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北村 薫著 「ターン」

北村 薫さん著「ターン」のご紹介。

北村薫さんのおススメはたくさんあるけど

北村薫さんの著作、いいですよねえ。大好きです。

その文体たるや、もう、ため息ものの文章を書いてくれます。風景描写の美しさ、人物像の描き方、話術の巧みさ。どれをとっても感嘆するしかありません。

北村薫空飛ぶ馬デビュー作『空飛ぶ馬』から始まる一連のシリーズは、物語の進行役である「私」と、事件を明快で合理的な説明で解決していく落語家・春桜亭円紫師匠の二人を主人公としたミステリー小説ですが、その大きな特徴は殺人事件が一つも出てこない推理小説となっている点です。

なるほど、人が殺されなくても、こんなにも面白い推理小説が成り立つんだと、感心してしまいます。

円紫師匠が、主人公の“わたし”の話を聞きながら推理を進めていくシーンは、名探偵ホームズとワトソン君のコンビを彷彿とさせるのは、私だけではないでしょう。

推理の題材が“日常生活”なだけに、より身近に感じられような気がします。

このシリーズ、いずれも短編の連作で構成されていますが、特に本書の表題になっている「空飛ぶ馬」は、是非とも一読して欲しいと思います。

また、大富豪の一人娘である新人作家と、彼女を担当する推理小説雑誌の編集者とがコンビを組んで様々な事件を解決していく覆面作家シリーズも、軽快なテンポで読んでいて楽しくなる推理小説になっています。

でも、やっぱり「ターン」です

もちろん単品作品の中にもおススメ作品は山のようにありますが、個人的に一番好きなのは今回ご紹介する「ターン」です。

北村薫ターンこれは、「スキップ」「ターン」(この二冊は直木賞候補)「リセット」と続く「時と人の三部作」の中の一つです。他の二冊も好きですが、やはり何よりも「ターン」なんです。

主人公の一人、メゾチント画家の森真希さんは、ある日交通事故に遭い、気がつくと事故の一日前の世界に戻っていました。

時間は午後3時15分。いつも通りの自宅の中で、座椅子でまどろみから目覚めます。車が衝突した後の記憶が途絶えて、訳が分からないけれど・・・・・

「わたし、・・・・・死んだのかしら」

外に出てみると、そこは彼女の他は誰もいない世界でした。そこは無音の世界。近所でやっていた工事の音も、車の音も、鳥の鳴き声も、虫の音も、何も聞こえない世界です。

そして、一日が過ぎて次の日の3時15分になると、また前日の3時15分の座椅子に戻ってしまうのです。

何をしても、何処にいても、すべてが元の状態に戻っています。残っているのは、唯一、彼女の「記憶」だけです。

そんな世界で150日を過ぎた午後、突然、家の中で電話が鳴り出します。

あっさり納得しないで下さい

この電話が、元の世界と彼女が今いる世界とを繋ぐ唯一の手段であり、この電話を中心に物語が進行していきます。

「そうすると、・・・・・そうすると、今は12月くらいですか」

「・・・・・」

向こうは埼玉。オーストラリアではない筈だ。絶句していると、相手はあわてて言葉を継いだ。

「変だと思いますよね。でも、切らないで下さい、お願いします」

考えられる可能性は、そんなにない。聞いてみた。

「どこか、外の見えない、・・・・・地下室のようなところに閉じ込めらているのですか」

口にすると滑稽だ。昔話のようだ。ただ、相手は答えた。

「ああ、・・・・・そんなようなものです」

「・・・・・ような?」

「はい。・・・・・いいですか、わたし、これから、もっと変なことをいいます。でも、切らないで下さいね、約束して下さい」

・・・・・切った方がいい相手かも知れない。

「分かりました」

「あの・・・・・」

「ええ」

「こちらは、わたしのいるところは、まだ・・・・・七月なんです」

真希さんなる人は、やはり大変なゲイジュツカらしい。思わず、頷いてしまう。

「・・・・・なるほど」

即座に、

「違うんです」

「え?」

「あっさり納得しないで下さい。・・・・・どういう風に納得したのかは分かります」

こちらは35。向こうの方が5つばかり年下の筈だ。しかし、小学生が卑しいことをして、女の先生に怒られているような感じだ。

外からの電話が初めて繋がった場面ですが、わたし的には凄く印象に残る会話です。

この、「あっさり納得しないで下さい。・・・・・どういう風に納得したのかは分かります」という表現で、主人公二人の立ち位置の違いや、この後の展開など、いろんな情報が伝わってきます。

何気ない表現に思えますが、ここにこの表現を持ってくるというのは、個人的にはやっぱり素晴らしいと思います。

夜の手触りが、艶やかでやさしいものに

北村薫さんの魅力は、もちろんストーリーテリングが一番なんですが、情景描写や感情表現、そして人物描写などの豊かさ、奥深さにも大いにあるように思います。

「・・・・・ありがとうございます」

鳥肌のたつような快感が、体を走った。
戦慄と旋律は、同じ音だと、ふと思った。慄えが、ゆっくりと、柔らかな音楽でも聴くような、くすぐったい嬉しさに変わった。思いつきで、何気なく口にした言葉が電話の向こうの、不思議な人を明るくした。
どうして、それを大手柄でもたてたように感じたのだろう。

アンデルセンの「人魚姫」を話題にしている下記のような場面があります。

「コペンハーゲンに像のある?」

「あ。そうかな」

「その像が《世界三大がっかり》の一つだって、何かに出てました」

「何ですって?」

「観光案内に目玉みたいに書かれているのに、行ってみると、どうってことないもの、ですって。わたしは外国に行ったことがないから、責任持てませんけれど」

「後の二つは何ですか」

「シンガポール何とかと、どことかの何とかです」

「よく分かりませんね。・・・・・特に後の方が」

彼女は、くすりと笑う。

何気ない会話ですけど、わたしは読み返す度に笑ってしまします。そう、この本、もう何回読み返したでしょうか。二桁にはいっています。

北村薫さんの特徴は、何度も読み返したくなるし、読み返すたびに(推理小説なのに)面白く読めることでしょうか。冒頭の「円紫さんシリーズ」も、推理の結末を分かっていながら、何度も読み返しています。

「それに、あれこれ話し出す前から、・・・・・こんなことを言ったら、よくないんだろうけど、まず“助けてあげたい”と思ったんだ。“あげたい”っていうところが、おこがましいだろう。でも、君がよく転ぶ人だって聞いた時から、そう思った。何というか、・・・・・ぼくだって、よく転ぶから」

「・・・・・そちらは譬えですね」

とても、つまらないこと聞いた。

「うん」

わたしは両方、実際でも譬えでも転ぶ。夜の手触りが、艶やかでやさしいものに感じられた。

こんな「夜の手触りが、艶やかでやさしいものに感じられた」って表現、一度でいいから使ってみたいです。

こんなに大事なものを、私はどう扱ってきたのだろう

冒頭にも書きましたが、24時間が経過すると、何をしても、何処にいても、すべてが元の状態に戻っているわけです。残っているのは、唯一、彼女の「記憶」だけです。

そんな中で、自らの行動に意味を見いだすのは非常に難しいですよね。だって、何かをなしたとしても、24時間後には「無」に帰しているわけですから。

そして、ある事件が起こり、真希さんは気がつくのです。

同時に、今、目の前を過ぎ行く一瞬一瞬がたまらなく愛しいものとなった。
「・・・・・こんなに大事なものを、私はどう扱ってきたのだろう」
手をついて何かにあやまりたくなった。
《中略》
顔青ざめて、毎日が不毛な繰り返しだといっていたわたし。
不毛なのは“毎日”ではなく“わたし”だった。

これが、本書のテーマのような気がします。

極端に言えば、私たちが人生の中でなし遂げることも“不毛”と言えば言えるわけですよ。だって、何を成し遂げても死んでしまえば、自分にとってはすべてが“無”になるわけですから。

でもね、24時間と一生という長さの違いだけで、本質は同じなんですよね。

「こんなに大事なもの」とは、「時」でしょう。

こんなに大事なものを、私はどう扱ってきたのだろう。

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