醤油風雲録 ~キッコーマンの野望と九州醤油~
醤油ストラップゲットだぜー
なんか醤油にハマってますよ。気がつけば、キッチンには野田のキッコーマン、群馬の正田醤油、名古屋のイチビキ、大分のフンドーキン、鹿児島のサクラカネヨ。
そのうちヒガシマルやマルキンなんかも試したいなぁ。
いろいろと醤油について調べてみたらけっこうおもしろかったので、ちょっとまとめておく。
醤油は今や海外でも知られ、英語ではソイ・ソース(soy sauce)だけれども、ショーユやキッコーマンでも通じるみたいですね。輸出醤油ではキッコーマンが圧倒的に強いのがよくわかる。
で、その英語のソイ・ソースですが、「大豆のソースだから」というのは間違いのようです。
江戸時代、長崎出島からコンプラ瓶というものにつめられて醤油はヨーロッパに輸出されていました。そこに書かれていたのが「JAPANSCHZOYA(ヤパンセ・ソヤ)」(オランダ語)。
意味としては「日本の醤油」。
ソヤというのが醤油そのものをさし、(このソヤというのは、どうも九州でのショウユの方言らしい)ZOYAが英語でSOY(ソイ)に。(フランス語はSOYA)
そもそも当時ヨーロッパには大豆は無く、ゆえに大豆を示す名前もありませんでした。
そこで、醤油の原料として使われる豆を「醤油豆」の意味として「soy bean」と呼ぶように。
つまり、そもそもsoyが日本語の「醤油」であり、そこから大豆をソイ・ビーンと呼ぶようになったわけで、「大豆のソース」だからソイ・ソースではないようです。逆ですね。
ちなみに薩摩は密貿易で独自に醤油も輸出してたみたいですが。
さて、いよいよ以下が本編「醤油風雲録」
(日本の味 醤油の歴史 より)
1990年の資料だが、地方別醤油生産量の表。左が生産地で、上がその販売先。
さすがキッコーマン、ヤマサなどを擁する関東の生産量はダントツ。続いて近畿、九州、東海が続き、この4地区が日本の大きな醤油生産地。
ただ、圧倒的にみえる関東の醤油でも、その出荷先はほとんどが関東。
つまり、醤油は地方色が強く、なかなか全国一律にはならないことがわかる。
北海道や東北の醤油は地元でしか買えない。
全国区である関東の醤油も九州ではまったくうけつけられていない。
ただ、最近ではキッコーマンも悲願の九州上陸をはたし、今では九州でもキッコーマンをみけけることがあるようだ。しかし、それでも地元では地元醤油の方が圧倒的。
大昔の醤油はさておき、大きく発達したのは江戸時代。
このころ醤油(というか料理全般ですが)の本場は京都や大阪の近畿地方。
江戸ではそこから送られて来た(下りもの)醤油を使っていた。
ちなみに「くだらないもの」の由来は「関西から下ってこないどうしようもない粗悪品」から。
そのうち関東でも独自生産をしはじめ、品質も向上し、ついには生産量で関西をも超えるように。その中で特に大きく発達したのが千葉の醤油。それが後の銚子のヤマサ、ヒゲタ、そして野田のキッコーマン。
ランキング大好きの江戸っ子らしく「醤油番付」なんかも作られて、川越、玉造、水海道、江戸崎、花輪、佐原、網戸、成田などの醤油もあり、関東醤油は群雄割拠状態。
ただその中で、1864年に幕府から「最上醤油」の称号が与えられたブランドは
ヤマサ、ヒゲタ、ヤマジュウ、ジガミサ、キッコーマン、キハク、ジョウジュウの7つ。
通称、関東7印。
これはすべて銚子と野田の醤油ブランドで、この7つが特に力があったことがわかる。
キッコーマンは特に当時から人気が高かったようだが、広告戦略も優れていて、茶屋に「亀甲萬」印の傘をおいて無料で提供し、知名度を広げていたらしい。
明治期になると、この千葉の醤油は経営統合を重ね、さらに巨大になってゆく。
キッコーマン、ヤマサ、ヒゲタそれぞれに統合され、7印は3印となる。
また、いち早く醤油醸造の機械化・科学技術の導入、生産体制の構造改革、流通革命などをおこなっていた。
この中で特に困難がともなったのは流通革命で、当時は醤油問屋が力をもっており、醤油メーカーは独自に価格や販売網を決定することができなかった。
そこでキッコーマンは直接メーカーが販売できるよう、1881年に東京醤油会社を設立。
しかしながら当然のようにこれは従来の醤油問屋の猛反発にあい、また暴風雨で東京醤油会社の倉庫が倒壊し壊滅的打撃をうけるなどして、挫折した。
流通網の改革はその後、昭和になるまで待たねばならなかったのである。
ただ、これによりキッコーマンは問屋の力が強い東京を中心とした販売だけに依存ぜす、他の地域(それは海外も含む)への販売を模索するようになる。
さて、キッコーマンと言ってきたが、もともとは野田醤油。
野田の醤油組合連合がその母体。
野田醤油組合が大合併して作られた巨大醤油企業が「野田醤油株式会社」。
醸造家ごとに麹菌も製法も違い、当然醤油の味はみな違う。
連合だった野田醤油は、様々な味の違う醤油ブランドを多数有していた(200以上の銘柄があったという)のだが、そのうち最も人気や評価の高かった醤油ブランドの「亀甲萬」へ統合することに。後に社名も「キッコーマン」へと変更。これが今のキッコーマンである。
ただ、同じ麹菌を使おうとも、同じ「亀甲萬」の味を大量生産することは極めて困難であった。
そこで、「亀甲萬」を大量生産するために新たに醤油工場を作る必要があった。
それが「醤油業界激震ス」といわしめた野田醤油17工場の誕生である。
当時としては考えられないほどの空前絶後の巨大醤油工場。
また数多くの最新技術をもりこんだ、最新鋭の醤油工場でもあったのだ。
ヤマサやヒゲタもこれに続き、関東醤油はいち早く近代化し、全国の醤油醸造の中でもとびぬけた存在となっていくのである。
醤油の安定した大量生産に成功したキッコーマンだったが、それゆえに関東では供給過多となり、日本全国および海外への進出が必須となった。
海外への進出は大成功といえるだろう。現在の世界の醤油シェアの50%はキッコーマンであり、言うまでもなく世界一。
日本国内はというと、1931年に兵庫県に野田醤油17工場をも超える巨大醤油工場「高砂工場」、通称キッコーマン関西工場を作ったことからも、西日本進出への気合いの入れかたがわかる。
関東は制した。次は全国。
そしてキッコーマンは全国規模の醤油となり、日本醤油界を統一した・・・・
と、ならないのが現実。
ここで再び生産と販売の表を見てみよう。
圧倒的生産量をほこる関東醤油だが、その販売先のほとんどは関東にかたよっている。
他の醤油メーカーに比べ「全国区」といえる販売網をもってるキッコーマンだが、むしろそれができたのはキッコーマンだけであり、そのキッコーマンがこれほどのことをしても全国普及にはほど遠かった。
醤油の味は地元の味。それはたやすく覆らないのであった。
1990年の資料ではちょっと古いので、最近の資料も参照してみよう。
2008年の醤油出荷量の県別比率トップ10(しょうゆ情報センター資料より)
1.千葉県 34.32%
2.兵庫県 14.89%
3.愛知県 5.62%
5.群馬県 5.28%
4.香川県 5.26%
6.大分県 4.29%
7.三重県 3.31%
8.福岡県 3.08%
9.青森県 2.83%
10.北海道 2.56%
県別だが、これが含まれる県の地域そのままの順位と考えてもさしつかえない。例えば近畿地方の醤油のほとんどが兵庫県のものであり、四国は香川がその地方の醤油生産のほとんどをしめている。
九州は大分と福岡に別れているが、まとめて九州とするとトップ3に踊りでる。
といっても、三重県の扱いが微妙で、三重県を近畿にするか東海にするかで東海地方の順位も変わってくるが。
九州では明治・大正時代では福岡は醤油生産量がダントツで1位だった。(九州内でも過半数以上が福岡醤油であり、全国でもトップ5に入っていた)
しかし昭和になってから大分醤油の大躍進があり、現在は大分が福岡を抜き、九州における醤油生産量トップになった。
それぞれの地域にそれぞれの醤油があり、キッコーマンといえども市場に食い込むのは困難であった。そのなかで最も苦戦したのが九州である。
実は九州は日本における醤油文化の中では特異な地域でもあったのだ。
それは「醤油の味が甘い」という味だけの話ではない。
ちなみに沖縄にはキッコーマンがなんなく進出できた。沖縄にはもともと醤油文化は無く、現在でも自産の醤油はほぼ0に近い。
そのため、拡大販売してきた関東醤油が市場をおさえ、沖縄では九州のものと違い関東風の濃口醤油が一般的となる。
さて、九州の醤油事情である。
まずはこのグラフをご覧頂きたい。
九州と近畿の県別醤油出荷量比(2008年)
■九州(単位kl)
大 分 38,855 (35.8%)
福 岡 27,850 (25.7%)
熊 本 10.872 (10.0%)
鹿児島 8,264 (7.6%)
佐 賀 7,762 (7.2%)
長 崎 7,747 (7.2%)
宮 崎 7,064 (6.5%)
計 108,414
■近畿(単位kl)
兵 庫 134,737 (86.4%)
大 阪 15,963 (10.2%)
奈 良 2,497 (1.6%)
京 都 1,151 (0.7%)
滋 賀 846 (0.5%)
和歌山 770 (0.5%)
計 155,964
さすが兵庫は国内第二位の醤油生産県だけあって、兵庫だけで九州全土の醤油出荷量を超える。しかし、近畿の醤油生産はほぼ兵庫でしめられており、他県はのきなみ少ない。
これは他の地域でも同様な傾向にあり、たいがい一部の大醤油生産地に収束する。
一方、九州は大分福岡で過半数をおさえるが、その他の県もかなりの量を生産している。これは他ではみられない傾向であり、九州最下位の宮崎醤油ですら全国では18位だ。
全国醤油出荷量11位から18位を見てみよう。
11. 大阪
12. 熊本
13. 新潟
14. 鹿児島
15. 佐賀
16. 長崎
17. 栃木
18. 宮崎
九州勢の独壇場である。
トップ10では下位にあった九州醤油だが、18位までにすべての県がランクインしており、醤油県としてのアベレージは極めて高い。こんなのは九州だけだ。
(※山陰も分散傾向にあるが、全体的に出荷量は少ない。また北海道はデータでは「北海道」でひとくくりにされているため地域差がわからない)
ここから推測できるのは、九州は突出した大醤油企業は少ないが、中堅どころの層が厚く、かつ地域ごとに独自の醤油文化圏が存在するということだ。
そもそも、九州では醤油は買うものではなかった。
いまでこそ醤油はお店で買うものとなっているが、漬け物や自家製酒のように家庭で作る事もできたし、作っていた。
明治時代の自家醤油醸造調査によれば、自家醤油醸造数1位は鹿児島県、2位は熊本県、3位は福岡県と以下も九州各県が続く。
また戸数比率でも1位は佐賀県の65%、2位は宮崎県の49%、3,4,5位は鹿児島県・長崎県・熊本県の47%。つまり九州では家の2軒に1軒は自分のところで醤油を作っていたのだ。
一方他の地域のほとんどが自家醤油醸造戸数比率1割にも満たない一桁代であり、自家醤油醸造するところもなくはないが、普通は醤油は店から買っていた。
九州だけが「醤油は家で作るのがあたりまえ」なのだ。
なぜだかはわからないが、焼酎文化と関係してるんだろうか?
自家醤油は醤油税(自家醤油にも課税された)の導入や生活スタイルの変化とともに姿を消すが、この九州における自家醤油醸造比率が九州の醤油事情を特殊な物にしたであろうと考えられる。
※現在は廃止されたが、かつて醤油も酒や煙草同様に課税対象であった。
おそらく当時は、各家庭に地酒のような地醤油が数多く存在し、独特な醤油レシピで製造されていたことであろう。九州の醤油は古くから地域性が極めて高く、県どころか町単位家単位で醤油の味が違っていたのではないだろうか。
そしてそれゆえに、さかんな醤油生産地域であったにもかかわらず、他の地域と比べ大醤油企業が育ちにくかった。
そこで再び九州と近畿の県別醤油出荷量比(2008年)を見てみよう。
自家醤油醸造率の高い佐賀・宮崎・鹿児島・長崎・熊本が見事に重なる。
これらの地域は今もって醤油大生産地にとりこまれず独自性を保っているのだ。
むしろ九州内では比較的自家醤油醸造率の低かった福岡・大分だからこそ醤油メーカーが育ったともいえようか。
また九州の醤油業界にはさらに障害があった。農林水産省による指導である。
「農林水産省が定める醤油の日本農林規格(JAS)」により醤油のレシピは固定化された。
上記の経緯から九州の醤油はおそらく、それぞれ独特な醸造方法やレシピで作られていたであろうことは推測できる。
そこで画一的な規格を押し付けられた時、それに対してどのような戦いがあり、どのような対応がなされたかとても興味深い。
(このあたりまだ資料がなくて詳しくはわからないのだけれど、そのうち調べたい)
結局国には逆らえず、成分を変更しなくていけなくなった時に、なんとかJAS規格に収まる範囲で、いままでどおりの味に近くするために模索し、たどり着いたのが「甘草」だったのではないだろうか。
他の地域では醤油に甘みを出すために「みりん」を配合することが多いが、九州醤油が他では見られない「甘草醤油」なのはそのためだろう。
ただ長崎だけはちょっと違うようなのが謎だ。長崎醤油も甘みがあるらしいのだが甘草は配合されていないようだ。長崎だけ何か特別な事情があったのだろうか。
とまあ、こんな感じ。
おまけ:
ちなみに日本国内の総醤油出荷量は
昭和30年は973,800kl
過去最高の生産量だったのは昭和48年の1,294,155kl
しかし昭和60年をピークに減少しつづけ、
平成20年の生産量は904,813kl
(日本の食事の洋食化の影響だろうか)
ただし、醤油を種類別にみてみると「再仕込み醤油」の生産量は増加し続けている。
「再仕込み醤油」の主な産地は山陰や九州。九州の醤油は伸びているということだろうか。
そして、最近は地方醤油が伸びつつある。
近年の醤油出荷数量シェアの変化
2005年 2008年
香川県 4.63% → 5.26%
群馬県 4.46% → 5.28%
大分県 4.11% → 4.29%
参考文献:「日本の味 醤油の歴史」 しょうゆ情報センター(web) 他諸々
意味としては「日本の醤油」。
ソヤというのが醤油そのものをさし、(このソヤというのは、どうも九州でのショウユの方言らしい)ZOYAが英語でSOY(ソイ)に。(フランス語はSOYA)
そもそも当時ヨーロッパには大豆は無く、ゆえに大豆を示す名前もありませんでした。
そこで、醤油の原料として使われる豆を「醤油豆」の意味として「soy bean」と呼ぶように。
つまり、そもそもsoyが日本語の「醤油」であり、そこから大豆をソイ・ビーンと呼ぶようになったわけで、「大豆のソース」だからソイ・ソースではないようです。逆ですね。
ちなみに薩摩は密貿易で独自に醤油も輸出してたみたいですが。
さて、いよいよ以下が本編「醤油風雲録」
(日本の味 醤油の歴史 より)
1990年の資料だが、地方別醤油生産量の表。左が生産地で、上がその販売先。
さすがキッコーマン、ヤマサなどを擁する関東の生産量はダントツ。続いて近畿、九州、東海が続き、この4地区が日本の大きな醤油生産地。
ただ、圧倒的にみえる関東の醤油でも、その出荷先はほとんどが関東。
つまり、醤油は地方色が強く、なかなか全国一律にはならないことがわかる。
北海道や東北の醤油は地元でしか買えない。
全国区である関東の醤油も九州ではまったくうけつけられていない。
ただ、最近ではキッコーマンも悲願の九州上陸をはたし、今では九州でもキッコーマンをみけけることがあるようだ。しかし、それでも地元では地元醤油の方が圧倒的。
大昔の醤油はさておき、大きく発達したのは江戸時代。
このころ醤油(というか料理全般ですが)の本場は京都や大阪の近畿地方。
江戸ではそこから送られて来た(下りもの)醤油を使っていた。
ちなみに「くだらないもの」の由来は「関西から下ってこないどうしようもない粗悪品」から。
そのうち関東でも独自生産をしはじめ、品質も向上し、ついには生産量で関西をも超えるように。その中で特に大きく発達したのが千葉の醤油。それが後の銚子のヤマサ、ヒゲタ、そして野田のキッコーマン。
ランキング大好きの江戸っ子らしく「醤油番付」なんかも作られて、川越、玉造、水海道、江戸崎、花輪、佐原、網戸、成田などの醤油もあり、関東醤油は群雄割拠状態。
ただその中で、1864年に幕府から「最上醤油」の称号が与えられたブランドは
ヤマサ、ヒゲタ、ヤマジュウ、ジガミサ、キッコーマン、キハク、ジョウジュウの7つ。
通称、関東7印。
これはすべて銚子と野田の醤油ブランドで、この7つが特に力があったことがわかる。
キッコーマンは特に当時から人気が高かったようだが、広告戦略も優れていて、茶屋に「亀甲萬」印の傘をおいて無料で提供し、知名度を広げていたらしい。
明治期になると、この千葉の醤油は経営統合を重ね、さらに巨大になってゆく。
キッコーマン、ヤマサ、ヒゲタそれぞれに統合され、7印は3印となる。
また、いち早く醤油醸造の機械化・科学技術の導入、生産体制の構造改革、流通革命などをおこなっていた。
この中で特に困難がともなったのは流通革命で、当時は醤油問屋が力をもっており、醤油メーカーは独自に価格や販売網を決定することができなかった。
そこでキッコーマンは直接メーカーが販売できるよう、1881年に東京醤油会社を設立。
しかしながら当然のようにこれは従来の醤油問屋の猛反発にあい、また暴風雨で東京醤油会社の倉庫が倒壊し壊滅的打撃をうけるなどして、挫折した。
流通網の改革はその後、昭和になるまで待たねばならなかったのである。
ただ、これによりキッコーマンは問屋の力が強い東京を中心とした販売だけに依存ぜす、他の地域(それは海外も含む)への販売を模索するようになる。
さて、キッコーマンと言ってきたが、もともとは野田醤油。
野田の醤油組合連合がその母体。
野田醤油組合が大合併して作られた巨大醤油企業が「野田醤油株式会社」。
醸造家ごとに麹菌も製法も違い、当然醤油の味はみな違う。
連合だった野田醤油は、様々な味の違う醤油ブランドを多数有していた(200以上の銘柄があったという)のだが、そのうち最も人気や評価の高かった醤油ブランドの「亀甲萬」へ統合することに。後に社名も「キッコーマン」へと変更。これが今のキッコーマンである。
ただ、同じ麹菌を使おうとも、同じ「亀甲萬」の味を大量生産することは極めて困難であった。
そこで、「亀甲萬」を大量生産するために新たに醤油工場を作る必要があった。
それが「醤油業界激震ス」といわしめた野田醤油17工場の誕生である。
当時としては考えられないほどの空前絶後の巨大醤油工場。
また数多くの最新技術をもりこんだ、最新鋭の醤油工場でもあったのだ。
ヤマサやヒゲタもこれに続き、関東醤油はいち早く近代化し、全国の醤油醸造の中でもとびぬけた存在となっていくのである。
醤油の安定した大量生産に成功したキッコーマンだったが、それゆえに関東では供給過多となり、日本全国および海外への進出が必須となった。
海外への進出は大成功といえるだろう。現在の世界の醤油シェアの50%はキッコーマンであり、言うまでもなく世界一。
日本国内はというと、1931年に兵庫県に野田醤油17工場をも超える巨大醤油工場「高砂工場」、通称キッコーマン関西工場を作ったことからも、西日本進出への気合いの入れかたがわかる。
関東は制した。次は全国。
そしてキッコーマンは全国規模の醤油となり、日本醤油界を統一した・・・・
と、ならないのが現実。
ここで再び生産と販売の表を見てみよう。
圧倒的生産量をほこる関東醤油だが、その販売先のほとんどは関東にかたよっている。
他の醤油メーカーに比べ「全国区」といえる販売網をもってるキッコーマンだが、むしろそれができたのはキッコーマンだけであり、そのキッコーマンがこれほどのことをしても全国普及にはほど遠かった。
醤油の味は地元の味。それはたやすく覆らないのであった。
1990年の資料ではちょっと古いので、最近の資料も参照してみよう。
2008年の醤油出荷量の県別比率トップ10(しょうゆ情報センター資料より)
1.千葉県 34.32%
2.兵庫県 14.89%
3.愛知県 5.62%
5.群馬県 5.28%
4.香川県 5.26%
6.大分県 4.29%
7.三重県 3.31%
8.福岡県 3.08%
9.青森県 2.83%
10.北海道 2.56%
県別だが、これが含まれる県の地域そのままの順位と考えてもさしつかえない。例えば近畿地方の醤油のほとんどが兵庫県のものであり、四国は香川がその地方の醤油生産のほとんどをしめている。
九州は大分と福岡に別れているが、まとめて九州とするとトップ3に踊りでる。
といっても、三重県の扱いが微妙で、三重県を近畿にするか東海にするかで東海地方の順位も変わってくるが。
九州では明治・大正時代では福岡は醤油生産量がダントツで1位だった。(九州内でも過半数以上が福岡醤油であり、全国でもトップ5に入っていた)
しかし昭和になってから大分醤油の大躍進があり、現在は大分が福岡を抜き、九州における醤油生産量トップになった。
それぞれの地域にそれぞれの醤油があり、キッコーマンといえども市場に食い込むのは困難であった。そのなかで最も苦戦したのが九州である。
実は九州は日本における醤油文化の中では特異な地域でもあったのだ。
それは「醤油の味が甘い」という味だけの話ではない。
ちなみに沖縄にはキッコーマンがなんなく進出できた。沖縄にはもともと醤油文化は無く、現在でも自産の醤油はほぼ0に近い。
そのため、拡大販売してきた関東醤油が市場をおさえ、沖縄では九州のものと違い関東風の濃口醤油が一般的となる。
さて、九州の醤油事情である。
まずはこのグラフをご覧頂きたい。
九州と近畿の県別醤油出荷量比(2008年)
■九州(単位kl)
大 分 38,855 (35.8%)
福 岡 27,850 (25.7%)
熊 本 10.872 (10.0%)
鹿児島 8,264 (7.6%)
佐 賀 7,762 (7.2%)
長 崎 7,747 (7.2%)
宮 崎 7,064 (6.5%)
計 108,414
■近畿(単位kl)
兵 庫 134,737 (86.4%)
大 阪 15,963 (10.2%)
奈 良 2,497 (1.6%)
京 都 1,151 (0.7%)
滋 賀 846 (0.5%)
和歌山 770 (0.5%)
計 155,964
さすが兵庫は国内第二位の醤油生産県だけあって、兵庫だけで九州全土の醤油出荷量を超える。しかし、近畿の醤油生産はほぼ兵庫でしめられており、他県はのきなみ少ない。
これは他の地域でも同様な傾向にあり、たいがい一部の大醤油生産地に収束する。
一方、九州は大分福岡で過半数をおさえるが、その他の県もかなりの量を生産している。これは他ではみられない傾向であり、九州最下位の宮崎醤油ですら全国では18位だ。
全国醤油出荷量11位から18位を見てみよう。
11. 大阪
12. 熊本
13. 新潟
14. 鹿児島
15. 佐賀
16. 長崎
17. 栃木
18. 宮崎
九州勢の独壇場である。
トップ10では下位にあった九州醤油だが、18位までにすべての県がランクインしており、醤油県としてのアベレージは極めて高い。こんなのは九州だけだ。
(※山陰も分散傾向にあるが、全体的に出荷量は少ない。また北海道はデータでは「北海道」でひとくくりにされているため地域差がわからない)
ここから推測できるのは、九州は突出した大醤油企業は少ないが、中堅どころの層が厚く、かつ地域ごとに独自の醤油文化圏が存在するということだ。
そもそも、九州では醤油は買うものではなかった。
いまでこそ醤油はお店で買うものとなっているが、漬け物や自家製酒のように家庭で作る事もできたし、作っていた。
明治時代の自家醤油醸造調査によれば、自家醤油醸造数1位は鹿児島県、2位は熊本県、3位は福岡県と以下も九州各県が続く。
また戸数比率でも1位は佐賀県の65%、2位は宮崎県の49%、3,4,5位は鹿児島県・長崎県・熊本県の47%。つまり九州では家の2軒に1軒は自分のところで醤油を作っていたのだ。
一方他の地域のほとんどが自家醤油醸造戸数比率1割にも満たない一桁代であり、自家醤油醸造するところもなくはないが、普通は醤油は店から買っていた。
九州だけが「醤油は家で作るのがあたりまえ」なのだ。
なぜだかはわからないが、焼酎文化と関係してるんだろうか?
自家醤油は醤油税(自家醤油にも課税された)の導入や生活スタイルの変化とともに姿を消すが、この九州における自家醤油醸造比率が九州の醤油事情を特殊な物にしたであろうと考えられる。
※現在は廃止されたが、かつて醤油も酒や煙草同様に課税対象であった。
おそらく当時は、各家庭に地酒のような地醤油が数多く存在し、独特な醤油レシピで製造されていたことであろう。九州の醤油は古くから地域性が極めて高く、県どころか町単位家単位で醤油の味が違っていたのではないだろうか。
そしてそれゆえに、さかんな醤油生産地域であったにもかかわらず、他の地域と比べ大醤油企業が育ちにくかった。
そこで再び九州と近畿の県別醤油出荷量比(2008年)を見てみよう。
自家醤油醸造率の高い佐賀・宮崎・鹿児島・長崎・熊本が見事に重なる。
これらの地域は今もって醤油大生産地にとりこまれず独自性を保っているのだ。
むしろ九州内では比較的自家醤油醸造率の低かった福岡・大分だからこそ醤油メーカーが育ったともいえようか。
また九州の醤油業界にはさらに障害があった。農林水産省による指導である。
「農林水産省が定める醤油の日本農林規格(JAS)」により醤油のレシピは固定化された。
上記の経緯から九州の醤油はおそらく、それぞれ独特な醸造方法やレシピで作られていたであろうことは推測できる。
そこで画一的な規格を押し付けられた時、それに対してどのような戦いがあり、どのような対応がなされたかとても興味深い。
(このあたりまだ資料がなくて詳しくはわからないのだけれど、そのうち調べたい)
結局国には逆らえず、成分を変更しなくていけなくなった時に、なんとかJAS規格に収まる範囲で、いままでどおりの味に近くするために模索し、たどり着いたのが「甘草」だったのではないだろうか。
他の地域では醤油に甘みを出すために「みりん」を配合することが多いが、九州醤油が他では見られない「甘草醤油」なのはそのためだろう。
ただ長崎だけはちょっと違うようなのが謎だ。長崎醤油も甘みがあるらしいのだが甘草は配合されていないようだ。長崎だけ何か特別な事情があったのだろうか。
とまあ、こんな感じ。
おまけ:
ちなみに日本国内の総醤油出荷量は
昭和30年は973,800kl
過去最高の生産量だったのは昭和48年の1,294,155kl
しかし昭和60年をピークに減少しつづけ、
平成20年の生産量は904,813kl
(日本の食事の洋食化の影響だろうか)
ただし、醤油を種類別にみてみると「再仕込み醤油」の生産量は増加し続けている。
「再仕込み醤油」の主な産地は山陰や九州。九州の醤油は伸びているということだろうか。
そして、最近は地方醤油が伸びつつある。
近年の醤油出荷数量シェアの変化
2005年 2008年
香川県 4.63% → 5.26%
群馬県 4.46% → 5.28%
大分県 4.11% → 4.29%
参考文献:「日本の味 醤油の歴史」 しょうゆ情報センター(web) 他諸々
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コメント
- noen:
- ゴチになりますの番組で九州醤油の煮物が出てました。色が淡いから見た目がいいのでしょうね。
- スカポン太:
- 醤油によって煮物の違いが大きくありそうですよね。
使い分けるのが一番なんだろうけど、個人の家庭では限度があるなあ(笑)
九州の料理は九州の醤油じゃなきゃダメって気がします。
- ボブ彦:
- 確かに実家の兵庫は、しょうゆ天国で、キッコーマン以外に和歌山や香川のしょうゆなど種類が多くて、
料理に使い分けで5~6種類のメーカーのしょうゆが台所にあるのを記憶していますし実家は今でもそうでした。
しかし、近畿のなか醤油出荷量比でが多いのはびっくりしました。勉強になったし、田舎の醤油を手に入れたくなりました。
ネットで調べよっと。
- もきち:
- これは目から鱗。まさかSOYの語源がそんな古くからのものだったとは。
興味深く読ませていただきました。
- ゆずのきB佳:
- とても面白いお話でした。ナイスレポート!
九州の手前醤油は知りませんでした。製法が独特なのも興味深いです。
確か薩摩藩は独自の文化のおかげで、お金もあったし食糧難も無かったんですよね?(ウロ覚えで自信ないですが…)ちょっと関係あるのかな?
柏市の高校でしたが、野田から通っている子は、「蛇口の左から醤油、右からみりんが出る」とよくからかわれてました(笑)。
余談ですが、野田は「かごめかごめ」発祥の地ですね。そういう話、好きでしょう?(笑)
- 爾百旧狸:
- 流石だ・・・読み物として素晴らしい・・・
「関東七印」のとこが特にグッときました
(芥川隆之のナレーションが入りそう)
強大な権力に立ち向かう甘草の血を宿す者たち・・・
カ・・・カッコイイ
- 亀吉:
- 一瞬何のサイトだったか分からなくなっちゃいましたw
いやーここまで調べられてるとは感服いたしました
- 花:感服しました
- 醤油業界に関係するお仕事をされておられるのでしょうか。良くご存知ですね。
ただ、キッコーマン高砂工場から出荷されている醤油は関東と同じ品質なので、これも含めて「近畿の地方色」とするのは疑問です。また、キッコーマンは北海道にも工場を持っており、子会社的メーカーの生産量も含めると、圧倒的なシェアを占めている筈です。近畿の淡口醤油、東海の溜醤油にも触れた「第二弾」を期待しております。
- スカポン太:
- >ボブ彦さん
なるほど。兵庫は多種多様の醤油が混在する地域でもあるんですね。
実際に家庭で多くの醤油をつかいわけているのか。おもしろいですね。
>もきちさん
どうもー。調べてたらけっこうおもしろくなってきたもので(笑)
>ゆずのきさん
薩摩は同じ九州でも方言が全然違うし、文化は独自性が強いですね。
密貿易は薩摩のお家芸。かなり儲かっていて豊かだったみたいですね。
野田は行けない距離じゃないし、一回くらい醤油工場見学にいきたくなってます。
まさに醤油の街なんですなあ(笑)
そういえば「かごめかごめ」の発祥は野田でしたね。(この手のネタ大好き!)
キッコーマンのマークも「かごめ」。正確には六芒星なんだろうけど。
たしか川越にも「かごめかごめ」由来の地ってのがあって、川越もまた醤油産地なんだよねえ。かごめと醤油の関係は!?とか考えるとおもしろいかも
- スカポン太:
- >爾百旧狸さん
ナレーション芥川隆之っていいな!なんかすごくカッコいいぞ。
>亀吉さん
どーもすいません。カートゥーンとも無関係だしどうしようかなと思ったけどせっかく調べたのでまとめてみました
>花さん
醤油業界って!まあそんなことはないですが、普通に調べただけです。
「キッコーマン高砂工場から出荷されている醤油は関東と同じ品質なので、これも含めて「近畿の地方色」とするのは疑問です」
まさしくそうですね。
県別ではなくメーカー別のデータがあればさらによかったんでしょうけど。
北海道の出荷量が多いのもキッコーマン北海道工場の恩恵かも。
近畿というか兵庫県はボブ彦さんのコメントを聞くと多くの種類の醤油をつかいわける文化のようですし、むしろそれが兵庫の地方色なのかもしれません。
データーを検証してみたら特に九州がおもしろい傾向にあることに気がついたので(九州醤油に特に関心があったこともありますが)、九州をピックアップしましたが、他の醤油事情も機会があったら調べてみたいです。
- ゆずのきB佳:
- >川越と野田
川の存在なんかどうでしょう。野田には利根運河もありますし、確か江戸への醤油の運搬に使ってたはず。
銚子へ醤油工場見学に行ったことありますよー。卓上醤油のお土産もらった(笑)。しばらくしてNHK「澪つくし」の舞台となりました。銚子も海運かな?
- かきたま:
- どうも始めまして、ぬるいカートゥーンファンとしていつも楽しく拝見して居ります。
醤油の御話もまた勉強になりました(^^;
九州の醤油の事はまったく知らなかったので一度試してみたくなりますね。
自分の母は大阪の大正区育ちですが、使っていた醤油はだいたいマルキンだったそうです。
ちょうど昨年、小豆島のマルキン醤油記念館に行く機会があり
ショボいカメラで撮った写真が少しあるのを思い出して、ウェブアルバムにアップしてみました。
(検索すればもっと良い写真や資料のあるところがたくさんありそうですが)
http://picasaweb.google.co.jp/hikarimo2006/pwnzZG#
自分の場合は現在、野田から30分くらいの所に済んで居りますが
香川のマルキン醤油でも濃口なら、普段使っているキッコーマン等の濃口と
そんなに違いは感じなかったですね(^^;。
野田醤油の第17工場については、NHKの「日本映像の20世紀」千葉県の回に
完成披露の様子を記録した映像が入っていました。
明治から昭和初期にかけて、利根運河で醤油や米を運ぶ蒸気外輪船なども映っていましたね。
- スカポン太:
- >ゆずのきさん
他の醤油地域をみてもやはり「水」が重要そうですね。
それに昔は(特に関東は)交通網が川だったりしたから、発展におおきく影響したのもうなづけます。
>かきたまさん
おお、マルキンの写真!
しょうゆアイスクリーム食べてみたい!
なかなかおもしろいもの見せていただきありがとうございます。
マルキン醤油は 関東3印の番外として「4印」と言われたくらいだから関東濃口醤油に近いかもしれません。
やっぱり野田醤油第17工場完成は当時としても大イベントだったんですねえ。
- VicIsono:
- ここまで彩の国埼玉が誇るユゲタ醤油の話題ナシ。
何たる非国民かッ!
スカポン太氏には醤遊王国でのもろみ搾り労働体験をもって
反省の意を示していただきたい。
http://yugeta.com/oukoku/index.html
- スカポン太:
- 怒られたっ
醤遊王国ww ネーミングセンスがすばらしく埼玉です。
関東は圧倒的にキッコーマンに押されてますからねえ。
でもちょっと行ってみたいかも。醤油アイスもあるようだし。
川越にも古くからの醤油屋けっこうあるんですよね
http://www.kawagoe.com/kinbue/