2019
05/12
日
地域の主要道路に面した入口に来ました。駐車場は参道途中にあります。入口の両サイドには石柱と左に寺号標がありました。
寺号標には「臨済山 龍福護国禅寺」と刻まれています。山号は臨済山、寺号はいつ頃まで寺号標のように呼ばれていたのかはわかりませんが、今は龍福寺で名乗られています。臨済宗妙心寺派の寺院です。
山の景色が素晴らしい参道を、山の麓にある境内まで上がっていきます。
真っ直ぐ突き当たりに山門が見えます。右へは車で境内へ直行できます。分かれ道の左側にお堂と小さい祠がありましたが、撮り忘れました(^^;)
寛政十年(1800)再建の山門です。山門柱に「美濃西国 第二十八番霊場」と書かれた札が掲げられていました。表題にもありますが、龍済寺は美濃西国三十三観音霊場の第二十八番礼所となります。
山門を抜けると石段の階段になります。正面に見えるのは総門(楼門)になります。石段脇には美濃西国のノボリが数多く立てられています。
宝暦三年(1753)に建立された総門は、本瓦葺き入母屋造りで2階建て八脚門の楼門です。入母屋の屋根にはシャチホコが付いていました。
総門から境内で見えるのは、本堂と玄関です。
境内側から見た総門です。バランスのとても良い形をしています(^^)/
境内の庭園に敷き詰められた砂には、美しくほうき目が付けられ綺麗に整備されています。
導線になる参道は石畳、植栽は灌木と高木を綺麗に配置し、枯山水風のほうき目の砂敷きと、バランスを考えて美しくまとめています。
境内の東側には袴腰付の鐘楼堂がありました。
寛政十年(1800)に再建された大きい庫裡と、檜皮葺で唐破風屋根の玄関です。
とても美しい檜皮葺の本堂になります。大きな角塔婆(かくとうば)には、「大圓鏡智」と書かれていますので、各面に四智が書かれていると思います。(すいません、そこまで見ませんでした(^^;))
龍福寺縁起
「龍福寺は、弘治三年(1557)当時この地を治めていた加治田城主 佐藤紀伊守忠能公が妙心寺四派の一つである龍泉派の天猷玄晃禅師を招いて開山された。佐藤忠能公は、元は齊藤方の家臣であったが信長に与し、信長の美濃攻略に大いに貢献する。後の関・加治田合戦にて嫡男忠康を失い、齊藤道三の末子利治を養子として迎えたのち隠居した。龍福寺は、この地方の中核寺院として栄え、宝永三年(1706)に本堂、宝暦三年(1753)に総門、寛政十二年(1800)に山門、書院、庫裏が再建されている。」
本堂前のこの砂山も、一風変わっていたので撮ってきました(≧∇≦)ノ
本堂前です。入口両側に「美濃西国」と「東海百観音」の札が掲げられています。向拝はありませんので、堂内にてお参りさせていただきました<(_ _)>
堂内西側に納経所がありましたので、納経印(御朱印)をいただきました。
最初の山門へ行く分かれ道を右側に行った場所側から、境内の伽藍全景になります。
龍福寺はボクが巡拝した寺院の中でも、最上位に入る整備された美しい寺院でした!
納経印
場所:龍福寺(加茂郡)
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