國弘正雄著 「國弘流 英語の話し方」
昨年の秋に英検一級の試験を受け、落ちて、そしていろんな事が雪崩のように発生する中、いつの間にか半年近く英語の勉強から遠ざかっていました。
國弘正雄先生と言えば「只管朗読」というくらい先生の代名詞のようになっていますが、これ「ただただ、ひたすら朗読すること」です。
音読を繰り返すことにより、「日本語が頭に浮かばないのに、意味がイメージとして実感できる」状態になることを目指していきます。
ただ、「繰り返す」と言っても、10回とか20回の話ではありません。國弘先生自身、中学校の時に、教科書を500回から1000回も音読をしたと書かれています。
(手元の本は10年前のものなので、“腰巻”に筑紫哲也さんの推薦文が載っていますね)
例えば、
I think you know I love you.
という短い英文を“ひっくり返して”読むと、
「私があなたを愛していることを、あなたが知っていると私は思う」
となりますが、そうではなく“頭から順番に”意味をとっていくのが当然であり、そしてそれが出来るようになる一番の近道が「只管朗読」なんだということです。
上の英文で言えば、I think → you know → I love you. の流れで理解しなくてはならないのです。そしてこの英文を10回、20回と音読していくうちに「日本語が頭に浮かばないのに、意味がイメージとして実感できる」状態になることが分かります。
答えは簡単です。逆立ちができるようになったのは「練習したから」です。
逆立ちに限らず、自転車に乗れるようになったのも、泳げるようになったのも、それこそありとあらゆるものが「練習したから」出来るようになったのではないでしょうか。
ところが、不思議なことに英語となると、練習が必要だという当たり前のことに気づいていない人がほとんどです、とは國弘先生の弁です。
そして、英語における「練習」にあたるものが「只管朗読」なのです。
見たり読んだりといった受け身的な行為(いわゆる「座学」でしょうか)によって覚えることを「知的記憶」と呼びますが、体を動かし、大脳の中の回路を経ることによって覚えることを「運動記憶」と呼ぶそうです。
先の例の通り、逆立ちも自転車も水泳も、どんなに本で勉強しても、いざ実際にやってみるとなかなかうまく出来ないという経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。
ところが、いったん身体で覚えてしまえば、その知識は定着します。何年振りかで自転車に乗っても、そんなに不自由なく乗りこなせるのは、それが運動記憶になっているからなのです。
英語の学習も同じです。どんなに単語や文法を知っていても、それが使えなければ意味がありません。英語における知的記憶を運動記憶変える必要があるのです。
そして、その最適な手段が「只管朗読」、いわゆる「音読」なのです。
本書を読んで、「なるほど効果がありそうだ。よし俺も只管朗読だ!」って始めたとしても、最初の情熱を3カ月以上持ち続けるのは、かなりシンドイことでしょう。
実は私も、もう2年くらい前に右の本を題材にチャレンジしたことあるのです。「声を出して読む」というのは、想像以上に大変で、結果は・・・・・ご想像にお任せしましょう。
ある学生は、いつでも初心を忘れないように、情熱を持ち続けることができるように、スポーツ選手や音楽家、画家、舞踏家、俳優、職人さんなどあらゆる分野の人たちが、同じ動作や技術を繰り返し練習することを話題にした記事を集めたファイルを作り、事あるごとに眺めていたそうです。
これは、賢い方法ですよね。
その学生が言っていますが、
この感覚、すごくよく分かります。何かを習得しようとして一生懸命に練習する。そして「突然パァーっと青空が開けたような瞬間」が訪れるときがあります(残念ながら訪れないことも、間々あります)。
この瞬間を求めて、人は何かを練習したり、挑戦したりするのではないでしょうか。
國弘先生が30年間、いろいろな人を観察してきた結論とは。
同じことを繰り返すなんて、飽きてしまって、時間の無駄だと考えるのは、ごく普通だと思いますが、そこを飽きない人が飛躍するんですね。
人生は特別なことを求めてはいないのかもしれません。当たり前のことを当たり前のように、人よりも熱心にやること。それで大概の事は遥かな高みへと到達できるのかもしれません。
しぼんだ心にまた空気を入れて
春になり、新しい学期も始まる時期、私も心機一転、英語の勉強を再開するかと本棚から引っ張り出してきたのが國弘正雄著の「國弘流 英語の話し方」です。國弘正雄先生と言えば「只管朗読」というくらい先生の代名詞のようになっていますが、これ「ただただ、ひたすら朗読すること」です。
音読を繰り返すことにより、「日本語が頭に浮かばないのに、意味がイメージとして実感できる」状態になることを目指していきます。
ただ、「繰り返す」と言っても、10回とか20回の話ではありません。國弘先生自身、中学校の時に、教科書を500回から1000回も音読をしたと書かれています。
(手元の本は10年前のものなので、“腰巻”に筑紫哲也さんの推薦文が載っていますね)
例えば、
I think you know I love you.
という短い英文を“ひっくり返して”読むと、
「私があなたを愛していることを、あなたが知っていると私は思う」
となりますが、そうではなく“頭から順番に”意味をとっていくのが当然であり、そしてそれが出来るようになる一番の近道が「只管朗読」なんだということです。
上の英文で言えば、I think → you know → I love you. の流れで理解しなくてはならないのです。そしてこの英文を10回、20回と音読していくうちに「日本語が頭に浮かばないのに、意味がイメージとして実感できる」状態になることが分かります。
英語も“勉強”しているだけではダメで、“練習”が必要という当たり前の事実
本書の前書きで、“逆立ち”の話が出てきます。あなたは逆立ちができますか? 出来るとしたら何故できるようになったのですか?答えは簡単です。逆立ちができるようになったのは「練習したから」です。
逆立ちに限らず、自転車に乗れるようになったのも、泳げるようになったのも、それこそありとあらゆるものが「練習したから」出来るようになったのではないでしょうか。
ところが、不思議なことに英語となると、練習が必要だという当たり前のことに気づいていない人がほとんどです、とは國弘先生の弁です。
そして、英語における「練習」にあたるものが「只管朗読」なのです。
見たり読んだりといった受け身的な行為(いわゆる「座学」でしょうか)によって覚えることを「知的記憶」と呼びますが、体を動かし、大脳の中の回路を経ることによって覚えることを「運動記憶」と呼ぶそうです。
先の例の通り、逆立ちも自転車も水泳も、どんなに本で勉強しても、いざ実際にやってみるとなかなかうまく出来ないという経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。
ところが、いったん身体で覚えてしまえば、その知識は定着します。何年振りかで自転車に乗っても、そんなに不自由なく乗りこなせるのは、それが運動記憶になっているからなのです。
英語の学習も同じです。どんなに単語や文法を知っていても、それが使えなければ意味がありません。英語における知的記憶を運動記憶変える必要があるのです。
そして、その最適な手段が「只管朗読」、いわゆる「音読」なのです。
モノにしようと思ったら少なくとも100回、200回は当たり前
でも「音読」と一言で済ませていますが、(繰り返しますが)10回、20回の音読ではありません。少なくとも(!)100回は同じ文章を音読しましょうというのですから、これは「本気」が必要です。本書を読んで、「なるほど効果がありそうだ。よし俺も只管朗読だ!」って始めたとしても、最初の情熱を3カ月以上持ち続けるのは、かなりシンドイことでしょう。
実は私も、もう2年くらい前に右の本を題材にチャレンジしたことあるのです。「声を出して読む」というのは、想像以上に大変で、結果は・・・・・ご想像にお任せしましょう。
ある学生は、いつでも初心を忘れないように、情熱を持ち続けることができるように、スポーツ選手や音楽家、画家、舞踏家、俳優、職人さんなどあらゆる分野の人たちが、同じ動作や技術を繰り返し練習することを話題にした記事を集めたファイルを作り、事あるごとに眺めていたそうです。
これは、賢い方法ですよね。
その学生が言っていますが、
「でも、この“繰り返す”のファイルを眺めていると、音読500回も、ごく自然な感じがしてきます。英語以外の分野を見ていると、500回は無理でも、100回や200回なら、ごく当たり前という気持ちになってきます」
突然パァーっと青空が開けたような瞬間が来る
この学生が集めたファイルの中に、ヴァイオリニストの諏訪内晶子さんの記事があります。「壁はいくつもあるけれど、同じ曲を何十回、何百回と弾き続ける中で、突然パァーっと青空が開けたような瞬間が来る。その時、自分の力が一段と飛躍した感覚になって、面白くてたまらなくなりますね」(「あと一歩の努力」朝日新聞から)
この感覚、すごくよく分かります。何かを習得しようとして一生懸命に練習する。そして「突然パァーっと青空が開けたような瞬間」が訪れるときがあります(残念ながら訪れないことも、間々あります)。
この瞬間を求めて、人は何かを練習したり、挑戦したりするのではないでしょうか。
國弘先生が30年間、いろいろな人を観察してきた結論とは。
「“単純なことを繰り返す”という、その意義を心でちゃんと受け止めることが出来るか否かが成否を握っている」
同じことを繰り返すなんて、飽きてしまって、時間の無駄だと考えるのは、ごく普通だと思いますが、そこを飽きない人が飛躍するんですね。
人生は特別なことを求めてはいないのかもしれません。当たり前のことを当たり前のように、人よりも熱心にやること。それで大概の事は遥かな高みへと到達できるのかもしれません。
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