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2015/01/29

jugement:琉球王朝期の慣習的境界が現在の紛争解決に用いられた例

民事裁判で用いられる資料には、時々、びっくりさせられるような古い資料が用いられることがあるが、これもその良い例である。

琉球王朝期の海上境界有効 地裁、那覇市主張認める

Nahakukozosetu


事案は、那覇空港の第二滑走路が建設される海上部分について、那覇市に帰属する海面なのか隣の豊見城市に帰属する界面なのかが争われたというもので、何のためにそれを争うかというと滑走路の面積に応じて支給される国有資産等所在市町村交付金の額が異なってくるからだ。

この工事については、内閣府沖縄総合事務局にある那覇空港ブロジェクトというページがあり、左の様な現場写真が掲載されている。

そこで那覇市側が持ちだしたのが琉球王朝時代に定められた「海方切(うみほうぎり)」と呼ばれる海上線である。

1797年ごろに作成された「琉球国惣絵図(そうえず)」で示された海方切は、明治末期に小禄間切に付与された専用漁業権の根拠ともなっており、区分線として有効だと主張。これに対し豊見城市側は、明治政府に移行する時期にはこの海域の海方切は消滅していたなどとして、1903年に土地整理事業によって作成された県土地整理地図に記された境界線が有効だと主張していた。

この点に関する地元メディアの報道では、琉球朝日放送のQリポート 海の境界めぐる熱い戦いというものが2011年に出されている。
それによると、もともとこの境界紛争は、1973年の国土地理院による照会から始まり、沖合に浮かぶ瀬長島の際までが那覇市だとする主張と、瀬長島より那覇空港側に寄った線が境界線だとする主張とが対立していた。
その後、上記の琉球国惣絵図がアメリカで発見され、かつては那覇市の主張のような線で区分されていたことが明らかになった。それが現在も有効なのかどうかをめぐり、膠着状態に陥っていたところ、那覇空港増設工事が始まったので、決着をつける必要に迫られたということであるる

さて、この種の境界紛争には、地方自治法に調停制度が設けられており、地方自治法251条に「普通地方公共団体相互の間又は普通地方公共団体の機関相互の間の紛争の調停」を行う「自治紛争処理委員」が、総務大臣または県知事によって事件ごとに3名任命されるとある。
上記の琉球朝日放送の記事は、その調停が開始されるかどうかという時期のものであった。

この手続は、もちろん調停であるから、裁断型の手続ではなく、「当事者のすべてから、調停案を受諾した旨を記載した文書が総務大臣又は都道府県知事に提出されたときに成立する」(251条の2第7項)。
ただし、同条3項には、「自治紛争処理委員は、調停案を作成して、これを当事者に示し、その受諾を勧告するとともに、理由を付してその要旨を公表することができる。」とあるので、非公開での意思決定ではなく、当事者は市民・有権者および第三者の監視の中で、調停案の受諾の有無を決断することになる。

結局、本件では上記の調停はまとまらなかったようで、最初の報道のような地裁判決が下された。

判決では那覇市の主張する海方切について「1903年の時点でも海面の占有利用の範囲を定める慣習として存在していた」と判断した。

 豊見城市の主張については、土地整理事業では海面について測量した形跡がなく、整理地図に記された線は「単に瀬長島の帰属を示すものとも考えられる」として退けた。

その肝心の琉球国惣絵図に示された海方切だが、自衛隊沖縄基地の紹介文書pdfの中に一部が示されていたので、これを引用する。

Kaihogiri

海面上に引かれた線に「海方切」の文字がはっきりと見える。

なお、この琉球国惣絵図(間切集成図)の成り立ちについては、沖縄県立博物館学芸員コラムを参照。

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