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2021.11.30
くず鉄泥棒

屑鉄価格の推移グラフ。昨年にトン2万円程度まで下落していたが最近は5万円超え。
昨日のニュースで屑鉄価格の高騰が報じられていた。
新型コロナウイルス禍の影響で建物の解体工事や製造業の工場稼働の停滞が原因とか。
この話を聞いて私の頭に蘇ったのは屑鉄泥棒の想い出である。
少々悪ガキであった従兄は鉄くずを集めて屑鉄屋に持って行くと金が貰えると教えた。
小学校5年生ぐらいの頃である、日が暮れてから従兄と共に小学校の道具倉庫へ行った。
倉庫の裏には無造作に金属物が置かれていたのである。
私と従兄は持てる大きさの金属を集めて持ち去ろうとした(盗もうとした)。
すると薄暗い向うから来る大人の人影に気付いた。従兄が小声で「隠れ」。
従兄は物陰に隠れたが私は隠れる場所がなかった。従兄は小さく叫んだ「犬、犬や」。
私は夕闇の中で四つん這いなり、持っていた棒を尻に立て、「ワン」と鳴いた。
人影は遠ざかり事無きを得たが、その時の焦りと咄嗟の行動は私の記憶に残る。
腕白だったその従兄も10年前に他界し、想い出を語る相手はもう居ない。
時効(?)になったろう悪さの想い出が頭に浮かんでくる今日この頃。
2021.11.26
便所話4

私の高校の文化祭は男子生徒が多くてフォークダンスが成立しなかった。
同じ通りに沿った近くの高校は女子生徒が多いにもかかわらずフォークダンスがあった。
それは、他校から男子生徒が集まるからである。私も行った。そこは女房の母校である。
前の便所話が長くなったので二つのに分けることにした。
便所話の最後に私の忸怩というか慙愧の念に駆られた思い出を記す。
高校2年の時である。3年から新校舎に移ったので旧校舎の古い建物でのこと。
便所は校舎の外側にあり、男女の用が裏側と表側に分かれていた。
ある時、男用の便所に女生徒が入って来たのを見た私は「ここ男用やで」と云った。
その女生徒は踵を返して足早に去ったのである。私は後で大いに後悔した。
恐らくその女生徒は男用と分かっていながら入って来たのだろうと思ったのである。
彼女は女用の数は少なく満室だったので恥を忍んで男用へ来たのだろう。
そこで私に「ここは男用やで」と云われた彼女の心情たるや如何ばかりかと。
どうして見て見ぬふりをするか、顔をそむけなんだのかと悔い後からすごく反省をした。
今も昨日のようにその時の場面が頭に浮かぶ。私は自分が今もって許せないでいる。
2021.11.26
便所話3

日本軍洞窟陣地に対し上からガソリンや爆雷を放り込む米軍の「馬乗り攻撃」。
昭和19年9月15日パラオ・ペリリュー島へ米軍上陸、中川大佐率いる水戸歩兵連隊が守備。
11月27日、通信兵久野伍長は「サクラサクラ」と打電、パラオの本隊に守備隊の最後を報告。
この話はペリリュー島の戦いとして昨年のブログに記した。
http://houan7010.blog.fc2.com/blog-entry-1906.html
ペリリュー島の戦いでは中川大佐は「生きて戦い続ける」という戦法をとった。
南方戦線では米軍の圧倒的物量と兵力の前に日本軍は万歳突撃を行い玉砕を続けた。
中川大佐は地下や洞窟に陣地を構築し米軍を迎え撃つという持久戦に持ち込んだ。
一日でも長く守ることが米軍の日本本土攻撃を遅らせることになるという考えである。
この戦法は後の硫黄島や沖縄の守備戦に引き継がれ米軍の犠牲を強いた。
ただ、この洞窟陣地には弱点があった。便所、大小便の処理である。よって便所話3。
米軍は軍用犬によって便の臭いを嗅ぎ出し、洞窟陣地の出入り口を封鎖を行った。
そして洞窟陣地の上部に穴を開けガソリンや石油を水で流し込み火をつけた。
これを「馬乗り攻撃」と呼び、多くの日本兵が殺された。
投降した朝鮮人軍夫が積極的に米軍へ陣地の在り処を伝えたので軍用犬を放った。
日本の籠城戦も多くの入城者による排泄で困り、降伏開城となったという便所話も聞く。
戦争では食料と水の確保が大事であるが、排泄・便所のことも蔑ろに出来ない。
2021.11.25
便所話2

和式水洗便所、「水洗便所」から「水洗トイレ」という云い方が生まれたようだ。
私の高校1年の時に我が家は隣町に移り写真の様な和式水洗便所となった。
今では和式水洗便所は生産中止になっているやに聞いている。
さて、昨日の便所話にフェースブックから次のコメントが入った。
『「トイレ」と言い始めたのは水洗になって「トイレットペーパー」を使い始めてだったと記憶しています。』
確かに、落し紙と云っていた尻拭き用紙を水洗では巻紙「トイレットペーパー」と云った。
外国人が和式トイレに後ろ向きに座って用を足していたという話を聞いた。
或いは、日本人が洋式トイレの便座に土足で跨って用を足したという話も聞いた。
茶園農家の親戚で見た「4Hクラブ」の雑誌に「洋式トイレの使い方」という記事があった。
なる程に、便所を「トイレ」と呼ぶようになったのは水洗になった頃とは納得できる話。
まま、昭和40年前後の頃の話である。
2021.11.24
便所話

先日、伊賀で尿意を覚え「お手洗」へ向かうと「便所」表示された小屋があった。
昨日の勤労感謝の日に同級生の家で碁を打ちながら時間を楽しんでいた。
尿意を覚え便所を借りたが、旧家の造りで水洗の洋式便器と小便器があった。
私が「最近の家では小便器を見ることが少ないマンションでは皆無やな」と口にする。
奥方が「おトイレ」と話されて思ったが、皆がトイレと云い出したのは何時頃であったろうと。
中学校で便所を英語でトイレットと云うとは習ったが皆の普通用語では無かった気がする。
便は糞クソフンで少し品良く「憚り・ご不浄・厠」等を使ったが、トイレ・英語なら良しとは何故。
実は最近のテレビで出演者に「東司」という珍しい苗字の方がいたので思い出したこと。
「東司とうす」とは曹洞宗寺院で便所を云う言葉、臨済宗寺院では「雪隠せっちん」。
思い出したのは広島呉市の島に「御手洗みたらい」という地名、そして苗字もあること。
「東司」という名が便所という意とは知らずとも、「御手洗」が便所とは子供も知るところ。
皆は「お手洗い君」とは云わなかったが、名刺をもらった初対面の人の表情が可笑しかった。
どうも最近、妙なことを思い出すようになった
2021.11.19
健全な二大政党制への思い

昭和20年年11月2日、日本社会党結成式大会の万歳三唱。
皇居遥拝から始まって浅沼稲次郎委員長の「天皇陛下万歳」で締めくくられた。
浅沼は海兵・陸士の受験に失敗して早稲田大学入学、相撲部と弁論部に在籍。
立憲民主党の党首選とかで4人の候補者が出ている報道があった。
私は逢坂はんには見覚えがあるが他の3人の候補者は名も顔も知らん。
思うに、候補者は社会党結成式の皇居遥拝・天皇陛下万歳を知らないであろう。
浅沼はんは皇統を持つ日本の国体と日本民族への誇り・自負心があったと思う。
社会党の流れを汲む立憲民主党のこの党首選は終りの始まり、党の終焉となろう。
日本国への愛国心や日本民族への誇りを持たない日本の左翼かぶれが消えること。
維新が大日本帝国共産党の信条を理解すれば、日本の二大政党制を実現するかも。
二大政党制とは愛国心・民族愛を持つ政党同士が政策論で争うことであろう。
日本は欧米キリスト教かぶれからイスラム社会の理念との融合へ向かうべしと思う。
とか、まま勝手な思いを持つ今日この頃の私である。
2021.11.17
武者座り・神官座り

床几(しょうぎ)、胡床(あぐら)とも云われ記紀にも記述されているらしい。
朝の時代劇番組の時間帯が変更になったようで私は3時起きになった。
3時「剣客商売」、4時「大岡越前」、5時「暴れん坊将軍」」である。
女房の時代劇好きは物語の流れと結末を追うことで勧善懲悪を納得しなさる。
私は舞台セットや台詞・道具・小物とその扱い・役者の仕儀に興味を持つところ。
今朝の「大岡越前」の白洲裁き場面に役人が床几に座っていなさったが、その座り。
いわゆる「武者座り」であった。つまり横棒をお尻の両側にして座る形である。
横棒の上にお尻を乗せる形が正式で、これを「宮座り・神官座り」と云う。
背付きの折り畳み式の椅子の正面を考えると分り易い、足は横棒に出して揃える。
何故こんなことが気になったかというと、わが武家茶道の初釜の際の想い出がある。
茶室への向かう前の待機は家元屋敷(千坪超)の長屋門に床几が置いてある所。
昔の話、その床几が「宮座り」で並べてあったのを私は「武者座り」に置き換えて座した。
私は、武家茶道なら「武者座り」が当然のことであろうと思ったゆえである
すると事務所の顔見知りの女性が来て、「この方が正式だそうです」と私に囁いた。
私は悟って床几の向きを元に戻した。御家元は広島の有名な神社の宮司でもあったのだ。
初釜は他の寺社や政治家の方も招く謂わば正式の茶。「武者座り」は陣中や狩りの仕儀。
なる程に、白洲の裁き現場は奉行所とっては陣中であったと了解。
2021.11.14
世界糖尿病デー
今日11月14日は世界糖尿病デーだという。
11月14日はインスリンを発見したカナダのフレデリック・バンティング博士の誕生日とか。
今年は1921年(大正10年)のインスリン発見から100周年となり色々記念行事があるらしい。
明治天皇が糖尿病合併症・尿毒症で崩御された話の中でも記した。
まま、立派な糖尿病患者である私のここ最近の朝餉を写真に撮ってみた。

お椀半分の御飯とニシンの昆布巻きにエビ餃子のポン酢汁。

和歌山ラーメンと青汁。

ナンのソーセージサンドとむかご(山芋の球芽)の油揚げ。

オートミールの牛乳掛けにリンゴ一個と焼酎一合。
まま、今は一人暮らしの身、食卓は侘と寂がほの漂う。
11月14日はインスリンを発見したカナダのフレデリック・バンティング博士の誕生日とか。
今年は1921年(大正10年)のインスリン発見から100周年となり色々記念行事があるらしい。
明治天皇が糖尿病合併症・尿毒症で崩御された話の中でも記した。
まま、立派な糖尿病患者である私のここ最近の朝餉を写真に撮ってみた。

お椀半分の御飯とニシンの昆布巻きにエビ餃子のポン酢汁。

和歌山ラーメンと青汁。

ナンのソーセージサンドとむかご(山芋の球芽)の油揚げ。

オートミールの牛乳掛けにリンゴ一個と焼酎一合。
まま、今は一人暮らしの身、食卓は侘と寂がほの漂う。
2021.11.13
女の違い

高岡 智照(芸妓名は照葉・本名は辰子)、明治29年奈良生まれ - 平成6年98歳で没す。
瀬戸内寂聴はんの訃報で2018・09・08のブログ「短冊箱稽古・照葉」を思い出した。
http://houan7010.blog.fc2.com/blog-entry-449.html
智照は芸妓時代に情夫への義理立てで小指をつめ、貞節を示した。
夫・子供がありながら、夫の部下や弟子と痴情を通じる女とは違う。
2021.11.11
毒饅頭

毒々しい色であるが毒饅頭ではない。娘がくれた柘榴(ザクロ)である。
もう世捨て人ながら、若き政治家についつい一言が出てしまう昨今。
昨日の首相指名投票のニュースを見ていてつくづく思ったことがあった。
共産党が立憲民主党の枝野に投票したという。これで立憲は終わったということ。
つまり、枝野の立憲は共産党という「毒饅頭」を喰ってしまったということである。
恐らくは、立憲からの要請でなく共産からの意思表示で喰わせたのであろう。
自民党にとって公明党が「毒饅頭」と化しているのと同じ道に入ったということ。
公明の協力なしで選挙区で勝てない自民の議員が多数いる。共産党も「毒饅頭」。
立憲共産党の路線をとれば、共産の協力なしでは勝てない立憲議員が増えるであろう。
自公連合が子供への10万円給付でゴタついたのと同様なことが立憲共産でも起きて来る。
これで自公連合も立憲共産も日本国民の思いから離れたものになっていくだろう。
維新や希望の党・都民ファースト、思うに橋下徹はんと小池百合子はんはよく似ていなさる。
まま、このお二人そのものが「毒饅頭」に見えるのは世捨て人の老眼の所為であろうか。
2021.11.05
明治天皇の持病

明治6年撮影の明治天皇、諱は睦仁(むつひと)、御称号は祐宮(さちのみや)。
21歳のご尊顔。不遜な物言いながら「ええ面構え」である。
_Scan10022.jpg)
昭和32年の新東宝映画「明治天皇と日露大戦争」で嵐寛寿郎演じる明治天皇。
この映画、私は父親と一緒に映画館で観た。二百三高地の戦いは強烈な印象を残す。
明治節(文化の日)の明くる日、つまり昨日は私の糖尿病検診の日であった。
血糖値が高くなっており、新しい掛かり付けの女医から合併症の話を聞かされた。
私が明治天皇の持病は糖尿病で尿毒症を合併し崩御されたと話をすると、女医「ふ~ん」。
女医曰く、井谷さん血液数値では腎臓より肝臓が心配、数値が通常の三倍です云々。
治療薬インシュリンの投与量を二割増しと云うことになり、そして曰く
「1921年(大正10年)にカナダで初めて犬の膵臓からインシュリンの抽出に成功したもの」
日本で糖尿治療に使われるようになったのは昭和に入ってからだとか云々。
明治女であった私の祖母も糖尿病の悪化で死亡したと聞いている。
インシュリンのない時代の糖尿治療は「食事制限」が最も効果的治療であったろう。
明治天皇の美談に「食事の質素さ」が云われるが、私は医者の進言もあったと邪推。
明治天皇の58歳での御崩御とは今の時代からすればお若い。インシュリンが遅れた。
今の日本の医学薬学の水準は世界的に高いものと信じたい。日本のコロナ治療薬を希求。
そんなこんなで女医からは「酒量の制限」を申し渡されるが、まま、無理やろうな。
2021.11.01
総選挙終わる

何とか小さく三輪の花を付けた白花桜蓼(シロバナサクラタデ)。
日本列島の湿地に分布する水辺草、学名はペルシカリア・ジャポニカ。
梅雨時期と思い二か月ほど旧宅へ放置していたので弱ってしまった。
マンションに持って来て水遣りをしていたが、花を付けたのでホッとする。
さて総選挙が終わった。私は初めて共産党以外の党・維新へ一票を投じた。
やはりというか、立憲共産の野合は惨敗。自民党も票を減らしたが安定多数を維持。
立憲の枝野代表は野党共闘について「一定の成果を挙げた」云々と真顔で強調。
枝野も含め立憲幹部は薄氷勝ちか敗退、このコメントでは付ける薬が見当たらない。
面白かったのは大阪10区で維新の新人や自民党候補に完敗した辻元清美のコメント。
「維新の風は強かった。せやけど維新はローカル政党、ローカル政党に国政はでけへん」。
その通り、私の育った奈良吉野郡大淀生まれの辻元はん、さすがにエエことを云う(^^)。
国会議員選挙で、地元選挙民の御用聞きめいた話をする候補者に疑問を感じていた。
地元の御用聞きは市町村議員の仕事、国会議員は天下国家や世界情勢への識見が要る。
国会議員の候補者とは、国民の耳に痛い話を訴える姿勢を持つことも肝要な資質。
そこら辺がマスコミと政治家は国民のレベルを示すものと云われる所以である。
その点、「貧乏人は麦を喰え」とのたまわった池田勇人は的を得た政治家であったろう。
辻元はんの負け惜しみコメントは、偶々ことの本質を付いているのがオモロイところ。
維新松井代表の「総選挙は政権選択選挙、過半数取れんと負け」とは健全な野党コメント。
ジェンダーフリー・男女別姓・弱者の味方云々だけでは、野党は所詮野党屋で終わる。
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