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晴れのち曇り時々雪の金井中興まち歩き(夕虹会)

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掘記念能楽堂

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晴れのち曇り時々雪の金井中興まち歩き(夕虹会) ※クリックで再生

 夕虹会の令和6年度を締めくくりは金井中興まち歩きでした。この日はタイトルのとおり晴れのち曇り時々雪の空模様でしたが、ダン渡辺氏の機知に富んだガイドで時々滑りそうになりながらも楽しく充実したまち歩きとなりました。

 ★印の解説および資料は渡辺和弘氏から提供頂きました。

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★堀治部・愛子夫妻顕彰碑
明治39年生。新穂本間医院次男、堀家の養子。東京で耳鼻科医院開業。子供なく、東京の医院、金井の所有地等全財産を金井町に寄贈、後者は堀記念金井能楽堂。

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★金井町名誉町民顕彰碑
掘夫妻・桑原義泰・浅島誠・秋山庄太郎碑

★浅島誠
昭和19年、金井千種生。生物学者。東京大学名誉教授。一貫して生物発生学研究、アクチビンを世界初同定。この研究はノーベル賞受賞となった山中伸弥教授のiPS細胞が発見の布石。

★桑原義泰
大正2年、金井新保生。日本画家、晩年は白梅紅葉を描く。作品は国内のみならず海外でも褒章。長く東北電力に勤め、37歳で恩田耕作の弟子。耕作は土田麦僊の弟子筋。平成20年没、96歳。

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★秋山庄太郎
近藤福雄賞の審査委員長を長きに亘って務められた。


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御井戸庵入口


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★御井戸庵
日蓮支援者の中興入道の遺跡。日蓮の霊験により掘られ、この水で墨をすり「勧心本尊抄」を書いた。日蓮が経文を唱える時、蛙がうるさいので「うるさい・だまれ」と叱った後、蛙は鳴かなくなった。「蛙不鳴の澤の石碑有。

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★妙経寺
塚原問答で入信した中興入道が自身の邸に建立した法華堂が起源。その後、佐和田に移転、妙経寺に。
・日蓮門弟、大和坊の法華堂跡で、中興入道御廟所(墓)がある。
・現御堂は平成9年、信者の寄進で建て替え。
・井戸水で目を洗うと眼病が治るおtの伝承有。

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長嶋俊介氏と渡辺和弘氏

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★筆塚
書家藤村中堂の薫陶を受けた愛弟子達が、昭和61年、藤村書道塾の庭に建立。

★藤村中堂
県展で無鑑査第一号、その後、県展参与。若い頃には日展連続入選、県展連続8回入選等を果たす。教員として島内の学校で教鞭をとり、42歳で佐渡病院勤務。書道に精励し、書道指導者として島内各地やハワイ大学でも指導した。


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★西蓮寺
・真宗大谷派
・本願寺第三代覚如上人より法流を受けた地頭本間有綱が元亨3年(1323年)に開基、後に西蓮寺の寺号。
佐渡の真宗寺院では兄弟寺といわれる立蓮寺と並び最古の由緒ある寺院。現在の本堂は平成13年に火災で焼失、平成16年に再建。

・本願寺派 西本願寺 京都市 約10,500寺 龍谷大学
・大谷派  東本願寺 京都市 約 8,900  大谷大学
・他に8派:内、最大が640寺

・浄土宗 大正大学
・日蓮宗 立正大学
・曹洞宗 駒澤大学
・真言宗 専修大学
・創価学会 創価大学

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興源院

★興源院
天正17年(1589)、上杉景勝佐渡攻めの時、上杉に内通して佐渡の本間家を滅ぼした本間左馬之助の建てた城跡にある寺。左馬之助の子永州は上杉家家臣となり会津、米沢に移住。左馬之助は中興台地の多くを水田化。子孫が本間権左衛門、本間権右衛門家。前者は東京理科大名誉教授、後者は国立天文台教授でブラックホール撮影に世界で初めて撮影した本間希樹。

★鈴木白鶴
御古流生け花や加賀宝生流宗匠。本名、鈴木惣次右衛門。

★御古流
京都桂の宮家花務職の白竜(藤原吉宣)が相川で指導。家元死後、白鶴が継ぎ、荒貴隆快-才快(もとよし 白晶)と繋がり、その死後家元が決まらぬまま。生花を活花と呼ぶ。御古流の特徴は「花材を矯める技術」で水引を結ぶ技となる。
※矯める:悪いものをよくする。矯正する。木・竹などをあぶったり濡らしたりして、曲がっているのをのばし、また、まっすぐなのを曲げて、形を整える。

★本間芳和
応用物理学者(ナノテクノロジー)、東京理科大名誉教授。金井中-佐渡高-東北大。
本間権左衛門子孫。権左衛門家は天正17年の上杉景勝佐渡攻めの時に、上杉に味方した沢根本間氏の子孫で中興に領地を得た。曹洞宗興源院は本間家が建立。

★本間希樹
世界で初めてブラックホール撮影に成功。水沢の国立天文台所長。1971年アメリカ生、神奈川県育ち。東京大博士課程修了博士。中興、本間権右衛門家の人。

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★中興神社
 佐渡狛犬を含む二対の狛犬と一体のライオンが棲息。
 境内社:弁財天社、更正殿
 由緒:天長元年(824)の勧請、江戸時代までは北山権現。明治維新後、中興神社と改称。古代、島内第一峰の金北山(古称・北山)が自然信仰の対象。金北山麓の村には里宮が数社。

★植田五之八顕彰碑
 安政元年(1854)-明治44年(1911)。上矢馳の佐々木家五男に生まれ、中興村植田六右衛門に養われ、娘と結婚し独立。近代農法の研究と普及に努めた。その後佐渡農会の設立に奔走し、深井郡長らと協力し佐渡郡農会堂を設立。ここを佐渡全島の農業技術改良の中心とした。この外、佐渡牧畜会社設立発起人、県会議員に当選、金沢村信用組合を創設し初代組合長に就任。佐渡の農業発展の中心となって活躍した。

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★更生殿
元は農業試験場に。
農村不況から更生する精神的支柱。農村更生の守り本尊。

★農民道場
・農民魂に徹した農村の中堅青年育成を目指す。
・昭和17年、佐渡修練農場。
 新潟県の草分けで、全国の先駆的農場の一つ。


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世尊院

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★植田旅館
植田六右衛門家。文化年間(1804~)より旅人宿。その後、六十郎が酒造業、郵便事業、運送業などに手を伸ばす。その後、分家の上田五之八家が引き継ぐ。上田五一郎は両津で植田病院。新潟市の植田旅館(中川苗字)は中興植田旅館の番頭さんが新潟でのれん分け。

★taneCREATIVE株式会社
佐渡市で2012年に起業したIT企業。WEBサイトの制作・管理・運営。業務最先端の技術を武器に日本一のWEB制作会社を目指している。
(会社概要)
代表取締役 榎崇斗 
従業員数(金井+佐和田) 37名 
業務内容 SEOコンサルティング、WEBサイトの制作・管理・運営業務、業務用基幹システムの構築、サーバの運営及び管理、インターネットのホームページでの広告、WEBサービスの販売・運営、デザインに関係する各種制作業務

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★川辺時三碑
1862(文久2)、千種西方村生。川辺家は河原田で薬店・津の国屋を営み、西方村に。以後は医師を業。最初は植田医院の一角。時三は、明治15年、新潟医学校卒。同20年に眼科医となり、中興で開業。医術の他、芸能・美術・造園に造詣、設計の庭園は村内にみられる。大正9年、柳田国男の訪問、その翌年民謡団体「あらなみ会」結成、佐渡を全国に紹介。野卑な歌詞にかわる新作民謡の募集、土産物の研究・加茂湖の売り込みに尽力。今日耳にする佐渡おけさの多くの歌詞は、そのときの応募作。時三は薬局を手伝っていた山崎直吉を、妹ヤスとめあわせ医師にし、直吉はのちに相川で、妹ヤスの夫は相川で婦人科医川辺医院を開業。時三の四男は父業を継ぎ、子孫は栃木県在住。山路屋旅館前の顕彰碑は昭和32年建立。

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 昼食は佐和田のいわみ亭で祝い鶴の折り方を教わりながら天ぷら蕎麦を戴きました。

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初秋の羽茂大崎を歩く(夕虹会)

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初秋の羽茂大崎を歩く(夕虹会) ※クリックで再生


 10月12日に夕虹会の会員17名で羽茂大崎を歩いてきました。今回のコースは大崎活性化センターから徒歩で大滝楽舎へ。大滝楽舎は廃校になった大滝小学校を活用した非営利の地域活性化・移住促進交流施設でここの2階では郷土資料展示室になっていて、この施設を管理している葛原正巳さんから流暢な羽茂弁で佐渡の歴史や伝統を解説してもらうことができました。

 大滝楽舎から車で15分ほど山道を走ると犬落し集落入口に到着。そこから山道を約5000歩歩いてしめはり山荘に。しめはり山荘では主の柳平潤一さんから山賊料理をご馳走になりました。山賊料理というのはむかご飯と自然薯汁と山賊汁の組み合わせで、名前とは裏腹の上品で健康的な料理だと思いました。

【大崎活性化センター】

 大崎活性化センターの駐車場で引率のダン渡辺さんが羽茂大崎について「羽茂の大崎のメインストリートっていうかね、大崎は最近いろんなことで注目さ れてましてね、新しい移住者が多くて、元モデルだったり元小説 家だったり、芸能関係だったり、鼓童崩れとかね、そんな人が結構ここに住みつい てます。

 大崎で有名なのは、まずちょぼくりという店、食堂だっ たり蕎麦屋だったり、そしてその表のところに佐渡中から若い人が列をなすというたがやすどうというドーナツ屋さんがあります。
 
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ちょぼくりの家

 それから最近注目を浴びてるのがニカラって 本屋です。出版関係者の若いお嬢さんが経営しとる店で、この店はあの自分の 好きな本だけやってて、そこに行ってその店主の若いお嬢さんと まあの文学や読書についてね話し合って人間関係を築くという、そういう店ですね」などと持ち前のジョークを交えながらいろいろガイダンスしてくれました。

【長塚節の碑】

 大崎活性化センターの駐車場の片隅には長塚節の碑があったので「長塚節は明治39年、30代の頃に小木に泊まって、佐度島を回って佐渡島という小説を書いて、それが登竜門になって大作家に なるのですが、その時この大崎集落にフラリとやっ てきて長塚節所縁の集落となっています」と、説明をしていました。

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長塚節の碑

【文弥人形の碑】

 大崎樂舎へ向かう途中、文弥人形の碑があったので、ダンさんが「大崎松之助さんって人なんですね、この方の謡とそれから沢根の盲目の人形芝居をやってた人との2人のコラボレーションで佐渡の文弥人形が始まったと言われてい ます」と紹介していました。

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大崎屋松之助の碑(案内板)

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大崎屋松之助の碑

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羽茂川

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ハザ木の蕎麦

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民家の外壁

【大滝楽舎】

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大滝楽舎の遠望

  大滝楽舎に到着すると、ダンさんが中に入る前に正面玄関でガイダンスしてくれました。

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ダン渡辺さんのガイド

 真野から小木線と羽茂線があって、普通の場合ね、今日はショートカット、近道で来まし たけど、あの羽茂にまず着いて、羽茂から渡津神社に向かいます。海岸線で 無くて渡津神社に向かうっつのはちょっと山の方ですね。渡津神社に向かうバスっていうと渡津線で渡津神社を過ぎて、その次大崎という山の集落があって、でもう少し行ったところに滝平っていう集落があります。

 で、その次にもう赤泊になって、下川茂になって、そして 下川茂小学校、あ川茂小学校とかっていうのがありましたね。大滝楽舎は元々小学校でした。大は大崎、滝は滝平、廃校になってからは、ダンさんと同年代の葛原正巳さん達を中心に、大滝楽舎の二階に民俗博物館を設置し公開しています。

 大滝楽舎には大阪から移住してきた人がオケサドコーヒーという名前で、ネットで日本中にコーヒーを売ってたり、鎌倉出身のイラストレーターが佐渡に移住して、いろんなイラストを描いては、ネットで受注して販売しているようです。ここでは喫茶店もあって11時からやってますね、何人か交代交代で担当していた、今日はデザイナー喫茶店あの人が担当らしいです。

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大滝楽舎の山羊

 大滝楽舎の庭には凛々しげな山羊がいて、庭の草刈りを担当していました。

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大滝楽舎の一階にある民芸品の工房に入ると、葛原正巳さんから「どういう集まり?」と訊かれたので、「一応山歩き というか、街歩きグループで、あの一応若い人しかいないんです、見て分かるように ピチピチ、後ろピチピチ、腰の曲がったピチピチギャルはいないから」と答えていました。すると葛原さんは「いや本当にそうだ」と笑いながら納得していました。

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 葛原さんは、ダン渡辺さんと同年の昭和22年生まれで、この大滝楽舎で民族資料館の運営をする傍ら、土人形作りや、山野草の研究、植物の研究、楽器の製作をしているそうです。

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葛原正巳さん

 そんな葛原さんから直接話を伺うと「ま、今話してもった通りで、全く何でも屋で、体験学習のようなのも、他でできんようなのを頼まれてやったり、人形作りのような体験、コケ玉のような体験学習を頼まれてやったり、玩具作りも、凧作りの指導をやってほしいとか、それから塩作りの体験をやりたいとか、まあ体験学習も15、6種類はやっとるかな。

 あの初めて頼まれてやるようなのもやったりとか、あと学校関係の指導もやったり、総合高校の地域学というようのをやったり、あと11月に鼓童研修性の収穫祭ちゅうのがあって、これまで練習した芸を披露して、そうして自分たちで料理をご馳走してお茶会のをやるので、そのお茶の道具を作りたいって、この間、この周辺で粘土を自分たちで採るとこからやったり、機織りのようなのも、大阪からやりたいって来て1ヶ月位はおっとったかな。

 そんなのも世話もしたり、それから二階の民族資料の管理のようなこともやったり、そんな訳で
何でも屋で毎日やっとることも違う、大阪から子供たちが水田をやりたいってここの山の上に俺の田んぼがあって、そこで春来て田植をやって、この間は稲刈りに来てくれた。

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昔の精米機だそうです

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鼓童の研修生が作った陶器

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つり吉(葛原さん考案の動く玩具)

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製作途中の民芸品

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二階の踊り場にも展示品が

 東京の八王子から娘さんが来て、今そこに住んどって、そのお母さんが農業やりたいって、やっぱり2ヶ月ぐらいおったかな、そういう世話もしたり、そんな訳でとにかくな何でも屋で、なんかやってほしいちゅう時は言うてくれりゃやれることはやらしてもらいます」と話していました。

 大滝楽舎の資料館には明治、大正、昭和時代の古い写真や看板、生活用具、農業用具が宿根木の資料館と同じような形で展示してありました。

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花魁の写真

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文弥人形の首

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文弥人形の首

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肝油のホーロー看板

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乾電池のホーロー看板

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川上喚濤の書

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昔のラジオ

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川口屋旅館(松ヶ崎)の写真

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吉井尋常小学校の全校体操風景

羽茂大崎の山腹にあるしめばり山荘で山賊汁をご馳走になりました

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夕虹会の10月のトレッキングは、羽茂大崎の大滝学舎見学と犬落し集落入口から絞張集落までの山道コース。まだちょっと早いかなと思われる紅葉の山里風景を眺めつつ同行のおねえさんたちの世間話をBGM代わりに聴きながら歩いていたら、突然の俄雨に見舞われ道端の雑木の木陰で雨宿りしながら、約30分かけてようやくしめはり山荘に辿り着きました。

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 民放の人気番組ポツンと一軒家に登場してもおかしく無いような山小屋風の建物がありその周辺には黒御影に白い文字の句碑が建っていました。達筆な文字なのでたどたどしく読んでみたら「蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな」と書いてありました。この句は松尾芭蕉が伊賀路を旅していた時に詠んだ句だそうで、「遠来の客を迎えて、せっかく遠路はるばるお越しいただいたので新蕎麦でもてなしたいところなのですが、残念ながら未だ蕎麦は花の季節で食べる蕎麦は無理なので、代わりにこの美しく白いそばの花を味わってください」という意味なのだとか。

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 山道の反対側にも芭蕉の句碑がありましたが、達筆すぎて私には解読することが出来ませんでした。山荘に入るとまず目についたのがグリム童話に出て来るような西洋風の薪ストーブと、日本昔話そのままの自在鉤付の囲炉裏でした。たぶんいろんなお客さんが訪問することを予想して和洋取り揃えたしつらえにしたのかもしれないなあなどと想像しながら山荘の内部を見まわしていたら、奥の調理場の方からゴトゴトゴトという音が聴こえてきました。

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グリム童話に出て来るような薪ストーブ

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日本昔話そのままの自在鉤と囲炉裏

 山荘の中にはオーナーの柳平さんが描いた水彩画や手作りの楽器、クラシックなオルガンがそれぞれ勝手な方向を向いて置かれてありました。こんな山の中で絵を描き、楽器を奏で、散策し、腹が減ったら山菜を獲って調理じ、読書する。そんな優雅で贅沢な生活を柳平さんはしているのだろうなと思ったら羨ましくなってしまいました。

 そんな柳平さんのことを、佐渡には三人の稀人がいてその一人がこの柳平さんなのだと教えてくれました。あとの二人はここに来る前に羽茂大崎の大滝学舎で出会った葛原さんと真野の優遊亭の御主人なのだそうです。

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クラシックなオルガン

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名馬「ぬのひき」の図

 昔この地にぬのひきといういう名馬がいたという。この馬は2疋(ひき)の布を尾に結んで地面に付けずに走ることが出来る俊足の持ち主だったとか。ちなみに1疋は2反で1反は30尺、1尺は鯨尺で38cmなので2疋は45m60cmになると添え書きがしてありました。

 戦国時代に是非この馬を譲ってもらいたいと戦国武将が声をかけたが、馬主は丁重に断って・・・などと山荘のオーナーの柳平さんが教えてくれました。

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状差し

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 山荘の中を見物していたら、山荘のオーナーが「さあ出来ました」と声をかけてくれました。実は柳平さんはダン渡辺さんが山荘を訪問するということで山賊汁をご馳走すると約束していたそうで、同行の私たちもご相伴に預かることが出来ました。

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山賊汁とむかご飯と自然薯のとろろ汁

 ダンさん達は薪ストーブの脇にあるテーブルで食し、私は日当たりのよい縁側で少しばかり色付き始めた雑木林の景色を眺めながら山賊汁とむかご飯と自然薯のとろろ汁を頂きました。むかご飯というのは自然薯の蔓に付いている薯の種のことでこれをご飯に混ぜるて炊いたのがむかご飯で、わがやでも稲刈りが終わると新米に混ぜて炊いたりしています。

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 自然薯のとろろ汁もちろん美味しかったですが、問題の山賊汁ですが、私のイメージでは山賊という言葉の響きから鹿か猪か熊の肉でも入っているのか、もちろん佐渡には鹿も猪も熊も居ないので代わりに狢の肉でも入っているのかなと思いきや、おそらく山荘の近くで採取したと思しき茸や山菜と油揚の具で出汁をとった味噌汁で、これがまた周囲の景色と相俟って凄く美味しかったです。

 山荘の山賊汁やむかご飯を食べながら、これが本当の「ご馳走」なのかもしれないなと思いました。さっきの芭蕉の句じゃないけど遠来の客の為にむかごを摘んだり自然薯を掘ったり里のスーパーへ油揚げを買いに行ったり走り回って食材を誂え、手間暇かけてゴトゴトゴト自然薯をすりおろす。これ以上のご馳走は無い!と思いました。

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 山荘の中から「お代わりがありますから遠慮なくどうぞ」という声がしましたが、ザックの中にカミさんの弁当があったのを思い出し、これを食べて帰らねばあとで何を言われるかわからないと思いお代わりは諦めましたが、カミさんの弁当も大変美味しかったとこの場を借りて書き留めておきましょう。

 山荘の前で柳平さんを囲んで記念写真を撮って、いよいよお別れ、みんながそれぞれ「ありがとうございました」「ごちそうさまでした」「お世話になりました」と柳平さんに挨拶をしていたら、「ちょっと待ってて下さい。もうひとつ皆さんにお土産がありますから」と言いながら、山荘の庭の奥に立っているブナの木にするすると登っていくのでした。

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山荘の前で記念撮影

 あっけにとられながら木に登る柳平さんを眺めていると、もうこれ以上登れない梢近くで歌舞伎役者が見栄を切るようなポーズを決めて、またするすると降りてきました。隣から「お土産っていうから何か獲ってくるのかと思ったわ」と笑い声が聴こえてきましたが、このパフォーマンスが柳平さんの別れの挨拶なのだと直感しました。それにしてもなんて素敵な、なんて洒落た別れの挨拶なんだろうと思いました。だって80過ぎのおじさんが出来る挨拶じゃないですからね。

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柳原さんのパフォーマンス

 帰り道にもカエルやフクロウのオブジェが、我々に「また来てください」とか「気を付けて帰ってね」と言ってるかのように置いてありました。佐渡にこんな素晴らしい景色があって、素晴らしい人が住んでいるんだなあと思うと、まだまだ捨てたもんじゃないなと思うのでありました。

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暖冬の宮川と畑野まち歩き(夕虹会)

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暖冬の宮川と畑野まち歩き(夕虹会) ※クリックで再生

 2月10日にダン渡辺さん率いる夕虹会で畑野のまち歩きをして来ました。今回は順徳上皇に所縁のある寺院仏閣や旧跡巡り。一足早い春の陽気に包まれながらの楽しいトレッキングとなりました。

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畑野行政センター (集合)


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慶子皇女墓地


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日蓮碑(本行寺跡)


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一宮(いっくう)神社


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慶宮寺(けいぐうじ)


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ー慶宮寺八祖堂

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本間雅晴邸

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御食(みけし)神社

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本行寺

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本間雅晴碑

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安寿塚

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熊野神社

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何代の梅



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玉林寺



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昼食(@H(アッシュ)

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順徳院お妾さん碑



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法幢(ほうとう)寺

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千歳宮墓地



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三宮神社



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山本伝十郎家


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慶子皇女墓地で記念撮影

佐渡市沢根の旧道を歩いてきました

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佐渡市沢根の旧道を歩く(夕虹会) ※クリックで再生

 1月14日に夕虹会のメンバー13名で沢根の旧道を歩いてきました。今回は松本先生も参加してくださり「途中で姿が見えなくなっても捜索願は出さないでください」と言いながらも元気に歩いておられました。

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 今回のコースは沢根漁協駐車場を出発して宮田蘭堂家、励風館公園・青野季吉ペンの碑、本間琢斎家、松尾芭蕉荒波の碑・善宝寺、旧沢根小・沢根中跡(佐渡精密社)、白山神社を巡り沢根バイパスの海岸通りを帰って来ました。

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 今回もダン渡辺さんのコアなガイドでまた1つ脳みその皺が増えたような気分になりました。

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プロフィール

神蔵恵治

Author:神蔵恵治
佐渡カケスの瓦版にようこそ!

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