「古代ローマ人の24時間」

アルベルト・アンジェラ「古代ローマ人の24時間―よみがえる帝都ローマの民衆生活」(関口英子・翻訳)について。

81sGBG-MKfL.jpg この本の存在を知ったのは、柿沼陽平「古代中国の24時間―秦漢時代の衣食住から性愛まで」で紹介されていたから。書名ですぐわかるように、柿沼氏は「古代ローマ人の24時間」に触発されて、その古代中国版を書かれたわけである。

つまり、ある一日を取り出して、その日の暮らし方をヴィヴィッドに書き表すという体裁は、本書「古代ローマ人の24時間」が本家というわけだ。

柿沼氏の本には、アンジェラ氏の本との比較も書いてあった。それによると、柿沼氏は歴史家、アンジェラ氏はジャーナリストという立ち位置の違いがあって、柿沼氏は自分の専門の範囲になりがちで、ジャーナリストは幅広い知識を読んでもらえるようにうまく配列しているという。
私の感想でも、「古代中国」のほうは、「古代ローマ」にあるような街―住宅や道路の様子、とりわけ治安については記述が乏しかったと思う。それに対して「古代ローマ」のほうは、なんといってもハードカバーで420ページもあるわけで、えー、こんなこともわかっているのか、と驚いた。

はじめに
第1章 当時の世界
第2章 日の出の数時間前
第3章 午前6時―裕福な人が住む邸宅
第4章 午前6時15分
    ―室内装飾にみる古代ローマの趣味
第5章 午前6時30分―主人の目覚め
第6章 午前7時─ローマ式の服装
第7章 午前7時10分―女性のファッション
第8章 午前7時15分
    ―古代ローマ時代の男性の身だしなみ
第9章 午前7時30分―二〇〇〇年前の美しさの秘訣
第10章 午前8時─古代ローマ風の朝食
第11章 午前8時30分―開門の時間
第12章 上空から見た霧の朝のローマ
第13章 すみません、今何時ですか?
第14章 午前8時40分―理髪師と一日の最初の労役
第15章 独特な世界、インスラ
第16章 午前8時50分―インスラの人間的な側面
第17章 午前9時―インスラの「非」人間的な側面
第18章 午前9時10分―ローマの道路
第19章 午前9時20分―商店と工房
第20章 午前9時40分―神との出会い
第21章 午前9時50分
    ―古代ローマ人の名前はなぜ長いのか?
第22章 午前9時55分―ローマ人の遊び
第23章 午前10時―路上の学校
第24章 午前10時20分
    ―家畜の市場、フォルム・ボアリウム
第25章 あらゆる富を引きつける都、ローマ
第26章 午前10時30分―インドのような雰囲気だった
     古代ローマの街路
第27章 午前10時45分―芸術作品に囲まれ、
     つかのまの憩いを楽しむ
第28章 ローマ人の身体的な特徴
第29章 古代都市ローマが抱えていた八つの大きな問題
第30章 午前11時―奴隷市場
第31章 見習い巫女とのつかのまの出会い
第32章 午前11時10分―フォルム・ロマヌムへ
第33章 午前11時30分
    ―ローマの裁判所、バシリカ・ユリア
第34章 ローマの元老院
第35章 その時、コロッセウムでは……
第36章 午前11時40分―大理石に囲まれた皇帝たちの
     フォルムを散策する
第37章 午前11時50分―古代ローマのトイレ
第38章 正午―古代ローマにおける出産
第39章 12時20分―タキトゥスとの出会い
第40章 12時30分―コロッセウムでの公開処刑
第41章 午後1時─昼食は、バールで軽く
第42章 午後1時15分~2時30分―みんなで公共浴場へ
第43章 午後3時―コロッセウムの中へ
第44章 午後3時30分―剣闘士の登場 35
第45章 午後4時―宴に招かれる
第46章 午後8時―無礼講の時間
第47章 古代ローマにおける性行動の変化
第48章 午後9時―古代ローマ人の性
第49章 午前0時―別れの抱擁
 
謝辞
訳者あとがき
古代ローマの人々の様子といえば、塩野七生「ローマ人の物語」にも記載が豊富で、私などはそれが古代ローマの知識のベースになっているような感じだ。
本書には「通説では」と書いてあるところがちょくちょくある。食事のときの風景では臥台に横になってというのが通説だが、それは宴会のときで、他のときは普通に座って食べていたとか。
また、剣闘士は、負けた方がいつも殺されたわけではないという。(剣闘士を育てるのは大変なコストがかかっているから、そうそう簡単に殺すわけにはいかないのだと。)
というように「通説では」というのは、そうではない、あるいは必ずしもそうではないというための枕詞になっている。

こうしてみると、古代ローマあるあるで、現代と引き比べて興味をかきたてるわけだが、著者は、むしろ現代につながるところを意識している。
 では、ローマ時代は完全に消滅してしまったと言い切れるのだろうか。古代ローマ帝国は、目を見張 るような建造物や彫像といったハードウェアを私たちに残してくれただけではない。こうして日々の暮 らしを営むうえでのソフトウェアも残してくれたのだ。ローマ字はインターネットでも広く用いられて いるアルファベットであるし、私たちイタリア人が話しているイタリア語だけでなく、スペイン語、ポ ルトガル語、フランス語、ルーマニア語の大部分がラテン語から派生したものである(それだけでなく、 英語の単語のなかにも、ラテン語を語源とするものが数多くある)。さらには、法制度や道路網、建築、 絵画、彫刻の技法なども、古代ローマ人が存在していなかったなら、現在とはまったく別の形となって いたことだろう。
 つまり、よく考えてみるならば、西洋の生活システムの大部分が、古代ローマの生活システムが現代 的に発展したものといえる。 それはすなわち、帝政期のローマにおける街角や家々で毎日見られたであ ろう生活そのものなのだ。

 本書を著すにあたって私は、こんな本があれば古代ローマの世界をめぐる自身の好奇心を満たすこと ができるだろうと思うものを書こうと心がけた。本書によって、読者の皆さんの好奇心をも満たすこと ができたなら、これ以上の喜びはない。

 紀元一一五年、トラヤヌス帝の治世下におけるローマのとある路地が本書の旅のスタート地点だ。当 時のローマは、その勢力が最大の時期にあり、おそらくその美しさも頂点を極めていたものと思われる。 そのような時期の、とある一日が間もなく幕を開けようとしている……。

アルベルト・アンジェラ

(「はじめに」から)


古代ローマは、紀元前8世紀から、西ローマ帝国は476年、東ローマ帝国は1453年まで続くから、その間のローマ人の暮らしは随分違っていたはずで、本書では、ある一日としてとりあげたのは、トラヤヌス帝治世下の115年のある日とのことだが、初期のローマ(まだ帝政でない)の頃や、もう少し後のコンスタンティヌス大帝時代などの状況についても、随所に説明が加えられている。

IMG20220710215331.jpg だが、やはり中心は、なんといっても、人口100万ともいうローマの様子である。なかでも印象的なのは、インスラと呼ばれる高層住宅の様子だろう。
 インスラとは、ローマ人の集合住宅である。四方を道路で囲まれた区画のことをイタリア語でイゾラ ート (isolato) というが、インスラ (insula) は、この言葉の語源となっている。このことからも、イン スラがどれほどの規模のものかがわかるだろう。 そこに住む人の数からするならば、小さな村や町を縦 に積みあげたものといえる。まさに、古代の「高層ビル」だ。目の前にそびえるインスラの高さを推し はかるのは容易ではない。アウグストゥス帝は、居住用の建物は高さ二一メートルを超えてはならない と定めていた。現代の建物にあてはめて考えると、七階建てが上限となる。これは、かなりの高さだ。 私たちが探索しているトラヤヌス帝の治世下では、規制がさらに厳しくなり、一八メートル以下と義務 付けられるようになった。現代でいえば、平均的な六階建てのビルにペントハウスを足したぐらいの高 さということになる。とはいえ、このような制限が必ずしも守られていたわけではなく、そのため構造 上のもろさは避けられず、建物が倒壊することもあった。

第15章 独特な世界、インスラ

もちろん現代にこの高さの集合住宅は普通の景色で、誰も驚きはしないだろうが、これは紀元1世紀とか2世紀の話である。もっとも、バベルの塔の伝説からすれば、そんな昔でも高層建築物を作ることはできたわけだ。本書ではインスラについてさらに詳しく説明されている。
古代ローマ探訪2 ローマの摩天楼
 この時代、インスラは世界でもっとも高い集合住宅だった。といっても、現代の都会のマンション とあまり変わらない高さだったのだから、私たちにとっては驚くほどのものではない。ただし、例外 もある。紀元一〇〇~二〇〇年頃、ローマの真ん中に、怪物といっても過言ではない建物が建てられ たそうだ。どのくらいの高さだったのか今となっては知るよしもないが、当時はあまりの規模に万人 が驚愕したという。ローマの家々の屋根を見おろし、摩天楼のようにそびえていたらしい。首都の景 観やローマの人びとに与えたインパクトが相当なものだったことは、「インスラ・フェリクレス」と いうこの建物の名が口伝えに帝国の隅々までひろまっていたことからも、容易に想像できる。とはい え、これほどの規模のものはほかになかった。この、「古代ローマ版エンパイア・ステート・ビルデ イング」は例外的な存在であり、通常は建物が六階を超えることはめったになかったのだ。
そして、おどろいたのは、これが文献や人々の記憶としてだけでなく、その遺構が今も残っており、それを現代の私たちが見ることができるということ。上に続けて次のように書かれている。
 何世紀もの歳月を隔てた現在でも、いまだに立った状態のインスラの遺構を眺めることができるの は、驚くべき事実である。このようなインスラの遺構が、ところどころでローマの雑踏にまぎれる形 で廃墟のような姿をさらしているが、足をとめて眺める人はほとんどいない。
 ヴェネツィア広場にあるヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂(祖国の祭壇を守るようにして 建っている)の脇に、一棟のインスラが残っていることは広く知られている。 記念堂の右側のサン タ・マリア・イン・アラコエリ教会に向かう大階段の少し手前にある、煉瓦でできた数階建ての、名 もない住居跡がそれだ。残念ながら、その価値にふさわしい注目を浴びることはない。傍らでは人が ひっきりなしに行き来し、観光バスが大勢の観光客を降ろすが、ガイドの手短な解説を聞きながらほ んの一瞬立ち止まるだけで、ありきたりの土産物店のあいだを縫うようにして先を急ぐ。
そうなんだ、私も今までに2回イタリア旅行をしているが、インスラの遺構については全く知らなかった。
そしてそうした遺構が残っているのも不思議ではないと思わせるのが、インスラの数である。
 ところで、ローマにはどのくらいの数のインスラがあったのだろう。さいわいなことに、紀元二世 紀のセプティミウス・セウェルス帝時代の貴重な土地台帳が発見されたことにより、その正確な棟数 がわかっている。当時、インスラは四万六六〇二棟あった。これは大変な数だ。優雅な戸建て邸宅で あるドムス(ポンペイにその例がいくつも見られる)がわずかに一七九七戸であったのを考えると、 その数はさらに際立つ。伝統的な家屋一戸に対し、下層民の住む集合住宅が二六棟の割合で存在して いたことになる。なぜこのようなアンバランスが生じるのだろう。
 この点については、かつてカルコピーノがとても興味深い考察をおこなっている。それは、当時の ローマの面積が一八〇〇~二〇〇〇ヘクタールで、人口が一二〇万人だったとすると、その最盛期に は、全人口を受け入れるだけのじゅうぶんなスペースがなかったというものだ。法律で居住が禁止さ れていた区域(皇帝の住んでいたパラティヌスの丘の全域と、多数の神殿や列柱廊、運動場、墓地な どが立ちならんでいた二〇〇ヘクタールのマルスの野)があったことを考えれば、疑いの余地はない。 さらに四〇あまりの公園や庭園、コロッセウム、劇場、バシリカ、浴場、フォルム、さまざまな神殿 や行政施設など、公共の巨大建築物が占める広大な土地も差し引かなければならない。
 そのため、シンプルで効果的な解決策が考え出された。いくつも階を重ねた集合住宅を建てること で、新しいスペースを上に向かって確保していったのだ。つまり、かつてのローマの住人のほとんど は、ひとたび家に帰ると、地面と接することなく空中で寝ていたわけだ。
 ローマ全域で二階以上に重ねあげられた住宅は、相当な数にのぼっていた。当時の雄弁家、アエリ ウス・アリスティデスが、もしすべての住宅を地面の高さに降ろしたならば、ローマはたちまちアド リア海にまでにひろがると叫んだほどだ。

そしてインスラには、同じインスラにいろんな階層の人が住んでいたという。
 ふたたび先ほどの階段にもどり、さらに上の階へ行ってみることにしよう。よく考えてみると、今二 階で見てきたことには腑に落ちない点がある。なぜ裕福な者が集合住宅の二階に住みたがるのだろう。 もっと上の階のほうが、プライバシーも守れるし、騒音も少ないし、なによりローマの素晴らしい街並 みを見下ろせるのではないだろうか。
 ところが、ローマ帝国のどこへ行こうと、最上階の借家人は貧しく、二階に住むのは裕福な者と相場 が決まっていた。現代とはまったく逆の構図である。
 理由は明快だ。なによりも労力の問題。エレベーターがないため、上階になればなるほど多くの階段 をのぼらなければならない。それだけでなく、安全上の問題もある。というのも、建築業界はモラルな どあまり持ち合わせていない投機家の手中にあった。したがって、上に行けば行くほど構造がもろくな り、崩壊の危険が増す(隙間風や雨漏りが絶えないのはいうまでもない)。そのうえ、火鉢やランプが ひろく用いられていたため、火災がきわめて多かった。下のほうの階ならば逃げれば命は助かるが、上 の階の借家人となるとそうはいかない。鳩と一緒に屋根裏部屋に住んでいる者などは、火事に気づくの が遅れ、悲惨な死に方をするしかなかった。 ユウェナリス(古代ローマの詩人。 ローマ帝国の腐敗を風刺した) は、次のように記述している。「早くも四階に火が燃え移ったが、彼は何も知らない。一階から上は大 騒ぎになっている。最後に焼け死ぬのは、屋根瓦でどうにか雨露をしのいでいた、発情した鳩が卵を産 みにやってくる最上階の哀れな人なのだ」。

第17章 午前9時―インスラの「非」人間的な側面


高層ビルを可能にしたのは、エレベーターと電話という話がある。エレベーターは当然として、電話がなかったら、エレベーター内はメッセンジャーでいっぱいになってしまうともいう。
聞くところでは、タワーマンションでは、高層階と低層階の人は没交渉というか、別グループだとか。もちろんタワーマンションでは、高層階に住むのは金持ちである。

私はタワーマンションに住む気はない。停電・断水などを考えると怖い。それにこのインスラの話を聞けば、タワリング・インフェルノみたいな話で、やっぱり高層階は避けたい。また、今の家の前は高層住宅に住んでいたが、高層階ではなく5階だった。それは6階以上になると、子供が外へ遊びにいかなくなる傾向が出てくるという話を聞いたからだった。


ローマ内では、住民の多くがインスラに住んでいる。「クレオパトラ」とか「スパルタカス」とか、古代ローマを舞台にする映画はいくつもあるが、それらで描かれる住宅は、権力者のもので、インスラではなく、大邸宅である。もちろん大邸宅に住む人は限られているにしても、中産階級だったら小ぶりの一戸建てに住むのかと思っていたら、まったく事情は異なっているわけだ。
なお、本書では大邸宅のこともしっかり書いてある。

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