「再投稿は甘えだ」という批判は、一見すると穏健で現実的に見える。しかしこの言葉は、よく見ると、説明されない評価を相手に押し付けているだけで、論としては成立していない。
まず重要なのは、「不快だ」「だるい」という感情と、「甘えだ」という評価は別物だという点である。前者は単なる感情表明だが、後者は行為の正当性を下げる規範的判断だ。規範的判断を下す以上、本来は「どの義務に違反しているのか」「誰にどんな不当な負担をかけているのか」が説明されなければならない。しかし「再投稿は甘えだ」という言い方では、その説明がほぼ常に省略されている。
匿名の言論空間において、再投稿をしてはならないという義務は存在しない。読む側の時間を守る義務、空気を維持する義務、既読者に配慮する義務――そうしたものは暗黙に想定されがちだが、明文化も合意もされていない。義務が定義されていない以上、それに違反したとして「甘え」という道徳的ラベルを貼ることは論理的に不可能である。
この点を指摘すると、「義務がないならスパムや荒らしも正当化されるのか」という反論が出てくる。しかしこれは混同だ。スパムや荒らしは、他者の利用を妨害するという比較的明確な害を持ち、行為基準で批判できる。一方、再投稿は害がケース依存で、原理的に同列には扱えない。にもかかわらず、行為の中身や影響を検討せず、いきなり人格評価に飛ぶから問題になる。
また、「表現の自由は国家の話であって、匿名掲示板とは違う」という指摘も的外れだ。現代において表現が萎縮する原因は、法的制裁だけではない。非公式な規範や、道徳語による沈黙の強要もまた、発言を抑制する力を持つ。「法律じゃないから無関係」という理解は、あまりに古い。
「再投稿は人権だ」という言い方も誤解されがちだが、これは「再投稿しなければならない」という話ではない。ただ、「再投稿したという事実だけで、規範的に劣位に置かれるべきではない」という、きわめて消極的な主張にすぎない。人は一度言ったことを、二度と言ってはならない義務を負っていない。
結局のところ、再投稿を嫌がる自由は否定されていない。問題にされているのは、嫌悪感を理由の説明なしに「甘え」という評価語に変換し、相手の発言資格を下げる行為である。
不快だと言う自由と、相手を道徳的に劣位化する自由は同じではない。
「再投稿は甘えだ」と言う人間がいる。しかしこの言葉は、批評でも指摘でもなく、単なる思考停止の表明にすぎない。なぜならその発言は、再投稿という行為がどのような権利に基づ...
それって、前提からちょっとおかしいと思うんですけど。 「再投稿は甘えだ」と言う人が思考停止してる、って断定してますけど、まずその根拠が示されてないんですよね。 再投稿が...
「再投稿は甘えだ」という批判は、一見すると穏健で現実的に見える。しかしこの言葉は、よく見ると、説明されない評価を相手に押し付けているだけで、論としては成立していない。 ...
その文章、すごく丁寧に書いてるんですけど、結局「評価と言うな、説明しろ」って言ってるだけなんですよね。 でもそれって、現実の言論空間の使われ方を無視してると思うんですよ...
この主張の核心は、「『甘え』は厳密な規範語ではなく、日常的な軽い評価なのだから、そこまで問題視するのは過剰だ」という点にある。だが、この理解こそが論理的に破綻している...
まとめると、「再投稿は甘え」ってことですよね
「再投稿は甘え」と言う人権は無視なの?
「『再投稿は甘え』と言う人権は無視なの?」という問いは、そもそも権利の取り違えから始まっている。 「甘えだ」と言う自由はある。だがそれは人権ではなく、単なる発言の自由に...
発言の自由は人権じゃない説はさすがに草