世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●音もなく、軋みもなく崩れゆく日本、そして世界 水曜日の朝日新聞を眺めながら

2013å¹´09月12æ—¥ | æ—¥è¨˜
わるいやつら (集英社新書)
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●音もなく、軋みもなく崩れゆく日本、そして世界 水曜日の朝日新聞を眺めながら

 音もなく、軋みもなく自分が生きている大地が歪んでいるような気分にさせられる。特に、この問題が国家を自立的方向から遠ざけている、と指摘するのは難しい。しかし、間違いなく、あらぬ方向に向かっている。おそらく、このような現象は、日本に限られた悩みではないのかもしれない。ネガティブに対米従属だけを嘆いても埒のあかない問題が、世界を覆っているのだろう。それが何であるか、明確に指摘出来ないのはもどかしいが、人智の及ぶ範囲を超越したところに答えがあるのだろう。最近、若い人たちの間で「進撃の巨人」と云うアニメが持て囃されているが、どこかモチーフには人類への警鐘を感じさせるものがある。

 ここ数日、仕事に追われブログの更新が途絶えている。それこそ、食うための仕事は疎かに出来ないわけだが、ライフワークと言うには、どうも今ひとつ割り切れない気持ちを引き摺っている。その理由は、日本の指導的立場にいる人々の多くが、日本と云う国の力量を、嫌と言うほど思い知らされ、戦意を喪失している不都合な事実を観察すれば、自ずと感じる部分である。筆者の立場は、あくまで外野としての批評に徹しているので、火中の栗を拾うつもりもないし、接近しようともしない。人によると、“あいば”は口ばかりだと罵る者も多いのだが、敢えて飯のタネにせずに、この国の指導者たらんとする人々を悪しざまに貶すことが可能なわけで、郷に入れば郷に入ったジレンマがある、と云う事だ。

 さて11日水曜日の朝日新聞を眺めながら、一言二言、好き勝手を言わせて頂くことにする。先ず、一面で目立つ記事は、東日本大震災から2年半が経ったと云うのに、仮設入居率が、なお9割と云う話だ。ここ数日は、7年後のオリンピック開催決定で、日本中が大騒ぎだったが、気がつけば、7年後の話で、「その前にするべきこと」が山ほどあるような、と云う気分にさせられる。大震災からの復興に向けてと云う言葉が空々しいほど、復旧自体が進んでいない事に我々は目を向けるべきである。オリンピックでインフラ整備が加速するとか、あまりに同一国家の国民として恥ずかしいと思わないのだろうか。NHKの大越などは、白々しく復興の遅れを指摘するが、明日には、大震災に見舞われた現地のことをスッカリ忘れ、景気が上向きとか、またぞろ言い出すのだろう。糞、忌々しいNHKである(笑)。

 シリア問題では、振り上げた拳の下ろし処を模索していたオバマにロシアが絶好にチャンスを提供してくれた。これで、プーチンはオバマに貸しを作ったとも言える。オバマから、否、アメリカがロシアに借りを作ったと云う事だ。いまだにシリア政権が化学兵器を使用したかどうか、科学的証明も出来ず、日本の司法の如く、状況証拠の積み重ねで、臭いものを裁くと云う、到底国際通念に准じているとは思えない思い込みで、他国を裁こうとしている。好きな国ではないにしても、ロシアや中国のような国が存在しなかったなら、今頃世界はアメリカによって、破壊されつくしていたかもしれない。やはり棘がある方が、思考と云う人間らしさが機能するのかもしれない、とつくづく思う世界の情勢だ。

 険悪な状況から一歩も前進していない“日中関係”は、双方の浅ましい態度の蟻地獄に嵌り、今やニッチもサッチも行かなくなっている。この日中の睨みあいも、プーチンに行司役を依頼したら“ヨカンべヨ”と思いたくなる(笑)。おそらく、現時点で、世界で最も重要な世界のリーダー政治家は、オバマや習、オランド、キャメロンでもない、無論安倍であるわけがない(笑)。どうも21世紀の世界の監視役がロシアの大統領とドイツのメルケルだと云う事実は、何故かとても不思議で、異次元の世界に入り込んだ気分になる。

 安倍政権が消費増税を8%に上げた場合(必ず上げる)の為に、経済対策を打とうとしているようだ。貧乏人に現金を配るとか、投資減税をするとか、賃上げ企業の法人税を減免するとか、出鱈目な政策を考えているようだ。逆に言うなら、そのような“弥縫策”を弄しないと景気な腰折れするのであれば、現在強弁中の好景気が嘘だ、と確実に認識していると云う証左だろう。それで、意味もなく霞が関の役人が焼け太りするような、手間暇を増やすのだから、“棄民政権”と云うよりも、“棄国政権”の冠を提供したいものである。

 14面に日中尖閣問題に火をつけた石原慎太郎とのインタビューが出ていた。尖閣はやはり東京都が買うべきだった。野田の馬鹿が、支持率アップの為にしゃしゃり出て、横から手を出し、却って国対国の蟻地獄に突入した。悪いのは俺じゃなく、民主党の野田佳彦だよ、と言い放っている。ある一面で、真実を言い当てているが、そもそもネオコンに唆され踊りだしたのが、石原だと云う事実に蓋は出来ない。80歳にして恥すらも忘れてしまったのだろう。哀れな老政治家の醜態だ。その同一面に小さく、風前の灯火の民主党の「次の内閣」の面々を、朝日新聞は極小に揶揄するように伝えている(笑)。あいも変わらぬ馬鹿者たちの名前が羅列されていたのは笑ってしまった(笑)。

 だいぶ長くなったので、そろそろ寝るとするが、最後に王貞治の「本塁打記録の聖域」が破られそうな按配について一言。世界に門戸を開きたいのなら、このような聖域こそ、破られるべきであるし、MLBと混同した記録の価値と云うものを、考え直すべき時代が来ていると云うことだろう。特にケチをつける気はないが、日経がこの問題を意味深に解釈するコラムを書いている。二度目のオリンピックをする以上、世界に門戸を開く度量を持たない限り、グローバルはないだろう。勿論、筆者は非グローバル論者だから、野球は野球、ベースボールじゃない、と云う立場は変わらない(笑)。

≪ 本塁打記録、“聖域”打ち破るバレンティン
 もう「見えざる壁」も打ち砕かれた。かつて“聖域”ともみられていた年間本塁打記録の55号に並び、記録更新に王手をかけたウラディミール・バレンティ ン(ヤクルト)。いわゆる消化試合が減ったクライマックスシリーズ(CS)制度の追い風もあるが、壁を破ったのはこざかしい細工や逃げを許さない、絶対の “腕力”だ。

■「あんな打球は見たことない」
 「クソボール。あんな打球は見たことないな。バレンティンでなければできない芸当だよ」
 王貞治さんらが持つシーズン55本塁打の日本記録に迫ったバレンティンの54号(10日の広島戦、神宮球場)を、テレビ解説の席で見守った 谷沢健一さん(元中日)は話す。それは谷沢さんの長い現役生活と解説者生活のなかでも、みたことのない打球だったという。広島、というより日本のエースといっていい前田健太からの1発は顔のあたりの高さの球をひっぱたいたものだった。
 異次元の打球は多くの関係者に、故障さえなければ記録更新間違いなし、との確信を与えた。球場の広さも、飛ぶ球も飛ばない球も関係なく、積み重ねてきた1本、1本が、こざかしいまねをしたところで、もうバレンティンは誰にも止められない、とすべての人に受け入れさせたともいえるだろう。
 55号を喫した広島の大竹寛は言う。「絶対に打ち取るつもりで投げた。打たれた球はコースは悪くなかった。相手の力が上だった」。そこにはかつて記録に挑んだ選手から逃げた投手の後ろ暗さはみじんもなかった。野村謙二郎監督も「(これからも)勝負するところはするし、避けなければいけないところでは避ける」と腹をくくっている。  「日本球界もずいぶん嫌なことをしてきたからね。バレンティンが記録を破るのはいいことだと思うよ」と谷沢さんは語る。

■王さんは“レジェンド”だった
 日本球界は「55」に挑んだ外国人選手になんと冷たかったことか。1985年のランディー・バース(阪神)は巨人との最終戦でまともに勝負してもらえず、54本止まり。
 2001年のタフィー・ローズ(近鉄)、02年のアレックス・カブレラ(西武)はともに「55」に並んだが、そこまでだった。王さんが在籍した巨人だけでなく、縁遠そうな球団までが勝負を避けるかのようなムードに染まったのが不思議だった。  谷沢さんたちの世代にとって、王さんの記録が、当時すでに“レジェンド”であったのは間違いないという。
 「10年近く現役時代を一緒に過ごさせてもらったが、あの弾道、そしてボールをしばくときの音。木製バットなのに金属音がするのは王さんだけでした」
 一塁を守っていても、好調時の王さんの打球に対しては一歩も動けなかった。王シフトで狭めている一、二塁間をあっという間に抜けていった。
 そんなすごさを知っているから、「55」へのリスペクトはあった。「聖域だったんだよね」

■風向き変化、背景にメジャーとの接点
 さすがにもう時代が変わったようだ。55号に並んで迎えたバレンティンの11日の最終打席。広島の2番手、横山竜士の球が1球、2球とはずれるとヤクルトファンのみならず、広島ファンからもため息が漏れた。結局四球だったが、新記録への期待に満ちた球場は「聖域」が過去のものになったことを示していた。
 潮目はやはりこの10年、20年でメジャーに接する機会が増えたからではないかと、谷沢さんはみる。「昔は選手もチームのスタッフも、そしてファンも『55』を守りたいという意識があった。けれどもメジャーの野球をみていたら、そんなことをやっていたことが恥ずかしくなってきたんだね」
 バレンティンの記録の行方については米国でも関心が寄せられ、5日のニューヨーク・タイムズ電子版は王さんの記録が“保護”されてきた経緯とともにこの話題を取り上げた。

■マイナスイメージ、球界にとどまらず
 この中で日経電子版の「バレンティン外野手の『王選手超え』をどう思いますか」という読者アンケートの結果が引用されている。「記録は破られるものであり、ぜひ達成してほしい」が69%、「破られたらそれでしかたない」が27%で、「敬遠してでも新記録を阻止すべきだ」は1%に満たなかった ことが紹介された。
 日本人の「意識」に、あちらからも目が向けられている点が興味深い。日本の一大人気スポーツである野球で、決してフェアとはいえないことが行われてきた。それは「日本はスポーツの精神を本当に理解しているか」という疑義につながりかねないものをはらんでいた。
 バレンティンに残された試合は22。もう問題は記録を更新するかどうかでなく、何本まで伸ばすか。それはプロ野球の後ろ暗い過去を払拭していく旅になる。≫(日経新聞:篠山正幸)

経済成長がすべてか?――デモクラシーが人文学を必要とする理由
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