間抜けで偽善的な日本の平和主義・反戦運動
2023/08/06、今年もまた偽善的な広島平和式典が行われた。広島市の松井一実市長の「平和宣言」は例によって、具体的にどの国、どの勢力がどの様な「あやまち」を犯しているのかの言及を避けたものの、「各国の為政者」は「G7広島サミットに訪れた各国首脳」の例に倣えと主張していることから、恐らく西洋ナチ陣営の反ロシア・プロパガンダに基付く世界観をベースにしての発言だと思われる。完全にナチ陣営の拡声器と化している心も頭も持たぬ岸田首相については言うまでも無い。
今回も昨年に続き、ロシアとベラルーシは招待されなかった。が、ロシアがベラルーシに戦術核を配備したことを以て「ロシアが核による脅迫を行っている」と信じている人は、それ以前に欧州は既に米国の核兵器で溢れ返っていると云う現状を先ず認識した方が良い。これは日本を含む西洋のTVや新聞では殆どまともに取り上げられることの無い話題だが、米国とNATOは近年狂った様にロシア周辺への核配備を進めて来た。この背景を抜きにして、「ロシアとベラルーシが謂れ無き(挑発されざる)挑発を行っている」と主張するのは全く偽善的だ。
他にも、冷戦終結と共にワルシャワ条約機構が消滅して、防衛目的であれば既にその存在意義がとっくに失われている筈のNATOが、解体するどころかロシアへ向かって拡大を続けていること、近年ロシア周辺で大規模軍事演習を繰り返して来たこと、例えばロシア国境から僅か数十kmの所をNATOの核爆撃機が何度も飛行する等、露骨で無謀な軍事的挑発が繰り返されて来たこと、ロシアの核軍縮や緊張緩和の試みを全てNATOブロックが無視して来たこと、中距離核戦力全廃条約等の安全弁から米国が一方的に撤退して来たこと、そしてキエフが度々核の脅威をちらつかせて来たこと———これらは言うまでもなく、ロシア側から見れば極めて悪質な軍事的威嚇(国連憲章で禁止されている)以外の何物でもない。これら全てを全く無視して、ロシアとベラルーシの行動だけを問題視するのは、はっきりと悪意の有る歪曲だとしか言えない。
ロシアとベラルーシは核挑発を行っている訳ではなく、両国のやっていることこそが「抑止」だ。ロシアは自国が核攻撃された場合、或いは通常兵器であっても自国の存亡が脅かされる程の攻撃を受けた場合にのみ核兵器を使用すると云う従来の方針を別に変えてはいない。何か変わった様に見えているとしたら、それはその人がこれまでの世界の核を巡る状況が全く目に入っていなかったと云うことだ。「核抑止論の崩壊」を云々するのであれば、核抑止状況を大きく変える可能性の有る、オバマ政権が始めた(トランプ政権ではない!)「使い易い核」の開発計画や、「私は自分が如何に勇ましいかを有権者にアピールする為だけに、全人類を滅ぼす覚悟が有ります」と言っているも同然の内容のリズ・トラスのトンデモ発言や、「核の応酬の恐怖による核抑止は最早過去のものだ。我々は核戦争を戦って勝つことが出来る」と宣言しているペンタゴンの方針をこそ、先ず真っ先に非難すべきではないのか。
挑発を行っているのはG7サミットで雁首揃えたNATOマフィアの連中の方だ。自分達が相手に対してやっていることやその意味を殆ど、或いは全く報道せずに、それらに対する相手のリアクションだけを取り上げて、文脈から切り離して「挑発されざるアクション」として描くことによって相手を悪魔化するのは、ロシアに限らず、帝国主義勢力の標的となった国々に関してよく使われる手口だ。
最も典型的なのが1962年のキューバ危機だ。これは西洋のプロパガンダに於ては、ソ連がキューバにミサイルを置こうとしたことから始まったことになっているが、時系列的には米国がトルコにミサイルを置いた方が先だ。だから「キューバ危機」は実際には「トルコ-キューバ危機」なのであり、ワシントンは自分達が先に何をやったのかを国民に知らせないで、それに対する相手のアクションだけを問題視して「恐るべきソ連の核の脅威」をでっち上げたのだ。
恐ろしいことに、この危機から本当に学ばれるべきであった「緊張を緩和するのは更なる恫喝や威嚇ではなく誠意を持った対話である」と云う教訓が、今日のアメリカ帝国の軍産複合体によって全く学ばれていないと云う幾つもの兆候が見られる。世界を核による破滅に導きかねない可能性が最も高いのは、ロシアでも中国でもDPRKでもイランでもない、人類史上唯一核兵器を実戦使用し、その件について今だに謝罪も賠償も行っていないどころか、その後も50年で25回もの核挑発を行い、核戦争を起こすチャンスを始終窺って来た人類史上最悪のならず者国家、アメリカ帝国だ。
ロシアは歴史から学んでいる。ロシアは寧ろ自分達にも被害が出ることを承知の上で、2014年以来続くドンバス戦争を終わらせ、キューバ危機以上の核衝突のリスクと第三次世界大戦のシナリオを回避する為に戦ってくれている。だが、理性と良識の声は、戦争プロパガンダの掻き立てるヒステリーの分厚い障壁を突破するのが難しい。
歴代の日本の首相や政治家連中が、ヒロシマとナガサキに原爆を落とした国がどの国であるのかを完全に忘却している様に見えるどころか、寧ろこの加害者の標的となった他の国々を、加害者に言われるが儘に非難している現状には、呆れ果てるしか無い。日本国の政府は大日本帝国政府が行った犯罪の数々について碌にごめんなさいも言えないが、自分達が加害者であるケースだけではなく自国民が被害者であるケースについてすら、その責任の所在をはっきり指摘出来ないのだ。お飾りとは云え仮にも最高責任者であった筈の昭和天皇や、巣鴨に収容されたA旧戦犯達の誰一人として、自分達の責任を認めようとはしなかったが、この「責任の所在がはっきりしない」と云う症状は、今日の日本の偽善的極まり無い自称平和主義や反戦運動にも深く染み付いている。
私は子供の頃から、「過ちは繰返しませぬ」と云う、5W1Hのはっきしない曖昧なポエムが大嫌いだと云うことは以前にも述べたが、次の核兵器使用を止めたければ、5W1Hを明確に言語化しなければ駄目なのだ。被爆者の体験を語り継ぐことが次の戦争防止に繋がる? そりゃあ被害者達の体験の記憶を風化させないことは無論重要だろう。だが原爆を落としたのは被爆者達ではない。被爆者達が何を感じ、何を思ったのかを100年語り継いでみたところで、実際に核兵器を実戦使用した加害者達が何を考え、何を目指していたのかを理解することは不可能だ。加害者達を止めなければ、次の核使用は防げない。その点で被害者の体験談が達成出来るのは精々情動や感想の伝達であって、自分の情動を一生懸命周囲に訴えれば周囲の者達が何とかしてくれる、と云うのは赤ん坊にだけ許されることだ。大人なら、「天皇の赤子」の身分の甘んじていてはいけない。自分の頭で情報を精査し、「戦争の最初の被害者」である真実に、自力で辿り着かねばならない。
本当に戦争に反対したい人が先ずすべきことは、大政翼賛メディアをシャットアウトして、正しい情報にアクセスする為の試行錯誤を繰り返すことだ。今の日本の自称平和主義や反戦運動には、決定的にこの作業が欠けている。被爆者の体験談を聞くのは結構。だがそれだけでは駄目なのだ。ポエムを詠むなとは言わない。だがそれは、例えば先日亡くなったダニエル・エルズバーグの著書の読書会でもやってからの話でないと、意味が無いのだ。「日本には安全保障面に於て真の主権は存在しない」と云う現実を先ず直視しないことには、核廃絶条約署名など夢のまた夢でしかない。現実を無視した願望だけでは世界は変えられない。
G7の共同声明が素晴らしい? だが今言った様に全世界を核の脅威に曝そうとして来たのは他ならぬこいつらだ。ワシントンはこの後キエフにF-16戦闘機を提供して、核危機のリスクをぐんと高めている。ふざけるな、G7の共同声明は、自分達だけが核を独占して世界中どの国でも好きな様に脅迫出来る様になりたい、と云う恥知らずな野心の表明だ。こんなものが何で平和に繋がるものか。
式典にロシアを招かない、と云う広島当局の決定は、私には愚かさと無知の表れとしか思えない。何故なら、2発の原爆の本当の標的は、日本ではなく、ソ連だったからだ。ウラン型とプルトニウム型、2つの原爆投下は、第二次世界大戦の終わりを告げる弔鐘ではなく、ソ連との間の新たな戦争の開始のゴングだった。なのに反省の色ひとつ見せない加害者を招待しておいて、本当の被害者をハブると云う当局の判断は、原爆投下の地政学的な意味合いを全く理解していないのではないかと云う疑念を抱かせる。
同じく「核の脅威」が喧伝される対象としてはDPEK(朝鮮民主主義人民共和国)が挙げられるが、こちらの状況に似た様なものだ。1945年以降朝鮮半島の南半分を軍事占領し、反民主主義的な傀儡政権を作って属国として支配して来して長い戦争を戦わせて来たアメリカ帝国は、今また7月に原潜を1981年以来初めて、釜山港に入港させ、軍事的挑発をエスカレートさせている。ROK(大韓民国)と日本は共に欧州諸国と同じで、米軍の核基地と化しているのだが、過去に実際にDPRKに対して核兵器の使用を検討したことの有る世界最悪のならず者国家が、自国周辺に200もの軍事基地を展開し、そこに核兵器まで配備していたとしたら、その状況はDPRKの人々の目にはどう映るだろうか。自国の存亡や自分達の生命に直接関わる脅威に決まっている。朝鮮半島の人々は1950〜53年の戦いで人口の5人に1人にも上る可能性の有る数の同胞を亡くしているが、相対的比率で言えば、これは日本の原爆投下など比較にならぬ程強烈な歴史的トラウマを植え付けている筈だ。しかも米韓は毎年2度以上の大規模軍事演習を行っているが、傍から見れば、これは本当に演習なのか、偽装した侵攻作戦の前段階なのか区別が出来ない。DPRKのミサイル1発に日本人が怯えるなら、DPRKの人々はそれより遙かに怯えている筈だ。そしてDPRKは外交交渉にはワシントンの度重なる裏切りによって徹底的に不信感を抱いている。ならば核で武装する以外に、自分達の身を守る為の確実な方法が存在するだろうか? 核を持たなかったイラクや核を放棄したリビアがどうなったか、世界中の人々が知っている。
DPRKのやっていることもまたロシアやベラルーシと同じく抑止が目的であり、挑発しているのはこちらの方だ。DPRKの方から核による挑発なんかやったところで、それは自殺行為以外の何物でもない。「悪の枢軸」と云うワシントンの言い分に正当性を与えて、侵略再開の口実を与えてしまうだけで、いいことなど何ひとつ無い。「北朝鮮のミサイルが飛んで来るかも!」と本気で信じている人達は、一体全体DPRKにはそんなことをするどんな理由が有ると思っているのだろう? 口を酸っぱくして言いたいが、日本人はもう少し、世界的に見たら自分達の国が明治以降、一貫して加害者サイドに居ると云う事実を念頭に置いておくべきだ。そして大手メディアは問題の一部であって、問題を指摘する立場ではないと云うことも忘れてはいけない。
未来有る若者達を、「お国の為に死んで来い」と無益な戦場に送り出す様な無責任な人間になるのは、実際非常に簡単だ。権力者達から言われたことに疑問を持たなければ良いだけの話だ。子供達の前でマスクを着けることも、子供達に遺伝子ワクチンを打たせることも、ロシアを絶対悪として憎むことも、どれも本質的には同じで、違いは程度問題だ。日本人は愚かな過去の歴史から教訓を学んだことを全世界の前で証明することに、またしても大失敗した。日本人は歴史から学ばないと云うことを、思考停止した連中は寧ろ堂々と誇って見せる。だが憎めと命じられた敵を言われた儘に虚偽の世界観に基付いて憎むことは、真の平和主義や反戦運動とは真逆のものだ。恥を知れと言いたいが、疑問を持たない連中はそもそも何を恥じるべきなのかを理解していない。洗脳が解けるには次の玉音放送が必要になるのだろう。
繰り返すが、戦争に本気で反対したかったら、先ずは戦争プロパガンダの嘘を見抜かなければ意味が無い。戦争プロパガンダを受け入れた上で戦争反対を叫んでみたところで、それは所詮表面的なものにしかならないし、認知戦が展開されている状況では、自分では戦争に反対しているつもりで、実際には戦争を支持することになる。それは途方も無く間抜けで偽善的だ。戦争に反対するなら感情よりも先ず頭を動かせと言いたい。
今回も昨年に続き、ロシアとベラルーシは招待されなかった。が、ロシアがベラルーシに戦術核を配備したことを以て「ロシアが核による脅迫を行っている」と信じている人は、それ以前に欧州は既に米国の核兵器で溢れ返っていると云う現状を先ず認識した方が良い。これは日本を含む西洋のTVや新聞では殆どまともに取り上げられることの無い話題だが、米国とNATOは近年狂った様にロシア周辺への核配備を進めて来た。この背景を抜きにして、「ロシアとベラルーシが謂れ無き(挑発されざる)挑発を行っている」と主張するのは全く偽善的だ。
他にも、冷戦終結と共にワルシャワ条約機構が消滅して、防衛目的であれば既にその存在意義がとっくに失われている筈のNATOが、解体するどころかロシアへ向かって拡大を続けていること、近年ロシア周辺で大規模軍事演習を繰り返して来たこと、例えばロシア国境から僅か数十kmの所をNATOの核爆撃機が何度も飛行する等、露骨で無謀な軍事的挑発が繰り返されて来たこと、ロシアの核軍縮や緊張緩和の試みを全てNATOブロックが無視して来たこと、中距離核戦力全廃条約等の安全弁から米国が一方的に撤退して来たこと、そしてキエフが度々核の脅威をちらつかせて来たこと———これらは言うまでもなく、ロシア側から見れば極めて悪質な軍事的威嚇(国連憲章で禁止されている)以外の何物でもない。これら全てを全く無視して、ロシアとベラルーシの行動だけを問題視するのは、はっきりと悪意の有る歪曲だとしか言えない。
ロシアとベラルーシは核挑発を行っている訳ではなく、両国のやっていることこそが「抑止」だ。ロシアは自国が核攻撃された場合、或いは通常兵器であっても自国の存亡が脅かされる程の攻撃を受けた場合にのみ核兵器を使用すると云う従来の方針を別に変えてはいない。何か変わった様に見えているとしたら、それはその人がこれまでの世界の核を巡る状況が全く目に入っていなかったと云うことだ。「核抑止論の崩壊」を云々するのであれば、核抑止状況を大きく変える可能性の有る、オバマ政権が始めた(トランプ政権ではない!)「使い易い核」の開発計画や、「私は自分が如何に勇ましいかを有権者にアピールする為だけに、全人類を滅ぼす覚悟が有ります」と言っているも同然の内容のリズ・トラスのトンデモ発言や、「核の応酬の恐怖による核抑止は最早過去のものだ。我々は核戦争を戦って勝つことが出来る」と宣言しているペンタゴンの方針をこそ、先ず真っ先に非難すべきではないのか。
挑発を行っているのはG7サミットで雁首揃えたNATOマフィアの連中の方だ。自分達が相手に対してやっていることやその意味を殆ど、或いは全く報道せずに、それらに対する相手のリアクションだけを取り上げて、文脈から切り離して「挑発されざるアクション」として描くことによって相手を悪魔化するのは、ロシアに限らず、帝国主義勢力の標的となった国々に関してよく使われる手口だ。
最も典型的なのが1962年のキューバ危機だ。これは西洋のプロパガンダに於ては、ソ連がキューバにミサイルを置こうとしたことから始まったことになっているが、時系列的には米国がトルコにミサイルを置いた方が先だ。だから「キューバ危機」は実際には「トルコ-キューバ危機」なのであり、ワシントンは自分達が先に何をやったのかを国民に知らせないで、それに対する相手のアクションだけを問題視して「恐るべきソ連の核の脅威」をでっち上げたのだ。
恐ろしいことに、この危機から本当に学ばれるべきであった「緊張を緩和するのは更なる恫喝や威嚇ではなく誠意を持った対話である」と云う教訓が、今日のアメリカ帝国の軍産複合体によって全く学ばれていないと云う幾つもの兆候が見られる。世界を核による破滅に導きかねない可能性が最も高いのは、ロシアでも中国でもDPRKでもイランでもない、人類史上唯一核兵器を実戦使用し、その件について今だに謝罪も賠償も行っていないどころか、その後も50年で25回もの核挑発を行い、核戦争を起こすチャンスを始終窺って来た人類史上最悪のならず者国家、アメリカ帝国だ。
ロシアは歴史から学んでいる。ロシアは寧ろ自分達にも被害が出ることを承知の上で、2014年以来続くドンバス戦争を終わらせ、キューバ危機以上の核衝突のリスクと第三次世界大戦のシナリオを回避する為に戦ってくれている。だが、理性と良識の声は、戦争プロパガンダの掻き立てるヒステリーの分厚い障壁を突破するのが難しい。
歴代の日本の首相や政治家連中が、ヒロシマとナガサキに原爆を落とした国がどの国であるのかを完全に忘却している様に見えるどころか、寧ろこの加害者の標的となった他の国々を、加害者に言われるが儘に非難している現状には、呆れ果てるしか無い。日本国の政府は大日本帝国政府が行った犯罪の数々について碌にごめんなさいも言えないが、自分達が加害者であるケースだけではなく自国民が被害者であるケースについてすら、その責任の所在をはっきり指摘出来ないのだ。お飾りとは云え仮にも最高責任者であった筈の昭和天皇や、巣鴨に収容されたA旧戦犯達の誰一人として、自分達の責任を認めようとはしなかったが、この「責任の所在がはっきりしない」と云う症状は、今日の日本の偽善的極まり無い自称平和主義や反戦運動にも深く染み付いている。
私は子供の頃から、「過ちは繰返しませぬ」と云う、5W1Hのはっきしない曖昧なポエムが大嫌いだと云うことは以前にも述べたが、次の核兵器使用を止めたければ、5W1Hを明確に言語化しなければ駄目なのだ。被爆者の体験を語り継ぐことが次の戦争防止に繋がる? そりゃあ被害者達の体験の記憶を風化させないことは無論重要だろう。だが原爆を落としたのは被爆者達ではない。被爆者達が何を感じ、何を思ったのかを100年語り継いでみたところで、実際に核兵器を実戦使用した加害者達が何を考え、何を目指していたのかを理解することは不可能だ。加害者達を止めなければ、次の核使用は防げない。その点で被害者の体験談が達成出来るのは精々情動や感想の伝達であって、自分の情動を一生懸命周囲に訴えれば周囲の者達が何とかしてくれる、と云うのは赤ん坊にだけ許されることだ。大人なら、「天皇の赤子」の身分の甘んじていてはいけない。自分の頭で情報を精査し、「戦争の最初の被害者」である真実に、自力で辿り着かねばならない。
本当に戦争に反対したい人が先ずすべきことは、大政翼賛メディアをシャットアウトして、正しい情報にアクセスする為の試行錯誤を繰り返すことだ。今の日本の自称平和主義や反戦運動には、決定的にこの作業が欠けている。被爆者の体験談を聞くのは結構。だがそれだけでは駄目なのだ。ポエムを詠むなとは言わない。だがそれは、例えば先日亡くなったダニエル・エルズバーグの著書の読書会でもやってからの話でないと、意味が無いのだ。「日本には安全保障面に於て真の主権は存在しない」と云う現実を先ず直視しないことには、核廃絶条約署名など夢のまた夢でしかない。現実を無視した願望だけでは世界は変えられない。
G7の共同声明が素晴らしい? だが今言った様に全世界を核の脅威に曝そうとして来たのは他ならぬこいつらだ。ワシントンはこの後キエフにF-16戦闘機を提供して、核危機のリスクをぐんと高めている。ふざけるな、G7の共同声明は、自分達だけが核を独占して世界中どの国でも好きな様に脅迫出来る様になりたい、と云う恥知らずな野心の表明だ。こんなものが何で平和に繋がるものか。
式典にロシアを招かない、と云う広島当局の決定は、私には愚かさと無知の表れとしか思えない。何故なら、2発の原爆の本当の標的は、日本ではなく、ソ連だったからだ。ウラン型とプルトニウム型、2つの原爆投下は、第二次世界大戦の終わりを告げる弔鐘ではなく、ソ連との間の新たな戦争の開始のゴングだった。なのに反省の色ひとつ見せない加害者を招待しておいて、本当の被害者をハブると云う当局の判断は、原爆投下の地政学的な意味合いを全く理解していないのではないかと云う疑念を抱かせる。
同じく「核の脅威」が喧伝される対象としてはDPEK(朝鮮民主主義人民共和国)が挙げられるが、こちらの状況に似た様なものだ。1945年以降朝鮮半島の南半分を軍事占領し、反民主主義的な傀儡政権を作って属国として支配して来して長い戦争を戦わせて来たアメリカ帝国は、今また7月に原潜を1981年以来初めて、釜山港に入港させ、軍事的挑発をエスカレートさせている。ROK(大韓民国)と日本は共に欧州諸国と同じで、米軍の核基地と化しているのだが、過去に実際にDPRKに対して核兵器の使用を検討したことの有る世界最悪のならず者国家が、自国周辺に200もの軍事基地を展開し、そこに核兵器まで配備していたとしたら、その状況はDPRKの人々の目にはどう映るだろうか。自国の存亡や自分達の生命に直接関わる脅威に決まっている。朝鮮半島の人々は1950〜53年の戦いで人口の5人に1人にも上る可能性の有る数の同胞を亡くしているが、相対的比率で言えば、これは日本の原爆投下など比較にならぬ程強烈な歴史的トラウマを植え付けている筈だ。しかも米韓は毎年2度以上の大規模軍事演習を行っているが、傍から見れば、これは本当に演習なのか、偽装した侵攻作戦の前段階なのか区別が出来ない。DPRKのミサイル1発に日本人が怯えるなら、DPRKの人々はそれより遙かに怯えている筈だ。そしてDPRKは外交交渉にはワシントンの度重なる裏切りによって徹底的に不信感を抱いている。ならば核で武装する以外に、自分達の身を守る為の確実な方法が存在するだろうか? 核を持たなかったイラクや核を放棄したリビアがどうなったか、世界中の人々が知っている。
DPRKのやっていることもまたロシアやベラルーシと同じく抑止が目的であり、挑発しているのはこちらの方だ。DPRKの方から核による挑発なんかやったところで、それは自殺行為以外の何物でもない。「悪の枢軸」と云うワシントンの言い分に正当性を与えて、侵略再開の口実を与えてしまうだけで、いいことなど何ひとつ無い。「北朝鮮のミサイルが飛んで来るかも!」と本気で信じている人達は、一体全体DPRKにはそんなことをするどんな理由が有ると思っているのだろう? 口を酸っぱくして言いたいが、日本人はもう少し、世界的に見たら自分達の国が明治以降、一貫して加害者サイドに居ると云う事実を念頭に置いておくべきだ。そして大手メディアは問題の一部であって、問題を指摘する立場ではないと云うことも忘れてはいけない。
未来有る若者達を、「お国の為に死んで来い」と無益な戦場に送り出す様な無責任な人間になるのは、実際非常に簡単だ。権力者達から言われたことに疑問を持たなければ良いだけの話だ。子供達の前でマスクを着けることも、子供達に遺伝子ワクチンを打たせることも、ロシアを絶対悪として憎むことも、どれも本質的には同じで、違いは程度問題だ。日本人は愚かな過去の歴史から教訓を学んだことを全世界の前で証明することに、またしても大失敗した。日本人は歴史から学ばないと云うことを、思考停止した連中は寧ろ堂々と誇って見せる。だが憎めと命じられた敵を言われた儘に虚偽の世界観に基付いて憎むことは、真の平和主義や反戦運動とは真逆のものだ。恥を知れと言いたいが、疑問を持たない連中はそもそも何を恥じるべきなのかを理解していない。洗脳が解けるには次の玉音放送が必要になるのだろう。
繰り返すが、戦争に本気で反対したかったら、先ずは戦争プロパガンダの嘘を見抜かなければ意味が無い。戦争プロパガンダを受け入れた上で戦争反対を叫んでみたところで、それは所詮表面的なものにしかならないし、認知戦が展開されている状況では、自分では戦争に反対しているつもりで、実際には戦争を支持することになる。それは途方も無く間抜けで偽善的だ。戦争に反対するなら感情よりも先ず頭を動かせと言いたい。
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