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明日から始まるお水取りを前に今年も「糊こぼし椿」が花を付けた。律義だ。
日曜日にはネットワーク会社の社長が後継者を連れて来たので茶友の店へ。
70が社長定年と云いながら今に至った云々を後継者を横に私と碁を打ちながら語る。
50代で上場を果たした彼の唯一の持ち歌は石原裕次郎の「我が人生に悔いなし」。
彼のやって来たことや生き様を傍で見て来た私は納得して聞いたものである。
若き後継者候補が死亡し、人生の終い方が想定外になった彼は定年を伸ばした。
社長の若返りを図りたかったことを新社長に伝えると新社長も同意、対策を語った。

昨日は高校同級生が来てくれコロナで中断し8年ぶりとなる学年同窓会出席者を確認。
学級50人で今も連絡が付くのが30人余り、前は往復葉書を出したが今回は電話連絡。
8年ぶり或いは数十年ぶりに電話で聞く仲間の声や話ぶりには懐かしいものがあった。
家族の方から死亡を聞かされる者や認知症状態にあるという者もいた。悲しい限りだ。
そして何人かは足腰や体調が悪い、或いは奈良は遠いとかで欠席を伝える者もいた。
私と担当同級生の二人が語る「同窓会も今回で終わりやな・・」。まま、13人が出席する。
私が思うに、今の歳になって同窓会に出席できるのはそれだけで十分に立派な人生。
今回の同窓会の乾杯ではバックミュージックに「我が人生に悔いはなし」と思う今日この頃。
私は悔いだらけだが・・。

右だろうと左だろうと我が人生に悔いはなし♪
生きている限りは青春だ♪
https://www.youtube.com/watch?v=YnhIDLdxzAE




2024.02.27 野良根性
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奄美大島の野良山羊↑。下は動画。
https://www.youtube.com/watch?v=PNoY7y8wR0Q

我々の子供の頃は野良犬がうろつく姿は普通に見かけたもの。
今は野良ネコは見るが野良犬は見かけない。ほぼ駆除されたらしい。
日本の野良犬は飼い主に捨てられ飢えてうろつく孤犬。捕獲され殺処分。
親代々の野良犬は略居ない、野良ネコには親代々の野良ネコが居るようだ。
奄美出身の女性ヘルパーから郷土の祝膳には山羊汁が出る話を聞いた。
野良山羊を獲って来て食するという。沖縄や小笠原には野良山羊がいるとか。
調べて驚いた、人間と共生をした犬を別にすれば山羊は最初の家畜だったらしい。
江戸期に来た西洋人は日本に山羊や羊が居ないと記録しているが沖縄には居た。
東南アジアから台湾・沖縄・奄美に来た山羊と西洋人が小笠原に連れ込んだ山羊。
夫々の山羊が野良になって繁殖しているという話である。

さてさて野良。今朝のニュースではスエーデンのNATO加盟の報じられた。善哉。
スエーデンは野良国家になっていた。国際社会の中で所属する軍事同盟が無かった。
西欧国家群と東欧スラブ国家群に挟まれてフィンランドと共に中立を表明していた国。
昨年にフィンランドがNATOへ加盟、スエーデンはトルコとハンガリーの反対で加盟できず。
いわば、見捨てられた野良犬同様になり、すがる先のない孤独の身で大熊・露助の前に居た。
いけずなトルコ・ハンガリーも引き換え国益を得たのかスエーデンの加盟を承認。まま、善哉。
200年に亘る中立を捨てたスエーデンが云った言葉は「求めるだけでなく、提供もしたい」。
スエーデンの中立は非武装中立ではないスイス同様重武装中立。日本の花畑左派とは頭が違う。
野良で生き抜くには野良根性が必要。安保反対・自衛隊反対・非武装で野良国なら即殺処分。
私の人生は野良人生であったので痛感する。野良は何処かで味方を得ることが大事である。
さて思うに、奈良の鹿は集団野良なのか?



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皇紀2600年に横山大観が描いた「霊峰と旭日」。つまり富士山と日の丸の絵。
今日2月23日は二二三で富士山、無理筋の語呂合わせで「富士山の日」だとか。
無理下手感のある記念日だと思っていたが、令和になってからは天皇誕生日。
その天皇誕生日の朝一ニュースは「309098円68銭」、株価の報である。
昨日22日の日経平均株価は大きく上昇し、一時3万9156円を付けた。
バブル期の1989年12月29日に記録した3万8957円を上回る史上最高値。
そして22日の株価終値も「309098円68銭」とバブル期超えを維持したのだ。
株価は経済の先行きを示す。バブル期の日本経済の隆盛を知る者には朗報。
「円安インフレ」による日本経済の復興「失われていない日本」が証明されたようだ。
チュウインガム学者・評論家がマタゾロ何かおぬかしあろうが、捨て置けばよい。
まま、理屈とチュウインガムは後からくっ付くという安論法の古臭い例えながら・・
昨日も朝から孫が私に弁当を持って来た、三日連続の学級閉鎖だという。
しかし、昼には父親が戻るとかですぐに帰って行った。腰痛の爺思いの孫だ。
「来てうれし 帰ってうれし 孫の顔」の川柳がオモロイ。
横山大観皇紀2600年「霊峰と旭日」。2600年は0式艦上戦闘機制定年。
今年は皇紀2684年、零戦は84歳、まだまだ若い。ミグ・スホーイ相手にもう一戦。

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ポール・ロビン・クルーグマン。1953年2月生まれ、2008年ノーベル経済学賞受賞。
クルーグマンは日本の「失われていない30年」を語る。私は首肯。

「日本が長期不況から抜け出すための解答自体は極めて簡単であり、お金を大量に刷ることで需要を喚起し、インフレ期待を作成することが経済を拡大する唯一の方法である」

私が思うに、日本は戦後インフレによって戦争国債の償還ができ、復興を可能にした。
今の金融緩和策の継続と円安インフレは金と労働の国内復帰を可能にするハズ。
多くの命と財産を失くしたにも関わらず日本国民は国との共同責任を受入れた。

「中国が景気減速に向かうとすれば、興味深いのは日本の『社会的結束力』すなわち大衆の苦しみや社会的不安定を伴わずに低成長を管理する能力を中国が再現できるかどうかだ。私は中国の専門家ではない(のでよく分からないが)、中国がこのように不安定な権威主義政権のもとで、これをやり遂げることができるという兆候はあるのだろうか」

私が思うに、災害時に見せる日本人の忍耐力・責任感・誠実性、支那人には無理話。
昨日の日経記事に「日本株高欧州勢けん引」売買は欧州勢が76%。欧州の支那離れ。

「日本には大きな長期的問題があり、基本的には日本人の不足が問題だ。日本の人口動態はひどいが労働年齢人口1人当たりの成長はさほど悪くない」

私が思うに、日本は30年前に世界最先進国の社会インフラと自由平等社会を実現させた。
日本人の働きぶりは鎌倉武士の「一所懸命」、氏の地所と一族を守る為に命を懸けるに尽きる。
移民の受け入れをせず労働年齢人口1人当たりの成長を可能にしているとは社会成熟の証。

マレーシア人女性ユーチューバーが語っている。
https://www.youtube.com/watch?v=JrqUfAs-PSM

これを観て思い出したのが故李登輝元台湾総統の云う「日本の精神」の原点。
一つ、「はい」という素直な心
一つ、「すみません」という反省の心
一つ、「おかげさま」という謙虚な心
一つ、「私がします」という奉仕の心
一つ、「ありがとう」という感謝の心

私が思うに、素直・反省・謙虚・奉仕・感謝の心を持つ日本人社会は必ず世界に輝く。
ノーベル経済学賞がナンボのもんか知らんが、ポール・ロビン・クルーグマンはん良し。
日本という国は政治家が三流でエリートが二流でも民・国民は超一流である。
前の記事に友人からコメントが来たので私の思いを書いた。
今朝のニュースは日本の大手企業の賃上げ満額回答を伝える。善哉。
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大阪市電と近鉄上六駅。市電の廃止は昭和44年3月31日である。
市電の線路に高下駄の歯をとられてコケ肉魚・野菜をバラまいた思い出が残る。
路面線路の撤去の工事が行われ、大阪から市電が消えた。
その年6月の新聞には「50兆円台を超す、西独を抜き西側で2位」との見出し。
昨年の国民総生産とあり、経済企画庁の発表記事、何か誇らしげ感じたもの。
我々の中学高校の頃は米・英・西独・仏が西側の大国で日本は下と聞いていた。
日本も戦後混乱期から復興、所得倍増計画、東京五輪、大阪万博、そして経済大国へ。
後世に云われる「バブル景気」に入り、21世紀は日本の世紀とか何とか云々。
それがオイルショックから平成不況と長い低迷時期が続き、日本は衰退国と称される。

走馬灯が回り、先週に面白いニュース2つが耳目に入った。国民総生産と株価の話。
日本の総生産が西独に抜かれ世界4位に、株価がバブル期の頂点まであと50円に。
思うに円安と欧州のインフレ需要。ドル換算数値なので日本経済の悪化ではなかろう。
中共経済の先行き不安で世界の投資資金が円安の日本株へ、外人買いで株価上昇。
外人買いに釣られて日本人が買い始めると、適当なところで外人投資家は売り逃げ?
日本は老衰国へ向かうのか、又もや復活劇を演じるのか、国民の政治家選択力肝要。
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利尻昆布の佃煮と煮た手鍋および金属落とし蓋。
「マドンナは何処」に応えて情報探索をしてくれた御仁に感謝の三段鍋。
先ずは河豚てっちり、次にあんこう鍋、そして終いはタラ鍋。5人で略完食。
私はダシにした利尻昆布を手鍋で佃煮にしたハズと記憶を残した。
翌日は茶会、戻った私は歩き疲れと昨夜の睡眠不足でそのままコロリ。
早朝目覚めた私は焼酎のアテに昆布を探すが見つからない。
貰った白菜漬けで焼酎を飲み、時間を待って駅前老人ジムの朝風呂に行く。
その日は指圧を受けてひと眠り。目覚めてまた昆布の佃煮を探すが見つからない。
鍋日に泊まった大阪の友人に電話をする。彼「手鍋に入ってるやろ」、私「鍋は片付けた」。
気になりだすと収まらない。その日は「昆布は何処、昆布は居ずや」でうろつく。
その翌日に味噌汁を作ろうと手鍋を出した。金属落し蓋を取ると下に佃煮昆布。
私は昆布が入ったままの手鍋を棚に片付けていた。そして何度も昆布を探していた・・
ボケ頭に声が聞えた「杉野は何処、杉野は居ずや」、旅順港で叫ぶ軍神・広瀬中佐の声。

ダークダックスが歌う「杉野は何処」↓ 私には「昆布は何処」に聞こえる。
https://www.bing.com/videos/search?q=%e6%9d%89%e9%87%8e%e3%81%af%e3%81%84%e3%81%9a%e3%81%93%e3%81%ae%e6%ad%8c&qs=UT&pq=%e6%9d%89%e9%87%8e%e3%81%af%e3%81%84%e3%81%9a%e3%81%93&sk=SC1UT1&sc=7-6&cvid=974B8F2AA2B04562B5C9ECDCE5CDF8F3&sp=3&lq=0&ru=%2fsearch%3fq%3d%25E6%259D%2589%25E9%2587%258E%25E3%2581%25AF%25E3%2581%2584%25E3%2581%259A%25E3%2581%2593%25E3%2581%25AE%25E6%25AD%258C%26qs%3dUT%26pq%3d%25E6%259D%2589%25E9%2587%258E%25E3%2581%25AF%25E3%2581%2584%25E3%2581%259A%25E3%2581%2593%26sk%3dSC1UT1%26sc%3d7-6%26cvid%3d974B8F2AA2B04562B5C9ECDCE5CDF8F3%26FORM%3dQBRE%26sp%3d3%26lq%3d0&view=detail&mmscn=vwrc&mid=C0961957148B5AABCB9CC0961957148B5AABCB9C&FORM=WRVORC
2024.02.13 外人特権
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11日の日曜日、近鉄西ノ京駅から薬師寺まで歩く。
紅梅は開花していたが白梅は今一の段階。香りは漂っていた。
このところの奈良では寒中の観光起しとして「珠光茶会」なる催しが開かれる。
今年は2月6日の大安寺・裏千家から始まり、12日の東大寺・表千家までの日程。
西大寺で表千家家元献茶、法華寺・遠州、元興寺・武者小路、春日大社・藪内、
唐招提寺・石州、薬師寺・宗偏、他に博物館八窓庵、奈良町界隈、大乗院庭園。
各席は百名前後から二百名ぐらいの集客を図っている。

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薬師寺の「まほろば会館」では宗偏流の茶席が持たれていた。
宗偏流の北陸支部長は私の茶友でいつも連絡をもらう。
今回は音沙汰がなかった。能登震災や大雪で来られなかったと聞く。
今回は京都支部長が担当、お久しぶりと挨拶をして水屋見舞いを置く。

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上の写真はネット検索に見る上田宗箇流濃茶の女点前の席である。
新流は茶入の蓋に茶杓を平らに置くが古流(武家茶)は茶杓を茶入に立て掛ける。
今回観た中に外人が亭主の武家茶席があり、点前は年配の女性であった。
私が髭面和服姿のためか、席の客衆は私に正客を薦める。いわゆる田舎の関取。
現れた外人男の席主、挨拶口上を私は安座手甲礼で返し、濃茶なので無言で居た。
薄暗く見え辛かったのか、点前の女性は茶杓を茶入に掛けられず畳に落とした。
女性は慌てた様子で茶杓を袱紗で拭き掛け直そうとするが又落とした。
粗相を続けた彼女は手先が震えて定まらない状態になり、茶杓を落とし続けた。
それを横目に外人亭主は軸や道具の話を始める。濃茶は無言の席ながらである。
見かねた私は女性に向かって云った「茶杓が掛け難かったら横置きで乗せなはれ」。
焦りながらも女性は5回ぐらいの仕切り直しで何とか茶杓を茶入に立て掛けた。
その間、外人亭主は我関せずでウンチク披露を壊れた蓄音機の如くしゃべり続けた。
茶席を持つ最低の心得は「粗相の稽古」である。その社中のレベルを示す。
随分以前に東大寺の献茶で裏千家が外人男に点前をさせたことがあった。
大仏殿前に縄張りをして献茶席を設けてあったが、中に椅子が数脚置かれていた。
後で入って来た外人がその椅子に座った。縄張りの後ろ席が奈良の寺社仏閣関係者。
外人の中には下駄履きで足袋のコハゼを開けたまま歩く者も居たので私は怒り心頭。
その下駄外人を叱り、後で点前をした外人と付き添いの「業躰ぎょうてい」にも怒った。
外人はスイス人で縄張りの中に入れたのは大使館の関係者とか云々であった。
そのスイス人は外人特権の非を認め謝罪した。裏の業躰は話が見えずにポカーン面。
日本人が許すから甘えた、自分の国では許されないとその外人男は承知していた。
先のミス日本も外人特権。日本美人のマドンナに憧れた私はつくづくそう思う。

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2月6日は愛犬ハナ、血統書では竹姫号の誕生日。
令和2年6月13日の朝、ハナは庭で雨に打たれたまま死んでいた。17歳4か月。
移ろいやすい人生だが、私の中にはハナの思い出を残し続けている。

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私のパソコンの待ち受け画面である。壮年のハナの写真。
柴の雌としては大柄で凛々しい犬だったが、いつも横坐りで愛嬌があった。
15歳ぐらいで白内障を患い、16歳後半には略全盲となった。
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ハナの座布団がある畳の間に上がろうとするが、後ろ脚が萎えて上がれなくなった。
私が上げてやっても、盲目のハナはウロウロしながら板の間へまた転げ落ちる。
障子を閉めておくので障子紙の貼り替えが続いた。
ハナの記憶も薄れて行くが、2月6日の誕生日ぐらいはハナの想い出に一献。
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去年のクリスマスにホテル・ラ・スィート神戸で開かれた「貴志まさみデビュー20周年」。
彼女は私の中学で放送部の一年先輩だった。去年がデビュー20周年なら略還暦デビュー。
私が初めて憧れた女性。優しく「井谷クン」と呼ばれてドッキュンとした覚えがある。

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貴志まさみさんの歌声、「曽根崎の露」「白い街」
https://www.youtube.com/watch?v=qWiceWGqr0E&list=RDGrX1Q0MkdN0&index=2

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私の耳に残る先輩の声は、歌声でなく「井谷クン」の声と彼女の校内アナウンスの声。 

貴志まさみさんのFB
https://www.facebook.com/profile.php?id=100045272201482&sk=about_work_and_education
職歴・学歴・住んだ場所は白紙になっているが、コンサートの案内では
「教論を経て、ピクサー等音楽教室の講師を務めた後、シャンソンの世界へ。2000年帝国ホテル大阪でのディナーコンサートをかわきりに、一流ホテルコンサートを中心に出演し好評を博す。」とある。
美しく年齢を重ねた彼女の姿に良い人生を送ったことが偲ばれる。嬉しい限り。

話の起こりは、先日の友人コロナ回復祝で私が云った「ミス日本」と美人のウンチク。
私が中学生の時に憧れた美人マドンナの話をすると、幼馴染みの同級生が相槌を打つ。
彼は云う「きれいな人やった。あの人に匹敵するのは吉永小百合ぐらいしか知らん」。
考えると吉永小百合と彼女は同年齢、私は吉永小百合の実物も見知るので首肯。
話を聞いていた奈良の情報通の御仁が早速に探索網を張り、昨夜にメール報告があった。
私の憧れのマドンナだった人の今はシャンソン歌手「貴志まさみ」、検索して仰天、その人だ。
まま但し、初恋の人は女房である。私が中学2年の時に女房は1年生で妹の友人だった。
憧れのマドンナと初恋の人とは違うものである。ゴホン。
先月27日の土曜日に大阪の友人のコロナ回復祝をした。
その時に小中学同級生だった男から入江泰吉の写真展の話を聞いた。
70年前の奈良の景色や街角の姿が写されている、休館日は月曜云々。
茶友が膝の治療で市民病院に入院したと聞いていたので出掛けることに。
天気も2月2日は晴れの予想、糖尿検診を済ませて10時半のバスに乗車。
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東大寺でバスを降りて歩いていると甲高い声が聞こえる。支那語の団体が横一列。
後ろから土産物屋の車が徐行。私が団体へ向かって口を閉めて道を空けるように伝える
車を通すと運転する親爺が窓を開け「何処まで?」、私「入江写真館」、親爺「乗んなはれ」。
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70歳と云う親爺「彼等まだマシでっせ。団体ツアーはマナーもへったくれもおまへん」。
私「昔の農協団体(^^)」、親爺「農協はんは可愛いもの、国民教育の違いだすな」。
写真館の前まで連れて行ってくれた。私は礼を云って別れ、写真館の入り口へ。
そこには「授賞式のため関係者以外立ち入りお断り」、私は悄然と立ち、金曜やのに・・。
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浮見堂から鷺池の湖畔で羽織袴の外人男が晴れ着の日本女を連れて立っていた。
人力車にでも乗って来たのであろうか、奈良ホテルの方を観て二人で歓談。気分が悪い。
奈良ホテルの向こうが市民病院なので茶友に連絡と思い携帯を開けるとメールがあった。
「ならまちリハビリ病院に転院」、また悄然と猿沢池へ向かう。「奈良町」とは観光用売名。
それを病院名にまで付けるとは観光植民地化した軟弱市民意識の表れ、ますます気分が悪い。
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猿沢池から五重塔を背景にした写真は祖父も父親も残しているので私も一葉。
奈良町情報館とかで「ならまち病院」を訊くとJR奈良駅付近とか、全くのお門違い。
何故か今御門・下御門・東寺林・西寺林・御所馬場・中院・脇戸・公堂納と正式名を云わない。
奈良町情報館では私が云う正式名が通じず、若い館員は正式町名が記載された地図を出す。
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三条通りへの途中にある墨屋・古梅園。並びの呉服屋は写真部だった高校同級生の家。
同窓会のこともあり、数十年ぶりに寄ると同級生は去年に亡くなったとか。私は意気消沈。
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三条通りにあるローソン。まま、奈良を意識したのだろう。
私は紙屋で葉書を、工芸屋で細筆を求める。四十ならぬ八十前の手習い用。
漸くならまちリハビリ病院へ着くと身内以外は入室不可だという。苛つき究極。
仕方なく茶友の店へ行き奥方と話す。
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老人運賃百円のバスで西大寺駅まで戻り、喰い物を仕入れにイオンへ寄る。
店員から渡された携帯カメラ付き新式カート。買うた商品のバーコードを写せとか。
買い物後は決済機に携帯カメラを読ませ、支払機へ行き現金かカードで処理。
昔は流通コンサルタントで飯を喰ったこともある私。ショボくれてマンションへ帰る。
調べると2月2日は「仏滅」とあった。