今回はNIMH(アメリカの国立精神衛生研究所)の所長であるトーマス・R・インセル博士の論文を紹介したい。内容は精神医学はこうあるべきだという論文である。彼が論文で唱えていることは、精神疾患は脳の障害であり、広い意味での神経疾患であり、21世紀中に神経疾患として再編性されねばならない、従来の認識を破壊せねばならないのだという主張である。今後、NIMH主導でアメリカの精神医学がさらに変化していくことも考えられ、彼の思想を理解しておくことは損なことでもないと思われる。
これまでの精神医学の認識を破壊するような洞察。今の臨床の在り方を変えていかねばならない。
「Disruptive insights in psychiatry: transforming a clinical discipline」
抄録
統合失調症、双極性障害、うつ病などの精神疾患は、米国やカナダでは15~44歳における医療負担の約40%を占めており、この世代の主要な慢性疾患となっている。このレビューで提示された研究は、これらの疾患を理解することに変換されねばならない。この論文で提示された研究成果によって、精神疾患は、過去に考えられていたような心理的な葛藤や化学的な不均衡(神経伝達物質の異常)だけから生ずるのではなくて、精神疾患は脳疾患であり、発達障害、複雑な遺伝子疾患であるという、これまでの洞察を破壊するような病態生理学への洞察が生じてきている。現在の薬剤は患者のために十分に役立っていない。これらの機能性疾患(精神疾患)の病態生理学への新しい深い理解は、新しい世代の患者への治療の最善の希望となり、疾患から回復する手助けとなることであろう。
私が30年前に学んだことが間違っていたと証明されている。30年前は消化性潰瘍は精神分析で治療可能な精神内界の葛藤によるものであると信じられていた。それと同じく、自閉症は、頑固で冷たい母親が、子供を精神的な孤立に陥れた結果だと信じられていた。さらに、統合失調症は成長過程の精神病であるため、退行させるプロセスを通じて治療することができるはずだと信じられていた。しかし、これらの神話は科学的研究によって否定された。おそらく、30年後の我々の後継者は、我々が今信じているものを哀れな認識だったと考察することになろう。もちろん、現在の理論や実践の中から何を残すべきかを試みていかねばならないのは言うまでもないが。このレビューの目的は、新しい発見によって統合失調症や双極性障害などの精神疾患における現在の考え方の多くを覆すことが目的である。私の他の精神疾患のレビューも同様に参考にしてほしい。まず、公衆衛生学の重要性を認識してほしい。
公衆衛生の重要性
WHOによれば、米国およびカナダにおける15~44歳の精神疾患は、この年齢の医療負担の約40%を占め、疾患としては1位である。精神疾患は非常に多く発症している。例えば、生涯のある時点で大うつ病性障害を有する人間は16%にもなる。人口の6.6%が毎年、この障害の影響を受けている。大うつ病性障害は、うつ病相では激しい気分障害によって仕事ができない。他の多くの機能の障害を呈する慢性疾患とは対照的に精神疾患は人生の早い段階で始まる。児童期に始まるADHD、ASDという疾患もあるが、しかし、大人の疾患である気分障害や不安障害の50%は14歳で既に症状を呈している。先進国では、精神疾患や嗜癖障害は若者の慢性疾患としてますます増えていっている。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15939837
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15939837
精神疾患は罹患率だけでなく死因としても主な疾患である。2005年にはマメリカでは3200人以上の自殺があったが、その90%は精神疾患によるものであろうと考えられている。そして、殺人の2倍以上、エイズの死亡より多い(この辺は日本と大きく事情が異なる。これこそアメリカ社会は歪んでいるという証明ではなかろうか)。重篤な精神疾患である統合失調症や双極性障害の平均寿命は56.3歳であり、一般人口よりも早く死亡する(精神科病院のベッド数を極端に減らしたアメリカの政策の弊害であろう。日本は逆にそういった人達は死亡することなく入院を続け高齢化していっている。病院という生活環境ではあるが、生活する場を提供した日本の政策は精神疾患の方々の寿命を保障したある意味において優しい政策であったと言えよう)。この早期の死亡は治療や合併症による死亡だと考えられている。早期の死亡は喫煙も関係があると考えられている。精神疾患の約26%が喫煙者であり、タバコの44%の消費は精神疾患を持つ人間によって消費されている。
精神障害は薬や心理社会的介入で治療されている。抗うつ薬、抗不安薬、抗精神病薬は40年以上も使用されてきた。10年以上前から利用可能になった第2世代の化合物は、第1世代と比べて効果が優れている訳ではないことは明らであり、かつ、副作用の頻度は少ないが、別の副作用を持っている。第2世代の向精神薬は祝福と呪いの両方になっている。第2世代の向精神薬は、統合失調症の幻覚や妄想を軽減し、うつ病の絶望や無力感を軽減することはできた。しかし、高い罹患率や死亡率は現在の薬物療法が十分な効果を持つものでないことを示している。気分障害や不安障害への効果が証明された行動療法や構造化された心理社会的療法は使用されなくなり、薬物療法へと社会資源を使用することにシフトし、今は薬物治療に焦点が当たり過ぎている。そして、(薬物療法が)統合失調症の機能や転帰を改善するためのリハビリテーションサービスという社会資源をも破壊してしっまている。抗精神病薬や抗うつ薬は効果的ではない。真の回復を誘導することなく症状を軽減しているだけである。統合失調症の約80%が失業しており、双極性障害でも半分以上が失業しており、さらに薬物乱用や薬物中毒という問題までもが発生する。これは薬物療法の呪いであるとしか言いようがない。精神医学の生物学的研究の多くが、どのように薬物療法が作用するかというテーマに焦点を当て、抗精神病薬や抗うつ薬の作用機序については多くのことを学んだが、しかし、精神病や気分の制御といった病態生理については殆ど学べていないのである。
精神疾患の病態のより深い理解を必要とするが、我々は次の世代の薬を開発することができるはずである。我々は今、精神疾患の新しい科学を可能にするツールを持ったという良いニュースがある。私は、科学が精神疾患の診断と治療に革命をもたらし、その結果、精神医学の姿を変え、最終的には神経内科neurologyに再編され、臨床神経科学の新しい学問的な領域を作成していける可能性があると信じている。こういった革命は神経科医や発達神経科学者、小児科医らの精神医学の外からの新しい思想によって後押しされていることに注目する必要がある。
精神疾患は脳疾患である
1990年代に脳の10年という議会宣言がなされた。そして、ニューロサイエンスによって3世紀にもわたる心と脳の間の分裂に別れを告げた。神経活動の研究によって心の中の複雑な様相が明らかにされた。構造的や機能的なニューロ・イメージングの所見は、洗練された行動神経生理学的研究と同様に、以前ではアクセスできなかったような意思決定、モラル判断、意識といった領域に光を当てることができるようになった。この10年間で、精神活動は神経活動であるとして焦点を当てていったことで、精神障害は神経障害であるという考え方の方向に変化してきている。以前の生物学的な仮説は、うつ病や統合失調症は、化学的不均衡によりものであり、すなわち、セロトニンの欠乏やドーパミンの増加によってこれらの疾患を説明できるとした。しかし、ニューロ・イメージングによってブラックボックスの中(精神疾患の脳内の変化)が覗けるようになったのである。
統合失調症は、遂行(実行)機能、例えば、判断、計画、柔軟な認知といった機能を仲介する背外側前頭前皮質の回路の機能障害としてマッピングされた。うつ病は、これまで探査できなかった領域である気分の調節に重要な役割を有するmidline infragenual前頭前皮質(適切な日本語訳不明)における機能不全が関与していると表示された。 OCDは眼窩前頭前皮質の機能障害、PTSDは恐怖の消去のために必要な前頭前皮質の回路の機能不全としてマップされた。多くの精神障害は脳の回路の機能不全として理解することができる。その部位の機能不全は、細胞の喪失の結果の反映か他の結果の反映かなどの解明はこれからの研究課題であろう。
もし、精神疾患が、心的外傷や葛藤から生じる心理的な疾患ではなく、心理的な苦痛を引き起こす脳の疾患であれば(心が先か脳が先かという議論になろうが)、我々のこれまでの診断へのアプローチ、治療、専門的な訓練は再考される必要がある。ADHDにおける最近の研究が良い例を与える。Shaw博士らは、223名のADHDの子供達とADHDではない223名のコントロールの子供達の前向きな縦断的なMRI研究を報告した。ADHDでは前頭前皮質で、ADHDの子供は皮質の成熟が約3年(最大の遅延は5年)遅れていることが示された。大脳全体での皮質のピークの厚さを達成するための年齢の中央値は、コントロールの7.5年に対し、ADHDの子供では10.5歳であった。これによってADHDは脳の皮質の成熟の障害によって生じた行動(多動)と認知機能(注意欠陥)によって定義される疾患であることが判明した。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2148343/
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2148343/
我々は、診断、治療、トレーニングを再定式化することに力を注ぐことで、精神疾患は脳疾患(=広い意味での身体疾患)であるという認識は、偏見を減らすことに役に立つかもしれない。多くの精神疾患(ADHD含む)の個人が、脳の病気としてはまだ受理されていない。もし、一般市民が皮質成熟の障害としてADHDを理解するようになれば、これらの病気に苦しむ家族が一般市民からの非難や恥で苦しむことは少なくなるであろう。我々は、精神疾患を特徴づけていたこれまでの生物学的に心理学的に伝統的に単純化されたアプローチを回避していかねばならない。精神疾患は複雑な生物学的および心理的なプロセスから生じる。重要なことは精神疾患の生物学(神経的)素地(素因)は心理的な症状に先行する可能性があるということである(ノイローゼになりやすい人は神経学的な素因を持っているという理論になろうが、神経症以外はそういった生物学的な素因はあろうが、神経症に関しては素因は関係ないと私は思う)。アルツハイマー病やパーキンソン病といった神経変性疾患の研究から、観察可能な行動の症状は病気の過程で遅れて生じたイベントであることが分かっている。同様に、精神疾患(過活動、精神病、うつ病、等)の行動における表現は、異常な神経系の活動の後期の姿であることを示している可能性がある。これは、これまでの認識を破壊する洞察をもたらす。
精神疾患は発達障害である
精神疾患は若年者に生じる慢性的な疾患であると考えることができる。多くの他の脳の病気とは異なり、精神疾患は変性疾患であり人生の後期に症状が始まる疾患である。診断が何十年も何年も遅れることがあっても、精神疾患の発症は、通常、幼児期や思春期に既に発生していることが示されている(これに関しては私は異論があるが)。Wangらは、気分障害の発症(診断される時期)は平均6~8年遅れ、不安障害は9~23年遅れることを見出した。そして、初期の段階における症状は後期の症状とは異なるという事実が判明した。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15939838
成人期のうつ病は小児期の不安障害が先行することがある。18歳での統合失調症のケースでは、多くの場合、精神病の発症(診断される時期の)前に、識別可能な前駆期や初期としての兆候や症状を示す期間が2~3年先行していることが分かっている。さらに、ASDのリスクのある子どもたちは、より慎重に検討されてきた。ASDの初期の形は発語の遅れや社会性の障害として検出されてきた。これらの疾患では発達段階を理解することが変革につながる。我々は精神病を統合失調症の遅い段階のものとして考えるようになっている。心血管障害ASHDではリスクの段階と虚血変化の段階があるように、前駆期が先立つだけでなく、早期から長い間のリスクが先立つ疾患として精神疾患を理解する必要がある。これらの精神病の前段階の識別は早期診断のためのチャンスを与えてくれる。早期発見よりもさらに重要なことは、精神疾患は発達障害であると認識することであり、それによって早期の介入が可能となり、機能障害を呈する後期への移行を阻止することが可能になることである。統合失調症の各段階Stageについては下図を参考にしてほしい。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15939838
成人期のうつ病は小児期の不安障害が先行することがある。18歳での統合失調症のケースでは、多くの場合、精神病の発症(診断される時期の)前に、識別可能な前駆期や初期としての兆候や症状を示す期間が2~3年先行していることが分かっている。さらに、ASDのリスクのある子どもたちは、より慎重に検討されてきた。ASDの初期の形は発語の遅れや社会性の障害として検出されてきた。これらの疾患では発達段階を理解することが変革につながる。我々は精神病を統合失調症の遅い段階のものとして考えるようになっている。心血管障害ASHDではリスクの段階と虚血変化の段階があるように、前駆期が先立つだけでなく、早期から長い間のリスクが先立つ疾患として精神疾患を理解する必要がある。これらの精神病の前段階の識別は早期診断のためのチャンスを与えてくれる。早期発見よりもさらに重要なことは、精神疾患は発達障害であると認識することであり、それによって早期の介入が可能となり、機能障害を呈する後期への移行を阻止することが可能になることである。統合失調症の各段階Stageについては下図を参考にしてほしい。
パーキンソン病では、黒質のドーパミン細胞の80%が変性した後にのみ観察可能な症状が出現することが分かっている。筋萎縮性側索硬化症(ALS)の運動障害は、必要な運動ニューロンが全て損失してから明らかになる。行動障害や認知症状は、神経病変に基づいた後期の症状であるという基本的なルールがあるのかもしれない。精神疾患の場合には、もし、根底にある病理変化が回路を障害しているのであれば(フォーカスなグループの細胞の損失と対立するような形で)、回路が機能的な接続の発達に失敗した後だけでなく、回路の発達が必要になった後でも、あるいは、補償的な回路が十分に機能し得なくなった後に観察可能な症状が提示されるのかもしれない。症状のトリガーが何であろうとも、根底にある病態生理学は行動や認知症状が出現するかなり前から存在しているのかもしれない。発症のリスクを検出し、精神疾患が早期の段階にあると検出し、後期に移行することを阻止できるようなバイオマーカーの同定が研究されねばならない。心血管障害の早期の段階を同定できる血液中の脂質値や心臓イメージングのように、我々は精神病が発症する前に統合失調症や双極性障害を同定するバイオマーカーを必要としている。統合失調症や双極性障害を阻止でき、精神疾患の疾病率や死亡率の低下を約束してくれるような、心血管障害における「スタチン」のようなものを、次世代の精神科の治療となり得るもの発展させていかねばならない。
(以下、次回に続く)
インセル博士の考え方には概ね賛成できるが、賛成しかねる部分もある。ADHDは脳の成熟が遅れる疾患であるという考え方には賛成しかねる。もしこれが事実であるならば、ADHDは疾患だと言えるのであろうか。人でも競争馬でも早熟なケースもあれば晩熟なケースもある。ADHDがミエリン形成の遅れという自然現象の当然のばらつきの範囲内の現象であり、いずれは通常の成熟に追いつくものであれば、疾患であるという認識よりも、自然界ではばらつきが必ず生じるという必然性による単なる遅れと認識すべきではなかろうか。疾患として認識してコンサータを投与してまで症状を抑える意味はあるのであろうか。薬物を投与するのではなく成熟を待ち、成熟が少しでも早まるような適切な環境を提供することの方が正しい対処法なのではなかろうか。疾患だという認識や発想が薬物療法に安易に走らせているように思える。
精神科医の使命としては、精神疾患という診断をして疾患なのだというレッテルを貼ることではなく、精神疾患は健常から離れた一時的な状態であるに過ぎないのだという認識を一般市民に浸透させていく使命もあろう。特に、人類にとってはどのような生育環境が適切なのかという研究は殆どなされていないのが現状である。現代社会の在り方が人類にとって適切であるかは何も検証されていない。精神医学は親の子への養育内容や学校における教育内容など、社会学的な広い見地に立った精神疾患を予防し回復を促進させうる生育環境や生活環境のあり方の研究をもっとしていかねばならないであろう。
精神科医の使命としては、精神疾患という診断をして疾患なのだというレッテルを貼ることではなく、精神疾患は健常から離れた一時的な状態であるに過ぎないのだという認識を一般市民に浸透させていく使命もあろう。特に、人類にとってはどのような生育環境が適切なのかという研究は殆どなされていないのが現状である。現代社会の在り方が人類にとって適切であるかは何も検証されていない。精神医学は親の子への養育内容や学校における教育内容など、社会学的な広い見地に立った精神疾患を予防し回復を促進させうる生育環境や生活環境のあり方の研究をもっとしていかねばならないであろう。
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。