ワルシャワ、レジスタンスに殉じた街1944年8月1日、ポーランドのレジスタンスが起こしたワルシャワ蜂起は、63日間続いた。そして少なくとも1万6千人の戦闘員と、10万人の市民の命を犠牲にした。ポーランドの首都は、すでに1939年以来大規模な攻撃を受けており、80%が破壊された。
ユーゴスラヴィアの共産主義とレジスタンス― チトー
クロアチア出身、ヨシップ・ブロズ・チトー(1892年-1980年)、1937年からユーゴスラヴィア共産党の書記長、ドイツ占領とウスタシャ(アンテ・パベリッチが率いる民族主義団体)の対独協力体制に対するパルチザン闘争に全力を注いだ。1980年に死去するまで、解放されたユーゴスラヴィアを指導した。
<目次>
1.ヨーロッパにおける新しい秩序
<資料>東ヨーロッパ―共産主義根絶の戦争
2.第二次世界大戦中のドイツ社会
<資料>第二次世界大戦中の、ナチズムにたいするドイツ人のレジスタンス
3.ヨーロッパのユダヤ人
<資料>ゲットー、虐殺、処刑―ユダヤ人虐殺の第一段階
4.強制収容所の内部
<資料>アウシュヴィッツ
対談を組織して、証言を分析する
今日は、イル・サンジェルマン公園で暮らしている動物君たちを紹介します。
私の散歩は、朝だったり、夕方だったり、一定しません。今日は夕暮れ前でした。
これはイル・サンジェルマン公園の入り口の花壇です。
あさ8時30分、イル・サンジェルマン公園に来てみると、朝靄の帯が漂っていました。幻想的な光景に、ウオーキングも忘れて、しばし見とれていました。
1.「第二の」手段多くの場合歴史地図は、第一の手段(研究された事象についての同時代の資料)ではないが、第二の手段ではある。すなわち歴史家が、事象のあと長い時間をかけて、様々な記録に基づいて作成した総括的な資料である。
カミカゼの攻撃1945年太平洋戦争において、アメリカ空母ホーネットへの攻撃。軍事力の劣勢の中で、1944年10月から数千名のカミカゼ(神風)特攻隊員が、決死の作戦に志願させられた。
1943年12月1日、テヘラン会談における三巨頭
大連合の勝利者は、平和への復帰をどのように展望したか?
デモクラシーの勝利? 戦争の期間中、枢軸国は意見の違いを乗り越え、敵に対して共同戦線をつくりあげることに成功した。ソ連はアメリカの援助を、貸し借りの名目で受け入れた。その見返りとして、スターリンは1943年6月に、コミンテルンを解散した。しかし連合国は、将来の平和の構築については大きく意見を異にした。アングロ-サクソンが、デモクラシーの原理が優勢を占めるのを願うのに対して、スターリンは、ナチズムに対する戦いでソ連が手にした威信を使用して、赤軍が占領する国々における影響力の下におくことを望んだ。
このデーターは極めて不正確なものであるが、ヨーロッパ各国にとって大戦の被害者数を把握するのは、極めて難しい。公にされた数字はそれほど正確ではなく、強制収容所の犠牲者の全体数の把握は、いまもって重要視されていない(例えばハンガリー)。下に示した表の数字は、著作の注解に示されたものを参考にした。次の書物に示されたデーターにおいても、それぞれ大きく異なる箇所が見受けられる。
1945年の世界
スターリングラードにおけるドイツの敗北
1943年に作成された、ソ連の戯画。
連合国はいかにして戦争の流れを変えることに成功したか?
1942年の転換 1942年1月1日、ワシントン会議の一環として集まった26か国の代表は、1941年8月にチャーチルとルーズヴェルトとが作成した大西洋憲章に調印した。憲章は連合国の戦争目標を決めた。すなわちナチス体制の根絶および民主主義の原理と民族の自決権に立脚した新しい世界秩序の確立である。アメリカの戦争遂行の機構は、1942年1月6日の
勝利のプログラムの開始とともに始動している。
1936年に発行された総力戦論の中で、ドイツの将軍ルーデンドルフは、第一次世界大戦から次のような教訓を引き出している。「戦争はもはや、人間の勇気あるいは武器の性能に依拠するのではなく、戦争に全国民を動員する国家の指導力に依拠する」。第二次世界大戦は、物量や武器製造に動員された人員の、前例のない規模の大きさによって、第一次世界大戦にくらべより鮮明にこの特徴を示している。
アルデンヌの突破
|戦車の動き |大砲による援護 |空からの援護 |フランス軍の撤退
ブリテンの闘い、1940年
ロンドン空襲の間、地下鉄のピカディリー駅構内に避難したロンドン市民。
ドイツ軍と日本軍が手にした、戦争の初期における成功は、いかに説明できるか?
ドイツの勝利(1939年-1942年)
中国における日本の進出
ローマ・ベルリン枢軸の形成(1937年)1937年10月4日、Duce[ムッソリーニは自分のことを首領と呼ばせた-訳注]のミュンヘン訪問の際に組織されたナチスの行進を見る、ヒットラーとムッソリーニ。
5千万人の死者を出した第二次世界大戦は、第一次世界大戦をさらに上回る「総力戦」であった。交戦国は単なる征服や防衛にとどまらず、敵を殲滅することを目的とした。ドイツそして日本の占領のもとで、国民は丸ごと奴隷状態におかれるか、虐殺された。戦勝によって、アメリカ合衆国とソビエト連邦は、古いヨーロッパの大国にかわって超大国となった。
長らく中断していた、仏独共同歴史教科書の紹介を再開します。今回は第二次世界大戦を扱います。目次は次のとおりです。
イル・サンジェルマン公園の近くの橋からの眺めです。秋の深まりが、木々を黄色に染め上げています。
この教科書は、平等がどれだけ実現されているかを検証する構成になっています。
それは、「人と市民の権利宣言」の第1条「人はすべて、尊厳と権利において自由かつ平等に生まれる」が、差別および平等をとりあげる全ての章(第1章、第3章、第4章)の冒頭に掲げられていることでわかります。
また絶えず「法には、何と書いてあるの?」と、法の規定を確認・意識させています。
5 基礎的知識の共有―社会的、市民的知識→人の権利について知ること
証言
「先生、ありがとうございます。こんなに早く手術が終わるなんて」
「手術は結構難しかったけど、ここには最先端の医療設備があるからね」
1 知識を確かめる―
不平等を少なくする[クロスワード]下の定義を参考にして、次のこと言葉を空欄に埋めなさい。
責任―虐待―パリテ―HALDE―社会福祉事業―人道的団体―性差別主義―ボランティア
→どんな活動によって、不平等を減らすことができるか?
→これらの活動は、いかにしてみんなの責任として巻き込んでいくのか?
フランスでは、人道団体が貧しい人々を助けることによって、排除とたたかっています。風刺家であるコリューシュが1985年に創設した「心のレストラン」は、この目的を追求しています。