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鷹巣。親鷹がヒナに餌として小鳥かネズミを与えているのだろう。
5年前の話で「人気の苗字」の2位に「小鳥遊」とあった。因みに1位は「神」。
小鳥が遊ぶと書き「たかなし」と読む。清和源氏の流れ高梨氏の一族とか。
鷹が居ないと小鳥は自由に遊ぶという平和を絵に描いたようなトンチの苗字。
それが味のある苗字としてアニメ・漫画の登場者やタレントの芸名になったという
調べると日本の苗字人口の中で 58,615位、全国で30人という希少な苗字。
それも那智勝浦、神武天皇が東征で入った熊野の一部だけに見られる苗字。
実はこの地に居る私の知人の苗字は「鷹巣たかす」、やはり珍しい苗字である。
どちらの苗字が地域環境を現しているか、吉野熊野は熊・鷹・狼・「鷹巣」の地。
生態系の維持は食物連鎖の秩序が崩れると収まりがつかなくなるという。
この一年を顧みると、力の支配を是とする中共・露に対しG7の緊張が崩れて来た。
アメリカ白頭鷲が眠ったらGゼロ、露熊や支那虎は力を正当化して小鳥を追い散らす。
小鳥が遊べる世界なんぞ初夢の中だけである。皆様よいお年を。



2021.12.29 群れ離れ
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群れを離れた老狼。こちらを見る目にすべてを悟った諦観が感じとれる。
昨日、娘家族は愛知県の旦那の実家へ向かった。年末年始は向こうだとか。
女房の入院も、私が日々3時のおやつを届けるだけで面会は出来ないでいる。
それが30日から3日までの期間は病院は閉まりバスも運休で行くことが出来ない。
会えないまでも日々のおやつを病室へ届けるだけで繋がりを感じていたのだが・・。
「群れ」から離れた孤独な老狼の心境に触れたようで、「孤老」を実感する。
今年の流行語大賞は「リアル二刀流」、大谷選手の活躍で日本人歓喜、まま宜しかろう。
思うに来年の流行語は「Gゼロ時代」、米国の政治学者イアン・ブレマーの造語である。
謂わば国際社会に「群れ」がなくなり、群れのリーダー不在という時代が来ること。
日本は群れのリーダー米国のいう北京五輪の外交的ボイコットへノリの悪い対応をした。
そして中共の人権弾圧(ウィグル・南蒙古・香港)への抗議声明・国会決議を見送った。
日本の国益と国内益のどちらを重視するかという判断を岸田首相に出来るかどうか。
「群れ」をつくりたがる日本の政治家に孤高で応じる精神力を試される時が来たようだ。

2021.12.28 惨敗と辛勝
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この日曜日の私の座り場。テレビ前の座卓に焼酎甕とポットに箸一膳。
この日12時に娘が孫三人を連れて一人住まいの私のマンションへ来るという。
私は朝から炊飯器をセット、百貨店の馴染みの魚屋で孫が好む魚を求めた。
11時半から熊谷で京都産業大対日本大学、秩父宮で早稲田対明治がある。
炊けた飯を半切れに移し寿司酢を混ぜ、買うた魚を手巻き用に調理しテレビを点けた。
テレビは早稲田明治戦の放映、京産日大戦はどのチャンネルでも放映されてなかった。
気抜けした時に孫たちが来訪。4人掛けテーブルに親子4人が着席して手巻き準備。
私一人で座卓に着き早明戦を見ながら焼酎を飲む。娘が海苔と魚とすし飯を呉れた。
孫たちの騒ぎ声に早明戦の解説が搔き消されつつも早稲田の敗北を看取る。
食事を終えた孫らは座卓で折り紙や絵描きと騒ぐ中、14時から同志社対帝京戦。
私は焼酎の湯を再セットし観戦、帝京が12トライ76点をあげ大勝、同志社の惨敗。
とはいえ、同志社のあげた24点は今期の帝京の最大失点数ということであった。
まま、帝京大の中心選手が御所実業等の関西出身者が半数以上、それなりに納得。
孫たちが帰った後のテレビで京産大対日大戦の放映があったので焼酎を再々セット。
日大の意外な健闘で京産大は1点差の辛勝。私は残った魚を探したが娘が持って帰っていた。







2021.12.26 差別と区別
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縄文時代の竪穴式住居は日本の旧石器時代から鎌倉・室町時代まで続いたという。
西日本では高床住居に替わるが武蔵野から東国では江戸時代まで竪穴式が多かった。
この絵で縄文人男性たちが持つ槍は狩猟用のもので戦闘用のものではないようだ。
縄文遺跡からは戦闘の痕跡が見られないが弥生遺跡からは戦闘の痕跡が多くみられる。
一次大戦後1919年、国際連盟委員会で連盟規約に人種差別撤廃明記を日本が提案。
議長だった米国ウィルソン大統領は全員一致で無ければ可決されないと言って否決。
人種差別は米国の国内問題なので内政干渉だという米国議会の反発に押された由。
1965年に国際連合で人種差別撤廃条約が採決、1969年発行となるが日本は批准せず。
条約第4条が差別思想の流布を法律で処罰するよう求めていることがその理由という。
日本国憲法の定める「表現の自由」に抵触するおそれがあるとして難色を示したのである。
同様に条約に難色を示していた米国が4条保留で批准、1995年(平成7年)に日本も批准。
百年前の日本人は分り易かったが今の日本人、差別反対表現の自由云々とかワケわからん。
思うに、差別は戦争にならず虐待迫害になる。戦争は区別から起こることを人類史が示す。
他族と自族、外者と内輪という対立概念が種の保存概念に重なると戦いになる。生物の宿命。
差別概念を云々とホザイテなさる間は精々反乱騒動、はっきり区別概念が出てくると戦争状態。
人類が部族争いから集団闘争の戦争へ進化した多くは宗教戦争であり、主義思想も宗教の一種。
台湾有事は共産と自由主義、タリバンとソ連は反共産と共産、米国とはイスラムと覇権主義。
武蔵野市は日本で70万を超える支那人居住者を知るべし、差別が区別へ転化すると戦争準備。
差別感覚、在日朝鮮人への差別意識が強いのは被差別部落の人達、いわば区別意識である。
面白いことに共産党と創価学会の下部構成員は重なる。宗教否定の共産と宗教命の学会は同根。
差別と区別、人類の思考回路の宿痾といえるが縄文人には区別意識が少なかったと思われる。
その縄文人でも身分意識はあったようだ。狩猟民は狼の群れ同様にアルファ・ペアが居たのだろう。

2021.12.24 武蔵炎上
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米軍機の攻撃を受け武蔵炎上。昭和19年10月23日レイテ沖海戦。
ネットニュースに「武蔵炎上」とあったので、あれっとよく見ると「武蔵野市炎上」であった。
何でも東京・武蔵野市の松下玲子市長は、外国籍住民にも投票権を付与する条例を提案。
総務委員会では賛否同数で女性委員長が賛成可決、本会議では14対11で否決とか。
否決に回った女性議員は泣きながら否決表明、朝日・NHK等のマスコミは失望の論説。
東京大学の上野千鶴子名誉教授も本件を「ヘイト」人種差別もどきと煽りを入れ炎上。
戦艦大和は「宇宙戦艦大和」でも知られているが、戦艦武蔵は今一つ知名度が低い。
考えてみれば畝傍で即位した神武天皇を祖とする大和朝廷時代の武蔵とは毛人・蝦夷の地。
大和からみれば「夷狄・えびす」は外人であり、今も恵比寿駅が存在するところである。
外国籍住民とはわが身の感覚か松下市長、練り直して再提出するとかオホザキなさる。
思うに、武蔵野市の市長・委員長・市議に上野教授も加えた女性論陣と大和の女性の対決。
畝傍中・高を母校とする高市早苗はんとの論争、大和武蔵の戦い、軍艦といえども船は女性。
半時間で武蔵轟沈となろう。立憲民主・共産・朝日・NHKのいう民意に日本の明日は無い。
さてNHKで思い出したこと、今日24日19時半から「いっぴん」NHKBS放送は観て頂きたく。
私の茶友で高校の後輩でもある南都塗師・山本哲はんの紹介番組が放映される。
多くの戦国武将茶人がそうであったように、彼も敬虔なクリスチャン。まさにイブの日の放映。

2021.12.19 かやく
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大阪では「かやく御飯」、京都では「ごもく御飯」と云い一般には「炊き込み御飯」とか。
昨日のNHKBSでは大阪の「かやくご飯」の話が放送され興味深く観た。
「かやくご飯」は大阪の薬問屋街である道修町の御飯名で「かやく」とは「加薬」と書く。
加薬は漢方薬の効果を高めるために加えた補助的な薬のことだとか。
料理に加える薬味的な役割をするもの、根菜類を薬味にした御飯という話だ。
京都では捨てるものを「五目」と云い、野菜の残り端を入れて炊くから「五目炊き込み御飯」。
それが「炊き込み御飯」となって東国地方へ伝わったとか。
話を女性アナに振ると大阪・神戸の人は「かやくご飯」奈良の人は「いろ御飯」。
私も子供の頃から「いろ御飯」と云っていたが、西日本に行くと「醤油めし」と聞く。
私は小学校に上がる前後に「かやく」を「火薬」と父親にインプットされていた。
当時、奈良・宇陀郡にいて、家族で近鉄電車の駅前の食堂に入った。
何にするかと壁の献立表を見るとカナ文字と数字だったので私にも分った。
記憶が薄れたが、「きつねうどん」が15円、「かやくうどん」が20円だった気がする。
私が「かやくうどん」と云うと、父親は「やめとき、口が破裂して火傷するで」。
私は「ほんまか、破裂するのか」と云って「火薬」つまり土木現場の発破のことを思った。
父親は土木現場の監督をしていたので現場の発破のことは私も子供ながら知っていた。
安月給の父親は昼飯代も贅沢は出来なかったのあろう、皆は「きつねうどん」を注文。
「かやくうどん」が具材入りうどんと知ったのは後のこと、食べたが大したことはなかった。
今も大阪人が「いろ御飯」を「かやくご飯」と云うと、「食べたら爆発するのんか」と聞いている。
昨日の11時半からテレビの前にビールと焼酎・ポット、てんぷら一式にアジのたたき。、
年末年始の大学ラグビー選手権。テレビ観戦と一人酒は私の恒例の楽しみ、至福。
昨日はチャンネルを忙しく押した。同時間に花園で同志社と大東文化、秩父で近大と慶応。
同志社は順当に勝ったが、近大は最後のゴールキックを外し3点差で惜しくも敗北した。
続いて花園では天理と明治。昨年の覇者天理は明治の圧力に押され反則が続き敗北。
関東の大学選手に奈良の御所実業高校と天理高校の出身者が多いことに驚いた。
確かに高校ラグビー奈良大会決勝は27年連続で天理高校と御所実業高校の対戦。
どちらが全国大会に出ても優勝候補となる両校である。
関東へ進学した彼らは「いろ御飯」を「かやくご飯」「五目ご飯」「炊き込みご飯」とか、
なんと呼んでいるのであろうかと、ふと気になった次第。
26日は京都産業大学とあの「田中日大」である。「かやく」を爆発させ、いてまえ。


2021.12.15 肉食部族
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日本野兎(にほんのうさぎ)、津軽海峡以南の日本列島に分布する日本の固有種。
唱歌「ふるさと」の歌詞、♪ うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川 ♪
大正3年の尋常小学唱歌で発表されたが、長らく作詞作曲者不明だったという。
昭和40年代に長野県の高野、鳥取県の岡野とされ、平成4年の教科書に両者の名前が明記。
先の大戦では死を前にした若き兵士や従軍女学生・看護婦もこの歌詞を口にしたと聞く。
私も吉野で育ったので野兎を追いかけ、鮒や鮎を獲ったりしたものであった。
野兎と同じ種かとうか知らなかったが、家で鶏と一緒に兎を飼っている仲間もいた。
私の記憶では鶏の首をはね食することはあったが兎を喰った覚えはなかった。
それがである、先日に時々コメントをもらう「廃医師」はんから電話をもらい考え込んだ。
御仁の母方は薩摩で父方は出雲、つまり大和族に抵抗した狩猟系部族の血をひく。
御仁の子供の頃は皆と一緒に山狩りをして、捕えた兎や野鳥を給食のおかずにしたと云う。
御仁は私より三つ四つ年上のアラエイトながら、狩猟部族の肉食、あなおとろしや。


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英国で開催されたG7の外相会議に出席した林芳正外相のピアノパフォーマンス報道。
ビートルズ博物館の夕食会で林外相は置かれていたピアノで「イマジン」を弾いたとか。
思い出したのは大学武道部の合宿。雨の日は小学校の講堂を借りて練習に汗を流した。
芦屋出身の同期生がいた。髭面で腰に手拭をぶら下げ「芦屋のボン」とはおよそ云い難い男。
その男、練習の休憩中にふらりと講堂にあったピアノに近づきふたを開け椅子に座った。
そしておもむろに指を動かすと講堂にベートーヴェン「エリーゼのために」の曲が流れた。
練習休憩中の武道部の連中は暫し唖然、口を開け目ん玉を広げアングリ。
まさに「芦屋のボン」。彼のパンチは痛くてよく効いた。皆はそのギャップに驚いた。
私は西田敏彦の「もしもピアノが弾けたなら」を耳にするとその合宿の光景が頭に浮かぶ。
それが林外相のピアノパフォーマンスの報道で、その同期生の想い出が浮かんだのである。
同期生は商社に務め海外勤務が長かったので何処かでピアノパフォーマンスをやらかしたと思う。


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クエ鍋と一緒にもらった鹿児島焼酎「明るい農村」と茨城産の干し芋「黄金はるか」。
思うに、出征兵士を送り出したのは八割が農村。映像を見る限り「明るい農村」。
周りの万歳の声、たすき掛けの出征兵士、日の丸を振る村民、千人針を縫う婦女子。
日本国民の大半は戦争を肯定し、出征兵士は御国と村・一族の期待に応えようとした。
人間の誠意や心情その行動は、その時の価値観を元にするものと私は思っている。
社会の潮流や時代の価値観の変遷で後出し論を然り顔で弁ずる連中は好かん。
同憂の志に「召集令状」を出したのだが、ここは過疎ブログに成り果てた。






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奈良38連隊司令部による召集令状、いわゆる赤紙。(奈良県立図書館蔵)
大東亜戦争開戦80周年ということで、最近のテレビでは開戦番組の放映がある。
それで思ったことは私の父親世代のことである。父親は大正10年生まれであった。
昭和16年の開戦の年が二十歳の徴兵年齢、そのまま現役兵で入隊すると終戦まで兵隊。
父親の同級生名簿には戦死者が多い、生存者も満100歳、時代の生き証人は少ない。
ところで、今朝のニュースに笑った。
女装男性が女性便所に入り捕まった云々、それと九州国際大学学長の西川京子氏の発言。
県立高校で講演した西川学長は太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼称、正当性を主張したとか。
その発言主旨を大学側に取材し説明を求めているのが朝日新聞の記者だ(笑)。
この記者、先の大戦で軍部より先に国民を戦争へと扇動した張本人は朝日だと知らないのか。
県教委は共産党の指摘に中学校の学習指導要領と照らし、「説明が不十分だった」と判断云々。
この話で京大出身の動物行動学者竹内久美子はんが云いなさった言葉を思い出した。
「社会主義・共産主義は睾丸の小さい、女にモテない男にフィットした思想」とか 云々。
女装の男や左かぶれの男の睾丸は、高市はん西川はんに渡した方がよかろうと思う。
岸田首相の睾丸も気になるが、垂秀夫駐中国大使の睾丸はそこそこの大きさのようだ。
先の戦争を正しく伝えないと、国と民族を守るために若い命を散らせた英霊が哀れである。
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クエ鍋材料二人前。クエの身肉はシッカリしている。
昼過ぎに、「大物のクエが入った」と料理人の茶人仲間が届けてくれたもの。
まま、今の私は一人身生活、娘家族とでは少ないので「ぼっち鍋」に決めた。
写真の通り、クエの身肉に野菜類と豆腐、手作りポン酢に薬味、そして昆布まで。
クエの脂がのった大き目の身肉、焼酎一本を添えて呉れて、まま、至れりのセット。
卓上にコンロをセットし、鍋に水と昆布を入れて火を点け、具材も入れる。
半時間も経たずに煮えたので椀にポン酢と薬味をとる。
焼酎は湯割り、一時間余りの「ボッチ鍋」。至福のひと時。
やはり二人前、一人では雑炊も餅もなしで腹いっぱい。






2021.12.08 人間関係
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粉末の青汁を水に溶かしペットボトルに入れて飲むようにしている。
一人身の食事は野菜を摂ることがなくなったので青汁を飲むことにした。
私の知人に肉が好きな御仁が居る。その御仁は魚や野菜を全く食さない。
私が魚はともかく青物は摂らないと体に悪いと云うとその御仁の曰く、
「牛は草を食って体を作っている、ライオンや虎は草食獣を喰うて健康に生きている」。
御仁自身は医者なので健康の知識は十分にお持ちと思うが、この理屈には頭を傾げる。
ところで最近、思っていたことが確信に変わった。
人間と人間の関係は合うか合わないか、好きか嫌いかのマトリックスだということである。
考えは合うが嫌い、考えは合わないが好き、考えも合うし好き、そして合わないし嫌い。
さて80年前の今日、日本は英米と開戦した。前には日英同盟があったのにである。
日本と英米は合わなかったのか嫌いあっていたのか、それとも好きでも合わなかったのか。
日本海軍には英国好きが多かったと聞くし、日本国民の中には米国移住を望む者も多くいた。
好きでも合わなくなったのは、利害関係が合わなくなったということであろう。
利害関係が合えば嫌いな者でも好きになれるであろうか、私にはそうは思えないのだが・・。
ところで、最近は安倍元首相が中華人民共和国との有事を口にしている。
ロシアや朝鮮に対する思いはともかく、日本人は支那への敬愛を持っていたと思う。
中華人民共和国ではなく支那、日本人には支那との関係に一衣帯水の感覚が残るようだ。
国も人も自分の利害を前に出すと有事に向かうのは歴史が教えるところである。

2021.12.04 値引き商品
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10%割引シールが貼られた精肉商品。やがて30%引きや半額シールとなる。
私がスーパーマーケットの売り場を知るプロとして常々女房に云っていたこと。
「魚の値引き商品は買うたらアカン、肉は値引きシールが貼られたら買い頃や」
つまり、魚の味は鮮度で決まるが、肉の味は熟度で決まるという話である。
昨日、久しぶりに東京の知人から電話があり、「ブログ見てますよ」云々。
今の彼は東京の有名私大の教授であるが、元はビジネス界で活動していた御仁。
東大を出て米国の大学でMBP取得、そして世界的コンサルタント企業で働いていた。
彼との初対面は私が大阪の日赤病院に糖尿病で入院していた時である。
彼は私の病室に来るなり、東京の紹介者の名と経緯そして訪問主旨を述べた。
米国の穀物メジャーがスポンサーになった日本の食品商社の子会社の話である。
その子会社とは東京を中心としたスーパーマーケットチェーンで扱いに困っているという。
米国の穀物メジャーは日本のローカルスーパーマーケットチェーンに興味はないとか。
それで相談に来たとの話であった。東京から大阪の病院まで来ての話である。
私の関係するシステム企業の関連も出て、半年後にはそのスーパー企業の社長を受けた。
請けた話は、そのスーパー企業の人と数字を綺麗にして二年で処分すること。
東京には行きたくないという女房を奈良に残し、私の東京一人暮らしが始まった。
それでも女房は三ヵ月に10日程申し訳程度に東京の私のマンションに来てくれた。
マンションはスーパーの本部から歩いて5分程度で、本部の前には本部店舗があった。
女房が本部店舗で買い物をするのを店員は皆知っており女房の買い物に興味津々。
そうとは知らない女房は値引き後の肉をカゴに入れてレジに持って行くのであった。
店員のウワサ話は、「関西の人はしっかりしてる。社長の奥さんでも値引き商品を買う」。
それをシタリ顔に「気を付けた方がいいですよ、社員が見ている」と私に伝える幹部がいた。
私は応じる、「ワシが女房に値引き品を買えと云うとるんじゃ、店の為にもなるやろが」。
その幹部社員のシタリ顔にムカついたのを昨日久しぶりに思い出した。



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宮内庁提供写真の敬宮愛子内親王殿下。
私はこの二日三日のテレビ各局の報道にある思いを持った。
学級委員選挙の如し立民党首選より愛子内親王成人の話題が盛り上がっていた。
日本の国体そのものである皇統問題に日本人の暗黙知が出て来ているようだ。
前で記事にした黒髪山には、皇統に関わる二人の女性の話が折り重なる。
垂仁天皇の皇后・佐保姫と聖武天皇の生母・藤原宮子の悲話である。
奈良の平城山丘陵は東を佐保丘陵、西を佐紀丘陵と呼ぶが実は女のネクロポリス。
黒髪山の東側は奈良遷都を号した女帝元明天皇とその娘・元正天皇の陵。
更には聖武天皇陵に併せての光明皇后陵、光明皇后こそ皇族外皇后の嚆矢。
黒髪山を西へ佐紀丘陵へ向かうとウワナベ(ウワナリ)古墳とコナベ(コナリ)古墳。
ウワナリとは後妻、コナリとは先妻、先妻が後妻を打つのがウワナリ打ちである。
その横には嫉妬心に燃え上がった仁徳天皇妃の磐之媛(いわのひめ)陵に続く。
更に西には垂仁天皇妃の日葉酢媛(ひはすひめ)陵から女帝・孝謙(称徳)天皇陵。
北は仲哀天皇妃で朝鮮討伐を行った神功皇后陵、まさに女ボスたちの宴会場である。
なる程に、私の私の生まれ育った地は女の悲喜こもごもが眠っているところ。
考えてみれば10代8人の女性天皇の中、8代6人が奈良の地に生きたのであった。
愛子内親王の夫は皇統の血をひく大和民族の男性であれかしと奈良から願う。






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昭和30年代の関西(かんせい)鉄道黒髪山トンネル跡地。一般には大仏鉄道と呼ばれた。
テレビで日大田中理事長逮捕が話題だが、3年前のタックル事件でも話題になった御仁。
時の日大アメフト監督は関西(かんせい)学院大学を「かんさい」学院大学とおぬかし。
積年のライバル校の名を間違えていたとは、無礼失礼というよりアホの証明であろう。
明治の頃は東京を「とうけい」と呼び、上方を関西「かんせい」と呼ぶことが多かった。
四日市の鉄道会社「関西(かんせい)鉄道」は加茂と奈良を結ぶ路線開設を計画。
黒髪山トンネルの開通で明治31年に開業、奈良一条通りの大仏駅が奈良の玄関となる。
人々は「大仏鉄道」と呼び、私の祖父も黒髪山まで汽車の見物に出掛けたと語っていた。
明治40年に平坦な国鉄関西(かんさい)本線が開通し、大仏鉄道は9年の歴史で廃線。
後年(大正期)、大仏駅跡地の横には私の母校となる小学校や高校が開設された。
さて、写真に写る黒髪山トンネルの横手の地面壁、ここは進駐軍の射撃場であった。
空襲で焼けなかった戦後の奈良には占領軍が進駐し、黒髪山にも進駐軍基地があった。
トンネル横の地面壁は彼らの恰好の射撃場になったのである。勿論、トンネルは封鎖。
私は学校を終えるとトンネルへ向かい、射撃場となっている地面壁を五寸釘で探り掘った。
銃弾が見つかるのである。銃弾は鉛にアカ(銅)を被せたもので、アカは鉄より高価な金属。
集めた銃弾を屑鉄屋に持って行って小遣いを稼ぐという寸法だが、厄介な邪魔者が居た。
MPである。進駐軍の憲兵で駐屯地の入り口に立ちMPと書いた鉄兜をかぶり小銃を持つ。
そのMPは、射撃場に侵入して弾掘りをする連中を見張っていたのである。
我々(侵入者)を見付けると何やら英語で怒鳴り、鉄砲をこちらに向け打つ仕種をする。
我々は「ヘルプヘルプ」と声を出して一目散に逃亡、せっかく集めた銃弾も捨てて逃げた。
まま、敵さんにすれば射撃場は立ち入り禁止としていたのだろう。確かに危険な場所だ。
黒髪山の進駐軍基地は返還後に「ドリームランド」という遊園地になったが今は閉鎖中。