earthquake:この一ヶ月
東日本大震災からまもなく1ヶ月目の発生時を迎える。
1ヶ月前のこの時間は、横浜の神奈川大学法科大学院棟で、研究会を行っていた。午前中から、お昼の弁当を食べながら続けてきた研究会だったので、そろそろ終わり間際で、既に参加者の一人は東京に戻るため部屋を出てかなり立った頃、私たちも立ち話になりかけた頃、突然の縦揺れが部屋を遅い、なんだなんだと思っているうちに強い横揺れが始まった。
窓の外の木々は大風が吹いているかのように激しく揺れていた。
私たちはかなり頑丈そうな建物だったし、ガラス窓の近くはやばかったが、とにかく机にしがみついて揺れが治まるのを待った。しかしなかなか治まらず、5分くらいは揺れていたように感じている。
いったんは治まっても、またすぐ、次の揺れが来て、これも結構でかい感じがした。そうこうするうちに、おくれてきた間抜けな緊急地震速報がケータイをならしていた。そしてケータイのミニニュースで東北地方震度7という文字を見たときは、また改めてショックを覚えた。
関西方面から来ている会員や東京方面からの会員は、それぞれ、家路についた。交通機関も乱れるだろうし、とにかく早く駅にと新横浜や東急線の駅に急いだ。
しかし新幹線はかなり遅くまで停止してしまい、明日朝からの入試があるという人は根性で帰ったが、それ以外は夜、横浜の家に泊まり込むことになった。
その夜は、大津波の被害をテレビで目の当たりにして、またショックを受けたし、千葉の方の石油コンビナートが火災を起こしていたが、その火の手が横浜からも見ることができたし、とにかく不安に駆られる一晩であった。
翌日、とにかく関西方面も東京方面も交通は復活したが、そのころから福島第一原発は危機的な状況を続けていたのだ。放射能漏れがほんの微量でもあれば大ニュースとなっていたのが夢のように、大量の放射性物質の放出やら原子力発電所建屋の爆発やら格納容器の破損、循環冷却システムが壊れている中での注水では当然水がどこかに漏れるはずで、当然ながら海に流れ出していた。
そうこうするうちに、空気中の放射性物質も存在が認められ、風向きによるシミュレーションもなされ、首都圏もパニック状態になっていった。
個人的には1週間ほどフランス出張があり、その間の状況は飛んでいる。帰国後は少し落ち着きを取り戻しているようだった。
4月になって横浜と北海道を何度か往復しているが、飛行機からは津波の爪痕がくっきり見える。夜のフライトでは、異様なほどに地上が暗い。
亡くなった方のご冥福、そして被災者の皆さんの生活の回復を祈りつつ、黙祷。
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