「陰謀の日本中世史」

71RVnzdRxZL.jpg 呉座勇一「陰謀の日本中世史」について。

以前、バブル期のこと、IT分野でビジョンを描こうという仕事に関わったとき、有識者のご意見を聞くことになった。そのメンバーのお一人が「(事業を成功させるのには)陰謀を企む必要がある」とおっしゃっていた。
小人にはこの「陰謀」という言葉はなんとも刺激的、魅力的だった。

陰謀が人を惹きつけるのは、一部の人だけが知っている、そして自分がその一人なんだという優越感が得られるからだろう。まして、自分が謀をめぐらす一人であったり、あるいはその秘密を暴く一人であったら、心躍る思いがするだろう。

というわけで、本書のタイトルは読者を惹きつける。
素人目でも、中世といえば陰謀大流行の時代である、教科書では表層的な事実の羅列の記述しかないものが、その背景やストーリーが解き明かされるのでは、そういう期待を抱かせるタイトルである。

そして実際、本書はそういう期待にも答える。
同じ著者による『応仁の乱』は、史料批判や史料の比較衡量による事実検証など、丁寧な手続きが踏まれていて、読むのに骨が折れ、正直、乱の流れを追いかけるのはなかなか忍耐と集中を要する作業だった。
それに対して、本書も応仁の乱をとりあげていて、同じ著者の筆だから、同じ流れで書かれるわけだが、本書は前掲書のような細かな手順は端折られていて、乱の流れがすっきりと諒解できるようになっている。

まえがき
 
第一章 貴族の陰謀に武力が加わり中世が生まれた
第一節 保元の乱
保元の乱の政治的背景/藤原頼長の失脚/崇徳と頼長に謀反の意思はなかった/信西が崇徳・頼長を追いつめた/保元の乱は合戦というより「陰謀」
第二節 平治の乱
平治の乱の経過/平清盛の熊野参詣に裏はない/源義朝の怨恨/源義朝の野心/藤原信頼有能説には無理がある/常人は陰謀を用いない/後白河院政派と二条親政派の対立/後白河黒幕説は成り立たない/問題は権力を維持する工夫だった
 
第二章 陰謀を軸に『平家物語』を読みなおす
第一節 平氏一門と反平氏勢力の抗争
鹿ヶ谷の陰謀/鹿ヶ谷事件の政治的青景/清盛が陰謀をでっち上げた/治承三年の政変/以仁王の失敗は必然だった/治承・寿永の内乱の幕開け
第二節 源義経は陰謀の犠牲者か
検非遑使任官問題の真相/腰越状は不自然な点が多い/兄弟決裂の真因/源義経、謀反ヘ/義経襲撃は現場の独断だった/後白河は頼朝の怒りを予想していなかった/源義経の権力は砂上の楼閣だった
 
第三章 鎌倉幕府の歴史は陰謀の連続だった
第一節 源氏将軍家断絶
源頼家暴君説は疑問/梶原景時の変/北条時政こそが「比企能員の変」の黒幕だった/策士・時政が策に溺れた「牧氏事件」/源実朝暗殺の黒幕
第二節 北条得宗家と陰謀
執権勢力と将軍勢力の対立/時頼の執権就任は危機的状況下だった/宮騒動/対立する三浦氏と安達氏/時頼黒幕説は穿ちすぎ/安達氏の挑発と時頼の決断/「安達氏主導」説が最も自然/敗因となった三浦兄弟の思惑の違い/「霜月騷動」の評価をめぐる論争/霜月騒動の経緯/霜月騒動は正規戦だった
 
第四章 足利尊氏は陰謀家か
第一節 打倒鎌倉幕府の陰謀
後醍醐天皇の倒幕計画/通説には数々の疑問符がつく/後醍醐天皇は黒幕でなく被害者だった?/後醍醐の倒幕計画は二回ではなく一回/反証文書「吉田定房奏状」への疑問/足利尊氏は源氏嫡流ではなかった/尊氏、北条氏裏切りの真相/護良親王失脚は尊氏の謀略ではない/後醍醐天皇と護良親王の対立の核心/足利尊氏は北条時行を恐れていた/尊氏は後醍醐の下で満足していた
第二節 観応の擾乱
足利直義と高師直の対立/「高師直暗殺計画」の真相/高師直のクーデター/足利直義、反撃に転じる/直義の勝利と師直の死/尊氏・直義会談/尊氏がつくった北朝は尊氏の手で葬られた/足利尊氏=陰謀家説は疑わしい
 
第五章 日野富子は悪女か
第一節 応仁の乱と日野富子
将軍家の家督争いに注目した通説/日野富子は足利義視に接近していた/細川勝元と山名宗全は盟友だった/義視は勝元より宗全を頼みにしていた/足利義政は後継者問題を解決していた/文正の政変/山名宗全のクーデター/御霊合戦/応仁の乱の原因は将軍家の御家騒動ではない
第二節 『応仁記』が生んだ富子悪女説
史実は『応仁記』と正反对/『応仁記』の作者を考える/明応の政変/細川高国と畠山尚順の提携/富子はスケープゴートにされた/富子悪女説が浸透した三つの理由
 
第六章 本能寺の変に黒幕はいたか
第一節 単独犯行説の紹介
動機不明の陰謀/江戸時代から存在する怨恨説/野望説は戦後に本格的に現れた/ドラマで好まれる光秀勤王家説と光秀幕臣説
第二節 黒幕説の紹介
一九九○年代に登場した朝廷黒幕説/朝廷黒幕説は説得力を失った/三職推任問題/「足利義昭黒幕説」は衝撃を与えた/義昭黒幕説の間題点/陰謀の事前連格は危険すぎる/実は乏しい共同謀議のメリット/荒唐無稽すぎるイエズス会黒幕説/後知恵の秀吉黒幕説
第三節 黒幕説は陰謀論
黒幕説の特徴/近年主流化しつつある四国政策転換説/明智憲三郎氏の奇説/机上の空論/陰謀は「完全犯罪」ではできない/共謀しなくても足止めは可能だ/騙されやすかった信長
 
第七章 徳川家康は石田三成を嵌めたのか
第一節 秀次事件
秀次事件の概要/豊臣秀次は冤罪だった/新説「秀吉は秀次の命を奪う気はなかった」/秀次事件は家康を利した
第二節 七将襲撃事件
家康私婚問題/「三成が家康の代見屋敷に遇げ込んだ」は俗説/徳川家康、「天下殿」に
第三節 関ヶ原への道
会津征伐/石田三成らの挙兵/大坂三奉行は途中から参加した/「内府ちがいの条々」で家康は窮地に陥った/「小山評定」は架空の会議/家康は大規模決起を想定していなかった/慢心していた徳川家康/転換点は岐阜城攻略戦/石田三成と上杉景勝に密約はなかった
 
終章 陰謀論はなぜ人気があるのか?
第一節 陰謀論の特徴
因果関係の単純明快すぎる説明/論理の飛躍/結果から逆行して原因を引きだす/挙証責任の転嫁
第二節 人はなぜ陰謀論を信じるのか
単純明快で分かりやすい/「歴史の真実」を知っているという優越感/インテリ、高学歴者ほど臨されやすい/疑似科学との類似性/専門家の問題点
 
あとがき
主要参考文献
つまり分かりやすいのである、「単純明快」というわけではないが、これだけ分かりやすく書いてあるのは「俗流歴史本」なみである。

俗流歴史本」、本書によれば次のような本のことを言う。
  • 第一に、歴史学に関する正確な知識を持たずに歴史学を批判、歴史学界の研究成果も軽視
  • 第二に、自説への批判に正面から向き合おうとしない姿勢。自説を否定する事実は無視
  • 第三に、確からしさより面白さを重視(色々な解釈が考えられる場合、歴史学者は一番ありそうな解釈を選択するが、一番ありそうな解釈というのは、たいてい地味でつまらない)
そしてこう続ける。
「俗流歴史本」のメッセージはみな同じだ。歴史学の研究手法に則って長年コツコツ研究しなくても、優れた作家が鋭い直感や推理力を働かせれば歴史の本質を捉えることができる。そして、その優れた作家である私が執筆した優れた歴史本さえ読めば、歴史の真実が分かる…

良く知られているように、著者は百田尚樹氏の「日本国史」や、井沢元彦氏の一連の著作に対して、強く批判している。曰く、史料批判の手続きを踏んでいない、一次史料の意味も解っていない、これらに書かれている主張の多くは歴史家が既に吟味したもので、その批判に耐えられず学界では葬られたもの、ということである。

この著者の態度を「上から目線」と批判する人もいるようだが、本書に関しては、個々の「陰謀」の解説では、著者は陰謀論者と同じ目線で論を展開している。「歴史学会ではその説はとらない」というわけではなく、歴史学会が陰謀論者の説を否定しているのは斯く斯くしかじかのデータに基づくと、対等の勝負をしている。
その上で「俗流歴史本」なみのわかりやすさになっているのだから、勝負あったという感じ。

「勝負あった」というのは、本書執筆のねらいが達成されたということである。すなわち、
 極端に言えば、学界の研究者の多くは、陰謀の研究を低級だと見下している。陰謀につい てあれこれ考えるなどというのは、素人のやることであって、ブロの研究者はもっと高尚な 研究をやるべきだと思っているのだ。日本史学専攻の学生が、卒業論文では「織田信長の楽 市政策」を扱いたいと申し出ても何の問題も起こらないが、「本能寺の変の黒幕は誰か」に ついて書きたいなどと言おうものなら、指導教員に叱られるのがオチである。歴史上の陰謀 をめぐる議論ほど、歴史学界と一般社会との温度差が顕著なものはあるまい。
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 しかしながら、人々が日本史の陰謀に心を惹かれている以上、学界の人間も研究対象とし て正面から取り上げる必要があるのではないだろうか。前述のように、優れた在野の研究者 は確かに存在するが、悪貨が良貨を駆逐するというか、自称「歴史研究家」が妄想を綴った ものが大半を占めていることも、また事実である。それらの愚劣な本を読んで「歴史の真実 実」を知ったと勘違いしてしまう読者が生まれてしまうのは、憂慮すべき事態である。

以前、こんな話を紹介した憶えがある。

歴史学者 「小説家はいいなぁ、調べもせずに本が書ける」
小説家 「歴史学者はいいなぁ、調べたことを書くだけで本になる」

であるけれど、ちゃんとした小説家や漫画家は良く調べていると感心することが多い。そして、その着想が多少突飛なものであったとしても、それはそれで楽しめる。そのことは本書の著者もまったく否定していない。
また、それにとどまらず、小説家が描くストーリーが、歴史学者に新しい視角を与えることもある。その一例として本書でもとりあげられているのは、源実朝暗殺事件で、永井路子氏が、実朝暗殺の黒幕は三浦義村である、義村が公暁を殺したのはそれを隠蔽するためであるという新説を提示したことが紹介されている。

この説は以前、大河ドラマの記事で紹介した。
本書では、証拠史料が不足しているという留保付きだが、この義村黒幕説を有力としている。


歴史学では新史料、新事実の発見が相次いで、どんどん歴史観・歴史解釈が変わっていく。
そういう時代に、歴史学者と作家が刺激しあって、より豊かな歴史像が生み出されたらすばらしい。
ただし歴史捏造はご免だ。

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