「世界史の中の蒙古襲来」
宮脇淳子「世界史の中の蒙古襲来―モンゴルから見た高麗と日本」について。
元寇というのは、もちろん元が日本を侵略しようとしたものだが、その軍隊にはモンゴル人以外の人も多くいたということは、学校の授業でも聴いた憶えがある。とりわけ朝鮮(高麗)の人は、先兵として前線に立たされたという。
本書は、タイトルは蒙古襲来であるが、文中では蒙古(モンゴル人)はあまりいなかったから、この言葉は適切とは言えないとしている。
本書では、軍勢の人種構成はもとより、司令官もモンゴル人はわずかだったという。そのため命令系統もしっかりしていなかっただろうとする。鎌倉武士が一騎打ちで迎えるところ、モンゴルの集団戦法に悩まされたという話があるが、集団戦法というより、数で取り囲んだと言う程度のものだったのだろう。それに鎌倉武士も馬鹿ではないから、無謀な一騎打ちを繰り返したりはしていない。もちろん一騎駆けの功名ねらいの武士もいただろうが、それはそれで命を捨てるようなものではなかったと思う。
そもそも蒙古は日本に特別執着していたわけではないらしい。二度目(弘安の役)では、日本への入植を考えていたのではないかという説もあるが、これも本書はとらない。多くの籾や農具が積まれていたというが、それは入植ではなく、兵站の問題があるからだとする。
そして大きく強い元というイメージが先行するが、当時元は外征ではあまり成功していないという。高麗が元の支配下になったのは、秦漢時代から中国の属国という歴史が長く、そもそも抵抗するという気持ちがなかったからではないかというわけだ。
だが、そのために元寇では高麗人が先兵として最前線に投入されることになる。本書では、日本が元にさからわず素直に言うことをきけばわれわれも苦労しないのに、というのが高麗人の気持ちだろうとしている。
というわけで本書の中心はもちろん元寇なのだが、それ以前にモンゴルについての日本人の知識が足りないことが指摘されている。
その典型的なものが、チンギスハン=蒼き狼という誤解だという。義経=成吉思汗説を信じる人はまずいないと思うけれど、井上靖の『蒼き狼』で植え付けられたチンギスハンのイメージが、この英雄やモンゴル人に対する誤解のもとになっているという。
私は井上靖『蒼き狼』は読んだことがないが、同名のドラマは見たことがある。あまり強い印象はなく、どんなストーリーで誰がチンギスハンを演じていたかも憶えていない。ただ、チンギスハンがのしあがっていくドラマだったということだけ記憶している。
もう一つ、チンギスハンの父はイェスゲイとされているが、井上靖では本当に彼の子であるか悩むチンギスハンが描かれているそうだ。平清盛には白河上皇の子という説があったり、北条泰時には頼朝の子という説があったりするのと似たような話だが、著者は、そのこと自体を論じる以上に、そのことを問題視すること自体が日本的という。
本書はもちろんいろんな文献を参照して、自説を補強しているのだけれど、読んでいて思ったのは「誰々の論文によると」というものが多いこと。
自然科学なら、引用文献は基本的に事実と考えられるもので、それ自体が信用できない論文なら別だが、通常は、真実を積み上げるという手順でもある。
しかし文科系では、直接的な史料ならともかく、誰々の論文というのでは、拠り所としてはもうひとつではないかと思う。
もちろん引用論文が、事実を明らかにしようというものならそれなりに信頼できるけれど、解釈的なものだとやっぱり信じ切ることにためらうところもあることを言い添えておこう。
元寇というのは、もちろん元が日本を侵略しようとしたものだが、その軍隊にはモンゴル人以外の人も多くいたということは、学校の授業でも聴いた憶えがある。とりわけ朝鮮(高麗)の人は、先兵として前線に立たされたという。
本書は、タイトルは蒙古襲来であるが、文中では蒙古(モンゴル人)はあまりいなかったから、この言葉は適切とは言えないとしている。
本書では、軍勢の人種構成はもとより、司令官もモンゴル人はわずかだったという。そのため命令系統もしっかりしていなかっただろうとする。鎌倉武士が一騎打ちで迎えるところ、モンゴルの集団戦法に悩まされたという話があるが、集団戦法というより、数で取り囲んだと言う程度のものだったのだろう。それに鎌倉武士も馬鹿ではないから、無謀な一騎打ちを繰り返したりはしていない。もちろん一騎駆けの功名ねらいの武士もいただろうが、それはそれで命を捨てるようなものではなかったと思う。
そもそも蒙古は日本に特別執着していたわけではないらしい。二度目(弘安の役)では、日本への入植を考えていたのではないかという説もあるが、これも本書はとらない。多くの籾や農具が積まれていたというが、それは入植ではなく、兵站の問題があるからだとする。
まえがき | |
第一章 日本人のモンゴル観 | |
「義経=成吉思汗説」の影響/ 『蒼き狼』は本当にアオいのか?/ 『蒼き狼』のチンギス・ハーンは日本人的?/ 『蒼き狼』に登場するモンゴルの女は狼の血を引いていない?/ 大岡昇平と井上靖の『蒼き狼』論争/ 『元朝秘史』はいつ書かれたのか?/ 子供のころのテムジンは漢字が読めたのか?/ 「韃靼」「タルタル」が意味するもの/ 司馬遼太郎の「女真語」は何語なのか?/ 日本人の描くモンゴル人や満洲人は日本人的 | |
第二章 モンゴルとは | |
「蒙古襲来」は「モンゴルがきた」とはいうけれど/ モンゴルの氏族、部族/ 「血縁関係」の考え方の違い~日本、中国、朝鮮/ モンゴル人にとっての「血縁関係」/ モンゴル以前の遊牧騎馬民の歴史/ モンゴルの登場/ ラシード・ウッディーン『集史』のモンゴルの定義/ モンゴル部族のテムジンがモンゴル高原を統一する/ モンゴル帝国の誕生/ 「民族」の定義も問題/ モンゴル帝国の拡大/ 第二代オゴデイ・ハーンの治世、世界征服会議/ モンゴル帝国の継承争い/ モンゴル帝国の分裂/ 元はモンゴル帝国とイコールではない/ フビライ軍の種族的多様性/ モンゴル帝国の階級/ モンゴル帝国の統治は現地の請負制 | |
第三章 高麗とは | |
「檀君神話」は十三世紀に誕生した/ 『三国史記』は十二世紀にできた/ 「任那日本府」とは何だったのか/ 朝鮮半島の「三国」の運命/ 「日本」という国号と「天皇」号の誕生/ 朝鮮半島の歴史は大陸と切り離せない/ 高麗の王朝と武臣政権/ モンゴルとの接触の始まり/ モンゴルの第一次高麗侵入/ モンゴルの第二次~第五次高麗侵入/ モンゴルの第六次高麗侵入、高麗が降伏/ フビライと高麗の元宗/ フビライがモンゴル帝国のハーンに、元宗は高麗王に | |
第四章 蒙古襲来前夜 | |
鎌倉幕府の始まり/ のちの執権北条時宗が誕生/ 日蓮が『立正安国論』を書く/ 北条時宗が十四歳で政権ナンバー2に/ フビライ・ハーンの使者が高麗から引き返す/ フビライは日本へ六回も詔書を出す/ フビライの使者、太宰府に至る/ フビライが南宋と日本を攻めたいと言う/ 高麗で武臣が内紛、高麗王が廃される/ 高麗北部がモンゴルの直轄地に/ 三別抄の反乱/ 三別抄から日本へ書状が届く/ フビライが国号を「元」とする/ 北条時宗の戦争準備と趙良弼の侵攻反対論/ 済州島がモンゴルの直轄地になる/ 公主クトルグケルミシュが高麗の太子に降嫁する/ 日本への侵攻準備が終わる | |
第五章 大陸から見た元寇 | |
蒙古襲来の前にあった「刀伊の入寇」/ 文永の役の軍編成/ 総司令官ヒンドゥは何者か?/ 「神風」は吹いたのか? 大風雨は撤退理由ではない/ モンゴルが引き揚げたのは矢が尽きたから?/ 遊牧民は日本に来たのか?/ 第一次蒙古襲来が日本と高麗に与えた影響/ 『蒙古襲来絵詞』/ 元からの使者の辞世と墓/ 元寇防塁の石築地を造築/ 高麗人どうしの内輪もめ/ 高麗王がフビライから「駙馬」の印を授与される/ 第二次日本遠征が計画される/ 『高麗史』も読めなくなった現代の朝鮮・韓国人/ 弘安の役の始まり/ 「世界村」は「志賀島」/ 台風でも司令官は全員帰還/ 江南軍の大将は中央アジア出身/ フビライは敗戦の将を処刑していない/ モンゴルは日本侵攻を重要視していない/ 「蒙古襲来」にモンゴル人はいなかった?/ 日本遠征は「征東行省」の仕事/ 「蒙古襲来」ではなく「元寇」が正しい | |
第六章 「元寇」後の日本と世界 | |
「元寇」から現代のわれわれが学ぶべきこと/ 日本征討の担当が遼陽行省に移る/ フビライ・ハーンの第三次日本遠征計画/ フビライが第三次日本遠征を断念/ フビライ・ハーンの内憂/ フビライ・ハーンはそんなに日本に執心していたのか?/ 元の海外遠征はほぼ失敗/ 海に囲まれていたうえ、防衛を怠らなかった日本/ 常に他国の侵入にさらされた朝鮮半島/ 戦後の日本人は自省が過ぎて事実を見誤った/ 現代モンゴル人は反省しない、韓国人はモンゴルで稼ぐ/ モンゴル時代には三種類の高麗人がいた/ モンゴルをよく知れば世界はもっとよくわかる | |
終章 国境の島と「元寇」 | |
対馬紀行 | |
あとがき |
だが、そのために元寇では高麗人が先兵として最前線に投入されることになる。本書では、日本が元にさからわず素直に言うことをきけばわれわれも苦労しないのに、というのが高麗人の気持ちだろうとしている。
というわけで本書の中心はもちろん元寇なのだが、それ以前にモンゴルについての日本人の知識が足りないことが指摘されている。
その典型的なものが、チンギスハン=蒼き狼という誤解だという。義経=成吉思汗説を信じる人はまずいないと思うけれど、井上靖の『蒼き狼』で植え付けられたチンギスハンのイメージが、この英雄やモンゴル人に対する誤解のもとになっているという。
著者はこの小説も好きだとことわっているが。
『蒼き狼』は本当にアオいのか?
チンギス・ハーンといえば、多くの人が思い浮かべるのは「蒼き狼」でしょうか。
だとすれば、広く一般にそうした認識を広めたのは、井上靖の小説『蒼き狼』だといえ るでしょう。 『蒼き狼』は雑誌『文藝春秋』に連載され、一九六〇 (昭和三十五)年に単 行本が文藝春秋新社から出版されました。
しかし、「蒼き狼」ということば自体は井上靖の創作ではありません。
モンゴルの重要な歴史書である『元朝秘史』の冒頭に出てくる、モンゴル語 「孛児帖赤那(ボルテ・チノ)」の漢語訳を「蒼き狼」と日本語訳したのは、明治時代の歴史学者、那珂通世です。
上天より命ありて生れたる蒼き狼ありき。
その妻なる惨白き牝鹿ありき。
(那珂通世『成吉思汗實録』、明治四十年)
これは『元朝秘史』の冒頭で語られる、チンギス・ハーンの始祖物語の書き出しの有名な文の那珂通世訳です。
那珂通世は『元朝秘史』を邦訳し注釈もつけて、一九〇七 (明治四十)年に『成吉思汗實録』として紹介しました。ちなみに、那珂通世は「東洋史」という語を初めて使い、東洋史学の創始者といわれる学者です。
井上靖は那珂通世の『成吉思汗實録』を読んで、「作品の題は『蒼き狼』でなければならないと思った」そうです(「『蒼き狼』の周囲」『蒼き狼』新潮文庫、二〇〇七年九〇刷版所収、以下『蒼き狼』からの引用は 同書による)。
ところで、『元朝秘史』は発音を一音ずつ漢字で写したモンゴル語に漢語訳が添えられています。
翻訳にはどうしても、ことばの意味のズレ、という落とし穴がつきまといます。 「蒼き狼」や「惨白き牝鹿」にも、その落とし穴がありました。
モンゴル語 「ボルテ・チノ」の「ボルテ」は、動物の毛色に使う「斑点のある」という意味のことばです。その「ボルテ」に添えられた漢語訳「蒼色」には、濃い緑色という意味と白髪が交じった髪の状態、つまり、胡麻塩色ともいうべき意味の両方があります。
ところが日本語の「蒼き」には「斑点のある」や「胡麻塩状態の」という意味はありません。日本語に翻訳された「蒼き」はアオ、もしくは「濃い緑色」だけを意味するようになったのです。
チンギス・ハーンといえば、多くの人が思い浮かべるのは「蒼き狼」でしょうか。
だとすれば、広く一般にそうした認識を広めたのは、井上靖の小説『蒼き狼』だといえ るでしょう。 『蒼き狼』は雑誌『文藝春秋』に連載され、一九六〇 (昭和三十五)年に単 行本が文藝春秋新社から出版されました。
しかし、「蒼き狼」ということば自体は井上靖の創作ではありません。
モンゴルの重要な歴史書である『元朝秘史』の冒頭に出てくる、モンゴル語 「孛児帖赤那(ボルテ・チノ)」の漢語訳を「蒼き狼」と日本語訳したのは、明治時代の歴史学者、那珂通世です。
上天より命ありて生れたる蒼き狼ありき。
その妻なる惨白き牝鹿ありき。
(那珂通世『成吉思汗實録』、明治四十年)
これは『元朝秘史』の冒頭で語られる、チンギス・ハーンの始祖物語の書き出しの有名な文の那珂通世訳です。
那珂通世は『元朝秘史』を邦訳し注釈もつけて、一九〇七 (明治四十)年に『成吉思汗實録』として紹介しました。ちなみに、那珂通世は「東洋史」という語を初めて使い、東洋史学の創始者といわれる学者です。
井上靖は那珂通世の『成吉思汗實録』を読んで、「作品の題は『蒼き狼』でなければならないと思った」そうです(「『蒼き狼』の周囲」『蒼き狼』新潮文庫、二〇〇七年九〇刷版所収、以下『蒼き狼』からの引用は 同書による)。
ところで、『元朝秘史』は発音を一音ずつ漢字で写したモンゴル語に漢語訳が添えられています。
翻訳にはどうしても、ことばの意味のズレ、という落とし穴がつきまといます。 「蒼き狼」や「惨白き牝鹿」にも、その落とし穴がありました。
モンゴル語 「ボルテ・チノ」の「ボルテ」は、動物の毛色に使う「斑点のある」という意味のことばです。その「ボルテ」に添えられた漢語訳「蒼色」には、濃い緑色という意味と白髪が交じった髪の状態、つまり、胡麻塩色ともいうべき意味の両方があります。
ところが日本語の「蒼き」には「斑点のある」や「胡麻塩状態の」という意味はありません。日本語に翻訳された「蒼き」はアオ、もしくは「濃い緑色」だけを意味するようになったのです。
私は井上靖『蒼き狼』は読んだことがないが、同名のドラマは見たことがある。あまり強い印象はなく、どんなストーリーで誰がチンギスハンを演じていたかも憶えていない。ただ、チンギスハンがのしあがっていくドラマだったということだけ記憶している。
もう一つ、チンギスハンの父はイェスゲイとされているが、井上靖では本当に彼の子であるか悩むチンギスハンが描かれているそうだ。平清盛には白河上皇の子という説があったり、北条泰時には頼朝の子という説があったりするのと似たような話だが、著者は、そのこと自体を論じる以上に、そのことを問題視すること自体が日本的という。
『蒼き狼』のチンギス・ハーンは日本人的?
「蒼き狼」の問題は色だけにとどまりません。
日本人作家が描くチンギス・ハーン像そのものが問題なのです。
井上靖の『蒼き狼』のベースにはモンゴル語で書かれた『元朝秘史』があります。ところが、井上靖の『蒼き狼』では『元朝秘史』にはなかった主題が付け加わり、のちにチンギス・ハーンになる主人公テムジンの悩みが物語の脈流となって描かれます。
それは自分の出生にまつわる悩みです。
テムジンの父とされるイェスゲイは、テムジンの生みの母であるホエルンを他の部族の男から掠奪し、結婚しました。ホエルンがテムジンを産んだのは、そのあとです。テムジンは自分が本当に父イェスゲイの子供なのだろうかと悩みます。
テムジンの独り語りが続く場面で、弟たちは皆まちがいなくイェスゲイの息子だというのに、自分一人だけは違うかもしれない、といった悩みが吐露されます。
テムジンのそうした悩みは、日本の小説には馴染み深い題材です。一〇〇〇年以上の昔、平安時代一〇〇四年ごろ成立したとされる『源氏物語』にも描かれているぐらいですから。
しかし、モンゴル人にとってそれは、まったくといってよいほど理解できない心情です。私の知っているモンゴル人は、モンゴルの男は出自に関して悩んだりはしない。誰の子供でも皆同じだと言いました。日本人が作った映画を見たモンゴル人のなかには、世界制覇をした男が、そのように自分の出自に関してうじうじと悩むような女々しい性格であるわけがない、と怒った人もいます。
井上靖の描く『蒼き狼』のチンギス・ハーンは、モンゴル人とは思えないどころか、実はとても日本人的な人物なのです。
井上靖が作った、なんだかモンゴル人でなさそうな英雄像が独り歩きして、後世の作品でもそれが描かれ、イメージとして再生産されているのです。
「蒼き狼」の問題は色だけにとどまりません。
日本人作家が描くチンギス・ハーン像そのものが問題なのです。
井上靖の『蒼き狼』のベースにはモンゴル語で書かれた『元朝秘史』があります。ところが、井上靖の『蒼き狼』では『元朝秘史』にはなかった主題が付け加わり、のちにチンギス・ハーンになる主人公テムジンの悩みが物語の脈流となって描かれます。
それは自分の出生にまつわる悩みです。
テムジンの父とされるイェスゲイは、テムジンの生みの母であるホエルンを他の部族の男から掠奪し、結婚しました。ホエルンがテムジンを産んだのは、そのあとです。テムジンは自分が本当に父イェスゲイの子供なのだろうかと悩みます。
テムジンの独り語りが続く場面で、弟たちは皆まちがいなくイェスゲイの息子だというのに、自分一人だけは違うかもしれない、といった悩みが吐露されます。
テムジンのそうした悩みは、日本の小説には馴染み深い題材です。一〇〇〇年以上の昔、平安時代一〇〇四年ごろ成立したとされる『源氏物語』にも描かれているぐらいですから。
しかし、モンゴル人にとってそれは、まったくといってよいほど理解できない心情です。私の知っているモンゴル人は、モンゴルの男は出自に関して悩んだりはしない。誰の子供でも皆同じだと言いました。日本人が作った映画を見たモンゴル人のなかには、世界制覇をした男が、そのように自分の出自に関してうじうじと悩むような女々しい性格であるわけがない、と怒った人もいます。
井上靖の描く『蒼き狼』のチンギス・ハーンは、モンゴル人とは思えないどころか、実はとても日本人的な人物なのです。
井上靖が作った、なんだかモンゴル人でなさそうな英雄像が独り歩きして、後世の作品でもそれが描かれ、イメージとして再生産されているのです。
本書はもちろんいろんな文献を参照して、自説を補強しているのだけれど、読んでいて思ったのは「誰々の論文によると」というものが多いこと。
自然科学なら、引用文献は基本的に事実と考えられるもので、それ自体が信用できない論文なら別だが、通常は、真実を積み上げるという手順でもある。
しかし文科系では、直接的な史料ならともかく、誰々の論文というのでは、拠り所としてはもうひとつではないかと思う。
もちろん引用論文が、事実を明らかにしようというものならそれなりに信頼できるけれど、解釈的なものだとやっぱり信じ切ることにためらうところもあることを言い添えておこう。