「ぬえのような民主党」論でも指摘したように、民主党の政治センスの無さはどうしようもない。民主党指導部連中の知的・精神的・構造的欠陥とでも言う他はない。
権力闘争を旨とする政党間の闘いは、それこそ組織や組織に属する人間、それを支持する人間などの全ての力を結集した、死ぬか、生きるか、食うか、食われるか、の闘いである。現代は、民主主義の世の中。命までは取られないが、闘いの本質は戦国時代も今も変わらない。まず、その事を肝に銘じなければならない。
ラグビー論でも指摘したが、その戦いに勝利するためには、日常の準備が全てを決する。その日常の準備を決するのが、組織や支持者を結集できる『理念』『哲学』である。『理念』『哲学』がなく、現状維持志向や既得権益擁護に堕した政党・組織は、必ず衰退する。さらに、その『理念』『哲学』を実現できる具体的方策、プロセスの提示が、欠かせない。その為には、『理念』『哲学』を日常性、具体性に具現化する思考と、日常性・具体性から『理念』『哲学』に昇華し、『理念』『哲学』を磨きあげる過程が欠かせない。
今回のワールドカップラグビーでの日本チームの活躍は、日本中を沸かしたが、結果だけを見て一喜一憂しているようでは、本当の意味での教訓など引き出せない。
エディ・ジョーンズHCの凄さは、その『理念』『哲学』にある。彼は、世界中のラグビーが身体が大きく、フィジカルが強く、力で勝負する傾向にある事に異を唱えた。身体が小さくて、力が弱くても、試合に勝てるチームを作り上げようと考えた。それが、いわゆる『ジャパンウェイ』(日本流)ラグビーを作り上げるという理念である。
彼自身も外人にしては身体も小さい。彼のラグビー人生は、「大きな奴に負けてたまるか」という信念に貫かれていた。日本選手は、そのような彼の信念にぴったりのチームだった。
彼は日本人の特性を生かせば、『ジャパンウェイ』は可能である、と考えた。彼が考える日本人の特性は、忍耐力(我慢)に優れ、動きが俊敏で小回りが効く。組織(集団)のために我が身を犠牲にする自己犠牲の精神に優れている。このような日本人選手の特性を生かした練習メニューを作り、彼の言葉でいえば、世界一の練習『ハードワーク』を行った。エディは、他国の選手は、こんな練習には耐えられない、という。
前のラグビー論でも書いたが、いわゆる4Hの練習である。『低く』『速く』『激しく』『走り勝つ』練習を4年間行った。さらに、日本選手が弱いフィジカル・トレーニングを徹底して行い、弱点の克服を行った。年間150日を超える合宿を行い、朝の5時から、一日3回ないし4回の練習を行い、徹底的に選手を鍛え上げた。
そして、その練習法も、世界最高峰のフィジカルコーチ、スクラムコーチ、ディフェンス・コーチ、メンタル・コーチ等などを招集。一切の妥協なく、最高のレベルの練習を行った。さらに、世界のトップテンに追いつくための具体的ステップ(練習試合の相手など)を作成し、その中での分析を徹底し、『理念』『哲学』を磨き、修正などを行ってきた。
もう一つ、決して忘れてならないのは、このような苛酷な練習に選手一人一人が自ら取り組んだ、という事実である。つまり、選手一人一人の意識改革にエディ・ジョーンズは成功したのだろう。彼が『出る杭は打たれる、という意識が日本選手にあった』と語っている。その『集団主義』の負の側面を改革する事に腐心した、と述べている。
今回のラグビーの勝利は、一朝一夕に出来たものではない。このような選手一人一人の意識改革を含め、4年間にわたるたゆまぬ努力の結集が今回の結果をもたらしたのである。
翻って民主党を見て見よう。一体全体、民主党は、何を目指しているのか、さっぱり見えない。その時々では、良い事も言うのだが、長続きしない。政権を取った時には、『国民の生活が第一』という分かりやすく、明確な『理念』『哲学』があった。その『理念』『哲学』を自らおろしたのなら、それに代わる『理念』『哲学』を提示しなければ、政党としての鼎の軽重が問われる。
『理念』『哲学』があやふやなのだから、当然ながらそれを実現する具体的方策・プロセスなどもいい加減。そうなると、組織・政党に対する忠誠心も信頼感も失われる。当然だが、組織の指導者に対する信頼感もない。ラグビーの日本チームが4年間に多くの事を犠牲にして行ってきた自己鍛錬も自己改革も、現在の民主党政治家や民主党員には、見られない。
現在の指導者連中が分かっていないのは、自己鍛錬や自己犠牲の精神を忘却した政党や政治家からは、自らの過ちを修正するアイディアも自己改革の意識も全くなくなるという事。そんな無駄な事にエネルギーを使うぐらいなら、自らが生き延びる事だけを考えた方がまし、という思考に傾斜する。組織やその構成員の退廃が組織を殺すのである。
スポーツの世界は、実力が全て。そんな退廃的な組織や選手が勝てるわけがない。だから、時折、エディ・ジョーンズのような革命的指導者が出る。ただ、スポーツの世界は、勝敗が全ての傾向が強いので、エディのような革命的指導者も評価される機会が多い。
ところが、政治の世界は、そう簡単ではない。ねたみ・そねみ・嫉妬・憎悪・恨み・つらみなど、人間のあらゆる感情が渦を巻いている世界。そう簡単に人を評価しない。能力がないくせに目立ちたがりの人間ほど、この種の感情が激しい。小沢を潰した一因にこの種の感情があった、と言わざるを得ない。
以前、わたしは、小沢一郎を『革命家』として評価した。その『評価』は現在も有効だと考えている。さらに、『日本国民は、いずれ、小沢を失った事を深刻に後悔するだろう』とも書いた。その評価も修正する必要はなさそうである。
わたしが民主党解党論を唱えるのは、現在の民主党には、エディ・ジョーンズのような革命的リーダーが必要だと考えているからである。自党の政治家や組織の退廃に目をつぶるようなリーダーに『食うか食われるか』の闘いが勝ちぬけるわけがない。明確な『理念』も『哲学』もないリーダーに、組織を立て直し、鍛えなおす具体的方策や手法が生み出せる訳がない。
今や民主党は、『坐して死を待つ』政党になり下がってしまった。それくらいなら、解党をして、出直した方が百倍もマシである。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
権力闘争を旨とする政党間の闘いは、それこそ組織や組織に属する人間、それを支持する人間などの全ての力を結集した、死ぬか、生きるか、食うか、食われるか、の闘いである。現代は、民主主義の世の中。命までは取られないが、闘いの本質は戦国時代も今も変わらない。まず、その事を肝に銘じなければならない。
ラグビー論でも指摘したが、その戦いに勝利するためには、日常の準備が全てを決する。その日常の準備を決するのが、組織や支持者を結集できる『理念』『哲学』である。『理念』『哲学』がなく、現状維持志向や既得権益擁護に堕した政党・組織は、必ず衰退する。さらに、その『理念』『哲学』を実現できる具体的方策、プロセスの提示が、欠かせない。その為には、『理念』『哲学』を日常性、具体性に具現化する思考と、日常性・具体性から『理念』『哲学』に昇華し、『理念』『哲学』を磨きあげる過程が欠かせない。
今回のワールドカップラグビーでの日本チームの活躍は、日本中を沸かしたが、結果だけを見て一喜一憂しているようでは、本当の意味での教訓など引き出せない。
エディ・ジョーンズHCの凄さは、その『理念』『哲学』にある。彼は、世界中のラグビーが身体が大きく、フィジカルが強く、力で勝負する傾向にある事に異を唱えた。身体が小さくて、力が弱くても、試合に勝てるチームを作り上げようと考えた。それが、いわゆる『ジャパンウェイ』(日本流)ラグビーを作り上げるという理念である。
彼自身も外人にしては身体も小さい。彼のラグビー人生は、「大きな奴に負けてたまるか」という信念に貫かれていた。日本選手は、そのような彼の信念にぴったりのチームだった。
彼は日本人の特性を生かせば、『ジャパンウェイ』は可能である、と考えた。彼が考える日本人の特性は、忍耐力(我慢)に優れ、動きが俊敏で小回りが効く。組織(集団)のために我が身を犠牲にする自己犠牲の精神に優れている。このような日本人選手の特性を生かした練習メニューを作り、彼の言葉でいえば、世界一の練習『ハードワーク』を行った。エディは、他国の選手は、こんな練習には耐えられない、という。
前のラグビー論でも書いたが、いわゆる4Hの練習である。『低く』『速く』『激しく』『走り勝つ』練習を4年間行った。さらに、日本選手が弱いフィジカル・トレーニングを徹底して行い、弱点の克服を行った。年間150日を超える合宿を行い、朝の5時から、一日3回ないし4回の練習を行い、徹底的に選手を鍛え上げた。
そして、その練習法も、世界最高峰のフィジカルコーチ、スクラムコーチ、ディフェンス・コーチ、メンタル・コーチ等などを招集。一切の妥協なく、最高のレベルの練習を行った。さらに、世界のトップテンに追いつくための具体的ステップ(練習試合の相手など)を作成し、その中での分析を徹底し、『理念』『哲学』を磨き、修正などを行ってきた。
もう一つ、決して忘れてならないのは、このような苛酷な練習に選手一人一人が自ら取り組んだ、という事実である。つまり、選手一人一人の意識改革にエディ・ジョーンズは成功したのだろう。彼が『出る杭は打たれる、という意識が日本選手にあった』と語っている。その『集団主義』の負の側面を改革する事に腐心した、と述べている。
今回のラグビーの勝利は、一朝一夕に出来たものではない。このような選手一人一人の意識改革を含め、4年間にわたるたゆまぬ努力の結集が今回の結果をもたらしたのである。
翻って民主党を見て見よう。一体全体、民主党は、何を目指しているのか、さっぱり見えない。その時々では、良い事も言うのだが、長続きしない。政権を取った時には、『国民の生活が第一』という分かりやすく、明確な『理念』『哲学』があった。その『理念』『哲学』を自らおろしたのなら、それに代わる『理念』『哲学』を提示しなければ、政党としての鼎の軽重が問われる。
『理念』『哲学』があやふやなのだから、当然ながらそれを実現する具体的方策・プロセスなどもいい加減。そうなると、組織・政党に対する忠誠心も信頼感も失われる。当然だが、組織の指導者に対する信頼感もない。ラグビーの日本チームが4年間に多くの事を犠牲にして行ってきた自己鍛錬も自己改革も、現在の民主党政治家や民主党員には、見られない。
現在の指導者連中が分かっていないのは、自己鍛錬や自己犠牲の精神を忘却した政党や政治家からは、自らの過ちを修正するアイディアも自己改革の意識も全くなくなるという事。そんな無駄な事にエネルギーを使うぐらいなら、自らが生き延びる事だけを考えた方がまし、という思考に傾斜する。組織やその構成員の退廃が組織を殺すのである。
スポーツの世界は、実力が全て。そんな退廃的な組織や選手が勝てるわけがない。だから、時折、エディ・ジョーンズのような革命的指導者が出る。ただ、スポーツの世界は、勝敗が全ての傾向が強いので、エディのような革命的指導者も評価される機会が多い。
ところが、政治の世界は、そう簡単ではない。ねたみ・そねみ・嫉妬・憎悪・恨み・つらみなど、人間のあらゆる感情が渦を巻いている世界。そう簡単に人を評価しない。能力がないくせに目立ちたがりの人間ほど、この種の感情が激しい。小沢を潰した一因にこの種の感情があった、と言わざるを得ない。
以前、わたしは、小沢一郎を『革命家』として評価した。その『評価』は現在も有効だと考えている。さらに、『日本国民は、いずれ、小沢を失った事を深刻に後悔するだろう』とも書いた。その評価も修正する必要はなさそうである。
わたしが民主党解党論を唱えるのは、現在の民主党には、エディ・ジョーンズのような革命的リーダーが必要だと考えているからである。自党の政治家や組織の退廃に目をつぶるようなリーダーに『食うか食われるか』の闘いが勝ちぬけるわけがない。明確な『理念』も『哲学』もないリーダーに、組織を立て直し、鍛えなおす具体的方策や手法が生み出せる訳がない。
今や民主党は、『坐して死を待つ』政党になり下がってしまった。それくらいなら、解党をして、出直した方が百倍もマシである。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水