世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●限界と綻び鮮明 国連と米国による日本支配の構図 

2019å¹´04月25æ—¥ | å ±é“

 

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国連の政治力学―日本はどこにいるのか (中公新書)
北岡 伸一
中央公論新社


●限界と綻び鮮明 国連と米国による日本支配の構図 


米国による日本支配は、戦前からのことである。第二次大戦中に一時途絶えたが、戦後、再び元の支配体制に戻っただけだ。

特に、第一次大戦の勝利に酔う我が国は、ウォールストリートの金融マフィアらと共謀して、金儲けに勤しんでいた歴史がある。

日本の旧財閥の殆どが、このウォールストリートの金融マフィアとは友人関係にあった。

当然、ユダヤ人を中心とする金融マフィアの連中だったので、安倍首相などは、イスラエルに親近感を抱いているのだろう。

ただ、歴史の皮肉なのだろうが、ドイツにおいては、この金融マフィアの横暴な支配が、ナチスを生み、トンデモナイ、ユダヤ人迫害に繋がったのだから、歴史はボタンの掛け違いで、右にも左にも激しく転ぶものである。

日本と米国の関係は、日米の軍事同盟(日米安保)に限らず、米国は、戦後の官僚制と天皇制を保持することを選択、支配構造に、その力を組みこんだ。

ゆえに、戦前の天皇制と官僚制は、戦後においては、米国の意図に逆らう選択のない永遠のポジションと云う哀しげな地位が与えられたと理解する。

天皇制は、相当程度、治外法権な位置づけで、政治とは一線を画しているので、米国の意を汲む思想は、特段に壊されるリスクはなかった。

ただ、今回の天皇の生前退位などは、おそらくCIAの協力があったことが窺える。その後ろ盾があったので、安倍政権も、嫌々従ったと観るのが自然だ。


現在も、安倍政権が宮内庁にゲシュタポを送りこむものの、天皇制の存在依拠である「日本国憲法」護憲の精神は、米国の意志で維持されている。

安倍政権が、声高に「改憲」を一部の支持者にアピールしているようだが、両院で2/3議席を有しているにも関わらず、改憲発議まで持って行かないのは、持って行けないと云うより、持って行く気がないのが真実ではないかと思う。

表立った「改憲」には、日本国憲法を共同作業で生みだした、米国による、日本封じ込めの精神に反するわけで、米国中枢の怒りを買うリスクは残されている。

或る意味で、戦勝国全体への約束を反故にする意志表示にみえるリスクを抱えている。


天皇制を堅持したい皇室は、あくまで、“このままこのまま”を望むのは当然だ。

官僚制の側は、天皇制と異なり、日々日常において、政治との軋轢があり、米国支配と現行政権支配と云う、二重の管理者に使える身になっている。

このような立ち位置にある官僚たちは、原則は、行政のサボタージュを行う。

しかし、現在の安倍政権のように、官僚らの人生にまで手を突っ込むような管理体制を敷き、強圧的支配に置かれる。

米国というビッグ・ブラザーと政治と云うビッグ・ブラザーの両方の顔色をみる慌ただしい行政が必要になる。

結果、自己矛盾に満ちた法律や行政に手を出し、あやふやだった自分の国のバランスを、己の手で掻き交ぜる愚行に走っているのが現状だ。

つまり、ふたつのビック・ブラザーに挟まれ、身動きが取れないならいざ知らず、この二つの管理人は、言うことが異なるため、あちこちと命じられるままに弄りまわし、わが国の行政の仕組み自体を破壊した。

だいぶ前に書いたことだが、消費増税再々延期と衆参同日選を占ったが、現実味を帯びてきたようだ。

最近気づいたことだが、安倍政権と云うのは、米国を裏切ろうと云う心根を持ちながら、接近するたびに、様々なミッションを言い渡され、唯々諾々とそのミッションを受け入れてきた。

結局、安倍晋三の心根などは、些細なもので、米国の意志の前では、常に風前のともし火に似たもののようである。

つまり、日本の政府は、条件闘争は或る限られた範囲で認められているが、基本的な戦後の条件を覆すことはまかりならぬと戦勝国に言い渡された国家だと云うことだ。

このように考えてしまうと、なんだか、籠の鳥のようで物悲しいが、筆者は、さほど気にならない。

エコノミック・マニアな日本人の場合、経済大国という誇りとか、“ニッポン最高”みたいな感覚の人々にとって、現状の世界の枠組みは、息苦しいのは理解する。

ただ、その息苦しさは、偶然得たポジションに汲々として、己の真の姿を見失った人々と言えるだろう。

我々は、いつまで、経済大国の亡霊につきまとわれるのか、不思議でならない。

NHKを中心とするマスメディアの方向性が、日本人をエコノミックな価値にのみコミットする人々に教育したと言っても良いだろう。

世論調査の結果、政治に望むことは、景気・雇用、社会保障・年金など、経済事情に限定され、平和とか、豊かとか、平穏とか、融和とか、共生とか、そういう方向に人々が向かうような方向性を提示しないのだから、利己的動物の人間が向かうはずもない。

 ç½å®³ãŒèµ·ããŸæ™‚にだけ、経済以外の価値観を賛美してもダメなわけで、経済というものは、人間の煩悩であり、或る意味賤しいものでさえあると云う教育が欠如しているとしか言いようがない。

何が言いたいかと云うと、国連主義における戦勝国である常任理事国5か国+5Gが、ビッグ・ブラザー(ここまで来ると、ブラザーズになるのだが)であり、この基本的考えは永久に?変わらないのが国連主義である。

日本の一部の人には、だから再度戦争をして、戦勝国にならなければならない、と力む人もいる。

このようにギュウギュウ締めつけられている状況であれば、国連主義が保持している価値観から抜け出せば、彼らビッグ・ブラザーとの接点も消える。

つまり、彼らの管理範疇の外の世界にいることは可能なのだと思う。

国連主義も万能ではないわけで、彼らの価値観から遠ざかれば、彼らは、自らの枠をはみ出して、管理範疇の外の世界に足を踏み入れることはないのだ。

おそらく、まだ明確には見えていないが、これからの日本が国連主義の管理下から脱出する方法は、第三次大戦の戦勝国になるのではなく、戦勝国の管理下以外の価値観の世界に向かって行くことではないかと考える。

その姿は、まだおぼろげだが、幾分見えてきている。


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