山口瞳著 「少年達よ、未来は」
好きな作家はたくさんいるのですが、その作家の著作をすべて買ったという作家は3人だけです。
なぜか3人とも名前が「山」から始まります。
山口瞳さんのエッセイから、私は人としての生き方の多くを学びました。私の人生における「師匠」のようにも感じていました。
山口さんは「頑固オヤジ」のイメージがあったので、私も「頑固オヤジになることを目指すんだ」なんて思っていた時期もありましたね。
山口瞳さんと言えば、なんと言っても「男性自身シリーズ」でしょう。「週刊新潮」に1963年から31年間(亡くなられる直前まで)、毎週一本、1600回以上にわたって連載された長寿エッセイです。
写真は、そのシリーズの第6作「少年達よ、未来は」です。
奥付を見ると、昭和45年(1970年)発行となっていますので、既に40年以上前に発行された本なんですね。
この本との出会いが、私の男性自身シリーズへの、そして作家山口瞳ワールドへの入り口でした。いまだにいつ頃、どこでこの本と出会ったか覚えています。
それは横須賀の路地裏の一坪程度の小さな古本屋さんでした。その古本屋の正面の棚の真ん中くらいにあったと記憶しています。当時、私はまだ高校生。
高校生だったので、人並みに「これからどういう人生を歩んでいこうか?」なんて悩んでいた記憶があります。それで、当時まだ「少年」だった私は、本の題名に魅かれて本を手に取ったのでしょう。
高校生にとっては大人(?)の本ですよね。いま考えると、渋い好みだったなあって思います。もちろん、今ならその良さに十分に共感できるのですが、当時はどこに魅力を感じたのでしょうかねえ。
そして、山口さんと先生が階段を登りきってフォームに着いたとき、電車はドアが閉まって、発車するところでした。結局ホームには、先生と山口さんだけが残されたのです。
そのとき、先生が言われた言葉が上記のものです。
山口さんは、「目的地に達するための電車が来る。駆け出せば、それに乗れる」という事態は、その後の23年間に何度もあったけど、そのたびに、先生の言葉を思い出しましたと書いています。
同じく私も、そういう事態のとき、この一節を思い出していたのです。
特に、「みっともないじゃないか」という言葉は、良くも悪くも大きな影響を受けているのでは。でも、山口さんの意図とは違う場面でも「みっともない」と感じてしまう。そんなこともあると思います。なので、良くも悪くも、なんですけどね。
それは、先にいると思っていたのに、いつの間にか抜いてしまってたという寂しさです。いや、カッコイイ意味ではなくて、単純に年齢の話です。昔はプロ野球で活躍する選手がみんな年上だったのが、いつの間にか全員年下になっていたという寂しさです。
ま、仕方ないことですけどね。
春が近づいてきたある日、山口さんが近所に住んでいる彫刻家に声を掛けます。
すると、その彫刻家はこんな風に返してきます。
春を待つ楽しさ、ウキウキする気持ちが良く分かるんです。自分もそうだなって共感するんです。こんなところに(少なくとも今は)山口さんの魅力を感じます。
冒頭に書いた通り、山口瞳さんは将棋やお酒、野球、相撲といろんなものを心から愛し、そしてそれらを題材にしたエッセイにも魅力的な作品がたくさんありますので、また機会を見つけて紹介したいと思います。
山口 瞳
山本 周五郎
山手 樹一郎
山本 周五郎
山手 樹一郎
なぜか3人とも名前が「山」から始まります。
山口瞳さんを人生の師と仰いで
山口瞳さんの話をしたいと思います。直木賞作家であり、酒を愛し、将棋を愛し、野球を愛し、相撲を愛したエッセイストです。1995年逝去とのことなので、もう16年以上も経つのですね。亡くなられたニュースに接した時の衝撃は、昨日のように覚えています。山口瞳さんのエッセイから、私は人としての生き方の多くを学びました。私の人生における「師匠」のようにも感じていました。
山口さんは「頑固オヤジ」のイメージがあったので、私も「頑固オヤジになることを目指すんだ」なんて思っていた時期もありましたね。
山口瞳さんと言えば、なんと言っても「男性自身シリーズ」でしょう。「週刊新潮」に1963年から31年間(亡くなられる直前まで)、毎週一本、1600回以上にわたって連載された長寿エッセイです。
写真は、そのシリーズの第6作「少年達よ、未来は」です。
奥付を見ると、昭和45年(1970年)発行となっていますので、既に40年以上前に発行された本なんですね。
この本との出会いが、私の男性自身シリーズへの、そして作家山口瞳ワールドへの入り口でした。いまだにいつ頃、どこでこの本と出会ったか覚えています。
それは横須賀の路地裏の一坪程度の小さな古本屋さんでした。その古本屋の正面の棚の真ん中くらいにあったと記憶しています。当時、私はまだ高校生。
高校生だったので、人並みに「これからどういう人生を歩んでいこうか?」なんて悩んでいた記憶があります。それで、当時まだ「少年」だった私は、本の題名に魅かれて本を手に取ったのでしょう。
高校生にとっては大人(?)の本ですよね。いま考えると、渋い好みだったなあって思います。もちろん、今ならその良さに十分に共感できるのですが、当時はどこに魅力を感じたのでしょうかねえ。
みっともない生き方はしたくない
ただ、本の題名にもなっているエッセイの中に書かれていた次の一節は、私の中に沁み込んでいき、その後の人生に少なからず影響を及ぼしているような気がしています。人生というものは短いものだ。あっというまに年月が過ぎ去ってしまう。しかし、同時に、どうしてもあの電車に乗らなければならないほどに短くはないよ。・・・・それに、第一、みっともないじゃないか
山口さんと先生とがある駅に着いたとき、ちょうど電車が到着したのです。周囲のひとたちは、みんな、あわてて駆けてゆきましたが、先生は、ゆっくりと、いつもの歩調で歩いていました。そして、山口さんと先生が階段を登りきってフォームに着いたとき、電車はドアが閉まって、発車するところでした。結局ホームには、先生と山口さんだけが残されたのです。
そのとき、先生が言われた言葉が上記のものです。
山口さんは、「目的地に達するための電車が来る。駆け出せば、それに乗れる」という事態は、その後の23年間に何度もあったけど、そのたびに、先生の言葉を思い出しましたと書いています。
同じく私も、そういう事態のとき、この一節を思い出していたのです。
特に、「みっともないじゃないか」という言葉は、良くも悪くも大きな影響を受けているのでは。でも、山口さんの意図とは違う場面でも「みっともない」と感じてしまう。そんなこともあると思います。なので、良くも悪くも、なんですけどね。
もうすぐ春ですね
この本、今回読み返してなんかガッカリしたことがありました。この文章を書いているときの山口さんの年齢って45歳くらいなんですよ。それは、先にいると思っていたのに、いつの間にか抜いてしまってたという寂しさです。いや、カッコイイ意味ではなくて、単純に年齢の話です。昔はプロ野球で活躍する選手がみんな年上だったのが、いつの間にか全員年下になっていたという寂しさです。
ま、仕方ないことですけどね。
春が近づいてきたある日、山口さんが近所に住んでいる彫刻家に声を掛けます。
「春になって仕事がやりやすくなったでしょう」
すると、その彫刻家はこんな風に返してきます。
「春になると気が散って駄目なんですよ。地面に青いものが出てくるでしょう。そうすると、それは何だろうと思って、じっと見ているんですよ。なんの芽だろうかと思ってね。・・・・・それから外の方へ行ってみるんです。ずっと一回りしてくるんです。青いものを見に行くんです。そうやっていると、まず、一日が終わってしまいますね」
春を待つ楽しさ、ウキウキする気持ちが良く分かるんです。自分もそうだなって共感するんです。こんなところに(少なくとも今は)山口さんの魅力を感じます。
冒頭に書いた通り、山口瞳さんは将棋やお酒、野球、相撲といろんなものを心から愛し、そしてそれらを題材にしたエッセイにも魅力的な作品がたくさんありますので、また機会を見つけて紹介したいと思います。
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