パリの地下鉄の名物に、パフォーマンスがあります。路線の連絡通路に、演奏や合唱をやるのです。クラシック、ポップス、中米、ロシア民謡と多彩です。演奏はだいたい一人の場合が多いのですが、集団でやる人たちもいます。一人でやるときは、演奏する楽器をのぞいたカラオケを流します。つまりバックに幾人かの協力者がいることになります。こうした人たちは、一定の水準以上なのです。つまりパリ市交通公団(RATP)の審査を通り、演奏の許可をもらった人たちです。CDも発売しています。トンネルを思わせる殺風景な地下通路を通っているとき、どこからか聞こえてくる美しいメロディーは、心に和らぎを与えるものです。おもわず1ユーロをバイオリンのケースに入れたくなります。

こうした公認の演奏のほかに、おもに車両の中で無許可で演奏する人たちもいます。こうした人たちもカラオケのデッキを持ち歩いています。演奏がおわると車内をひとまわりします。なかにはかろうじて旋律を奏でることができる程度の人もいます。よくRATPの職員につかまっているのを見かけます。たぶん地下鉄の外に追い出されるのでしょう。
演奏だけではありません。私がいつも感心するのはマリオネットをやる人です。つかまり棒が2つある車両に乗ると、運が良ければ見ることができます。電車が発車するとすぐに、2つのつかまり棒の間に絵が描いてある幕を張ります。軽快な音楽にあわせて、生き生きとした動きで人形を操作します。子どもたちは大喜びです。終わるとあっという間に幕をたたんで、車内をひとまわりです。その間1分、じつに手際がよいのです。子どもたちと一緒に拍手までしたマダムは、がま口を開けることはありませんでした。
そのほかに小冊子や詩を売りに来る人がいます。小冊子は、「安いレストラン紹介」とか、「昔のパリの職業」とか、あるいは私が種本にした「地下鉄駅名辞典」などです。私が見る限りでは詩を売るのは一人のようです。たとえばユーゴーの恋愛詩集をコピーしたのを手にして、車内をまわります。
失業者も訴えに来ます。「私は失業者で、子どもが何人いて・・」と大きな声で語り出します。ときにはあまり演説が得意ではなく、一生懸命話す人もいます。わたしはこの人にはついコインを渡してしまいます。若者がカンパするのをよく見かけます。こうしたとき、連帯の精神が生きているんだなと思うのです。
私が見るかぎり、地下鉄の運転手の多くは無帽、私服です。構内巡回の職員は、当然制服です。ときどき改札口付近で検札しているのに出会います。というのは無賃乗車が多いからです。無賃乗車には改札口を飛び越えて構内に入るスポーツ型と、改札口を通る人と一緒に入る便乗型があります。にっこり笑って「一緒にいい?」と頼まれると、なかな断ることができずついつい共犯者になってしまいます。
378の駅の中には個性豊かなホームを持つ駅があります。ルーブル・リボリ駅のホームには、ルーブル美術館の美術品のレプリカが陳列してあります。ホーム全体を暗くしてレプリカを照明しているところは、さながら美術館の中にいるような感じさえします。ソルボンヌ大学に近いクリーシー・ソルボンヌ駅のホームの天井は、フランスを代表する芸術家、作家あるいは王たちのサインで埋まっていま。フランス革命の発祥の地であるバスティーユ駅のホームには、革命当時の様子をえがいた壁画が飾ってあります。このホームは地上にあって、地下にある別の路線のホームには、バスティーユ城塞の外壁の一部が露出しています。パリ市庁舎のあるホテル・ド・ビル駅のホームには、パリの歴史や風俗を解説したパネルが飾ってあります。そしてシャンゼリゼ通りにあるフランクリン・ルーズベルト駅には、小さなショーウインドが、乗客の目を楽しませてくれます。こうした駅の駅名をしめすプレートも特色があります。

ルーブル・リボリ駅のホーム

クリューシー・ソルボンヌ駅の画家クールベのサイン

バスチーユ駅ホームの壁画

バスチーユ城塞の外壁の一部

オテル・ド・ビル駅ホームのパネル

フランクリン・ルーズベルト駅のショーウインドー
地下鉄の駅の名前は、日本と随分違います。地名を示す名前の他に、人名、日付などの名前もあります。作家ではユーゴー、ゾラ、ドュマ、アナトール・フランス、ルイ・アラゴンの名がありますが、スタンダール、バルザック、フロベールなどの文豪の名前がないのが不思議に思われます。科学者ではひとりパスツールの名前があります。画家はピカソのみです。啓蒙思想家ではボルテール、ディドロがあってルソーがないのが不自然です。政治家では共産党と分裂する前の社会党の創始者、ジャン・ジョレスの名前がついた駅がふたつもあります。これはジョレスがいかに人気があった政治家であるかを示しているように思います。左翼の政治家の名前が多いのも、いかにもフランス的ではあります。フランス的といえば、シャルル・ミシェルやギ・モケといったレジスタンスの活動家の名がついた駅名があることです。共産党の代議士を父に持つギ・モケは、17歳でゲシュタポに銃殺されます。17歳半の短い人生でした。日付がついた駅は2つあります。1945年5月8日駅は、第2次世界大戦の西部戦線におけるドイツの降伏を記念したものです。そして9月4日駅の日付は、普仏戦争の時に国民防衛政府が第3共和制を宣言した日を示します。そしてもっともフランス的な名であるリベルテ(自由)の名がついた駅名が8番線にあります。
ところでパリに来てすぐの頃、9番線のジャベル駅からエグリーズ・ドトイユ駅へ行く途中で不思議な体験をしました。車両が空中(地中ですが)に浮き上がるような感覚にとらえられるのです。というのは左側の下の方にホームが見え、それがますます沈んでいくように見えるのです。実はジャベル駅とポルト・ドトイユ駅の間が別のトンネルになっていて、たまたまホームが見えるトンネルが高い位置にあり、しかもその区間が傾斜しているというだけのことだったのです。