文化人類学者にしてマンガ家である筆者が、自ら「世界観エンタメ」と名づけた作品を取り上げ、それらの作品の面白さを分析する。筆者の専門である文化人類学の話が織りまぜられて進んでいく。
内容と直接関係ない話だが、この作者のマンガ『ナチュン』は読んでいて、現役の文化人類学者ということも知っていたのだけど、名大理学部出身だとは知らなかった。名大理学部というと、マンガ評論家の伊藤剛もそこの出身で、さらに聞いた話によると、アニメ評論家の藤津亮太もやはり名大理学部だという。その上、年齢も近い。
関係ないついでにもう一つ、泰作って「たいさく」じゃなくて「だいさく」なのも知らなかった。
世界観エンタメとは何か、というと、人間ドラマよりも世界観を重視した作品で、その世界に住みたくなるような感覚をもたらし、何度も繰り返し視聴するリピーターを生み、それによってヒットしているような作品のことである。
かなり多種多様な作品が、「世界観エンタメ」の名の下に1つにまとめられていて、それらを全部1つのカテゴリーにしてしまってよいのだろうかという感じはするのだけれど、個々の作品分析についてはなるほどと思うところが多い。
あと、時々『ナチュン』の作者だなあと思わせる言い回しの文を見かけることがあって面白いw
リアリティとは何か、どういう風に作るとリアリティが感じられるようになるか、という議論だとも言える。
CGとか特撮とかですごい迫力のある映像を作ったとしても、それだけでは面白い作品・「リアリティ」のある作品にはならないよ、と。
「物理的現実」ではなく「人間的現実」をうまく作り出せるか、ともいう。
この「人間的現実」とは何か、というのはちょっと説明しにくいのだが、人間(社会・文化)によって意味づけられている、とでも言えばいいかもしれない。
序章 エンタメの研究――文化人類学から考える
第一章 空間感覚の研究――『スターウォーズ』『となりのトトロ』『精霊の守り人』
第二章 時空感覚と社会空間の研究――『千と千尋の神隠し』『ワンピース』『進撃の巨人』
第三章 人間の世界の研究――『踊る大捜査線』『半沢直樹』、そしてゾンビ
第四章 ?居住空間の外?の研究――「Jホラー」と『寄生獣』
終章 私小説的な〈世界観エンタメ〉の研究――『エヴァンゲリオン』と『失踪日記』
第一章
『スターウォーズ』について、理系なSFではなくて文系なSF
タトゥイーンの描写に世界観が凝縮されている。オリエンタルな雰囲気作り。ミクロな状況とマクロな状況の結合→「音のする宇宙」=テーマパーク的なルーカス宇宙
文化人類学がどのように上橋作品に活かされているのか
→知識とかではなく、フィールドワークの経験が関与している。自分をセンサーとして、人間的現実をフィルターにして、自然を描く
『トトロ』と照葉樹林文化論→植物描写によって、日本の土俗性をクリーンにした上で、日本の田舎を描くことに成功した→テーマパークとして異世界としての日本の田舎
第二章
時間感覚を作ることの重要さの話、面白かった
ちょっと読みながら、『ナチュン』もそういうこと意識したのかなーと思ったりした。
時間の「不可量分」について
ナイロビの通行人の量を示したグラフ→これだけ見ただけではただの無味乾燥なグラフ。しかし、アフリカにおける「テンベア・タイム」という慣習を知ると、とたんにこのグラフを味わえるようになる。人間的現実に裏打ちされた時間感覚
その時間に、どういう意味があるか分かると意味が分かる
『千と千尋』では、薄明るい部屋で湯女たちが雑魚寝するシーンで、湯屋では昼が寝る時間(夜)なのだということが示される。ここに作者はこの作品の時間感覚を見る。
『千と千尋』と『ハウル』の違いを、この時間感覚の有無に見て取ろうとしている。どちらも奇怪な建築物に奇妙な造形の妖怪が次々と現れる作品だけれども、『千と千尋』の方が時間感覚がしっかりしていて、その世界に住めそうな感じがする。そもそも、お話自体は『千と千尋』はよく分からないけれど、この住めそうな感じ、というのがあると、視聴者はリピーターになるのではないか、と。
宮崎アニメでリピーターが生まれるのは、ディズニーリゾートにリピーターがいるようなのと同じ
住めそうな感じを生みだすものとして「味覚」「料理」も挙げられる
例えば、『闇の守り人』や『獣の奏者』では、味そのものの描写は少ないが、それを調理する人間の動作と組み合わせて描写されることによって、美味しさが伝わる
この章の後半は、『ワンピース』と『進撃の巨人』について、世界の構造を抽象化し空間化していること(前者であればグランドライン、後者では3つの壁)を論じている。
そのこと自体はともかく、前半と大分違う話をしていて、何故同じ章なのかがよく分からなかった。
第三章
岡田斗司男が指摘したという『風の谷のナウシカ』の「あの男、ユパです」というセリフのすごさの話から始まって、社会的空間という人間的現実を描いた作品が取り上げられる。
具体的には、『踊る大捜査線』『半沢直樹』、三谷幸喜作品、そしてゾンビものである。
これらの作品の主人公って、個人(例えば青島刑事)というよりは、警察であったりその場に集まった小集団だったりだよね、という話自体は、まあそうだろうなあと思うのだけど、こういうのも「世界観エンタメ」だって言っちゃうと、「世界観エンタメ」って言葉が広がりすぎて、ピントがぼやけてしまわないか、とは思った。
『スターウォーズ』とか宮崎アニメとか上橋作品とか、明らかな異世界ものとは一線を画すし、三谷作品なんかは、新たに「世界観エンタメ」としなくても、同種のコメディは沢山あるように思えるので。
ゾンビものについては、「社会環境」そのものがパニックの源泉になるという点で、ディザスターものやパンデミックものと違っており、そこがゾンビというジャンルのヒットにつながっているのではと分析している
ところで、三章ではマキャベリ的知性仮説が、ドゥヴァールのものとして紹介されているのだが、バーンとホワイトゥンでは?
それから、細かいところだけど、「映画『ラヂオの時間』(監督)や『12人の優しい日本人』(舞台および映画)」という表記の仕方が気になった。( )内に書かれている情報が、前者は肩書で後者はメディア名なので統一感がなくて読みにくいっていうのと、『ラヂオの時間』も舞台と映画の両方あるのだがというので。
第四章
この章も面白かった
サブタイトルは「Jホラー」と『寄生獣』となっているが、他に、『電脳コイル』や諸星作品への言及もある。(他の章でも文化人類学への言及は度々あるけど)一番文化人類学っぽいのもここ。
なんでホラーが怖いのか
「内側」と「外側」の境界から現れるから。ゴキブリが怖いのも同じ、と説明しているのが面白い。
このあたりは、文化人類学での議論もあわせて紹介されている。汚穢論とか。
異界という哲学的・宗教的テーマを描くにあたって、それをエンタメとして示すには、哲学的に説明するのではなく、「恐怖」を使って体感させている。恐怖と哲学は相性がいい、という話
この章の異界をどうやってエンタメで描いているかという話が面白かった
あ、ただ、異界ものを「セカイ系……というのだろうか」と書いていて、なんかまた新しいセカイ系概念が出てきちゃったなあと思ったw
それから、その繋がりで『寄生獣』へと話が向かって、壮大な世界観と素朴な人間性の対比について。
上橋と荻原規子が『指輪物語』の魅力はサムの魅力だと対談しているらしいが、それを受けて、作者は、世界観が構築されているからこそ、サムのような人間が魅力的になると、再び世界観構築の重要性を説く。
世界観を構築していったからこそ、そこからぽろっと零れ落ちるように、人間の天然さが出てくることがあって、それは作者も意図しない形で現れてくるもので、そういうのが面白い、と
終章
『エヴァ』『失踪日記』『刑務所の中』『よつばと』をひとまとめに論じている章
私小説的な世界観エンタメとか名づけてて、また、第三章に続いてすげーまとめ方だな、と思うのだけど
庵野だったり吾妻だったり、作り手自身を知覚装置として世界を描写していくのだ、ということで、文化人類学のフィールドワークの話と一応うまく繋がっている形となっている。
また、「共感」よりも「居住感覚」だとも
感想
個々の議論で、面白いところは色々あった
どうやって異世界をリアリティのあるものとして描くか、という点では、作り手寄りの視点であることもあいまって、ある程度「使える」本なのではないだろうかとも思う。
一方、細かいところでちょいちょい記述がテキトーだなあと思わせるところがあったり、「世界観エンタメ」って結局のところ何よというと、取り上げられている作品がちょっと多様なために、掴みがたいところがあったりする。
あと、この記事では全然まとめなかったけど、序章と終章で書かれている、芸術と娯楽の区別がなくなってエンタメになって、「不特定多数」を相手にする際に、売れるものとして近年「世界観エンタメ」が台頭してきているというこの本の大きなストーリーも、ちょっと「うーん?」という感じはした。
つまり、理論書ではないけれど、実践的な分析の書ではある、という感じ。
(面白さ)の研究 世界観エンタメはなぜブームを生むのか (角川新書)
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