世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●安倍お得意のフレーズ 靖国A戦犯合祀は普遍的価値の例外?

2016å¹´08月15æ—¥ | æ—¥è¨˜
靖国神社 (幻冬舎新書)
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幻冬舎



日本会議と神社本庁
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金曜日


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●安倍お得意のフレーズ 靖国A戦犯合祀は普遍的価値の例外?

 現代ビジネスの書評に『靖国と千鳥ケ淵 A級戦犯合祀の黒幕にされた男』の著者インタビューが掲載されていた。終戦記念日の8月15日と云うこともあり、あまり興味のない「靖国神社」のことを調べてみた。最後尾に、上述インタビュー記事を掲載しておく。

 創建1869年(明治2年)の「靖国神社」に、日本の他の神社に比して、歴史的な意義はゼロだろう。日本の軍人、軍属等を主な祭神として祀る。勅祭社で旧別格官幣社。早い話が、「軍人神社」と云うことになる。また、創建から類推するに、幕末明治における、長州藩中心の明治政府と親密な関係で、頭角を現した新興神社と言っても過言ではない。筆者の感覚からは、明治大正昭和の時代の政権に都合の良い人々が祀られた神社と云うことになる。詳細に調べると、酷く政治的で、魑魅魍魎な部分のある神社だと感じる。

 Wikipediaによると、戊辰戦争の新政府軍側のみが祀られている。旧幕府軍や奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外だし、西南戦争の薩摩軍は対象外だ。また、
≪幕末の志士である吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、中岡慎太郎、武市半平太、橋本左内、大村益次郎等も維新殉難者として合祀されている。これは戊辰戦争における新政府軍側の戦没者を契機として創祀された事情から戊辰以降の戦没者を対象とする合祀基準を、嘉永6年に遡らせたためである。それに対して、戊辰戦争での旧幕府軍の兵士や、奥羽越列藩同盟の兵士、新選組や彰義隊などの旧幕臣の戦死者は祀られていない。ただし、禁門の変で長州藩勢との戦いで戦死した会津藩兵らは、朝廷(天皇)を守護したとして祀られている。また長州藩はこの禁門の変では賊軍とされているが、戦死(実際は自害)した久坂玄瑞などは合祀されている。この他に、当時の段階でも国際法違反である外国領事館・外国人襲撃者も祀られている。≫
つまり、「仲良しグループ神社」と云う感じになる。嫌いな奴は対象外、仲良しだけ祀ろうよ、と云う按配にしか思えない。

 まあ、安倍晋三や日本会議勢力にとって、居心地のいい神社なのだろうが、赤紙で召集され、自己判断の自由も与えられずに徴兵された一般兵士、及びその家族は、戦争を引き起こし、自ら安全地帯に身を隠し、進軍ラッパに尻を叩かれ、突撃。考えれば考えるほど理不尽さが際立つ神社である。中国や韓国が、どうのこうの言うのは、あちらの好き勝手で、特にどうこうという事はない。しかし、靖国神社に参拝することが、政治活動上プラスに寄与する日本と云う国のイデオロギーには、大丈夫か、この国のデモクラシーと思ってしまう。

 また更に思うに、安倍晋三君は、ことある毎に「普遍的価値」と云う言葉を多用するが、おそらく、欧米西側諸国の価値観には「戦勝国」と云う、歴史認識が込み込みで含まれている「価値」と考えることが出来る。そうなると、安倍や日本会議や靖国神社が判断している、様々な事例や合祀した経緯などを確認してみると、「歴史修正主義」に走っている。つまり、安倍晋三君が大好きな「普遍的価値」が頭についた、外交や資金援助や安全保障の観念には、重大な非整合性が見受けられる。まあ、この問題、突きつめていくと、矢鱈面倒なのでこの辺でやめる。興味のある方は、以下のWikipediaのサイトから、重要項目を読んでみていただきたい。

 â– å‚考:靖国神社に関するWikipedia解説項目。(順不同)

★靖国神社
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE

★靖国神社問題
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%95%8F%E9%A1%8C

★A級戦犯
https://ja.wikipedia.org/wiki/A%E7%B4%9A%E6%88%A6%E7%8A%AF#.E7.B5.9E.E9.A6.96.E5.88.91.EF.BC.88.E6.AD.BB.E5.88.91.EF.BC.89

★昭和殉難者
https://ja.wikipedia.org/wiki/A%E7%B4%9A%E6%88%A6%E7%8A%AF#.E6.98.AD.E5.92.8C.E6.AE.89.E9.9B.A3.E8.80.85

★神社本庁
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%9C%AC%E5%BA%81

★勅祭社
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%85%E7%A5%AD%E7%A4%BE

以上。


 â‰ªã€€é–国「A級戦犯合祀」の黒幕にされた男〜靖国問題"発生"の舞台裏を明かす
戦後特別企画・伊藤智永さんインタビュー

 â– éŽé…·ãªã€Œå®Ÿå‹™ã€ã«ãªãœè€ãˆã‚‰ã‚ŒãŸã®ã‹
・――戦中は陸軍高官として全国から召集された兵士を戦地に送る作業を担い、戦後は官僚として復員や遺骨収集、さらに戦死者の靖国合祀や千鳥ケ淵墓苑の創設に尽力した美山要蔵。伊藤さんがこのたび上梓された『靖国と千鳥ケ淵 A級戦犯合祀の黒幕にされた男』は、その足跡を辿りつつ、いわゆる「靖国問題」がどのように生じたのかを解き明かした長編ノンフィクションです。

・小泉純一郎政権の時代に、靖国問題がクローズアップされたことが本書執筆のきっかけでした。
・そもそも、靖国神社が問題視されるようになったのは、A級戦犯が合祀されてからです。そこでまず、靖国神社内部でA級戦犯合祀に動いたのは誰なのか取材しました。
・しかし合祀は、靖国神社が単独で勝手に行えることではありません。手続きとしては、国が合祀にふさわしいと判断した戦死者を「祭神名票」に記載し、靖国神社に通知して、この名簿に基づき、靖国は合祀を行うわけです。
・では、国の側で祭神名票をまとめた中心人物は誰だったのか。そこを詳しく取材する過程で美山要蔵という人物に興味を持ったんです。

――農家の五男として生まれた美山は陸軍幼年学校、士官学校、陸軍大学校を優秀な成績で卒業。開戦時は陸軍参謀本部の「編制動員課長」でした。

・本人は作戦参謀として華やかに活躍したいという思いもあったようですが、実際に配属されたのは「裏方」とも言うべき編制動員課でした。
・この部署は、国内外に展開する何百もの部隊を、列車のダイヤを組むかのように配置するのが仕事です。太平洋戦争では、4年間で260万人が海外に派兵されましたが、大半は美山が動員課長の時期に送り出されました。
・召集された兵士の家族から見れば、自分の夫や息子を戦地に送りこみ、ひどい場合は戦わずに餓死させてしまった計画の責任者が美山ということになる。とても重い役割を担っていたんです。

――何万もの人々の生死を左右する立場にあった美山は、相当な重圧を感じていたのでは?

・現代人にとっては、それが普通の感覚でしょう。
・しかし、日記を読んでも、どんな気持ちで任に当たっていたのかを示す記述は一切、ありません。
・書類に埋もれた美山には「生身の人間を戦地に送っている」という実感が遠かったのかもしれません。官僚機構の怖いところですが、兵士ひとりひとりの名前や顔が見えないからこそ、過酷な作業ができたとも言えます。
・ただ、私はそんな美山を責める気にはなれません。記録には残っていませんが、彼なりの苦しみは当然、あったと思う。

 â– åƒé³¥ã‚±æ·µæˆ¦æ²¡è€…墓苑の創設へ
――終戦後、復員庁を経て厚生省職員となった美山は、復員・引き揚げや、戦没者の遺骨収集といった敗戦処理に邁進します。

・終戦当時は軍人・民間人合わせて660万人もの日本人が海外にいましたが、美山が中心となり集中的に事業を進めた結果、わずか1年半後に500万人が帰還しました。
・また、彼は遺骨収集のためビルマを訪れた際、「(現地で戦没した)8万7000の英霊と一つになる。失敗したらビルマに永住する」という強い気持ちを語っていた。
・これほど「戦争の後始末」に執念を燃やした背景には、贖罪にも似た気持ちがあったのではないかと思います。
・戦時中こそ、自分の任務に疑問を抱いていなかったものの、敗戦を機に「自分がやってしまったこと」の重さを感じるようになったのかもしれません。

――帰国事業や遺骨収集に目途がついた後、美山の情熱は戦死者の靖国合祀に向けられます。

・生きている者が帰ってきたので、次は死んだ者たちの魂を靖国に合祀しようという流れになったわけですが、ここでも美山は非凡なテクノクラートぶりを発揮します。
・彼は、軍人恩給や弔慰金の申請をする戦没者の遺族をリストアップする過程で合祀対象者を確定するという手法を編み出し、祭神名票にまとめて次々と靖国神社に送った。
・美山がこの事務を仕切る立場になってから10年間の合祀者は170万柱を越えますが、この数は靖国神社に祀られた神霊約246万柱のうち、実に3分の2を占めます。

――美山はB級、C級戦犯も合祀対象としましたが、A級戦犯だけは対象にしませんでした。
・私が取材した結果を総合すると、A級戦犯を合祀すべきか否かについて、美山に特段の主張はなかったのだと思います。 実際、美山が厚生省を退官した後の'78年にA級戦犯が合祀されますが、当時の彼の日記にも関連する記述はない。靖国問題を巡っては、美山こそがA級戦犯合祀の道を拓いた「黒幕」だという報道も散見されますが、実態は違う。彼は「黒幕にされた男」だったんです。

――一方で、美山は千鳥ケ淵戦没者墓苑の創設にも大きく関わります。

・千鳥ケ淵には当初、「戦没者全体の象徴的な墓」とする構想がありましたが、そうなると自らの存在意義が低下すると考えた靖国神社から様々な妨害工作を受けました。
・これに対し、美山は厚生省在職中から千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会理事に名を連ね、苦悩しながらも靖国との共存を模索し、墓苑建設を実現しました。
・どちらが戦没者慰霊の中心かを巡って靖国神社と千鳥ケ淵は微妙な緊張関係にありますが、一連の経緯を踏まえれば、その礎を築いたのは美山と言えるでしょう。
・しかし、当の美山に特定のイデオロギーはなかった。彼は戦没者慰霊に、その実務能力を発揮しただけなんです。もし、美山が今日の議論を聞いたら「え、私のせい?」と困惑するでしょうね。 (取材・文/平井康章)
 ≫(現代ビジネス>メディアと教養>週刊現代日本一の書評)


靖国問題 (ちくま新書)
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靖国と千鳥ケ淵 A級戦犯合祀の黒幕にされた男 (講談社+α文庫)
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