2013年10月

腸内細菌とメンタルヘルス(その1 これまでのプロバイオティクスの歴史 part1)


プロバイオティクス1






 精神疾患におけるプロバイオティクスの応用は、20世紀初頭では注目されていた分野ではあるが、いったんすたれてしまい、今、再び注目されてきている精神医学の分野である。ひとことで言えば、脳と消化管や腸内細菌はお互いにコミュニケーションをしており(microbiota-gut-brain communication)、相互に関係し合っており、腸内細菌が精神状態にも影響を与えているという理論であり、それを精神疾患の治療や予防に応用していこうという考え方なのであった。近年、そのメカニズムがだんだんと明らかにされてきおり、精神疾患の領域においてプロバイオティクスへの関心が再び高まってきている。

 これから何回かに分けて、脳と消化管や腸内細菌叢との深い関わりについて、論文を通じて紹介したい。

 今回紹介する論文は異常に長く、しかも3部から構成されている。要点だけを掻い摘んで紹介するが、それでも3部全てを紹介するためには字数の都合からは数回に分けて紹介せねばならない。

 第1部は、プロバイオティクスと精神疾患との関わりのこれまでの歴史についてである。

腸内細菌叢、プロバイオティクスとメンタルヘルス:Metchnikoffから現代への進歩:パートI - 自家中毒の再興
Intestinal microbiota, probiotics and mental health: from Metchnikoff to modern advances: Part I  autointoxication revisited

抄録
 メンタルヘルスが関係する疾患(特にうつ病)は世界的に流行してきている。これまでの研究によれば、ライフスタイルや環境などの様々な変化が精神疾患の増加に関与していることを示唆している。このようなライフスタイルや環境に関する研究として、腸内細菌叢とメンタルヘルスの関連性(消化管機能と脳との統合性)を研究することも含まれなければならない。この分野は今後は重要な分野となろう。まず、この分野における最近の科学的な知見や将来の方向性を理解するためには、これまでの研究の歴史を再確認することが重要である。うつ病や不安とプロバイオティクス(例えば乳酸菌)や糞便中の微生物が関係しているという概念は決して新しいものではない。3部構成シリーズの第一章では、「自家中毒autointoxication」という既に否定された概念に、まだ議論する余地が十分に残ってることを見直すことから始める。我々は、腸-脳-微生物の間の接続における有益性が何十年も見過ごされてきたことを強調したい。

 注; なお、この論文は本年度に出版されたものであるが、既に昨年度に雑誌Natureのオンライン版(2012年9月)にて別の著者らによってこの腸内細菌叢ー消化管ー脳・軸 microbiota-gut-brain axisに関する総説が出されている。Natureの論文はフリーアクセスではないものの、著者らが関わっているHPに全文が見れるPDFファイル形式がアップロードされていた。理論の概要は今回の論文の著者らとほぼ同じなのではあるが、こちらの論文の方が分子生物学的なメカニズムに関してはより詳細に解説されている。この論文は次回以降に紹介する予定である。
(フルテキスト。PDF)
MBG軸1














序文
 精神疾患が増えた要因の1つに腸内細菌が絡んでいる。生活の近代化と共に腸内細菌叢も変化し神経心理学的な変化を人に与えた。著者らは既に、プロバイオティクス(乳酸菌やビフィズス菌)が人間の疲労やうつ病性障害へ有益な役割を果たす可能性があることを研究で示したのではあるがhttp://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12699726http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15617861、これは既に前世紀になされていた研究であった。かっては自家中毒autointoxicationと呼ばれ、1900年代初頭に、腸内細菌由来の毒素が精神も含めて全身の健康状態に影響を与える可能性があり、望ましくないような大腸の微生物が、疲労、うつ病、神経症に関与しているおそれがあると医師や科学者によって既に記載されている。治療方法として大腸の一部を外科的に切除するようなこともなされていたが、そのような侵襲的な方法ではなく、乳酸菌などの特定の菌を経口摂取することにより腸内細菌叢を操作すべきだとも提案された。

 自家中毒の概念はその後、2000年代に見直されるまで、慢性の便秘による結果であると誤解され続けた。そのため不要な手術や処置(腸の外科手術、結腸灌漑、結腸洗浄など)が行われていたhttp://en.wikipedia.org/wiki/Colon_cleansing。消化管・腸内細菌叢・脳との接続性が見過ごされていたためである。1930年代に皮膚科医John StokesDonald Pillsburyによって「一体化理論 unifying theory」(感情の状態が正常な腸内細菌叢を変化させ腸の透過性を増加し全身の炎症に関与するかもしれないという仮説)http://archderm.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=505747が出版されていたのだが、事実上80年間も無視されていた。しかし、BoweLogan(著者)によって埋もれていた論文が発掘され、2011年に腸内病原菌ジャーナルで紹介されたhttp://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3038963/。StokesとPillsburyは、胃腸のメカニズム(腸の微生物相の変化や腸管の透過性の変化など)が情緒障害と炎症性の皮膚疾患(にきび等)のオーバーラップを説明することができる理論を提案した。StokesとPillsburyは「自家中毒」という用語は使用しなかったが、その考えはかっての自家中毒の概念に近かったのである。

 我々は、腸・腸内細菌・脳の研究をメンタルヘルスのために見直すことを提案したい。自家中毒の概念は正しかったのである。今日までの誤った疑似科学的な考え方を正し、自家中毒の概念を再確立しなければならない。現在のメンタルヘルスの危機はオオバコ殻(食物繊維?)や結腸クレンジングによっては救済はされないだろう。精神疾患が増えているのは腸内細菌による自家中毒が原因であり、プロバイオテクスが必要だったからである。

第1部
Part I

 自家中毒の概念の再確立
Autointoxication revisited

ボンド・ストウと自家中毒と乳酸桿菌ブルガリクス
Bond Stow, M.D., on autointoxication and Lactobacillus bulgaricus ? Medical Record Journal of Medicine and Surgery, 1914

 その男は食生活をコントロールできていたが、腸内細菌叢はコントロールできていなかった。彼の毎日の散歩中に見られる自家中毒の症状がその証拠である。この男のケースでは、倦怠感、野心さえ削いでしまうような苦痛感、メランコリアに近い抑うつ、膨満感を伴う頻回の腹痛、突然に起こる便秘と下痢の交代・・・。彼はこの死闘に勝利せねばならず、乳酸菌のバチルス・ブルガリBacillus bulgaricus(http://en.wikipedia.org/wiki/Lactobacillus_delbrueckii_subsp._bulgaricus)によってこの闘争に勝利した暁には、バチルス・ブルガリを防衛隊員として戦場に永遠に保持しなければならないだろう・・・

 以前の医師は上のようなケースは自家中毒だと診断し、精神的な問題と腸内微生物の間のリンクをを想定していた。自家中毒の基本症状は、便秘と下痢の交代である。便秘は自家中毒の必須の症状ではない。自家中毒の症状はうつ病でも発生し、流体状や半固体の便として表現される。

 1860年代には、ドイツの医師 Hermann Senatorは、精神疾患を含む全身の疾患は、腸の自己感染であるという概念を提案した。当時の科学者たちは、分解した肉、腐敗した肉、魚、乳製品などの水性抽出物の実験を始めていた。これらの化学物質を動物の全身に循環させる動物実験では結果は致命的なものだった。1887年にフランスの医師Charles Bouchardは、自家中毒に関する講義をし、自家中毒の理論は国際的な認識を得た。Bouchardは、腸内細菌由来の有害な化学物質は精神疾患の原因となる自家中毒を起し、自家中毒の研究は新たなフロンティアであると述べた。人類は常に自家中毒の危機に瀕しており、病気の入り口に絶えず居る。生活の全てにおいて、生成された毒によって圧倒される危険が人類にはあると主張した。自家中毒の支持者らは、自家中毒は、主に胃酸(塩化水素)の生産不足、腸壁の炎症、インフルエンザのような他の病気による負荷、特に重要なこととして神経質のような興奮、これらによって可能ならしめる慢性的なプロセスであると唱えた。さらに、当時の軍医は、戦争のストレスに影響を受けた兵士に精神疾患を促進する自家中毒の症状が生じることを見出した。 

 ルイ・パスツールなどが当時に唱えていた疾患の理論は、特定の微生物が特定の病気を起すということである。糞便には有害な毒素が含まれているという概念は、古代から存在する概念であることはギリシャの歴史記録から明らかである。古代エジプト人は疾病は摂取した食品に原因があると信じて、太陰周期に沿って三日間浣腸を使用していたことをヘロドトスが報告している。

 1800年代後半では、動物においては特定の食品に由来する破壊的な化学物質は致命的となり得るとされていた。1898年、ラッシュ医科大学の医師 Daniel R. Browerが自家中毒とうつ病の最初の原著論文をアメリカ医学学会誌(JAMA)に公開した。Browerは、胃酸の欠如が腸内の微生物の増殖と毒性の生産を促進する役割を果たす可能性があること示唆した。インドール、スカトールなどの有毒物質に加えて、彼は、腸管由来の乳酸はパートIIで述べるような研究分野であることを示唆した。彼は、通常の状況下では腸管由来の毒素は簡単に肝臓や腎臓で処理されることを認識し、これらの解毒経路がうつ病では超過されているのかもしれないと関心を寄せた。Browerは、西洋諸国におけるうつ病の増加は文明の副産物だろうと強く感じ、その増加の一部のリスクは、食生活や消化管からの潜在的な毒素によって媒介されているのかもしれないと考えた。

 1905年、自家中毒の概念は精神科医や他の医師に受け入れられた。うつ病に関しては、消化管由来の自家中毒が関係しているかもしれないという考えで合意された。しかし、治療結果でしか判定できないことが問題であった。毒素の正体は曖昧なままであり、食物残渣なのか、細菌からの分泌物なのか、細菌の構造物なのかは不明であった。うつ病という複雑な疾患を説明する上でも、自家中毒は病態や原因としては曖昧なままだった。そのため自家中毒は原因ではなく結果なのだという風に考えが変わっていった。しかし、英国の外科医Arbuthnot Laneとノーベル賞を受賞した微生物学者Ilya (Elie) Metchnikoffの説明は自家中毒仮説や精神疾患を理解する上で現在でも役に立つことであろう。

 アーバスノット・レーン 
Sir Arbuthnot Lane

Arbuthnot Laneは大腸を下水システムとして単純に考えた。彼は産業革命以降の食生活の変化によって結腸停滞という現象が生じていると想定した。彼は、それを「汚水だめ cesspool」と表現し、正常な腸内細菌叢が変化し、小腸への細菌の浸食は腸管毒素の吸収を一層促進するだろうと考えた。その症状は、消化不良、腹痛、便秘と下痢の交代、倦怠感、うつ病、長引く精神的・身体的な消耗、不眠症、神経症というような胃腸や精神の症状で最も顕著になるだろうと想定した。現代では、これらの症状は、過敏性大腸症候群、慢性疲労症候群、筋痛性脳脊髄炎、線維筋痛症、不安・抑うつ障害に該当する。彼は、慢性的な毒素症では神経衰弱が必発するだろうと考えた。そして、軽度や早期の結腸うっ滞ならば、一般的な結腸切除大腸バイパスという手術で解決できるはずだと考えた。その結果、外科的治療法が推奨され、比較的些細な症状でも手術がなされるようになった。しかし、死亡率は16%を超えていた。患者は症状の悪化や痛みに悩まされ、成功したと思える場合でも回復期間は2年の範囲に留まった。
 レーンは、危険な外科手術を、精神障害の原因となる自家中毒の「病巣感染」を「治療する」ための手術だと主張し言い訳をした。侵襲的技法は彼の理論によって弁護された。顕微鏡的には感染の所見はわずかであったが、限局性の感染症(特に大腸における慢性細菌性感染症)であり、毒素が神経系を障害することで精神疾患の原因になると解釈された。
 
Arbuthnot Lane
























 慢性の低レベルの感染(口腔内感染)ではないかと疑われた人々でさえも精神障害と関連するとみなされ、栄養失調などを超えた遺伝と同様の危険因子としてみなされた。ニュージャージーの医師であるヘンリー・コットン Henry Cottonは、病巣感染が実質的に精神病、気分・行動障害の始まりだと考えた。そのため、恐ろしい事態を招いた。コットンの考えのもとに、何千もの歯が引き抜かれ、そして、彼は寛解率は80%だと主張し、何百もの結腸切除手術が彼の経営する精神病院で実施された。記録によると、1919-1922の3年間で250名の患者が結腸手術を強要され死亡率は30%にも上った。回復したのだというコットンの主張によって記録の詳細は失われた。1926年、コットンの同僚であったニューヨークの外科医のJohn W. Draperは、当時の標準的なケアより2.3倍も高い精神病の回復率があると主張した。コットンとドレイパーは、無意味な証拠しかないにも係らず、彼らの治療法を続けた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Cotton_(doctor) 
http://en.wikipedia.org/wiki/John_William_Draper
(なお、ヘンリー・コットンの治療は実験で死亡させた世界歴代ワースト15にランクインしている)
(;゚Д゚)
http://brainz.org/15-worst-experimental-deaths-all-time/

恐怖の館 New Jersey State Lunatic Asylum
今は廃墟と化しているが、中で恐怖の結腸切除手術が行われていた
New Jersey State Lunatic Asylum













 一方、1922~1923年にかけて、尊敬すべき微生物学者である Nicholas Kopeloff、後に米国精神医学会の会長となる Clarence O. Cheney (1935-36年)とGeorge H. Kirby (1933-34年)は、精神医学では最初となる比較対照試験を行った。精神疾患の重度な形態である統合失調症、躁うつ病を含む60と120名の成人は、口腔外科治療群(扁桃腺切除手術+平均5本抜歯)と非外科的標準治療群に分けられた。コットンの主張に反して、2つのグループの間では長期的な回復率の違いを見つけることができなかった。Kopeloffらは、抜歯と扁桃腺切除には反対しながらも、メンタルヘルスとは全く無関係のように思える感染との関連については否定しなかった。おそらく彼らは、その点では正しかった。

 現代の研究では、微生物によって誘発される歯周病や慢性的な軽度の炎症と、心血管疾患、糖尿病、肺疾患、妊娠の有害な帰結との間に強い関連があることが示唆されている(注;例えば、IgA腎症では扁桃腺の慢性の炎症が原因と考えられ扁桃腺切除手術が行われる)。しかし、メカニズムは不明なままであるが、コットンが行った口腔外科的治療、すなわち無歯顎と義歯が全身性炎症やうつ病と関連付けられている。Kopeloffは、腸の手術に代わるものとして乳酸菌を提案した。便秘の人は多いが、便秘は腸の感染状態を悪化させるだろう。しかし、下剤の常用は危険であり、ブルガリア菌と双子の兄弟であるアシドフィルスなどの方が合理的であり、はるかに望ましいと彼は述べた。

イリヤ・メチニコフ
Elie Metchnikoff

 微生物学者 Metchnikoffは、乳酸菌の経口摂取が自家中毒に対処できることを示した。彼は高齢者の自家中毒を主に研究していたが、彼のラクトバチルス・ブルガリ菌の研究は神経疾患と生活の質に応用された。Metchnikoffは雑誌コスモポリタン(1912年)に書き込んだ。「腸内細菌叢を有害から無害なものに変換するために我々は微生物と微生物を戦わせる・・・」。
http://en.wikipedia.org/wiki/%C3%89lie_Metchnikoff 

 彼の仮説や動物実験結果に基づき特許申請がなされた。液体のLactobacillineなどである。1915年、「液体のlactobacillineによって自家中毒の兆しが徐々に消える。多かれ少なかれ数ヵ月lactobacillineの使用を継続することが推奨される」等、ハーバード大学の医師 Frederick Forchheimerによって記載された。さらに、lactobacillineを摂取する最も大きな目的は、うつ状態が容易に便秘と自家中毒につながり、自家中毒がさらに精神症状を悪化させるという悪循環を絶つことだとも記載された。

 Lactobacillineは自家中毒とその後遺症の治療のために商業的に生産された。Metchnikoffのバチルス・ブルガリ菌 Bacillus bulgaricusに焦点を当てた製品の第一次ブームである。もう一つの製品は、ベルリンとニューヨークの研究所の「インテスティ・フェルミン錠」であった。精神活力の増加と神経衰弱の治療のために販売された。多種多様な広告がなされた。Metchnikoffの偉大な発見である現在も利用可能な「インテスティ・フェルミン錠」は、物理的・精神的な健康を促進し、日常生活の中で高効率に真に科学的な援助を提供している。Metchnikoffは、広告で彼の名前を使用しないようにベルリン研究所に対して訴訟を起した。1917年には約30種のバチルス・ブルガリ菌が市販されていた。しかし、1920年代初期のLブルガリ菌の人気は減少し、L.アシドフィルス菌が商業的に選択されるようになった。イェール大学の科学者 Leo F. RettgerHarry A. Cheplinらによる出版物では、L.アシドフィルス菌は人間や動物の腸に住んでおり腸内で増殖できるが、L.ブルガリ菌は増殖できない。L.アシドフィルス菌を支持しL.ブルガリ菌は放棄されるだろうと記載された。
 
インテスティ・フェルミン錠



















精神強壮剤としてのアシドフィルス
Acidophilus as a mental tonic

 1920年代初期には、メンタルヘルスに影響を与える手段として経口の細菌製剤療法の第二次ブームが到来した。北米ではアシドフィルスミルクの様々な生産者(レダリー抗毒素研究所、ウォーカー・ゴードン研究所、チェップリン生物学研究所など)が大々的な広告を始めた。1920年代には医学雑誌で乳酸菌製剤の広告を見ることが当たり前となった。医学雑誌の中での広告は制限されていた。しかし、大衆紙の中で主張はもっと直接的だった。ニューヨークの新聞におけるウォーカー・ゴードン研究所のアシドフィルスミルクキャンペーンでは、「医師と数千人のユーザーが証言するように、結果は驚くほどものではありません。精神的・身体的なうつが消えただけでなく、バイタリティも増加した」と広告された。一方、競争相手のレダリー抗毒素研究所も、「レダリー・アシドフィルス・ミルクの有効性に疑問はありません。あなたのエネルギーを最大限に復元します」と新聞で広告を出した。さらに、アシドフィルス療法を支持する様々な科学者の社説が新聞に掲載された。「 アシドフィルス・ミルクは老化を防ぐ」等、科学的証拠を伴わない市場主導型の広告が1930年代初頭まで続いた。

ウォーカー・ゴードン研究所












腸・脳・微生物の接続への科学の始まり
Scientific beginnings of the gut-brain-microbial connection

 1906年に、病理学者David Orr Richard Rowsは、急性胃腸炎を含む消化管由来の微生物はリンパ管へアクセスし、交感神経の機能に影響を与えるという考えを検証し始めた。神経の損傷(脊髄癆など)に焦点を当てていたが、精神障害も腸が起源であると考えて腸内微生物を調査することを開始した。同じ頃、1904年に、Alice Johnson Edwin Goodallは、精神疾患を持つ成人が結腸の細菌に対して著明に血液が反応することを報告した。具体的には、急性のうつ病や躁病の82名の血液は、腸由来の大腸菌Escherichia coli(E. coli)に晒された時、50%が血清の凝集を示した。対照の凝集反応は15%であった。この知見は、精神疾患の患者は消化管由来の微生物(微生物の構造の一部分)に対して腸粘膜の透過性が異なるということを示唆していた。ワシントン州立大学の研究者らは、経口投与された熱で殺菌した大腸菌は、ウサギでは生じないが、人に対して全身凝集反応を起こすことを報告した。

 1906年、ニューヨークの医師 Fenton Turckは心理的ストレスによって腸の透過性が高まるかを動物実験した。動物実験にて、腸の透過性は、疲労、栄養障害、腸への血液供給の低下によって誘発された。30分間綿実油で揚げ、トランス脂肪酸を増やした高脂肪のパンも腸の透過亢進を引き起こした。高脂肪食を与えると、組織への細菌転移が増加した。肉エキス(大腸菌を多く含む)を餌に含ませた場合も著明に腸の透過性が亢進した。一方、J. George Adami(Arbuthnot Laneの結腸切除の忠実な評論家)は、いわゆる自家中毒を持つ患者の多くは、免疫応答が低下していると論じた。この全身の腸内細菌に対する免疫応答仮説は現在ではうつ病にリンクしている。

 Fenton Turckも大腸はエンドトキシン(菌が産生する毒素)のリザーバーになると確信しており、大腸菌が疾患状態を促進し、特定の疾患では腸の透過性の閾値の低下があると考えた。1913年にパスツール研究所のArcangelo Distaso(Metchnikoffの同僚)は、下痢や便秘を伴う神経障害は、グラム陰性細菌のエンドトキシンが役割を果たしていると述べた。1913年、英国医師Frederick Andrewesは、「細菌は常に消化管で溶解されるためエンドトキシンの有害な影響に異議を唱えることはできない」と述べた。しかし、病原性の細菌ばかり注目されていたため、非病原性の腸内細菌叢によって産生されるエンドトキシンの役割は研究されてはいなかった。2001年にReichenbergが、低いレベルではあるが、全身のリポ多糖エンドトキシン(LPS)が精神や認知機能に有害な効果を及ぼすことを明らかにしたが、それまでは非病原性細菌は無視されていた。現在、共生細菌によるLPSの生産が腸の透過性に影響を及ぼすことが分かり、健康を維持する上で重要な鍵となることが分かってきている。

 1922年、ボストンの医師Issac Jankelsonは「慢性発酵性腸消化不良」という現代では小腸細菌異常増殖と認識されている概念を唱えた。回腸における炭水化物の異常な発酵による慢性の下痢、膨満感、抑うつ症状、疲労感や不安によって特徴付けられた。彼は腸神経衰弱「enteros-thenia」として症状を説明し、多くの場合、クロストリジウムclostridium菌種の異常増殖に関連付けられるとした。1920年代後半、ロヨラ大学のLloyd Arnoldは、小腸細菌の異常増殖や腸の透過性亢進は、環境(例えば熱)、ストレス病原性細菌栄養不足著しく偏った食事(例えば、非常な高タンパク食)によって増強されると述べた。彼は、腸管の病原体が胃チューブを介して胃に導入され、餌の種類が死亡率に影響を及ぼすことを動物実験で証明し、食事内容が腸の病原体によって誘発される症状や死亡率に影響を与えることを報告した。特に、サルモネラ腸炎茵Salmonella enteritidesに暴露された動物では死亡率が高かった。標準餌をバナナ粉末にスイッチしたところ1ヶ月後には死亡率が96%から6%まで減少した。1937年、エール大学の微生物学者は、バナナ、リンゴ、レーズン粉が大幅に動物の腸内の乳酸微生物を高めることができることを報告した。Arnoldは、人間の生存に影響を及ぼす可能性がある腸管微生物叢の食事による影響を考えるた最初の医師の一人である。

 1926年、微生物学者Issac Kendallは、炭水化物のための腸の不寛容(便秘と下痢の交代、 神経症の症状)を持つ者で、腸内細菌叢の変化と乳酸菌が減少しているケースを報告した。彼は、ガス産生菌は上部へと腸を移行していき、小腸細菌異常増殖を起すという説を発表した。さらに、胃酸が腸内細菌叢に影響を与え、腸内細菌異常増殖と精神障害に影響を与える可能性があると考えた。1935年、胃腸科医のTheodore Althausenは炭水化物不耐症(便秘と下痢の交代、不安)の患者の2/3が低胃酸であることを報告した。KendallとAlthausenは、アシドフィルスミルクによる臨床的成功を報告した。医師W.M. Ford Robertsonは、様々な精神疾患の114例の54%は、胃酸が低塩酸症の状態にあると報告した。 Robertsonは、低塩酸による胃酸の殺菌効果の損失が神経衰弱やサブスレッショルド症状に影響を与えたかもしれないと結論付けた。1912年、ロンドンのGuy’s Hospitalの医師Francis Brookは、132人の神経衰弱患者の糞便細菌叢を検討し始めた。培養によって大腸菌群と球菌群の健常群との違いを報告した。その後、イーストサセックス州の精神病院の医師Geoffrey Sheraは、新たに入院した53名の患者の80%が糞のL. アシドフィルスが有意に低く、連鎖球菌Streptococcusが高かったことを報告した。

 繊維が豊富な穀物、タンパク質が豊富な卵、肉、牛乳(腸内細菌叢に影響を与える可能性)など、研究者が食事の内容を検討し始めた腸の中毒症の時代でもあった。例えば、1910年、Herter and Kendallは、タンパク質が多い食事はタンパク質分解細菌を増加させ、乳酸菌やビフィズス菌を減少させることを初めて示した。牛乳を含む炭水化物食にした時は逆になった。興味深いことに、腸内細菌叢の変化に伴い行動も変化した。特に猿は環境刺激に無関心となり、倦怠感、認知的困難を示すことが報告された。

 無菌状態で育ったものは、さらに異なっていた。1912年、パスツール研究所のMichel Cohendyは、無菌鶏が様々な環境ストレス(例えば飢え、渇き、寒さ、気候ストレス)に非常に抵抗力があることが報告された。残念なことに、2004年ヤクルトの資金でなされるまでは、行動に関する脳と無菌状態とプロバイオティクスの研究は行われなかった。しかし、この時代に庭の土と植物性食品からMetchnikoffのL.ブルガリ菌などの乳酸菌の種々の株を同定したことに注目すべきである。
(この九州大学の論文は再び精神疾患におけるプロバイオティクスの時代を開いた画期的な論文となった)
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1664925/ 

 1958年、Eisemanらは便微生物移植(糞便浣腸)を最初に報告した。健康なドナーからの糞を食塩水に溶かし腸炎患者4名に浣腸し健康なドナーの菌を腸に転送した。しかし、それ以前の自家中毒の時代に同じような研究をした人物がいた。ニューヨークの医師であるN.Philip Normanは、健常な乳幼児の糞便から乳酸菌と非病原性微生物を分離し、ラクトースの液に混ぜてチューブを介して成人の盲腸に細菌を注入した。彼は経口からの乳酸菌のみ投与では不十分だと考え、多くの慢性的な疾患の治療をするためには非病原性菌の腸への移入を介して腸の微生物叢を修正することが必要だと考えた。慢性毒素への防御の反応が細胞機能障害を生じさせている究極の原因だろうと考えて、腸内細菌叢の障害による全身に影響する『保護変性protective degeneration』を理論化したのである。彼は1920年に、「精神的ストレスが触媒となる。 精神的ストレスが代謝や内分泌の調和を乱す」という神経学の革新的な概念を提唱したが理解はされなかった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Fecal_bacteriotherapy 

 ニューヨークの別の医師ら、同じような手法で結腸潅流チューブを使用し、L.アシドフィルス菌を培養し注入したところアジュバントとして関節炎のケアに成功したと報告た。一方、胃腸病学のニューヨークの医師であるAnthony Basslerは、患者などから得た非病原共生細菌の直腸注入に成功したと主張した。Basslerは、将来は、多くの疾患が腸管からの慢性中毒の状態に直接または間接的に起因するものと理解されるであろうと考えた。彼は特に、経口からの特定の乳酸菌の摂取には価値を見出さなかった。彼は腸の毒血症が正しく研究されていないと感じた 。彼は 『1つの生物の使用だけで結論を急いでいる。そのような出鱈目な薬は商業主義であり、医療としては労働者の注目を得るが、労働者が健康になることを妨げるだろう。このずさんな治療は素人が作った広告が原因である』。Basslerは、非病原性の大腸菌を自家中毒の病原菌とはみなさなかった。むしろ、直腸浣腸によって有効な現実的な形として使用すれば、腸の細菌叢をリセットし臨床的な価値を提供するはずだと報告した。

 腸内毒素血症により接続された神経障害の治療において、魅力的な介入の1つは結腸ワクチンであった。結腸ワクチンはニューヨークの医師であるGeorge R. Satterleeによって開発され、彼はJAMAで報告した。彼のテクニックは、糞便から大腸菌群を分離し、皮下にワクチン(1000~2500万の熱死菌)を摂取することであった。1週間に1回の頻度で3ヶ月間で3億もの細菌を摂取したら殆どすべての場合に顕著な改善を認めたと主張した。摂取後24~72時間の間は症状の悪化と局所刺激が生じるが、その後ベースラインの症状が著明に改善すると報告した。うつ病や不安状態の500名以上のケースから、Satterleeは、胃腸系の障害が神経症状の原因であると結論づけた。Satterleeによると、結腸ワクチンは全ての精神症状を改善した。しかし、Satterleeのワクチンの技術が多数の医者によって採用されることはなかった。胃腸病学者のBasslerは、Satterleeのワクチンの技術を採用した少数派の1人だった。彼は熱で殺菌された糞便の大腸菌を皮下摂取し、直腸に生きている共生細菌を滴下注入した。慢性の疲労と神経症の場合特に有益であると述べた。しかし、当時の主要な病理学者だった Philip N. Pantonによって、結腸ワクチンはプラセーボであり、皮下注射は無益であり効果はないと否定された。

 Metchnikoffの仮説が見直された。1945年、デンマークの研究者のグループは、「老衰と腸内細菌叢」と題する報告を英文でした。研究では、70歳以上の63名の高齢者の糞便が詳細に分析された。若い健康な対照群では、便1gあたりに10の8乗個以上のビフィズス菌が全員で検出されたが、高齢者では、便1gあたりに10の8乗個以上のビフィズス菌はわずか44%にしか検出されなかった。最も印象的なことは、認知症を持つ高齢者ではビフィズス菌が激減しており、便1gあたりに10の8乗個以上のビフィズス菌はわずか9%にしか検出されなかったことである。さらに、認知症患者の便ではクロストリジウム菌種clostridia speciesが最高レベルであることが判明した。しかし、このレポートは国際的な注目は受けずフォローアップはされなかった。この時代では、結局、自家中毒や腸内細菌叢と脳との接続はナンセンスな概念だと却下された。

(次回に続く)


 物事を理解するにはその歴史を知っておくことが重要であり、今回の論文は、プロバイオティクスと精神疾患の関わりを理解する上で役に立つことであろう。

 この数年の間で、消化管の機能や腸内細菌叢を整えておくことが精神の安定(精神疾患の予防や治療の補完)につながるという理論を唱えている医師や学者らの論文をよく目にするようになったのではあるが(自閉症スペクトラム障害、うつ病、不安障害との関連などにおいて)、はたして、それは事実のなのであろうか。

 現在、プロバイオティクスだと称する様々な製品(ヨーグルトなど)がコンビニやスーパーで販売されており、国民の間のプロバイオティクス製品の消費量は以前よりも確実に増加しているはずである。しかし、もし、この理論が正しければ精神疾患は減っていかなければならないのではあるが、減るどころが逆に精神疾患は増えているのであった。
(プロバイオティクスについて)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B9

 私には、今のところはプロバイオティクス製品は国民のメンタルヘルスには貢献できていないようにも思える。なぜなのであろうか。

 もし、腸内細菌が人間の精神に影響を与えるという、この理論が正しければ、国民のメンタルヘルスが向上し精神疾患は激減していくはずである。しかし、実際はそのようにはなっていない。これは、本当に効果を発揮してくれる製品はまだ市場では発売されていないことを意味するのであろうか。人間の精神に良い影響を与えるとされる菌を摂取した後に、腸内にまで菌が確実に届き、さらに、腸内に確実に定着し増殖するという、真の意味でのプロバイオティクス製品はまだ開発されてはいないのかもしれない。

 我々はプロバイオティクス製品を生産しているメーカーに騙されているのであろうか。あるいは、プロバイオティクスの消費量自体がまだまだ足らないのであろうか。あるいは、精神疾患で苦しんでいる方々に限ってプロバイオティクス製品を消費していないのだろうか。はたまた、食事内容などが影響して(肉食など)、摂取したプロバイオティクス菌が腸内で上手に飼育できていないのであろうか。

 プロバイオティクスのテレビCMが連日のように流されてはいるが、プロバイオティクス製品を摂取した結果、その後どうなったのかはいっさい報じられてはいないのである。それは、プロバイオティクス製品に限らず、化粧品などの他の製品でも同様である。TVでバンバン宣伝しているドモホルン・リンクルは本当に効果があるのであろうか。化粧品では、今回、カネボウの美白化粧水で白斑という多くの被害者を出した。消費者は過剰な広告に騙され被害を被ってしまったのである。広告通りに高価な化粧品によって肌が本当に綺麗になった女性はどの位いるのだろうか。はたして、プロバイオティクス製品ではどうなのであろうか。健康になると信じてプロバイオティクス製品を取り続けたが一向に健康にならないのでは、騙されているのと同じにも思えるのであった。
 
 もし、摂取した菌を腸にうまく定着させるためには、摂取した菌の餌が必要であるならば、その餌も同時に摂取しなければ、摂取した菌が死滅して定着しないことになる。乳酸菌やビフィズス菌はオリゴ糖(東大の研究によればミルクオリゴ糖が一番いいのかもしれない)を栄養として増殖すると言われており、オリゴ糖も摂取していないと乳酸菌やビフィズス菌はいっこうに定着・増殖しないため、プロバイオティクスの効果は発揮されないことになる。
http://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/2013/20130507-3.html

 市場では膨大な種類のプロバイオティクス製品が発売されているが、(宣伝するつもりは一切ないのだが)私の場合は、胃酸で死滅しないように確実に腸に届くような特殊なコーティングが施され、かつ、餌になるオリゴ糖も同時に摂取するようになっている「ビフィーナ(ビフィズス菌としてはB. longum JBL01株を使用)」を数年前くらいから愛用している。腸内でうまく飼育できたとしても、ビフィズス菌属は同属の菌をやっつけてしまう物質を産生するようなので、同時に何種類ものビフィズス菌は飼育できないようである。ビフィズス菌を飼育できたとしても1~2種類くらいであろうか。私の場合は、とりあえず、ビフィズス菌ロンガム株を腸内で飼育して育てている。飼育している目的は、エビデンスはまだ一切ないのだが、認知症の予防になるだろうと勝手に想定しての自らへの人体実験としての使用である(認知症予防の良い実験材料になるのは、最近、記憶力が格段に落ちた自分自身が最適なように思えます^^;)。ビフィーナを愛用し出してからは、おならが臭くなくなり、おなら自体が減り、便通は確かに良くなった。しかし、認知症を予防してくれるかは全く分からない。20年後くらいには人体実験の結果は出るのではあろうが。値段が高いのが難点ではあるが、ヨーグルトのような余分な乳脂肪成分を摂取せずに済むので私はビフィーナを気に入っている。なお、ビフィーナはネットで製造元(森下仁丹)へ直接注文ができる。なお、他社からも同じような製剤が出ているが、値段は安いが胃酸から菌を守るような特殊コーティング技術は施されてはいないようである。

うつ病の過去5年間における動向(その2)

(前回の続きである)

治療の進歩
Advances in treatment

うつ病特有の心理療法
Depression-specific psychotherapies

 薬物療法とマニュアルに沿ったうつ病に特有の心理療法は、単独でも、あるいは、組み合わせることで、単極性うつ病に有効な治療法となる。うつ病への心理療法の同様の効果がプライマリケアの段階でも報告されているが、プライマリケアの段階の患者への研究はまだ少ない。しかし、これまでの研究結果からは、対人関係療法(interpersonal psychotherapy)は、単独でも薬物療法と組み合わせでも、うつ病の急性期の治療に有効であることが示唆される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E4%BA%BA%E9%96%A2%E4%BF%82%E7%99%82%E6%B3%95
http://www.hirokom.org/ipt.htm 

 うつ病の入院患者の臨床試験では、対人関係療法(入院患者専用に変更した手法)と薬物療法の組み合わせを受けて治療された患者の方が、単独の薬物療法単独の患者によりも治療への反応率が高かった。急性対人関係療法の効果は寛解後にも持続する。アメリカやヨーロッパのいくつかのトライアル試験では、完全寛解を達成し再発のリスクを減らすための認知行動療法(cognitive behavioural therapy、CBT) とその急速な効果と有用性を支持している。CBTは非伝統的な方法(例えば、電話やインターネットを介した対応、など)でも、プライマリケアのレベルでは実践でユニークなニーズに対応するために推奨されるをことが研究で示された。認知行動療法と対人関係療法の効果を比較した無作為化臨床試験では、大うつ病に対しての治療効果は同等だった。しかし、重度のうつ病患者(MADRSスコア> 30)では、認知行動療法の方が対人関係療法よりもMADRSスコアの大きな改善を示した。しかし、メランコリック型のうつ病では2つの治療の間には差は認められなかった。3回以上のうつ病エピソードを持つ患者には、マインドフルネスに基づく認知療法を通常の治療に加えると有益である。問題解決療法(alternative psychotherapies)は、心理療や薬物療法の代替として有効であり、特にプライマリケアでの使用に適している可能性がある。
http://pst.grappo.jp/pro/pst.html 
抗うつ薬の薬物療法

 アメリカでは抗うつ薬治療の拡大が続いた。2005年、抗うつ薬は、クリニックや病院外来にて最も一般的に処方さた薬剤だった。表はhttp://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3397431/table/T1/、米国食品医薬品局(FDA)によって承認されている抗うつ薬とそのメカニズムを一覧表示したものである。それらの薬剤の完全な評価は米国精神医学会のガイドライン集に記載されている。

 「うつ病の動向」に関するThe Lancetにおける前回のアップデート(2006年)以来、http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16413879STAR * Dの研究結果が報告された。この研究は、米国の代表的なうつ病のサンプルと広範な選択基準を使用した実用的な臨床試験である。STAR * Dは、精神科とプライマリケアの両方で実施され、薬物の変更、追加薬や認知療法での補完を含む4つの連続したステップから構成されている。STAR * Dのゴールは治療への反応ではなく完全寛解である。各ステップでの寛解率は、それぞれ36.8%、30.6%、13.7%、13.0%累積寛解率は67%であり期待外れだった。このデータは、殆どの患者が寛解を達成するためには連続した1つ以上の治療ステップを必要とすることを示唆している。STAR * D試験は、急性期での1つ以上の治療で寛解を達成しなかった患者では、薬物療法だけでの戦略では明確な利点がないことを示している。このハイブリッド試験ではプラセボとの対照比較がなかったので、STAR * Dの治療を維持するよりも他のSTAR * D以外の治療戦略に変更する方がベターであるかを知る方法がない。補完療法、多剤へのスイッチと比べて心理療法を受けた患者があまりにも少数だったため、心理療法の役割についてはSTAR * Dの結果では確固たる結論を出すことができない。最初の急性期治療が成功しなかった後での様々な切り替えオプションの効果は、社会学的あるいは臨床特性(非定型、不安型、メランコリック型)によって変化はしなかった。最初の2つステップでは、プライマリケア医と精神科医では結果に差はなかった。このことは、あまり複雑ではないうつ病患者のケアでは、プライマリケア医でも合理的な治療となることを示唆している。

 抗うつ薬を切り替えることがうつ病治療のための一般的な戦略ではあるが、治療効果を向上させうるかどうかは意見が分かれている。抗うつ薬同士、抗うつ薬と抗精神病薬の組み合わせの多くの併用療法の臨床試験が行われているが、併用療法は最初の治療ステップとしては推奨されないと勧告されている。1つのレビューが、実際のパターンと薬剤のスィッチや併用療法との間の矛盾を解説している(甲状腺ホルモンやリチウムの併用は三環系抗うつ剤との併用で意味があり、SSRIではエビデンはない。SSRIから三環系抗うつ剤への変更はエビデンスが示されていない。SSRIの効果が不十分な場合はクエチアピンやアリピプラゾールの併用の方がサポートされている、等)。炭酸リチウムが抗うつ剤への補完療法として昔から使用され続けているが、今は第2世代の抗精神病薬のうつ病への使用研究が集中してなされてきている。治療抵抗性うつ病のために推奨される薬剤は、アリピプラゾール、クエチアピン、フルオキセチンとオランザピンの組み合わせである。

 薬物または心理療法を逐次組合せていくという発想は、気分障害の治療を変更しようとすること意味している。このような二段階のアプローチは、1つの治療戦略だけでは、うつ病の様々な症状を治療することができないであろうという認識に基づいている。しかし別の治療法への切り替えは、最初の治療への患者の反応に左右されてしまうため(=最初の治療の影響をその後も引きずることになる)、治療デザインと方法論的アプローチの再評価が必要とされる。

 注; なお、我が国でも、うつ病へのオランザピン、抗うつ剤(SSRI、SNRI)+アリピプラゾールの補完療法の保険適応が追加された。オランザピンは不安・焦燥感が強いうつ病のケースへの効果が期待できると思われる。一方、大塚製薬の説明によれば、抗うつ剤+アリピプラゾールの我が国での治験結果(ADMIRE試験)は以下のようであった。抗うつ剤で反応が十分でなかったケースでもアリピプラゾール3mgでも1週目から効果が認められた(特に、効果が高かった症状は、悲しみの表現の減少制止症状の減少失われた感情の回復自殺念慮の減少であった)。6週目の寛解率も30%に達した(ただし寛解はMADRSスコアからの定義である。印象としてはこの寛解率の数字は少し残念ではあった。50%くらいはいくかもと期待していたのだが)。不思議なことに一番低用量である3mg群の方が6週目での効果が一番高く、アリピプラゾールの効果はドーパミンアゴニストとしての作用かもしれないと推測されている。今回の治験結果からは、抗うつ剤で反応しなかったケースでは他剤に切り替えるよりもアリピプラゾールを補完してみる方法も選択肢の1つになったと言えよう。SSRIへの補完療法ではアリピプラゾールは15mgまで使用できるが、推奨用量は3mgである。以前このブログでも触れたようにアカシジアの発生頻度が国内の治験結果でも多かったようであり、SSRI+アリピプラゾール補完療法ではアカシジアへの注意が必要である。なお、三環系やNaSSAとの併用でもアリピプラゾールの効果があるのかについては、当院担当の大塚製薬のMRに質問したが回答をまだもらってはいない。

精神病性うつ病の治療
Treatment of psychotic depression

 精神病性うつ病(妄想や幻覚が存在する)患者は、しばしば治療が困難であり、いくつもの介入を必要とする。。新しい薬理戦略がテストされているが、電気ショック療法が頻回に使用可能な効果的な治療法として重要である。抗精神病薬と抗うつ薬が、精神病性うつ病を治療するために頻繁に使用されているが、2つの研究にて、抗精神病薬と抗うつ薬の組み合わせは、抗うつ薬単独よりも高い有効性があることが示された。

薬剤開発
Drug development

 過去5年間に、いくつかの戦略の基に、新しい化合物や古い化合物からなる抗うつ剤が開発されてきた。1つの例として、ademetionine(S-アデノシルメチオニン[SAMe])があるが、大うつ病性障害におけるSAMeによる補完療法の利点を示したレポートがある。急速な抗うつ効果を提供する1つの戦略として、N-メチル-D-アスパラギン酸(グルタミン酸受容体拮抗薬、ケタミン)があるが、1回の投与で著明な臨床効果を発揮し、その後も効果が1週間持続する。別の研究では、治療抵抗性うつ病の急性期治療へのケタミン静注の反復投与の効果を示唆している。うつ病に対するグルタミン酸の効果が期待されているが、これは必ずしも新たらしい薬理メカニズムではない。CRF1アンタゴニスト化合物、サブスタンスPアンタゴニストの失敗が報告されている。別の進歩は、メラトニン(MT1及びMT2)アゴニスト+5-HT2C受容体拮抗薬のアゴメラチンである。アゴメラチンは、既存の薬物療法に反応しない、あるいは、副作用に耐えることができない人のための有望な代替手段として使用され、概ね良好な忍容性と有効性が報告されている。大うつ病における急性期と急性期以降の継続使用における、プラセーボとの対照試験によるアゴメラチンの有効性についてのエビデンスがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/S-%E3%82%A2%E3%83%87%E3%83%8E%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%81%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%B3

 注; なお、このブログでも解説したことがあるチアネプチン(商品名スタブロン http://en.wikipedia.org/wiki/Tianeptine)という、SSRIとは全く逆の薬理作用を有するSSREに分類される薬剤がフランスのセルヴィエ社から発売されているのではあるが、アメリカではまだ発売されてはいない。その影響もあるのではあろうが国内でも治験の予定がなく本邦で発売されるのは絶望的である(使用したい場合は個人輸入をするしかない)。しかし、チアネプチンユーザーの海外のネットでの書込を見ると評判は良いようであり、従来の抗うつ剤に反応しなかったケースでも効果があったという書込みも見られる。さらにSSRIのようなセロトニン系の有害事象は殆ど生じないようだ(ただし、wikipediaに記載されている以外にも動悸などの循環器症状などが出るようだ)。さらに不安にも効果があり、社会不安障害の患者で効果があったという書込みもある。私の個人的な意見ではあるが、チアネプチンは、SSRIのようにシナプス間隙のセロトニンを増やすのではなく、タッピングのような形でシナプス後部への刺激を効率化することで、セロトニン作動性神経の機能を強化して抗うつ効果を発揮しているのではと考えている関連ブログ2013年2月2日

 生物学的な知見では、チアネプチンはストレスで誘発される扁桃体でのグルタミンの放出を抑えるという報告がある。うつ病での神経画像所見(扁桃体の活動増加)やグルタミン仮説からもチアネプチンの効果は期待できるのではなかろうか。

 さらに、チアネプチンは慢性的ストレスによって誘発されるHPA軸の機能不全やシナプス可塑性の減少を改善することも報告されている。

 また、チアネプチンはストレスによって誘発される海馬容積の減少を回復したという報告もあり、うつ病への治療薬としてではなく、ストレスフルな仕事や生活をしている人へのうつ病予防のような使用も可能かもしれない。
TIANEPTINE












 一方、大うつ病においても統合失調症や双極性障害と同様に炎症仮説酸化ストレス仮説がこの数年の間に有力になってきている。うつ病における補完療法として抗酸化剤COX2阻害剤などの併用や、抗酸化物質(ベータカロチンやルイテンなど)が含まれる野菜を多く食べた方が良い、抗酸化作用のあるサプリメントを併用した方が良いなどの意見が提出されている。

SSRIと自殺のリスク
Suicide risk with SSRIs

 SSRIを投与された青年期のうつ病における自殺念慮や自殺企図が報告されたため、SSRIと自殺とには潜在的な関連性がある可能性があり、SSRIの安全性についての議論がなされている。いくつかの調査結果では、小児では自殺企図の危険性が有意に高まるという報告が多いが、成人では、抗うつ薬(SSRIを含む)を使用した方が、使用していない場合よりも、自殺企図や自殺を完遂する危険性は増加しない可能性があることが示唆されている。さらに、他の研究において、SSRI治療の開始後の成人における自殺企図のリスクの減少が男性におけるセルトラリン使用で認められた。226866名のうつ病の退役軍人の男性における調査では、SSRI以外の抗うつ剤や抗うつ剤が投与されていない場合よりも、SSRI治療の開始後に自殺企図は低下していた。同様に、米国の郡レベルの研究では、SSRIやSSRI以外の抗うつ剤(三環系以外)と組み合わされて処方された時に自殺率の低下と関連していることが示された(なお、この調査では三環系では自殺率が増加したと述べられている)。これらの調査結果にも係らず、限定された社会学的分析結果から自殺との関連性への警告が抗うつ剤では必要とされている。

 注; このレビューで紹介されたSSRIは自殺を増やすことはないという論文を批判するような論文もこの5年間に発表されている。SSRIと自殺との関連性を調査した研究には解析方法や調査対象に問題があり、成人でもSSRI(パロキセチンなど)の使用によって自殺が増えるような調査データもある。セルトラリンも自殺が減少するのではなく増加しないだけである。しかし、自殺の増加は小児も含めて必ずしも全てのうつ病患者で生じるのではなく、小児においてさえも自殺の危険性が減るケースも多々ある。逆に、成人でも自殺念慮が増えるケースがあり、抗うつ剤と自殺との関連は一定の傾向を見い出さないようなケースバイケースな事象なのである。

 従来の調査結果では、こういったケースが一色単に扱われているため、調査結果が異なるのは当然である。(どのようなケースが抗うつ剤によって自殺念慮が惹起されるのか、といった遺伝子検査などに基づく生物学的に客観的な指標に基づく区別ができない現時点では)、抗うつ剤を内服している患者では医師との接触を絶やさないようにし、もし変化(自殺念慮の出現など)があった場合はすぐに医療機関との連絡を取れるような体制を作ることが重要であると述べられている。私も下の論文の意見には賛成である。

 さらに、論文では触れられていなかったが、遺伝子の変異とのSSRIによる自殺との関連性も調べられており、グルタミン酸神経受容体サブユニットの遺伝子であるGRIK2、GRIA3やPAPLN(硫酸化糖タンパク質をコード)、IL28RA(インターロイキン受容体)らの遺伝子変異を有する個人とSSRIと自殺の関連性などが分かってきている。

 なお、抗うつ剤とは直接的な関係はないのではあるが、ゲノムワイド関連分析にて自殺との関連が高いと推測された遺伝子も報告されている。

 なお、今年度に自殺とグルタミン酸と脳の炎症との関連についてのレビューが出されたので紹介しておく。
 脳の炎症は軽度であっても、キノリン酸(QUIN)quinolinic acid(quinolinate)とキヌレン酸(KYNA)kynurenic acid(kynurenate)といったグルタミン酸作動性受容体であるNMDA受容体のアゴニストおよびアンタゴニストの産生をもたらす。64名の未投薬の自殺未遂患者の脳脊髄液(CSF)中のQUINとKYNAを測定したところ、QUINがCSFで著しく上昇していることが判明した。さらに、QUINの増加はインターロイキン6の上昇や自殺企図スケールと相関していた。うつ症状の低下と伴に6か月以内にQUINの上昇は消失した。QUIN/KYNAの比率の増加はNMDA受容体の刺激が亢進することを意味する。炎症によってキヌレニン経路が活性化されQUINが増加し、最終的にはNMDA受容体の刺激に結びつき、自殺行動が誘発されることになる(下図)。

キヌレニン経路















 QUINはNMDA受容体(NR1+NR2A、NR1 + NR2Bサブユニットを含む受容体)のアゴニストである。逆に、KYNA,はアセチルコリン作動性のα7ニコチン受容体をブロックし、NMDA受容体のグリシンサイトに作用するアンタゴニストである。KYNAは主にアストロサイトで生成されて抗けいれん、神経保護作用に関与している。一方、QUINは、活性化されたミクログリアによって生成され、神経毒性(強力な興奮性毒となる)、グリア毒性に関与している。QUINは、グルタミン酸の放出を増加し、グルタミン酸の再取組みと再利用を減少させることで、アポトーシスを起こす前にグルタミン酸神経伝達を促進する可能性がある。自殺事例では前帯状回のミクログリアでQUINが増加していることが報告されている。C型肝炎のインターフェロン療法にて炎症性サイトカインとQUINが増加し、インターフェロン療法でのうつ症状の惹起と関連してていることも報告されている。インターフェロン療法中の自殺事故も起きており、こういった有害事象には炎症によって誘発されたQUINの増加が関与しているのであろう。トキソプラズマ原虫による自殺の増加もトキソプラズマ原虫によって炎症が生じるせいかもしれない。著者らは治療抵抗性うつ病患者へのアドオン療法としてCOX2阻害剤を推奨している(COX2阻害剤は消炎鎮痛剤であり、NSAIDsでも効果はあるかもしれない)。
 
炎症とキノリン酸











 ケタミンが自殺念慮を急速に消失させることができるのは、まさにQUINの作用を直接ブロックしているからなのであった(おそらく)。

 しかし、QUINの増加がなぜ自殺という行動に結びつくのかは不明である。元々、通常では発動しないが、自分自身を死に追いやるという自殺行動プログラムが動物の脳内には存在しているのかもしれない。イルカなどの動物でも自殺や集団自殺のような現象が報告されており、イルカでは集団自殺をしたイルカの寄生虫感染が確認されている。種の保存のために、病原体が同じ種に蔓延して種の存続自体が脅かされることを防止するために自殺という行動を取るのであろうか。自殺は、これ以上自分と同じ種が病原体に冒されることを防ぎ、病原体を蔓延させない行動なのかもしれない。脳の炎症はまさに種の存続を脅かすような病原体に冒されたというシグナルとなり、QUINの増加がトリガーとなって自殺行動プログラムが発動するのではと私は想定している。

妊娠中の安全性
Safety in pregnancy

 2000年以前のデータでは、SSRIは新生児の催奇性における関連では弱い証拠しかなかった。しかし、2000年以降では、パロキセチンは新生児における主要な奇形、特に心臓の催奇性に関連付けられている。妊娠第3期における子宮内でSSRIのへの暴露と新生児行動症候群とを関連付けるいくつかの証拠がある。この症候群は、特別なケアの基で管理することができる。新生児遷延性肺高血圧症も、妊娠後期におけるSSRIの暴露に関連付けられている。母親のうつ病やSSRIに暴露されると、新生児は早産となる可能性が高かった。ガイドラインでは、妊娠中のSSRIは注意して使用されねばならないと警告されており、特に、パロキセチンの使用は避けねばならないと警告されている。

 注; 妊娠中のSSRI使用と生まれてくる子の自閉症スペクトラム障害(ASD)のリスクの増加との関連性も指摘されている。妊娠中にSSRIに暴露されるとASDのリスクは2~3倍にも増加する。

注; SSRI依存について

 なお、SSRIによる依存性の問題については、ベンゾジザアゼピン(BZD)依存の時の社会現象から鑑みて、SSRIの製薬メーカーが薬剤開発の最初の時点で依存性の問題を想定しておらず軽視していた影響が大きいのではという指摘がある。SSRI依存の頻度は不明だが、依存が生じた個人において深刻な問題を生じさせたのは事実であろう。何らかの対策を見出して提示していかねばならない社会的な責任が製薬会社にはあるのでなかろうか。
 
 さらにBZD依存との比較で、BZDとSSRIの依存や離脱反応は、薬理学の違いにもかかわらず臨床的影響は非常に似ていることが分かってきている。しかし、BZD依存とSSRI依存との違いも認識されてきている。まず、BZDでは漸減中止が有効であるが、SSRIでは漸減中止でもDiscontinuation Syndrome(SSRI中止症候群)が生じることがあり関連ブログ2013年4月4日)、漸減中止が有効ではないことがある。さらにBZD依存では容量がだんだんと増えていく傾向があるが、SSRIではそういう傾向はない。また、BZD依存ではモルヒネやコカインといった多剤の乱用にも傾くことがあるが、SSRI依存ではそういった他剤を含めた薬物乱用のような有害事象は生じないようである。しかし、BZD依存と同様に、SSRI依存でも身体依存(離脱症状)だけでなく精神依存(SSRIを内服していないと心理的に満たされない)も生じることは確かであり、精神依存に対しては何らかの具体的な対策(心理療法などを)を講じる必要があろう。精神依存に関しては他の依存性物質と同様にドーパミン系(報酬系)が関与しているのかもしれない(線状体のドーパミンレベルの低下など)。
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1360-0443.2011.03736.x/full


  Discontinuation Syndromeとしては、めまい(50%)、多夢/鮮やかな(35%)、疲労感(30%)、悪心/嘔吐(30%)、頭痛(25%)、不安/焦燥感(25%)、感覚異常・知覚過敏(15%)、不眠症(10%)、下痢(10%)、視覚障害(10%)、発熱(10%)、振戦(5%)、いらいら(5%)、悪寒(5%)。さらに、抑うつ症状の増加などが報告されている。Discontinuation Syndromeが生じるメカニズムに関しては、まだ解明されてはいない。SSRIの中止症候群はパロキセチンに圧倒的に多いのがだが、フルオキセチンの中止時の影響ばかりが調べらていることがメカニズムが解明されない原因になっているようだ。まず、パロキセチンに圧倒的に多いため、SSRIの中止症候群は薬剤の半減期の短さが影響しているのではと推測されている。さらに、パロキセチンはアセチルコリン受容体への作用(抗コリン作用)があるため、アセチルコリンリ受容体のリバウンドが関係しているとのではとも推測されている。さらに、動物実験ではドーパミン系の関与(海馬などのドーパミンD1受容体のアップレギュレーション、D2・D3受容体機能の増強)、セロトニン作動性ニューロンに存在するセロトニン自己受容体5-HT1A・1B・1Dの脱感作やダウンレギュレーション、セロトニン5-HT1A受容体遺伝子の多型{C(-1019)G}などによる脆弱性などが関与しているのではと推測されている。セロトニンの放出を抑制する自己受容体の感受性が低下しているために、セロトニンの放出後のセロトニンの再放出の抑制が低下しており、セロトニンの放出量が過剰になり易くなっているのかもしれない。

 SSRIの身体依存に対しては、BZDの急性中毒の際に使用するようなアネキセートのような拮抗薬的な薬剤の開発が必要なのかもしれない。SSRIの効果を打ち消すような薬剤であれば、ZAP(電撃感覚)などDiscontinuation Syndrome(または、SSRI postwithdrawal emergent persistent disorders)が生じた際の効果が期待できるかもしれないのだが、まだそういった薬剤は存在しない。現時点でDiscontinuation Syndromeに対抗できる可能性がある薬剤としては、NSAIDsやチアネプチンであろうか。チアネプチンはSSREというSSRIの逆の薬理作用を有するため、SSRIによって生じた自己受容体のダウンレギュレーションという事象に拮抗してくれるかもしれないし、SSRIの投与開始時のセロトニン症候群などの際の拮抗剤として使用できるかもしれない。NSAIDsはSSRIの効果を弱めてしまうことがあるため
関連ブログ 2013年3月8日、その事象を応用できるかもしれない。NSAIDsでは本来の消炎鎮痛剤としての作用が加味されて、ZAPなどの疼痛や炎症にも似たような感覚症状には効果が期待できるかもしれないと私は考えている。なお、ZAPは疼痛制御に関連したメカニズムから生じている可能性があるのかもしれない。麻酔科の授業では痛みの制御に関連する生体メカニズムとしてゲート・コントロール・セオリーを必ず習うのではあるが、セロトニンは痛みを抑制するニューロンとして機能することが知られている。SSRIによってシナプス後部のセロトニン受容体の脱感作が生じ、SSRI中止後にも脱感作が長期間持続しているため、疼痛を抑制する機構が低下しておりZAPが生じるのかもしれないと私は考えている。

 一方、SSRI内服中に暴力誘発などの行動面での有害事象が生じることもあり、SSRIを内服する際には注意が必要である(実際の頻度としては暴力誘発は極めて稀な有害事象のようにも思われるのではあるが)。逆に、こういった暴力誘発という事象は抗うつ剤によって減るという報告もあり、暴力誘発に関しては相反するような見解が出されている。しかし、これまでの調査は抗うつ剤を内服しているうつ病患者への調査が殆どであり、うつ病患者では攻撃性は自分自身に向けられることが多いため、必然的に他者への攻撃行動は当然減るであろうし、事件で報道されて問題となっているようなケースは、必ずしもうつ病だったとは言えないようなケースだと思われる(=SSRIの投与が必要はなかったがSSRIが投与されていたようなケース)。例えば、DSMでのB群に該当するような人格障害(反社会性人格障害など)や行動障害を有する者などへのSSRIの投与の事例であり、私にはうつ病以外での不適切な使用による有害事象のようにも思える。

 もし、うつ病ではない健常人がSSRIを内服したとしても、何も変化しないか、眠くなるか、めまいがするか、吐き気がするか、動悸がするだけであり、気分が高揚したり抑制が取れてしまうことはないであろうが、中には遺伝的素因を有するような個人においては気分が高揚し抑制が取れてしまう場合もないとは限らない。抗うつ剤の投与が全く必要のないケースに抗うつ剤が投与された場合の脳内のモノアミンの変化を調べたような研究報告はなく、元々の遺伝子的素因、環境因子、性格傾向や他の物質の影響(アルコールとの併用等)なども絡んでいるものと思われる。しかし、SSRIの内服は必要がない人がSSRIを内服した場合に暴力誘発などの有害事象が増えるかどうかの調査は、頻度が希であろとも、いったん起きてしまえば取り返しのつかない事態を招いてしまうため、決して放置していてはいけない有害事象であり、今後の重要な研究課題の1つだと思われる。

 特に、反社会的な性格傾向やアルコールとの相互作用が加われば、暴力誘発などの行動面への危険性が非常に増すものと思われる。アルコールと暴力誘発との関連性は誰にでも理解できるであろうが、酔いが醒めればアルコールの有害事象は出なくなると一般的には思われがちである。しかし、そこに盲点があり、アルコールの影響(ドーパミンやグルタミン酸の増加など)は酔いが醒めてからも脳内には続いており、興奮し易く衝動的にもなっており、そのような状況下でSSRIの作用が加われば暴力誘発への危険性が高まるものになるものと思われる。アルコールとSSRIの併用は問題はないという論文もあるが、SSRIを内服中はアルコールは極力控えるべきだと言えよう。なお、パロキセチン(パキシル)に関しては、私の印象でも確かに切れやすくなるように思えるため(怒りっぽくなる)、もはや重度の強迫性障害以外にはパキシルは使用しないことにしている(抗うつ剤としてのパキシルは私の頭の中の治療マニュアルにはもはや存在しない)。
新しい生体的治療の現状
Status of new somatic treatments

 脳深部刺激deep brain stimulation(DBS)はまだ治験段階の早期にあるとされており、FDAや欧州医薬品庁では承認されてはいない。しかし、DBSは治療抵抗性うつ病の治療としては有望である。DBSでは電極が脳外科手術にて両側の脳内に挿入され(下図)、内部パルス発生器に接続される。この手順は完全に可逆的であり、DBSによる刺激は患者のニーズに基づいて調整することができる。DBSは、線条体-視床-皮質回路の神経伝達を調整することによって効果を発揮する。さらに、膝下帯状白質subgenual cingulate white matter (Cg25WM=ブロードマンの25野)、側坐核、梁下帯状回 subcollosal cingulated gyrus、腹側内包?ventral capsule、腹側線状体が刺激された時にも抗うつ効果が発揮される。さらに、内包の前脚anterior limb of the internal capsule、淡蒼球内節globus pallidus internus、下視床脚inferior thalamic peduncle、吻側帯状皮質rostral cingulated cortex、および横手綱lateral haenulaでのDBSの使用が議論されている。DBSは忍容性があるように思えるが、自殺の可能性があるため常にモニターされねばならない。DBSで安定した寛解状態に導かれるが、感情が不安定になるという1つの研究報告がある。(私は、DBSには賛成しかねる。脳に電極を埋め込むという、人間をサイボーグにするような改造手術までする必要があるのだろうかと疑問に思っている。)
DBS手術DBS














 











 経頭蓋磁気刺激(TMS)は、抗うつ薬に反応しない人のために、大うつ病性障害の治療としてFDAによって承認されている。TMSは安全であり忍容性に優れているとみなされているが、てんかん発作という副作用がまれに誘発される。TMSは脳の周りに磁界を発生させ、左右の背外側前頭前皮質(DLPFC)がうつ病におけるTMSのターゲットとなる領域である。いくつかのメタアナリシスでは、プラセーボや偽装置との比較から、DLPFC-TMSやTMSの反復使用を支持している。いくつかの研究では、TMSの効果の大きさは抗うつ薬と同等であることを示唆しているが、効果の大きさは中程度であり、反復TMSは電気けいれん療法よりも効果が低いと思われる。反復TMSのマルチ偽対照試験(改善しなかった患者の拡張オープンラベル試験を含む)では、急性期の転帰を予測検証する機会をTMSが提供した。この試験では、以前の薬物への抵抗性の程度(以前の治療では効果がなかった程度)は無作為試験、拡張オープンラベル試験共にTMSへの効果と相関していた。無作為試験では、現在のうつ病エピソードの持続期間の短さとTMSの効果が相関していた。拡張オープンラベル試験では、不安障害を合併していないことがTMSへの効果と相関していたが、現在のうつ病エピソードの持続期間は関係はなかった。特に、以前の治療の失敗の数がTMSの急性期治療での効果の最も大きな予測因子であった。

 なお、このTMSに関しても私は懸念を抱いている。効果はあるのではあろうが、はたしてピンポイントにDLPFCへの磁気刺激をできるのであろうかが不思議である。脳内に磁力探知センサーを埋め込んで検証したデータがない以上、DLPFCに限定して位置を定める精度は保障されているのだろうかと懸念している。磁力が強すぎた場合に、はたして有害事象は生じないのであろうか。MRI検査では金属製の入歯があると金属が磁場に反応してノイズが発生し画像が乱れる。さらにステントが冠動脈に留置されていたりペースメーカーがある場合はMRI検査は実施できない(磁場に反応して熱を発生したりするため)。そういった場合でもTMSを行えるのだろうか。など、懸念されることが現時点では担保されていないように思えるからである。TMSの安全性が確認されたかどうかは、TMS治療を受けて少なくとも数年以上のフォローアップデータによらねばならないだろう。体に磁気をあてるという発想は大昔からあった発想であり(今でもピップエレキバンなどの製品が売られているが)、精神疾患への磁気の応用は1700年代にフランツ・アントン・メスメルという人物が考案した動物磁気という治療方法(メスメリズム)が有名である。しかし、メスメリズムの効果は磁気ではなくプラセーボのような催眠効果だったようだ。300年の時を隔ててメスメリズムがTMSに進化して復活したようにも思えるのであった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%83%AB

結論

大うつ病性障害の画像研究や遺伝子研究によのデータ、および他の神経生物学的データは、治療成績を予測するための潜在的なバイオマーカーとなるであろう。このようなデータに基づくうつ病の正確なサブグループ化は、治療における短期的かつ長期的な利益を向上させるであろう。マルチモーダルな研究による治療応答性に関する新しいレポートが過去5年間で登場してきているが、適切な予測因子を適切に研究することができないため、うつ病治療の進歩は遅れているようである。

(論文終わり)

 我が国はもっと遅れているように思えるのは私だけであろうか。アメリカやヨーロッパ諸国と比べれば、うつ病への診療(ケタミンやアゴメラチンやチアネプチンが使用できない、実際の臨床場面で抗うつ剤の血中濃度がモニタリングできない、遺伝子診断が普及していない、ことなど)に関しては少なくとも数年は遅れているのは間違いない。 

TMS

うつ病の過去5年間における動向(その1)

うつ病の増加













 医学は日進月歩していくのであり、うつ病の診療においても、ここ5年間で、診断、生物学的な知見、新しい治療法、抗うつ剤の使用法やその副作用における注意事項などが、更新されているのであった。うつ病における、この5年間における動向についてレビューした論文があるので紹介したい。

 今月の10月20日のNHKスペシャル「病の起源」はうつ病をテーマにした放送であった。NHKではうつ病は人類の進化と現代の文明社会が 生み出したものだと位置付けていたが、人類の進化はさておき、うつ病が増加した背景には確かに社会的な側面が大きいものと思われる。私は以前から思っているのだが、もし、現代社会が週休3日制であったならば、週休4日制であったならば、子供時代のような1か月間の連続の休みが毎年保証されているのならば、うつ病になる人はもっと減っていたのではないかと思えるのであった。
http://www.nhk.or.jp/special/yamai/detail/03.html

 人類は週休4日でも成り立つようなスローライフな社会を目指すべきだったのかもしれない。そのために工業化や近代化を進めたのであろうが、生活が成り立つ程の収入を得ようと思えば未だに週5日(へたをすれば6日)も働かないと生活が成り立たないような社会なのであった。何という皮肉な結果であろうか。そういったあくせくとした現代社会に嫌気がさして、スローライフな生活を目指し都会を離れ田舎に移住する人達も出てきてはいるが、大部分の人は未だに都市部を中心とした生活を送っている。現代人はあくせくと働き過ぎである。働かないのも退屈で辛いが、休みなく働くのはもっと辛い。生活保護が増えているのは、蟻のように休みなく働くことを義務付けられた、現代社会が生み出した歪んだ現象のようにも思えるのであった。


大うつ病性障害: 臨床、神経生物学、治療における新しい視点
「Major depressive disorder: new clinical, neurobiological, and treatment perspectives」

 このレビューはNIMHでサポートされており、内容に関しては信頼できるであろう。ただし、SSRIに関してはここ数年間で批判されるようになった有害事象、特に、Discontinuation Syndrome、依存性に関する有害事象などについては一切書かれていない。さらに、うつ病のメカニズムとしてはここ数年間でグルタミン酸仮説(特に自殺との関連)が有力になってきているが、グルタミン酸仮説に関してもあまり触れられてはいない。抗うつ剤に関しても、アゴメラチンについては新しい抗うつ剤として紹介されているが、SSREであるチアネプチンについては米国では未発売のためこの論文では紹介されていない。それらの点について他の論文を参照し補足して記載しておいた。

(字数制限のため2部に分けて紹介する)

要旨
 大うつ病性障害の治療における診断や神経生物学知見の過去5年間の動向を議論する。うつ病を適切し評価・管理し、うつ病を改善するためには、診断と併発疾患に注意することが重要な要因として認識されてきている。うつ病の評価と治療の選択に関連する、遺伝子、分子生物学、神経画像所見といった神経生物学の進歩を提示する。うつ病への心理療法、抗うつ薬の継続的な使用、新しい治療薬の開発、新たな治療法の現状についても説明する。さらに、治療に関連した2つの問題点(SSRIでの自殺リスク、妊娠中の抗うつ薬)について述べる。進歩はしてきているが、完全に満足できるうつ病の治療法はまだ存在しないと言える。

疫学、併存疾患、診断
Epidemiology, comorbidity, and diagnosis
 
 世界的にうつ病は非常に高い有病率を示し公衆衛生上の大きな問題となっている。大うつ病性障害の年間有病率は6.6%生涯有病率は16.2%である。男性は女性の2倍の有病率であり、大うつ病は全ての年齢で発症する。うつ病は他の身体疾患(例えば、狭心症、関節炎、喘息、糖尿病)と同様に健康を大きく害する慢性疾患であり、うつ病が単独で生じるよりも他の身体疾患が併発している場合はより重度な病態を呈する。さらに、プラマリーケアにおいては、他の慢性疾患が存在する場合はうつ病が合併しているとうつ病が無視されてしまうため、無視されることがないように注意すべきである。

 過剰診断と未診断がうつ病の診断と管理において重要な問題となる。メタアナリシスでは、一般開業医はうつ病ではない場合はうつ病を除外診断することができると結論づけたが、うつ病を見逃すことよりも過剰診断する方が容易であることを示した。不安が存在すると、うつ病の診断を困難にする。一部の研究者は、不安うつ病(anxious depression)という概念を確立すれば、プライマリケアでのうつ病の同定を改善するだろうと主張しており、そのようなカテゴリがDSM-5やICD-11で提案されている。

 大うつ病と他の精神疾患との鑑別や表現型に関する研究がある。躁病や軽躁病までの診断には一致しないものの、うつ病患者の40%には一生涯の中で軽躁症状が発生する。軽躁症状が大うつ病性障害の症状と同時に生じることがある。軽躁症状を持つ大うつ病の治療と予後を検討するための調査が必要である。閾値以下の軽躁症状の存在を示す単極性障害が存在する可能性がDSM-5で提案されている。

 注; 補足しておくと、うつ病においては薬剤誘発性の躁状態と自殺の誘発はある種の遺伝子(セロトニン関連の遺伝子のSNP、CYP遺伝子の多型(CYP2D6の多型など)を持つ個体に生じる特異的な反応なのではという仮説が提唱されている。こういった現象はクラリスなどの抗生物質でも生じ、抗生物質を中止すれば躁状態はただちに消失する。こういった事象が抗うつ剤でも生じないとは限らない。軽躁状態は抗うつ剤の血中濃度が急激に増加することによる中枢神経系への毒性反応である可能性も否定はできない。
 さらに、セロトニントランスポーター遺伝子プロモーター領域の多型(5HTTLPR)を持つ個人はSSRIによって躁状態が誘発され易いことが指摘されている。
 また、強迫性障害(OCD)でもSSRIによって躁状態が誘発されることが報告されている。OCDと双極性障害が元々併発していた可能性もあるが、SSRIによって躁状態が誘発された可能性もある。
 大うつ病と思われたが抗うつ剤で治療中に軽躁状態を呈するような病態を双極3型 Bipolar III disorder (pseudo-unipolar bipolar disorder)と呼ぶべきであると提唱している研究者もいる。しかし、双極性障害の2/3はうつ病相から始まるとされており、初発のうつ病では大うつ病なのか双極性障害なのかの鑑別ができないことも確かであり、うつ病+軽躁に関しては、双極2型や双極3型といった本来の病態なのか、薬剤によって誘発された病態なのか、等、どう評価すべきなのかは統一された見解はまだないのが現状である。さらに、境界型人格障害と大うつ病エピソードとの関連性も指摘されてきており、境界型人格障害を有するケースでは薬剤によって軽躁状態が誘発され易いようであり、大うつ病の診断に関してはますます混乱を深めているのが現状である。

 32年間の前向きの追跡調査にて、大うつ病の前に全般性不安障害が先行するという仮説が出された。実際に逆のパターンも頻繁に存在し、全般性不安障害と大うつ病の共存は精神的な負担の増加を意味する。社会不安障害SAD(社会恐怖)は重度の大うつ病MDDに発展する重要かつ一貫性のある危険因子と見なされている。さらに、人格障害の合併は、大うつ病の悪い予後と治療への反応の乏しさに結びついている。メタボリックシンドロームのある種のリスク(例えば、肥満)はうつ病のリスクを高める。これらの双方向の関係はうつ病における冠動脈疾患の増加の原因かもしれない。

 注; SADではMDDに発展する前から既にMDDと同じような感情処理パターン(扁桃体や膝下前帯状回の活動亢進)を脳内で行っているケースがあり、そういったケースはMDDへと発展し易いのかもしれない。

 Kendlerらは、冠動脈疾患の急性の状態とうつ病との関係を示した。重度なうつ状態やうつ病への治療に不十分な反応を示した急性冠動脈疾患の入院患者の6~7年後の心疾患による死亡率は2倍に増加した。別の研究では、うつ病や不安は安定型冠動脈疾患患者の2年間の有害心臓事象と強く関連していることを示した。これらの結果から、冠動脈疾患を有する全ての患者にうつ病のスクリーニングをすることが勧告された。しかし、この勧告はまだ議論の余地がある。うつ病と糖尿病との関性を調べる研究では、うつ症状は高齢者の糖尿病のリスクを65%増加させることが示された。これらの研究から、身体疾患においてうつ病を同定し、うつ病を治療することが重要であると言える。

神経生物学の進歩
Advances in neurobiology

遺伝子研究
Genetic studies

 遺伝子、分子生物学、神経画像研究が大うつ病性障害の神経生物学的基礎の理解の進歩に貢献している。しかし、神経生物学的知見がうつ病の臨床的、機能的帰結を向上させることができるかは不明である。このように、過去5年間で、うつ病の神経生物学的研究は2段階からなっている。(1)病態生理を理解する。(2)治療の選択に結びつく神経生物学的所見を同定する。の2つである。

 複雑な精神疾患が多くの遺伝子の影響下にあり、遺伝子的変異と環境との相互作用にも関連付けられている可能性があるため、大うつ病に関連付けられた単一の候補遺伝子の同定は困難であった。アプローチの1つに、モノアミン関連遺伝子がある。例えば、大うつ病性障害は、グルココルチコイド受容体遺伝子NR3C1の多型、モノアミン酸化酵素A遺伝子、グリコーゲン合成酵素3β(リン酸化と、代謝酵素や多くの転写因子の調節に大きな役割を担っている)、グループ2代謝型グルタミン酸受容体遺伝子GRM3、に関連していることが示されている。生物学的メカニズム、抗うつ剤の代謝経路に関連する候補遺伝子の同定は、抗うつ薬治療への応答予測に役に立つであろう。

 セロトニントランスポーター遺伝子SLC6A4のプロモーター領域の変異(セロトニントランスポーター連動型多型領域[5HTTLPR])に焦点を当てた多くの研究がなされた。メタアナリシスではうつ病と5HTTLPRとの間の2つの関連性を見出した。1つ目は、5HTTLPRの長い対立遺伝子と選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)への反応性の増加とSSRIの副作用の減少、2つ目は5HTTLPRの短い対立遺伝子と、パロキセチンによる有害事象の増加である。なお、ミルタザピンでは逆にこの変異があると有害事象が減少する。セロトニンタイプ2A受容体の遺伝子のいくつかの1塩基多型(SNP)がSSRI治療への成績に関連付けられている。SSRIでもし有害事象が出たら、5HTTLPRの短い対立遺伝子を持っているのかもしれないと判断し、NaSSA(ミルタザピン)に変更するのも1つの対処方法かもしれない。

 注; 5HTTLPRではShort (S) allele(短い対立遺伝子)であるとセロトニントランスポーターの機能が低下することになり、セロトニントランスポーターの機能が元々低下している上に、さらにその機能をSSRIで阻害することになるため、シナプス間隙のセロトニンの濃度が著しく上昇し有害事象に結びつくということは容易に理解ができよう(下図)。
5HTTLPR













 他の候補遺伝子としては、グルタミン酸作動性遺伝子GRIK4があり、シタロプラムへの反応性と副作用に関連付けられている。他には、脳由来神経栄養因子BDNF遺伝子のバリン/メチオニンの多型(rs6265)とSSRIへの反応、他のいくつかのBDNF遺伝子のSNPとデシプラミンへの反応が関連付けられている。グルココルチコイド受容体へのコルチゾールの結合を調整しているタンパク質であるFKBP5遺伝子の変異が抗うつ剤への反応性に関連付けられている。一方、SSRIの作用を媒介しているカリウムチャネルのサブタイプの1つであるTREK1遺伝子の変異は、いくつかの抗うつ薬への非反応性に関連付けられている。COMT活性を変化させるカテコール-O-メチルトランスフェラーゼ(COMT)遺伝子の変異は、いくつかの抗うつ剤への反応性に関連付けられている。

 ゲノムワイド関連分析による研究は、これまでの候補遺伝子以外の遺伝子マーカーによって抗うつ剤への反応性が予測できることが示唆した。これらの新しい予測遺伝子としては、コルチコトロピン放出ホルモン受容体1CRHR1、CRH結合タンパク質CRHBPがあり、不安うつ病におけるSSRI反応性を予測する。さらに、uronyl-2 sulphotransferase、インターロイキン11遺伝子は、それぞれ、ノルトリプチリンとエスシタロプラムへの反応性を予測する。

 注; うつ症状にターゲットを広げて世界中の研究者(86名の科学者の国際チーム)が参加して相当数のサンプルを用いてゲノムワイド関連分析を行ったが、失望する結果だった(何も有意な遺伝子は見つからなかった)という結果報告が本年度になされているので紹介しておく。34549人の被験者の結果からは、5q21領域に関連がありそうだということは分かったのだが、それ以上のことは分からなかった。さらに50,000以上の被験者の調査をすれば関連遺伝子が見い出せるかもしれないという気が遠くなるような結果であった。まだ諦めずに被験者を増やし調査を続けるようだ。候補遺伝子を見つける仕事は実に根気がいる大変な作業なのである。
http://www.sciencenews.org/view/generic/id/347624/description/Depression_gene_search_disappoints

分子生物学的研究
Molecular studies

 大うつ病性障害に関連付けられている3つのホルモン型因子があり、疾患の病態生理に関与している。(1)BDNFなどの神経栄養因子や他の成長因子、血管内皮増殖因子(VEGFR)、インスリン様成長因子1(IGF-1)、例えば、血清BDNFは、大うつ病患者で減少し、抗うつ薬によって、BDNFの減少は反転される。(2)(前)炎症性サイトカイン(インターロイキン1β、インターロイキン6、腫瘍壊死因子α)。(3)視床下部・下垂体・副腎皮質(HPA)軸の障害。である。

 ストレスを受けており落ち込んでいる個人では(前)炎症性サイトカインの分泌と生産が増加している。抗うつ薬がこれらのサイトカインの濃度を正常に戻したり合成を抑制することが示されている。HPA軸の障害がうつ病の急性エピソードで示されている。デキサメタゾンコルチコトロピン放出試験での神経内分泌応答(HPA軸の障害を調べられる)が抗うつ剤によって減衰する(=HPA軸の障害が改善する)ことが示されている。

 注; 一方、統合失調症と同様に、うつ病においてもグルタミン酸仮説が有力となってきている。この点に関するレビューが本年度に発表されており、この論文の一部を紹介したい。

 簡単に言えば、うつ病では、ストレスによって辺縁系や皮質におけるグルタミン酸の放出が高まり(HPA軸のグルココルチコイドなどがこのメカニズムに関与しているだが、詳しいメカニズムは下の論文PMC364531を参考のこと)、グルタミン酸神経伝達が亢進し、脳組織の構造の変化を招き、樹状突起の改変(密度の減少など)が起こり、シナプス数の減少脳容積(海馬など)が減少しているということが動物モデルなどから推測されている。すなわち、うつ病ではグルタミン酸系神経伝達の機能不全・調節不全の状態になっているというのである。うつ病患者の死後脳からは前頭葉におけるグルタミン酸の増加も見出されている(下図)。

ストレスとグルタミン酸











 グルタミン酸系神経伝達は主に認知(感情認識、感情処理を含む)に関与しているのであるが、気分や不安に関与する脳の領域や、その回路のニューロンとシナプスの大半も神経伝達物質としてはグルタミン酸を使用している。うつ病では、その領域がグルタミン酸系の機能不全・調節不全によって障害されているのである。従って、治療としては最終的にグルタミン酸系の機能不全を改善することがターゲットとなる。シナプスの可塑性のような現象が抗うつ剤に反応したうつ病患者のグルタミン酸作動性神経伝達システムで確認されているのではあるが、うつ病における神経可塑性仮説は、まさにグルタミン酸系神経伝達システムで生じているシナプスの減少を改善することにあるのである。

 脳全体では、総数千億のニューロンが存在するが、そのうち約2~30万のニューロンがセロトニン作動性ニューロンに過ぎず、大分部はグルタミン酸作動性ニューロン(興奮性)かGABA作動性ニューロン(抑制性)である。モノアミン系作動ニューロンは数としては非常に少ないが、その速い神経伝達によってグルタミン酸系ニューロンに投射線維を送りコネクトすることでグルタミン酸系ニューロンの機能を調節している。従って、モノアミン系に作用する薬剤でも間接的にはグルタミン酸系に関与することができる。実際、抗うつ薬は、シナプス可塑性に影響を与え、間接的な作用ではあろうが、グルタミン酸受容体の機能やグルタミン酸のシナプス前放出を妨げることなどが示されている。さらに、SSRIなどのモノアミン系に作用する抗うつ剤は、うつ病患者は最初のステップでは3割しか寛解状態に達しない。これはグルタミン酸系にはSSRIは間接的にしか関与できていないためであろうと推測されている。

 治療抵抗性うつ病では、このグルタミン酸系の機能不全が改善されていないために治療抵抗性に陥っている訳であり、ケタミンなどの直接グルタミン酸系に作用するような薬剤でないと反応しないことが理解できる。ケタミンの効果が急速なのは、まさに、グルタミン酸系に直接作用しているからである。なお、グルタミン酸系の受容体は多くの種類があり非常に複雑である。今後はグルタミン酸系の受容体において、どのような種類の受容体が主に障害を受けているのかを明らかにしていき、そこにターゲットを絞った新しい抗うつ剤の開発に期待がかかる。

 なお、ケタミンの抗うつ効果に関してはグルタミン酸受容体のブロックによって、 逆にグルタミン酸の急激な放出(グルタミン酸サージ)が起こり、それによってAMPA受容体が活性化されてAMPA受容体の下流の機構によって抗うつ効果を発揮しているのではないかとPMC3645314らの著者は推測しており、グルタミン酸が過剰になっているという仮説とは一見矛盾したような推測がPMC3645314には書かれている。グルタミン酸クリアランスの異常として説明されているのではあるが、このあたりの変化や病態は複雑であり、よく理解できない。まだまだ統一した見解としてはまとまらないように思える。しかし、うつ病においてもグルタミン酸神経伝達系が関与していることには間違いないであろう。

神経画像研究
Neuroimaging studies

 神経系がサポートしている感情処理手続き報酬要求感情調節は大うつ病性障害を理解する上で重要であるが、大うつ病性障害ではその全てが機能不全に陥っている。これらのシステムには、感情と報酬要求処理に関係する皮質下システムを含む(例えば、扁桃体腹側線条体)。 内側前頭前皮質前帯状皮質は感情処理と自動的か無意識の感情調節に関与している。そして、外側前頭前皮質(腹側外側前頭前皮質や背側前頭前皮質)は認知制御や自発的か努力的な感情調節と関連している。これらの感情処理・感情調節システムは、扁桃体、前帯状皮質、内側前頭前皮質を含む前頭前皮質・辺縁系ネットワークとして概念化され、セロトニン神経伝達によって調整されている。一方、報酬に関するネットワークは腹側線条体が中心となり、眼窩前頭皮質や内側前頭前皮質と接続し、ドーパミンによって調節されている(下図)。

うつ病の神経回路













 大うつ病性障害の神経画像研究は、これらの神経系の特定の機能異常の証拠を提供してきた。これらの研究の知見をまとめると、うつ病では、マイナスの感情刺激(恐怖)に関係する扁桃体腹側線状体内側前頭前皮質の活動性が異常に亢進していることが報告されている。一方、プラスの感情刺激や報酬の受領と報酬の予測に関係する刺激では腹側線状体の活動性が逆に減少していることが報告されている。これらの知見は、うつ病ではマイナスの感情を呼び起こすような刺激にばかり注意が向いており、プラスの感情や報酬に関連した刺激からは切り離されてしまっていることを意味している。感情を自発的、無意識に調節している前頭前皮質領域における神経活動を調べる必要がさらにある。これらの機能的な神経画像研究からは、これらの神経系(扁桃体を含む)の主要領域における灰白質の容積の減少を示唆している。さらに、加齢に伴う前帯状皮質の容積の減少、死後脳における前頭前皮質領域における神経細胞とグリア細胞の病理が示唆されている。

 大うつ病性障害における感情と報酬の処理と感情調節のための神経系の異常が、機能の接続性functional connectivity(作用し合う接続性)を調べる神経画像研究からも示されている。例えば、ある研究では、幸せそうな顔の感情ラベルをする際の内側前頭前皮質-扁桃体の間における逆に作用する異常な接続性を大うつ病を持つ個人で報告した。これらの知見は、内側前頭前皮質→扁桃体へのトップダウンの調節の増加を意味し、プラスの感情の刺激に対してはバイアスがかかってしまっていることを示唆している。他の研究はMRIによる白質のDTi画像による全脳の白質の接続性を調べたものである。この研究から得られた知見は、うつ病では前頭前皮質→皮質下白質との間の異常な接続性を示しており、うつ病の感情の調節に影響しているのではと推測されている。

 休息中(=何もしていない時)の脳の活動を検査することで、脳が内省している最中の脳の機能がどのようになっているかの洞察が得られる。そして、検査したところ大うつ病の個人では異常な所見を示した。うつ病におけるデフォルトモードネットワークの機能異常の証拠がある関連ブログ 2013年5月16日。このネットワークは、内側前頭前野の下側(腹側)(vmPFC)などの脳の正中線に位置する領域を含む。このネットワークの前方部分(例えば、vmPFC)は自己参照処理に関与しており、認知すべき情報の提示先が変更されるような認知課題中には非活性化される傾向がある。難しい作業中のvmPFC活動性の正常な減少は感情的な刺激情報の脳内での伝達が障害されていないことを示唆しており、逆に、このvmPFC活動性の非活性化が欠如していることは感情的な刺激情報の脳内での伝達が障害されていることを示唆する。課題に依存しない非アクティブ化の画像所見からは、大うつ病性障害のデフォルトモードネットワークでのvmPFCの異常を示唆している。うつ病での安静状態におけるデフォルトモードネットワークの所見から内側前頭前皮質領域(前帯状皮質やvmPFCを含む)への接続が増加していたことが明らかになった。

 大うつ病性障害の神経画像研究へのメタアナリシスでは、疾患に関係する2つの重要な神経ネットワークシステムを同定した。1つ目は、背外側前頭前皮質と前帯状皮質の背側の領域を中心としたネットワークであるが、認知機能を制御する他の領域も含まれており、休息状態での活動性の低下によって特徴付けられ、治療により活動性は正常に戻った。2つ目のネットワークは、内側前頭前皮質と皮質下の領域を中心としたネットワークであるが、うつ状態では感情刺激対して非常に活発であったが、抗うつ薬による治療にて正常に戻った。このメタアナリシスは、感情処理に関するネットワーク(扁桃体、前頭前野内側部)の活動性の増加感情の調整に関するネットワーク(例えば、背外側前頭前皮質)の活動性の低下という証拠を提示している。

 神経画像研究は、うつ病の帰結を予測する手段となり、抗うつ薬への反応の違いによって神経画像所見は変化する。これらの研究はセロトニン作動性神経伝達が媒介する内側前頭前皮質-辺縁系ネットワークの役割に焦点を当てている。SSRIは、感情によって誘発されるこのネットワーク領域の活動性を調節し、SSRIのへの反応性は、逆に、このネットワークの活動性によって予測できる。皮質下領域と前帯状皮質の間のLFBF(low-frequency BOLD fluctuations)相関もうつ病患者ではSSRIの治療後に増加していた。

 しかし、非セロトニン作動性抗うつ剤の内側前頭前皮質-辺縁系ネットワークへの作用は殆ど知られていない、そして前頭前皮質-辺縁系ネットワークの投薬前の活動性が、非セロトニン作動性抗うつ薬の反応性をも予測するかを検証する必要がある。前帯状皮質と扁桃体との間の機能的な結合性の脱同調という所見はケタミンの抗うつ作用に迅速に反応するかを予測する。一方、内側前頭前皮質の活動性低下や扁桃体の活性化は認知行動療法CBTへの反応性を予測する。深部脳刺激DBSに対する反応性は、前帯状皮質の腹側(subgenual)領域(=ブロードマンの25野)の活動性低下と相関し、DBSは腹側線条体における代謝を増加させた。

研究結果の統合
Integration of measures

 大うつ病性障害の遺伝子、分子生物学、神経システム、行動の間の関連性を同定するために遺伝子、分子生物学、神経画像所見を組み合わせることで、根底にある病態生理学的プロセスの理解や治療への反応性の予測が可能となっていくだろう(図2)。
図2









 神経栄養因子(例えばBDNFやVEGF)の遺伝子の変異、これらの因子の濃度の変化、さらに、気分の調節や行動や認知機能と関連した神経領域の構造と機能の変化、うつ病におけるこの3つの関連性が十分に論文化されている。これらの変異や変化があると、認知機能が障害されていないことを前提とする認知行動療法などの治療に対する反応性を低下させるかもしれない。

 下に列記したレポートでは、HPA軸の機能に関与する遺伝子の変異、炎症性サイトカインの濃度の変化、気分の調整の鍵となる神経領域の機能と構造変化、この3つのうつ病における関連性を強調している。さらに、これらの研究は、神経画像テクニックが診断に適用することが可能であり、双極性うつ病と大うつ病性障害を具体的に区別する上で役に立つ方法が示されている。言い換えれば、これらの方法にて、早期の診断が容易となり、治療の選択肢を知ることが可能となる(図3。↓。鑑別診断への応用例。双極性障害でのうつ病相と単極型うつ病との鑑別を側頭葉下側白質領域の接続性をMRI検査のFA値から数値化することで鑑別できるようになるかもしれない)。神経画像所見と組み合わせた認知機能を調べるためのコンピュータ化技術は、うつ病の個人をケース・バイ・ケースに分類し診断に応用することができるだろう。
(炎症と気分との強い関連が示されている。炎症により膝下前帯状皮質sACCの活性増加と中脳辺縁系への接続性が変化し、うつへの気分の変化が生じる。炎症は気分を容易に変えてしまうのである。うつ病の臨床でも炎症性サイトカインをルーチンで調べる必要性があると言えよう。)
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2885494/
 
(次回に続く)

(側頭葉下側の白質のFA値でうつ病相の鑑別が可能となる) 
図3 

30年前に大きな夢を描いた一人の精神科医

希望としての精神医療表紙





















 今回は、30年前という精神科病院の窓にまだ鉄格子があった時代に、壮大なスケールで精神科医療の夢を描いた1人の精神科医を紹介したい。

 その男の名は宮田国男という。彼は1984(昭和59年)つるい養生邑病院を釧路湿原のそばに開設したのではあったが、病院を開設した1か月後に自殺をしてこの世から去った。命日は本日のブログの日付である(今回のブログは宮田国男氏に捧げるブログである)。もし彼が生きていれば、そして彼の描いた夢が実現していたら、今の日本の精神科医療はきっと大きく変わっていたことだろう。

 私の世代やその前の精神科医ならば彼の名前を憶えている人も多いだろうが、しかし、若い世代の精神科医や一般市民の方々は彼の名を知る人は少ないはずである。しかし、彼の名は忘れ去られようとも、彼の描いた精神科医療の構想や思想に関しては後世に伝えられねばならないものだと私は思っている。

 今の日本の精神科医療は、特に精神科病院では精神科救急が勢力を伸ばし、治療共同体や養生(≒レジリアンス)という概念は無視され、彼が考えた構想とは全く逆の方向に向かってしまっている。急性期だけを重視し、任意入院の促進とは逆行するような形で強制的に入院させて、しかも、たったの1か月だけ診て、100万円以上が病院の懐に入り、病院だけが満足して、はい、さようならとなるのであった。今の日本の精神科医療はマネーが第一優先となってしまっている。実に嘆かわしいことである(
関連ブログ2013年6月24日)。

 彼の構想や思想を知るには、彼が残した遺稿が必要なのではあるが、幸いにも1冊の本がある。本日は、この1冊の本からごく一部分を紹介してこのブログにも残しておきたいと思う(著作権に関わる問題があるため、ごく一部分を紹介するに留める。ブログに一部を引用させてもらいましたという手紙を出しておくことにする)。


希望としての精神医療 宮田国男の記録 つるい養生邑の会編

「養生」と「仁術」の復活

 人間をモノ化する工業化の革延の中で、こころの問題が切実な問題として人々の意識にのぼりつつあります。
 
 人間におのれのからだへの気づきを仲立ちしてくれるものが、苦痛であるように、こころへの気づきを触発してくれるものは人間の苦悩であります。こころの問題が切実な問題として浮び上がってきているのはそれだけ人間の苦悩が極まってきていることの現われでありましょう。

 人間が世界に開かれた存在である以上、生まれた時から苦悩にも曝され続けなければならないのは避けられぬ運命だとしても、こどもたちの苦悩があのような扱いを受けざるを得なかったのは何とも悲惨としか言いようがありません。戸塚ヨットスクールでの出来事は、人間の苦悩に対するこの上もない凌辱であります。私は精神科医として、あのようなこどもたちの苦悩を受けとめかねているだけに言いようもない無念さに歯をくいしぼるのです。

 では私は医師として彼らの苦悩を受けとめる方法もないのかというと、けっしてそうではありません。しかし、ここで医師としてという時、私の前にはひとつの陥葬が待ち受けているのです。近代医学は、人間の苦痛の医療化にほぼ成功しつつあるかに見えますが、それは自然科学の適用として、人間存在を徹底的に対象化し、マルチン・ブーバーがいうところの、我----汝の世界をも、我----その世界で埋めつくしてしまうという方法によってであります。

 精神医学もまた近代医学の申し子としてその体質を受け継ぎ、苦悩をも医療化せんとする姿勢を崩してはいないのです。ロボトミーなどという、戸塚ヨットスクールの方法をもはるかに凌ぐ苛酷な方法を手にしていた世代はまだ現役を去ってはいないのです。

 そこで私は、古い日本の医師が使っていた「養生」と「仁術」という二つのことばを掲げて、私たちの医療の基本としたいのであります。

 辞典によれば「養生」とは、生命を養うこととして、健康の増進をはかることと病気の手当をすることと二つの意味があるといいます。私は、これは健康と病気とは連続的なものであって、ともに生命のあらわれであり、健康を増進することも、病気を癒すこともいずれも生命を養うこと、つまり生活を通してなされるということを意味していると思います。そして、生活とはまざれもなく生命の主体的ないとなみですから、健康の増進であれ、病気の治療であれ、本人の主体的な働きであるということをこのことばはこの上もなく明瞭に表現していると考えるのです(ちなみに、日本の精神医療の中ではいまだに「生活療法」などというひどいことばが使われているのですが、これは人のいのちの営みという手段化しえぬものを手段化し、操作しえぬものを操作しょうということであります。これは、はしなくも近代精神医学の考える医療化がいかなるものであるかを物語っているものではないかと思います。つまり、苦悩の医療化とは、病気を対象化するなかで、人間存在を客体化するということなのです。)

 次に「仁術」の「仁」という字は漢和辞典によれば「人と親しむこと、転じて人をいつくしむこと、一説にふたりの会意」とあります。私は「医は仁術」ということばを「ふたりの人間同志の間で親しみ、いつくしみあう関係として医はなりたつ」という意味で使いたいと考えるのです。

 さてこうして私は近代医学の考える医療化とは違う仕方で「苦悩」を医師として受けとめたいと考えています。近代精神医学の流れの中にも近代医学-身体医学をモデルにしての「精神病学」に固執する立場と, 「精神医学は人間関係学である」(サリバン)として、こころの痛いを人間関係の障害としてとらえ直し、人間関係の変革を通して癒そうとする立場があります。

 世界の中に(ヒト)として誕生した者は、ヒトとヒトとの間で育てあげられ(人間)と呼ばれる存在となるのでありますから、人間のこころもまた人間と人間の間で生まれ、育つものなのであります。人間のこころとは、つまるところ人間関係が内在化されたものということができます。こういう意味から、こころの痛いは人間関係の障害であるというのであります。

 さて、私は人間関係の変革を通してこころの痛いを癒そうとする医師としての営みの中で、治療・生活共同体の建設という構想に行きつきました。

 「治療共同体」(マックスウェル・ジョーンズ)は、精神病院という小世界を、深い人間同志の出会いを可能にする場として、そこでの人間関係を通して人々がこころの痛いを癒し、成長していくことができる共同体として組織していこうとする考えです。私は、さらに病院という枠をこえて、人々が生活することが治療であり、治療することが生活であるような共同体の創造をめざして「治療・生活共同体」建設という構想にいきついたのであります。私たちは昨年、新しい「治療・生活共同体」建設の地を北海道釧路市郊外の鶴居村に定め、名称も(つるい養生邑・つるいようせいむら) として、建設準備にとりかかりました。

 鶴居村は、釧路市の北西に隣接し、釧路湿原の一角をなす酪農の村です。その名の通り丹頂鶴の生息地として有名で、豊かな自然に恵まれています。私たちはこの村の中心にある、南に小川と牧場をこえて釧路湿原を望み、北にはるか雄阿寒岳を仰ぐ約六万坪の丘陵に、小さな病院と社会福祉施設、それに付属して農園と木工場を、さらに造形、テキスタイル、絵画などの工房と音楽、舞踏、演劇などの小劇場を建設していきたいと考えています。

 またこの鶴居村とは別に新しい治療・生活共同体の釧路市における拠点として、この一月、釧路駅前に養生邑診療所を開設しました。この診療所を中核として、他の諸機関、諸グループと提携しながら都市での医療を中心とした文化活動を行なうつもりです。その中で都市と農村の新しい有機的な関係も追求していきたいと考えています。

 私たちの新しい治療・生活共同体の理念は次の五つに要約することができます。

一、病院をはじめとする諸施設、諸組織を、それらを構成するすべての人々の平等な共同社会として建設し、そこで織りなされる人間関係を患者を含めすべての構成員の精神的成長----治癒に最大限に役立たせる。

二、養生を基本とし、豊かな自然と広大な土地を活用して、自然との関わりの中で構成員の自然成長力、治癒力を最大限に引き出させる。

三、心身一如の存在としての人間にふさわしい医療としてこころとからだの医療の統合をめざす。

四、人間と自然環境との共生的原理に基づく新しい適正技術の研究と開発を行なう。

五、地域社会に開かれた共同体として、地域社会の健康、文化の向上に努力する。

私たちはいまこの理念に基づいて<つるい養生邑>建設にとりくんでいます。
(1983年9月「地湧」第1巻第9号掲載)

感想:
 宮田国男の「養生」は、今日のレジリアンスという概念を30年も前に既に具体化したすばらしい概念であったと言えよう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9_(%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6)


「健康管理」人間選別の思想

  今回の日航機事故に関して,機長の異常な行動が原因と推測されるに及んで、乗務員の「健康管理」の問題がクローズアップされている。そして安全管理を名目に「健康管理」強化がマスコミによって叫ばれ始めた。

 私は精神科医として、これはきわめて憂慮すべき傾向だと感じる。航空機の安全運航という錦の御旗をしたてて,専門医による「健康管理」を厳重にせよ等といわれると、もっともだとそのままうのみにしてしまう人も多いのではないだろうか。はたしてそうだろうか。ここで叫ばれている「健康管理」とは一体何だろうか。
 
 そもそも,診断技術や検査が進歩している今日においても、問診のもつ診断的意義は少しも低下してはいない。まして,精神科は,面接を通しての患者及びその周囲の者からの情報を抜きにしては診断の多くはほとんど不可能と言っても過言ではない。このような面接は、医師の診断が患者の利益に役立たれ、その秘密が守られるという信頼の下ではじめて可能となる。得られる情報が容易に労務管理などに利用されるものであるとすれば、このような面接からは正しい情報が得がたいのは理の当然であろう。もし被検者やその周辺からの情報が得がたい状況下でなおかつ、厳重な審査をということになれば、精神鑑定の際の鑑定入院のような措置をとるか、興信所を使ってその身辺を調査させるかしなければならなくなるだろう。

 健康管理とは、本来企業によって行われるような他律的なものであってはならない。企業が個人を管理するための「健康管理」である限り、その強化の行きつくところはこのような、健康管理と似て非なるものであることは必然であろう。

 そもそも、健康管理とは、本質的に個々人による主体的なものでなければならないのである。

 精神科のばあい、「病識」の問題がからむだけに、これは一筋縄ではいかない困難さがある。しかし、原則には変わらないのである。ただここで強調されなければならないのは、この「病識」ー自分の状態を「病気」として認めるか否かーの問題は、精神科疾患に対する社会的偏見と処遇のあり方に大きくかかわっているということである。

 私自身かつてあるパイロットを患者として持った経験がある。彼は精神疾患に陥ってパイロットを降ろされ、さらには航空会社からも退職を余儀なくされた。彼は精神病院に通うかたわら、夜間大学にも通学して努力したが、ついに社会への復帰はなしとげられずに終わった。そして、郷里へ帰った彼が最後に選んだ道は自殺だった。

 彼の自殺は、彼の精神的な弱きをだけ意味するものだろうか。社会的偏見と社会的冷遇を抜きに彼の自殺を考えることはできない。このような社会的な状況が変わらぬ限り、精神疾患を自ら認めるものも少なかろうし、従って社会の利益にも通ずるような形で、個々人による真の意味での精神的健康管理も実現しないだろう。

 私には、片桐機長もまた被害者であると思われる。北海道新聞の二月十四日付記事「日航機長-残酷物語″」によれば「現状では健康管理室に相談できない。会社に悪用されかねない不信感があるし、実際に役に立たない」(三十六歳DC8機長)。このような不信感に満ちた職場の労務管理と人間関係の中で、片桐機長はその悩みを誰にもうちあけることもできず、またその精神的な不健康状態に対して周囲からも何らの積極的な援助の手もさしのべられることがなかったのである。社会は、精神病者が自分たちに危険や被害をもたらさぬ限り、見て見ぬふりをする。そして、いったん彼らが問題を起こすやいなや、彼らを管理せよ、隔離せよと大声を上げる。社会に精神病者がもたらす不利益は、けっして彼らの「管理」や「隔離」によっては防ぐことはできないだろう。

 なぜなら、他者を管理しようという不信の上に立つ人間関係こそが、精神疾患を生みだす原因の1つであり、また、精神病者を「危険」に追いやる条件の1つでもあるからだ。
(一九八二年二月 北海道新聞掲載)

感想:
 嘆かわしいことに、日本医療機能評価機構によって、確固たる管理主義と人間選別の思想が精神科病院にも築き上げられつつあるのであった。本人の意志に係らず、健康管理の名目で食事内容までもがNST委員会によって管理決定されているのである。例えば、ほんのちょっと中性脂肪が高いだけで高脂血症食を食べさせられてしまうのである。これこそまさに宮田国男氏が懸念していた人間選別思想の極みである。検査データのみでどんどん選別されていくのである。食事を変える前に運動する場所や運動器具を提供し、かつ、間食を減らすようにきめ細かい生活指導をすべきなのだが、食事の変更が絶対優先されるのである(大抵、それで終わりとなり運動する訳ではないため、全く効果は上がっていないのではあるが)。なぜ、そうなるのかと言うと、特別食にすれば病院には特別食加算というおいしいオマケが付くという裏があり、経営者のいいなりのNST委員会がどんどん食事を特別食に変えろと要求してくるのであった。運動する場所や運動器具を提供しても何の加算も付かないから、経営者は当然そんなことはしない。ある意味で人間扱いされていないのである。私は患者さんが食べたくないと言ったらNST委員会の言うことは無視して普通食のままにしているのだが(食べたいものくらい自分の意志で決めるべきである)、ひつこく何度もカルテに○○食にすべきではないのかと書いてくるのであった。

 さらに一般市民に対しても国によってメタボ検診なる愚かな制度が導入されて、しかも機械的に判定され(例えば血糖値がたった1を超えていても、腹囲が0.5cm超えていても、B判定となる)、企業にはペナルテイだけが課され、個人には運動時間も運動器具も運動場所も与えられず、あなたは不健康だという烙印だけが押され、いったいなんなのよこの制度は(たぶん個人データだけの強制収集)と思うのであった。まさに健康という名のもとに、人間選別が国によって着々と実行されているのであった。


入院生活の内に社会生活がある医療
 講演

 私は、精神病者にとって社会復帰ということばが必要とされるような事態は、必ずしも精神病そのものから生じたのではなく、歴史的、社会的につくられたものと考えます。その真の原因を探ることを抜きにして社会復帰を叫んだとて少しも現実を変えることはできない。

 スライド1をご覧下さい。これは日本の精神病床がいかに急増したかを示すグラフです。昭和三十年約五万のベッド数が実に現在三十万です。これを進歩とみるか。私は反対です。なぜなら精神病床の数は増え、さらに平均在院期間が五百日を越えている。病院にどんどん患者さんが詰めこまれているとう現実があるのです。(スライド2)

スライド1・2










 
  ここで同じ時期のアメリカの精神病床の変化と対比して、その大きな差異が何によって生まれたのか、ひとつだけ指摘したいと思います。アメリカでは一九五○年代に精神病院がどんどん巨大化しました。ある州立病院は一万二千床、標茶ぐらいの町の人口がスッポリおさまるほどのものです。そして一九五五年、アメリカ全土の州立病院の総ベット数は五十五万九千床にまでふくれあがったのです。
 
 ところが二十一年後の一九七六年には十九万三千床と三分の一に減少しているのです。日本より総人口の多いアメリカで精神病院の入院患者さんは日本より少ないというわけです。この違いはどうして生まれたのかその最大の原因はアメリカの精神衛生法の改正にあったといわなくてはならないでしょう。一九五七年、全米精神病院総会で当時の会長、ソロモン博士は「アメリカの巨大精神病院はもはや修復不能なまで破産している。できるだけ速やかに解体整理すべきだ」と演説しました。

 このような意見を背景にして一九六一年精神衛生法が改正されたのです。その主な内容は、患者さんの権利の拡大と医師、病院の権限の制限の強化にありました。このように欧米で精神病院を減らし、地域のなかで患者さんを治療しょうという方向に進んでいるなかで、日本では逆の傾向をたどっています。規模の点ではなるほど巨大病院はない、しかしその内容で日本の精神病院もアメリカのそれに勝ってはいないのです。にもかかわらず精神病院に手をつけず、ただ中間施設だの地域精神医療が叫ばれているに過ぎなかった。

 六十年代の終りに私どもの世代の精神科医が精神病院の改革にのりだしました。しかし現在、一部で改革が試みられてはいるものの、精神病院の体質は少しも変っていないといえます。私はここに日本の精神医療の最大の問題があると強調したいのです。精神病院の改革を論ぜずして社会復帰を叫ぶことは何の力にもなりえません。

 さて精神医療従事者や精神病者のご家族の方々の精神病者の社会復帰についての一般的な考え方は次のようなものではないでしょうか。「精神病になったら社会から落ちこぼれてしまう。これは仕方がない。病気が良くなっても社会に復帰できないのは問題だ。社会の偏見や仕組みが社会復帰を妨げている」しかし、このような考え方は果して正しいでしょうか。

 病気が治ってしまえば普通の人、これは一見あたりまえのように聞こえます。しかし裏側からみれば、病気が治らない限り普通の人ではない、となります。私はこうした考え方こそが精神病者の社会復帰などということばが必要とされるような事態を生みだしている大きな原因だと思うのです。(入院についての考え方A)

 「病気がなおれば普通の人」という考え方を極端にのばせばこうなります。精神病は社会生活不能、だから強制的に入院させる。病院では隔離と管理、これが日本の現実です。

 入院中は稼ぐことができない。これがイコール社会生活の猶予期間とされてしまって社会生活とは隔離された生活を強いられることになってしまう。だからこそ社会復帰のことばがあえて必要になってくるのです。

考え方





























 
 入院中はなるほど稼ぐことはできないかもしれない。だからといってそれはまるきり社会生活からかけはなれたものではないはずです。ここでは治療が必要なだけです。特別な場合を除いて内科や外科の病気と同じようにことさら社会復帰といわずに「治療」で結構なのです。

 ところで私が批判するその考え方は、実は精神医学そのもののなかにあると考えています。それは精神医学の二つの流れのうち 、クレッペリンに始まる伝統的な精神医学です。彼は当時のヨーロッパ社会の除け者として収容所に隔離されている多くの精神病者を観察、分類することから医学を始めたのです。そしてクレッペリンの精神医学を引き継いだ学者たちの精神病のモデルにされたのは「進行麻痺」という病気であります。梅毒というスピロヘータが患者さんの体内に侵入して脳に異常をきたす、こういう実体をもった病気として精神病のひとつのモデルとしたのです。

 異常は患者さんの内部にありますから,医者社会を代表して確固とした立場から患者を見くだして一方的に治療的な操作を加える。患者さんは実験材料のように、一方的に観察され,薬漬けにされ、場合によっては家畜のように飼い馴らされる。こうことが必ずしも一部とはいえない精神病院の中で起っているというのが事実なのです。このなかで平均在院期間の延長が生じており、長ければ長いほど患者さんは社会から遠ざかる結果になっている。

治療関係













 精神病者は確かに社会生活も困難に近い。しかし良くするために患者さんの意志を尊重しながら入院することは可能です。そして患者さんが自分で治療する。ここには開放的な環境があります。イギリスで全精神病床の八割は開放でして、実際にできないことはないのです。
(入院についての考え方B)

 社会復帰は本来はリハビリテーションのはずです。それを単なる機能回復訓練などと同じように理解するのは狭い見方であり、全人間的復権としてとらえなくてはいけない。これがリハビリテーションの本当の意味だとするなら、まず精神病院における人間復活としてなされるべきでしょう。入院生活が社会生活と等しいようなものへもっていくこと、そういう方向へ精神病院を変革すること、それが社会復帰実現の第一歩であると考えます。そこで私と私の仲間はどうしようというのか、ひとつのモデルを発表したいと思います。

 社会復帰
























 
 ちょっと遠慮して「私の夢」としましたが、私は実行可能な構想だと思っています。治療生活のなかにも社会生活があるという意味で、この「治療共同体」では患者さんと看護者と医者とは対等のつきあいなのです。そのつきあいを変えることによって病気を治しています。ここは地域の人たちも病院にきます。断酒会、患者さんのサークル、精神衛生協会との交流もいいでしょう。本当に人間回復のできるような自然のなか、鶴居村から釧路とのつながりをもってつくっていきたい、そう考えています。
(1982・3・27 討論会「精神障害者の社会復帰を考える」での講演記録)
構想1


























 

感想:
 入院中に稼ぐことができる。すなわち入院しながら仕事に行くことができる。または、病院の中に職場がある。仕事を提供してもらえる。お金を稼ぐことを希望する患者さんにおいては、入院しながら稼ぐことができてこそ社会に戻って生活していく上での大切なリハビリテーションになるものと私も思う。一部はナイトホスピタル(昼の間は職場で働き夜だけ病院に戻る)として現代の精神科医療では実現はしている。しかし、ごくごく一部の極めて少数の精神科病院やクリニックにおいてナイトホスピタルが実施されているだけであり、多くの精神科病院ではこの考え方は全く無視されており、患者さんは職業からは遠ざかる一方なのであった(そんなことをするなら退院せよと言われるのがオチである)。

 実際に、我が国においては、そんな余計なことはしなくていいから、あなたの自己実現なんてどうでもいいから、ただ単に、早く(可能な限り1か月以内で)退院して生活保護を受けながら静かに生活をしていきなさいというのが精神疾患に対する基本的な考え方であるとしか思えないのであった。ナイトホスピタルが必要であると20年以上も前から言われ続けているのではあるが、未だに、ナイトホスピタル病棟は正式に国の医療によって制度化されてはいない。国が制度化さえすれば(=医療保険の対象となる)、いっきにナイトホスピタルが普及していくはずなのだが、なぜ国はナイトホスピタルを制度化しないのであろうか。うつ病においては職場にスムーズに戻っていく上で特にナイトホスピタルが必要である。患者さんの社会復帰に力を入れていますとか、就労支援に力を入れていますと宣伝している精神科病院が増えているのだが、ナイトホスピタルをやらずして何が就労支援なのだ、宣伝だけして格好つけるなよと白々しく思えてしまうのであった。真の社会復帰を果たしていく上で、全ての精神科病院において入院しながら仕事に行けることが当たり前になる時代が来ることを私は切に願っている。
(ナイトホスピタルを行っている医療機関)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4155008.html 
http://utunaosu.com/index/nighthospital.html


 「治療共同体」から「治療・生活共同体」への発展

(途中略)
 ここでお話しするプロジェクトとは、私たちの新しい「治療・生活共同体」の構想でありますが、この構想が緒に就いたばかりの段階で私があえてここで発表致しますのは、私たちが、この構想を今後の精神医療のあり方を模索する一つの運動として展開したいからに外なりません。(途中略)

 私が経験した治療共同体の総括を四点程度述べ、あわせて私の新しい構想との関連をお示ししたいと思います。
(スライド1 治療共同体から治療生活共同体へ)
生活共同体











 第一点はそこでの「治療共同体」の「共同体」としての虚構性であります。さまざまなミーティングが組織され、コンセンサスをめざす集団過程は存したものの、この集団過程が共同体の現実の運営に関与できる範囲はきわめて限定されたものとしてあり、共同体の現実的決定機構は一般の企業と変わらない集権的なものとしてあったということです。これは元来、病院が一つの企業体である限り免れぬ限界ともいえそうですが、私たちはへ現実には私的企業体として出発しながらも、その中核に生活共同体としての集団形成を意識的に追求し、私的企業としての限界をのりこえていきたいと考えています。
 
 第二点は、私がかつて経験した治療共同体における日常的、自然発生的集団過程の限界性であります。

 そこでは、種々の構成員によるさまざまな機能をもつ集団過程が数多く組織されていましたがへその集団過程は、日常性、自然発生性の限界をこえて徹底することは稀で、それらがグループ、スーパービジョンや社会学習の場として充分活用されなかったうらみがあります。それは医師を含めスタッフの精神療法的自己修練が不充分で、集団力動をきちんと踏まえた上での意識的な集団精神療法的体験がスタッフの中に蓄積されていかなかったためであると思います。

 私は日常的、自然発生的生活過程における社会学習と平行して、意識的系統的にエンカウンターグループとか交流分析、あるいはフォーカシング、内観療法などを導入して、患者の治療とあわせてスタッフの精神療法的自己修練の場を積極的につくっていきたいと考えています。

 第三点は、作業療法、レクリエーション療法などの治療的集団活動の限界性であります。生産活動や芸術活動を治療の場に導入する際、作業療法とか、芸術療法とかいう形でのある程度の技術化は避け得ぬとしても、現在精神病院で一般に行なわれているこれらの療法はあまりにソフティケートされて生産活動や芸術活動の本来備えている治療能力をきわめて減弱させてしまっています。

 私たちは病院内に箱庭的作業療法、芸術療法を導入するのではなく、治療と多彩な生産、芸術、文化活動との統合を目ざして、病院の周辺にさまざまな生産活動、芸術活動の場を創造していくことが包括的な意味での環境療法であると考えています。

 第四点は地域社会における精神病院としての限界性であります。地域に開かれた病院としていくつかの地域活動を行なってはいましたが、意識的に自らを根拠地として地域精神衛生活動を組織していく方法論は持ってはおりませんでした。

 マックスウェル・ジョーンズは、きわめて象徴的に「治療共同体をこえて」と題した論文の中で、治療共同体は、地域社会を精神医学的に望ましい方向へ改造していくためのモデルであり、根拠地であると位置づけています。

 私は、治療共同体の理念の真の革新性はそれが精神病院として出発しながら、自ら精神病院の限界をこえていこうとする論理を持っていることにあると考えています。

 私たちは、新しい治療・生活共同体〔つるい養生邑〕を地域社会の保健、文化センターとして機能
させていきたいと考えています。
(スライド2)
生活共同体2





















 治療共同体から治療・生活共同体へ、構想の発展をシューマにしたものがこのスライドです。

 上の治療共同体ではスタッフの生活拠点が外部にあること、下の治療・生活共同体では内部にあることにご注目下さい。さらに治療・生活共同体が二重の構造を持っていること、すなわち病院を細胞の核とすれば、細胞質たるさまざまな機能集団がこれを包んで一個の有機体をなしているということをご理解下さい。中心に近づくに従い治療的色彩が濃くなり、周辺にいくに従い生活的色彩か濃くなるという訳ですが、生活共同体全体が治療的になるに従い病院の横託は縮小し、一方共同体の外周は拡大していくというのが私たちの理想です。
 
 さて、私たちは地域社会に開かれた共同体として、社会的学習の場を地域の中に生みだすことを通じて、地域社会の変革を促進するような運動を展開していきたいと考えています。またこのような運動を通じて引きだされる地域住民の能動性を再び自分達の共同体に包摂していくことに上って自己の変革、成長の糧にしたいと考えています。私たちは、このような方法の一つとしてエンカウンターグループに代表されるワークシップに注目しています。私たちが【つるい兼生邑〕建設の第1歩を、新しい治療・生活共同体へ向けてのワークショップから始めたのは以上の趣旨からであります。

 私たちは、職域、地域の枠をこえていろいろな人たちに呼びかけ昭和五十七年五月二日から三日間、鶴居村での第一回のワークショップを開催しました。参加者は合計四十七名、精神医療関係者はもとより建築設計家、ランドスケープ・デザイナー、彫刻家、舞踏家、映画作家、大学教師、中国研究家、経営コンサルタント、酪農家など多彩な職種の人々が参加、地元の自治体からも釧路保便所の予防課長、保健婦、釧路市健康管理課長、鶴居村助役、新興課長、住民課長などが参加しました。ワークシショップは形式にとらわれず、主にフリー・ディスカッションを行ないましたが間に太極拳や舞踏のレッスン、映画上映なども折り込みました。ワークショップの討論は必ずしも直接建築設計に具体化しうるようなものではありませんでしたが、基本構想を内容的に大きく発展させる可能性を開きました。
(スライド3 構想の発展)
構想2





















 それは要約すれば、さまざまな社会機能を包摂した病院としてのつるい養生「園」から、病院を核としてさまざまな社会機能をもった集団が統合されていくつるい養生「邑」への発展であります。

 これを可能ならしめたのは、前述したような多彩な人々が寝食を共にして精神医療をテーマに交流しあったことを通じて得られた開かれた関係性であります。建設予定地の鶴居村ともこのワークショップを契機に関係がより深まりより拡大しつつあります。私たちは、精神医療の開放化の本質はこのような開かれた関係性の拡大にあると考えて、つるい養生邑建設の過程の中でさらにさまざまな形でこの課題を追求していくつもりであります。

 つるい養生邑建設の現況としては、この一月二十日養生邑診療所を釧路駅前に開設、治療と地域活動を開始し、病院の方はこの夏に着工、明春オープンの予定であります。

 さて、昨日のシンポジウム「精神医療の根本問題と今後の課題」において、鋭く指摘されましたように、今まさに日本の精神医療は国家による上からの再編の危機に立たされています。しかしこの背景には日本の精神科医が、三十二万床にまでふくれ上がった病床とその地域偏在に対して、何ら有効な対処をしてこなかったという事実もあります。

 学会で「精神医療供給のあり方」などということが論題に上がったのは初めてではないでしょうか。
私たちのこの「つるい養生邑」建設のプロジエクトは、昨日の「精神医療供給のあり方について」の朝日先生の提起に対する、きわめて実践的なモデルとしても自負できるものだと思います。
(スライド4 つるい養生邑の構想)
構想3











 ちなみに、釧路管内の人口は約二八万、これに対して精神科ベッド数は四七五床、人口万対比約一七であります。公立病院は、私が三年間勤務した市立病院へ七〇床だけです。

 この閉鎖七〇床の市立釧路総合病院精神神経科も現在新築中の建物では閉鎖三〇、開放七〇床の開放的な精神病院へ生まれ変わります。市立病院では部長の川村幸次郎先生を中心に次の課題としてデイケアセンターの設立へ向けとりくもうとしてます。私たちは、この市立病院のデイケアセンター設立運動とも提携しながら、釧路管内の地域精神医療のネットワークづ-りの市民運動として、私たちのプロジェクトを位置づけています。お配りしました資料をごらんになればおわかりになっていただけると思いますが、私たちは、精神医療関係者だけでなく様々な人たちをまきこんだ市民運動として今とりくんでいます。地方自治体もきわめて協力的であります。精神病院の偏在という問題はもっとはっきりいえば精神科医偏在の問題であります。

 釧路地方でこれだけの医療ニーズがありながらベッドが増えないのは要するに医師が来たがらぬということにつきます。

 この席であえて若い精神科医諸君に心から私たちの運動への参加を呼びかけさせていただく次第です。

感想:
 宮田国男は患者さんの社会における自己実現をも構想に描いていたのである。この壮大なる構想は残念ながら実現しなかったが、理想に燃えた次の若い世代の精神科医達によって22世紀において実現される日が来ることを私は夢見ている。


私たちはどんな病院をつくりたいか

一 養生こそ基本である。
(一)  患者が主人公である(単に「患者のため」でなく、「患者の」「患者による」病院をめざす)。
(二) 患者を生活者として見る(療養生活は人生のモラトリアムではない)。
(三) 養生とは生活の変革である。そのために
 自然との関わりを大切にする(農作業などの重視)。
 身体とのつきあい方を学ぶ(ヨーガ、太極拳、野口体操など)。
 感情の表現を大切にする(美術、工芸、音楽、演劇など)。
 人間関係を変革する(精神分析、内観などの精神療法、TAゲシュタルト療法、心理劇など)自然環境に融和した生活空間をつくりだす。

二 環境療法とはより良い人間的環境を生みだすことであり,職員はそのために働く。

三 専門分化した医療の枠組をのりこえて、新しい総合医療をめざす。

四 地域社会に開かれ、地域社会と有機的な結びつきをもった病院をめざす(保健センター、文化センターの役割を担う)。

五 新たな文明の創造へむけて、ひとつのパイロットファームとして次の目標を揚げる。
(一) 新たな共同体の創造
(二) 人間と自然環境との共生的原理に基づく自然との関わり方を追求する。


新しい治療共同体の理念
 
一、癒すことが生活であり、また生活そのものが癒しである。
 「病む」とはどういうことか. 「病むこと」も生きることの1つの表現である。

 ネガティブ(消極的、否定的)な面と共にポジティブ(積極的、肯定的)な面もあわせ持つ。現代の支配的な医療は、この否定的な面しかとりあげてこなかった。この工業化社会は、病院をもまた工場としてしまった。病をたんなる「故障」「欠陥」とだけ見なして、病院を人間の修理工場と化してしまった。

 私たちは、病むことの消極面ばかりでなく積極面にも注目する。病むことによって人は、停滞すると同時に、飛躍への足がかりをつかむ。病はまた、後退であると同時に前進への契機ともなる。また、私たちと病を結ぶ線は非連続ではない。完全なる病気も完全なる健康もない。私たちも、また病んでいるといわねばならない。

 私たちの病は、私たちにへ今の生活を再検討することを迫っている。私たちに新たな質の生活を創りださなければならないことを教えている。新たな質の生活を創りだすことが、すなわち私たち自身の治療なのだ。そして、これはそのまま病者の治療にも通じている、ここにおいて、治療は予防とひとつになる。かつて、精神科医療に「生活療法」ということばがあった。しかし、それは病者がそこからはじき出されてきた抑圧的日常性を、すなわち「生活」として、それを「治療」の名の下で、再び権力的に病者に押しつけることに過ぎなかった。

 また、「社会復帰」ということばもあった。それは病院が社会ではないことを意味していた。それで入院生活を社会生活に近づける努力もなされた。しかし、そこでも社会生活そのものが病んでいることは不問に付されていた。

 私たちはまた、病を個体のうちにだけ見ない。病んでいるのは病者なのだろうか。家族もまた病んでおり、社会もまた病んでいる。「家族療法」ということばがあり 「地域医療」ということばもある。これもまた、おかしなことばである。なぜなら、家族のあり方を規定する構造には手をつけずにその構成員の相互作用のみを問題にしているからである。地域社会についても同様である。私たちは、そ
の相互作用ばかりではなく、その構造、制度をも問題とする。

 私たちの新しい治療共同体は、新しい家族関係、新しい地域社会のあり方を模索する実験室となろう。生活とは何か。それは対自然のかかわりであり、対人間のかかわりである。それは消費であると同時に生産である。それはまた、労働であると同時に遊びである。私たちは、新しい農業、新しい工芸と芸術、新しい家族の創出を生活と呼ぶ。 私たちの治療は、それらすべてを包括するものとしてある。

二、癒す者と癒される者は、相互に癒し、癒される関係としてある。
 私たちは、癒すということで平等の志を持つ。共同体を構成する全ての人が、全て治療者である。

 私は、相手を癒すことによって、おのれをも癒す。逆もまたしかりである。そこには、一方交通の働きかけはない。そこにあるものは,相互研鑽あり、問答であり,感情転移とその解釈である。

 何によって癒すのか。

 それは,私たちの関係性の変革によってである。私たちは、私たちの人間関係それ自体を批判の対象とする。私たちは、そこにおける構造と、相互作用を変革することによって癒すのである。

三、 こころとからだはひとつのものである。
 私たちは,デカルト以来の心身二元論を脱却し、専門分科した近代医学の止揚をはかり、新たな「総合医療」をめざす。

四、人生は繰り返しであるという洞察の上に治療は依拠する。
 人は生き直すことによって生き抜く。病といわれるものは、また生き直すことの困難性にもある。

 治療とは、過去を現在において生き直すことを可能ならしめる契機を提供するものである。そのために,現在を過去と隔てている障壁が、慎重な配慮のもとに取り払われなければならない。その精神医学的原型は、フロイトの寝椅子にある。そこでは、まず分析者が、その日常の現実の制約から自由になることによって、全的に被分析者にかかわり、過去を現在のうちに蘇らせるのである。新しい治療共同体は、フロイトがその面接室の中で現出せしめた分析状況をさらに広い人間的時空において現出せしめんとする試みである。

 フロイトは、治療契約という外被によって、この時間と空間とを保障したが、私たちの治療共同体は、新たな外被を構築してそれを保障する。さしあたり、私たちの共同体は、二重の構造を有する。いわば純粋の治療的部門ともいうべき「快楽原則」が支配する内部を、 「現実原則」が支配するとはいえ、資本主義的経済原則から相対的に自由な生産部門をもつ人間集団がとりまき、抑圧的外部に対する外被の役を担うことになろう(大山八三郎氏らが創りつつある共同体などが、この外被の一部を成してくれることを期待できるかもしれない)。

 私たちの治療共同体は、地域社会に開かれたものでなければならないが、前述の「純粋な治療部門」は、直接、抑圧的外部社会にさらされる訳ではない。治療上の「時間的障壁」を取り除くために「空間的障壁」がつくられ、利用されるのである。

 しかし、この構造はもちろん力動的なものであって固定的なものではない。

感想:
 まさに人生そのものが左右されてしまうのが精神疾患である。精神疾患を発症したことで、その人が人生においてどれだけの制約を受け、どれだけのチャンスが奪われたのかは、その人でしか計り知りえないことである。 そのことを我々精神科医は常に忘れず臨床に臨まねばならないであろう。


精神病院変革の基本理念

1 いまなぜ精神病院か?

 1955年から1980年のこの四半世紀のうちに、わが国の精神病院は二六〇から九七七へと三倍に増え、精神病床数では、四万四二五〇床から三十万八五五四床へと実に七倍に増加している。精神病床数からいえば、いまやわが国は人口万対比二十六・四床と国際的に見てもトップクラスに位置するまでに至っている(ちなみにカナダで15.5、アメリカ10.5、イングランド18.4、ドイツ連邦10.0である) 。この数字が、わが国の精神医療の入院中心主義を象徴するものであることは、すでに多くの人から指摘され、この入院中心医療から地域精神医療への転換が叫ばれるようになってから久しい。

 このような状況の中で、なぜまた1つの精神病院をつくろうとするのか、私たちの問題意識を述べることから始めたい。さて、入院中心医療から地域精神医療への転換をめざして、従来から多くの試みがなされてきた。

 精神病院や精神診療所でのデイケアを含む外来診療の充実化、精神衛生センターでのデイケア・ホステルや就労援助、保健所での精神衛生相談や訪問活動、家族会や一部の民間団体で行なっている授産所活動や通勤寮などの中間施設、また患者自身によるソーシャルクラブ、相互援助活動など。

 これらの地域精神医療への努力は、いずれもわが国の今後あるべき精神医学を摸索する貴重な試みとして評価されるものの、いまだわが国の精神医療全体から見れば九牛の一毛に過ぎず、残念ながらわが国の精神医療を大きく規定している精神病院を変革するインパクトとはなり得ていない。私たちは、前述した試みと平行して、精神病院そのものを俎上にあげ、その根本的変革をめざさぬ限り、わが国に地域精神医療を根づかせることはできないと考える。

 私たちの治療・生活共同体建設へ向かう、新しい理念と方法に立脚した精神病院の創造は精神病院を変革する一つの実験計画である。

2 「社会学的モデル」への脱却
 私たちは、精神病院の基本を次の諸点に置いている。

 その第一は、今日のわが国の精神病院をその根底で囚縛している、方法としての「医学的モデル」からの脱却である。この方法は、単純化のそしりを恐れずに言えば、病気を患者内部にある実体としての異常の現象として把え、治療はこの内部の異常に外部から医学的操作を加えることであるとするのである。

 図は私が精神医学の二つの流れを単純化して図表にしたものである。(表1)
精神医学の2つの流れ







 
 この上欄の「伝統的精神医学」の流れが「医学的モデル」の範晴にあることは明らかであろう。下欄の「力動的精神医学」の流れにしてもフロイトの時点では、理論的に「医学的モデル」の束縛から免れていた訳ではないが、精神分析は方法的に「医学的モデル」から脱却するものを持っていたと言える。

 ここで私たちがとくに強調したいことは二点ある。すなわちその一は、この「医学的モデル」では、医学的操作によって対象化される患者は、客体の立場におとしめられて、その主体性を奪われてしまうことである(ここに現代医学全般における人間疎外とその表現としての一般市民の医療専門家への全的依存の原因があり、これがまた医療費の底なしの増加を生みだす源の一つとなっているのだ)。

 その二は、ここで病気はその社会的文脈が剥ぎとられ、患者はその環境との生きた相互関係から切-離された存在と見なされてしまうことである。そもそも精神医療において、「治療」の外に「社会復帰」なる概念が必要とされ「治療」しかるのち「社会復帰」という二段階的発想が生まれるのは、この「医学的モデル」に囚縛されていることの結果でしかないのである。

 この「医学的モデル」からの脱却は容易なこととは思われないが、私たちはこれからの脱却の道を「社会学的モデル」の中に求めている。これは病気を環境と個体との相互関係の中で、個体の反応として把えて、治療はこの個体を含めた状況に働きかけて、患者としての個体と環境との関係の調整を図ろうとするというものである、ここでの治療は「社会療法」とか「環境療法」とかいうことばで概念化されている。この治療は「家庭療法」のように患者個人が直接の治療対象にならない場合すらあるのである。

 さて、この「社会療法」「環境療法」の精神病院における実践こそ、「治療共同体」といわれるものである。「治療共同体」はイギリスで第二次大戟後起こった精神病院改革の実践であるが、これは従来治療が行なわれるたんなる物理的空間、あるいは背景としか見なされてこなかった精神病院を、治療が行なわれる「場」として重要視し、その社会機構を治療的に再編成するとともに、そこで従来かえりみられることのなかった集団過程を、意識的に治療過程として活用していくというものである。そこでは先ず従来の精神病院でリーダーシップが集中していた社会構造を、水平的、平等主義的社会構造に変えることによって、自由で開放的な相互コミュニケーションを保障し、それを通して患者の社会的学習と人間的成長を促すのである。「治療共同体」では、患者を含めすべての構成員が治療的因子であり、そこでの日常的生活過程のすべてが治療的契機となる。私たちは、ここで医療における患者の主体として復活と、その生活過程ー環境との相互作用の意義が強調されなければならないと思う。私たちは、それを「養生」ということばで包括的に表現しているのである。

3 精神医療の社会化
 さて、変革の基本の第二は、精神病院の変革は、精神医療の枠内にとどまっていては不可能だということである。精神病院は、福祉、教育、文化芸術、産業など他の領域と有機的な関係をつくりあげてゆかなくてはならない。従来、精神病院はさまざまな他の領域のものを「医療化」してその内部にとり込んできた。いわく「作業療法」、いわく 「絵画療法」、いわく 「音楽療法」、いわく・・・。

 これらの「療法化」は、精神病院の閉鎖性-他の領域との生き生きした有機的な関係が断たれていることの表現である。これは「生活療法」なる奇妙な概念がいまだわが国の精神医療界を大手を振ってまかり通っていることを見ても明らかであろう。「生活療法」なるものの実体は何か?それは医療の名の下に、精神病院における入院生活を規制し、入院における患者の生活過程を制限してきたが故に、そこに社会生活を導入することが、治療的に作用するというだけのことなのである。入院患者から医療の名の下に奪ってきた「生活」を、今度は再び医療の名の下に与えようというに過ぎない。この関係は逆転させなければならない。「生活療法」ではなく、「治療的生活」こそがめざされなければならない。さまざまな生活-社会過程の「療法化」ではなく、精神医療の「社会化」がめざされなければならない。

 精神医療の「社会化」は二重の意味を持っている。精神医療が社会に開かれ、他の領域の生き生きとした有機的関係をつくりあげた時、精神医療の経験は、社会に、他の領域により有効にフィードバックされるだろう。精神医療も変革されると同時に、社会のさまざまな領域に精神医療の経験と方法が普遍化されていくだろう。現代社会の共同性喪失の過程の中で、今ほど人間関係学の実践としての精神医療が社会から期待されている時代はかつてなかったといえるのである。

4  精神病院と地域社会
 精神病院変革の基本の第三は、第二とも重なりあうが、精神病院が地域社会との間に開かれた関係を築いていくことである。従来から精神病院の開放化は声高に叫ばれてきたが、地域社会との関係ではどうしても一方交通に傾きがちであった。つまり精神病院開放化の要求を地域社会につきつめてみても、地域社会からのニードはたんに社会防衛的な否定的なものしか見えず、その中にある積極的なものを開拓しょうとする姿勢に乏しかったのである。地域社会の中に防衛的なものを感ずれば感ずるだけ精神病院の方も防衛的になっていたといえるのではないだろうか。

 勿論、精神病院が地域社会の精神病院への積極的なニードを開拓しつつ開放化をおし進めるということは容易なことではない。この場合、私たちは精神医療に限定されないさまざまな地域社会の社会的・文化的ニードにも注目していく柔軟性を持つべきである。しかし、何といっても精神医療のもつ「社会療法」「環境療法」としての有効性を地域社会に拡大していくことに精神病院は力を注がなくてはならない。

 精神疾患を生みだし、疎外してきたものは他ならぬ家族と地域社会である。「社会療法」「環境療法」として精神疾患を癒してゆく方法は、同時に家族と地域社会を、それを構成する各人にとってもより健康的なものへと変革するものを内包しているのである。三十二万という入院患者数が象徴するような精神科患者の社会からの疎外をもたらした背景には、わが国の歴史上かつて見られなかった社会構造の急激な変化と、家族および地域社会における共同性の喪失がある。「競争 原理の支配する管理社会」とか、「家族なき家族」とか呼ばれている状況は、次々に新たな精神衛生上の問題を惹起している。青少年の非行や暴力の増加、老年期の精神疾患の増加等々。もとよりこれらの諸問題が精神医療のみによって解決される訳もないが、だからといって、精神病院が、これらの問題に手をこまねいて、ただ問題が持ち込まれるのを受動的に待っているだけでよいことにはならないだろう。精神病院の開放化とは、ただ社会へ向けてその扉を開くだけで果たせることではなく、その開かれた扉から社会へ撃って出る方法論を獲得することでもあるのである。

 マックスウェル・ジョーンズは、きわめて象徴的に「治療共同体をこえて」と題した論文の中で、治療共同体は地域社会を精神医学的に望ましい方向へ改造していくためのモデルであり、根拠地であると位置づけている。

 治療共同体における「社会療法」では、患者の治療とスタッフの訓練は重なりあう。共に生活しつつ学ぶ状況の中で、集団における開放的な相互交流を通して、退行や崩壊の危険を意味する「危機」を、同時に学習と成長への好機として治療的に活用しつつ、自己洞察を深め、問題解決の新しい展開をはかる「社会的学習」こそ、治療共同体に壌ける「社会療法」の本質である。これは、患者の治療を促進すると同時にスタッフの人間的成長を促すものである。このことは、専門家、非専門家を問わず、地域精神衛生に関わる地域社会のキーパーソンを治療共同体に関与させることによって、彼らの治療能力を高め、彼らを通して地域社会の治療的活性化を図ることが可能であることを意味している。

 また、治療共同体は、その開かれた地域社会との相互関係の中で、地域のさまざまな社会資源の有機的関係をつよめ、その相互の補完機能をたかめてゆくことも可能である。さらに、治療共同体は、その社会療法の本質的部分をなす集団精神療法を、エンカウンター・グループ、フォーカシング・グループ等の形で、共同体の内外で行い、それに地域住民を積極的に参加させることによって社会療法を地域に拡大してゆくこともできるだろう。

 かくして、治療共同体としての精神病院は、地域精神医療の根拠地たりうるのである。

 さて、精神病院の基本理念を述べるだけでは与えられた枚数が尽きてしまった。この理念に基づく、私たちの治療。生活共同体「つるい養生邑」建設の構想と、過程については、次の機会が与えられれば、そこで展開したいと考えている。

(終わり)


皆さんは、どう感じたであろうか。30年前に、こんな壮大な精神科医療の構想を描いていた男がいたのである。この壮大なスケールの精神科医療の構想がいつの日か後世の精神科医達の手によって実現することを夢見ながら終わりとしたい。

宮田国男

 

テロメアと精神疾患と老化(その2 テロメアの短縮防止との関連

(テロメアによるDNAの立体構造の安定。4重構造。http://en.wikipedia.org/wiki/DNA)
テロメア4重構造

















今回はテロメアの短縮を防止してくれるような事象について述べる。

 前回のブログで述べたように、不健康なライフスタイルとテロメアの短縮が関連付けられており、その逆である健康的なライフスタイルはテロメアの短縮が防止されるように思える。この観点から、運動習慣、食事(食物繊維を多く取る、地中海式ダイエット)、瞑想、などの健康的だと思われるライフスタイルを心掛けて生活している被験者のテロメアの長さについて多くの調査がなされた。その調査結果から、健康的なライフスタイルがテロメアの短縮を防止することが明らかとなった。
(ライフスタイルとテロメアの長さとの関連。スライド形式の資料。この資料は院内教育に活用できるだろう。)

まず、食事の内容が大きく関係する。

 地中海式ダイエットMediterranean diet (MD)は高齢者のテロメアの短縮を予防することが示されている。イタリア南部のカンパニア州での調査ではあるが、食生活を地中海ダイエットスコアMDShttp://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa025039#t=articleTopを用いて評価し、テロメアの長さとの関連がないかを調べた。MDSのスコアが高い者は、ヒト末梢血単核細胞(PBMC)のテロメラーゼ活性が高く、テロメアの長さが保たれていただけでなく、IL-6、TNF-αなどの炎症性バイオマーカーも低値であった。地中海式ダイエットは世界で最も健康的な食事パターンの1つであると著者らは結論付けている。

 野菜を多く食べることもテロメアの短縮を防いでくれるようだ。逆に飽和脂肪saturated fatを多く含む食品の消費はテロメアの短縮が促進されるようである(バターや動物性脂肪などを多く食べないことが鍵である)。

 抗酸化物質が含まれる食品(ビタミンE、ビタミンC、β-カロチンなど)を多く食べることもテロメアの短縮を防止してくれる。すなわち、野菜や果物を多く食べることが重要なのである。さらに、食事の量そのもを減らすこともテロメアの短縮を防いでくれるようだ。断食が脳の老化を防ぐことが示されている。逆に大食いは老化を促進することになろう。たまに大食いをするのは問題はないのであろうが、常に大食いするのは問題であろう。TV番組で大食いを売りにしているようなタレント(ギャル曽根、石塚英彦、安田サーカスのヒロ、等)のテロメアがどうなっているかを調べると面白い結果が出るのかもしれない。石塚英彦は実は大食いではなく、グルメ番組では2・3口食べて「まいう」と言って終わりにしているらしく、大食いを避けているらしいのだが。
(断食はSIRTを介して脳の老化を防ぐ)

 なお、上で示した論文では、このように結論付けられている。

 テロメアは年齢と共に短くなり、進行性のテロメアの短縮は老化やアポトーシスを招く。短いテロメアはゲノムの不安定性や発癌に関係している。短いテロメアを持つ高齢者は、心臓(3倍)や感染症(8倍)で死亡するリスクが増加する。それ故、テロメアの短縮を防止することは、老化を防止し健康を保つ上で重要である。喫煙、大気汚染への曝露、身体活動の少なさ、肥満、ストレス、不健康な食事は、酸化ストレスを増加させ、テロメアを短縮する。健康的でアクティブな生活スタイル、食事を減らし体型を維持することは(肥満でないこと)テロメアの長さを維持し老化や癌の危険性を減らしてくれる。食事に含まれる抗酸化物質、繊維、大豆タンパク、健康的な脂肪(アボカド、魚、ナッツ由来の脂肪) を摂取して、定期的に運動し瞑想をすることで、ストレスフリーな生活を心がけるのが良い。マグロ、サケ、ニシン、サバ、オヒョウ、アンチョビ、ナマズ、ハタ、ヒラメ、亜麻の種子、チーア種子、ごまの種子、キウイ、ブラックラズベリー、コケモモ、緑茶、ブロッコリー、もやし、赤ブドウ、トマト、オリーブの実、他のビタミンCやEが豊富な食品は、抗酸化物質の良い摂取源となる。地中海型食事に含まれる果物や全粒穀物もテロメアを保護するのに役立つことだろう。
(テロメアの長さは風邪などの感染症の罹り易さを予測する。高齢者ほどインフルエンザに罹患し易いのは加齢によるテロメアの短縮が関与しているのだろうか。)
(地中海式ダイエット。血がしたたるようなお肉は1か月に1回です。卵も週に1・2回。トホホ。)
地中海式ダイエット
















 なお、日本人の平均寿命からは、和食もテロメアの短縮を十分に防いでくれる食事パターンのように思えるが、和食がテロメアの短縮を防止するか等の調査はまだなされてはいないようである。

 一方、既に多くの論文で示されているように、運動の効果は特に絶大のようである。運動の種類の中でも、持久力や耐久力を鍛えるような運動がテロメアの短縮予防効果が最も大きいようである。驚異的なデータとして、1日に40kmも走るトレーニングをしているアスリートのテロメアは16年も若いというデータがある(テロメアが11%長かった)。

 さすがに、これ程までの持久力を鍛えるようなトレーニングを毎日できる人は稀であろう。しかし、通常の有酸素運動でもテロメア短縮予防効果は示されており、有酸素運動(特に持久力を増すようなタイプの有酸素運動)を習慣付けることは老化を防ぐ効果が大いに期待できる。ウォーキングは20~30分間はしないと有酸素運動にはならないと言われている。1時間程度のウォーキングを習慣付けたいものである。仕事で忙しくてそんなことをしている時間の余裕もない人が多いとは思うが、出勤帰宅時や仕事中での移動は努めて歩くように意識しておくといいのかもしれない(私はなるべくエレベータやエスカレータは使わずに階段を使うように心掛けている)。

 なお、テロメアは教育の度合と関連しているようであり、教育歴が高い人ほどテロメアの短縮が防止されているようだ。教育を受けている人ほどライフスタイルに気を付けて不健康にならないように注意していると思われ、幼少時期から適切に教育を受けたことがライフスタイルへの関心の度合いとしてテロメアの長さにポジティブに反映しているのであろう。日本人が長生きなのははるか昔の時代から教育を重視していた結果かもしれない。

 さらに休日をどのように過ごすのかもテロメアの長さに関連している。休暇をアクティブに過ごす人ほどテロメアの短縮が防げることが示されている。疲れ果てて休日を自宅でぐったりと横になって過ごしている人は危険かもしれない。たとえ高額な給与が貰えても、そんな職場とは早くさよならした方がいいのかも。

 一方、社会的経済的な地位とテロメアの長さは関係するようなデータもあるが、社会的経済的な地位とは関係しないという結果も出ている。社会的経済的な地位を手にした人達の中には、越後屋のように人を騙したり裏切ったりの悪意や敵意の果てに成り上がり地位を手にした方も結構多いのではなかろうか。逆にテロメアが短かったとういう結果が出てもおかしくないくらいである。

 前回のブログでも述べたように配偶者がいることもテロメアを短縮を防止してくれるようだ。台湾でのデータではあるが、65~74歳の高齢者では配偶者がいた方がテロメアが長ったようだ。死別の場合はやむを得ないであろうが、熟年離婚はまさにお互いのテロメアを一気に縮めるような愚かな行為なのだと自覚しなければならない。つれ合いがいてこそ長生きができるのである。冷めた高齢の夫婦も多いだろうが、これまで連れ添ってくれた事に感謝し合いながら、配偶者への愛の心を無くすことなく、これからも一日でも長く夫婦を続けていければ長生きが保障されることであろう。

テロメアの短縮を防いでくれる物質

 何度もこのブログで登場したω3脂肪酸は、当然のごとくテロメアの短縮を防いでくれることが既に示されている。肉食が多い家庭ではω3脂肪酸のサプリメントが役に立つことであろう。
http://www.wellnessresources.com/health/articles/omega_3_oils_slow_aging_by_preserving_telomeres/

 高脂血症の治療に使用されるスタチンもテロメアの短縮を防いでくれることが示されている(関連ブログ2013年5月22日)。

 他にも、テロメアの短縮を防いでくれる想定されている物質としては、ビタミンB12、葉酸、亜鉛、マグネシウム、ビタミンD、ビタミンC、ビタミンE、ビタミンK2、アスタキサンチン、ユビキノール(コエンザイムQ10)、発酵食品/プロバイオティクス納豆もこれに含まれる)、ポリフェノール(ブドウ、カカオ、緑茶)、クルクミン(ウコン)などがある。

 さらに、このブログで既に触れたように、メラトニンの抗酸化作用や抗炎症作用はDNAの損傷を防ぎテロメアの短縮を防止することができるだろうと考えられている。メラトニンの分泌が著しく減る中年期以降ではテロメアの短縮を予防する上でメラトニンの補充が効果を発揮するかもしれない。なお、メラトニンは概日リズム遺伝子を介してSIRTファミリーに関与することでもテロメアの短縮を防止しているのではと推測されている。
(SIRTに関する詳しいレビュー。↓)

 筋肉をつけるサプリメントとしてもっぱら使用されているのではあるが、ホエイプロテインも抗酸化作用があるグルタチオンのレベルを上げてテロメアの短縮を防止するかもしれないと考えられている。

(意外にテロメアにも効くのか?)
ホエイプロテイン








さらに、ポジティブな心理状態もテロメアの短縮を防いでくれることが分かっている。

瞑想の効果

 女性でのデータではあるが、慈愛瞑想loving-kindness meditation (LKM)の効果を報告した論文がある。慈愛瞑想は、利他主義、優しさ、暖かさなどに焦点を当てた愛の心を高める仏教の瞑想であるが、この慈愛瞑想がテロメアの短縮を防止したという結果が得られている。愛の心を持つことは自分自身のテロメアをも愛で包み込み守ってくれるのだろうか。異性への恋愛でも効果があるのかが興味をそそられる。もし、そうであれば、年を取ってからも異性や恋愛に興味を無くさずに心を時めかせながら生きる人ほど老化が防げるのかもしれない。年甲斐もなく恋愛ドラマに熱を上げ若い男性タレントを追っかけしているようなおばちゃま達は長生きをするのかもしれない。男ならば、AKB48といった若いピチピチギャルが好きな亀仙人のような助平爺いも長生きをするのかもしれない(私も助平なおっさんですから長生きができるのかも^^;)
http://sciencealerts.com/stories/2275697/LovingKindness_Meditation_Practice_Associated_with_Longer_Telomeres_in_Women.html

 慈愛瞑想や慈悲瞑想compassion meditation (CM)は、無条件の優しさと思いやりに満ちた肯定的な感情を向上させることを目的とするのだが、他者を思いやる心は、痛み、怒り、敵意などの心理的苦痛(ストレス)を軽減してくれる。ボランティア活動は慈愛瞑想や慈悲瞑想を実践したような行為である。この心理的な効果がテロメアの短縮を防いでくれるようだ。東京を2回目のオリンピック開催に導いてくれた滝川クリステルが世界に向けて発信した日本人の「おもてなし」の心は、慈愛瞑想そのものを実践した行為であり、日本人を長寿にしてくれているのは「おもてなし」の心のなのであろうか。「おもてなし」の心がテロメアの短縮を防止し日本人を長寿に導いてくれているのかもしれない。

 慈愛瞑想以外の瞑想の効果も報告されている。マインドフル瞑想も効果があり、認知的なストレスcognitive stressと覚醒によるストレスstress arousalを軽減することでテロメアの短縮を防ぐと考えられている。

 さらに、テロメアの長さと関連するテロメラーゼ活性は慢性的な心理的苦痛と連動する。瞑想をすることでマイナスな感情(=心理的苦痛)を軽減させることは、テロメラーゼ活性の低下を防ぎテロメアの短縮を防止するのであろう。瞑想によって心を満たし心理的な苦痛から自分自身を解放することがテロメアの短縮を防ぐ鍵となろう。

 他にも、認知症の家族を介護している成人(男女とも)の瞑想(キルタンクリヤ、http://www.alzheimersprevention.org/research/12-minute-memory-exercise)の効果が報告されている。キルタンクリヤ瞑想はリラクゼーションよりもテロメラーゼ活性を回復する効果が高かった。瞑想は介護ストレスを軽減することにも役立つと言える。

生物学的な因子もテロメアの長さに関連している。

男と女の違い

 もともと女性は男性よりもテロメアが短くなるスピードが遅く、長寿が保障されているのであった。女性は男性よりも10歳以上も長生きをすることができる。それは男と女のテロメアの長さの違いに秘密が隠されていたのかもしれない。不公平な話のようにも思えるのだが。
(T^T)。

親からの影響

 高齢の父親の子供はテロメアが長い。逆の結果になるようにも思えるのだが、意外にも高齢の父から生まれた子供の方が出生時のテロメアが長いことが示されている。これは高齢の父ほど精子のテロメラーゼ活性が高く、精子のテロメアも若い者よりは長いようであり、父からの影響が想定されている。このことから人類の進化は男性主導によってなされるのだろうと論文では述べられている。精子バンクにはノーベル賞を受賞したような優秀な業績を残した学者の精子も登録されているのだが(ノーベル賞受賞者専用の精子バンク「レポジトリー・フォー・ジャーミナル・チョイス」)、そういった精子は高齢者のものばかりだと思われる。私は高齢者の登録はノーベル賞を取った人物であれ意味がないのではとこれまでは思っていたが、高齢者の精子の方がテロメアの長い長寿の子孫ができるのであれば、精子バンクに高齢者でも登録する意味はあるのかもしれないと考え直した次第である。

(しかし、65歳以上もの高齢の父からの子供は必ずしも長寿は保障されてはおらず、精神疾患などが増えるというデータもあることを付け加えておく。興味がある方は各自で調べて頂きたい)
http://blogs.discovermagazine.com/crux/2012/08/02/older-dads-give-good-telomeres-but-longevity-not-so-much/#.UjhW79K9UjZ

以上、テロメアの短縮を防いでくれるような事象について述べてみた。

 心が俗世間的な私利私欲に束縛されずに自由に生きることがテロメアの長さを保つ鍵なのであろうか。理想の生き方であるが、まさにこういった心の在り方がテロメアの長さと関連しているようにも思える。ブッダは俗世間的なものへの束縛から自身を解放し、解脱し、悟りを開いたのではあるが、その結果、あらゆるストレスから解放され、当時としては驚異的な80歳まで生きて入滅できたのではなかろうか。

慈悲瞑想


テロメアと精神疾患と老化(その1 短いテロメアとの関連)

テロメア0










 今回はテロメアについての話である。

  2009年度のノーベル医学生理学賞テロメアを研究した3人の学者の授与された。今、多くの疾患や老化や寿命との関連においてテロメアが注目されてきている。

 ウィキペディアなどによれば、テロメアは真核生物の染色体の末端部にある構造であり(DNA配列は「TTAGGG」のタンデムリピートであることが分かっている)、テロメアはゲノムの損傷を保護するために存在し直鎖状染色体DNA末端をキャッピングしているDNA-タンパク質複合体である。テロメアは、染色体末端を保護する役目を持ち、細胞分裂における染色体の正常な分配に必要とされる。テロメアの伸長はテロメラーゼと呼ばれる酵素によって行われる。従って、この酵素がない細胞では、細胞分裂のたびにテロメアが短くなっていく。さらに、テロメラーゼは人の体細胞では発現していないか、弱い活性しかもたない(唯一の例外は精子を作る精巣であり、テロメラーゼの活性が十分に保たれている)。人では細胞が分裂するたびにテロメアの末端から30~200塩基対(bp)が失われていく。そのため、テロメアの長さは、出生時には8,000bpであるが、高齢になると1500bpまで短くなってしまう(染色体全体の長さは約1億5000万bp)。テロメアが一定の長さより短くなると不可逆的に増殖を止め、細胞老化と呼ばれる状態になる。テロメアの短縮による細胞の老化が、個体の老化の原因となることが示唆されている。なお、体細胞を取り出して培養すると、テロメアの短縮が起こる。そのため、クローン羊ではテロメアが短かったことが報告されている(→クローン生物は短命に終わる)。
テロメア1テロメア2




































 すなわち、テロメアの短さは老化を反映しており、暦年齢ではなく生物学的年齢として、残りの寿命を予想するマーカーとなり得るものだと言えよう。
(鳥類では短いテロメアは1年以内の死を意味する)
(鳥類ではテロメアの長さによって残りの寿命が予測できる)

  なお、テロメアの短縮がどのように細胞の老化につながるかの分子メカニズムとしては、ミトコンドリアの酸化ストレスなどが関係していることが分かってきている。すなわち、p53の活性化を介して、p53がPPARγコアクチベーターであるPGC1αとPGC1β遺伝子のプロモーター領域に結合し、PGC1AとPGC1Bの発現が抑制され、その結果、PGCネットワークが阻害され、ミトコンドリアの機能不全(ATPの産生が減少など)を来たし、活性酸素種(ROS)が増加し、酸化ストレスへの防御ができなくなり、アポトーシスに導びかれてしまうといった経路が明らかになってきている(下図)。他のメカニズムも絡んでいるのだろうが、テロメアの短縮はとにかく酸化ストレスと強く関連しているようだ。詳細は以下のレビューを参考して頂きたい。
テロメア3









 
 一方、精神医学の領域でもテロメアの長さが調べられており、精神疾患、心理状態、ストレスになどに影響されてテロメアが短くなっていることが分かってきている。私がなぜテロメアに注目しているのかというと、テロメアの長さは精神疾患を評価する上でのバイオマーカーになる可能性があるからである。精神科領域では良いバイオマーカーが殆どない。糖尿病におけるHbA1cのように、特に、酸化ストレスが関与しているような精神疾患では酸化ストレスの病態(程度や持続の有無など)を反映するバイオマーカーになり得るかもしれないと思っている。テロメアの長さを調べる際に用いるPCR用のプライマーは既に確立している。後は、健常者の年齢に応じた基準値が統一して定まれば実際の臨床に導入することができよう。なお、喫煙者ではテロメアが短くなっており、喫煙者が多い精神疾患の患者では喫煙の影響を常に考慮しておく必要がある。
(テロメアの長さは慢性的な酸化ストレスや炎症のバイオマーカーとなりうる。)
  
 今回は、テロメアが短くなっていると報告されている精神疾患、心理状態、ライフスタイル、などについて解説を試みたい。どのように生活していくかによってテロメアの長さは左右され、短くもなるし長くもなろう。あなたの心の在り方によって残りの寿命は決まるのかもしれない。
 
うつ病

 まず、テロメアが短縮する精神疾患としては「うつ病」がよく知られている。「うつ病」では慢性的なストレスへの累積曝露に関連して、時間の経過とともに白血球のテロメアが短くなる。テロメアが短くなる生物学的な背景にはDNAの損傷という「うつ病」の病態を反映する炎症や酸化ストレスが関連していると推測されている(炎症や酸化ストレスはDNAに損傷を与える)。コルチゾールの高さやHPA軸の機能不全もテロメラーゼ活性を阻害するようだ。人ではテロメアの長さが変化するには数ヵ月~数年を要する。「うつ病」では「うつ病」を発症する相当前から酸化ストレスという現象が既に始まっているのであろうか。
 
 さらに、「うつ状態」が長く続けばそれだけ老化が促進されてしまう可能性が高くなる。この表(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3649747/table/tab1/)は「大うつ病」におけるテロメアの短縮を調べた研究の所見をまとめたものであるが、テロメアの短縮度合から「うつ病」では2年~10年分の老化が促進されているという結果が得られている(うつ病の異質性や罹患期間などが老化の度合のばらつきに関連しているのだろうが)。また、テロメア短縮の度合いと「うつ症状の強さ」との相関が示されている。
慢性うつ病はテロメアの短縮も含めて脳の老化のモデルになるかもしれない。↓)
 
 では、抗うつ剤によって「うつ病」が改善すれば短くなったテロメアの長さは元に戻るのであろうか。抗うつ剤などの治療によって「うつ症状」が改善してもテロメアの長さは元には戻らないという論文もあるが(酸化ストレスを除去しない限りテロメアは回復しないのかもしれないが)、

 一方で、抗うつ剤によってテロメラーゼ活性が回復したというデータも当然ある(セルトラリンなどで示されており、抗うつ剤によるテロメラーゼ活性の回復が治療への反応の予測因子になるかもしれない。↓)。なお、未治療のうつ病では海馬の萎縮とテロメラーゼ活性の低下との関連が示されており、「うつ病」が遷延すればアルツハイマー病に通常よりも早く移行していく懸念がある
 
 なお、「うつ病」とテロメアの短縮との関連を否定する研究結果もあることを付け加えておく。

認知症

 当然、加齢という老化現象が関連する代表的な疾患である認知症とテロメアの短さとの関連性が指摘されている。アルツハイマー病だけでなく、脳血管性認知症レビー小体型認知症でもテロメアの短縮という現象が見い出されている。テロメアが短い人は認知症への移行を心配せねばならないと言えるだろう(テロメアの短さと海馬容積の減少が相関しており、そういった現象も関連しているのだろう)。認知症の場合もフリーラジカルなどによる酸化ストレスによるDNAの損傷が関係していると想定されており、抗酸化剤やビタミンCやビタミンEがテロメアの短縮を防止してくれる可能性がある。加齢によるメラトニンの分泌低下もテロメアの短縮と関係があるようである(関連ブログ2013年9月16日)。中年期以降ではメラトニンの内服がテロメアの短縮を防止し認知症になることを防いでくれるのかもしれない。
(出版されたばかりの論文。長いPDF文書ではあるが、メラトニンの抗酸化作用とテロメアについてが44~45ページ付近に述べられている。↓)

 これとは逆に短いテロメアはアルツハイマー病とは関連付けられていないという研究報告もある。認知症も異質性が高い疾患であり、まだ統一した見解は得られないのかもしれない。

PTSDや不安障害などのストレス関連疾患

 PTSD、不安障害、高所恐怖症、DV、虐待、脅威などの心理的なストレスに関連する精神疾患でもテロメアが短くなることが示されている。PTSDでは5年分ほどテロメアの長さが短縮するようだ。そして、PTSDでのテロメアの短縮はうつ状態の有無とは関係がないことが分かっている。暴力などの虐待を受けた子供もテロメアの短縮が見い出されている。子供ですらテロメアが短くなって命を縮めてしまうのである。さらに、単なる心理的なストレスでもテロメアが短くなっていき、老化を早めてしまうことになる。例えば、高齢者や家族への介護によるストレスでもテロメアが短くなることが示されている。認知症の親の介護をしていてストレスを強く感じている方々は、親への介護はほどほどにして早く施設に入ってもらう方が、自身の老化を防ぐためにはその方がいいのかもしれない。認知症になった親の面倒を看ている間に自分も早く老化して早く認知症になっていくのでは意味がない。テロメアが短くなるメカニズムとしては、うつ病と同様に、PTSDなどのストレス関連障害でもHypocortisolism(=HPA軸の機能不全)や酸化ストレス、炎症などがテロメアの短縮に関係しているものと推測されている。

統合失調症

 統合失調症でもテロメアの短縮が報告されている。さらに、抗精神病薬がまだ投与されていないnaiveなケースでもテロメアの短縮が見い出されている。この所見は、統合失調症と統合失調症との関連性の高さが指摘されている身体疾患(糖尿病などの代謝性障害、心血管障害)との共通する病態メカニズム(酸化ストレスなど)が絡んでいるのではと推測されている。

 しかし、最近、これまでとは全く逆の結果を報告する論文が出ている。統合失調症では白血球のテロメアが長いケースがあり、それは、海馬容積の減少と相関していたというのである。フリーアクセスの論文ではなく本文を見れないので、どのように考察をしているのかは分からないのではあるが、海馬における細胞分裂の履歴の少なさ(=それだけ海馬での神経新生が少ないのか)や抗精神病薬の影響なども関係しているのかもしれない。同様の所見がAPOEε4アレルを持つ非認知症の被験者でも得られており、免疫系の現象が関与しているのではと推測されている。テロメアは短過ぎてもダメだし、長過ぎてもダメなのかもしれない(年齢相応よりも少し長めくらいがちょうど良いのかも)。
(女性では長すぎる白血球のテロメアは乳癌に関連している)

双極性障害

 双極性障害でもテロメアは調べられており、特にうつ病相を呈する場合はうつ病相の間にテロメアが短くなっていくようだ。
 
 しかし、最近、リチウムが投与されている双極性障害BPDにおいて、リチウムに反応するケースほどテロメアが長いことが報告されており、リチウムがテロメアの短縮に対して保護的な効果を発揮しているのではと推測されている。なお、テロメアが長いケースほどBPDのエピソードの回数が少なかったらしく、躁や軽躁のエピソードとテロメアの長さの変化は関連してはいないらしい。このリチウムのテロメアへの保護作用のメカニズムは、リチウムがβ-カテニンをリン酸化するGSK-3βを阻害することによってβ-カテニンの変性を防ぎ、テロメラーゼの触媒サブユニットであるhTERTの転写を抑制しているリプレッサーT細胞因子4(TCF4)をβ-カテニンが除去することでテロメラーゼ活性の低下を防いでいるのではと考えられている。リチウムに反応する双極性障害のケース(リチウムレスポンダー)での維持療法は、ジプレキサやエビリファイなどの抗精神病薬ではなく、リチウムが好ましいことがテロメアへの所見からも裏付けられたと言えよう。

 向精神薬全般とテロメアの関連を調べた論文もある。フィンランドの調査では精神疾患で向精神薬を使用している者ほどテロメアが長い傾向があったと報告されている。向精神薬によってテロメアの短縮が防止されているのだろうか。向精神薬を一色単に扱っている調査であるから何とも言えないのではあるが、ある種の向精神薬は酸化ストレスを緩和するため、そういった作用が関係しているのかもしれない。

仕事と関連したテロメアの短縮も報告されている。

 仕事による疲労の蓄積はテロメアの短縮を早めてしまう。フィンランドの調査ではあるが、仕事での消耗が激しい場合ほどテロメアの短縮と相関していることが見い出され、仕事での消耗が激しいと老化の速度を加速させてしまうと結論付けられている。老化を防ぐには休暇をしっかりと取るべきであろう。従業員に休憩時間や休暇をろくに与えないようなブラック企業には勤めるべきではない。ワタミでの過労死が大きな社会問題になったが、過労死した従業員の日記によれば、残業ばかりで夜も殆ど眠れず、仕事中の休憩時間も全くなかったようだ。しかし、会社として反省しているような声明はワタミからは一切なく、マスコミはもっとワタミを追及すべきであった。ワタミの社長は目立ちたがり屋で、東京都知事選に民主党推薦で立候補したかと思うと、今回は自民党に鞍替して参議院議員になったのだが、ころころと政党を変えるようなポリシーも何もない自己顕示でしかない行動のように思えた。今でも、自ら休憩時間を短縮して働くのがワタミの精神(社訓)のすばらしさだなどと社員にブログで書かせたりしている。最低の社訓じゃないか。そんな社訓は自慢にもならないぞ。健康を保つための休息や休憩の必要性を重視している医学の立場から言えば、あの人物は実にけしからん人物である。社員の寿命を縮めているだけはないか。私はとんでもない悪いやつだと思っている。

 さらに、夜勤やシフト勤務もテロメアを短くしていくことが報告されている(引用した論文は女性看護師のデータである)。背景には、夜勤やシフト勤務によって生じた睡眠障害や概日リズムの乱れが関連しており、メラトニンの分泌障害による酸化ストレスへの抵抗の低下の関与などが考えられている。夜勤やシフト勤務は、まさに命を削りながら勤務をしていることになる。既に長年夜の仕事をしており生活のリズムが確立しているような場合は除くが、老化を防ぐにはシフト勤務や夜勤は努めて避ける方が良いであろう。特に、壮年期以降はシフト勤務は絶対にやめるべきである。

 一方、公務員の男性でのデータであるが、睡眠不足でもテロメアは早く短くなっていくようであり、睡眠不足でのテロメアの短縮はうつ症状とは関連がなかった。特に5時間以下しか睡眠を取っていない場合はテロメアが6%も短くなるようである。老化を防ぐには最低でも6時間は睡眠を取った方が良いのだろう。なお、睡眠不足によるテロメアの短縮でも酸化ストレスが関与していると推測されている。睡眠時間を削ってまで残業しても老化が早くなるだけである。残業代を貰うよりも、睡眠時間を貰った方がいいのである。

女性でも、睡眠不足や睡眠の質の低下はテロメアの短縮を招くという報告がある。

 なお、紹介した2つの論文では眠剤の使用の有無は一切述べらておらず、テロメアの短縮を防ぐためには眠剤を使ってでも眠った方がいいのかは不明である。

テロメアの長さは心理状態にも左右される

 睡眠不足の際の男性公務員への調査と同じ被験者から得られたデータではあるが、テロメアの長さは心理状態にも左右されるようである。この調査では、他者への敵意(敵対心)hostilityや疑念suspiciousや不信感mistrustfulを抱く者ほどテロメアが短いことが示された。敵意を持ちながら腹黒く態度に出さないことはテロメアがもっと短くなるように私には思える。越後屋は長生きはできないのである。そうでないとおかしな世の中になる。これは自然の摂理として正しい現象だと思える。なお、この調査ではテロメラーゼ活性は逆に敵意を抱く者ほど高かった。これはテロメアが短くなったことへの代償的な反応ではないかと推測されている。テロメアが短くなるメカニズムとしては、敵対心と炎症やコルチゾールとの関連が想定されている。
 
 女性でのデータではあるが、悲観的な女性はテロメアが短くなることが示されている(男性も同様だろう)。悲観的に考える女性は白血球のテロメアが短くなるだけでなく、血中のインターロイキン6の値も高く、テロメアが短い白血球ほど前炎症サイトカインを多く放出するため、免疫系の老化を示す所見と考えられている。逆に、楽観的な女性はテロメアやインターロイキン6との関連性は示されなかった。くよくよと悲観的に否定的に物事を考えるマイナス思考の人は老化が早くなるのである。マイナス思考は「うつ病」における認知行動療法のターゲットでもあり(認知行動療法はひとことで言えばマイナス思考を修正する心理療法である)、悲観は心理だけでなく分子生物学的にも「うつ病」と共通するメカニズムが働いているのであろう。

 配偶者がいないこと(未婚、配偶者との離別、死別を含む)もテロメアを早く短くしてしまうようだ。40~64歳の成人の調査結果であるが、配偶者がいない場合は配偶者がいるケースよりもテロメアが短縮していた。論文では、一見すると配偶者がいる方が健康的なライフスタイルとなり易いことが関係してように思えるが、ライフスタイルを絡めた分析ではそういった要素は関係はないことが判明し、1人暮らしの孤独、社会的な孤立といった心理的な要因が関連し、孤独や社会的な孤立は酸化ストレスを強めてしまうのではと推測されている。老化を防ぐには独身でいるよりも早く家庭を持った方がいいと言える。

さらに、テロメアはライフスタイルにも影響されて短縮していくことが知られている。

 テロメアを短くしてしまうライフスタイルとしては、喫煙運動不足過体重(=大きいBMI)、アルコール、バターやチーズなどに多く含まれる短鎖~中鎖飽和脂肪酸SMSFAsの摂取量(閉経後の女性のデータ)、リノール酸の過剰摂取、ヘロインなどの薬物の乱用などが示されている。ひとことで言えば、常識で考えても分かるような不健康な生活習慣がテロメアを短縮させるのである。なお、妊娠中の母体が喫煙すると生まれてくる子のテロメアは短くなることが分かっている。妊娠中の喫煙は子供の寿命を縮めてしまうことになるのであった。

 最後に、感染症に罹患してもテロメアが短くなることが示されている(サイトメガロウイルスなど)。感染症に罹れば罹るほどストレスが蓄積していきテロメアは短くなっていくのかもしれない。感染症を防ぐことは老化を防ぐことにもなるのであろう(逆に、EBウイルスのようにテロメラーゼ活性がアップレギュレートする感染症もあるのだが、白血病などの血液やリンパ系の発癌につながるメカニズムなのかもしれない)。


 以上、テロメアが短くなる(=老化が早まる、寿命が縮まる)ことと関連付けられている事象について述べた。

 では、逆に、リチウムの内服のようにテロメアが短くなることを防いでくれることと関連しているような事象はないのであろうか・・・。

(次回に続く)
 
テロメアの短縮は最終的に発癌にもつながる(;゜Д゜)
テロメアの短縮と発癌1テロメアと発癌2

インセル博士のブログより。長期維持療法は統合失調症の予後の改善には役立ってはいない(その2 Discontinuation Paradox)

D2high-low













(前回の続きである)

統合失調症への抗精神病薬の長期投与が回復を促進すると言えるのだろうか?
「Does Long-term treatment of Schizophrenia With Antipsychotic Medications Facilitate Recovery?」
 抗精神病薬による薬物療法は統合失調症の短期的、かつ、長期的な治療の基礎として思われている。 しかしながら、10年以上の抗精神病薬の長期投与の根拠に関しては複雑である。16~10ヶ月目に未投薬となった統合失調症の患者の多くが再発するが、(長期的な観点からは)逆説的な帰結となる可能性があることを我々は提示したい。

はじめに
Introduction

 多くの短期間(1~2年)の研究における肯定的な結果が、長期間における抗精神病薬の継続使用が現行の治療の基準となっている。米国精神医学会(APA)のガイドラインでは、1年間以上兆候がない統合失調症患者の抗精神病薬の投与を中止するように検討することを臨床医に提案している。にも係らず、継続的で安定した薬物療法が無期限に不可欠であると仮定し、多くの臨床医が統合失調症の患者への抗精神病薬の投薬を維持することにしている(しかし、その根拠は実際にはないのである)。さらに、抗精神病薬は、統合失調症の長期経過に大きな効果があり回復を著明に促進すると、世界精神医学会World Psychiatric Associationの包括的レビューにも記載されているのであった(まだ維持療法を支持する意見が大半を占めているのが現状かと思う)。

 抗精神病薬薬の継続使用は統合失調症に対する治療の鍵として行われているが、長期投与の有益性に関するエビデンスは非常に少ない。逆を(有益性はないと)示唆するような長期観察結果もある。

治療の利点:治療における3つの異なる時期
Therapeutic Benefits: 3 Different Phases of Treatment

 3つの異なる病相時期に分けて統合失調症の治療を検討する必要がある。1つ目の時期は、急性期であり、激しい精神症状があり、入院となったケースに認められるような時期である。2つ目の時期は急性期の後の2~3年の時期である。 3つ目の時期は、第2期が過ぎた以降の時期である。そして、最初の2つの期間しか系統的に調査されていないのであった。

 最初の1~2年の時期の研究が何度も行われたが、抗精神病薬とプラセーボとの比較による研究(二重盲検試験)であり、肯定的な結果が得られ、抗精神病薬の長期投与の根拠とも見なるようになった。しかし、それらの研究結果は以下の理由から不完全なものだと言える。

  (a) これらの研究は全ての統合失調症のステージや病態や病相を対象とした研究にはなっていない。これらの研究に該当する患者は20%~40%の統合失調症の患者にしか該当しない。 (b) 研究者はしばしば「寛解」を重視する。しかし、多くの患者は軽度~中等度の精神症状が残存しているが、それは「寛解状態にある in remission」と見なすこともできる。 (c) 短期間と長期間における抗精神病薬のエビデンスは服薬中止研究(discontinuation studies)に基づくが、服薬中止研究には複雑な問題が絡んでいる。

抗精神病薬の長期投与と服薬中止のパラドックス
Long-Term Treatment With Antipsychotic Medications and the Discontinuation Paradox

 楽観的に抗精神病薬が長期に使用される根拠は短期の服薬中止研究に基づいている。我々は、この短期の服薬中止研究には大きなパラドックスが潜んでいると強調したい。しかも長期使用後の服薬中断では驚くべきパラドックスが提示されている。なぜならば、 (a)服薬中止後の最初の6~10ヶ月後に25~50%の患者が再発をした。 (b) これとは対照的に、この最初の6~10ヶ月の時期に再発せずに安定していた患者では以後の再発率は低いものであった。 (c) さらに、抗精神病薬を長期間服薬していなかった患者では、未投薬のままで維持された場合(a)のような25~50%という再発率を示さない。といった事象が分かっているからである。

 VigueraとBaldessariniらの離脱研究によって、初期の高い再発率は以下のように表現される。脆弱な患者が長期間抗精神病薬で治療された場合、もし、未投薬となれば再発する機会を逆に増やしてしまうだろう。言い換えれば、抗精神病薬が長期間投与された後に未投薬となった場合は、通常の疾患の経過よりも一時的に再発の危険性が増すこと意味する。断薬後の再発率の増加は最初の数ヵ月間に凝縮され、それ以後の断薬のトライアルは再発によって中止されることになる。あるいは、Gilbertらが述べたように、再発のリスクは直線では示されず、治療が停止された時に逆にリスクが強くなると言えよう。

 服薬中止後の高い再発率関しては以下のように説明できるかもしれない。 (a) 抗精神病薬はドーパミン受容体をブロックすることで臨床効果を発揮する。 (b) しかし、投薬開始後の最初の6~10ヶ月間に抗精神病薬によって新たな精神病がもたらされているのかもしれない。すなわち、最初の6~10ヶ月間の断薬による再発の増加は、それ以前の抗精神病薬の継続使用によってもたらされた生物学的な病態かもしれない。こういった患者と抗精神病薬の相互作用の背景には、患者が有する脆弱性という病理が絡んでいると思われる。服薬中断という効果には、服薬によって生じたドーパミン受容体の感受性亢進 supersensitive dopamine receptorsという現象を含んでいるはずである。あるいは、ドーパミン受容体の増加、言い換えれば、ドーパミン受容体感受性亢進精神病であると言えよう。これらはSeemanらのドーパミン遮断実験の動物モデルから示唆されている(関連ブログ2013年2月19日)。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17360921
(上記のSeeman博士らの論文のフルテキストPDF。↓)
psychosis-D2high












 綿密に計画された動物モデルの研究によって、抗精神病薬の治療効果を台無しにしてしまうような抗精神病薬を投与中に生じる感受性亢進という現象への突破口が開けるかもしれない。ドーパミン受容体の抵抗を強めるような未知の遺伝子やエピジェネティックな経路が存在しているのかもしれない。服薬を中止していくことが重要であると同時に、正確な展望を無視してしまうことは、全ての統合失調症の患者ではないが、ある種の患者にとっては大きな問題となろう。どのようなタイプの患者が抗精神病薬の断薬効果に脆弱であるかを同定することが重要になる。脆弱性のメカニズムは服薬中止のパラドックスを説明できるものを含むでのあろうが、まだメカニズムは未解明なままである。

 統合失調症患者が投薬・未投薬の条件下でどこまでうまくやっていけるかの試験が必要なのではあるが、非常に長期(10年以上)にわたると標準化された二重盲検試験は不可能である。Leuchtが二重盲検試験について述べたように、「プラセーボとの比較でも、3年後になると抗精神病薬の効果は不明なままである」。投薬と未投薬にマッチさせた他の研究デザインが必要である。服薬中止の効果とその後の再発を検証するために3つのサンプルにマッチさせて比較した1つの研究がある。 (a) 1つ目のサンプルは、最初の1~2年間抗精神病薬から離脱(中止)しなかった統合失調症の患者。 (b) 2つ目のサンプルは、最初の1~2年間で徐々に減薬していった患者。 (c) 3つ目のサンプルは、最初の1~2年間で1年以上未投薬だった患者(=服薬中止効果の影響が避けられた患者)。この研究デザインは、服薬中止によるパラドックスや、抗精神病薬の長期投与の効力について光をあてる研究となろう。

長期縦断的研究のエビデンス
Evidence From Longitudinal Studies

 アメリカ合衆国、カナダ、他の国々で行われた長期間の縦断的な研究結果からは、抗精神病薬の長期投与に関する楽観的な予測に関して疑問が生じてきている。こういった長期間の縦断的な研究がなされる前に、既にLeuchtやDavisらは抗精神病薬の長期投与における効力に疑問を投げかけていたし、彼らは「メタ回帰分析からは、時間と伴に抗精神病薬の効果は失われていくようだ」と述べた。統合失調症患者では、特に長期では、より少ない、あるいは、未投薬の方が良い帰結とより良い回復を示すことを他の縦断的研究が示唆することであろう。

 15年や20年間という長期間にわたり抗精神病薬の投与を受けていた統合失調症患者への我々の研究(シカゴフォローアップスタディ)では、かなりの精神病理学的症状と回復期間の乏しさを認めた。さらに、投薬が続けられた精神症状が低いレベルの患者では(殆どの患者が長期にわたって投与されていたが)、精神症状は頻回に、しかし、強くはなく、中等度の程度であり、常にある種の機能障害を伴って悪化していたことを認めた。

 他の研究結果でも同じような結果が示された。さらに、短期間の治療でも完全な回復はなかった(=投薬は長期過ぎても短期過ぎても駄目なのであろう)。それに加えて、未治療で何年も過ごした統合失調症患者の縦断的な研究結果では、抗精神病薬を投与され続けた患者よりも帰結が非常に良いことが示された。何年もの間、治療から撤退し良好な帰結を示していた多くの患者は、良い予後の患者であり、早期から予後良好を予測する重要な因子を有していた。しかし、長く投薬を受けたが良好な帰結を示さなかったケースで元々は良い予後因子を有していた患者からは、早期の予後予測因子は1つの重要な因子かもしれないが、それでだけで長期的な帰結が決まる訳ではないと言える。回復や寛解や安定した長期経過に関しては、症状が持続する患者群から、症状がなく安定した経過をたどる患者とを区別していくことが非常に重要となると言えよう(初発時に予後良好な因子を持っていても、抗精神病薬の長期投与に晒されると予後が悪くなってしまうのかもしれない。初発時に予後良好な因子を有するケースでは、抗精神病薬の長期投与は努めて避けねばならないと言えるのであろう)。
(上の論文のフルテキストPDF。↓)

 注: 予後良好な因子とは、初発の時点で、就労した経験がある(社会適応度が良かった)。発症年齢が早くない。既婚者である。家族歴がない。急性発症のパターンで発病した。などが想定されている。私の経験からは、予後の良好さを一番予測する因子は、ある程度症状が軽減した時点で病識(病感)を持てたかが重要な因子だと思える。これは学歴とは関係がないように思える。中卒の患者さんでも病識を持ち統合失調症を克服した経過をたどった方もいるし、大学院卒の高学歴でも病識が持てずに崩れていってしまった方もいた。一番重要なことは、病識を持ち、幻覚なのだと自身の精神症状を認識でき、幻覚(幻聴)を無視できるかであり、幻覚(幻聴)が多少残存していても就労している患者さんも多く知っている。

 それに対して、逆のパターンは予後不良の予測因子となる。特に20歳以前の発病で若年で発症すればするほど予後が芳しくないことが私の経験上の印象である。中学時代や高校時代に発病したいわゆる破瓜型の統合失調症は残念ではあるが予後が悪いと言わざるを得ない。精神科医になってから30年弱、何とかしたいと思い続けてきたが(今でも)、何度も破瓜型には打ちのめされてきた。病識の獲得が困難な上に、20歳以降に発病したケースよりも認知機能障害がより重度に思えるからである。インセル博士によれば統合失調症は脳の発達障害であり、発病前から脳の発達障害のプロセスが始まっているらしいのではあるが、発病後はさらにそういった病態(髄鞘化の阻害、灰白質の容積の増加停止など)が顕著になるものと思われる。従って、脳の髄鞘化が完了するよりもかなり前の段階に発病したことは、その後の認知機能障害などの予後と大きく関連しているものと思われる。若年で発病したことで広範囲にわたる未完了領域の脳の髄鞘化が阻害されてしまい(特に前頭前皮質領域)、20歳以降で獲得するような社会的な機能が獲得困難になるのかもしれない。抗炎症剤、抗酸化剤、ω3脂肪酸、社会機能を獲得するようなトレーニングなど、あらゆる手段を総合的に組み合わせることで、髄鞘化を何とか完了させ、社会性を獲得させていくような若年発症者への治療プログラムの開発が望まれるのではあるが、現時点ではそのような治療プログラムは開発されてはいない。統合失調症の発病自体を抑えることが現時点では最良の治療だと言えるのかもしれない(既に発病されてしまった方々には申し訳ない意見だとは思うが)。こういった問題は21世紀の大きな課題の一つだと私は思っている。
SZ-disturbed-development























 C.HardingのバーモントVermont研究、Chestnut Lodge 研究などの他の縦断的研究も同様の結果であった。カナダのアルバータ病院のBland(1978)の研究でも同様の結果であった。M.Bleuler(1978)の縦断的研究では、抗精神病薬で治療された統合失調症患者の再発の多さについて言及されている。 世界保健機関(WHO)の研究とEdgertonとCohentheのDeterminants of Outcome of Severe Mental Disorders (DOSMED)研究では、統合失調症の罹患率が少ない発展途上国での抗精神病薬で治療された患者の良い帰結を見出した(なぜ、統合失調症が先進国で発生率が高く、かつ、予後が芳しくないのかはまだ不明である)。

 縦断的研究の他の結果からは、現代の統合失調症のための長期帰結が60~80年も前の時代の帰結よりさらに良くなかったことを示唆している。再発に関しては、我々の調査結果からは、長期の投薬を受けなかった多くの統合失調症の患者は以後の5年以上にわたり再発率が低かったことを示している。我々は、服薬中止のパラドックスに関して2つの異なる可能性に注目している。1つ目は、服薬中止のパラドックスにおける比較的高い再発率は再発前の抗精神病薬によるドーパミン受容体の遮断が原因かもしれないということである。2つ目は、投薬によって生じたビルドアップ、すなわち、ドーパミン受容体の過剰ドーパミン受容体の感受性の亢進、精神病への感受性亢進が原因かもしれないということである。2つの現象は事実ではあろうが、統合失調症のサブグループの間では異なるものと思われる。

 注; このブログで以前述べたように、シーマン博士らが指摘したような抗精神病薬によるドーパミンD2受容体の高親和性受容体(D2high)比率の増加という現象が服薬中止後の再発を増やしているのであろう。しかし、D2受容体への親和性が低くD2受容体から早く解離してしまう特性を有するセロクエルクロザピンにはそういった現象は生じないとシーマン博士は述べている(千葉大学のデータからは、エビリファイはD2受容体に対して親和性が非常に高いものの、パーシャルアゴニストとして作用するためD2highを増やさないことが示されている。このデータを信用したい)。セロクエルやエビリファイやクロザリルの宣伝をするつもりは全くないのではあるが、漸減・中止にもっていく前にはこの3剤のどれかにスイッチしておいてから漸減・中止をする方法が一番無難であると言えよう。ただし急性期においてはD2受容体遮断薬が必要であり、親和性の高いD2受容体遮断薬をいつの期間まで使用すべきなのかを明確にしていくことが今後の課題であろう関連ブログ2013年2月19日
(ドーパミン感受性亢進精神病を防ぐには親和性の低い薬剤へのスイッチが必要となる)
http://tpp.sagepub.com/content/2/1/13.short 

D2への親和性
 







 
 

 治療から離脱してしまった統合失調症患者の帰結にはかなりの異種性があるため、治療に対する反応性によってサブグループ化した研究がもっと必要である。APAが注目しているように、抗精神病薬で急性期のさらに早期の段階で治療を受けた統合失調症は多くの患者が長期間寛解状態で安定する。 しかしながら、統合失調症のタイプを区別し、長期間の抗精神病薬によって寛解状態で安定する割合を明らかにし、安定した中でどの程度の割合で完全に回復するのかといった研究が必要である。異なるステージでの、かつ、異なる統合失調症患者のサブグループのリスクと利益のプロフィールは、包括的に議論することで保証されることであろう。

 抗精神病薬の長期投与が必要な統合失調症の患者と、1~2年後に服薬を中断することができる統合失調症の患者を区別することが可能となるような、妥当性がある個人用の診断基準と帰結を予測する因子は現時点では不足している。抗精神病薬投与の長期投与に関連する利益とリスクの研究がもっと必要である。

抗精神病薬薬物療法に関するいくつかの問題点
Some Issues About Antipsychotic Medications

 どのように治療していくと、抗精神病薬の効力が時間が経つにつれて減少し、効力がなくなるのか、あるいは、逆に有害になるのであろうか?  抗精神病薬と同じような長期使用の影響を示す他の薬剤の多くの例があるが、これは身体が薬物に対して生物学的に再調整してしまうという現象(=耐性を獲得する)をしばしば伴う。例えば、糖尿病におけるインスリン、喘息におけるベータアドレナリン、乳癌におけるタモキシフェン、自己免疫疾患におけるステロイド、慢性感染症における抗生物質など、他の多くの薬剤の長期投与の際に認められる。治療抵抗性の獲得は、受容体の変質、直接的なフィードバック・カスケードやエピジェネティックなものと遺伝子とが相互作用することが関連してると現在のところは考えられている。
(注; 抗てんかん薬のカルバマゼピンはCYP3A4の酵素誘導を招き、自身の代謝活性を強めていくことで血中濃度が下がるなどして効果が減衰していく のであるが、そういった代謝酵素の自己誘導という現象が抗精神病薬でも起きているかは不明なままである。なお、タバコは多くのCYP酵素を誘導するため、喫煙者では薬剤の効果が減じてしまう。)
http://ec.nikkeibp.co.jp/item/contents/brouse/t_184710.pdf 

結論
Conclusions

 引用された縦断的研究だけでは、服薬中止と精神症状から自由になることの関連性については決定的な証拠を提供できない。良好な帰結を有する内服していない統合失調症の患者が示しているように、長期にわたっての抗精神病薬の投与が全ての統合失調症の患者に対して必要ではないことは明らかである。少なくとも半数?(moderate-sized number)程度の統合失調症の患者が、薬物療法なしで長期間健常に過ごせるのであろうか。この重要な問題に対してはさらなる縦断的な調査が必要である。どの程度の割合の統合失調症患者が継続した長期間の抗精神病薬投与から利益を受けるのか どのような因子が同定され、どのような因子が長期間の抗精神病薬の投与が必要としない統合失調症の患者の分離を可能にするのか、そして、ある種の、あるいは多くの患者にとって、抗精神病薬の継続使用が有害であるのかどうか、といった点に関するさらなる研究の重要性をこれまでの縦断的研究が示唆している。

(論文終わり)


 はたして具体的にいつまで抗精神病薬を投与すべきなのであろうか。客観的な評価手段がない現状では個々の医師の経験に頼らざるを得ないのが現状ではあるが、私も今後はこういった新しいことにチャレンジしていかねばならないと決意を新たにした次第である。落とし穴はドーパミンD2受容体は親和性が異なる2つの形態があり、D2受容体をブロックし続けていくと高親和性の形態の方に変質していくことであろうか。D2受容体の状態が末端の精神科病院でも検査ができるようになる日が一日でも早く現実することを祈るばかりである。

 このドーパミンD2受容体という曲者の特性に関しての詳しい解説がなされているシーマン博士の総説を↓に示して終わりとしたい。
http://www.scholarpedia.org/article/Dopamine_and_schizophrenia


インセル博士のブログより。長期維持療法は統合失調症の予後の改善には役立ってはいない(その1 7年後の結果から)

今回はNIMHの所長であるトーマス・インセル博士の最近掲載されたブログの記事を紹介したい。

 2013年8月28日のインセル博士のブログでは、統合失調症への抗精神病薬の長期投与(維持療法)は予後に貢献していないという内容が述べられていた。特に、健常に、かつ、生産性を保って社会へ完全に復帰する上では(full return to well-being and a productive place in society)、抗精神病薬の長期投与は貢献していないどころか、逆に、マイナスの結果を招いているというのである。
http://www.nimh.nih.gov/about/director/2013/antipsychotics-taking-the-long-view.shtml

(補足資料↓: インセル博士のブログだけでは、データとしては不十分な部分があるため、下に記載した他の2つのサイトに掲載されていた内容を参考にして補足をしてある。) 
http://www.schizophreniaforum.org/new/detail.asp?id=1910

 これは、無視できない非常に重要な新しい知見である。これが事実であれば、多くの精神科医が統合失調症の薬物療法の在り方を今後は180度変えていかねばならないことになるからである。

ブログでは最近掲載されたばかりの論文が紹介されている。

 まず、本年9月にJAMA-Psychiatryに発表されたオランダの精神科医Wunderinkらの論文が紹介されており(http://archpsyc.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=1707650)、以下のような内容であった。この論文は7年間のフォローアップスタディである。初発の統合失調症の患者128名が7年間のフォローアップを受けることになった。寛解に達した6ヶ月後に被験者らは、薬物療法が組み分けられて、漸減/中止(DR)群と維持療法(MT)群とにランダムに振り分けられた。精神症状をPositive and Negative Syndrome Scale(PANSS)にて、社会機能をGroningen Social Disability Schedule(GSDS)にて評価して、薬物療法による違いの帰結が評価された。

 予想された通りではあったが、DR群はフォローアップ期間の初期段階である18ヶ月後の再発率はMT群の2倍の再発率であった(DRは43%、MTは21%)。

 その後さらに103名が追跡調査された。服薬状況は、MT群ではフォローアップ開始から数年後には服薬を中断してしまっていた患者がいた。103名の中で17名(DR群の21%、MT群の11%)が最後の2年間で完全に断薬をしていた。さらにハロペリドールに換算した力価では、DR群では最後の2年間では、MT群と比べて非常に少量の投薬しか受けていなかった(セレネースの力価としては1mg/日に相当)。さらに、全ての被験者の3/1が殆ど無視できる用量か無投薬の状況であった。

 そして最終結果ではあるが、最も重要な事は、7年後に精神症状(PANSS)の回復率においては両群の間に差はなかったが、社会機能の回復においてDR群(40.4%)はMT群(17.6%)よりも2倍の回復率を示していたことである。さらに、ロジスティック回帰分析にて、陰性症状が重度でないこと、他者と一緒に生活すること、投薬の漸減・中止が7年後の社会機能の回復と相関していることが判明した。 さらに、再発率も7年間のトータルでの評価では逆転しており、DR群が61.5%であったのに対してMT群では68.6%であった。

 一方、DRとMTの両群の一部の患者は、フォローアップ期間の最後の2年の間に自己判断で中止したり、投与量を減少させていたため、トライアルを正しく最後まで受け続けて漸減・中止に導かれた群(34名)と、トライアルを最後まで維持できなかった群(69名)に分けて分析した。トライアルのスケジュールに従い漸減・中止となった方が、精神症状も社会機能の回復率は良く、再発率も少なく、全体的な予後が良好だったことが判明した(=内服を中止していくにしても抗精神病薬をいきなり断薬するのは好ましくないと言えるのであった。関連ブログ2013 年2月19日。ドーパミンD2受容体の親和性の変化

 インセル博士はこの論文の結果において3つの点に注目している。1つ目は、精神症状の程度は結局2群とも変わらなかったということである。両群とも2/3が7年後には著明な精神症状の改善を示していた。2つ目は、DR群の29%が職業や家庭生活での健常な帰結を示していたことである。これは統合失調症で苦しむ方々に希望を与えるような結果だと述べている。3つ目は、抗精神病薬は急性期には有効であるが、長期的な視点からは疾患の回復に対しては逆に悪影響を及ぼしてしまうということが判明したことである。

 JAMAの編集者であるPatrick McGorryは、この論文への解説にて、「過ぎたるは及ばざるごとし(less is more)」と表現した。ある種の患者には抗精神病薬の早期の減薬中止という方が長期的予後が良くなることに関連しているようだ。さらに、「この新しいデータは、明らかに再発を視野に入れた考え方ではあるが、確かに再発は望ましいことではないが、逆戻り(再発)することは世界の終わりを意味するものではない。症状の適度の悪化 … それは、より良い長期的な機能的回復のための代価を払う価値がある場合がある。」とも述べた。症状の適度の悪化を経験することが、予後に生きてくるというのである。
http://archpsyc.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=1707649

 この症状の適度な悪化という発想は、かって、日本には新海安彦先生が考案した「添え木療法」「賦活再燃」という治療方法があったのだが、それにつながる発想のように私には思える(添え木療法は30~20年前がブームであり、今では森田療法のようにすたれてしまった治療法である)。
http://p.booklog.jp/book/45710/page/1250957 の1321「添え木療法」を参照されたし)
 
 さらにインセル博士は別の論文を提示して疑問を投げかけている。抗精神病薬の長期使用に関しては何が言えるのであろうか。長期使用は有害なのであろうか。抗精神病薬は一生涯必要なものなのであろうか。本年度の初め、Martin Harrow and Thomas Jobeは、抗精神病薬が機能的な面での回復を促進するかどうかの数年間のフォローアップ結果を医学雑誌Schizophrenia Bulletinで発表した。

 それによると、(a)抗精神病薬の中止後の6~10カ月後の間に25~55%の患者が再発をする。しかし、(b)この期間に再発しなかった患者にとっては、以後の再発の危険性は服薬を中止したままでも減っていた。

インセル博士はこれらの論文の結果を踏まえてこのようにまとめている。

 我々が、統合失調症と呼ぶ疾患は全く異なる経過をたどるいろいろな疾患から構成されているものかもしれない。ある種の統合失調症の人々にとっては、抗精神病薬の長期投与は完全に健常な状態へ回復することを妨げるものである可能性がある。他の者にとっては抗精神病薬の中止は惨事を招くものかもしれないし、いわゆる「陽性症状」(幻覚、妄想、などの)軽減には抗精神病薬が必要かもしれないが、抗精神病薬では正常な(社会)機能までへは十分に到達できないことを理解する必要がある。第1世代、第2世代の抗精神病薬は伴に、いわゆる陰性症状(感情の喪失、意欲の喪失)には役立たないし、集中力や検討能力の問題は生産的で健常な生活へと導く上で大きな障壁となるかもしれない。家族教育、就労支援、認知行動療法は、再発を減らし、生活機能を向上させ、問題解決能力や対人スキルを改善することが示されている。NIMHはここに焦点を当てて、低用量の抗精神病薬家族心理教育を組み合わせたRecovery After Initial Schizophrenia Episode (RAISE) プロジェクトを立ち上げているが、 RAISEプロジェクトでは、教育・就労支援レジリアンス・トレーニング、精神症状よりももっと他の重要なものに焦点を当てた介入、などを実践している。
http://www.nimh.nih.gov/health/topics/schizophrenia/raise/index.shtml 
RAISEロゴマーク



 現在の治療(薬物の維持療法)は多くの患者にとって好ましいものではないと理解する必要がある。全ての統合失調症の患者の結果(予後)が改善するような、現在行われている治療以外の治療が必要なのである。ある種の患者では再発を避けるための薬物療法が必要かもしれないが、しかし、一方では、長期になると、ある種の患者では服薬を中止した方が予後が良くなることがあることを問い直す必要がある。再発のリスクと予後への利益とのバランスを取るためには、厳正な判断が要求される。RAISEプロジェクトが強調しているように、患者、家族、医療提供者の間で意思決定を共有することが精神疾患の長期管理にとって不可欠である(私は日本でもこういったプロジェクトが行われるようになることを切に希望している)。

以上のようにインセル博士はブログで述べていたのであった。 

 なお、この新しい知見に関連すると思える日本での研究論文をSchizophrenia Research Forumでは紹介している(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/23821768?dopt=Abstract)。慶応大学の研究者(竹内先生ら)は、第2世代の抗精神病薬(リスペリドン、オランザピン)を50%減量した結果、(28週後に)認知機能の向上につながったことを見出した。論文では、ベースラインと28週後に、PANSSの他に、神経心理状態アセスメント(RBANS)、薬剤誘発錐体外路症状スケール(DIEPSS)を用いて評価しており、減薬なし、減薬ありの両群ともにPANSSのスコアは変化がなかったが、PBANSとDIEPSSのスコアが28週後に改善していることが判明した。

 補足しておくと、この論文の数年前から線状体のドーパミンD2受容体のアップレギュレーションが認知機能の障害を招くという論文が出されており、抗精神病薬は短期間では認知症状も含めて多くの症状を改善するが、抗精神病薬(特に高用量)が長期間投与された場合にはドーパミンD2受容体のアップレギュレーション(受容体数の増加と感受性亢進。D2highの増加)を招いてしまい、その結果、認知機能が障害されてしまうという見解が提出されている。慶応大学の研究結果は、抗精神病薬の減薬によってドーパミンD2受容体のアップレギュレーションが28週後には減じており、それが認知機能の改善に結びついた可能性があると解釈できるのかもしれない。しかし、ドーパミンのアップレギュレーションの解除に28週間(約半年)もかかるとは、抗精神病薬によってドーパミン受容体には相当強い変化が起きているのであろう。
 私はこう思う。「維持療法」と「漸減・中止」を天秤にかけてどちらを選択するのかは医師の裁量に委ねられるような問題ではない。個人の人生に関わる大きな問題であり、人生の選択はその人生を歩むことになる本人が決める権利がある。服薬を継続する場合と服薬を中止する場合のこれまでの研究データを提示して、あらゆる可能性を提示して、最終的には家族と本人に相談してもらい、維持療法でやっていくのか、漸減・中止でやっていくのかを決めてもらう必要があるのではなかろうか。
(意思決定を共有すること[shared decision making SDM]が精神科でも求められてきているのである)

 そのためにも、医師は最新のデータを常に把握しておき、最新の知識に基づく現時点でのベターだと思える知見を患者とその家族にいつでも提示できるようにしておかねばならない(ベストはまだ未知であるため、今はベターを追求していくしかない)。それは精神科医に限らず全ての科のドクターにも言えることではあるが。たとえ場末の精神科病院に勤務しているくたびれはてた医師であろうとも常にそうあるべきであると、自分自身に言い聞かせながら勤務しているのであった。

 幻覚・妄想といった陽性症状を完全に消し去るのが本当の意味での治療になり得るのか。他のもっと大切な機能までをも消し去ってしまうのは真の意味での治療となり得るのか。多少とも陽性症状が残存しようとも、他のもっと重要な機能の温存を重視した方が真の治療だと言えるのではないのか。といった新しい見地や価値判断からの、21世紀における治療の在り方が、今、問われてきているのである。
 
 次回は、インセル博士のブログの中で紹介されていたMartin Harrow and Thomas Jobeの論文のフルテキスト版がネットで掲載されていたので、その論文を紹介したいと思う。

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