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敵とは誰のことか?———シオニズムの正体

2014/08/04のティエリー・メイサン氏の記事。冒頭の導入部分だけは時事的な話なので省略し、人名等はWikiリンクを追加した。シオニズムの歴史とその偽善(アラブ諸国の偽善を含む)を17世紀まで遡って解説している。物質的欲望と結び付いた宗教的イデオロギーが、英、米、イスラエルの植民地事業を一本の線で繋いでいる。

 大英帝国とアメリカ帝国とを切り離して考えるのではなく、連続したひとつの実体として捉えると云う歴史観は、「世界を支配しようとするこの人類史上最大最悪の帝国システムを真に動かしているのは誰なのか?」と云う問題を扱う著者達の間で人気が有る様で、メイサン氏の視点も仲々興味深いものだと思う。
Who is the Enemy?




 ………この紛争をユダヤ人とイスラム教徒との間の宗教戦争と解釈する著者も居れば、寧ろ典型的な植民地主義のパターンに基付く政治戦争と見る者も居る。我々はどう考えるべきだろうか?



 シオニズムとは何か?

 17世紀半ば、英国のカルヴァン主義者達はオリヴァー・クロムウェルの周囲に結集し、信仰と、体制のヒエラルキーを疑問視した。

 英国国教会の王政を打倒した後、「護国卿」は英国民が7年間の苦難を乗り越え、キリストの再臨を迎え、千年間彼と共に平和に暮らす(「千年王国」) 為に必要な道徳的清らかさ(moral purity)を達成することを許そうとした。

 彼の聖書解釈に拠れば、これを行うにはユダヤ人は地の果てまで離散させられ、その後パレスチナに再集結してソロモン神殿を再建することになっていた。

 これに基付いて彼は清教徒体制を確立し、1656年にユダヤ人が英国に定住することへの禁令を撤廃し、英国がパレスチナにイスラエル国家を創設することを約束したと宣言した。

 クロムウェル派は「第1次イングランド内戦」の終わりに打倒され、彼の支持者達は殺害または追放され、英国国教会の王政が復活した。

 シオニズム(つまり、ユダヤ人の為の国家創設案)は放棄された。

 それは18世紀に「第2次イングランド内戦(英国の学校歴史教科書に拠ると)」と共に再び現れた。これは世界の他の国々では「合衆国独立戦争」(1775〜83年)として知られている。

 一般に信じられていることとは反対に、それは数年後にフランス革命を鼓舞した啓蒙主義の理想の為に行われたのではなく、フランス国王から資金援助を受け、「我らの王はイエスだ!」と叫ぶ宗教的な理由で行われた。

 数名挙げるだけでもジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンが、オリヴァー・クロムウェルの亡命した支持者達の後継者として自らを位置付けた。

 米国は必然的にシオニスト計画を再開した。

 1868年、イングランドではヴィクトリア女王がユダヤ人のベンジャミン・ディズレーリを首相に任命した。彼はクロムウェル支持者の末裔達に民主主義の分け前を与え、王権の権力を世界に拡大すべく、国民全員に頼ることが出来るようにすることを提案した。

 中でも彼はユダヤ人ディアスポラとの同盟を結び、それが帝国主義政策を率いる前衛部隊となることを提案した。

 1878年、彼は世界を新たに再分割するに際して、「イスラエルの復興」をベルリン会議の議題に載せた。これに基付いて、シオニストの英国は「第3次イングランド内戦」の終結時に、アメリカ合衆国となった旧植民地との良好な関係を回復した。この内戦は米国では「アメリカ南北戦争(American Civil War)」、大陸ヨーロッパでは「内戦(Civil War)」として知られ(1861〜65年)、クロムウェル支持者の後継者達であるWASP(White Anglo-Saxon Puritans/白人アングロ・サクソン清教徒)が勝利を収めた。

 念を押しておくと、北部の5州が依然として奴隷制を実施していたにも関わらず、この紛争を奴隷制に対する闘争として描くのは全く以て間違っている。

 であるから19世紀末近くまで、シオニズムはユダヤ人エリートだけが支持する清教徒アングロ・サクソンのプロジェクトに過ぎなかった。トーラーを政治計画ではなく寓話として解釈するラビ達は、シオニズムを強く非難している。

 これらの歴史的事実の結果としての現在に於て、我々は、シオニズムがユダヤ人の為の国家の創設を目指すのであれば、それは米国の基盤でもあることを認めなければならない。

 従って、政策決定が全てワシントンで行われるかテルアビブで行われるかと云う問題は、相対的な関心事に過ぎない。両国で権力を掌握しているのは同じイデオロギーなのだ。

 更に、シオニズムはロンドンとワシントンとの和解を可能にしたが、世界で最も強力なこの同盟に取り組むのは一仕事だ。



 アングロ・サクソン・シオニズムに対するユダヤ人の支持

 今日の公式の歴史では、17〜19世紀の期間を無視して、テオドール・ヘルツルをシオニズムの創始者として紹介するのが通例となっている。

 しかし、世界シオニスト機構の内部出版物に拠ると、これもまた誤りだ。現代シオニズムの真の創始者はユダヤ人ではなく、キリスト教のディスペンセーション主義者(dispentionnaliste)だった。

 ウィリアム・E・ブラックストン牧師は、真のキリスト教徒は時の終わりの裁きに参加する必要が無いと説いた米国の説教者だった。彼は、真のキリスト教徒は最後の戦い(「教会の携挙(rapture)」)の間に天国に連れて行かれると教えを垂れた。彼の見解では、ユダヤ人はこの戦いを戦い、同時にキリストに改宗して勝利を収めて出て来ることになっていた。

 ブラックストン牧師の神学こそが、ワシントンがイスラエル建国を揺るぎ無く支持する基盤となった。そしてこれはAIPAC(親イスラエル・ロビー)が創設され、議会を支配するずっと前の話だ。現実にはこのロビーの力は、その資金や、選挙運動に資金提供する能力から来ているのではない、米国にまだ存在しているこのイデオロギーから来ているのだ。

 携挙の神学は、今日では馬鹿げている様に見えるかも知れないが、米国では非常に強力だ。これは図書館や映画館での現象にもなっている(ニコラス・ケイジ主演の映画『レフト・ビハインド』を参照)。

 テオドール・ヘルツルは、ダイヤモンド王セシル・ローズの崇拝者だった。ローズはイギリス帝国主義の理論家で、南アフリカ、ローデシア(彼の名に因む)、ザンビア(旧北ローデシア)の創設者だ。

 ヘルツルは敬虔なユダヤ人ではなく、息子に割礼を施していなかった。当時のヨーロッパのブルジョアの多くと同様に無神論者だった彼は、先ずユダヤ人をキリスト教に改宗させて同化させることを主張した。

 しかし彼はベンジャミン・ディズレーリの理論を取り入れ、現在のウガンダやアルゼンチンにユダヤ人国家を創設し、ユダヤ人を英国植民地主義に巻き込むのが最善の解決策だと云う結論に達した。

 彼はローズの例に倣い、土地を購入してユダヤ機関を設立した。

 ブラックストンはヘルツルを説得することに成功し、ディスペンセーション主義者の関心を植民地主義者の関心に結び付けた。その為には、パレスチナにイスラエルを建国し、聖書からの引用を増幅させることを考えるだけで十分だった。

 この単純なアイディアのお陰で、彼等はヨーロッパのユダヤ人の大半を自分達の計画に引き入れた。

 今日、ヘルツルはイスラエル(ヘルツル山)に埋葬されており、イスラエルはその棺の中に、ブラックストンが彼に贈った注釈付き聖書を収めている。

 シオニズムの目標はこの様に、「ユダヤ人に家を与えて救う」と云うものであったことは一度も無く、彼等を結び付けることによってアングロ・サクソン帝国主義の勝利が目指された。

 更に、シオニズムはユダヤ文化の産物ではないだけでなく、シオニストの大多数はユダヤ人ではなかったし、ユダヤ人シオニストの大多数は宗教的なユダヤ人ではない。

 イスラエルの公の言説では至る所に聖書からの引用が見られるが、それは国の信仰深い部分の考えを反映しているに過ぎず、その主な目的な米国民を納得させることだ。



 パレスチナにイスラエルを建国する為のアングロ・サクソン協定

 パレスチナにユダヤ人国家を創設すると云う決定は、英国と米国の政府が共同で行った。

 これは「中東」を分割する英仏のサイクス・ピコ協定を受けて、ブラックストン牧師の支援の下、米国最高裁判所初のユダヤ人判事ルイス・ブランダイスによって交渉され、ウッドロウ・ウィルソン大統領とデヴィッド・ロイド・ジョージ首相の両者によって承認された。

 この協定は徐々に公のものとなった。

 後に植民地大臣となるレオ・アメリーは、「シオンの羊軍団(Zion Mule Corps)」の長老達を取り纏め、2人の英国工作員、ハイム・ヴァイツマンゼエヴ・ジャボチンスキーと共に、英国軍内に「ユダヤ人軍団(Jewish Legion)」を創設する任務を負った。

 外相のバルフォア卿は、ウォルター・ロスチャイルド卿に公開書簡を送り、パレスチナに「ユダヤ人の民族的祖国(Jewish national home)」を創設することを約束した(1917/11/12)。

 ウィルソン大統領は公式の戦争目標の中にイスラエルの建国を含めた(1918/01/18に議会に提出された14項目の内の12番目)。

 従ってイスラエル建国の決定は、20年後の第2次世界大戦中に起こったヨーロッパのユダヤ人の殺戮とは何の関係も無い。

 パリ講和会議中の1919/01/13、ファイサル首長(メッカのシャリフの息子で、後の英領イラクの国王)はシオニスト組織との協定に署名し、アングロ・サクソンの決定を引き続き支持することを誓約した。パレスチナの人々に反して行われたイスラエル国家の創設は、であるからアラブの君主達の同意を得て行われた。

 それに加えて当時、メッカのシャリフ、フセイン・ビン=アリは、ハマスの様にクルアーンを解釈してはいなかった。彼は、「イスラム教徒の土地は非イスラム教徒によって支配されてはならない」とは考えていなかった。



 イスラエル国家の法的設立

 1942年5月、シオニスト組織はニューヨークのビルトモア・ホテルで会議を開催した。参加者達は、パレスチナの「ユダヤ人の民族的祖国」を「ユダヤ人コモンウェルス(Jewish Commonwealth。クロムウェルが短期間英国の君主制に置き換えたコモンウェルスに倣っている)」に変え、パレスチナへのユダヤ人の大量移住を認めることを決定した。

 秘密文書には、3つの目標が記されていた。

 1)ユダヤ人国家はパレスチナ全土と恐らくトランスヨルダンを包含する。
 2)イラクのアラブ人を追放する。
 3)ユダヤ人が中東全域の開発と経済管理の部門を掌握する。

 参加者の略全員が、「ユダヤ人問題の最終解決(die Endlösung der Judenfrage)」がヨーロッパで密かに開始されたことに気付いていなかった。

 最終的に、英国にはユダヤ人とアラブ人の両方を満足させる方法が分からなかったが、国連(加盟国は当時僅か46ヵ国)は英国が示した指示に基付いてパレスチナを分割する計画を提案した。これはユダヤ人国家、アラブ国家、そして聖地(エルサレムとベツレヘム)を管理する「特別な国際体制下の」地域を含む二国家(A binational state)を創設すると云うものだった。この計画は国連総会の決議181によって採択された(1947年)。
 
 交渉の結果を待つこと無く、ユダヤ人機関のダヴィド・ベン=グリオン大統領はイスラエル国を一方的に宣言し、米国がそれを直ちに承認した。

 イスラエル領内のアラブ人は戒厳令下に置かれ、移動は制限され、パスポートは没収された。

 新たに独立したアラブ諸国が介入したが、彼等は軍を組織すること無く、速やかに敗北した。

 戦争中、イスラエルは民族浄化を進め、少なくとも70万人のアラブ人に逃亡を強いた。

 国連は、戦争中に何千人ものユダヤ人を救ったスウェーデンの外交官、フォルケ・ベルナドッテ伯爵を仲介者として派遣した。彼は英国当局が提供した人口統計データが偽物であることを発見し、パレスチナ分割計画の完全な実施を要求した。

 しかし決議181は、追放された70万人のアラブ人の帰還、アラブ国家の創設、エルサレムの国際化を求めている。

 国連特使は、後に首相となるイツハク・シャミルの命令により、1948/09/17に殺害された。

 国連総会は激怒して決議194を採択した。これは決議181の原則を再確認し、更に、パレスチナ人が故郷に戻って受けた被害に対する補償を受けると云う、奪うことの出来ない権利を宣言するものだった。

 しかし、ベルナドッテの殺害犯達を逮捕して裁判に掛けて判決を下したイスラエルは、決議を尊重すると云う約束で国連への加盟を認められた。

 だがそれは全て嘘だった。その直後、暗殺者達は恩赦を受け、銃撃者はダヴィド・ベン=グリオン首相の個人的なボディガードになった。

 イスラエルは国連加盟以来、総会と安全保障理事会で積み上げられた数々の決議に違反し続けている。拒否権を持つ常任理事国2国と有機的に繋がっている為、イスラエルは国際法の枠外に居る。イスラエルは米国と英国のオフショア国家となり、両国は国際法を尊重している振りをしながら、この疑似国家を通じて自ら国際法を侵害している。

 イスラエルが齎す問題が中東だけの話だと考えるのは完全に間違っている。今日、イスラエルは世界の何処であろうと軍事行動を起こし、アングロ・サクソン帝国主義に隠れ蓑を提供している。

 ラテンアメリカでは、イスラエルの工作員達がウゴ・チャベス(ヴェネズエラ大統領)に対するクーデター(2002年)やマヌエル・セラヤ(ホンジュラス大統領)の打倒(2009年)の際に弾圧を組織した。

 アフリカでは、彼等は大湖沼戦争(コンゴ戦争)中に至る所に現れ、ムアンマル・カダフィの逮捕を組織した。

 アジアでは、彼等はタミルの虎の襲撃と殺害(2009年)等を主導した。

 毎回、ロンドンとワシントンは、自分達は関与していないと誓っている。

 それに加えてイスラエルは多くのメディアや金融機関(米国連邦準備制度等)を支配している。

  

 帝国主義に対する闘争

 ソ連が解体されるまで、イスラエルの問題が帝国主義に対する闘争から生じたことは誰の目にも明らかだった。パレスチナ人は世界の反帝国主義勢力の全てから支援を受けていた———これには彼等と共に戦う為にやって来た日本赤軍のメンバー達まで含まれていた。

 今日、消費社会のグローバル化とそれに伴う価値観の喪失は、ユダヤ国家の植民地的性格に対する意識の喪失を促進した。

 懸念しているのはアラブ人とイスラム教徒だけだ。彼等はパレスチナ人の苦境に共感を示すが、世界に於けるイスラエルの犯罪は無視し、他の帝国主義的犯罪には反応しない。

 しかし1979年、アヤトラ・ルーホッラー・ホメイニはイランの信者達に、イスラエルは帝国主義者達が操る傀儡であり、唯一本物の敵は米国と英国の同盟であると説明した。この単純な真実を述べた為に、ホメイニは西側では戯画化され、東側ではシーア派は異端者として描かれた。

 今日、イランはパレスチナ抵抗勢力を支援する為に大量の兵器と顧問を送っている世界で唯ひとつの国だ。他方シオニストのアラブ諸国政権は湾岸安全保障会議の会議中に、イスラエル大統領とビデオ会議で愛想良く議論している。
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川流桃桜

Author:川流桃桜
一介の反帝国主義者。
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