思想家で武道家の内田樹が憲法9条について大変興味深い議論を展開しています。
変節と変態についてhttp://blog.tatsuru.com/2017/08/28_1130.php
丁度、護憲+の掲示板でも笹井さんが護憲の本質について、
・「今後そうした建設的議論の場が成立するようであれば、私は、「政治論」や「法理論・法哲学」とは異なった視点の、「あの戦争があって今の憲法がある」という、私たちの先輩である戦時体験者から受け継いだ肌感覚ともいうべき実感を、「9条問題の本質」のひとつとして、提示したいと思っている。」・・
と述べているのと同じような議論を展開しています。
まず、第一に、広島や長崎の原爆の被害を肌感覚を含め、総体として一番知っていたのは、米軍である、という冷徹な事実を知らなければなりません。広島・長崎の原爆の被害を実際に調査し、原爆症の資料を集め、建物や市街地などの被害の詳細な調査をしたのは、日本軍ではなくて米軍だったのです。
そして、その調査をした米軍の将兵も同じ人間であるという事実を忘れてはなりません。と言う事は、広島・長崎の被害の甚大さを見て、これは【人間の所業ではない】という感覚を持ったに違いないのです。そして、次の世界戦争は、間違いなく【核戦争】になると考えた時、戦争をなくす以外にこの悲劇を防ぐ事ができない、と考えても不思議はないのです。
内田氏は、以下のように書きます。
・彼ら【米軍】に「こんなものは二度と使ってはならない」と思わせたのは広島長崎の原爆被害という「生まれてから見たこともない現実」であって、世界平和という「出来合いの観念」ではない。・・・
憲法9条が米国主導か幣原喜重郎が言い出したのかの議論は別として、GHQの中の理想家的集団たちは、本当に戦争を止めなければならないと考えたのでしょう。GHQの中には、理想的な民主主義国家を日本に建設しようと考えた連中がいました。彼らが、人類は決して第三次世界大戦を起こしてはならない、と考えても不思議はないのです。
その為には、日本国憲法9条は世界の国々の理想になると考えたのでしょう。内田氏の言う「生まれてから見た事のない現実」のリアルさが、戦争放棄の理想的条文を是とさせたと思います。
原爆の物凄い破壊力を目の当たりにし、原爆を投下された人々が如何に悲惨な運命を辿るかを、生まれて初めて知った世代には、憲法9条は、大変なリアリティがあり、理想とするにふさわしい条文だったはずです。皆、二度と戦争はしてはならない、と考えたのです。
しかし、時がたつにつれ、そのリアリティが風化していきます。
内田氏に言わせれば、「第三次大戦で世界が滅亡するかも知れない」というリアリティ。朝鮮半島が赤化し、日本列島が「反共の砦」として米軍の軍政下におかれるかもしれない、という朝鮮戦争時のリアリティが、両方とも風化したからこそ、憲法9条と自衛隊を共存させたのだ、といいます。
内田氏の結論はこうです。
・・憲法九条と自衛隊が併存しうるという「不整合な現実」はこの「ありがたい現実」の裏返しの表現である。
憲法九条が「非現実的」に思えるのは、憲法九条が非現実的なものに思えるように、つまり第三次世界大戦の勃発を防ぐことで「あり得たかもしれない現実」をあらしめなかった先人たちの努力の成果なのである。・・・
この内田氏の問題意識と笹井さんの問題意識はぴたりと重なるように思います。
原爆の被害は日本人しか分からないのではなく、本当は日本人は良く分かっていなかったというのが本当の事かも知れません。731部隊の問題もそうですが、本当の意味で重要なデータや資料は、米軍が持っているのです。第二次大戦が終わった時、第三次大戦の恐怖を一番感じ恐れていたのは、米軍だったというのも言われてみれば至極当然なのです。
そう言う点もひっくるめて、憲法9条を考える必要があります。何故なら、トランプ政権が完全に軍事政権化しつつある現状で第三次世界大戦の危険性は高まっている、と見るのが至当です。
憲法9条の存在意義が増している、という認識で、行動しなければならないと思います。
「護憲+BBS」「憲法を考える」より
流水
変節と変態についてhttp://blog.tatsuru.com/2017/08/28_1130.php
丁度、護憲+の掲示板でも笹井さんが護憲の本質について、
・「今後そうした建設的議論の場が成立するようであれば、私は、「政治論」や「法理論・法哲学」とは異なった視点の、「あの戦争があって今の憲法がある」という、私たちの先輩である戦時体験者から受け継いだ肌感覚ともいうべき実感を、「9条問題の本質」のひとつとして、提示したいと思っている。」・・
と述べているのと同じような議論を展開しています。
まず、第一に、広島や長崎の原爆の被害を肌感覚を含め、総体として一番知っていたのは、米軍である、という冷徹な事実を知らなければなりません。広島・長崎の原爆の被害を実際に調査し、原爆症の資料を集め、建物や市街地などの被害の詳細な調査をしたのは、日本軍ではなくて米軍だったのです。
そして、その調査をした米軍の将兵も同じ人間であるという事実を忘れてはなりません。と言う事は、広島・長崎の被害の甚大さを見て、これは【人間の所業ではない】という感覚を持ったに違いないのです。そして、次の世界戦争は、間違いなく【核戦争】になると考えた時、戦争をなくす以外にこの悲劇を防ぐ事ができない、と考えても不思議はないのです。
内田氏は、以下のように書きます。
・彼ら【米軍】に「こんなものは二度と使ってはならない」と思わせたのは広島長崎の原爆被害という「生まれてから見たこともない現実」であって、世界平和という「出来合いの観念」ではない。・・・
憲法9条が米国主導か幣原喜重郎が言い出したのかの議論は別として、GHQの中の理想家的集団たちは、本当に戦争を止めなければならないと考えたのでしょう。GHQの中には、理想的な民主主義国家を日本に建設しようと考えた連中がいました。彼らが、人類は決して第三次世界大戦を起こしてはならない、と考えても不思議はないのです。
その為には、日本国憲法9条は世界の国々の理想になると考えたのでしょう。内田氏の言う「生まれてから見た事のない現実」のリアルさが、戦争放棄の理想的条文を是とさせたと思います。
原爆の物凄い破壊力を目の当たりにし、原爆を投下された人々が如何に悲惨な運命を辿るかを、生まれて初めて知った世代には、憲法9条は、大変なリアリティがあり、理想とするにふさわしい条文だったはずです。皆、二度と戦争はしてはならない、と考えたのです。
しかし、時がたつにつれ、そのリアリティが風化していきます。
内田氏に言わせれば、「第三次大戦で世界が滅亡するかも知れない」というリアリティ。朝鮮半島が赤化し、日本列島が「反共の砦」として米軍の軍政下におかれるかもしれない、という朝鮮戦争時のリアリティが、両方とも風化したからこそ、憲法9条と自衛隊を共存させたのだ、といいます。
内田氏の結論はこうです。
・・憲法九条と自衛隊が併存しうるという「不整合な現実」はこの「ありがたい現実」の裏返しの表現である。
憲法九条が「非現実的」に思えるのは、憲法九条が非現実的なものに思えるように、つまり第三次世界大戦の勃発を防ぐことで「あり得たかもしれない現実」をあらしめなかった先人たちの努力の成果なのである。・・・
この内田氏の問題意識と笹井さんの問題意識はぴたりと重なるように思います。
原爆の被害は日本人しか分からないのではなく、本当は日本人は良く分かっていなかったというのが本当の事かも知れません。731部隊の問題もそうですが、本当の意味で重要なデータや資料は、米軍が持っているのです。第二次大戦が終わった時、第三次大戦の恐怖を一番感じ恐れていたのは、米軍だったというのも言われてみれば至極当然なのです。
そう言う点もひっくるめて、憲法9条を考える必要があります。何故なら、トランプ政権が完全に軍事政権化しつつある現状で第三次世界大戦の危険性は高まっている、と見るのが至当です。
憲法9条の存在意義が増している、という認識で、行動しなければならないと思います。
「護憲+BBS」「憲法を考える」より
流水