2024
12/08
日
前回は「横川中堂」に来るまでをお伝えしましたが、今回はそこの続きから(^^)/
丹塗りの朱色が綺麗な横川中堂の正面外観です。正面のスロープから中に入ります。
土足厳禁の看板があるので、入口前で履物をぬいで、靴下で中に入ります。
外陣では帽子禁止、撮影禁止などあるので、要注意です。とりあえず入口から撮った中の様子です。正面には聖観音立像が祀られていました。内陣拝観はできないので御本尊を見ることはできなかったので不明ですが、ご本尊の写しなのかな?
横川中堂を後にして、東に向かうと最初にあったのは「赤山宮」です。
「慈覚大師円仁和尚が勅許を得て、入唐留学の時、中国の赤山に於いて、新羅明神を留学中仏法研究の守護神とし、勧請自ら呪命神として受持し、その功徳によって十年間修行が無事終わったので、帰国後この地に祀られました。」と書かれていました。
自然のパワーを浴びながら参道を進みます。次にありましたのは「鐘楼」です。何も書かれていませんでしたが、この「横川鐘楼」は国の重要文化財となっています。
横川鐘楼を本来は左に行きますが、右側を行った先にも少しありますので、そちらを先に見ます。最初は「海軍通信学校慰霊碑」がありました。その右手にあった建物は何なのかわかりません(^^;)
続いては「恵心堂」です。南無阿弥陀仏と書かれた石柱から中に進みます。
右にカーブしている石畳の先に建物が見えます。木々に囲まれた「恵心堂」はとても神秘的です。
建物は銅板葺き宝形造りで、入口左には「恵心院」の表札が掛かっていました。
恵心堂の説明は入口にあった看板の内容を下に記します。
「恵心僧都の旧跡で、藤原兼家が元三慈恵大師のために建立した寺です。門前に「極重悪人無他方便唯称弥陀得生極楽」とあるように、念仏三昧の道場です。
恵心僧都は恵心院に篭り、仏道修行と多くの著述に専念され、有名な「往生要集 」や「ニ十五昧式」「六道十界ノ図」「弥陀来迎ノ図」等を著し、浄土教の基礎を築かれました。
毎年六月十日のご命日には「二十五三昧式」の講式が唱えられ、僧都の報恩法要が営まれています。
付近の都率谷墓地に恵心廟があります。」
今回はここで終了です。次回は横川の最奥まで行きます。乞うご期待(^^)/
御朱印は横川中堂で大悲殿が書かれています。
場所:比叡山延暦寺(横川中堂)





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COMMENT
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No.150 Re: No title
いつもコメントありがとうございます。
あれだけ輝いてると御利益ありそうですよね〜(笑)投稿者:akino1942 2024/12/10 (火) 15:23
No.149 No title
聖観音立像が金ぴかで輝いていて素敵でしたね