2019
05/10
金
本日は岐阜県各務原市鵜沼にあります『貞照寺』(ていしょうじ)から参詣に行きました(^^)/珍しく寺号標は何処にも見当たりませんでした。。。山号は表題にもありますように、成田山です。真言宗智山派の寺院になります。東海三十六不動尊霊場の第三十番礼所です。
入口から参道の正面に見えますのは、仁王門です。赤いノボリと左手に手水舎があります。
「南無大聖不動明王」「大日大聖不動明王」と書かれた不動尊霊場の赤いノボリがたくさん立てられています。
手水舎にて身を清めて参拝にうかがいます。
成田山貞照寺の縁起がありました。
「ここ、成田山貞照寺は、日本の女優第一号、川上貞奴女史が私財を投じて開創した御寺であります。
貞奴女史(旧名小山貞)は明治四年七月十八日に東京で生まれました。幼い頃から日本舞踊に親しみ、七歳には舞台に上がり大いなる人気を博していきました。芸の研鑽を重ねていた時、オッペケペー節で一世を風靡していた書生芝居作家の川上音二郎と出会い結婚。
川上音二郎一度として、アメリカ、ヨーロッパに渡り、エキゾチックな日本舞踊を披露するなどし、欧米諸国にジャポニズム風潮を広めました。各国の人々からは親しみを込めて『マダム貞奴』と呼ばれ、日本人女優一号として成功を収めました。
貞奴女史は、大本山成田山新勝寺(千葉県成田市)のご本尊不動明王を篤く信仰し、人生に支えとし幾多の困難を乗り越える助けとしていました。
当山の本堂は、昭和八年十月二十八日、当寺の成田山新勝寺の諸堂伽藍を模して創建され、周囲には八面の堂羽目板があり、そこには貞奴女史が生涯において不動尊信仰により救われたとされる霊験記の彫刻が施されています。
平成に入ってからは、東海地方において不動尊信仰を伝える東海三十六不動尊霊場の第三十番礼所となっております。また諸堂伽藍は、平成十八年より文化庁の登録有形文化財に指定されております。
現在、日本の女優第一号の貞奴女史に因んで諸芸上達・芸能、また、本尊不動明王の御霊徳を示す御寺として現在多くの善男善女の御参拝をいただいています。」
銅板葺き入母屋造り唐破風付きの仁王門になります。銅屋根の緑青が良い味出してます(^^)/
阿形・吽形の金剛力士(仁王像)が睨みをきかせています。
仁王門の入口上には「成田山」の扁額が掲げられています。欄間部分はは手の込んだ彫刻欄間となっていました。
広い境内の一番奥に本堂が建っています。右側には授与所と庫裏があります。
境内の南側には袴腰付の鐘楼堂がありました。こちらも銅板葺き入母屋造りです。
仁王門と同じ、銅板葺き入母屋造り唐破風付きの本堂です。鉄筋コンクリートで櫓を組んだ高床式となっている、珍しい形で造られていました。
本堂の左手、山裾に稲荷堂がありました。「鵜沼不動尊」と刻まれた石碑が建っていますが、どうやらこれが寺号標だったようです。道路の拡張等でここに再建されたようです(^^;)
更に左側には、「貞奴縁起館」がありました。女優貞奴に関する遺品、演劇脚本等、多数が展示されているようです。
本堂正面には、高床のため長い石段が設けられています。伺ったのは2月2日でしたので、「成田山節分まつり」のカラフルなノボリがたくさん立てられていました。
本堂全景ですが、横幅が大きいので階段上からでは横幅いっぱいに撮れませんでした。
屋根は銅葺きなので、棟の鬼飾りも銅板でできてるんですねぇ~(^^;)
ご本尊は縁起にもありましたが、貞奴が崇敬した不動明王になります。
本堂の裏側には、貞奴の霊験記が彫刻となって保存されています。
本堂向拝にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
本堂から北西の山際に、観音像と「川上貞奴之墓」と書かれた霊廟がありました。貞奴も霊廟に葬られています。
最後は庫裡で御朱印をいただきました~(^^)/
御朱印(東海三十六不動尊)
場所:貞照寺
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