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トラウマの話ではない。支那語の「馬馬虎虎.( ママフゥフゥ)」の話である。
日本語に意訳すれば「ええ加減で大雑把、細かいことは気しないで」と云う意である。
朝鮮人がよく使う言葉「ケンチャナヨ」も「心配しなくても大丈夫、気にしないで」という意。
もう少し云うと、ミスをした者が自分で云うところがミソ、日本人の感覚では理解不能。
日本政府が中共に展開している日本企業の撤収、国内回帰や他国への分散を促している。
思うに中共の人民相手に業務指導をやって来た日本企業の皆様には敬意を持つ。
大手企業に連れられて出て行った多くの中小企業の人は感覚の違いに辛酸を嘗めただろう。
昭和の終り頃、流通産業に身を置いた我々は台湾・韓国へ商品の生産管理に行った。
40代後半から上の日本語世代は日本人の感覚が通じたが若い人たちは通じ難かった。
「馬馬虎虎」「ケンチャナヨ」、韓国の飯屋では皿を投げるように出すのでムカついたもの。
日本時代が長かったためか民族性なのか台湾の接客態度はまだ良かったように思えた。
平成初期の日本のGDPは米国に次ぎ世界の15%、他のアジアの総計を超えていた。
当時、「21世紀は日本の時代」と語られたので、私は何でそうなるのかある御仁に聞いた。
御仁曰く、「欧州は衰亡の一途、馬馬虎虎・ケンチャナヨは宿痾のようで治らない」云々。
私は、成る程それもそうかなと、思ったことが強く記憶に残る。
1996年(平成8年}にオーストラリア首相が中共を訪問、当時の李鵬首相が云った。
「日本は40年後には消えるかもしれない、30年もしたら日本は大体つぶれるだろう」と。
当時の日本政府は中共へ相当額のODA援助、民間企業からも巨額の投資を続けていた。
2010年(平成22年)に中共のGDPは日本に追い付き、2020年の今年には日本の3倍。
軽薄な妄信「グローバリゼーション」は、馬馬虎虎の馬脚と虎爪を露し始めた。
日本人の中には第二次日清戦争の覚悟と腹を持った者も出て来ているようだ。
今日、女房の定期診断に付き添った私が診察室から出ると、看護婦が追って来た。
「ご主人にふら付きがあり、生気が弱っているように見えて心配です、大丈夫ですか?」
私、「73・4は男の死に頃ということやろう、支那兵の一人ぐらいは道連れにする」。
看護婦、「はぁ? 気を付けてくださいね」。  私、「おおきに、ケンチャナヨ」。

2020.05.26 次の日本
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男は顔。我々より若い世代の安倍はんも終わったな。
この御仁、調子がええ時にはやたら上ずった顔を見せるが悪くなるとこの表情。
コロナ対応の決断の遅れに加え、黒川検事長への甘い対応。
やはり、お坊ちゃん。「売り家」と唐様に書く三代目の例えそのまま。
ええ衆の菓子屋の娘である嫁はん一人を御せないとは、甘いボンボン。
まま、よかろう、この度のコロナ騒動で日本の次の世代が見えてきたように思える。
前にも書いたが、一人は昭和50年生まれの大阪府知事・吉村 洋文。
彼の座右の銘は、「意志あるところに道は開ける」
もう一人は、昭和56年生まれの北海道知事・鈴木直道。
彼の座右の銘は、「お金を失うことは小さく失うことだ。
名誉を失うことは大きく失うことだ。しかし、勇気を失うことはすべてを失うことだ。」
まま、二人の座右の銘には今一ピンと来ないがそれはそれ。
二人とも、ええ顔で眼に力がある。
私の同世代の学者である中西輝政はんが以前に上梓した「大英帝国の衰亡史」。
日本の今後への警鐘を鳴らす本であったが、昨今の日本はその様な感が強い。
やがて消えて行く我々ではあるが、やはり日本の行く末は気になるところ。
小国になろうとも品格を持ち筋を通す国を作ってもらいたいと願う。


2020.05.24 雪の朝
「初雪や 二の字二の字の下駄の跡」は有名だが実は盗作。
元句は田捨女(でんすてじょ 寛永10年-元禄11年:1634-1698)六歳の句とか。
元は、「雪の朝 二の字二の字の下駄の跡」だったそうな。
それを江戸の落語家がひねって噺の句にしたものだと聞く。
さて、今日は娘が孫三人を連れて我が家にやって来た。
なんでも明日から小学校が再開するということらしい。
近所の公園まで孫をつれ散歩に行こうと浴衣の私は下駄を履いた。
すると孫の曰く、「それ何?」、私はあんぐり。孫は下駄を知らないのだ。
娘に聞くと娘宅には下駄の類はないという。
私の中学高校の頃は外履きは下駄、近所の仲間も下駄で走り回っていた。
祖父は明治男、父親は大正、私は昭和、そして孫は平成。
「二の字二の字」は世代の記憶から消えていくのかと寂しく実感。
まま「朝の雪」、茶の世界では夏に冬を語る道具を出すのがオツ。
思うに、江戸の落語家の盗作句より田捨女はん六歳の元句のほうが雅味がある。
韓国の「正義記憶連帯」はどう思うか聞いてみたい。
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足を踏み込ませてしまった、一畳台目中板ほぼ一坪の我が茶室の炉。
二日ほど続いた雨での日に躙り口が少し空いているのに気付いた。
電灯なんぞ無い室内ながら躙り口の隙間からの薄明かりで中に入る。
躙り口を閉めると暗闇になったが、床の軸が気になり向きを変えようとした。
その瞬間である、私に体がふんわりと沈んだ。
私の片足が炉の中に滑り込んだのである、ずっぽり。
こんなことは初めてである。茶室の炉に足を突っ込むとは。
足を抜き出し、手で灰を払い、そのまま座り込んだ。
暗闇とはいえ勝手知ったる我が茶室、悲しきかな耄碌(もうろく)。
座り込み、侘しく寂しくなった。まま、茶室はワビサビの世界とは云わないでおく。
さて産経新聞の記者二人が黒川検事長と朝日の社員と共に賭けマージャン。
しかも緊急事態宣言下の東京で、記者の自宅マンションの三蜜環境で。
安部はん、嫁はんもそうながら人の分別は苦手な坊ちゃんなのかも。
黒川より、私には産経の記者が朝日の社員とつるんでいたことが情けない。
晴天の昨日、茶室の窓と雨戸を外して空気を入れた。炉の底が私の実態を知る。
黒川はん、退職金が出る措置とかで、それしきのエリート人生の終りとなり結構。
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昭和39年公開の高倉健と朝丘雪路が演じる「いれずみ突撃隊」の広告画。

https://www.youtube.com/watch?v=VGnrEe1aN78

昭和39年は前の東京オリンピックの開催年。
戦後19年、戦場を経験した兵隊も追軍娼婦もアラフォー世代。
皆に現実の記憶が残っており、映画への批判や苦情はなかった。

https://www.youtube.com/watch?v=kG-c0Q25W5A

続く昭和40年公開の三船敏郎と団令子が演じる「血と砂」。
団は朝鮮人娼婦を演じたが、この頃は「従軍慰安婦」という言葉はない。
脇役ながら伊藤桂一の演技が私には印象深く記憶に残っている。
この2作品から分かるのは、戦場で日本兵も娼婦も真面目に戦ったこと。
そして、観客は映画の戦争場面を現実のものとして感受していたこと。

さて、自称慰安婦被害者の李容洙(91歳)はんがここに来て突如正常になった。
米韓首脳の晩餐会で元慰安婦としてトランプ米国大統領にハグをしたあのご婦人。
年齢や矛盾する証言でこれまでも胡散臭くあったが漸く嘘を自白した具合である。
日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(略称正義連)はオタオタ状態。
まま、恥の文化がない朝鮮世界、一過性で終わり後は変わらずの反日無罪であろうが。
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特別輸送艦としてパプアニューギニアのシンプソン港に停泊する葛城。(1946年1月13日)
空母として外洋に出ることなく呉の三つ子島で終戦となった葛城は復員兵の輸送艦となる。
昭和20年の12月から一年間に8航海、南方の島から約5万人の日本兵を帰還させた。
中には加藤隼戦闘隊の飛行兵や歌手の藤山一郎とかがいた。昭和22年に解体された。
先の記事で南方航路の話をして、航空母艦葛城のことを思い浮かべた。
私の子供の頃、父親は「丸」という戦記物というか軍事物の雑誌を読んでいた。
まま、学徒出陣で海軍へ入った父親には懐かしさもあったのであろう。
私は「丸」を読み、旧日本軍の軍艦や軍機そして戦車に興味を持った。
面白いと思ったのは軍艦名、日本各地の山川や地名が名付けられていること。
最も多いのが奈良で身近な山や川が戦艦・巡洋艦・空母の艦名であり、嬉しく思った。
幕末の函館海戦や朝鮮の江華島海戦の「春日丸」は薩摩藩が英国に発注したもの。
三菱郵船が大型貨客船として建造中のものを空母「隼鷹」に改造された「橿原丸」。
日本海海戦の旗艦「戦艦三笠」、はたまた宇宙戦艦ヤマト(大東亜戦争の戦艦大和)。
大和と河内の間の、巡洋艦「生駒」・戦艦「金剛」・空母「葛城」それに軽巡洋艦「龍田」。
橿原丸は昭和15年の東京オリンピックに向けて作られていた大型豪華客船であった。
終戦時も生き残った橿原丸こそ復員兵輸送には最適と思うが事情があったのだろう。
まま、そんなこんなで南方航路のこと、特別輸送艦「葛城」と復員兵の航路でもあった。

2020.05.12 林檎が落ちた
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「リンゴ、落ちる」で見つかった画像。衣を着けているからイブではなかろう。
「リンゴ、ニュートン」で探すところであったが、落ちそうなリンゴを見つめる乙女で良し。
今朝の産経抄にニュートンがリンゴの木を見つめていたのは大学閉鎖の為とあった。
17世紀に欧州でペストが大流行、ニュートンが通うケンブリッジ大学も閉鎖され帰郷。
昨今の世情「小人閑居して不善を為す」、どっこいニュートンはんは小人ではなかった。
リンゴの実で、ニュートンは万有引力を発見し、私は小遣い銭を発見したのである。
リンゴの木は暑さに弱いため熱帯での栽培は難しく、南方の国々では高価な輸入果物。
私は木材運搬船で南方へ向かう時に、厨房の冷蔵庫にリンゴを一箱隠し持って行った。
木箱に80個位が入っていたリンゴは日本で買うた価格の3倍以上の交換価値があった。
当時の日本で高級果物であったバナナが南方では10分の1、リンゴで買えば30分の1。
リンゴで味をしめ、日本価格の10分の1であった黒スコッチを日本価格の半値で飲み屋へ。
まま、密輸行為。1ダースで給料以上の実入りになる小遣い稼ぎであった。
で、リンゴの話。17世紀頃のリンゴの産地は英国で19世紀には米国が世界一の産地とか。
林檎と漢字があるように、新疆や黄河西北部・満州地方でリンゴが生産され日本に来た。
それが和林檎の元で、今は産地も限られるが盆のお供え用に合わせてに収穫される。
私たちの子供の頃のリンゴと云えば「国光」と「紅玉」、甘いが高い「印度リンゴ」。
日本のリンゴの元は米国から明治初頭に持ち込まれ北海道で栽培された西洋リンゴだとか。
後は日本人の職人気質が次々と改良を加え、世界に冠たるリンゴ品種を作り上げている。
話がそれるが、「小人閑居して不善を為す」。無為徒食・酔生夢死は不善そのものであろう。
天下の発見につながる閃きも起こせず、年月を無駄に過ごし老醜と化して来たこの身。
この老醜の目には、コロナ後にグローバル化と世界民主主義の崩れ去る姿が映る。
そして自国第一主義の自産自消、各々の国が各々の文化で華を咲かす姿が映る。
もう一つ、赤支那(中共)の貸し剥がし的利権強奪による一帯一路の野望が崩れる姿も映る。


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西太平洋からインド洋、赤く描かれているのは日本とマレーシア。横線は緯度。
マレーシアはマレー半島とボルネオ島に分かれ、ボルネオ島の白地はインドネシア領。
赤道がインドネシア領のスマトラ・ボルネオ・セレベス島を通り、北がフィリピンの島々。
昨日、知人からもメールであの鳥はキビタキだと知らせがあり、私に二つの実感が蘇った。
死んでいたキビタキを手にして、この小さな体でボルネオ島まで渡ったのかと実感。
もう一つは、そのボルネオ島から日本への距離、今は昔の私ヵ船乗り経験からの実感。
私は20歳過ぎに、南洋材運搬の外洋船に乗り組み、フィリピンやボルネオ島へ出掛けた。
途中で行き交う船や並走する船と速度の違いで付いたり離れたりする面白みがあった。
皆の会話は「ノット・海里」。1ノットは1852mという距離単位は私も知っていた。
そのノット・海里の意味を通信長から教えてもらい感動したことが記憶に残る。
まま、私の無知を恥じる話ではあるが、海里は緯度1分のことで緯度1度は60分。
時速15ノットで4時間運航すると緯度1度進み、1日24時間で6度進む、分り易い。
緯度の数値は北極南極から赤道まで90度、地球南北半周が180度。
時速15ノットなら、180度×60分÷15ノットで720時間÷24で30日、地球半周の日数。
この話に感動。北緯35度位の日本から赤道までは、35×60÷ノット数÷24が日数。
因みに、私たちの木材運搬船は行きの空船で12ノット、木材満載の帰りが10ノット位。
よっで、日本から赤道直下のボルネオ島までは行きで7日余り、帰りで8日余り。
太平洋を航海する船に乗っていた私は、地球の形や距離と時間を実感した。
キビタキ、あの小さい体でボルネオ島から日本へ、あの海原を渡っていたとは。
恐らく、途中で力尽き海原へ沈んだ鳥もいたであろうと悲しい実感が過ぎった。
思うに、日本で子育てをする渡り鳥への環境保全は日本人の努めであると。

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キビタキ(黄鶲・学名:F.n. narcissina・ナルシシナ)の雄。スズメ目ヒタキ科。
先の「花鳥風月」のブログに掲載した写真を見た知人から「キビタキ」と教えてもらった。
私には見かけた記憶がない鳥なので、鳥図鑑等で調べてみた。
>サハリンから日本列島全土とその近隣、中国の一部地域で繁殖し、冬期はフィリピンやボルネオ島などの東南アジアへ渡りをおこない越冬する。日本では夏鳥として全国の山間部で基亜種のキビタキが普通に見られ、福島県の県鳥に指定されている。先島諸島に生息する亜種のリュウキュウキビタキの一部個体群は、留鳥であると考えられている。亜種のキムネビタキは中国で繁殖するが、稀に日本にも飛来する。「ピッコロロ、ピッコロロ」と美しい声で鳴く。さえずりには多くの種類があり、生息地域によっても異なる。また、キビタキの囀声は大変に変化に富んでおり、時には「オーシツクツク」とまるでセミのツクツクボウシの鳴声とそっくりな囀りをすることがある。< と、あった。

先日に玄関先で死んでいた小鳥はキビタキ、5月頃に日本に渡って来るという夏鳥とか。
あの小さい体で、何千キロも離れた南洋から日本まで渡り切ったばかりであったろう。
生まれ故郷である日本でこれから巣作り子作りをするつもりが、事故って死んでしまった。
鳥の夫婦は一生添い遂げると聞く。あのキビタキに伴侶がいたなら同行していたはず。
その伴侶、今どうしているのかとついつい思ってしまう。まま、再婚するのであろうか。
しかしながら、旦那がナルシストというのも少し考えもの。
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靖国神社を参拝される昭和天皇。今日は祝日「みどりの日」。
しかしながら、よく変わる祝日である。
天長節、天皇誕生日、昭和の日、みどりの日という呼び名の変遷。
日は4月29日から5月4日へと移り変わった。つい忘れがちになる。
本日は小雨模様であるが玄関に「日の丸」揚げた。
昨日は「憲法記念日」とかいう祝日だったそうだが、私は日の丸を揚げていない。
憲法に知見を持たないロシア系米国人女性通訳が起草した「日本国憲法」。
何が憲法記念日じゃ、日の丸を揚げて祝うなんぞ出来るはずがない。
比べて「みどりの日」、昭和50年から靖国参拝を止められた昭和天皇。
半旗で揚げようかと思ったが、まま、全うに揚げた。
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近鉄線と環状線の乗り換え口である鶴橋駅のプラットフォーム。
昨日は戒厳令の最中、和歌山の友人宅まで遠出をした。
昼頃の近鉄線は一両の乗車客が10人足らず。
環状線へ乗換える鶴橋駅のプラットフォームも人影がない。
日頃は乗り換え客が多いので、この光景はやはり異様。
しかし、「日本憲法」の改正で自衛隊が国軍と明記されない限り戒厳令はない。
緊急事態宣言じゃ要請じゃ指示じゃと云うても所詮は罰則規定がない「お願い」。
226の記憶があるように、軍隊が発令する戒厳令とは根本的に違う。
戒厳とは国の立法・司法・行政の一部又は全部を軍に移管させることである。
つまり、逮捕も収監も軍事裁判の被告にもすることが出来る。
友人宅では1時半から4時半までの3時間を掛けた一局となった。
相手の奥方が見ている中、私が投了。惻隠の情(^^);
これで私の11年連続の敗北・・。
その後、奥方も同行でひっそり開けているホルモン屋へ、メニューはシマ腸タレ焼きのみ
奥方はジンギスカン鍋のシマ腸タレ焼きを食するのは生まれて初めて、噛み切れないとか。
まま、日本憲法をシマ腸で噛みしめると、やはり英語の臭いがする。

2020.05.02 花鳥風月
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昨朝10時ごろ、玄関で死んでいた小鳥である。見掛けない鳥だが美しい。
口に少し血が付いていたので我が家の二階窓にぶつかって落ちたかも知れない。
買い物に出掛けるので、後で埋めてやろうとメダカ鉢に被せた鍋に置いたのが失敗。
帰って来たら消えていた。カラス除けの鍋の上に置いてはカラスの餌になったようだ。
綺麗であったが何と云う小鳥だったのであろうか。

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買い物途中の秋篠川土手、道端で小鳥がうずくまっているのを見付けた。
メジロだが、少々小さいので幼鳥かも知れない。手を伸ばしても逃げない。
そのまま手の平に乗せると大人しくしていて、私の顔を見つめる。
買い物帰りに未だ居たら保護するかと思い、草むらの陰に置いておいた。
帰り道ではその姿は見当たらなかった。親鳥が見付けてくれたのなら良いのだが・・。

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土手の桜も菖蒲も咲いた、私の茶号は風翁、この前にはスーパームーン、まま花鳥風月。
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5月である。端午の節句には付き物の菖蒲(しょうぶ)が花を咲かせた。
今朝の新聞一面で営業を続けていた大阪のパチンコ屋が休業とあった。
まま、5月6日までという但し付き、連日の満席に加え吸い上げ利益も多かったとか。
これまでの休業騒ぎの稼ぎで一週間程度の休業には元は取れたということであろう。
7日以降どうするかは見ものだが、この際、半島への送金ルートを潰すことが良策だ。
今回のコロナ騒動でひと際光ったのは吉村大阪知事の言動と眼光であったろう。
私の子供と同世代であるが、「今の若い者は・・」という言葉が消えた気がする。
他の年配知事がアホ面で情けなく見えてしまい、維新の支持率大幅向上に寄与したようだ。
吉村は大阪市長時代に旧陸軍の戦死者らを慰霊する「旧陸軍墓地」の荒廃対策に予算計上。
安倍首相に「墓石の補修」や「国立墓地としての再整備」を求める要望書を提出している。
端午の節句を迎えるに、日本を託せる次世代の好漢が出てきたようだ。
親御さんの顔を見てみたいところ。