朝、目が覚めるとレースのカーテンから薄ぼんやりとした明るみが入って来ていた。空港からホテルに向かうバスの中で大矢さんと朝焼けの撮影会の約束をしていたのだが、飛行機が遅れたのと朝から小雨まじりだという天気予報だったので昨夜のうちにキャンセルが決まっていたのだ。
やっぱ、朝焼けは無理だったな・・・と思いながら携帯の時計を確かめると7:30になっていた。中国時間に合わせていなかったから、6:30ということになる。ベッドから降り窓際に立ってレースのカーテンを開くと、やはり湿っぽい雲が桂林の街を覆っていた。かなり重たそうな雲ではあったが、雨は降っていないようだった。
眼下にはどんよりとした曇り空をそのまま写しているかのような鉛色をした湖が横たわっていた。朝食の時刻にはまだ余裕があったので、ホテルの周辺を散策してみることにした。
桂林賓館の窓から眺めた桂林の朝
朝食の前にホテルの周辺を散策した
ホテルの正面玄関から、外に出ると駐車場に公安のパトカーが停めてあって、その近くに若い公安のお兄さんが立っていて、ホテルから出てきた私の方をジロジロ眺めていた。現地ガイドの柳さんが「中国は今、上海万博で警備が厳しくなっていますから、なるべくホテルの外には出ないほうがよいでしょう」と言ってたのを思い出し、この公安のお兄さんはこのホテルを警備しているのだな・・・と思いながら、私もその公安のお兄さんをジロジロ眺めていた。
公安のお兄さん
するとその公安のお兄さんは、先に私の方をジロジロ眺めていたくせに、急に厳めしい顔になって小走りで走り寄ってきたではないか。私は別に飲酒運転をしてないしスピード違反もしていなかったので、つまり当然身にやましいところなんて全然なかったので、走り寄って来る公安を平然と迎えたのだが、気持ちに焦りがあったのかもしれない。
公安のパトカー
「×△※□*@#$△・・・」と訳の分らない中国語でまくし立てる公安のお兄さんに、たぶん職務質問しているんだろうなとは思ったのだが、残念ながら私には「×△※□*@#$△・・・」という言葉の意味が解らなかったし、それに対応する言語を持ち合わせていなかったので、仕方がないのでカタコトの日本語で「アナタノ言ッテルコトワカリマセン」と応えた。
するとその公安のお兄さんは私が外国人であることが分ったらしく、さっきの「×△※□*@#$△・・・」という中国語をゆっくりと話してくれた。ところが「×△※ □*@ #$△ ・・・」と、ゆっくり話してくれても2日前に新潟空港を飛び立ってきたばかりの善良な日本人観光客の私には、理解できる訳など微塵の欠片もなかった。先方の公安のお兄さんも私に対してこの先どのように対応すればよいのか解らないというような表情をしていた。
さすがの私もそろそろこの場を離れないと昨日見学した「欄亭碑」みたいに粉々に破壊されて漓江(りこう)に放り込まれるのかもしれないと思い始めるのだった。もしそんなことになったら適わないよな、カーネルおじさんの二の舞いじゃないかと身の危険を感じ、公安のお兄さんが彼の国の言葉でゆっくり話してくれたように、私も私の母国語でゆっくりと「ワタシ ニコンノカメラモッテ サンサク スル アルネ サイツエン」と言い残し、私の前で立ち塞がっている公安のお兄さんの脇を通り抜けようとした。
そんな私に公安のお兄さんは「×△※□*@ マズイベ!」と言うのだった。最初の方はよく解らなかったが、最後の方は確かに「マズイベ!」と言ったような気がした。私が「マズイベ?」と聞き返すと、彼は真面目な顔をして「ああ、マズイベ」と繰り返した。たぶん中国語で「マズイベ!」というのじゃ「気をつけて、行ってきてください」と言っているのだと理解して「アリガトウ」と言い残し、すみやかにその場を立ち去った。
10m位歩いたところで振り返ると「マズイベ!」の公安のお兄さんは、私が来る前に立っていたところに戻って何事も無かったようにホテルの正面玄関の方を向いて険しい表情で立っていた。私はあの公安は私に何を言いたかったのだろう、さっきのは一体なんだったのだろうと思ったが、また公安のお兄さんの気が変わって私を追いかけてくるといけないと思い、すみやかにホテルの駐車場を出て6m位の幅の道路を横断すると湖に沿った遊歩道を歩き始めるのだった。
遊歩道には緑鮮やかな植え込みが続いていて、ガジュマルやパパイヤのような南方の国に生えているような熱帯樹木や中国の景色には欠かせない柳の木が植えられてあった。そんな遊歩道を歩いているうちに、さっきまで私が湖だと思っていたのは、今日これから私たちが4時間の舟下りをする漓江(りこう)という河川だったのだ。
漓江が桂林の街を蛇行して流れているために、ホテルの窓から眺めた時には、その中のひとつの入り江が湖のようになって見えたのだということがわかった。
河辺の植込みの中にはいろんな石碑が建っていた
そんな遊歩道を歩いていると、どこからともなく犬の遠吠えのような音が聞こえてきた。犬の遠吠えにしてはなんとなく人の声に近いような気がしていたが、その遠吠えに呼応するかのように、すぐ近くの茂みの中で「ワオワオワオオオオオーーーーオオーーーーー」と、ちょっと年を召したおばさんが遠吠えを始めた。
(なんだ、なんだ、この国の人はどうなっているんだ!)と、思いながら歩いていると今度は私の背後から手を叩きながら老夫婦が歩いてきた。かと思うと道の向こうのシャッターが下りているビルの駐車場の前で太極拳をやっているおじさんがいたり、湖の方に向かって気功をやっている人もいた。この気功をやっている人は気を送っているのか貰っているのか、これだから中国はエネルギッシュな国なんだろうなと思うのだった。
そういえば遊歩道を歩きはじめた時から、さっきの犬の遠吠えの他にフルートのような木管の笛の音が聴こえていた。その笛の音はすぐ近くから聴こえてくるようでもあり、遥か遠くの対岸から漓江の河面を漂いながら届いてきたのかもしれないと思いながら歩いていた。その笛の音色は中国の音楽のようでもあり、もっとどこか遠くの国の民族音楽のようでもあった。
どんな人が吹いているのだろう。たぶんフルートのような笛だとは思うがもしかしたらコカリナのような形の笛かもしれない。そう思うと、ますますその笛の音源を確かめたくなってしまうのだった。遊歩道を笛の音に誘われるように歩いていくと、やがて広場のようなところに出た。
広場の奥にはこれまた中国的な階段があり数人のおばさんたちが井戸端会議をしていて、転落防止の手摺に足を乗せてストレッチをしている人もいた。なおも近寄ってみると、中国的な階段は橋だった。
公園では、地元のひとたちが太極拳や気功などをしていた
太極拳や気功は中国に古くから伝わる武術のひとつで健康法としても中国では普及しているとは聞いていたが、想像していたよりたくさんの人がやっているのには吃驚した。だいぶ前にテレビのバラエテー番組で気功を紹介していたが、私も気功の流れ玉(?)に当たって、ひっくり返ったら困るよなあ・・・と内心ヒヤヒヤしながら歩いていた。
それからこの広場や遊歩道のあちこちに朝から大きな竹箒で石畳を掃いているおばさんがいた。このおばさんたちは、みんな同じような服装で頭にはナイキのマークが付いている赤い野球帽を被っていた。
私は最初、このおばさんたちは「桂林の街を美しくする会」とか「漓江の水を守る会」などというサークルのボランティアなのかと思っていたのだが、もしかしたらこのおばさんたちは中国政府に雇われてこの広場を掃除しているのではないかと思い直した。
それにしても中国の竹箒は日本の竹箒を3本くらい束ねたくらいの房で、バサッバサッとすぐ傍に私が立っているのもかまやしないというような迫力でその大きな竹箒を振り回していた。 もう少しで、私も漓江に掃き飛ばされてしまうところだった。
中国の竹箒で石畳を掃いていた
中国共産党の掃除おばさんの竹箒攻撃をなんとかかわして対岸の遊歩道に入ると、さっきの笛の音がすぐ近くで聴こえてきた。
漓江の河面に目を移すとリコーダーに瓢箪をくっつけたユニークな形の笛を、植込みに楽譜を載せて吹いている女性がいた。さっきから聴こえていたのはこの笛だったのかと思いながら、邪魔にならないように写真を撮らせてもらった。2回ほどシャッターを押して引き返そうとしたら、私に気が付いたらしく瓢箪笛の彼女は演奏を止めてにっこり微笑んでくれた。
「フールース」という瓢箪笛の練習をする女性
あとで調べたらこの瓢箪の笛は「フールース」という名前で、中国のある地方の伝統楽器だということだった。フールースは愛の告白のために使われる楽器だともいわれていて、好きになった人の家の前で自分の気持を音楽で伝え、もし受け入れられれば家に招かれ演奏が終わるということだった。
散策を終えてホテルに戻って来ると、大矢さんが現地の中国人らしい人を捕まえて桂林の取材をしていた。私なんかは外国人が近寄って来るだけでビビってしまうのに、積極的に現地の情報を取得しようとする姿勢はさすがだなと思った。
現地の中国人に取材をする大矢さん
ホテルに戻ると1階のレストランで朝食を摂った。このホテルの朝食もバイキング式であった。料理の種類は中華料理と洋食などがあったが、この日は中国の温野菜を多目に盛り、それから鶏の足の唐揚げとモンキーバナナを選んだ。昨夜は頭痛が酷くて機内食が食べられなかったので、その分しっかりと食べることにした。
鶏の足の唐揚げとモンキーバナナ
桂林は台湾の台北市と同じ緯度にあり亜熱帯の果物の産地になっているというから、このモンキーバナナもここで収穫された朝採りの完熟バナナかもしれない。味も香りも日本で食べるバナナと違って、ひと口頬張ると熱帯の香りが口の中にふぁーっと広がっていくのだった。
モンキーバナナ
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【漓江下り】
桂林は広西チワン族自治区の東北にあり、漓江のほとりに位置する風光明媚な観光都市である。その桂林を縫うように悠久の時を経てとうとうと流れる漓江。そして漓江の両岸にそびえるカルスト地形独特の奇峰怪峰。その風景は格別に美しく、その美しさを賞賛するのに「桂林山水天下に甲たり」という言葉があるくらいだ。そんな素晴らしい風景の中を4時間あまりとっぷりと浸ることが出来るのだ。期待は膨らむばかりである。今回の我々の漓江下りは「象鼻山」がある桂林から陽朔という街までの約50kmを4時間かけて下るということである。
「桂林」~柳さんのガイド~
飛行機は丁度2時間遅れで到着しました。これは桂林行の便だけでなくて、杭州から出ている便はすべて遅れました。たぶん上海万博の影響があるのではないかと思いますが、でも航空会社は「いや、それは関係ない」という答を貰いました。でもね、無事に桂林に到着しました。みなさんお疲れ様でした。無事に着いたことは何よりのことだと思います。
桂林は杭州より暑いです。杭州と違いましてこの街はサトウキビとバナナが採れる街です。つまり亜熱帯の気候ですから湿度が高いです。今の温度は23℃ですけど、同じ23℃でもここは湿度が高いので蒸し暑く感じたことと思います。桂林では羅さんというガイドから案内してもらいます。
「漓江(りこう)下り」
今は曇っていますが、日中の最高気温はやはり南なので上海や杭州より高くて27℃くらいまで上がり今よりも蒸し暑いという感じが強くなるかもしれません。でも船に乗りますと風があります。あとでデッキに上がって自由に写真を撮ることも出来ますが、風に吹かれて風邪をひかないように注意してください。もし寒く感じたら下の客室に戻ってください。それから今日のスケジュールについて簡単に紹介しますが、明日は帰国となりますので今夜は上海に戻ります。今夜の中国最後の食事も上海のみなさんお泊りのラマダホテルの宴会場で摂っていただきます。日中は桂林の観光がございますが、みなさんの飛行機は6時発ですので桂林のメインの観光は漓江下りです。
3月までは渇水期にあたり、通常のコースではなくて、半分の「短縮コース」になっていました。またそのあとたくさんの雨が降って水位が上がリ過ぎて1日漓江下りが中止になったこともありました。今日は船会社に確認しましたが大丈夫です。一番素晴しいコースは「こうがい」から終点までは63kmありますが、本当は桂林市内から終点の陽朔までは83kmもありますけど、我々はメインの乗り場から乗りますが後半の景色は特に素晴しいです。昨日の飛行機の中にもみなさんの他にもたくさんの外国人、特にヨーロッパからの観光客が訪れています。ホテルなんかもたくさんありますが、やはりこの街は中国では5番目位の観光の街です。こんな山こんな水の山水風景にに囲まれた街は世界広しといえども他にはありません。だから世界中からたくさんの観光客が訪れています。なかなか素晴しい63kmの景色をお楽しみください。時間は3時間半から4時間位かかります。なぜ「から」が付くのかというと水の流れによってスピードが違うからです。
すべての船会社の出発時刻が9時と決められていますので、ホテルから船乗り場までは40分位かかりますから余裕を持って8時にホテルを出発させていただきました。船に乗ってからみなさんが座るところは、昼食も船の中で摂っていただきますが、あまり桂林の名物料理というものはありませんが、コックさんが船の後ろの厨房で11時位からみなさんのために食事を作ります。
船の中という厳しい条件の中で作るので一流ホテルのデラックスな食事は期待出来ないと思いますが、素晴しい山水風景を眺めながら中国の地方の田舎料理を食べると思えばいい思い出になるかと思います。このバスは象鼻山(ぞうびさん)というところを通りますが、そこを通る時にこの街をガイドしてくれる羅さんが案内してくれると思います。漓江下りの後は、飛行機に乗るまでは7時間ちょっと位の余裕があります。みなさんの中からも鍾乳洞へ行きたいという声もありますが、昨日の到着も遅かったし鍾乳洞は駐車場から洞窟までは長い階段があります。
しかも中に入ると途中から引き返せないので、中に入って駆け足で見学しても30分以上かかりますから鍾乳洞へ行けないことはないですけど、そういうところへ行くよりは漓江下りの後は陽朔という街にある旅行会社が選んだ土産物店でゆっくりと買物を楽しんだ方がよいですので、鍾乳洞へは行かないことにしました。みなさん如何でしょうか。初日のみなさんに案内した長い柄の扇子だとかTシャツとか桂林のお土産を買うことが出来ます。今回はスケジュールの関係でみなさんにはゆっくりと買物をする時間がなかったと思いますので、陽朔の土産物店で安心してゆっくり買物をしてください。
大矢さんは「漓江下りも素晴らしいが、その途中にある蘆笛岩巨大鍾乳洞も見せてあげたかった」と話していた。御存知のように、桂林の奇峰怪峰はカルスト地形で石灰岩で出来ているためその下には鍾乳洞がいくつもあるということなのだ。大矢さんご推奨の「蘆笛岩巨大鍾乳洞」はその鍾乳洞のなかでも特にスケールが大きくて、戦時中大矢さんの父親が所属する軍隊で桂林の街に攻略したとき、桂林の街には人影がまったく無く猫の子一匹居なかったというのだ。
どうしたんだろうと思っていたら、街の人たちはみんなその鍾乳洞に逃げ込んでいたというのだった。それくらい大きな鍾乳洞で中には「水晶宮」や「お客さんを送るライオン」などといった名前の付いた鍾乳石がライトアップされているのだという。大矢さんは現地ガイドの柳さんと交渉して「とりあえず検討してみます」という返事をもらったと言っていたが、とりあえず検討してくれただけで今回の旅では「お客さんを送るライオン」君にお目にかかることは出来なかった。
「桂林」~羅さんのガイド~
桂林市内の人口は約73万人です。桂林は桂の林と書きますが桂は中国では木犀の意味です。つまり「木犀の木がたくさん植えられて林をなした」ということから桂林と名付けられたのです。桂林は南の方です。亜熱帯気候です。一番暑い季節は7月と8月で平均気温は28℃位です。
寒い季節は1月と2月で平均気温は8℃位です。雪はあまり降らないです。遊覧観光は1年中出来ます。みなさんは「桂林の山水は天下に甲たり」という言葉を聞いたことがあると思いますが、ここは文字通り「山紫水明」です。年間にここを訪れる観光客は数百万人にも上ります。
去年ここに来られた観光客は1800万人にも上りました。その中で外国の観光客は100万人を超えました。桂林は小さな街ですが山と水で有名です。桂林には「四絶」と呼ばれる4つのキーワードがあります。「山青く・水麗しく・洞窟珍しく・石美しい」です。 桂林を訪れた観光客は凄い景色に見惚れて「帰りたくない」という人も多いです。中国の元副首相の陳毅先生が桂林に来られた時に「神様になるよりも桂林市民になりたい」という意味の詩を残しています。みなさんの中に桂林に残って私のよきパートナーになって下さる方はいらっしゃいませんか。
桂林には山水風景を眺める漓江下りだけでなく、幻想的な鍾乳洞の蘆笛岩(ろてきがん)、山登りが出来る畳彩山、桂林七星公園などがあります。いずれも山と水の景色ですよね。今日の漓江下りで桂林山水の4つの特徴をしっかり覚えることが出来ると思います。桂林の山はすべて石灰岩の岩山です。
調査研究によりますと、今から約3億年前の桂林は錚々たる大海原でした。海の底でした。その後の地殻変動で海底が隆起して陸地となり、もともと海底に沈積していた石灰岩が露出して風化や雨水の浸食作用で今は見上げるような奇峰怪峰となっているのです。
「少数民族」
漓江下りが終わってから西街をゆっくり散策して、陽朔から桂林空港の方へ向かうということになっています。上海行きの飛行機は午後6時10分です。ですから桂林の観光時間は24時間もありません。けれども桂林の一番素晴しい景色は漓江下りです。桂林はみなさんご存知のように広西壮(こうせいちわん)族自治区です。桂林には漢民族の他に壮(ちわん)族、苗(みゃお)族、ヤオ(瑶)、トン(イ同)族などの少数民族が暮らしています。中国は多民族の国です。少数民族の数はどのくらいあると思いますか? 答は55です。
そのうち桂林には26の少数民族が暮らしています。私も少数民族です。桂林に生まれ桂林で暮らしていますが、壮(ちわん)族です。壮(ちわん)族の人の顔はベトナム人によく似ているといわれています。だから私の顔を見ているとベトナムへ行かなくてもいいでしょう。
「象鼻山」
象鼻山は、山の先端を見ると一匹の大きな象のように見えます。あの象の長い鼻を垂れて川の水を飲んでいるように見えますから象鼻山と呼ばれているのはその為です。象鼻山は桂林山水のシンボルです。今、象鼻山の穴の部分が見えましたが、あそこの穴のところです。今、穴のところは工事中で入ることが出来ません。
「桂林と漓江下り」
今日の桂林観光のポイントは漓江下りです。この川は桂林の北に聳える広西北部興安県の猫児山を源としています。それから南の広州の朱湖に流れ込みます。全長は437kmです。観光コースになっているのは桂林から陽朔までの83kmだけです。でも今回の私たちのコースはその内の20km位を1時間位かけてバスで竹江(ちくこう)という乗り場まで行って、そこから乗船して約3時間位63kmの船旅をして陽朔に向かいます。
街角ではみんな太極拳とかダンスをしてますね。今は健康が第一ですから、この辺りに住んでいる人々は朝早く起きて老人ディスコ?とかダンスとかをしています。健康が第一ですが次に続くのは別荘、お金、車が続くようです。もし健康が無ければ、次に何が来ても意味が無いでしょ? だからこちらの人々は朝早く起きて、夜もダンスをします。午後8時半から10時まで年配の人たちが集まってダンスをしています。
今日の漓江下りですが、竹江から陽朔まで63kmを船で3時間半から4時間かけて下ります。その4時間の川下りの間に素晴しい山々の景色を見ることが出来ます。本当に一服の絵のように見えます。4時間の川下りですから昼食は船の中で召し上がります。船上料理です。桂林の郷土料理です。
だいたい11時頃からお昼が始まりますから、その頃またご案内をいたします。今日の遊覧船は二階建ての遊覧船ですから、一階の方は6人から8人掛けのテーブルとかソファがあって、ゆっくりご覧いただけます。全席指定席となっております。
各テーブルの上には一人ずつミネラルウォーターが置いてありますが、それはサービスですので自由に飲んでください。お茶のサービスもあります。食事をする時には地ビールもお渡しします。それもサービスです。また4時間の川下りですから、ずっといい景色という訳ではありません。
「桂林のハイライト」
船が出発してから30分後の景色が一番いいです。ハイライトに入ります。ハイライトは1時間半位ずっと続いています。漓江下りで一番有名な景色とされているところが「リンゴ山」と言われている丸い形をした山と、富士山の形をした「桂林富士」それから観音様の形をした「観音山」、そして一番有名な山は「九馬画山」です。
その山の岸壁には白とか黒とか黄色の色があいまった馬の壁画となっています。その壁画の上の方に馬が九頭描かれているように見えます。九頭の馬の絵はみんな違う形をしていて、横を向いているものとか草を食べているものとか嘶(いなな)いているものもあります。その九頭の馬を全部見つけることは難しいです。
私も漓江下りを何百回してますが、まだ3頭しか見つけていません。もし九頭全部を見つけることが出来たら大統領になることが出来ると言われていますから、大統領になりたい方は頑張って見つけてください。またみなさん、既に中国人民元とチェンジしてあると思いますがその中に20元札がありましたら、表は毛沢東の肖像が印刷されてありますが裏面に漓江の景色が描かれてあります。その場所に着きましたらまたご案内いたします。
漓江下りをする遊覧船
お茶のサービス
「歓迎遊覧漓江」と書いてある赤い襷のおねえさんからお茶のサービスを受けていると、客室係の女性が「乗船記念にハンコを彫ってあげますので、彫ってほしい文字をこの紙に書いてください」と言って翡翠みたいな石や水晶みたいなガラスのサンプルのハンコとカラオケをリクエストする時に使う紙切れをそれぞれのテーブルに置いていった。
このハンコはお守りにもなり、日本人観光客に好評なのだという。これもサービスなのかと思っていたら、これはしっかり1000円払わなければいけないのだそうだ。でも「1000円だったら安いジャン!」と思い、水晶みたいなガラスのハンコに家族の名前を彫ってもらうことにした。このハンコは船旅をしている間に彫ってくれて、川下りが終わって上陸したら料金と引き換えに渡してくれるということだった。
遊覧中の観光客のための食事の仕込み中
遊覧船の客室に入ると昭和の時代に流行ったようなテーブルクロスがかけてあるテーブルが並んでいて、別の日本人ツアー客や欧米の観光客などでごった返していた。
せっかくこの漓江下りをするためにニコンの一眼レフを購入し300回以上シャッターを押しても大丈夫なようにそれなりのトレーニングを積んできたのに、これじゃあ景色を眺めることが出来ないじゃありませんか! と、思っていたら同じ昨日の夜私の介護をしてくれたご婦人が、「写真を撮られるのなら、こちらがいいですよ」と窓際の席を代わってくれた。地獄で仏という言葉があるが漓江で天女にあったという これから天にも昇るような気持で漓江を下ることが出来るという心境だった。
漓江の河面を滑り始めると目の前にいきなり山水画のパノラマが現れた
私に窓際の席をプレゼントしてくれたご婦人に丁寧に礼を述べて席に着くと、周りの人に断ってガラス窓を開いたら漓江の川風が心地よかった。この桂林では羅さんという女性の現地ガイドが案内してくれることになっていた。このガイドはベトナム系の中国人ということで、そういえば近所にこんな感じのおばさんが居たよなと思う顔立ちをしていた。
羅さんは「これから4時間近く漓江下りをしますが、特に出発して30分が綺麗な景色が続きます。ぜひ屋上へ行って展望してください」と我々にガイドしてくれたので、せっかく窓際の席をプレゼントしてもらったという思いもあったが、ニコンの一眼レフが入ったバッグを担いで席を立つことにした。
遊覧船の屋上に出ると、既にたくさんの観光客で賑わっていた。どこで撮ろうかと迷っていたら、船首の方から「おーい、何やってんだ! はやくこっちへ来いよー」と私を呼ぶ声がした。大矢さんだった。
すいません、すいませんと言いながら観光客を掻き分けて大矢さんが居る屋上のキャビンの前に行くと、対外協の人達が陣取っていた。その陣取りの中央に居た大矢さんが、これから戦場に向かうナポレオンのようにみえた。大矢さんの傍に行くと「ここがいちばんいい場所なんだよ、さあこれから300回シャッターを押してください」と笑いかけるのだった。
漓江の流れに身を任せ桂林の素晴しい山水風景を愉しんでいると、突然右手前方から怪しげな筏がわれわれの遊覧船に急接近してきた。筏には迷彩色の服を着た男が乗っていた。東南アジアの海域では今でも海賊が出没しているというからこの男も海賊かもしれない。
いや、ここは漓江だから海賊ではなくて河賊ということになるかもしれない・・・と不安がっていると、遊覧船の左舷に居た観光客の中から「(怪しげな筏が)この船につけたぞ!」という声があがった。
怪しい筏が接近してきた
やはりこの怪しげな筏は河賊だったのか・・・と身をこわばらせていると、さっき「この船につけたぞ!」と中継してくれた観光客が「窓を開けて(筏に積んでいた)竹篭から人形のようなものを取り出してるよ」と中継した。どうやらその怪しげな迷彩色の筏男は海賊でも河賊でもなくて、観光客相手の物売りのおじさんだったのだ。
そういえばこの遊覧船に乗り込む前に現地ガイドの羅さんが、桂林が「千円、千円!!」と言って観光客に付きまとってくる物売りの発祥の地だと言っていたのを思い出した。桂林の素晴しい景色を見るために世界中からたくさんの観光客がやってくるようになり、その観光客にこの土地に伝わる手作りの民芸品や河原で拾った石を加工して売り始めた。
観光客は日本人が多くて中国人民元より日本円の方が財布から出しやすいと考え「千円、千円!!」ということになったのだそうだ。
私の旅の師匠である大矢氏(いつのまにか旅の師匠になってしまいましたね)が、中国の「千円、千円!!」はちょっと変わっていて、日本人の感覚であれば1000円で売れなければ800円、500円と値を下げていくのに、中国人は1個1000円で売れなければ2個1000円、2個が駄目なら3個、それでも駄目なら「お客さん、これ全部千円でいいよ」という交渉術なのだと教えてくれた。お国が変われば売り方も変わるということなのだ。
桂林の山水風景を背景に記念撮影
水牛の群が川を横断していた
「この風景は20中国人民元に描かれています」
これが20中国人民元
なおも漓江を下っていくと進行方向左側の岸壁に船が出入り出来そうな洞窟があった。この洞窟は「冠岩幽洞」という名前の鍾乳洞で、ここを通り抜けると桃源郷に行けるという伝説があるそうだ。
冠岩幽洞
物理学的に絶対あり得ない形の岩山
大谷夫妻と和子おばさん
自慢のD300に桂林の山水画を撮り込む長原さん
桂林の山水画を堪能する輝也おじさん
観音岩
富士山とリンゴの形をした山
遊覧船は漓江を下り、待望の「九馬画山」にたどりついた。この「九馬画山」は漓江の左岸に切り立った岩壁の岩肌に自然に濃淡の斑紋が現れ、それが九頭の馬に見えるということでこの名前が付いたそうだ。
九馬画山
集めたゴミを燃やしていた
筏に屋根を乗せただけの観光船の集団
桂林の山水風景はまだまだ続いていたが、柳さんが「昼食ですので、客室に戻ってください」と案内してくれた。私は昼食なんか食べなくていいから、この景色を眺めていたい・・・と思ったが、みんなが客室に戻るので私も戻ることにした。客室に戻ると、さっき私に窓際の席をプレゼントしてくれた天女のおばさんが「どうでした? 素晴らしい景色だったでしょ」と私を迎えてくれた。
「とても素晴らしかったです」と、まだ両の瞼に焼き付いている桂林の山水風景を思い出しながら応えると、さっきの窓際の席に私を座らせてくれた。席に着くとほのかな温もりがあった。この天女のおばさんは私が屋上のデッキで桂林の山水風景を眺めている間、私の席を温めてくれていたのかもしれないと思った。そんな私に天女のおばさんは「さ、これから今度は素晴らしい漓江の海(河)鮮料理を味わいましょう」と言うのだった。
遊覧船の昼食も船尾の厨房から出来たばかりの中国料理が次々に運ばれてきて、我々の目と胃袋を充分に愉しませてくれた。 なかでもさっきまで漓江を泳いでいた川エビや、河原で戯れている家鴨なんかの唐揚なんかが出てきた。
さっきまで漓江を泳いでいた川エビ?
それからユウガオのスープも美味しかった。子供の頃はその癖のある風味と食感に「こんなもの人間の食べるもんじゃないや」と思っていたのだが、あらためて口に入れてみるとあの日私の両親が美味しそうに食べていた理由がわかるような気がした。
ユウガオのスープ
昼食もそろそろ終わりに近づいたのか例によってスイカの皿が運ばれてくる頃、隣のテーブルに座っていた大矢さんが「ちょっと、ちょっと」と私を手招きした。何だろうと思いながら彼の許へ行くと「この船のトイレも(写真に)撮っておくといいよ」と小さな声で耳打ちした。私は別にトイレに用はなかったが、大矢さんに言われるままにさっき屋上のデッキに上がる途中にあるトイレに向かった。
トイレの扉を開くと、なんとも味気ないステンレスの便座が置いてあるだけだった。なんで大矢さんが私にこのトイレの写真を撮れと命じた(別に命じられた訳じゃないけど)んだろうと考えていたら、なんとなくその理由が分かってきた。
遊覧船のトイレ
この超シンプルな便座は漓江と直結してい自動的に水洗されるという仕掛けになっているようだった。遊覧船から流れてきた餌を川エビや家鴨が食べて、その川エビや家鴨をまた人間が食べる。なんとも分かり易い究極のエコである。ここでもまた中国恐るべし!!と思ってしまうのだった。遊覧船は4時間の船旅を終えて陽朔の街に到着した。
「陽朔県」~羅さんのガイド~
漓江下りの終点は陽朔県です。「桂林の山水は天下に甲たり、陽朔の風景は桂林に甲たり」という言葉があります。つまり陽朔は桂林に劣らず風景のいいところです。陽朔の一番有名なところは西街(せいがい)という古い街です。古い街ですが賑やかな街です。通りの両側にはコーヒーショップや土産物屋が並んだ商店街です。歩行者天国です。外国人がよく歩いていますから現地の人達は要人街とも呼んでいます。
陽朔に着いてからはたっぷり時間がありますから西街でゆっくり買物を楽しんでください。ここでみなさんに注意しておきたいことがあります。中国の観光地ではどこへ行っても百円とか千円の物売りがいっぱい居ます。こちらの方は何でも千円です。例えばテーブルクロスだとか筆とか木彫りは何でも千円です。
値段は安いですけど、「安物買いの銭失い」という諺のとおりで品質は良くないです。また売子を装って悪いことをする人も居ます。千円で品物を売ると見せかけて観光客の貴重品をすったりします。陽朔の売子も凄いですよ。男の売子には気を付けてください。
ズボンの後ろのポケットに財布を入れて歩かないでください。貴重品の入ったカバンは前に抱えるようにして持って歩いてください。陽朔のスリは中国で一番怖いです。それから陽朔に着きますと鵜飼いの格好をしたおじいさんが居ます。このおじいさんたちは観光客相手に写真のモデルになっているのです。モデル料は5元から50元までと滅茶苦茶です。写真を撮ってもいいですけどモデル料を請求されますので注意してください。
陽朔
陽朔の岸壁には、我々の遊覧船を待ちかねていたように「千円、千円!!」と言いながら物売りが付きまとってきた。現地ガイドの羅さんが注意してくれたとおり、ニコンの一眼レフや貴重品が入ったバッグを自分の前に抱えながら物売りの間を掻き分けながらみんなのあとをついていった。岸壁には二羽の鵜を棒に繋いだ鵜飼のおじさんが立っていた。この鵜飼のおじいさんは魚をとるというより観光客に写真をとられるのが専門の鵜飼なのだそうだ。
鵜飼のおじいさん
この鵜飼についても馬さんから「法外なモデル料を要求されるから気をつけてください」と忠告されていたので、気をつけて鵜飼のおじさんのスナップ写真を撮ってあげた。輝也おじさんも「こんな写真が撮れましたよ」と言いながら、鵜飼が写っているデジタルカメラのモニターを私に見せてくれた。
なにはともあれ無事に漓江の川下りを終えると輝也おじさんたちと記念写真を撮った。もちろんこの写真を撮ってくれた柳さんには誰もモデル代を請求していなかった。
漓江下りを無事終えて記念撮影
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【陽朔の街】
漓江下りの次は陽朔の街を散策した。陽朔は「桂林山水甲天下、陽朔山水甲桂林」と呼ばれていて、桂林の山水風景は天下一で陽朔は桂林一だということなのだ。確かに陽朔の街を散策していると軒を連ねるみやげ物屋の看板越しに桂林の奇峰を垣間見ることができた。
桂林山水甲天下、陽朔山水甲桂林
そんな桂林一の陽朔の街を散策していたら、ふと遊覧船の中で注文してあったハンコを受け取ってないことに気がついて現地ガイドの柳さんに、どうなったのか訊いてみた。すると柳さんは「たぶん間に合わなかったのでしょう。お金は払ってませんよね」と答えてくれた。 間に合わなければ注文なんかしなければいいのに、これもお国柄なのかと思った。
陽朔の街
この街も紹興の街と同じように中国の原風景がいたるところに残っていた。たとえば、このホンダのバイクを改造した荷車だ。たぶん日本から廃車になったバイクを仕入れてきて街の鉄工所の職工が改造したものであろう。遠く離れた異国の地で、こういう形で余生を送るバイクの心情は察するに余りあるのだった。でも、こいつはこいつで楽しくやっているのかなとも思えたりした。
ホンダのバイクを改造した荷車
私の目の前を輝也おじさんと大矢さんも散策しておられた。私も遠く離れた異国の地で何年かぶりに同郷の日本人と出会ったような感慨がこみ上げ、おじさんたちの下に駆け寄り消息を確かめようと思ったが、そういえばついさっきまで一緒に漓江の舟下りを愉しんでいたことを思い出し、2ショットの記念写真を撮ってあげるとまた私も風の吹くまま気の向くまま陽朔の石畳を歩き始めた。
陽朔の街を散策する大矢さんと輝也おじさん
陽朔の街を歩いていると簡体字で書かれた看板が目についた。簡体字というのは、もともと象形文字を前身とした漢字を使っていた中国だったが、漢字は画数が多くて読み書きが出来ない文盲が大量出現の重要な原因だとして漢字の簡略化政策を採り1964年に文字改革委員会が「簡体字」を公布して社会に通用させたということである。
日本でも戦後漢字の簡略化を実施したが、中国の「簡体字」は日本のより随分バッサリ&スッキリと簡略化してて私にも読めない漢字が多くあった。たとえばこのマルコポーロという店の名前も下に英文字の表記がなければ私には読むことが出来なかった。
マルコポーロの店
マルコポーロの店の前を歩いていたら聴き覚えのある笛の音が聴こえてきた。今朝、桂林の街を散策していたときに漓江の畔で出会ったフールースという名前の瓢箪笛だった。桂林の街を散策していたときには、私の方から歩いていかなければなかなかその笛の主に巡り逢うことが出来なかったが、ここではすぐにご対面することが出来た。
しかもその笛の主は黄色の民族衣装を身にまといちょっと大きめの菅笠を被っていて、からだ中におそらく売り物と思われる瓢箪笛やクラリネットのような木管の笛をぶら下げていた。
私がその笛吹きおじさんを興味を持って眺めていたら、その笛吹きおじさんも私に興味を示してくれたらしく、瓢箪笛を吹きながら丁寧に深深とお辞儀すると、ひと言ふた言私に話しかけてきた。この笛吹おじさんの発音は今朝がた職務質問された公安のおにいさんとは違ってはっきりしていて、中国語に不慣れな私にもすぐに理解できた。「二千円、二千円!」と言っていたのである。
私は現地ガイドから、ここの物売りは「千円、千円!」と言って観光客に近寄ってくると聞かされていたのに、この笛吹きおじさんは「二千円、二千円!」と言っていたので「二千円?」と聞き返したのである。するとその笛吹きおじさんは私が値段の交渉をしたと思ったらしく「千円、OK!」と言って手渡そうとするのだった。
私はその瓢箪笛を買って帰っても家に持ち帰って使用する場面などありはしないと思ったし、生まれてこのかた笛といえば小学生の頃鼓笛隊でリコーダーを吹いたくらいなもんで、最近はホラも口笛も吹いてないし、まして瓢箪笛を吹くなんてことはないだろうと思っていたのだが、二千円の瓢箪笛が千円で買えると思うと、そうだよなあ、こういう笛が一本くらいあっても邪魔にはならないし、友人Tなんかが遊びに来ても「中国を旅行してたらこんな笛があったんだよね」などとビールのツマミにはならないまでも話のタネにはなるかもしれないと思い「千円」を財布から出したのである。
私が瓢箪笛を購入すると笛吹きおじさんは、しわしわになった紙切れと自分の名刺をくれた。しわしわになった紙切れには中国語の瓢箪笛の吹き方と楽譜のようなものが印刷してあった。私が「謝謝」とお礼を述べると、今度はこれも中国に伝わる民俗楽器なのか日本のよりだいぶ長い横笛を口に咥えて「北国の春」を吹いてくれた。
そんな笛吹きおじさんに、私はカメラを構える仕草をして流暢な日本語で「カメラいいですか?」と訊いてみた。さっきの鵜飼いは別として、中国の人は写真に撮られるのが嫌いらしく街で会った人にカメラを向けるとあからさまに嫌な表情になり手のひらをカメラの前に突き出されることが多かったのだ。ところが、この笛吹きおじさんは私が瓢箪笛を買ってくれたからなのか大きくゆっくりと頷いてくれた。
瓢箪笛のおじさん
私が写真を撮り終えると、その笛吹きおじさんは撮影料を請求することもなく「北国の春」を吹きながら人混みのなかへ消えていくのだった。笛吹きおじさんと別れてしばらく歩いていると、荷台に青い箱を括りつけたちゃんとした形のバイクが停めてあった。ちゃんとした形のバイクとはいっても日本車ではないようだった。
鶏の足を積んだバイク
そのバイクを撮影しようと思って近寄ってみたら、荷台の青い箱のなかに毛をむしられて茹でられた鶏が放り込まれてあった。私がホテルで美味しいと思いながらしゃぶりついていたのと同じ鶏の足だと思うが、こういうあられもない姿を見せられるとなんとなく悪いことをしたのかなあ・・・と思ってしまうのだった。
鶏の足
さらに歩いていると、私の目の前をダダダダダダダダダダダ!!と爆音を響かせながら豪快に通り過ぎていくトラックがあった。私は「これだよ!!」と心の中で叫びながら、首にぶら下げていたニコンの1眼レフを上段に構え両の肩に力を込めてシャッターを押した。
このブログでも「こんな耕運機があった!」というカテゴリでノストラジックな耕運機を記事にしているが、コイツを載せれば向こう10年間何も書かなくてもいいんじゃないかと思う程の旋律が私の脊髄を走った。 このトラックを友人Tにお土産として持って帰りたいくらいだった。
こんな車、見たことある?
豪快なトラックが通り過ぎて行ったと思ったら、今度は三丁目の夕日のスクリーンから飛び出してきたんじゃないかと思うような三輪トラックが走ってきた。しかも幌付きで洒落ている。
幌付オート三輪
そうかと思えば青いエプロンをしたおにいさんが、ブリキの箱を載せた原動機付運搬車に乗って凄いイキオイで走り去っていった。
そんな活気のある大通りを命がけで横断すると陽朔の街の郵便局があった。郵便局の中に入るとガラスのケースの中に桂林の山水風景をデザインした切手シートがあった。78元という値札が付いていたが、切手の1枚ごとに80という数字が書いてあった。
もし1枚が80元なら4枚で320元になるのに、それを78元で売っているのだろうかなあと思っていたら、一緒に旅行している人が購入を決めたみたいで現地ガイドの柳さんから郵便局の人に声をかけてもらっていた。
陽朔の郵便局で見つけた桂林の切手シート
ところがこの郵便局は持ち場が決まっているらしく、その切手売り場の係のひとは只今食事中でここには来ることが出来ないとのことで、結局その人は切手シートを購入することが出来なかった。ここでも日本だったら・・・と思ってしまうのだった。
この街の街路樹はみんな根元を白く塗ってあった
さらに歩いて行くと土産物屋の店先で苗族(みゃおぞく)の民族衣装を纏った少女が何やら刺繍をしていた。
店先で刺繍をする苗族の少女
陽朔の花売り娘
昼下がりの陽朔
果物も豊富だ
花の町陽朔
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【陽朔から桂林空港へ】
漓江下りをして陽朔の街を散策したあとは、桂林の郊外をバスで空港まで移動した。桂林に入った時は夜だったので何も見えなかったのだが、バスの車窓から眺める雑木林の中に立つ桂林の山水風景も素晴しかった。
「郷に入れば郷に従え」~羅さんのガイド~
3時間半の漓江下りが終わりました。景色は如何でしたか? 今の季節の桂林の産物はミカンです。桂林のミカンは美味しいです。こちらは亜熱帯の気候なので、ミカン、 ザボン、キンカン、オレンジなどの果物が採れます。ここは陽朔県です。桂林市の所属の県のひとつです。これからバスに乗って、そのまま桂林空港へ向かいます。約2時間のバスの旅となります。
桂林市内まで1時間位、市内に入って空港まで50分位かかりますから、約2時間かかります。途中に綺麗なトイレはありません。トイレに行きたくなったら声をかけてください。ガソリンスタンドの方にあるトイレをご案内いたします。中国のトイレはドアがございません。オープンで用を足す中国式のトイレですがどうしても我慢が出来なくなった方はご案内いたします。
これから桂林空港までは2時間位かかりますので、疲れた方は休憩してください。「郷に入れば郷に従え」という言葉があります。現地の人々には昼寝という習慣があります。みなさんも昼寝にしましょうか? 空港に着きましたらまたご案内いたします。 元気な方は車窓の景色を眺めてください。バスから眺める山水風景も素晴しいです。
雑木林越しの桂林山水風景
バスの車窓から桂林の山水風景を眺めていると、時々簡体字で書かれたいかにも中国的な看板が現れては消えて行った。中国の看板は大抵紅の地に白抜きの簡体字で書いてある看板が多いが、これは中国の国旗である五星紅旗(ごせいこうき)からきているのかもしれないと思った。
ちなみに中国では紅色は革命を表しているそうだ。国旗といえば、桂林から上海に向かって走っている間にコンベンションセンターみたいな建物があって、その敷地に万国旗が十数本掲げてあった。私の隣の席の人たちもその万国旗を見つけたようで「北朝鮮の旗はあるけど韓国の旗は無いね」とか「日本の国旗が無いじゃないか、けしからん!」などと話していた。
私もちょっと気になったので、左端から目で追っていったら、まん中よりちょっと左側の辺りでわが「日の丸」が元気にはためいてくれていた。やはり日の丸が一番美しい国旗だと思ったとブログには書いておこう。
紅日商店
バスは1時間ちょっと走ったところでトイレ休憩をとった。中国石化というガソリンスタンドに併設されてあるトイレだった。半分くらいの人がバスから出ていったので私も別に用はなかったが、とりあえず中国のトイレ事情を調査するためにバスから降りることにした。男性用のトイレに入ってみたら、やはりバスから降りてよかったと思った。ここでも日本とは違う異国のトイレ文化を垣間見ることが出来たからだ。
中国石化
どこが日本のとは違うのかというと、日本の場合は男性用のトイレに入ると座らずに用を足すことが出来る陶器製の小便器が設置してあり、その殆どが跳ね返りを防ぐ形になっていて、用を足したあと尿石の付着を防ぐために洗浄剤入りの水で自動的に洗い流す仕掛けになっているのだが、ここでは便器そのものが置いてなかったのである。
私は屋内のトイレでは便器以外の場所で用を足したことがなかったので一瞬たじろいでしまったが、よく考えたら別に用を足したくてここに来た訳ではなかったのだった。
だが人間の身体は不思議なのもので別に用がなくてトイレに入っても、トイレに入るとなぜかもよおしてくるのですね。此処で用を足さなかったらこれから先の約1時間ちょっと我慢出来るかどうか自分に問いかけたら、やはりここは自然の理に従って異国のトイレを使うことにした。さっきも紹介したとおり屋内のトイレでは便器のないところに向かって用を足したことが無かったので、ただのタイル貼りの壁に向かって用を足すのはとても違和感があった。
形の違いは多少あったとしても便器が置いてあればそれに向けて放水を開始することが出来るのだが、何もないタイルの壁に向かって「さあ、どうぞ」と言われても、どこに筒先を向けて放水すればよいのかという違和感が私にはあったのだ。
この違和感を例えるなら、よく旅に出て枕が変わると眠れないとかいうのがあるが、便器の無いトイレってのは枕のないベッドで眠るような感じだよなと思うのだった。それでも壁に這わせてある水道管からは人が居ようが居まいがチョロチョロと水が流れていて、その水の音に誘われるかのようにいつの間にか用を足し終えることが出来たという次第であった。
用を足し終えて見も心もすっきりしたところで、またバスの車窓から桂林の山水風景を眺めていると今度は田園風景が広がってきた。この辺りの田んぼも代掻きをしたり田植えをしていた。
田んぼが見えてきた
私もこの旅から帰ったら連休に田植えをする予定なので、ここも私が住んでる所と同じくらいの気候なのだなあと思いながら眺めていたのだが、ただ気候は同じでも機械化に関しては50年位前の風景のように思えた。牛を曳いて歩いている人がいたり、実際に田んぼの中では牛耕をしている農夫もいた。
牛を曳いて歩いている人
私の近所でも日本の古い文化を見直そうということで、馬耕や牛耕をしようという人が出てきているという話を聞いたことがあるが、そういう人たちはここへ視察に来て指導を受ければいいのかもしれない。この場合「先進地視察」ということになるのだろうか・・・と思ったりした。
この辺りは未だに牛耕なのである
ビニールマルチの畑
煉瓦造りの建物
こんな田園風景が延々とつづく
漓江下りもいいが田園風景もいいもんだ
桂林郊外の田園風景を、漓江下りもいいが田園風景もいいもんだなあと思いながら車窓の景色を眺めていると、やがて遠くに見えていた桂林の奇峰はみるみる大きくなって、まるでボーリングのピンのように見えてきた。
バスの最後尾からの眺め
バスの最後尾の窓から後方の景色を眺めていると、さっきすり抜けた奇峰はもうはるか後方に遠ざかっていた。
高速道路の料金所
高速道路の料金所を出ると、今度は工事現場を観賞(?)することが出来た。私も建設会社に勤めているので、興味を持って工事現場の施工状況を眺めさせてもらっていたが、やはりお国が変われば工事方法や安全対策なんかも違ってくるんだなあと思ってしまったので何枚か作業状況の写真を撮ってみた。
縁石?を並べてます状況
ボンネット型のダンプによる土砂運搬
機械による法面整形作業
安全施設設置状況
しばらく眺めていると、この現場でも竹製の足場で作業をしていた。竹製の足場は中国の南の海岸に面した地方でツバメの巣を採取する時に用いた竹で組んだ足場が基になっていると聞いたことがあるが、もしかしたら中国の建設業はアルミや単管パイプより伝統的な竹製の足場の方が信頼性があり頑なに使い続けているのかもしれないと思えるようになってきた。
足場組立作業
そう考えるとこの国の牛や馬を使った農業も、単に時代遅れとかで片付けてはいけないのかと思えるようになった。日本だって無農薬有機栽培が推奨されるようになると、それまで田んぼが白くなるほど撒いていた農薬を止めて納屋の二階からお役御免状態になっていた除草機を引っ張り出してガチャガチャやっている農家さんも出てきたではないか。
さすが数百万で購入したトラクタやコンバインから牛耕場耕の時代に戻るということはないと思うが、この先燃料費が高騰したり自然農法米が市場を支配するような時代になったりしたら、日本でもこの国と同じような風景が広がってくるのかもしれないなあなどとぼんやり考えながら移り行く車窓の景色を眺めているのだった。
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【桂林空港】
バスは桂林の空港に到着した。今日は桂林空港から上海まで飛んで、上海のラマダホテルで中国最後の晩餐ということになっている。大矢さんは「せっかく上海に行くのだから上海の夜景を眺めさせてあげたかったよ」と、周りの人たちに話していた。上海市万博を開催しているので、交通渋滞がひどいし警備も厳しいので中心地から離れている上海空港の傍のラマダホテルを選んだんだということだ。
桂林空港
空港の駐車場には桂林市の花として「桂花」が植えられていた。桂花というのは金木犀のことである。現地ガイドの柳さんは「秋に桂林へ来ると金木犀の香りが素晴らしいです」と話していた。
空港の駐車場には「桂花」が植えられていた
だが、1本か2本の金木犀が庭の片隅に植えられていてそこから、そこはかとなく漂ってくる香りであれば「秋ですねえ、ビールの美味しい季節となりました」と言うことも出来るのだろうが、こんなにたくさんの金木犀の木が植えてあると、四方八方から金木犀の香が押し寄せてきてビールを飲む前から花の香に酔って頭が痛くなってしまうのではないかと思ってしまうのだった。
桂林では、大矢さんご推薦の「桂花茶」を購入した。これは日本では売ってないのだそうだ。「桂花茶」は緑茶に混ぜたものと桂花だけを乾燥させたものの2種類あったが、「桂花茶」だけのものを選んだ。理由はもし飲んでみて口に合わなかったら白ワインか焼酎に漬けて楊貴妃も好んだという桂花酒を造ってみようと思ったからだ。
上海の空港に到着すると上海万博のマスコットの傍で正子さんと萩野さんが立っていたので、3ショットの写真を撮ってあげた。 日本では3人で写真を撮るとまん中の人が早死にするといわれ縁起が悪いとされているが、まん中に立たされたハイボ君には万博が終わってもせいぜい長生きしてもらいたいものだと願うのであった。
ところでこのマスコットの名前だが、漢字で海宝と書いて「ハイボ」と読む・・・と私は思っていたのだ。ところが正式には「ハイバオ」と呼ぶのだそうだ。どこでどう変化して私の耳に入って来たのか判らないが、例えば佐渡の伝統芸能で「鬼太鼓」というのがあるが、それを「オニタイコ」と呼ぶ集落も「オンデコ」と呼ぶ集落もあるように、「海宝」と書いて「ハイバオ」と呼んだり「ハイボ」と呼んだりしてもよいのではないかと、私は思うのである。
「ハイボ君」と正子さんと萩野さんの3ショット
上海万博の広告
【ラマダホテルでの大晩餐会】
3泊4日で紹興と桂林を巡る旅の最後の夜となった。今夜の宿泊先である上海ラマダホテルに向かうバスの中で現地ガイドの柳さんが労いのメッセージを送ってくれた。
柳さんの挨拶
「記念すべき夜」
お疲れ様でした。 飛行機は30分位遅れましたが、予想していたよりだいぶ早く着くことが出来ました。みなさん、凄いですよ。熱烈歓迎する上海万博前日の上海です。今夜は記念すべき夜になりそうです。みなさんの街の新潟県知事さんと市長さんと放送局の一番偉い方も、今日の午後の便で上海に招待されて来ておられます。この夜はみなさんと一緒に上海で過ごします。知事さんたちの宴会はもう終わっているかと思われますが、みなさんの宴会はこれからです。
上海万博の影響が出ているのか飛行機の遅れなどもあってラマダホテルへの到着がだいぶ遅くなったので、すぐに宴会場に入った。 宴会が始まると対外協の中山会長が、今回の旅行の感想などをまじえて旅行の参加者に慰労の挨拶を述べた。
中山会長の挨拶
3泊4日のあわただしい旅行でありましたので、みなさんと顔を合わせてゆっくりと落ち着いて食事をするのはこれが始めてだと思います。さっき(柳さんから)お話がありましたように新潟県知事と市長が来ておられますし、新潟の友人が来ておりまして桂林を出る時に「あとで飲もう」という話じゃなかったかと思うのですが、まだ桂林に居るから駄目だと断りました。
明日から上海万博ということで、この国あるいは上海市あげてごらんのような状況でやっているところだと思います。それにしましても、今回は33名という大勢の方が参加していただきましてありがとうございます。もう1日位余裕があればもう少し充実した観光が出来たのではないかと思います。
おそらくみなさん睡眠時間も削られておりますので、明日新潟に帰りましたらただちに昼寝をされたらよろしいのではないかと思います。これに懲りず来年もやる予定ですのでみなさんお誘いあわせの上参加していただければありがたいと思います。今回は紹興と桂林を巡った訳ですが、本来ならばもう半日か1日くらいあった方がよかったんじゃないかと思っています。ただ時間の制約、これは飛行機の便の制約なんですけどもご勘弁いただければと思います。
今回の旅行で印象に残ったことは紹興で案内してくれた現地ガイドの謝さんが非常に良かったことと、その点昨日今日のガイドはちょっとどうかなあと思うようなところもありました。素晴しい風景もガイドの心遣いひとつで随分変わってくるもんだなあと思いました。ほんとに拙いことがかなりあったようですが、とにかくやる気がなかったんじゃないかと思いますが、そこは素晴しい桂林の風景が補ってくれたのではないかと思います。それではもう10時ちょっと前なんで、これから時間の許す限り観覧していただきたいと思います。
また新潟に帰りましてからはんばぬぎの計画もしておりますので、そちらの方もよろしくお願いいたします。最後になりますが、この旅もまた人数が多くて大変だったのではないかと思いますが、柳さんには頑張っていただきました。あらためて感謝したいと思います。ありがとうございました。
中山ご夫妻
対外協には一流のアティストやピアニスト、それからエンターティナーを擁していて、青木征彦さんというカンツォーネ歌手が現地仕込みの「イタリヤ式オーソレミオ」を披露してくれた。ちなみにイタリア語とナポリ語があるのだそうだ。歌詞を直訳すると「嵐のあとの澄んだ空、太陽は照り輝き、なんと素晴らしいのだろう。だけどもうひとつの太陽は、もっと輝いている。私の太陽、それはあなたの顔、それはあなたの顔」ということだそうだ。
本来ならパルメザンチーズをたっぷりふりかけて焼いた鶏肉をつまみにイタリアのワインを傾けながら聴のがいいのだろうが、陳10年の紹興酒と上海料理に舌鼓を打ちながら聴くオーソレミオも、青木さんがイタリヤの太陽を想い浮かべながら熱唱する姿から感動は充分に伝わってくるのであった。
「オーソレミオ」を熱唱する青木征彦さん
青木さんの次は大矢さんの登場である。先程「対外協には一流のアーティストやピアニストを擁している」と書いたが、これは筆が滑った訳でもキーボードのたたき間違いでもなく、大矢さんのことである。
大矢さんは三条市屈指の一流ピアニストなのであるが、生憎ラマダホテルの宴会場には彼の指先を満足させるだけのピアノを用意してなかったために「正調対外協節」を披露することになった。佐渡カケスの新春座談会では「正調カケス節」を披露して場を盛り上げてくれたが、ここでは「正調対外協節」であった。
遠く離れた異国の地に於いて朗朗と吟ずる大矢応援団長の勇姿は、まさにニッポン男児此処にあり!という印象を受けた。
「正調対外協節」を吟ずる大矢応援団長!
大矢応援団長の「正調対外協節」
東に阿賀野川下流を望み 西に霊峰弥彦をば仰ぐ ここ越後平野新潟の杜に 毅然と聳え立つは わが特定非営利活動法人新潟県対外科学技術交流協会である もとにはせ参じ 明日の日本を背負い立つ対外協の兵(つわもの)どもが ここに集いて対外協節の一節を声高々に いざ謡わんかな舞わんかな狂わんかな
えっさこりゃこりゃ このおれは 現れ出ましたこのおれは日本一の色男 えっさこりゃこりゃ このおれは 現れ出ましたこのおれは日本一の強き者 えっさ見てくれこの体躯(からだ) 柔道で鍛えしこの体躯 えっさ見てくれこの腕(かいな) 空手で鍛えしこの腕
前から来い 後ろから来い 前から来る奴はワンパンチ 後ろから来る奴は背負い投げ えっさこりゃこりゃ日本の名物あれど数あれど 数あるなかのそのなかで対外協節は名調子 それ~
ここは新潟か 新光の町か 新光の町なら新潟対外協 対外協会の会員さんは度胸ひとつの男伊達 度胸ひとつで西堀の町を歩いて行きます紋付袴 紋付袴は協会の印 ボロはおいらの旗印 ボロはまとえど心は錦 どんなものにも恐れはせぬぞ
どんなものにも恐れはせぬが 可愛いあの娘(こ)にゃかなやせぬ 可愛いあの娘は何時でも捨てる 協会のためなら命までも
命捨ててもその名は残る 新潟対外協のその名は残る もうひとつ中山さんのその名は残る ついでに和子さんのその名は残る
ふれ~ ふれ~ 対外協 それっ ふれっふれっ 対外協 ふれっふれっ 対外協
ふれ~ ふれ~ 中山 それっ ふれっふれっ 中山 ふれっふれっ 中山 ありがとうございました!!
「ふるさと」を熱唱(熱演)!する中山会長
「相撲甚句」を熱唱する鈴木嘉行さん。彼は元キングレコードの演歌歌手だったそうだ!
万歳三唱!!
【上海から新潟へ】
紹興と桂林を巡る旅もいよいよこの回で終わりである。そういえば家族や知人にお土産を何も買ってなかったことに気がついてあわててホテルのなかにある土産物屋に飛び込んだ。とりあえずカミさんには、出掛ける前に「天津甘栗の栗羊羹が食べたい」みたいなことを言ってたのを思い出し、10個入りくらいの小さな箱を買い子供たちには黒い猫のキーホルダーを買った。
土産物売り場の大仏さん
ラマダホテルのエントランスホール
全員で記念撮影
ラマダホテル
舌を出している(としか思えない)狛犬
上海空港に向かうバスの中で
柳さんのガイド~
「記念すべき日」
2010年5月1日、今日は記念すべき日となりました。上海では中華人民共和国ではじめての万博が開催されます。これから空港に向かう訳ですが途中交通の制限があるかもしれませんが、すぐそこですから大丈夫だと思います。いつも皆さん時間厳守で出発する時間前、あるいはキャストの出発時間どおりに出発しましたが非常に偉いことだと思いますが、皆さんのご協力に対して感謝しております。ありがとうございます。
まもなく空港に到着いたします。団体のチェックインのカウンターでチェックすることになるが、チイェックインは航空会社の決まりで個人ですることになります。各自の荷物とパスポートとそれから中国帰国用の出国カード出して順番にでチェックインしてください。そのとき佐久間さんと二人で協力しますが、夫婦の方は一緒にチェックインしてください。
それまでに紹興酒を輸送したい方は、空港に発砲スチロールが用意してありますから友達と一緒に梱包することになりますが、そのときはまたご案内いたします。3月にお茶と焼き物の青磁を紹介する1時間の番組を、私が紹介するというものですがそれは大変でした。案内だけで顔は出さないですが、今は編集している段階です。
コーデネーターさんやデレクターさんの話によりますと6月の下旬に放送する予定ですが決まりましたら事務局の小林さんにメールを流しますので、よろしければその時間テレビの前でTBSの放送をご覧になってください。
内容は杭州を紹介する1時間の番組です。よろしくお願いいたします。反省会もあるそうですが、ビザのこともありなかなか新潟へは行けないですが反省会の時はまた次回の旅行の話も中山先生の方にご相談ください。来年の中国の旅行どうぞよろしくお願いいたします。
現地ガイドの柳さん
0
私たちを見送ってくれる「ハイボ君」
没収されたペットボトル
搭乗待ちの間に、空いているシートにそれぞれ座って旅の思い出話などをしていた。私の前のシートでは長原さんと寺井さんのご夫妻と大矢さんが談笑していて、寺井さんが大矢さんに「世界をいろいろ旅行されて、どこが一番印象に残ってますか?」と質問すると、大矢さんはしばらく考えて「イタリアですね」と答えていた。
大矢さんは、さらに「(イタリアを)マイペースで旅行したら最高だね。今回は団体で行ったからね。10日間行ったのかな。 ローマ、ベネチア、ミラノ、フィレンツェ、最後スイスを経由してドイツのミュンヘンの空港から帰国したのですが、そこで飲んだビールが旨かったんだわ。色はちょっと汚い表現ですが肝臓を悪くした人の小便みたいなコーヒーを薄めたような色でしたが、旨いんだねえ、これが・・・」
すると、ドイツのビールに興味を示した寺井さんが「ドイツのミラノに就職した人が話してましたけどね。あそこは昼間っからビールを飲むんだそうですね。それで酔っ払ったら頭から水をぶっかけられるんだそうですよ」
それから、大矢さんは「イタリアは食事は今一だったね。逆に日本人の団体だったから、日本人の口に合わせてくれたのかもしれないけどね。それじゃあ駄目なんだよね。イタリア料理を食べさせてくれる店なんて新潟にもあるからね。わざわざ現地(イタリア)の料理を食べたくて行くんだからさ」などと、大矢レポートそのまんまの語り口で話していた。
長原・寺井ご夫妻と大矢さん
中国東方航空のジェット機に乗り込む
中国東方航空のジェット機に搭乗していよいよ新潟空港に向けて出発・・・・と思いきや、我々を乗せたジェット機はジェット機というよりのろまなカメみたいにのろのろと進み、進んだかと思うとまた停止した。
何て書いてあるのか解らないけど・・・
窓の外を眺めると我々と同じようにのろのろ進んでいるジェット機が延々と並んでいた。ジェット機の渋滞である。お盆や正月で高速道路が渋滞するというのは知っているが、いくら万博だからって空港が渋滞する光景を見るというか体験するのは初めてだった。
桂林や杭州の空港で結構待たされたが、現地ガイドの柳さんは「上海万博の影響ではありません」と弁解していたが、この光景を見るとそれ以外にないよなあと思うのだった。
離陸するジェット機の行列
それでも30分位で飛び立つことが出来た。離陸直後は電子機器の使用は禁止されていて、もちろんデジタルカメラの使用もご法度なのでカメラをバッグに仕舞って丸い窓からだんだん遠ざかっていく上海の景色を眺めていた。もう見慣れてしまったスモッグの空の下にチョコレート色の河があった。
よほど一度仕舞ったカメラを引っ張り出してこの景色を撮影しようと思ったが、私の責任でこのジェット機が墜落するようなことにでもなったらかなわんなと思って初めて飛行機に乗った子供のように額を窓にくっつけて下界の景色を眺めるだけにした。しばらくすると我々を乗せたジェット機が河口の上空で大きく旋回し、鉛色の雲に隠されてチョコレート色の河もマッチ箱のような建物も見えなくなってしまった。
機内食
日本人みたいなキャビンアテンダント
たった3泊4日の旅ではあったが、こうして道中に撮影した写真を見ながら旅日記風なことを書いていたら、中国という国が身近に思えるようになってきた。眼下にはコバルト色の日本海に浮かぶ佐渡の島影が見えてきた。
小木半島