| Home |
2022.05.30
見納め

日曜の朝、近鉄西大寺駅から各停電車で橿原神宮駅へ、吉野行きの各停に乗り換え。
ホームにピクニック姿が多かったが飛鳥や壺坂山(寺)で降りて行き車内は閑散となる。

飛鳥、壷阪山、葛と過ぎると場所は御所市ながら吉野口駅、国鉄と近鉄の共同運営駅。
明治29年に南和鉄道(後の国鉄)終着駅、大正元年に吉野軽便鉄道(後の近鉄)始発駅。
開業当初から売られていた駅弁が後に「柿の葉寿司」と呼称される。私鉄最古の駅弁とか。

六田駅で下車、吉野軽便鉄道の始発駅で吉野駅とされた。今の始発駅は吉野神宮駅。
伐採木材を驢馬が山山から下まで引いて道に出ると馬車に積み運んでいたのを覚えている。
川の筏(いかだ)流しを六田の瀬で馬車鉄道に乗せ換えようとしたのが吉野軽便の始まりとか。

私の母校大淀第三小学校は北六田の山の上にあった。下の写真は山の登り口の昔と今。
大淀町史にある写真だが、私の通っていた頃は未だ舗装されていなかった。


山道を登るのに40分、山の上に小学校があり、朝には小使いさんが鐘を鳴らした。

大淀町史に残る第三小学校の写真だが、車の恰好からみると昭和40年代かも。

校舎が跡形もなくなって運動場が広がっていた。今日は吉野郡の小学校野球大会であった。

記憶に残る校庭の楠木、当時も大きい木だと思っていたがより巨木に成長している。
木陰は十津川村チームの休憩所になっていた。話を聞くと十津川村は三千人を切ったという。
私が父親と行った昭和32・3年の十津川村は河川や道路の工事で一万五千人位が居た。
十津川村は合併したらアカンと私が云うと、「しませんよ」と返って来て破顔。

山を下り六田駅から我が家があった集落「新野」まで40分歩いた。小学校からなら80分。
小学校一年でランドセルと弁当を背負い毎日この道を歩いたのだと再認識した。
車が通ると砂埃が舞う道はそこかしこに馬糞が落ちていたが今は立派な舗装道路。
村の鎮守・新野八幡、ここの境内でソ連から帰還した村人の歓迎会があり私も行った。
帰還者が皆の前で大声を上げたのが記憶に残る。「マルクスレーニン万歳!」と。

我が家があった辺りは草叢と化していたが、道向うにはスーパーマーケットが出来ていた。
近くに大阪直行が売りの団地が開発されて人口が増えたらしい。

新野から更に40分、越部駅まで歩き電車待ち30分、橿原神宮駅へ出て西大寺に帰った。
想い出の見納めというか、もう来ることも無かろうと、駅のベンチで孤愁。
2022.05.29
麦と兵隊

旧宅にあった山紫陽花を根だけにして持ってきた鉢が花を付けた。
戦闘が続くウクライナで小麦畑が広がる映像を見て、歌が頭に浮かんだ。
♪ 行けど進めど 麦また麦の 波の深さよ 夜の寒さ
声を殺して 黙々と 影を落として 粛々と 兵は徐州へ 前線へ ♪
支那事変の徐州作戦へ従軍した記者・芥川賞作家・火野葦平の著作「麦と兵隊」。
火野は北九州では任侠一家の二代目であり、アフガンで死亡した中村哲医師の伯父。
但し、この歌詞は火野ではなく別人の作である。(作詞・藤田まさと、作曲:・大村能章)
世界の小麦輸出量はロシアとウクライナで三割を超えるというがロシアは黒海封鎖。
アフリカはウクライナの小麦に頼っており、貧困層に飢餓の恐怖が迫っているという。
古来、人類の戦争は食料と燃料の争奪戦が根本。プーチンの戦略は王道と云える。
欧米対ロシアという構図から、アジア・アフリカを対露戦略に引き込めるかどうかである。
中共はともかく、インドとアセアンへの日本の対応力がカギを握ると思うが心もとない。
今日は快晴。近鉄で吉野は六田まで行き、山の上で廃校になっている母校の小学校へ。
想い出の場を確認してから当時の自宅があった場所までの「通学道」を歩くつもり。
2022.05.27
F1種と昔野菜


保育園児の下の孫を迎えに行ったら、娘宅にプリンスメレンが何個かあった。
近所の農家から貰ったとかで、「爺ちゃんも食べ、おいしいで」とかで一個貰う。
このプリンスメロン。今となっては懐かしさ覚える果物である。謂わば「昔野菜」のひとつ。
今の上皇陛下御成婚の年(昭和34年)に種苗開発が開始され翌年誕生の交配種(F1種)。
世間では皇太子ご成婚記念の果物「プリンスメロン」と市場に普及したが実は違った。
種苗会社の名が「プリンス園」とは今以って知られていない。どうも公表しなかったらしい。
昭和30年代の病気見舞いは、ええ衆はメロン、中流はバナナ、庶民はマッカ(真桑瓜)。
一世を風靡したプリンスメロンも今は果物屋から消え、売り場に多様なF1メロンが並ぶ。
今の青果売り場ではF1種が九割を占めるらしいが、F1種の難点は交配種故に一代物。
教科書で習ったメンデルの法則とか、まま、エンドウ豆の色やロバとラバの話である。
栽培した野菜の種で二代目は期待できず、農家は毎回種苗会社から種を買うことに。
農家は種苗会社の農作専業者で自前の種取りが出来ず、種苗会社の多くは外国企業。
農学者曰く、日本の野菜の殆どが渡来物で日本に原種がないから(?私は理解不能)。
農家に残る昔の種で作った「昔野菜」の愛好者もいるが所詮は趣味者の域を出ない話。
形が揃い見栄えも好く味も旨い物が市場を占めるのは当然至極だが、私は違う懸念を持つ。
農家に残る「昔野菜」の種が無くなった時、その作物が永遠にこの世から消えるということ。
野生種には絶滅危惧という世の知見があるが、農作物にはそれがない、無くなったら終り。
このプリンスメロンも「昔野菜」と同じ。贅沢を云えば井戸で冷やした「マッカ」も欲しい。
2022.05.25
同盟と中立、そして非加盟

白地が非加盟国。文字で隠れた部分が加盟国のトルコやギリシャ。
この2・3日は4か国同盟(クアッド)話ながら、切迫した話は北大西洋条約機構(NATO)。
過去200年軍事同盟非加盟のスエーデンとロシアとの戦いで中立となったフィンランド。
この二国が国是を降ろし欧米の軍事同盟NATOへの早期加盟を求めた。
欧亜の蝙蝠トルコの姑息な条件はともかく、他の加盟国の了承は得られるであろう。
面白いのは、スエーデンとフィンランド以外の欧州のNATO非加盟国のこと。
先ずは永世中立国を貫いてきたスイス、それがNATO軍事演習には参加という。
ヒットラーの故国でナチスドイツと共に二次大戦を起こしながら、今は中立国のオーストリア。
ユーゴスラビア時代にNATO軍の爆撃を受けた怨念が残るバルカン半島のセルビア。
最も面白いのはアイルランド(エール)、国民は南北併せても7百万ながら世界には7千万。
その内4千万人近くが米国に居住、米国は英国と共にNATOの中枢でありリーダー国。
その米国に、これまで何人ものアイルランド系の大統領が登場し、NATOを差配してきた。
ジョン・ケネディ、ロナルド・レーガン、ビル・クリントン、そして今回のジョー・バイデン。
あの黒人大統領バラク・オバマの母親もアイルランド系であるという。
そのアイルランドのNATO非加盟は筋金入り、イングランドとの長い抗争の末に1922年独立。
英連邦の一員となったが、先の大戦では英国の要求を退け対日宣戦布告をしなかった。
聞く話では、シンガポール陥落時に首都ダブリンの酒場で乾杯をする人も居たという。
英国がEU離脱を決めた時が北アイルランドの独立チャンスだったとは知人の国際学者談。
アイルランドの旧石器人骨のY染色体遺伝子がC1a2、日本人固有のC1a1と唯一の近似種。
クロマニヨン人である。後に来たケルトやノルマンに駆逐されたようだが、残滓があるという。
十数年前に私は女房とウェールズ・スコットランドを訪れたがアイルランドは行けず悔やむ。
考えてみるとNATO非加盟国には夫々の歴史の思いがあって納得できるところがある。
スエーデン・フィンランドのクルド支援は私も賛同。トルコは両国の加盟に駆け引き無用。
2022.05.23
ウクライナ避難民、大鵬

48代横綱大鵬幸喜、本名は納谷 幸喜、樺太生まれで出生名はイヴァーン・ボリシコ。
彼の父親はウクライナ東部ハリコフ出身のコサック騎兵マルキャン・ボリシコ。
マルキャンは北樺太に居たが革命政府を嫌い白系露人として日本領南樺太へ避難。
日本女性と結婚し大鵬が生まれる。南樺太は日本領だったので外国出身力士でない。
終戦後にソ連軍が南樺太に侵攻、父親は拘束され後に死亡、母子は北海道へ。
ソ連軍もロシヤ軍も名前は違えど極悪非道の露助兵。樺太は今のウクライナより酷かった。
大鵬の父親がロシア人でなくウクライナ人であったと私が知ったのは孫の王鵬の話から。
王鵬の兄弟4人がレスラーと力士、身長が王鵬191㌢長兄201㌢次兄185㌢末弟184㌢。
大鵬187㌢を改めて調べウクライナ避難民の嚆矢濫觴(こうしらんしょう)と分かった次第。
2022.05.20
市立尼崎高校吹奏「ハイサイおじさん」

甲子園球場、沖縄尚学の応援席で演奏するのは市立尼崎高校吹奏部。
https://www.youtube.com/watch?v=hdBQq1v-LrY
二十年前になるかNHK朝ドラ「ちゅらさん」は「おばあ・平良とみ」の演技が好評だった。
今回は沖縄本土復帰の記念番組然とした「ちむどんどん」、今一で私は観なくなった。
東京にいた頃に感じた「田舎者が田舎者を馬鹿にする風土」が見える。
私が育った畿内では、東京で云う田舎者を見下す感覚が無かった。
中四国や九州の言葉訛り「じゃどん」「じゃけん」「しちょるきぃ」を好感をもち真似た。
東京へ行った当初は「大阪弁」とよく云われ、「ちゃう、奈良や」と否定したもの。
後になって気付いたが、東北出身の先入り者が後入り者を見下すところがある。
方言感覚が無い畿内人が自分の言葉で会話することに、彼等は違和感を持ったようだ。
東京しか知らない田舎出身者がテレビ制作に係るとおかしな現象が起こる。
時代劇番組で河内の田舎村の話に「だべ・オラは」とか台詞付けをしていてワロタ。
「田舎者の言葉=東北弁」のフレーズは東京弁=憧れの都会=「だからさ、云っちゃって」。
「ちむどんどん」では東京が憧れの都会と設定、沖縄の田舎性を言葉仕種で誇張する。
戦前から沖縄・奄美の人にとって本土とは東京でなく阪神志向。巨人より阪神(^^)
大阪大正区は4分の1が沖縄出身者、尼崎も奄美出身者が2万人を超え、夫々タウンもある。
沖縄の高校が甲子園に出場したら市立尼崎高校の吹奏楽部が応援演奏している。
確かに芸能人が沖縄や奄美から東京へ行き、成功を夢見ることが多くなった。だが、
「東北の田舎者と憧れの都会東京」という田舎者フレーズで沖縄を見るのは止めること。
まま、沖縄をちらつかせて東京に居る芸人も多いがそれはそれ。
「平良とみ」は沖縄で俳優を続け沖縄で亡くなった、「元 ちとせ」は奄美で歌い子を育てた。
日本列島には地域文化が多彩に開き、地産地消の生活文化を持つことを良しとしたい。
東京へ先に出た田舎者が後に来た田舎ッペを笑う東京の歪んだ田舎者文化はアカン。
2022.05.18
淡竹

「朝採りや」というて友人が持って来てくれた「淡竹」。
ロシア軍も侵攻当時は「破竹の勢い」であったがウクライナの義憤の前で頓挫、将官も戦死。
淡竹は竹の名前、破竹は竹を破ると云う言葉で竹の名前ではない。
強風に柳や竹の枝は折れないが、大木の枝はバキッと折れるという例えがある。
まま、ウクライナを竹とすればロシアは大木、それも幹が腐った大木である。
ロシア主導の軍事同盟(CSTO)も揺らぎ出しているようだ。崩壊の始まりだろう。
朝のニュースでマリウポリ製鉄所のウクライナ軍の降伏を知った。よく頑張ったと思う。
徹底抗戦でロシア軍を引き付け、それによって東部戦線のウクライナ軍の行動を助けた。
ウクライナ側の捕虜交換提案にロシアが応じるかどうか、心配である。
今、淡竹を湯掻き終えたので暫らく置き、コニャック、否、コンニャクと共に煮る予定。
2022.05.15
遺伝子の断層帯

琉球弧最西南端八重島諸島と台湾の海上距離は100㌔余りだが、遺伝子距離は断層帯。
話の相手はタコ焼き屋の女店主の友人。私がタコ焼きの焼き上がりを待つ間のこと。
旦那が沖縄で子供の顔が濃いとか、沖縄の血は台湾や南方人に近いと彼女は認識。
彼女は子供の写真を見せ「こんな顔」、私「沖縄はアイヌと近い」、彼女「聞いたことある」。
そして次の話のやり取りが終わった頃にはタコ焼きは冷めていた。
.png)
男性のY染色体遺伝子D型の分布図。チベット50%と日本40%の他はアンダマン諸島。
日本人のD1a2a型は4万年位前に日本列島で誕生、日本民族(アイヌ・大和・琉球)のみ。
アイヌ人70%、大和人40%、琉球人60%となり縄文人の遺伝子とされている。
日本人独特のY遺伝子にはC1a1型もあり、5~4万年前に日本列島で誕生したらしい。
C1a1型の分布は徳島10%沖縄6.8%本州4.9%(青森7.7%東京7.0% 静岡4.9%)九州3.8%。
C1a1型の近似型C1a2は旧石器時代に欧州にいたクロマニヨン人の遺伝子から見つかる。
更に辿ると豪州のアボリジニーのc1b型でモンゴル・ツングース・エスキモー等のC2型とは別。
つまりD1a2a型もC1a1型も日本列島だけの遺伝子で近くの朝鮮や台湾でも見ない。
地球上最大域に広がるマレー人は台湾先住民の高砂族が6千年前頃から移動したもの。
そしてフィリピンからインドネシアへ、西はマダガスカル、東は太平洋諸島まで広がる。
高砂族は目の前の八重山諸島へは来ていない、八重山諸島には縄文人がいたからだ。
マレー人の拡がりは船での渡海、無人の地へ行くだけで戻らない。往復航海ではなかった。
縄文人は3万8千年前に伊豆神津島へ黒曜石を取りに行き帰る往復航海を人類初で実現。
岩手県の縄文土器が沖縄本島で見つかったり、石垣島では1万年前の土器が発見された。
土器で煮炊きする文明を持つ人たちが先島諸島にいたので、台湾からの渡海移住はない。
台湾と先島諸島の間の海は遺伝子の断層海域、もちろん漢族の遺伝子もない。
「オール沖縄」の人達や沖縄のマスコミ、自分たちを何人と認識しているのであろうか。
まま今日は沖縄本土復帰の日。
2022.05.13
ウクライナの婦道

フェイスブックに投稿された女性兵士ワレリアさんと戦死した夫のアンドルーさんの写真。
包囲下にあるウクライナ南東部マリウポリのアゾフスターリ製鉄所で結婚した女性兵士が、3日後に夫を亡くしたことが分かった。2人は投降を拒む他の数百人の兵士とともに製鉄所内で戦っていた。(CNN)
このネットニュースを私は昨日見た。ワレリアさんの11日のフェイスブックへの投稿文。
「あなたは3日間、私の法律上の夫でした。そして永遠に私の愛であり続けます」「私に残されたのはあなたの姓と愛情に満ちたあなたの家族、そして一緒に過ごした幸せな記憶だけです」。
私には特攻隊の生き残りであった父親から聞いた話が頭に浮かんだ。
出撃前に休暇を貰った隊員が実家に帰ると結婚式を挙げる者がいたとか。
式で初めて顔を見た新妻と三日や五日の新婚期間、そして帰隊し出撃、特攻戦死。
そんな話であったが、何年か前に「特攻の妻」というドキュメンタリー番組を観た。
二人の女性の話であった。一人は短い結婚生活ながら子供を授かった。
夫の実家で義両親と暮らして子供を育て成人させる人生を送ったという。
もう一人は子供は出来なかったが夫の姓を名乗ったままの生涯であるという。
私は彼女らの生き様に是非を云うことは出来ないが、日本人の結婚観や「婦道」を見た。
この女性兵士の言葉「法律上の夫、あなたの姓、あなたの家族、一緒に過ごした幸せな記憶」。
目が潤んだ。特攻隊の妻のことが被さり思った、ウクライナ人の感覚は日本人に似ていると。
日露戦争でロシア兵は戦況不利になると逃亡兵が出たがコサック騎兵は勇敢に戦った。
ウクライナ国歌に「コサックの誇り」が歌われているが日本の士道婦道と通じるものがある。
別のニュースでは一般人を避難させた後のマリウポリ製鉄所内部で「歌う女性兵士」を観た。
鉄兜で銃を手に歌っている女性兵士の姿。私は製鉄所を死守する兵は全て男と思っていた。
ウクライナ女性兵士の姿に沖縄・伊江島の女性やひめゆり部隊が重なった。
ウクライナは降伏すべしとホザクW徹の橋下・玉川。フィンランドの女性首相は失笑であろう。
2022.05.12
無知の涙、ベレー帽・鳥打ち帽

先日の鷹匠の再掲載。孫たちを連れて行った平城京天平祭のブログである。
私は「何故かベレー帽に地下足袋そして羽織姿の男が出て来た。鷹匠だとか。」と書いた。
ブログを見た知人「ベレー帽と違う、鳥打ち帽や、鷹匠なら相応や」。調べるとその通り。
服装・服飾に疎い私。無知ぶりを晒し恥じ入るところ。まま、然し、私は呟いた。
「帽子が洋式なら履物も地下足袋にせず洋靴に、着物羽織もジャンパーにせいや」。
「着物の下がブリーフやったら笑うで」、と話の軸をずらしながら自分の無知をごまかした。
2022.05.11
妻をめとらば、百合違い

松島の瑞巌寺境内(ネット写真集から)。50年前に私は高校の修学旅行で行った。
苦笑いした二つの場面が想い出に残る。一つは瑞巌寺の寺院説明者の無念の表情。
彼は「鎌倉時代の寺院で、建物は国宝です」とドヤ顔説明、我々「新しい寺やな」。
彼「何処から来たの?」、「奈良」、彼は苦笑い「寺より松島、海を見たことがありますか」。
宿屋の夜は恒例の枕投げ、他の部屋の襖を開け寝床へ向けて枕を投げ付け部屋に戻る。
仕返しが来ると想定、灯りを消し毛布を手に襖の横に屈む。ガラッと襖が開き人が入って来た。
それっと毛布を被せ、皆でボコボコ。灯りを点けて毛布を取る。転がっていたのは先生。
無表情の先生に我々は土下座、聞くと他の生徒から苦情があり見に来たとか・・。
恐縮している我々の顔見て先生は苦笑いしながら「まま、元気があってええけどな」。
そして皆を座らせて「歌を教えたる三高の寮歌や」と云って歌い出した。先生は京大出。
♪妻をめとらば才たけてみめ美わしく情あり、友をえらばば書を読みて六分の侠気四分の熱♪
我々は苦笑いをしながら続いて歌った。作詞は与謝野鉄幹とか歌詞に感動した記憶が残る。
こんな話を思い出したのは、私が毎月曜日に受けているリハビリの施術師の話からである。
彼は50代で「サユリスト」だという。「彼女はもう77や」と私が云うと彼は指に力を入れ、
「彼女は歳毎にその歳の美しさがある、今も現役女優で声もええ、賢さが顔に出ている」。
「妻をめとらば才たけてみめ美わしく、という歌があるでしょう」と彼。私「あるある」。
彼はさらに続けた「明日日本に来るフィンランドの首相、美人で賢そうで根性もありそう」。
私「ロシアが次に狙うモルドバの大統領も別嬪でしっかり者や、男衆は何をしてるんやろな」。
彼「小池百合子も美人ですね」。私「百合違いや、小百合はん怒るで」。
2022.05.08
悲しい史実

ピカソの絵画「ゲルニカ」。いつも思うが私にはピカソの絵画が分からない。
「スペイン内戦」でバスクの都市「ゲルニカ」は史上初の「都市無差別爆撃」を受けた。
またも「土曜は寅さん」を点けっぱなしで寝入る、三時ごろ目覚めチャンネル切り替え。
ドキュメンタリー放映「スペイン内戦」があった。ファシストと共産主義者の戦い云々。
6時頃から「アフリカの蹄」という20年前のNHK大作ドラマ前編後編の3時間余りを観た。
南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)に立ち向かう日本人青年医師の話。
帚木蓬生の原作は読んだが、NHK作品では愛じゃ友じゃ涙じゃと少々煩わしく欠伸が出た。
作品の中に流れたテーマ曲の歌詞に目が行った。英語の歌であったが字幕は日本語である。
「母は泣き、年寄りの目には恐怖、壁にしたたる子供の血、忘れない怒りの地、もう一つの国に生きる力」
誰の作詞かは分からないが、先に観たドキュメンタリー・スペイン内戦のゲルニカが浮かぶ。
「もう一つの国に生きる力」の歌詞にはウクライナ避難民の子供の姿が浮かんだ。
ところで、もう一つ思い出したのが「名誉白人」。遠洋漁船の乗組員であった友人の話である。
アパルトヘイトによる人種差別を行っていた南アフリカには日本のマグロ漁船の基地があった。
人種差別法に背徳法・結婚禁止法というのもあり、白人と有色人の男女関係が禁じられていた。
友人曰く、マグロ漁船の連中には日本人は名誉白人と云われて喜んでいる馬鹿もいたとか。
帚木の小説は平成4年、アパルトヘイト撤廃は平成2年。NHK「アフリカの蹄」は平成14年。
悲しいが、人の世から差別と戦争はなくならない。
2022.05.06
ウクライナ避難民、子供の入園入校

娘宅の鯉のぼり。この時は夕方6時であるが夕暮れが遅くなった。
連休中の孫は私のマンションに遊びに来ていたが、今日は早速に保育園のお迎えの声が掛かる。
今日のテレビでウクライナ避難民の子供二人の入園入学がニュースになっていた。
一人は3歳の女の子が母親の採用された職場にある保育施設へ入園(?)した風景。
もう一人は6歳女の子、ランドセル姿で小学校へ入学、級友との給食の風景が映された。
ウクライナ人は子供の日も鯉のぼりも知らないであろうが、まま、ほっこり。
2022.05.04
平城京天平祭

昨日、コロナ明けの孫三人が昼から私のマンションに泊まり掛けで遊びに来た。
今朝は西大寺駅10時前の「ぐるっと奈良」のバスに孫を連れて乗ると何と満員。
何事かと聞くと、平城京で天平祭があるとか、皆さん観光客であった。
駅を出て最初の停車場が朱雀門広場、殆どの人が降りるので私たちも降りた。
人だかりに近付くと平城京衛士隊の再現という列が行進中、近衛兵か皇宮警察。

衛士の後、何故かベレー帽に地下足袋そして羽織姿の男が出て来た。鷹匠だとか。
鷹は意に反し朱雀門の鳩を追い出す。匠は鳩を追い払う仕事もあるのでと云い訳。

孫娘二人が似た年頃の女の子二人の姿に目をやる。女の子は天平服に身を着飾っていた。
母親に訊くと貸衣装の企画があり、着させてみたとか。孫にも着るかと聞くと首を振った。
孫(馬子?)にも衣装とは云わない。

遣唐船の横でダンゴを売っていた。通り過ぎてから孫息子が「ダンゴ食べたい」。
12時になっていたので、上の孫娘たちに「お昼はダンゴにするか」と聞くと肯いた。
店の女の子に「ダンゴ、なんぼ」と云うと、女の子は「一本400円です」と答えた。
私「高いな」、女の子「私も思います」、私「あんた正直やな」、女の子「はい」、ええ日和。

朱雀門からマンションまで歩いて帰ることにした。今の私の足では30分程か。
平城旧跡へ抜けるとポツネンと看板「平城京天平祭・会場」。こんな処から観光客は来ない。
2022.05.03
日本けんぽう

日本拳法と空手やボクシングとの大きな違いは組打ちがあること。
組打ちで倒した相手に突き蹴りの止めを入れて勝ちとするのである。
組打ちがない格闘技はクリンチや「待て」が入るが実戦には「待て」はない。
つまり、武器を持っていない時に戦場で行う素手の格闘術。
よって日本拳法は自衛隊では「徒手格闘技」、警察では「逮捕術」になっている。
「国民主権」、「平和主義」、「基本的人権の尊重」云々は平時のそれ。
日本憲法も75歳、後期高齢である。老いサバらえて野垂れ死にするか、生まれ直すか。
私が思うのは、日本人が考え日本語によって書き記した日本憲法でありたいと。
護憲を云うて護国がないのはイカン。大日本帝国共産党は改憲を主張。
護憲派野党もクリンチや待ったばかりで勝負に出ないのは見苦しい。
体格に劣ると云えども相手に組み付いて倒し勝負を付けるべし。
取り敢えず、けんぽう記念日
2022.05.02
茶摘み

燕と鯉のぼり、今年の八十八夜は今日5月1日。プランタンの菖蒲も咲いた。
私の祖父が奈良・東山中から奈良市内に出て来るまでは茶園が家業であった。
よって一族には茶業が多く、子供の頃から袋詰めの茶を貰っていた記憶が残る。
その殆どは番茶で偶に煎茶が少々、玉露や抹茶なんぞ見たこともなかった。
茶の湯を始めて知ったのは抹茶の話、薄茶と濃茶があり濃茶には茶名が付いている。
よく聞く茶名は〇〇の昔、昔とは二十一日、八十八夜とその十日前十日後の二十一日。
この間に摘み取る茶の新芽が極上の抹茶になるので茶名に昔と付くと聞いたが俗説とも。
その新芽を碾茶にして袋に入れ茶壷に納めて保存熟成、秋に開封するのが口切り。
碾茶の袋を茶壷に納める際に周囲の隙間に緩衝材として入れた茶葉が曰く薄茶となる。
茶の湯は室町期の闘茶に始まる、茶の当て合いである。故に茶名の用が出たのだろう。
よって本来薄茶には茶名が付くことがないのに近年は〇〇の白とか云い出したようだ。
茶葉を蒸すのが白で、灰汁に浸けるのが青と云ったが灰汁は使用禁止になり今は白だけ。
そんなこんなの八十八夜。最近は燕も鯉のぼりも見ることが少なくなった。
2022.05.01
トラ・トラ・心

五月である。旧宅から持って来た菖蒲のプランタンが花を咲かせた。
土曜の夜から今朝に掛けて頭がテレビで混乱。金曜は13時半から全日本柔道選手権を見る。
放映が始まるや、60㌔級の高藤と72㌔級の大野は放映前に一回戦で敗退と知り興味半減。
ベスト4に残った景浦は179㌢で㌢で110㌔で東京オリンピック無差別の神永とほぼ同じ体格。
他の3人、原沢191㌢122㌔、小川190㌢135㌔、斎藤193㌢168㌔、日本人も大きくなった。
決勝は影浦心と斎藤立、私は影浦を応援したが延長の末斎藤に圧力負けして足車で倒された。
影浦は一昨年のパリ大会で五輪2連覇、世界選手権8連覇のリネール(フランス)を破った男。
10年間無敗で154連勝中の絶対王者で203㌢140㌔という巨体リネールを畳に転がしたのだ。
リネールの言葉は「負けた相手が日本人で良かった」、なかなか好い男。
て「土曜日は寅さん」は18時から21時、今回のマドンナは石田あゆみで舞台は京都と小浜。
ウトウトして気が付けば朝の4時、テレビのチャンネルを回すと「五島のトラさん」。
私は寅さんの続編かと思ったが、「うどん屋の虎さん」で「ダンゴ屋の寅さん」ではなかった。
五島列島で製麺と製塩を始めた犬塚虎夫の35年を追ったというドキュメンタリー映画。
虎夫が妻と共に男女7人の子供を育て、五島のうどんと塩の製造販売をする22年間を撮影。
虎夫は平成26年に逝去享年61歳、糖尿病の悪化と焼酎の飲み過ぎとか。身につまされる。
長女の心(こころ)が兄と相談し、夫と共に虎夫の事業を継ぐ。https://goto-toraya.com/
金曜日の柔道で影浦心、「心」という名を初めて見て珍しいと思ったが虎夫の長女も「心」。
男心もあれば女心もあると納得。影浦は愛妻家という、名は人を現すように二人とも好い人。
| Home |