N2O-1

 一昨度の8月に、ニトロプルシッド・ナトリウムが統合失調症の症状を劇的に改善させたという論文を紹介したのだが、その薬理作用は一酸化窒素(NO)を介したNMDA受容体システムへの作用などが想定されている。酸化窒素系化合物はNMDA受容体システムに作用するのである。
 (関連ブログ 2013年8月24日 ニトロプルシッド・ナトリウムの統合失調症への効果)

(JAMAの一酸化窒素の精神疾患への効果に関する社説)
(統合失調症へのニトロプルシッド・ナトリウムの効果に関して新たに2014年に発表された論文)
(NOが統合失調症患者のワーキングメモリーを改善するのではないかという治験)

 今回は再び酸化窒素系化合物に関する新しい論文が出されたので紹介したい。それは亜酸化窒素、いわゆる笑気ガスである。笑気ガスもまた麻酔薬として古くから使用されていたものであるが(笑気ガスは、1799年に既に使用されており、1900年頃には麻酔薬として確立されていた非常に古くからある薬物である)、その笑気ガスが治療抵抗性うつ病に劇的な効果を発揮したというのである。しかも、ニトロプルシッド・ナトリウムの場合と同様に速効性があり、ニトロプルシッド・ナトリウムでは統合失調症であったが、笑気ガスでは難治だったうつ症状がすぐに改善したらしい。もし、これが事実であれば、すばらしい大発見である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%9C%E9%85%B8%E5%8C%96%E7%AA%92%E7%B4%A0 
http://publicdomainreview.org/2014/08/06/o-excellent-air-bag-humphry-davy-and-nitrous-oxide/
http://www.shroomery.org/forums/showflat.php/Number/13669068

N2O-2

 この論文には注目すべきである。一酸化窒素(NO)や亜酸化窒素(N2O)といった酸化窒素系化合物が第3の向精神薬になる可能性があるからである。
 
 酸化窒素系化合物によって精神科薬物療法が大きく変わる可能性があると言えよう。

 私は、最近、難治性になってしまった高齢化した統合失調症の患者さんで狭心症の治療薬であるニトロダームTTS(この薬も皮膚から吸収されて生体内でNOとなる)が劇的に効いたとしか考えられないようなケースを経験した。
 
 その統合失調症の患者さんは、大学時代という20歳台前半で発症し、60歳を過ぎたケースだが、ここ10年は、良くなったり悪くなったりを繰り返しており、そのため長期入院を続けていた。開放病棟と閉鎖病棟とを行ったり来たりを繰り返し、今回再び精神症状が悪化したため、閉鎖病棟に転棟となったのである。
 
 悪化を繰り返すたびに抗精神病薬は増えていき、抗精神病薬のCP換算値は1500を超えてしまっていた(恥ずかしいことに2000近い値)。今回も1年間程は全く普通に過ごせていたのだが(病識はないままだったが)、しかし開放病棟に移動するとチェックが甘くなるため、ある時期からは隠れて拒薬(吐薬)していたようである。こうなると非常に危険である。抗精神病薬の中止時ドーパミンD2受容体パラドックスが生じてしまう。この患者さんも、そのせいで再び激しい幻覚妄想状態になってしまったものと思われた(せっかく良くなっても、拒薬や吐薬を繰り返すために、増悪と改善を繰り返し、閉鎖病棟と開放病棟を行ったり来たりしていたのである。)。
 
 この患者さんは、こうなると全く疎通が取れなくなる。意味不明を独語をし続け、急に大声を出して興奮し始めるようなことを毎日繰り返し、幻覚妄想の世界に入り込んだままとなり、完全に拒薬、拒食となる。
 
 こうなった場合には電気ショック療法が試みられるのであろうが、当院では電気ショック療法は実施していないため、ジプレキサの筋注や、セレネースの点滴静注などが試されることになる。しかし、今回はなぜか全く反応しない。ジプレキサの筋注やセレネースの点滴静注では鎮静はかかり興奮は抑えらるものの、幻覚妄想状態は全くの不変である(CP換算値が強烈だっただけに、抗精神病薬の急激な中断によって、強烈なドーパミン受容体過感受性精神病が生じたのであろう)。一日中意味不明な独語をし続け、拒薬し続け、食事も一切摂らないし、飲水もしない。仕方なく持続点滴で管理することになった。
 
 しかし、その後も同じような状態が続き、いよいよ方法がなくなり、点滴にてセレネースを10mg~15mg/日(CP換算値で500~750)を投与して様子を見るしかできなくなった(20mgにしてみても全く同じなので、興奮が出なければいいため10mg~15mgで維持した。しかし、試しにセレネースを5mg/日にしてみると、それでは鎮静効果が不十分なのか、興奮する時が多くなるため、セレネースの減薬も中止もできないような状態が続いた)。
 
 やむを得ずセレネースの10mg~15mg/日の点滴でしばらくの間様子を見ていたのだが、2週目を過ぎた頃からとうとう錐体外路症状が出始めたのである(振戦、筋固縮など)。こうなると嚥下にも影響が出て、経口で食べていなくても、喀痰排出困難となり、肺炎を起し易くなる。これはまずい。セレネースを中止するか量を下げるか、または、抗パーキンソン剤のアキネトンを使用せねばならない。しかし、アキネトンは普通は筋注である。特殊な場合は点滴でも使用できるが、点滴での使用は安全性は保証されていない。もし、点滴で使用して病態に変化が起きたら医療事故扱いとなるため、そのような使用は避けねばならない。前回も同じような状況となり、アキネトンの筋注を繰り返しているうちに筋肉の炎症が起きてしまったため、今回はそのような事態は何とか避けたいと思った。

 仕方がないので、セレネースは5mg/日まで減薬して、減薬した代わりにデポ剤のリスパダールコンスタ50mgを使用し、セレネースは中止していく方向で検討した。セレネース5mg/日+コンスタ50mg/2週間に変更したが、興奮はそれで何とか抑えられることが分かった。しかし、重度の幻覚妄想状態は不変なままである。一日中独語をし続け、別の世界に行ったままであり、疎通は殆ど取れない状態であった(食事や内服を勧めても、ごくたまに、「要らん!!」と激怒して怒鳴る程度。あとは、話しかけても話しかけを無視して、意味不明な独語をし続けるといった病状)。
 
 しかし、悪いことは重なるものである。その時に、高血圧が元々あり、降圧剤の内服も中断されていたため、再び、血圧が160を超えるようになってきたのである(上昇した時は180~200までいく)。これまではセレネースが1日に10mg以上は入っていたため、何とか重度の高血圧になることは抑えられていたのだが、錐体外路症状のためセレネースを減薬したことで、高血圧が悪化してしまったのである。これで高血圧の方も何とかせねばならなくなってしまった。
 
 ところが、低レベルの場末のP科病院の当院には、点滴で投与するような降圧薬は置いていないのである。アポプロンしかない。200を超えるような高血圧時にはアポプロンの筋注をするしかないのである。しかし、毎日筋注をする訳にはいかない。アキネトンの筋注と同じで筋肉の炎症が起きてしまう。そこで、循環器系の内科医に相談することにしたのである。

 だが、この内科医はやる気のない医師であった。とにかく、いつもやる気がないのである。

 重度の高血圧の患者さんがいるのですが、拒薬や拒食があるため点滴で対応する何か良い方法はないでしょうかといった風に分かり易くコンサルトしたつもりだったのだが、しかし、そんなの私は知らないわよといった感じの返事が返ってきた。私は点滴で投与する降圧薬の注射製剤を臨時採用してくれないかと暗に打診したつもりだったのだが、あっさり無視されてしまったのである。きっと、そのようなことは面倒くさいのだろう。紙切れを1枚書けば済むにも係らず、注射製剤型の降圧剤の臨時採用申請書を薬局に提出しようとする気配はその内科医には一向になかった(悲しいことに、精神科医の私が申請しても、内科医から内科用の薬剤を申請してくれないと薬局長はなかなか承認してくれないよのね)。まあ、恥ずかしいことに当院には持続注入ポンプもないし、注射製剤型の降圧剤を使用するのであれば、そいった医療器具も一緒に購入せねばならないのだが、とにかく、この内科医師はいつも頑張って治療しようという熱意が全く伝わってこないのである。

 ふん、そんなの経鼻チューブから降圧剤を入れたらそれでいいんじゃないのといった感じの対応であった。
 
 この患者さんは、前回の悪化時も、前々回の悪化時も、経鼻チューブを使用して与薬や栄養管理をしていたのだが、経鼻チューブが挿入されたせいであろうか、誤嚥性肺炎を何度も併発し大変だったため、私は経鼻チューブからの与薬はできるだけ避けたいと思っていたのである。しかし、その内科医は肺炎になったってそんなのどうでもいいでしょう。私には関係ないわよといった感じであった。
 
 あかんなあ、この循環器系の内科医は。いつもやる気がないわ。ちょっとでもデータが悪くなると、この病院ではもう診れないと大騒ぎして、すぐに転院させようとするし。自分が使う内科用の医療器具も揃えようとしないし。人工呼吸器や持続注入ポンプを揃えずに、いったいどうやって重度の循環器や呼吸器疾患への対応をしようというのか。常勤で循環器系の内科医がいるのに、なぜ人工呼吸器や持続注入ポンプが未だにこの病院には1台もないのだ。おそらく、もし、そのような医療機器を揃えれば重度の場合でも自分が診なきゃいけなくなるので、あえて何も内科用の器具を揃えないままにしているのであろう。とにかく自分の仕事を増やしたくないのが見え見えである(悲しいことに、精神科医が申請しても、内科医が要らないと言うと、そういった医療器具はドケチの経営者は購入してくれないんだよね)。
 
 経営者は、これからは身体合併症のある患者もどんどん引き受けると言って内科医を雇ったはずなのだが、このような内科医を雇っても病棟の内科機能が全く充実しないので意味がないのであった。おまけに、NSTでも、いつも変な食事指導のコメントがカルテに書いてある。その上、常勤医のくせに私的な用事で病院を休んでばかりいるし、早退ばかりしている(早くこの病院を辞めてくれないかな。もっと別のやる気のある内科医が来てくれないかな。なんで経営者はこんな内科医を雇ったのだ。まあ、内科医の方にしてみれば、やる気がないからこそ精神科病院に来たのだろうけど。汗;)。
 
 さらに、悪いことは重なるのである。その患者には腹部大動脈瘤があることが判明したのである。サイズからすれば手術の適応レベル。しかし、本人は疎通も取れないし、親族は既に全員死亡しており家族による手術の同意すら取れない。しかも、この病態では転院したとしても手術は到底不可能である。おまけに、こんな精神状態では術後管理もできない。しかし、その循環器の内科医はいつものように、既に手術の適応のサイズなんだから、外科に転院させて手術させたらいいんじゃないのといった冷たい感じの対応であった。
 
 (こんな病態では、どこの病院も引き受けてくれる訳がないだろうに。この野郎、分かっているくせに、そんなこと言うなよ。まったく。)

N2O-5
 
 仕方がないので、もう一人の内科医に相談することにした。こちらの方は消化器系の内科医である。循環器系の内科医とは異なり、非常に真面目で熱心な内科医である。責任感も強く、やる気も十分な内科医であった。病棟での評判もすこぶる良い。
 
 あの・・・、(当院には循環内科のドクターが既にいるのですが)循環器のことで相談してもよろしいでしょうか。
 
 はい、いいですよ。あ、そういうことですか。それでは、とりあえず、ニトロダームTTSを使ってみたらどうですか。血管が拡張するはずですし、少しは血圧は下がるかもしれません(アドバイスいつも有難うございます)。
 
 そこで、その真面目な消化器系の内科医のアドバイスに従い、ニトロダームTTSを貼ることにしたのである。

 すると、なんと!!、ニトロダームTTSを貼った翌日から急に疎通が改善し会話ができるようになったのである。食事を食べると返事をようになったのである。今まで全く知らん顔で独語をし続けていたのだが、問いかけにきちんと返事をするようになったのである。ニトロダームTTSにて血圧も少し下がって危険な水準からは脱したのだが、血圧よりも何よりも、精神症状の方が劇的に改善したのである。

N2O-4
 
 これは奇跡だ。いったい何が起こったのだ。抗精神病薬の使用状況は、リスパダールコンスタの2回目の筋注をした2日後の状況である。コンスタがようやく効いてきたとも考えられなくもないが、こんな急激な変化はコンスタではあり得ない。これは、間違いなくニトロダームTTSの効果だろう。きっと、ニトロダームからの一酸化窒素(NO)が効いたのだ。あのニトロプルシッドナトリウムの論文は本当だったのだ。精神疾患にはNOが劇的に効果を発揮することがあり得るのだ。

 通常では、心疾患に使用するニトロダームTTSにて統合失調症の症状が改善するなんて絶対にあり得ないだろうと思うのは当然である。このケースでは、未だにリスパダールコンスタが効いたのだと他の医師や病棟のスタッフからは思われているのだが、私には経過からして、ニトロダームTTSの方が効いたとしか思えないのであった。

 ちなみに、他のドクターからは、じゃあ本当にそう思うんだったら他の患者さんにもニトロダームTTSを試してみたらいいじゃないですかと冷やかされている。確かに、NOに関しては、全く逆に作用する可能性もあり(統合失調症の症状を悪化させる)、他の統合失調症の患者さんに安易に試すことはできないのではあった(狭心症が合併しているケースには試そうと思っているが)。
http://www.schizophrenia.com/sznews/archives/005764.html
 
 その後は、その患者さんはぐんぐんと良くなっていき、ニトロダームTTSを開始してからは2週間後には幻覚妄想や独語は完全に消失した。食事も食べ始め、拒薬もなくなり、降圧剤の内服もするようになり、今では、抗精神病薬は2週間に1回のコンスタの筋注のみで維持できている。さらに、金銭も自己管理して、普通に外出して買い物をして帰ってきている(とにかく、ニトロダームを貼り始めてから2週間で寛解状態となったのである)。
 
 あれだけCP換算値が高かったのが、今ではリスパダール4mg/日相当で維持できるようになっている。精神状態が悪くなる前はCP換算値で言えばリスパダールを15mg~20mg/日をも内服していたことになるんだけどね。これはまさに奇跡に近い出来事であった。
 
 その後、腹部大動脈瘤の手術をしますかと本人に聞いたのではあるが、手術?、そんなのしなくていいですとあっさり拒否されてしまった。ニトロダームTTSは今でも毎日貼っている。本当にニトロダームTTSが効いたのかを確認するために、コンスタを中止してみてニトロダームTTSだけにしてどうなるかを試そうかなとも思っているのではあるが、コンスタの方の効果かもしれないと思うと未だに決心はできていないのであった(汗;)。

(こういったことは誰も信じてくれないのは間違いないし、誤った解釈をしている可能性も高いため、論文にはできないのですが、同じような経験をするドクターや患者さんがいないとも限らないので、何らかの参考になればと思いブログで書くことにしました。) 
 
 ということで、今日はNOではなく、N2Oの話です。
 
治療抵抗性大うつ病への亜酸化窒素:概念実証的トライアル
「Nitrous Oxide for Treatment-Resistant Major Depression: A Proof-of-Concept Trial」

(抄録)

 ケタミンなどのNメチル-D-アスパラギン酸受容体(MNDA受容体)拮抗薬は治療抵抗性うつ病(TRD)に対して即効的な抗うつ作用を有する。そこで、我々は、亜酸化窒素(nitrous oxide、一酸化二窒素、、笑気ガス、N2O)、この物質は吸入全身麻酔薬だがNメチル-D-アスパラギン酸受容体アンタゴニストでもあるが、N2Oが治療抵抗性うつ病に対して即効性を有する治療になり得るかもしれないと仮定した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%9C%E9%85%B8%E5%8C%96%E7%AA%92%E7%B4%A0
http://en.wikipedia.org/wiki/NMDA_receptor_antagonist

 この盲検プラセボ対照クロスオーバー試験では、20名のTRD患者に対して、50%亜酸化窒素/ 50%酸素、または、50%窒素/ 50%の酸素(プラセーボ、対照)が無作為に割り当てられ、1時間吸入した。そして、24時間後のハミルトンうつ病評価尺度(HDRS-21)の21項目が評価された。

 その結果、亜酸化窒素の平均吸入時間は55.6±2.5(SD)分、吸気濃度の中央値は44%(37%~45%)であった。2名の患者が亜酸化窒素が即時に中止されており、3名の患者が治験を中止された。亜酸化窒素群では、プラセボと比較して、吸入後2時間と24時間の時点で抑うつ症状は有意に改善していた(HDRS-21の差:2時間後では-4.8点、 24時間後では-5.5点)。その内訳は、亜酸化窒素の吸入に4名(20%)の患者が反応し(HDRS-21は50%低下)、3名(15%)の患者では完全寛解(HDRS-21は7点未満)に至った(反応のオッズ比は4.0、寛解のオッズ比は3.0)。なお、重篤な有害事象は発生しなかった。有害事象は、全て短時間でかつ軽度から中程度のものであった。今回の試験にて、亜酸化窒素は、治療抵抗性うつ病に対して迅速で著明な抗うつ作用を有することが実証された

N2O-7

(本文)

 治療抵抗性うつ病(Treatment-resistant depression、TRD)は大うつ病性障害の重症型である。TRDの患者は、複数の抗うつ薬を使用しても治療が失敗し、長期予後は不良である。大うつ病(米国の成人の推定有病数は1000万人)患者の1/3がTRDである。そして、TRDの治療選択肢は非常に限定されている。

 亜酸化窒素がTRDへの治療となり得るような強力な生物学的な根拠がある。亜酸化窒素は中枢神経系に様々な形で作用することが知られているが、亜酸化窒素の主な標的は、ケタミンのようにNメチル-D-アスパラギン酸(NMDA)受容体であり、NMDA受容体に対して非競合的阻害剤として作用する。

 NMDA受容体シグナル伝達は、中枢神経系の情報処理システムにおいて鍵となるような構成成分であり、うつ病に関与している。
 
 大うつ病の病態生理学におけるNMDA受容体シグナル伝達の関連性と一致して、ケタミン(一般的な、解離性麻酔薬)のようNMDA受容体アンタゴニストは、TRDに対して、麻酔域下用量で急速かつ持続的な抗うつ効果を有することが示されている。
 
 我々は、作用機序が似ていることから、亜酸化窒素も、TRDへの即効性への抗うつ効果を有し得るだろうという仮説を立てた。この臨床試験では、TRDに対する抗うつ効果が即時(2時間)に出現し持続(24時間)するかどうかを評価した。

実験方法と対象
Methods AND MATERIALS

研究デザイン
Study Design and Oversight

 (詳細は省略)。20名の治療抵抗性うつ病(TRD)患者への亜酸化窒素の抗うつ効果を、無作為化、プラセボ対照クロスオーバーパイロット臨床試験として設計された。なおこの試験は臨床試験として登録された(NCT02139540)。

患者
Patients

 (詳細は省略)。年齢は18~65歳。DSM-IV-TRの大うつ病性障害の基準を満たす。21項目のハミルトンうつ病評価尺度(HDRS-21)は18点より超過している。TRDに関する4つの診断基準を満たす。現在のうつ病エピソードでは少なくとも2種の抗うつ薬による治療に失敗している。なお、双極性障害、統合失調症、統合失調性感情障害、強迫性障害、パニック障害、薬物乱用、薬物依存、ニコチン使用障害を有さない。重篤なな肺疾患などの内科的疾患はない。現時点で自殺企図や精神病がない。試験の前にNMDA受容体拮抗薬(例えば、ケタミン)の投与は受けていない。電気ショック療法の継続的な治療は受けていない。女性患者では妊娠や授乳をそていない。亜酸化窒素の使用が禁忌となる条件を有さない(例えば、気胸、中耳閉塞、頭蓋内圧亢進、慢性コバラミン・葉酸・ビタミンB欠乏症)。

治療
Treatment

 患者は、1時間、50%亜酸化窒素+50%酸素(積極的治療群active treatment)、または、50%窒素+50%酸素(プラセーボ群)のいずれかを受けた。吸気する亜酸化窒素濃度が50%まで達するように最初の10分間で調節した。このパイロット試験では、歯科や産科の鎮痛や鎮静にて既に何十年も使用されており、優れた安全性と有効性が保証されているため、50%の亜酸化窒素濃度が選択された。さらに、治療効果とプラセーボとの間の変動を制限するためにプラセーボと等しい酸素濃度(50%)を維持することにした。
 
 ガスの混合物は、麻酔装置から接続管を介して標準麻酔用のフェイスマスクを使い投与された。吸入ガス・呼気ガス濃度を測定するためサンプルコネクターラインをフェイスマスクに挿入した。総ガス流量は4~8 L /分であった。患者は、麻酔科医によって、心電図、パルスオキシメトリー、血圧、呼気終末二酸化炭素がモニターされた。患者は1時間の笑気ガスの処置を受けた後、リカバリー領域に移動し、さらに2時間モニターされた。

転帰
Outcomes

 転帰を6回評価した(1つのセッションごとに3回測定し、2セッション)。すなわち、1つのセッションは、ベースライン時(笑気ガス処置前)、処置後の2時間、処置後24時間。さらに1週間後の転帰を評価し、2回目の処置時のベースラインでの評価の一部として利用した。試験中の主な評価項目は、笑気ガス処置の24時間後のHDRS-21の変化である。なお、2次エンドポイントには、抑う つ症状の自己報告スケール(QIDS-SR)のクイックインベントリーの変化が含まれている。
 
 亜酸化窒素による急性陶酔作用(acute euphoric effects)は24時間の時点では確実に消退するために、24時間後に気分の評価を行うように選択した(亜酸化窒素の陶酔作用は、典型的には亜酸化窒素の投与中止後すぐに消退するが)。
 
 自殺や精神病の出現(幻覚、妄想、解体した思考)の危険性がないかを慎重な臨床観察によって評価し、精神面に関するエンドポイントを決定した。その他の安全性のエンドポイントは、中枢神経系有害事象の有無、心血管系、呼吸器系、血行動態、呼吸監視によって決定した。亜酸化窒素によって誘発されるビタミンB12の不活性化の程度を笑気ガス処置前後の血漿総ホモシステインの測定によって同定した。

統計分析
Statistical Analysis

 (詳細は省略)。主要評価項目であるHDRS-21の点数を、制限された最尤推定を用いた反復測定混合効果線形モデル(repeated-measures mixed effects linear model using restricted maximum likelihood estimation)を用いて分析した。さらに、笑気ガスへの反応と寛解率を比較するために正確二項検定(Exact binomial test)を用いて比較した。

結果
Results

患者
Patients

 2012年11月~2014年2月の間に、TRDの24名の患者を登録した。3名の患者が除外され、21名の患者を無作為に研究グループに割り当てた(補足図S1)。1名の患者が、最初のセッションの後に離脱し、フォローアップ評価を完了した20名の患者を評価した。今回の全ての結果は、この20名の評価から成されている。
 
 患者は、大うつ病性障害として平均19年の罹病期間を有していた。そして、抗うつ薬治療に失敗した年月は中央値8年という期間を有していた(表1)。登録時のHDRS-21スコアの中央値は23.5(22.3~25.0)であり、QIDS-SRの中央値は、重度のうつ病という指標を満たす19(15.3~20.8)であった。

亜酸化窒素による処置
Treatment

 15名の患者が亜酸化窒素による60分間の吸入を完了した。2名の患者で亜酸化窒素による処置が5分間で中断され、他にも3名の患者で中止された(55分、28分、18分の時点で中止。中止の理由は、気分不良、逆流、閉所恐怖症、吐き気、嘔吐である[表2])。亜酸化窒素による処置時間は55.6±2.5(SD)分であり、平均吸気亜酸化窒素濃度は44%(37%~45%)であった。

研究転帰
Study Outcomes

 患者は酸化窒素の処置を受けた後、プラセーボと比較して、2時間後と24時間後の時点でうつ症状の著明な改善を示した。HDRS-21スコアは、2時間後で-4.8ポイント(-1.8~-7.8ポイント)、24時間後の時点での-5.5ポイント(-2.5~、-8.5)であった(プラセボは2時間後は-2.3ポイント、 24時間後では-2.8ポイントであった。図1。下図)。 

N2O-8
 
 図2(下図)は、抑うつ気分、罪悪感、自殺念慮、精神的な不安といった症状が最大の変化を示したHDRS-21の個々の症状の反応を提示している。QIDS-SRスケールは、プラセーボと比較して、亜酸化窒素処置後24時間の時点でベースラインから有意に減少した(-3.2点、-1.3~-5.0、補足1図S2)。

N2O-9

 24時間後の時点では、プラセーボ処置を受けた1名の患者(5%)と比較して、4名の患者(20%)は亜酸化窒素処置に反応した(HDRS-21の抑うつ症状が50%減少した時に反応があったと定義する。ORは4.0、図3A)。さらに、3名の患者(15%)では、亜酸化窒素処理後にて完全寛解に至った(HDRS-21が7点以下になった時に完全寛解と定義する)。プラセーボでは誰も完全寛解には至らなかった(ORは3.0、図3B)。

N2O-10

 HDRS-21スケールの得点から、正常、軽度、中等度、重度、非常重度といったように、うつ病の重症度を5段階に分割した場合、亜酸化窒素処置の24時間後の時点で、20名の患者(35%)うちの7名は、プラセーボ処置を受けた2名の患者と比較して、少なくとも2レベル以上の改善を認めた(すなわち、重度→軽度といったように。表3)。 なお、補足1表S1は QIDS-SRでの反応を示したものである。

1回目の処置セッションのみの分析
First Treatment Session-Only Analysis

 この試験では、患者が第2回目のセッションの時に、1週間後に抑うつ症状がベースラインに戻ってしまっていることが予想された(=笑気ガスの抗うつ効果が持続せずに消失していることが予想された)。しかし、数名患者は、1週間の間隔の後にも低いHDRS-21のスコアのままであり、著明なキャリーオーバー効果を認めた(=笑気ガスの効果は持続する)。図4に、1回目のセッションにおける亜酸化窒素(10名)とプラセーボ(10名)との間のHDRS-21の得点における有意な差を示す。

N2O-11
 
 我々は、このキャリーオーバー効果に関して、第1回目のセッションを分析した(並行群デザインによる亜酸化窒素群とプラセーボ群との比較した)。この分析は、1週間後の成果が含まれ、第2回目の処置セッションのベースライン評価を表すものである。

 第1回目の亜酸化窒素処置群(n=10)は、プラセーボ群と比較して、2時間、24時間、1週間の時点における抑うつ症状は有意な改善を有していた(HDRS-21の平均減少点は、2時間では-7.1点、24時間では-8.6点、1週間では-5.5点、図5)。

N2O-12

安全性
Safety

重篤な有害事象は発生しなかった。全ての有害事象は一時的なものであった(表2)。血漿総ホモシステインの増加は、亜酸化窒素処置やプラセーボ処置後には観察されず、亜酸化窒素に依存するビタミンB12の代謝性の不活性化はの最小のレベルであった(補足1図S3)

議論
Discussion

 この実証試験によって、亜酸化窒素は、治療抵抗性うつ病(TRD)に対して急速な抗うつ作用を有することが示された。これらの抗うつ効果は、少なくとも24時間、一部の患者では1週間維持した。TRDの20%が亜酸化窒素に反応し、15%が寛解に至った。一部の患者では、亜酸化窒素による一時的な中断や中止が必要となる有害事象(吐き気、不安、嘔吐)を経験したが、軽度から中等度の性質のものであり、即時に回復しており、TRDに対する亜酸化窒素のリスク/ベネフィット比に関しては許容可能な範囲にあると言える。

 我々のクロスオーバー試験の妥当性は、キャリーオーバー効果が観察され、キャリーオーバー効果の影響を受けている(すなわち、2回目の処置セッションでは、異なるベースラインを有していた)。我々の研究では、第2回目の処置セッションでは、いくつかの患者では著しく低いうつ病スコアになっていた。キャリーオーバー効果バイアスは、典型的には帰無仮説に向かう結果となる(すなわち、観察可能なエフェクトサイズが小さくなる)。
 
 第1回目の亜酸化窒素処置を受けた10名の患者では、フルコホートの5.5点と比較して、抑うつ症状はHDRS-21で平均して8.6点減少した。この観察結果は、亜酸化窒素は真の抗うつ効果を有するという考えを支持している。この試験の妥当性に影響を与えた第2の効果はプラセーボ効果の存在であった。プラセーボ効果は、抗うつ薬の治験では共通しており、マスキングや治療効果が誇張されることでバイアスが生じる。

 このようなフェーズII臨床試験では、小さいグループにおける効果を検出するように設計されており、有効性に関しては確実で決定的な測定値を提供することができない。今回結果は、大きなコホートで再現される必要があるため、今回のパイロット試験の結果は慎重に解釈されるべきである。

 この試験における抗うつ効果の結果は有望と思えるが、いくつかの制限事項が考慮されるべきである。

 第一に、我々の研究チームは、盲検化を維持する上で大きな配慮を払ったが、亜酸化窒素による陶酔効果をマスクすることは困難であるという点である。亜酸化窒素は、鎮静を誘導し、少しだけ甘い香りと味を有する。これは、一部の患者では、自分が亜酸化窒素かプラセーボか、どちらを受けたのかを判断できた可能性がある。我々は、自分の割り当てを知っていたかどうかを判断するためのテストはしていない。これがまず我々の結論を制限する。
 
 私たちは、急性の陶酔効果を最小化するための主要な対策として吸入24時間後のマークを選択した。しかし、亜酸化窒素の吸入は、抑うつ症状の「マスキング」を誘導している可能性が残っていることになる。すなわち、抑うつ症状は実際に変化しなかったが、むしろ他の効果によって隠蔽(マスク)された可能性がある。「マスキング」症状は、真の抗うつ効果ではなく、一過性の気分の変化であり、例えば、精神刺激薬(メチルフェニデートやコカイン)でも急速に促進されて作用することが観察されている。

 第二に、我々は、臨床的に各時点での幸福感と精神病の存在に関する評価をしたものの、それらに対する標準化されたテストを実施していない。なお、今回の患者群では、2時間と24時間の時点での陶酔感は報告されなかった。
 
 第三に、HDRS-21とQIDS-SRスケールは双方ともに、急速に生じる抗うつ作用を評価する上では制限がある。なぜならば、双方のスケールが、睡眠や体重に関連した質問が含まれ、数時間ではなく数日から数週間の経過とともに生じる変化を評価するためのスケールであるため、迅速な抗うつ作用を測定する上では理想的なものではない。International Positive and Negative Affect Schedule Short Formやvisual analog scaleといった異なるスケールの方が今回の試験では優れているかもしれない。
 
 第四に、我々は、TRDへの亜酸化窒素の使用についての予備知識がなかったため、亜酸化窒素の吸気濃度を一般歯科や産科での鎮痛で使用される50%という投与量を使用したことである。今後の研究では、異なる投薬レジメンにて、有効性や耐性を改善することができるかもしれない。

 大うつ病性障害で最も一般的に研究されいるNMDA受容体拮抗薬であるケタミンと同様に、亜酸化窒素も2時間以内という迅速な抗うつ作用の発現があったが、ケタミンで見られるような妄想、錯覚、幻覚といった精神的な副作用は有しない思われ、亜酸化窒素の薬物動態の方がケタミンよりも好ましい可能性がある。
 
 ケタミンと亜酸化窒素の双方がTRD対して抗うつ効果があるということは、NMDA受容体シグナル伝達が大うつ病性障害の神経生物学において重要な役割を果たしているという概念を支持している。

 しかし、最近のデータでは、急速な抗うつ効果を発揮する上でニコチン性アセチルコリン受容体を含む他の神経伝達物質受容体システムも重要な役割を担っていることが示されている。

 ある種のNMDA受容体拮抗薬(ケタミン、亜酸化窒素)は急速な抗うつ効果を有するが、メマンチンなどの他のNMDA受容体拮抗薬は有さない理由を推測することができる。この違いにはNMDA受容体チャネルのブロック仕方が関係しているように思える。なぜならば、ケタミンとメマンチンの違いは、極端な脱分極や病理学的な受容体の活性化(これは虚血でシミュレートされた)という条件の下で観察されるからである。
 
 細胞外のマグネシウムが、NMDA受容体へのケタミンとメマンチンの作用を異なるものにしているのであろう。メマンチンは、マグネシウムの存在下ではNMDA受容体が媒介するシナプス電流に対して効果がなくなるようである。
 この後者の効果は、脳由来神経栄養因子(BDNF)の産生を促進する上での2つの薬物の能力の違いに関与するように思われる。

N2O-15
 
 投与や薬物動態の違いもまた、ケタミンとメマンチンの間で観察される臨床効果の差異に寄与することができる。亜酸化窒素は、ケタミンと同様に非競合的NMDA受容体アンタゴニストであるが、ケタミンとは異なり、亜酸化窒素は依存性がなく、トラッピングオープンチャネルブロッカーではない。亜酸化窒素は、NMDA受容体機能を調節する臨床的な代替方法となることを提示している。

(注; ただし、ケタミンのNMDA受容体に対する作用メカニズムはよく調べられているが、N2Oに関してはまだよく解明されていない。少なくともNMDA受容体のイオンチャネルをブロックするタイプのアンタゴニストであるということは判明しているものの、NMDA受容体に対する詳しい作用メカニズムはよく分かっていない。ケタミンとほぼ同じような作用メカニズムなのであろうか。)
 50%濃度の亜酸化窒素/酸素の単回投与は、一般的に安全であることが見出されているが(亜酸化窒素で鎮静を受けた25828名の患者のうち4%に重篤ではない有害事象が報告されている)、2つの潜在的な安全上の懸念が存在する。

 1つ目は、我々の患者の一部では、通常は1時間の治療セッションの終わり近くに成されるのだが、亜酸化窒素の投与が中断または中止されなければならなかったという有害事象のプロファイルがあり、それは、一部の患者では、感情的な不快感を経験し、逆説的に不安のレベルが増加し、、亜酸化窒素の投与中の吐き気を生じる可能性があることを示している。ほぼすべての副作用は、ガスの吸入中に限定しており、中止後にすぐに消失したが、その性質からは、おそらく、より短い吸入時間、または、より低い亜酸化窒素濃度の方が有利であり得ることを示唆している。

 第二の潜在的な安全性の懸念は、亜酸化窒素によるビタミンB12の不活性化に関連する事象である。
 
 単一の曝露は、臨床的に関連するような血液学的または神経学的な合併症に結びつく可能性は低いが、亜酸化窒素の投与が短期間内に繰り返されると、そのような合併症のリスクが実質的に高まる。
 
 芽球性貧血や脊髄症などの血液学的な神経学的な合併症が、慢性的に亜酸化窒素を乱用しているケースや葉酸代謝が慢性的に障害されている患者で報告されている。

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 持続的な抗うつ効果のために亜酸化窒素を数回投与しなければならない場合には、このような合併症のリスクを増加させる可能性があろう。亜酸化窒素は、乱用されうる薬物であり、その乱用の可能性は、大うつ病性障害における臨床的有用性の上では制限される可能性がある。なお、今回の我々のパイロット研究では、この安全性の問題に対処するような設計は成されてはいなかった。

 結論として、この予備的な実証的な臨床試験は、亜酸化窒素がTRDの患者への迅速かつ著明な抗うつ効果を有し得るという最初の証拠を提供するものだと言える。多様なTRDの患者への亜酸化窒素の最適な使用戦略やリスク/ベネフィット比を決定するためにさらなる研究が必要である。
 
(論文終わり)

 笑気ガスは国内の一般の歯科の開業医でも使用されている。想像するに、この論文は偶然にも歯科治療で笑気ガスが使用されたところ、難治だったうつ病も改善した人がいて、それをヒントに臨床試験が行われたのかもしれない。もし、この論文が事実であれば、笑気ガスの吸入は外来レベルで実施可能な方法であり、精神科病院だけでなく、精神科クリニックのレベルでも実施可能なうつ病への治療方法となろう。将来は、うつ病の患者さんは精神科外来に受診して笑気ガスを吸入するようになるのであろうか。うつ病治療としての亜酸化窒素。今後の進展が非常に期待される。

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(ここでお知らせがあります。今勤務している病院の体制が大きく変わり、3月からかなり忙しくなるためブログを一時中断したいと思っています。ひと段落したらいずれ再開する予定ではいますが、いつになることやら・・・・、汗;)