arret:小沢一郎事件仮処分特別抗告審
すでに報道されているが、小沢一郎氏を対象に、「検察審査会法41条の6第1項所定の検察審査会による起訴をすべき旨の議決の取消しを求める訴えを本案として,上記議決の効力の停止を求める趣旨のもの」について、刑事訴訟で判断されるべきだからという理由で却下された事例である。
検察審査会法41条の6第1項所定の検察審査会による起訴をすべき旨の議決は,刑事訴訟手続における公訴提起(同法41条の10第1項)の前提となる手続であって,その適否は,刑事訴訟手続において判断されるべきものであり,行政事件訴訟を提起して争うことはできず,これを本案とする行政事件訴訟法25条2項の執行停止の申立てをすることもできない。
決定文からは特別抗告の理由が明らかではないのだが、上記の判示は法的には全く当然であり、刑事手続に関する決定を行政訴訟で争うということ自体、望みの薄いものである。
もっとも、検察審査会の議決が明らかに不利な処分なのに、その手続保障は十分と言えるのかは問われる必要がある。
被疑者が自らの言い分を述べる機会はあるのか、判断材料について被疑者側からのチェックは入るのか、そして議決に対しての不服申立の機会はあるのかと、不利益処分を下す場合の最低限要求される事項があるのかどうか、立法論的にも検討すべきだ。
追記:なお、行政訴訟で争えないとしても刑事訴訟では起訴の適法性が争えるのだから、その点誤解なされないように。
執行停止については却下されたが、本案の取消訴訟では、こうしたデュープロセス上の問題についての審理を尽くして見解を示して欲しいと期待するが、それは裁判所の役割ではなく政治(立法府)の任務であろう。
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コメント
>検察審査会の議決が明らかに不利な処分なのに
???
行政法上の不利益処分でしょうか?
刑事手続き上の不利益処分なのでは?
刑事手続き上の不利益処分を、行政訴訟で争えるというのは、刑事手続きを民事手続類似で判断することになるので、果たして妥当なんでしょうか?これを争えるとした場合、理論上は検察官の起訴ですら、行政手続として争えることになってしまうのでは?更に言えば、刑事事件を一個の法律的な利益処分と考えると、行政訴訟の適格性判断の立場によっては、起訴・不起訴を利害関係人が先ず行政訴訟で争うことが出来るようになるのでは?
投稿: こう | 2010/11/27 15:06
こうさん、随分先走ってますが、立法論で考えるときに何も行政訴訟を想定する必要はないですよ。
それに大陪審的な検察審査会の起訴審査過程と検察官の起訴審査過程が同じでなければならないというわけではないので、検察審査会の起訴議決に不服申立ての余地を認めたら検察官の起訴もそうなるのではというのも決めつけすぎです。
投稿: 町村 | 2010/11/27 18:16
>大陪審的な検察審査会の起訴審査過程と検察官の起訴審査過程が同じでなければならないというわけではないので
逆に言えば、同じでいけない理由って何ですか?その辺の積極的理由付けが全く見えてこないのですが。
それに、私が勘違いしているのかもしれませんが、検審の起訴決議というのは、処分相手は国(裁判所?)なのでは?この場合、起訴(不起訴)の名宛人となる人間は処分の当事者ではないと思うのですが。
検察審査会自体は、検察の行った不起訴という判断に対して、その適法・違法或いは、適当・不適当を判断して、検察の恣意的な不起訴の運用を正すことが目的ですから、刑事手続きの延長(不起訴という手続きに対する当否の判断)に存在すると考えるのが適切ですし、それを大陪審型の検審だから、というのは、理由付けですらないと思いますが。
それに、検審自体が事案に対する実質的な捜査権限や審査権限を持たないのに、それがないのが問題という問題提起の仕方もわからなくはないですが、それだと、検審自体が捜査機関類似の役割を果たすことになるので、結局処分としても一般的な行政処分ではなく、刑事処分に近づくと考えるのが素直です。
とすれば、大陪審型であろうと、適正手続保障型であろうと、一般の行政処分として考えて適正手続き保障(特に審査・訴訟という形で)を認める必要が存在するのかは、かなりの疑問が生じるのですが。
投稿: こう | 2010/11/27 23:50
先生の立場を忖度すると、検察審査会の起訴決議について、起訴の名宛人が当事者適格を有する一般的な行政処分だから、という考え方が基礎にあると考えるのが素直で、その場合、検察の起訴処分も同様に起訴の名宛人に対する行政処分と考えることが出来ること自体は理論上はまったく否定されていないわけで、
>検察審査会の起訴議決に不服申立ての余地を認めたら検察官の起訴もそうなる
というのも、
>理論上は検察官の起訴ですら、
決め付けでも何でもないわけです。
また、検察審査会の起訴決議を起訴の名宛人を当事者とする行政処分と考える以上、起訴の名宛人が争うことが出来ると考えるのが、行政訴訟法の話ですから、
>立法論で考えるときに何も行政訴訟を想定する必要はないですよ
実際に処分を争う当事者の立場になってみれば、最終的には訴訟という形になるのは(今回の例を見ても)明白なのではないでしょうか?
投稿: こう | 2010/11/28 00:04
はあ、どうしても行政処分と見ていると決めつけたいようですが、そのように忖度されても、すれ違いになるだけです。
刑事手続の中でも、被疑者に対する不利益な処分については言い分を述べる機会を保障すべきだし、それに対して不服申立ての機会を与えることはあり得るでしょう。
検察官の公訴提起については、その当否をダイレクトに刑事訴訟で争うのに対し、検察審査会の起訴相当との議決は、その効果が指定弁護士による公訴提起とそのための検察官の職務を行うということなので、一見すると捜査の端緒についただけのように思えますが、起訴することは決定し、被疑者が死亡したりしない限り取り消す余地はないわけです。そして起訴議決の実施は裁判所に委ねられているわけですから、裁判所に異議なり準抗告なりの申立てをする機会を被疑者に与えることも、立法論的にはあり得べきです。
投稿: 町村 | 2010/11/28 09:46