arret:子の引渡しの審判に基づく間接強制が過酷執行として許されないとされた事例
平成最後の最高裁決定(の一つ)は、家事審判に基づいて子の引渡しの強制執行をしようとしたところ、直接執行においては子が泣いて拒み、呼吸困難になるなどの状況で執行不能となり、人身保護請求においても被拘束者たる子が拒絶の意思を示して請求棄却となったという場合に、間接強制決定を求めることが過酷執行として権利濫用となり、許されないとした事例である。
間接強制は強制執行段階であるから、本案の問題である子の引き渡し義務の存否を再検討することは通常できない。それにもかかわらず、上記のような経緯の下で間接強制決定を否定したことは、注目に値する。
間接強制段階では債務名義となった審判の内容を再検討しないということは、一般的な理解であるとともに、最高裁の裁判例においても認められている。子の引渡しの事例ではなく面会交流の事案ではあるが、以下のような例がある。
最決平成25年3月28日(平成24年(許)48号)PDF決定全文
これは同日付で面会交流に間接強制が可能かを判示した4件のうち、間接強制を認めた事例であり、子が面会交流を拒んでいるという事情のもとで以下のように判示した。
子の面会交流に係る審判は,子の心情等を踏まえた上でされているといえる。したがって,監護親に対し非監護親が子と面会交流をすることを許さなければならないと命ずる審判がされた場合,子が非監護親との面会交流を拒絶する意思を示していることは,これをもって,上記審判時とは異なる状況が生じたといえるときは上記審判に係る面会交流を禁止し,又は面会交流についての新たな条項を定めるための調停や審判を申し立てる理由となり得ることなどは格別,上記審判に基づく間接強制決定をすることを妨げる理由となるものではない。
事案としては子の引渡しや面会交流の場合とずいぶん離れるが、本決定が債務者にとって子の引渡しのために合理的に必要と考えられる行為を具体的に想定することが困難だから心理的圧迫を加えるのは過酷執行になるとしている部分について、やはり自分の意思では履行できない状況に追い込まれた国が債務者となった諫早湾の水門開門を命じる判決の強制執行事件についての以下の判示が想起される。
最決平成27年1月22日(平成26年(許)17号)
本件確定判決により本件各排水門を開放すべき義務を負った抗告人が,別件仮処分決定により本件各排水門を開放してはならない旨の義務を負ったとしても,間接強制の申立ての許否を判断する執行裁判所としては,これら各裁判における実体的な判断の当否を審理すべき立場にはなく,本件確定判決に基づき間接強制決定を求める申立てがされ,民事執行法上その要件が満たされている以上,同決定を発すべきものである。
こうしてみると、本決定が先例を覆すことなく、つまり大法廷を開くことなく間接強制決定の否定という結論を導くことができたポイントとしては、子の拒絶の意思が強く、強制しようとした際には呼吸困難になるなど、子の心身に悪影響があることが明らかとなっている上、そのことが直接強制や人身保護請求と行った裁判手続を通じて明らかになってきたことがあげられよう。後者は、形式的な理由ではあるが、山崎敏充判事がその点を「間接強制の申立てに先行する手続における裁判機関等の判断により明白になっているといえる事案」であって「執行手続の迅速性を害することはない」とされていることから、少なくとも本決定の射程を区切るポイントとはなることであろう。
しかし、その点を根拠とするのは、あまり妥当とはいえない帰結をもたらす。子の拒絶の意思が固いことだけでは十分ではなく、他の裁判手続でそのことが明白になっていれば間接強制決定のところでも考慮されるというのであれば、間接強制の前に余計なことをしなければ、子の拒絶の意思がいくら強くても呼吸困難になるほどであっても考慮されないということになる。このことは、債権者側の戦略的な執行方法選択を招くことであろう。少なくとも子の拒絶の意志が固く、それにもかかわらず債務者に金銭支払義務を課して心理的圧迫を加えることが「過酷」だという評価ができるのであれば、先行する手続の有無に拘わらず、それは認められるべきであろう。
なお、子の拒絶の意思が固く、強制すれば心身に悪影響が生じることが明白なことは本案の判断要素であるが、強制執行の実施にあたっても考慮されうる。そのことは、今般の改正後の民事執行法175条がこの引渡しについての執行官の権限に関して「この心身に及ぼす影響」を考慮して相当な限度でとしていること、子以外の者に威力を用いることも子の心身に有害な影響を与えるおそれがあるときはできないと規定していることなどから、少なくとも直接強制については認められうる。
それが間接強制の段階でも考慮されるとする点は、改正法の規定内容からはカバーされず、改正法の解釈にも影響を及ぼすと考えられる。
最後に私見をいうならば、子の引渡しにせよ面会交流にせよ、監護親と非監護親とが当事者であって、子は客体として扱われている。今回の過酷であるとの評価も、子にとってではなく監護親にとって過酷だという判断である。
審判の段階では家事事件手続法制定により子の意思を聴取するチャンネルが開かれたが、執行段階では、それは開かれておらず、今般の改正法でも同様である。本来、実体法は子の最善の利益の実現こそが引渡しにせよ面会交流にせよ、それを認めるかどうかの最大の要因となるのであり、非監護親や監護親の心情は二の次のはずである。にもかかわらず、執行段階では、その点は債務名義形成段階で考慮しているのだから、後は迅速に実施すれば良いとして、改めて子の意思を聞く手続を設けないでいる。
しかし、問題は未成年子の処遇であり、子にとって何が最善なのかは一旦決めたら変わらないという性質のものではない。家事審判には既判力もないので、必要に応じて再度審判を仰ぐことは可能である。それを執行段階だからといってアプリオリに拒絶するのは、金銭執行とか不動産明渡のような財産への強制執行の理論的な枠組みを、子の引渡しというデリケートな問題に思考停止して流用しているのであり、今般の改正で改められるはずの制度的前提に依然として囚われているきらいがある。
そして家事審判では当事者の他に審判を受けるべき者ということで、申立人・被申立人の他に地位を左右するものの法的位置づけを認め、手続的な地位も一定程度保障したのだが、執行法の改正では子の意思を尊重するために聴取するといった機会も、またそのために必要な専門家の関与も、認められていない。
家事事件の執行、特に子の引渡し等の執行にあたっては、子は単なる客体ではなく、本来その意思を尊重されるべき存在として遇するべきであり、執行官には子の意思の判断など無理だとしても直接執行(あるいは代替執行も含めて)には未成年子との面接の専門家を立ち会わせることや、間接強制においてもその判断の際に子の意思を確認するといった一手間を設ける必要がある。もちろんそのための人的資源をどうするか、そのコストは誰が負担するのか、そして子自身がそのような意思確認すらも拒んでいるような場合にどうすべきかという問題はある。しかし、本件のような直接執行に際して子の拒絶の意思が固く、泣きじゃくって呼吸困難になるというような事例では、執行官限りで引渡執行をしようということに無理がある。せめて専門家を同行して、時間をかけて子の意思確認を図るということが必要である。
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