すでにある動機がその人の認識を条件付けるため、原因と結果の関係に関する錯誤がある。
それでも陰謀論を信じる傾向のある人は、社会に一定の割合でいるという。 性格や生育環境により、陰謀論に共鳴しやすい集団が潜在的に存在すると考えられている。しかしこうした世界観は、彼らの信念でもあり、放棄させるのは困難だ。
ただし、陰謀論は荒唐無稽なので無視すればよいと考えていると、悲惨な結果をもたらすこともある。現に『シオン賢者の議定書』は、帝政ロシアでユダヤ人に対するポグロム(虐殺)を誘発したといわれる。さらにこの偽書はヒトラーの世界観にも影響したようだ。
歴史修正主義の論理は陰謀論に似ている。まず陰謀論も歴史修正主義も、支配的な説明モデルに対する一種の対抗言説であると自らを位置付けている。歴史が知られるような結果となったのは、誰かが後ろで糸を引いていたためである。その証拠は、権力により隠蔽されている。「正史」は、こうした黒幕である個人や集団の利益のために書かれたものである。したがって歴史の教科書には本当の歴史は書かれていない――こうした主張は、歴史修正主義者と陰謀論者の双方で見られる。
歴史は勝者が書くもの、という話がある。勝者に都合の良いように、事実を曲げたり、隠蔽したり、誇張したりして綴られるのが歴史書であるというわけだが、これは勝者に限ることでもなく、敗者の側も、いろんな形でその怨念のこもったストーリーを残すこともある。悲劇の主人公への同情から、実際以上に英雄化したり、悲劇っぽく脚色した話が作られることは多い。
そればかりか、歴史家がどれほど事実に即した記述に努めようとも、歴史家の主観から自由にはなれない。本書ではE.H.カーの著書から引いてその事情を説明している。
実際、事実というのは決して魚屋の店先にある魚のようなものではありません。むしろ、事実は、広大な、時には近よることも出来ぬ海の中を泳ぎ廻っている魚のようなもので、歴史家が何を捕えるかは、偶然にもよりますけれど、多くは彼が海のどの辺りで釣りをするか、どんな釣り道具を使うか もちろん、この二つの要素は彼が捕えようとする魚の種類によって決定されますが――によるのです。全体として、歴史家は、自分の好む事実を手に入れようとするものです。
(E.H.カー『歴史とは何か』 清水幾太郎訳)
だからといって、歴史は信用できないというのは極端な話だし、誠実な歴史家なら、事実を捻じ曲げるということもないだろう。カーの喩で言えば、いろんなところで釣りをする多くの歴史家が釣ってきた魚全体を見ることが大事ということになろう。
ところが、ここに釣られた魚を見せられても、それは俺が釣ったものじゃないから本当にいたのか信じられないと、自分が釣った(という)魚ばかりを見せつけて、この海の真実の姿だと言い張る人たちがいる。
そして主張が通らなくなってくると、表現の自由を持ち出して来たりするのだが、これについても何を言うのも自由ということにはならない。本書では否定論を封じるための国連人権委員会のスタンスを紹介している。
……国際人権規約に謳われる「表現の自由」も全ではないということだ、どのような表現も無制限に認められるわけではない。満席の劇場で、「火事だ!」と呼ぶことを表現の自由とは認めないのと同じである。表現が他者の権利を傷つけたり、国の安全や公の秩序を破壊するような場合、一定の制限を課すことができる。国連人権委員会は、ガス室の存在の否定は一般的にいう「意見の表明」ではなく、他者の権利や評判を傷つけ、反ユダヤ主義を煽るゆえに、制限されるとしたのである。
そして国によっては、否定論を拡散する行為を法律で禁止しているところもある。「ホロコーストはなかった」ということを主張する出版・放送その他は犯罪となる。そこへ至るまでには、いろいろ紆余曲折もあったようで、それについては「第5章 アーヴィング裁判」に集約されるだろう。
本書は、ホロコーストの否定など、反ユダヤ主義的な問題を中心にしているが、他にも欧州には同様の歴史がある。
ロシアのウクライナ侵攻にも、根の深い問題がある。
たとえばウクライナの場合、一九三〇年代前半に発生した「ホロドモール」と呼ばれる大飢饉により四〇〇万人ほどの死者を出したが、これはスターリンによる人災であったと考えられている。二〇〇六年にウクライナ議会はこれをジェノサイドと認定している。このため、ウクライナではホロドモールがジェノサイドでなかったと公に発言すると処罰される。
ウクライナやバルト諸国は一九四一年の独ソ戦の開始とドイツによる侵攻を、ソ連の支配からの解放として歓迎した事実があった。ソ連支配の確立過程でさまざまな政策――土地の国有化による富農の排除、インテリ層の粛清――などを通し、それまでの伝統的な社会秩序や民族関係が破壊され、モスクワから異質な押し付けがなされたという思いが人々のあいだでは強かった。このため、体制転換による混乱期が過ぎた一九九〇年代末頃から、旧共産主義諸国では「歴史の見直し」が加速する。
ウクライナやバルト諸国は一九四一年の独ソ戦の開始とドイツによる侵攻を、ソ連の支配からの解放として歓迎した事実があった。ソ連支配の確立過程でさまざまな政策――土地の国有化による富農の排除、インテリ層の粛清――などを通し、それまでの伝統的な社会秩序や民族関係が破壊され、モスクワから異質な押し付けがなされたという思いが人々のあいだでは強かった。このため、体制転換による混乱期が過ぎた一九九〇年代末頃から、旧共産主義諸国では「歴史の見直し」が加速する。
ロシアとウクライナの対立にはそういう歴史があった。また、ロシアがウクライナの「ナチ勢力」と言うのは、反ソ連のためにドイツに味方した勢力があったということを指すのかもしれない。そのことをもっていまだにナチ勢力がいて、それを懲らしめるというのかもしれない。(さすがに無理があるような)
さて、ホロコーストの否定は欧米では犯罪扱いとなっていて、それを決定づけたのはアーヴィング裁判ということだが、歴史が法廷であらそわれ、さらには国家が統制することになった。これは逆からみたら、たとえば否定論が国家公認となれば、ウソが勝利したということになるわけで、それに対して異議申し立てができないとなると、もはや歴史学は自由で誠実な研究ができない状態となるだろう。
その危険は歴史家は良くわかっているそうだ。
第5章で述べたアーヴィング裁判で、リップシュタット側の専門家証人として裁判に関わった歴史家リチャード・エヴァンズは、勝訴の後、歴史の問題が司法の場で闘われることに対して警告を発した。リップシュタットは歴史修正主義の法規制に対して反対の立場を明白にしており、これは多くの歴史家の立場でもある。フランスなど、各国のさまざまな「記憶の法」に対して、反対の声を上げ続けているのは歴史家である。
アジアでも近年、歴史の問題が司法の場に持ち込まれる事例が増加している。それは表向きには名誉損裁判であっても、実際には歴史解釈をめぐるものであることが多い。たとえば、『帝国の慰安婦』(二〇一四年)で日本による植民地支配と、そのなかに組み込まれた家父長的ジェンダー支配など、重層的な支配と抑圧の下に置かれた慰安婦の姿を描き出した韓国の大学教授朴裕河が、元慰安婦らに名誉毀損で訴えられ、罰金刑を受けた。
明示的に歴史の否定を禁止する法が存在しない国では、歴史問題は多くの場合、著者に対する、もしくは被害者に対する名誉毀損や侮辱として争われる。しかし実態としては、名誉毀損の名の下に、歴史解釈と歴史像が裁かれるという二重構造がある。
アジアでも近年、歴史の問題が司法の場に持ち込まれる事例が増加している。それは表向きには名誉損裁判であっても、実際には歴史解釈をめぐるものであることが多い。たとえば、『帝国の慰安婦』(二〇一四年)で日本による植民地支配と、そのなかに組み込まれた家父長的ジェンダー支配など、重層的な支配と抑圧の下に置かれた慰安婦の姿を描き出した韓国の大学教授朴裕河が、元慰安婦らに名誉毀損で訴えられ、罰金刑を受けた。
明示的に歴史の否定を禁止する法が存在しない国では、歴史問題は多くの場合、著者に対する、もしくは被害者に対する名誉毀損や侮辱として争われる。しかし実態としては、名誉毀損の名の下に、歴史解釈と歴史像が裁かれるという二重構造がある。
否定論の拡散は許せないが、かといってその禁止を国家権力に委ねることも危険なら、結局、国民の良識に期待することになる。
良識ある国民なら否定論や陰謀論に惑わされることもなく、国家が禁止する必要もない。
だが、国民に良識を期待できなければ、否定論・陰謀論の拡散はとどまらない。