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2020/04/26

自粛と強制

法律の強制力が弱くてもみんなが一致団結してコロナ感染予防に努めて危機を乗り越えよう。


それ自体は美しいし、良いことだ。
しかしそれを実現するために、従わない者をいじめたり、行政自らが嫌がらせをするということなら、全く美しくない。

法律で正面から強制した方がマシだ。補償はいるけど。

 

要するに、日本社会の同調圧力の強さが公徳心の高さと混同されて、サンクションがないと言いながら陰湿な私的制裁に依存して全体目標に到達しようというのも、学校や会社でいじめがなくならないのと同根だ。

実際のところ、災害の度に日本人がパニックにならずに行列に大人しく並んだり、略奪しなかったりで海外から称賛の声が伝えられるのだが、そうした行動をもたらす要因には内面化された同調圧力というか、みんながやっていることを乱さないという空気読み規律があるのであろう。そしてその和を乱すものに対しては、まずもって仲間からの私的制裁が加えられる。そしてそのような制裁付き同調圧力を期待して、権力者は命令ではなく要請によって世の中を動かそうとする。

しかし具体例でいうと、休業要請に従わないパチンコ店の名前公表も、それがその店に嫌がらせをする大衆の圧力を期待しているようなら、いじめ力学の是認に他ならない。ましてや、外出自粛要請に従わない人に、その権限のない警察がしつこくつきまとって帰るように仕向けるとか、自主休業しない店にやたらと立ち入り検査をしたり、意味なく店の前で道路工事をするなどに至っては、もう公に嫌がらせをするようなもの。これらを無視して、要請は強制処分ではないとして事前の手続保障も事後的な不服申立の機会もなく、ましてや正当な補償もなしで済ませようというのは、明らかに脱法行為というべきだ。

 

このようなインフォーマルな形での強制を放置しておくことは、前近代的な社会の再現となってよろしくない。司法的には、任意の名の下で事実上強制されている措置に「強制」性を認めて、せめて不服申立ての余地を認める必要がある。そして立法的には、真に必要な場合に行使できる強制権限を、濫用の可能性を封じる形で制度化し、その際の透明性に基づく検証可能性と、不利益を受ける人々の事前の手続保障、事後的不服申立て可能性、そして正当な補償を制度化すべきである。

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