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2013/02/08

art表現の自由と責任、あるいは批判の自由

森美術館における会田誠展の件である。

刑法上の違法な表現(特にわいせつ性)ではないという前提であれば、表現行為が自由に行えることは当然なので、なんの問題もないかと思いきや、意外と論議を呼んでいる。

「性暴力」と作品の撤去求める 「会田誠展」に抗議

 抗議の対象は、四肢を切断された全裸の少女が首輪をされてほほ笑む「犬」という連作など、性表現を含む刺激の強い作品に対してということだが、上記のプロモーションビデオにも出てくるスクール水着の女子高生たちの絵についても、一部では不快の念を表明する人がいた。

 表現の自由という観点からいうと、刑法上のわいせつに該当する表現行為であっても、特に表現の自由を保護するべき観点から違法性を阻却すると解したり、わいせつ物公然陳列罪が憲法に反すると解したりする可能性があるのであって、そのレベルに達していないのであれば法的な問題は生じない。
 児童ボルノだという非難は、実在の子どもに対する性的虐待でない以上、成り立ちようがない。もちろんアニメや絵画のような表現行為でも児童ポルノと扱うべきだという立法論はあったが、それは頓挫したのである。

 では何の問題もないか、上記の「抗議」は全くお門違いかというと、それはそうでもない。批判の自由は表現行為の自由と同程度に保障されなければならない。そして批判を呼ぶ表現行為をするということは、その批判を引き受ける覚悟が必要だ。これが、表現の自由には責任が伴うということの意味である。

 ただし、上記の記事にあるような「撤去すべきだ」というような抗議の仕方は、表現行為を封殺するものであり、正当とはいえない。表現行為の内容を批判することと、その表現行為を無きものにしようとすることとは違うのである。
 表現行為が気に入らないからといって削除等が請求できるのは、極めて例外的な場合、すなわち憲法上の表現の自由が及ばないような表現行為に限られる。そして法的に請求できないことを、力で、声の大きさとか経済的締め付けとかで押し付けようとするのは、もうヤクザの不当要求と同列なのである。

 そういうわけで、抗議に対する森美術館の毅然とした対応は、実に評価に値する。

美術館は、美術を通して表現される様々な考え方の発表の場であり、それによって対話と議論の契機を生み出します。本展に関しても、多くの異なった意見を持つ方々が議論を交わすことが重要であると思われます。また日本の良さは、そのような個々人の多様な意見を自由に表現・発表できる社会となっていることではないでしょうか。

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