3.
ヒットラーの国家ベルリンにおける焚書(1933年5月)
A.
テロと締め付け 1933年3月以来、全体主義の権力は急速に確立された。ナチス体制は、最初の強制収容所をダッハウに開設することによって、ナチス体制は国家テロリズムを実行するだけでなく、国民を徹底的に締め付けた。1933年5月2日、労働組合は労働戦線に取って代わられ、5月10日にはいわゆる「退廃」文書が焚書に処された。7月1日には唯一の政党が創設された。ドイツ第三帝国はもはや連邦制ではなく、中央集権的な統一国家となった。ヒットラーは1934年6月30日の「長いナイフの夜」[ ナチス内部の粛清 ] 事件によって、最後の反対派を粛清した。レームおよび突撃隊SAの首脳、そして反資本主義者たちは、親衛隊SSによって暗殺された。8月2日のヒンデンブルグが亡くなると、ヒットラーは指導者Führerと帝国の首相を兼務した。
唯一の政党であるナチス党とその数多くの組織は、「睡眠のみが個人に残された領域」といえるほど社会をコントロールした。警察国家は1936年以降、約10万人の「ブロック長 (chefs d’ilots)」[ 隣人の監視 ] から33人の地方長 Gauleiterまでに及んだ。1936年親衛隊長ヒムラーは、全国民を網の目のように監視する国家保安本部RSHAをハイドリッヒに任せ、ゲシュタポを含む警察全体を再編した。ヒットラー・ユルゲントは男子を組織し、軍事教練をおこない、女子には母親の役割について教育した。ヒットラー・ユルゲントは、宗派の学校および母親に取って代わった。労働戦線は、再軍備の取り組みに依拠して労働者(国民の50%を占める)の境遇の改善を図り、余暇は「歓喜力行団」が計画した。最後は、ゲッペルスによって組織されたプロパガンダが、大衆を洗脳するのである。
B.
自給自足経済と再軍備 1933年からヒットラーは、経済恐慌にたいする早急な解決を見いださなければならないことを悟った。ゲーリングが指導する4年計画によって、1936年に自給自足経済が始まった。ゲーリングは、第一次原材料の輸入を制限し、それに代わる代替財(Ertsartz)を考案した。バルカン半島やダニューブ川沿岸のヨーロッパ諸国からの輸入品は、為替を経ずにドイツの輸出によって相殺された。関税障壁によって農業を保護した。失業を解消するために、ヒットラーは大規模公共事業の政策をかかげ、女性には家庭にとどまるように呼びかけた。それに1935年には徴兵制が復活し、親衛隊への入隊がそれに加わった。
しかし問題を解決したのは、1936年から始まった膨大な再軍備であった。軍事経済化は生産を活発にした。すなわち戦争へ踏み出すことで、企業は新たな市場の開拓に頭を痛めることはなくなったのである。IGファルベンやクルップのような巨大工業グループは、自分たちを富ませるこの政策に協力する。というのは、もし所得が頭打ちになったり購買力が低水準にとどまるようなことになると、その政策に関する融資が保証されるからである。
C.
レジスタンス ナチスにたいする同意の流れは社会の全体に広まり、最初の対外的な成果によって補強された。この背景には、ナチス体制にたいするレジスタンスが極めて難しいということがある。トーマスマンやアイシュタインをはじめとする多くの知識人や学者が、亡命することを望んだ。共産主義者がまず最初に、強制収容所にいれられた。そして社会主義者が、非合法のビラや新聞を配布することを我慢しなければならなかった。カトリックの教会はナチスとの間に正教条約を結んだが、1936年以後これが遵守されなくなったときに不信感を抱いた。カトリックの小教区では、司祭が自ら拒絶を説いた。そしてプロテスタントの教会は、ナチスの側に加わる多数派とそうでない少数派に分かれた。少数派は、カール・バルト Karl Barthやマルチン・ニーメラー Martin Niemöler* を支持し、積極的にレジスタンス活動に身を投じ、暴力的に弾圧された。
* ニーメラーのこの詩は有名です。
ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。
– 『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』より
種を入れた紙袋に隠された反ナチスの文書(1937年)
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記録的な寒さ(季節的に)が続いていますが、皆さんお元気ですか?
陶友通信NO.123がアップされました。
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