添付の画像と本文は直接的に関係があるって訳ではないのだが、都内のテレビ局代表と言うことで。
少し前、10年来の交流がある在京テレビ局の報道記者と一緒に食事をする機会があった。ズーッと気になっていたことが僕の主観に過ぎないのか、中堅記者も同じことを感じているのか知りたかったので、直裁に聞くことにした。「なあ、最近、君が一番下っ端で駆け回ってた頃に比べて、記者の質がものっすごく劣化しているような気がするんだけど、俺の考えすぎか?」と。
友人である報道記者の答えは、とても残念なものだった。彼は顔をしかめ、全面的に僕の問いを肯定したのだ。「取材する、と言うことが判っていない。だから、掘り下げることも考えることも突っ込むこともできないし、何が問題なのかさえわからない。記者として非常に低いレベルに安住している」。しかも、中堅以上の記者がそれじゃ駄目だろと若手記者たちに言っても、何で駄目なのかすら理解できない、しようともしないと愚痴ること愚痴ること。悪い意味でサラリーマン化している、と彼は嘆いた。
続けて友人は「問題は、記者のレベルが落ちただけじゃない」とも言う。ニュース番組までもが経営上の必然から『数字(=視聴率)』を求められるようになり、結果として例えば主戦場である夕方ニュースなどは『在宅している奥様方の興味を引くような内容』にどんどんシフトして行き、現場として「これを伝えなくちゃ報道機関としてダメじゃねーか!」と言うような重要な事案ですら最悪取り上げられず、取り上げられても番組幹部が考えるところの(とは言っても実際視聴率によって裏づけは取れているそうだが)『主婦受け』するようなワカリヤスイ図式に組み替えられたようなものにされてしまうのだそうだ。友人は硬派の報道記者なので「毎日、デスクと喧嘩だよ」と深い深いため息をついた。
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――と、ここまでがマクラ。長いけど。
ようやくここからが本題なのだけれど、奈良の大淀病院に出産のため入院していた女性が、出産中に脳出血を起こして亡くなった「出来事」のことだ。
先日、亡くなった女性の夫側が「遺族がマスコミに提供した以外の診療記録がネット上に流出している」云々、「病院関係者の仕業に違いない」云々として、本件の裁判(医療過誤が原因で妻が死んだので損害を賠償せよ)以外に刑事告発するような意向を表明している。特に遺族側弁護士は大変意気軒昂なのだが……。
この事案については、ほとんど『毎日新聞の
虚報記事がもたらした深刻かつ回復不能な報道被害』としか言いようがないと感じている。そのあたりの経緯に関しては、この「みんカラ」内でも医師を生業とする方が
記しておいでなので割愛し、取材した側の流れを、ちょっと考察してみたい。医師系のブログなどでも、そっち側からこの「毎日新聞が起こした事件」を検討した例は見かけなかったし。
まず、毎日が昨年10月に報じた「妊婦放置6時間、たらいまわし死」。署名記事を書いたのは、奈良支局勤務の恐らく3年目前後の駆け出し女性記者。後日掲載された彼女の「ふりかえり」に作意がないとすれば、この記者が大淀病院での出来事を知ったのは記事が新聞に掲載される2か月半ほど前だ。
まず、ここが
一つ目のポイント。彼女はどこから、この第一報を聞きつけたのか。最初、僕は弁護士からネタの売込みがあったのではないかと思った。そうであるならば、記事の方向性が遺族側の視点一辺倒に近いことの理由が非常にわかり易いからだ。だが「ふりかえり」にある、遺族を割り出すことができたのは出稿の直前だとの記述を信じると、一番ありそうなのは妊婦の異常死の届けを受けた所轄署スジだろう。それも恐らくは「雑談」レベルで出た話ではなかろうか。
で、これも多分だけれど、警察は事件性ナシの判断で動かず、したがって他社も(事案の存在を知っていたかもしれない……可能性は高い……が)取材には走らなかった。この時点で、端緒を掴んだ(と思い込んだ)記者ないしはその報告を受けた上司を含む毎日新聞奈良支局に、一つの先入観が生まれた可能性がある。「これは、事件だ」と。
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次、
二つ目のポイント。彼女の記者としての資質に激しい疑問を抱かされるのもこのあたりなのだが「個人情報保護を楯にした病院関係者は取材に応じず」云々の言い回し。思い通りに進まぬ取材に苛立った感じが、この言い回しから透けて見える。
だけどさあ、病院側が患者のことを言わないのはアタリメーだろ。至極当然の対応じゃないか。これも想像だが『人が死んでるんですよ!』とか『事件を隠すんですか!?』みたいな騒ぎ方をしたんじゃないかって気が、凄くする。ま、要するにこの辺で彼女は病院側と感情的に隔絶しちゃったんじゃないか。
それに、焦りもあったと思う。「いまならどこの社も動いていない、うちの独自ネタで行ける。医療過誤だから(最終的には)裁判になるだろうが、提訴までに身元を割って取材できなければ、横並びの発表モノ原稿と同じになってしまう――」と。
この記者が後日ふりかえりの記事で書いた内容の通り、最初から「
記事化が必要だと思った一番の理由は、医師個人を問題にするのではなく、緊急かつ高度な治療が可能な病院に搬送するシステムが機能しない現状を、行政も医師も、そして私たちも直視すべきだと思ったから」だとするならば、遺族への直接取材は最重要ではない。
極端を言えば、体験談などは後から寄稿してもらっても十分記事として成立する筈だ。確かに具体事例があるとないとでは記事の説得力が大きく違うだろうが、最重要なのはシステムの方の取材・検証だ。
そういう場合に重点的に取材をかける対象は、救急指令センターだとか急患受け入れ態勢のある病院全般、現場の救急隊員や医師である。あるいは、行政の担当者であって、間違っても遺族ではない。実際に奈良支局の記者たちが行ったこととは、取材の力点が全然違うのである。
毎日新聞奈良支局の動き方は事件取材のときのそれであって、行政案件を取材するときの動き方をしていない。血眼になって遺族の身元を洗い出そうとした取材経緯から浮かび上がってくるのは、後から言い出した「搬送システムの不備」云々なんかを動機に取材を進め記事化したわけではない、ということだ。
傍証もある。一連の「ふりかえり」の中で上司に当たる記者(本社デスクだったか)が書いていることだが「遺族の身元がわからないのなら最小限の記事で出す以外ないかと覚悟を決めた」云々の一文。
奈良支局発の原稿が「搬送システムの不備」を指摘するための記事だと言うならば、遺族の声が取れないので最小限の原稿になるなどと言うことは、断言するが、絶対にありえない。(――訳でもないか。本件事案の遺族を「生贄の子羊」よろしくシステム不備の犠牲者としてシンボリックかつ情緒的にアイコン化しようとした場合だ。)
明らかに毎日の記者たちは、「こんな医師がいる、許せない!」と言う声を直接当事者から取ろうとして取材に励んでいるのである。
もし違うと言うならば問いたい。本当に「
医師個人を問題にするのではなく、緊急かつ高度な治療が可能な病院に搬送するシステムが機能しない現状を、行政も医師も、そして私たちも直視すべきだと思ったから」記事化したと言うならば、なぜ整理部のつけた「医師個人を問題にする」ような見出しを撤回させなかったのか。
僕の知る限りの記者の生理として、記事本記で意図したことと正反対の見出しをつけられて平気だなんてことはありえないはずだ。それとも、最近の記者のレベルは、こういうことさえも平気で見過ごせるほど落ちているのだろうか。
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さて、
3つ目のポイント。17日付朝刊に署名記事を書いた女性記者を初めとする奈良支局の取材チームが遺族を掴んだのが日付未詳の10月。遺族サイドへの取材が終了するには最短でも4日かかっている。16日深夜の朝刊締め切りまでに大作原稿の本社チェックも全て終えているとするならば、病院サイドへの再取材のチャンスは最長で12日(10労働日程度)あったはずだが、不思議とふりかえり記事には、患者サイドの情報を元に病院側に再取材をかけたことをうかがわせる記述がない。まあ、患者側が自己に関わる情報をオープンにしたからと言って病院の立場で患者の情報を開示できるわけもないのだが。
どこまで行っても想像の域を出ないのだけれども、僕は亡くなった女性の関係者への取材を終えてからすぐ(多分当日夜)に最終稿の執筆を行い、翌日付の朝刊に掲載されたのだと思っている。相当事者のコメントなど最初から取るつもりはなかった――精々アリバイ的に「係争中の事案なのでコメントは差し控える」のひとことだけあれば十分と考えていたのではないかと疑っている。
これが毎日が大見出しで「6時間放置」「19病院たらいまわし」「CT検査の要求受け容れず」云々の
存在しない事実を書き立てることになった最大の原因だろう。
記者(取材団)は、結局のところ、遺族側の話しか聞いていないのである。遺族側の主観によって描写された事案の経緯しか手元にないにもかかわらず、その裏づけを取ることなくセンセーショナルな見出しをつけて記事を出した。
これは、完全に、全面的に、毎日新聞の過ちである。
遺族は言う。「頭痛を訴えて意識がなくなってから、開頭手術が始まるまで6時間かかった」と。そこにはウソも間違いもない。遺族が見たままの状況だ。
激しい頭痛を訴えた後に意識が消失して亡くなったが、直接の死因は脳内出血で、最初の病院では処置しなかった――これも事実だ。遺族としては、やりきれないに決まっている。もし最初の病院(大淀病院)がもっと積極的に処置してくれたなら、と。至極当然の考えだと思う。遺族は医事に関しては素人であり、本職のプロフェッショナルと同じような事実認識を共有できるとは限らないのだから。
でも、それは当事者遺族にとっては当然な心の動きであるけれど、そのまんまの気持ちで記事を書くような奴は、記者失格だ。そんな奴の書いた原稿を紙面に載せるような新聞社は、報道機関失格だ。最近は若い記者を教育するときに「ウラを取れ、反対側の当事者の見解を必ず確認しろ」とは教えないのだろうか。レベルが低いにも程がある。
毎日新聞奈良支局の取材チームが、亡くなった女性の医療記録を確認し、その記載内容の意味を理解していたならば、つまり病院側(医師側)から見た事案の経過も承知していたならば、
絶対に初報のような記事になるはずがないのである。
取材に応じてくれた遺族の心情には背くことになるかもしれないけれど、事実をスタートポイントにしない『報道』に値打ちなどない。害毒しか存在しない。これもまた想像だけれども、遺族への取材を通じて記者(たち)は
遺族に共感しすぎてしまったのではないか。そこに「取材に応じない」病院への不満や怒り、一方的な正義感が上乗せされてしまったのではないのか。いずれにせよ、記者失格である。駆け出しだからで許されることではない。そのために、支局長なり本社デスクなりの上司が存在するのではないか。
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長くなったけれど、最後に「
情報漏洩」の話。
実際の経緯と異なる『事実』を元に記事を書いた毎日新聞はどうだか知らないが、同業他紙やテレビ・ラジオの各社は、複数の現職医師が自身のブログで検討している通り、事前に一連のカルテをあらゆる手段(遺族側弁護士ルート以外も含む)を講じて入手していた筈だ。それが取材と言うものだからだ。
遺族側弁護士は、報道各社には(どの程度の範囲かは不明ながら)資料を提供しているらしいが、提供した覚えのない範囲のデータがウェブ上に公開されたとして『情報漏洩だ』としている。んで、伝聞なんだけど、その辺の言い分を一番詳しく伝えたのが日刊スポーツで、カルテ(コピー?)の写真を掲載していた全国紙あたりはサラッと「個人情報漏洩で訴訟も」みたいに流している。
これ、興味深いと言うか……全国紙は触れたくないだろうなあって思う。
だって、そもそも『取材』って言うのは、公務員にしろ私企業にしろ政治家にしろ、公式の情報とは違ったり公式ルートでは発表されていない情報を取ってくることだからだ。まあ、インタビューみたいな取材もあるけれど。
突き詰めてしまえば、取材活動ってのはどうしたって、相手の『守秘義務違反』と表裏一体の部分が出てこざるを得ない。弁護士の言い分に全面的に乗っちゃうと、報道そのものを否定することになっちゃうんだから全国紙としては痛し痒しだろう。
多分、この「大淀病院・毎日新聞記事事件」でも、各社とも当然そういう取材活動をしている筈(もししていないなら、取材者としては怠慢もしくは無能である。『スクープ記事』を書いた毎日新聞の記者と同レベルで)だ。だから、そういう角度から見た場合、この弁護士さんのやったことは、マスコミを引かせちゃうような大失敗ってことになる。
ネット上にカルテの内容が書き込まれた経緯は僕にはわからない。ただ、最初にその内容を医師専科の登録制サイトに書き込んだ人物の気持ちは、何となくだけれども、想像が出来る気がする。
遺族側弁護士は大淀町サイド(病院関係者)の関与があったと考えてるみたいだけど、僕はそうとは限らないと思う。例えば読売大阪はかなり広範な記録のコピーを入手していたように見受けられるが、資料を入手した記者なりデスクなりの社内関係者だけではカルテの意味するところを正確に理解することはできない筈だ。
それをしようと思えば(つまり「事件」の記事を書くにあたり大淀病院での対応の適否を判断しようとするならば)絶対に、記述の文面を専門家に直接(書き起こしではなく手書きそのままのものを)見てもらう必要が出てくる。――僕は、そっち方面から出たんじゃないかな、と言う気がしている。
僕の描く絵図面は、こうだ。
事案と直接関係のないドクターの所にどこかの記者が来て、カルテの読解を依頼する。資料を受け取ったドクターは、カルテを読んで、報道されている『事実』とはまったく正反対の事実を知り、そのことを依頼してきた記者に伝える。
もちろん、正しい事実をちゃんと報道して欲しいという気持ちが当然あるし、そのことを教えた以上は、必ずや記事になるだろうと期待してのことだ。
ところが、待てど暮らせどカルテ記載内容を正しく解釈した記事もニュースも流れない。ドクターに取材を依頼してきた社もだ。
ならば、せめて、医師の仲間内だけでも、カルテと言う事実を出すことで各人の専門家としての正しい認識を共有するべきなのではないか……。
こういうことが仮にもしあったとすると、全国紙やなんかは、遺族側弁護士の主張には中々乗りづらいだろうなぁ、と。ただ、どういう経緯で(僕の想像が当たっているか否かを問わず)資料を手にしたにしても、これはやっぱりルール違反だと思う。もっと別の、世間的に批判を受けづらい手法があったんじゃないかと言う気がする。そんな悠長なことやってる場合じゃなかった、かも知れないけども。
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ここまでの経緯はともかくとして、亡くなった妊婦の夫はつい一昨日、町と担当の医師を大阪地裁に提訴した。――とても、つらい話だ。事実経過が、本職のドクターたちが読み解いたカルテの記載内容どおりであったとしたならば、原告男性は道化にしかならない。「事実が明らかになれば」と言うが、既に、事実は明らかなのだから。即ち大淀町の病院医師は、可能な限りの対処を尽くしたけれども、残念ながら患者を救命することはできなかった、と言うこと。
誤診も、過誤も、手違いも、何もない。責められるようなことは、何一つ。残酷だけれども、医者に診せても助からないときは助からない。そういう結論にしかならないのではなかろうか。
もしかしたらこの原告男性も、毎日新聞の
『虚報』「スクープ」
が築いてしまったをきっかけにした「医療過誤事件」という虚像に振り回されている犠牲者なのではないか、そんな気がした。(
この稿続く)