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2018.06.30
ポーランド
ポーランドサッカー協会のドニエク会長がテレビで語った話を知った
日本軍に救助されたポーランド・シベリア難民の孤児。ナホトカから日本へ向かった。
ポーランドサッカー協会のボニエク会長が日本ポーランド戦の試合後に語った。
「リードされている日本代表が自ら敗戦を選んだ、こんな試合は初めてだ」。
この話を聞いて私は悲しくなった。クドイが又もや書き込みたくなった。
余り知られていないが、ポーランドは欧州一の親日国である。
日本の江戸時代に、ポーランドはドイツ・ロシア・オーストリアに分割されていた。
ロシア分割地区で独立運動を起こした数万のポーランド人はロシアによってシベリア抑留。
ロシア革命の内戦の中で、シベリアのポーランド人たちは凄惨な生き地獄に追い込まれる。
食料も医薬品もない中で、多くの人々がシベリアの荒野を彷徨い、餓死、病死、凍死する。
食べ物を子供たちに食べさせた母親が力尽き、その胸にすがって涙を流しながら死にゆく子供。
そのポーランド人たちは、せめて子供だけでも助けてほしいと世界各国に訴えた。
しかし、ロシアの存在の前に各国は沈黙し、シベリアのポーランド人を無視した。
ロシア内戦でシベリア出兵をしていた日本軍は日本赤十字に届いた救助願いに応えた。
そしてポーランド孤児795人を大正9年と11年の2回にわたって救出し、日本へ向かわせた。
そして日本各地で歓迎と静養の時間を過ごし健康が回復した孤児をポーランドに送り届けた。
この話はポーランドの教科書にも載せられており、日本への感謝と尊敬が根付いている。
多くのポーランド人が観ていたであろう日本・ポーランド戦、日本の戦いぶりに関心が集まる。
日本の先達が見せたサムライ精神、ポーランド人に今の日本人は如何に見えたであろうか。
日本軍に救助されたポーランド・シベリア難民の孤児。ナホトカから日本へ向かった。
ポーランドサッカー協会のボニエク会長が日本ポーランド戦の試合後に語った。
「リードされている日本代表が自ら敗戦を選んだ、こんな試合は初めてだ」。
この話を聞いて私は悲しくなった。クドイが又もや書き込みたくなった。
余り知られていないが、ポーランドは欧州一の親日国である。
日本の江戸時代に、ポーランドはドイツ・ロシア・オーストリアに分割されていた。
ロシア分割地区で独立運動を起こした数万のポーランド人はロシアによってシベリア抑留。
ロシア革命の内戦の中で、シベリアのポーランド人たちは凄惨な生き地獄に追い込まれる。
食料も医薬品もない中で、多くの人々がシベリアの荒野を彷徨い、餓死、病死、凍死する。
食べ物を子供たちに食べさせた母親が力尽き、その胸にすがって涙を流しながら死にゆく子供。
そのポーランド人たちは、せめて子供だけでも助けてほしいと世界各国に訴えた。
しかし、ロシアの存在の前に各国は沈黙し、シベリアのポーランド人を無視した。
ロシア内戦でシベリア出兵をしていた日本軍は日本赤十字に届いた救助願いに応えた。
そしてポーランド孤児795人を大正9年と11年の2回にわたって救出し、日本へ向かわせた。
そして日本各地で歓迎と静養の時間を過ごし健康が回復した孤児をポーランドに送り届けた。
この話はポーランドの教科書にも載せられており、日本への感謝と尊敬が根付いている。
多くのポーランド人が観ていたであろう日本・ポーランド戦、日本の戦いぶりに関心が集まる。
日本の先達が見せたサムライ精神、ポーランド人に今の日本人は如何に見えたであろうか。
2018.06.30
大事なもの忘れた明徳ベンチ
先日の孫の保育園運動会で父兄代表として挨拶をする我が娘の旦那。
大学アメフト出身で脳ミソ筋肉と思っていたが、ナカナカに人生美学を語っていた。
平成4年夏の甲子園大会で高知明徳は石川星稜の松井を五打席連続敬遠。
9回表の松井の最終打席(二死三塁)で四球が与えられた時は球場内は野次と怒号。
明徳側の応援スタンドからも「土佐っ子なら逃げずに勝負しろ!」といった野次が飛ぶ。
高校野球では史上まれに見る異様な雰囲気となったが、明徳の一点差逃げ切り勝利。
試合後に明徳監督は述べた。
「正々堂々と戦って潔く散るというのもひとつの選択だったかもしれないが、県代表として、ひとつでも多く甲子園で勝たせたいと思った」。
後にも「そうした潔さに喜ぶのは客と相手側だけだ」と語る。
一方の星稜監督は「甲子園で男と男の勝負をしてほしかった、残念です」と述べた。
主催の朝日新聞は翌日の夕刊コラムで「大事なもの忘れた明徳ベンチ」と書いた。
有識者、元・現役プロ野球選手・高校野球関係者から賛否両論が寄せられて社会問題化した。
私はそれらの意見の中で、至極当然だと思う意見は次の「興行」の考えである。
雑誌Numberが「敬遠の夏」と題し敬遠事件の特集を組んだ。
>星稜、明徳両校の視点だけでなく観客からの視点もあり「(入場料を払ってまで)野球を見に来た観客の楽しみは勝敗以前に松井がこの試合で如何にして打つか、また相手投手が松井を如何にして抑えるかにあった。(中略)観客が(入場料を払ってまで)楽しみにしていた物を5打席敬遠という予期せぬ形で奪われたら(明徳へ)『帰れ!!』コールを行ってもその気持ちは十分理解できる」<
サッカーワールドカップH組予選リーグ・日本対ポーランド戦。
早寝早起きの私が懸命に目を開け23時からのテレビ中継を見ていた。
試合後半の中頃からの様子に怒りで目が覚めて来た。
ダラダラと見方陣営内でのボールを回し合いながら時間を経過させる日本チーム。
一点差で負けている日本は必死で勝ちに行くのが本来の場面であろう。
時間つぶしのボール回しは勝っている側のポーランドが行う仕儀であろうに。
ウルグアイ・セルビア戦如何では反則カードの多寡で決勝進出が決まる云々。
試合後に日本監督が云うたのは「究極の選択でした」。コソクデハズベキ選択であろう。
「ボール回しより、ゲームを観に来ているロシアの客がいる限り勝ちに行く。究極の選択」。
という言葉を発するような興行精神を「サムライ・ブルー」の日本チームに期待した。
世界の話題になるサッカーワールドカップと云うても、所詮はFIFAの興行試合である。
まず何より、観戦代を払って来ている観客を蔑ろにして宜しかろうハズはない。
ファインプレーポイントを選択したとはナンジャラホイ。興行師内輪の話で観客は知らない。
そして何より、私がムカついたのが翌日のテレビ報道、全ての局で日本の選択を肯定。
さすがに民度の高い欧州各国の報道は、この日本チームの戦いをこう報じた。
「フェアプレーをないがしろにしてフェアプレーポイントで勝ち上がるとは何という皮肉」。
まま、松井敬遠事件から四半世紀経ち、日本の世情からキン玉の美学が消えた。
2018.06.28
隼(はやぶさ)
一式戦闘機「隼」研究所の基本精神、いい文句である。
一、剛膽ニシテ慧敏
一、周到ニシテ沈着
一、期二臨ミ果敢断行
一、特技二精塾兵器尊重
一、飛行機事故の絶無
今日の朝刊一面トップ記事
「はやぶさ2 未踏の宇宙探査」
「リュウグウに到達」
「弾丸発射し地下物質採取に挑む」
泉下の糸川英夫博士も喜ばれていなさろう。
「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる糸川博士。
打ち上げたロケットも、元は糸川博士が研究開発した技術の継承機。
衛星名「はやぶさ」は博士が設計した陸軍一式戦闘機「隼」に因むもの。
今回の目指した小惑星は「リュウグウ」だが、前回は「イトカワ」。
糸川博士の開発した技術と基本精神は今も生きていると思われる。
実は昨日のこと、同級生と囲碁巴戦の定例日でこの話題になった。
同級生の一人は機械工学、もう一人は遠洋航海を学んでいた御仁。
その二人をして「あんな遠いところへワンポイントで到達させる技術は凄い」。
「彼等はようやった。まだまだ日本も捨てたものではないで」とか云々。
先の大戦で失ったものは大きいが、得たものは脈々と今の日本に生きている。
よし、今晩はサッカー・ワールドカップ、日本がんばれ!
2018.06.27
ドコモショップ談
同級生からメールで送られて来た彼の画く「ドジョウインゲン豆」。
前に写真サイズが大きいと云うと修正して送り直して来た。
昨日私がドコモショップに行った用向きとは、携帯からのブログ書き込みの件。
パソコンから見ると写真が大きくなり過ぎだが、その修正方法が分からない。
パソコンからのブログ書き込みなら記事を保存後にFBへ飛ばせる。
しかし、それが携帯からの書き込みでは飛ばし方が分からない。
これらのことを教えてもらいたいと店中の案内女性店員に告げると担当者が来た。
30前後のその担当者は私の用向きを聞き、私にお世辞をノタマッタ。
「失礼ながら、お歳の割にはハイレベルなお尋ねですね(^^)」
私「ブログ書き込みも携帯利用もワシの同級生から教えてもろたんや」と云って、
更に、「同級生たちはもっとレベルの高いスキルなのでワシなんか付いていけん」。
そして私が用向きの内容を私の携帯からブログを開き説明に入る。
流石にその担当者、私の携帯をいじって「これで携帯のブログからFBへ飛びます」。
「ふーん、流石やな」と私は手順方法やその内容は分からないまま「セットはそのままで」。
偶々、開いたブログ画面は「インド独立義勇軍」、写真はインド独立義勇軍婦人部隊。
私が「これはインパール作戦の時の日本軍の美談を書いたんやで」。
担当者「インパール作戦で何ですか?」、私「???、インパール作戦知らんの?」。
私「ビルマ戦線の話やがな」、彼「ビルマ戦線?知りません」。
私「先の大戦、日本が戦争してことは知ってるな?」、彼「知っています」。
私「どこと戦争したの」、彼「アメリカとです、太平洋戦争でしょ」。
私「大東亜戦争や、イギリス・オランダ・フランスの軍、支那軍、そしてソ連軍もや、
ソ連は不可侵条約を破って終戦間際に後ろから来たんや」、彼「それは知っています」。
英軍との戦いはマレー半島からシンガポール、そしてビルマ、今のミャンマーやな」
そしてインド侵攻を期したインパール作戦とインド義勇軍のことを彼に「講義?」した。
彼「ええ勉強になりました、実は私は今違反行為をしています」。私「?」。
彼「ここではドコモ携帯の扱いだけに限られていますが、お客さんの話はブロブで別のもの」。
私「そうやったんか、よっしゃおおきに、まあ分かったんで帰るわ」とドコモショップを出た。
出てから写真の処理を訊き忘れたと気が付いたが、ままよとそのままにした。
大学武道部の後輩で大阪府立高校の教師になったの者が居たが、そ奴は零戦を知らなんだ。
あれこれ感じたドコモショップ訪問だった。
2018.06.26
ブロック特需
近所の保育園にブロック壁が撤去された。
昨日、工事が始まったと思っていたらもう跡形も無い。
恐らくは全国各所でブロック工事の特需騒ぎが起きているのであろう。
大阪初の女性知事であった太田 房江(おおた ふさえ、本名・齋藤房江)はんを思い出す。
変質者が大阪の小学校を襲い女児を殺害した事件があった。
時の太田大阪府知事は官僚出身、大阪の全小学校に警備員を配置するという施策を実行。
私はアホかと思った。偶々起こった事件への対策とは思えない。
ご自分の無知無能ぶりを表す対処であり、税金の無駄使いでもあろう。
私は太田はんも所詮はオナゴはんで怖い怖いだけのカラ騒ぎに違和感を持った。
女児が死んだ小学校の校長は、ここぞとばかりに市の責任を声高に非難していた。
苛め事件では学校挙げて隠蔽工作をする教職員と教育委員会である。
責任を外に問う時だけの口ぶりは明確で意気軒昂としてござる。
私は、小役人と云うかこういう感覚には同意しかねる。
今回、女児の死をもってのブロック特需になれば、それ其れ献花もあれぞかし。
まま、今日は太田房江はんが呉で生まれなさった誕生日とか、おめでとはん。
2018.06.24
ヨウカン間違い
この一週間は携帯からのブログ投稿であった。
昨日、帰宅してパソコンで見ると写真がバカでかい。
しかし、私の知識と技術では修正方法が分からないのでそのままとする。
今日は久ぶりにパソコン投稿である。
昨日昼過ぎ、雨の中を娘の旦那が車で迎えに来てくれた。
十年余り前に女房殿が植えた西洋アジサイに見送られて出立。
この写真を見て、草刈り・溝掃除をした甲斐があったと一人ほくそ笑む。
ご近所への土産をと思い、伊賀市内の古い商店街を通った。
私が「ヨウカンづけの店に寄ってほしい、伊賀の名物や」と云う。
婿は「確かこの辺りでしたね」と云いながらゆっくり走り、そして車を停めた。
狭い道路なので、その店前に車を寄せて後ろから来る車を先行させた。
私「ここは饅頭屋やで」、婿「いつもここで買ったと思いますが・・」
私は気が付いた、ヨウカン間違いである。
伊賀の名物に養肝漬という漬物と丁稚羊羹がある、つまり「ヨウカン」。
近所への土産は養肝漬とし、娘一家への土産は丁稚羊羹としていた。
よって、婿は養肝漬を知らないでいた。
店の中から主人がこちらを見て愛想笑い「まいど」。入るしかない。
今日は近所への土産は丁稚羊羹とする。甘党の婿にも一箱渡す。
江戸時代から続く養肝漬の老舗「宮崎屋」のHPにある養肝漬の写真。
名の由来は「藩主藤堂高虎が陣中に食料として常備し武士の志気を養う、つまり肝っ玉を養う漬物という事で、養肝漬と命名されました。また忍者の携帯食ともいわれています」とあった。
昨日、帰宅してパソコンで見ると写真がバカでかい。
しかし、私の知識と技術では修正方法が分からないのでそのままとする。
今日は久ぶりにパソコン投稿である。
昨日昼過ぎ、雨の中を娘の旦那が車で迎えに来てくれた。
十年余り前に女房殿が植えた西洋アジサイに見送られて出立。
この写真を見て、草刈り・溝掃除をした甲斐があったと一人ほくそ笑む。
ご近所への土産をと思い、伊賀市内の古い商店街を通った。
私が「ヨウカンづけの店に寄ってほしい、伊賀の名物や」と云う。
婿は「確かこの辺りでしたね」と云いながらゆっくり走り、そして車を停めた。
狭い道路なので、その店前に車を寄せて後ろから来る車を先行させた。
私「ここは饅頭屋やで」、婿「いつもここで買ったと思いますが・・」
私は気が付いた、ヨウカン間違いである。
伊賀の名物に養肝漬という漬物と丁稚羊羹がある、つまり「ヨウカン」。
近所への土産は養肝漬とし、娘一家への土産は丁稚羊羹としていた。
よって、婿は養肝漬を知らないでいた。
店の中から主人がこちらを見て愛想笑い「まいど」。入るしかない。
今日は近所への土産は丁稚羊羹とする。甘党の婿にも一箱渡す。
江戸時代から続く養肝漬の老舗「宮崎屋」のHPにある養肝漬の写真。
名の由来は「藩主藤堂高虎が陣中に食料として常備し武士の志気を養う、つまり肝っ玉を養う漬物という事で、養肝漬と命名されました。また忍者の携帯食ともいわれています」とあった。
2018.06.23
メンテナンス
夜に雨との天気予報、夕刻に布団を取り入れた。
その時に足がズボッと沈み思わず手すりをつかむ。
デッキの板木が腐朽して抜けたのである。
確かに二年に一度ぐらいはペンキぬりをするものらしい。
この十年あまりで塗り直したのは一度だけである。
当然の成り行きと云われれば、それまでだが…。
モノもヒトもメンテナンスが大事と痛感する。
2018.06.23
本日は晴天なり
2018.06.22
便利は不便
小屋で使っているカセット式ガスコンロ、被災地でも活躍とか。
大阪の震災地ではガスと水道が止まって困っているという。
私が水道のある暮らしを記憶するのは奈良に戻った小学校3年の時。
宇陀で3年、吉野で3年の暮らしは井戸であった。
奈良の水道がある暮らしは利便性を実感させられた。
なんせ、風呂の水汲みは私も手伝わされていた。
奈良でも風呂やオクド(かまど)は薪炊きであった。
新聞紙に火を点け細木を燃やして薪をくべたもの。
ガスが来たのは中学に入った頃、便利で楽になったと思った。
しかし、震災地の報道にふれ便利は不便なものであると知る。
2018.06.21
風は風
ログハウスの建材屋が持ち込んだ国産枕木。
小屋の入り口への通路を造っている。
朽ちずに釘もしっかり効いている。
ホームセンターで購入した枕木風外材。
土砂を防ぐ柵にしたがすっかり腐朽している。
国産枕木と枕木風外材、経年でその違いは歴然。
やはり味醂(みりん)と味醂風、善人と善人風は違うもの。
風は風であって、所詮は偽物である。
2018.06.20
大蜘蛛出現
2018.06.17
蛸が忌み嫌う花(?)
2018.06.15
鋳掛け屋
昔、置き薬の行商屋が持って来てくれた赤いダルマ団扇。最近見掛けない。
大阪で開業する知人の内科医からメールをもらった。
年に一・二度酒食を共にして古代史を語り合う仲間の一人である。
この前、奈良三笠温泉で集まった時は「看取り」の最中であった。
遅れて来て、食事後先に帰ったのだが「看取り」という言葉を初めて聞いた。
有態に云うと、治療を施すのではなく死にゆく臨終を看取るという医師の務めである。
数時間或いは数日に亘る務めになるらしく、云うには老夫婦の看取りが辛いとか。
また近々集まりの話があり、その開業医の彼からメールが送られて来た。
>
私のスケジュールは無視してください。
今も末期患者を診ております。
すき間をぬって駆けつけます。
同穴や寄り添い眺める梅雨の郷
校舎より駆け出す子らや夏来たる
<
同穴とは「偕老同穴」のことであろう、私も三年前にブログ記事にした。
夫婦が共に長く暮らしていく様のことで、私には身につまされる一句である。
http://houan7010.blog.fc2.com/blog-entry-712.html
蛇足になるが、街で鋳掛け屋(いかけや)を見掛けなくなって久しい。
鍋釜の修繕をしに街を廻っていた職人業で、砥ぎ屋や目立て屋もあった。
この鋳掛屋のこと、大阪では夫婦が仲良く出掛ける様をいう言葉とか。
壊れた箇所や穴があいた箇所をくっ付けて直すということからの揶揄らしい。
同穴や寄り添い眺める梅雨の郷、長年連れ添うとケンカしたことも夫婦の味になる。
寄り添って眺めているのは、看取り患者夫婦かハタマタご自身夫婦なのか・・。
2018.06.14
日陰者開花
家の隅で花を咲かせる蛍袋(ほたるふくろ)、キキョウ科。
初夏の花ながら暑さに弱く、日陰を好むという「日陰者」だそうな。
岩畔 豪雄(いわくろ ひでお)という陸軍少将のこと。
存在を秘匿されたといわれる地下機関「秘匿名警務連絡班」を創設し、
後方活動員、スパイ「日陰者」を養成する「陸軍中野学校」を設立した人物。
インド義勇軍の小川少佐、ルパング島の小野田少尉を育てたところである。
岩畔は昭和16年3月に駐米日本大使館付武官補佐官として渡米、日米交渉にあたる。
帰国後の彼は、軍部の中枢部に日米開戦の無謀を以下のように説いたと云われる。
「アメリカの物的戦力表は、以下の日米の比率で明らかでありましょう。鋼鉄は1対20、石炭は1対10、石油1対500、電力は1対6、アルミ1対6、工業労働力1対5、飛行機生産力1対5、自動車生産力1対450であります」と数字をあげ、「もし、日米が戦い、長期化したら勝算は全くありません」と付け加えた。
対して、軍首脳の答えは「もはや勝敗は問題ではない」、岩畔は天を仰いだという。
そして日米開戦、岩畔の云う通りの結果で敗戦、極東軍事裁判(東京裁判)が開かれた。
戦勝国による日本の戦争責任を問う裁判で、日本の戦争首謀者とされる人が裁かれた。
いわゆる「戦犯」として処されたのである。これは戦勝国によるリンチに等しいもの。
私が思うに、戦争責任を云うならそれは当時の日本人全体にあり、その代表は天皇になろう。
それを戦勝国が罰するというなら理解も出来るが、日本人が行うべきは敗戦責任の追及である。
だのに、日本の敗戦責任の追及が為されないままであることに私は疑問と不信を持っていた。
その疑問と不信が解けた。学習院大学学長の井上寿一氏が昨年末に上梓した本である。
「戦争調査会・幻の政府文書を読み解く」である。高校の同級生が教えてくれ入手、読んだ。
敗戦後の首相・東久邇宮は国民に「総懺悔」を呼び掛け辞任、後に幣原喜重郎が就く。
昭和20年10月、幣原内閣は「敗戦の原因及実相調査の件」を閣議決定、「戦争調査会」設立。
委員・職員約100名が独自の調査と会議を重ねるが、調査会は翌9月にGHQにより廃止となる。
紆余曲折の中、幣原死後に調査の継続をしていた青木得三が「太平洋戦争前史」をまとめた。
一昨年、平成28年に国立公文書館と国会図書館資料室にあった戦争調査会の資料が公刊。
つまり、人知れず倉庫の奥で眠っていた戦争調査会資料、「日陰者」が開花したと云える。
井上寿一はその資料を精査し、調査会の思いに自身の思いも交えこの本を著したという。
多少前のめりの感というか、本来の「敗戦責任」への追及が薄い気がするが力作である。
「日陰者」になっていた戦争調査会の資料を世に知らしめる一書として、一読の価値はある。
戦後すぐに日本人自身の手で敗戦責任の追及が始まっていたことを知り、私の疑問は氷解。
この本を紹介してくれた同級生に感謝である。
2018.06.10
結愛(ゆあ)ちゃん・運動会
夜来の雨が朝方に止んだ昨日、7時頃に娘から電話があった。
どうなるか心配していた孫たちの保育園の運動会は実施とのこと。
5歳になる私の孫娘は音楽隊で電子オルガンを演奏するらしい。
私達夫婦は朝食を済ませ8時過ぎに家を出て保育園へ向かった。
保育園の運動会会場の入り口である。
保育士さん達も整列して挨拶が始まっていた。
我が孫娘たち5歳児の腕立てかけっこ。
男女児混ざってのチーム競争である。
運動会の花形は年長組5歳児の音楽演奏である。
隊列行進をしながらの演奏には練習の成果が現れている。
毎年、この年長組音楽演奏では涙を拭きながら見ている人がいる。
我が孫娘は電子オルガンなので行進演奏はなかった。
電子オルガン隊3人は演奏後に揃って敬礼。可愛かった。
保育士の見る前で演奏している孫娘の体格は一番小さい。
ふと気になり娘に体重を訊いてみると、15㌔だということ。
低栄養状態の肺炎による敗血症で死亡した結愛ちゃんの体重は11㌔だったという。
その結愛ちゃん、私の孫娘と同じ5歳児である。
今年の運動会は見ていて辛いものがあった。その母親と男、しばきあげたい。
どうなるか心配していた孫たちの保育園の運動会は実施とのこと。
5歳になる私の孫娘は音楽隊で電子オルガンを演奏するらしい。
私達夫婦は朝食を済ませ8時過ぎに家を出て保育園へ向かった。
保育園の運動会会場の入り口である。
保育士さん達も整列して挨拶が始まっていた。
我が孫娘たち5歳児の腕立てかけっこ。
男女児混ざってのチーム競争である。
運動会の花形は年長組5歳児の音楽演奏である。
隊列行進をしながらの演奏には練習の成果が現れている。
毎年、この年長組音楽演奏では涙を拭きながら見ている人がいる。
我が孫娘は電子オルガンなので行進演奏はなかった。
電子オルガン隊3人は演奏後に揃って敬礼。可愛かった。
保育士の見る前で演奏している孫娘の体格は一番小さい。
ふと気になり娘に体重を訊いてみると、15㌔だということ。
低栄養状態の肺炎による敗血症で死亡した結愛ちゃんの体重は11㌔だったという。
その結愛ちゃん、私の孫娘と同じ5歳児である。
今年の運動会は見ていて辛いものがあった。その母親と男、しばきあげたい。
2018.06.09
結愛(ゆあ)ちゃん
雨がそぼ降る秋篠川に白鷺が居た、冠毛が見えるのでコサギのようだ。
動物の行動を人から見ての道義、倫理を語るのは「自然主義的誤謬」というらしい。
動物の所業を人道的見地からは論ずるのは容易なことが見て取れるからである。
「ママ もうパパとママにいわれなくてもしっかりとじぶんからきょうよりももっとあしたはできるようにするから もうおねがいゆるして ゆるしてください」
日々虐待を受け、餓死に近い形で死亡した五歳の幼女が書き残した反省文である。
この文と字面の写真を目にして私は体が震えた。涙が止めなく流れた。賢い五歳児である。
私は二年程の間三歳と四歳の我が子を男手一つで育てたことがある。
その時に人から聞かされた言葉が強く頭に残っている。
「子供にとって親は神様みたいなもんや、親だけを見て生きとるんやで・・」
この反省文はマスコミでも大きく報じられその両親の非をあげつらう口調が多い。
私は違うと思う。両親と云っても幼子を連れた女と一緒になった男という間柄。
まま母ならぬ「まま父」である。「まま父」が他の男が産ました子を殺すのは自然の条理。
霊長類のゴリラやチンパンジーも、またライオンも雌を得た時には他の雄の産子は殺す。
云わば、それが自然界の掟というか条理である。よってこの「まま父」の所業は是。
事実この男、自分が産ました子は大事にしているという話である。
(その五歳の幼女を餓死させた時には実子と夫婦の三人で外食に出掛けていたとか)
非があるのは男にかまけて自分の子を見殺す、半ば共犯である母親であろう。
新しい雄から我が子を守ろうとするゴリラ・チンパンジーやライオンの雌のこと。
あげくに傷ついて死んだり、子を連れて群れから離れる母親もいるらしい。
それを思うと、死んだ幼子の母親の罪は大きい、万死に値する。
しかしマスコミの糾する舌鋒は「まま父」に向かっている。
この「まま父」のとっては自然の摂理に従っただけの所業なのにという思いであろう。
ただ、人間には他の動物にはない「成文法」があり、自然法の条理に優先する。
このことへの誤謬が「まま父」にあったということが処罰の対象になろう。
虐待死を受けた結愛ちゃんから見れば、母親だけが神様の存在であったろうに。
真理は「子を持つ女、二夫に見えず」である。結愛ちゃんの冥福を祈る。
2018.06.06
野武士開店の日
40年前の今日、6月6日は広島の皆実町で居酒屋「串焼き・野武士」を開店した日。
昨日のブログで女房殿を連れて山村御流の花展に行ったと書き込んだところ、
野武士・皆実町店でアルバイトをしていた広大生からメールをもらった。
我々夫婦の体調への気遣いと自分たち夫婦の近況を伝えてくれた。
そして、野武士時代のことを懐かしむ文章が綴られていた。律儀な男である。
私がチェーン展開を進める中で、彼は広島大の学生ながら皆実町店の店長を代行。
売上金や仕入金の管理から他の学生バイトの教育もして店を運営してくれた。
4年前のこの日、彼を始めバイト生達が奥方同伴で奈良まで来てくれ楽しい時を過ごした。
その時のことは私のこのブログにも書き込んでいる。
http://houan7010.blog.fc2.com/blog-entry-364.html
バイト生達も順次還暦を迎えている。皆いい人生を送っているようで嬉しく思う。
古い名刺ホルダーを見たら、野武士の箸袋と名刺が見つかった。懐かしい。
昨日のブログで女房殿を連れて山村御流の花展に行ったと書き込んだところ、
野武士・皆実町店でアルバイトをしていた広大生からメールをもらった。
我々夫婦の体調への気遣いと自分たち夫婦の近況を伝えてくれた。
そして、野武士時代のことを懐かしむ文章が綴られていた。律儀な男である。
私がチェーン展開を進める中で、彼は広島大の学生ながら皆実町店の店長を代行。
売上金や仕入金の管理から他の学生バイトの教育もして店を運営してくれた。
4年前のこの日、彼を始めバイト生達が奥方同伴で奈良まで来てくれ楽しい時を過ごした。
その時のことは私のこのブログにも書き込んでいる。
http://houan7010.blog.fc2.com/blog-entry-364.html
バイト生達も順次還暦を迎えている。皆いい人生を送っているようで嬉しく思う。
古い名刺ホルダーを見たら、野武士の箸袋と名刺が見つかった。懐かしい。
2018.06.04
昨日1日、花入頂戴
昨日は好天気だったので、朝から盲目の愛犬「ハナ」を風呂の残り湯で丸洗い。
見えないながらも逃げ場を探してウロウロ。途中で観念してされるがままに。
暫らく天日干しをして散歩に連れて出た。冬毛がモゾモゾと浮き上がっていた。
昼過ぎに大学後輩の赤膚焼の陶工から電話が入り、山村御流の花展に誘われた。
私が山村御流の花が好みと女房殿に云うと、自分も行くというので二人で出掛けた。
山村御流は三笠宮の双子妹(姉?)御縁の奈良の比丘尼御所の山村御所・円照寺の御流。
三島由紀夫の小説「豊饒の海」に再三登場する月修寺とは円照寺のことである。
花風は京都の華道流派に比べ花数が少なく清楚で品があり茶花の趣きに似る。
花展の会場に入り写真を撮ろうとすると、係員が来て「写真はお断りしています」とか。
私が「何で?」と訊くと、彼は「規則ですから、ここに書いています」と注意書きを指さした。
私は「分かったが、もう写してしもた分はどうしたらエエ」と聞くと、彼は無言であった。
偶々、顔見知りでもある最高師範が居るのを見た私は訊いてみた。
「花はその時のもの、珍しい花もあるので写真に残すのがアカンとは何故?」
最高師範「皆さんが写真を撮ろうとされると、人の流れが止まり会場が混雑する故」。
成る程、一理あるなと思い話はそこまでとする。よって写真はこれ一葉。
その陶工は先日に横浜高島屋で自分の作陶展と山村御流の花展のコラボをした。
そんなこんなで私に声を掛けた次第とかで箱包みを私に呉れた。
花展の後、陶工ともう一人の元塾生に息子と娘家族も加え三条通りの「かえる庵」へ。
そば処「かえる庵」は昼間の貸切りが済んだところで、再度貸切となった。
家に帰りもらった箱包みを開けると花入である。スッキリしてやはり清楚な感じである。
彼の窯は代々山村御流の花器を焼いて来たというのが頷けた。
2018.06.03
昭和の夏
縁側に蚊取り線香、スイカ、朝顔を画いた団扇(ウチワ)、そして冷やした麦茶。
まま、如何にもという日本の夏風景の作り込みで少々うざい。
ふと目にした昔の駄菓子屋の夏風景。縁台に屯する子供の姿に昔の自分がいた。
店の中には50銭飴を入れた青ガラスのビン壺が並んでいた記憶がある。
奈良は蚊帳の産地であった。今でも何軒かの蚊帳屋が残っている。
大和蚊帳というのが商号で、これはその広告写真である。
この風景、私には既視感がある。
アースの案内をみていたら、懐かしい噴霧器の写真があった。
その頃の我が家では「アース」は商品名というより殺虫剤の普通名詞であった。
日本は四季ぞれぞれに味があるが、昭和の夏は朝・昼・夕に色んな顔を見せてくれた。
2018.06.02
殺虫剤
フマキラーとアース製薬の殺虫剤二本入りセット商品である。
このところ夕方に蚊が出て来たので殺虫剤と金鳥蚊取り線香を買うてきた。
フマキラーは私達夫婦が新婚時代に暮らした広島の祇園町が創業の地で本社があった。
蠅のフライのフと蚊のマスキートのマに殺しのキラーを付けてフマキラーとかの単純発想。
アース製薬は私が学校を辞めて生活を始めた大阪ミナミの難波にあった「木村化学」が母体。
木村化学の商標は「地球印」だったのでアースの名で殺虫剤を販売、ヒットしたので社名に。
まま、この思考、両社ともに余り深く考えないタイプの似た者同士なのであろう。
実際、フ+マキラーの筆頭株主がアースだった時もあり、合併話も出ていた。
今では両社ともに本社を東京に移しているが、営業拠点は創業地の広島と大阪とか。
そんなこんなで私は殺虫剤は両方を買うて使っている次第。私の郷愁と云えるかも。
因みに、フマキラーの創業家の大下家は広島で地元百貨店も経営する財閥で知られる。
そして大下家と茶道上田宗箇流の宗家とは縁続きでもある。
2018.06.01
球種解説
向かって左が日本野球の球、右が米国野球の球。
野球規則では重量が141.7~148.8g、大きさ(円周)が22.9~23.5cmと決められている。
日本の球は規定内の最小値141.7gー22.9cm、米国は最大値148.8gー23.5cmとなっている。
球面の縫い目は共に108目だが日本の球は米国の球より縫い目の幅が狭くて低い。
私は野球放送をあまり見ないのだが、大谷翔平が米国で活躍というので中継を観た。
エンゼルスの大谷翔平が投手としてデトロイトの球場で対タイガース戦に先発した試合。
大谷は5回を83球投げ、5奪三振3四球3安打1失点という内容であった。
途中、大雨のため2度の中断が入り6回は登板せず勝ち負けはつかなかった。
五回には球速101マイル(163㌔)を投げ、それが今季大リーグの最速球だとか云々。
それなりの活躍と云えるのだろうが、観ている私には球種の解説がチンプンカンプン。
私が知っていた投手の球種とは、直球・ストレート、カーブ、シュート、ドロップ、フォーク。
ナックルやシンカーとは聞いたことはあったが、それがどんな球かは知らないでいる。
それがである、解説者のいう球種の説明に出て来る用語は・・・。
ツーシームにフォーシーム、スプリットにカットボール、パーム・スクリュー、スライダー、
シンキング・ファストボールにチェンジアップ、ジャイロボール、もう訳がわからん。
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