コンピュータで将来が予測できるか注1)?――解析的には解けなかった磁気バブル間の限界接近距離をコンピュータによる数値解析で求めた私は、その能力に感心していた。また専門のDRAM(dynamic random access memory)の設計でもコンピュータによる回路解析を使っていた私は、ますますコンピュータの類稀(たぐいまれ)な能力に惹かれていった。そして、とんでもない考えを持ち始めた。コンピュータで将来が予測できるのかどうかである。とんでもない、そんなことはできないと思われよう。しかし、私は面白いから考えてみようと思った。できないと言ってしまえばそれで終わりである。知恵も出てこない。コンピュータで将来を予測してみよう、これがスタンフォード大学での私の研究の心象風景であった。

注1)将来を予測したいというモチベーションを持つのは人間であって、コンピュータではない。一方で、コンピュータは大量の情報を記憶し、非常に高速で計算できる能力を持っている。これは人間には実質的には出来ないことであろう。そういうコンピュータの特異な能力を将来の予測に役立てられないか、というのがこの稿の問題意識である。コンピュータがいずれ知能を持って、将来を知りたいというモチベーションを持つかどうかは非常に興味ある問題(人工知能)であるが、それはまた別の話である。

疲れを知らない相棒・コンピュータをフル活用

 私がMOS DRAMの研究を始めた1970年代初頭、MOSトランジスタの電流―電圧特性を説明する理論があった。ポアソン方程式と電流連続の式を、電流が流れるチャネル方向の1次元座標だけで記述する理論である。この理論はよくできていて、電流は電圧の2乗に比例するなどMOSトランジスタの基本特性を大筋説明できていた。電流が流れるチャネルは表面から約100オングストロームくらいであり、当時のチャネル長は10μm以上と長かったから、特性解析は1次元近似でもまあまあ良かった。しかし、微細化に伴ってチャネル長が数μmになってきた時、この基本数式だけでは実際の電流―電圧特性は正確に記述できず、測定値に基づいていくつかの補正項を入れなければならなくなった。1次元近似は限界に近づいていた。ソース、ドレイン、そしてチャネルの不純物分布を正確に記述し、MOSトランジスタの深さ方向を含んだ2次元問題への拡張が不可欠となった。

 日立の中央研究所では世界に先駆けて、この2次元解析の研究が行われており、2次元MOSデバイス・シミュレータとしてまとまりつつあった。そして、これはコンピュータの数値解析能力を大いに使うものである。早速私はこのプログラムの使い方を習得し、スタンフォード大学へ持っていった。この新しい2次元MOSデバイス・シミュレータで将来のMOSトランジスタの新しい特性を予測してやろうと言うのである。成算はもちろんなかった。何をすれば良いのかも分かっていなかった。

 MOSトランジスタの将来を予測してやろうと言っても、さて具体的には何をやったら良いのであろうか?――ともかく、ソース、ドレイン、そしてチャネルの不純物分布を正確にモデル化して入力しなければならない。ソース、ドレインはガウス分布を使えば良かったが、問題はチャネルの不純物分布である。これを計算していたのがイオン注入技術の権威、J.F.Gibbons教授である。隣のビルにおられた。この分布は打ち込むイオン種によって違う。それらの分布を教えてもらい近似関数を作ってプログラムに組み込んだ。

 そして、MOSトランジスタの構造寸法をいろいろ変えて、内部の電界がどのようになっているのかを調べ始めた。コンピュータは種々の条件に対して、膨大な計算結果を吐き出してくる。全く疲れを知らない頼もしい相棒であった。計算された内部の電界を繰り返し、繰り返し調べていくと、MOSトランジスタの寸法が小さくなるにつれてドレイン電界が広範囲に広がり、チャネルやソースへ影響を与えてくることが分かってきた。その影響はシリコン(Si)基板の深いところを伝わってくる。ここでいう深いとはソース、ドレインの拡散深さ程度をいい、10分の数μmである。MOSトランジスタのゲート寸法がそれと同程度になる頃から、ドレイン電界の影響は顕著に現れてくる。そして、MOSトランジスタがゲート電圧によってではなくドレイン電圧によって支配される状況になる。これがパンチスルーという動作である。