作品活動
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元々文学少女だったが、小学3年生のときに手塚治虫の『漫画大学』に衝撃を受け、漫画家を志す。中学生のころから雑誌『漫画少年』に投稿を続けていたが、佳作止まりで入賞することはなかった。しかし、審査員の手塚が保存していた水野の投稿作を偶然目にした『少女クラブ』編集者の丸山昭が水野の作品を気に入り、その場で手塚が水野の投稿作を褒めたことから、丸山が水野に原稿を依頼することになった。この時、水野は郷里の下関で漁網会社に就職を決めたばかりであり、デビューからトキワ荘に移るまでは兼業漫画家だった。 1955年、15歳で漫画家としてデビュー。それから3年後の1958年、初の長編連載『銀の花びら』(緑川圭子 原作)で人気を得る一方、石森章太郎、赤塚不二夫と「U・マイア」のペンネームで『赤い火と黒かみ』、『星はかなしく』、『くらやみの天使』を合作し発表した。この合作のため、水野は郷里の下関から上京し、すでに石森と赤塚が住んでいたトキワ荘に入居することになった。トキワ荘に居住している間は、自分の作品の執筆やU・マイア名義の合作以外に、石森のアシスタント的な仕事をすることも多く、石森の作画・表現技法に多大な影響を受け、自分の画力が飛躍的に向上したと語っている。 『銀の花びら』、『星のたてごと』、『白いトロイカ』などでは、ヨーロッパの古代中世や帝政時代を舞台に、ダイナミックな物語を華麗な絵柄で構成し、当時の少女漫画の定番だった親子の生き別れ物語や友情物語などの作品とは一線を画した斬新な作風だった。そのため、こうした歴史上の時代を背景にして壮大な西欧ロマンを描いた作品は、しばしば「水野調」と呼ばれるようになった。 1960年に発表した初めてのオリジナル長編『星のたてごと』は、それまで少女漫画ではタブー視されてきた男女の恋愛を初めて描いた作品といわれる。その後1960年代初頭からの少女雑誌の週刊誌化の頃は、編集者の方針によって『麗しのサブリナ』などのハリウッド映画を下地にした軽快なロマンチック・コメディー路線を展開した。その一方で、少女漫画初の実際の歴史の動きを扱った歴史ロマンとされる『白いトロイカ』を1964年に発表している。 やがて『ブロードウェイの星』等のアメリカを舞台にした作品では、黒人差別問題やベトナム反戦運動などの当時の社会テーマが織りこまれるようになっていった。特に1969年から連載した『ファイヤー!』は、当時の少女漫画では珍しく男性が主人公のかつ実験的な作風であり、1960年代後半のヒッピー・ムーブメントやロック・ミュージックに代表されるカウンターカルチャーを通して時代を見つめている。自費でアメリカとヨーロッパの現地取材を行って描かれたこの作品は 少女漫画の枠を超え、男性読者の注目も集めるとともに少女漫画読者の年齢層を押し上げた。 水野は当時のロック・ミュージックの中で、とりわけピンク・フロイドの幻想的世界への傾倒を語っており、それと共通するように、『ファイヤー!』以降しばらくは、漫画のコマの時空間形式の枠を超えようとする幻想詩的で絵物語的な方向への様式を追及していった。しかしロックがファッションとして定着すると彼女はロックへの興味を無くしたという。 現在、ライフワークとしての大作『ルートヴィヒII世』の執筆を希望しつつも、掲載雑誌が休刊して中断したままとなっている。 また、いわゆる24年組が活躍し始める前の時代、最近ではとかく忘れられがちな『リボンの騎士』(1953年)から『ベルサイユのばら』(1972年)までの戦後少女漫画の創成期にあたる20年間を語り残そうと、2010年に『トキワ荘パワー!』(祥伝社)を監修・出版した。トキワ荘系統以外の少女漫画家についても同様の本を出したいとしている。 トキワ荘が多くのメディアに取り上げられるようになるにつれ、誤った情報も目に付くようになり、また、トキワ荘に居住した漫画家で健在な者が少なくなってきたこともあり、当時の創作活動や日常生活の様子を正確に伝え残そうと、自身のトキワ荘入居から去るまでの間の出来事を綴った手記『トキワ荘日記』を2009年に自費出版したのをはじめ、近年は関連イベントでの講演やトークショーを積極的に行っている。
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作品・活動
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1996年 『勇気の引力』 - 松浦有希とユニット。 「私らしく」(テレビアニメ『機動戦艦ナデシコ』エンディング) - 作曲(シングルCD「YOU GET TO BURNING」にC/Wとして収録) 1999年 『打 Asian Drums』(CHCB-10013) 日本を含む16カ国で発売され、特にアメリカでは高い評価を受ける。 2001年 『打 Asian Drums II』(CHCB-10027) NHKスペシャル『日本人 はるかな旅』(テーマ、番組音楽) - アルバムとしてリリース(CHCB-10033) NHK BS Hi『ハイビジョンスペシャル』(オープニングロゴ) 『UBUD』(CHCB-30009)- ユニット「UBUD」名義 2002年 NHKスペシャル『地球市場、富の攻防』(テーマ・番組音楽)- 加古隆と共作 2003年 NHK『世界の動物カメラマン、野生へのまなざし』(テーマ、番組音楽) NHK BS Hi『パンダスペシャルデー(特番)』(テーマ音楽) NHK『にんげんドキュメント』(オープニングロゴ) 2004年 NHK BS Hi『遠くにありてにっぽん人』(テーマ音楽) NHK BS Hi『カメラマン岩合光昭中国秦嶺山脈を撮る』(テーマ、番組音楽) 『UBUD DUA』(CHCB-10052) - ユニット「UBUD」名義 山本寛斎スーパーショー『アボルダージュ』(日本武道館) - 音楽制作(加古隆と共作) 「音と動きのハーモニー2004」 - 日本体育大学体操部からの委嘱による作曲 2005年 NHKスペシャル『一瞬の戦後史』(テーマ、番組音楽) 愛知万博オープニングイベント『とぶぞっ!いのちの祭』(音楽監督) 「音と動きのハーモニー2005」- 日本体育大学体操部からの委嘱による作曲 2006年 アニメ映画『時をかける少女』(音楽) - アルバムとしてリリース(PCCR.00434) 「音と動きのハーモニー2006」 - 日本体育大学体操部からの委嘱による作曲 GALA国際体操祭(上越市直江津)テーマ曲 『祭』(CHCB-10070) - 山本寛斎との出逢いから生まれた楽曲をまとめたアルバム 2007年に海外でも発売された。 2007年 山本寛斎スーパーショー『太陽の船』(音楽監督) NHKスペシャル『新・シルクロード』(「激動の大地をゆく」編の挿入曲) - アルバムとしてリリース(SICC 720) 2009年に作家コンプリート盤『Amal』としてもリリースされている。 テレビアニメ『シグルイ』(音楽) - アルバムとしてリリース(GNCA 1145) 西沢サトシ『too soft to touch, too sweet to bite』(サウンドプロデュース) 2008年 テレビアニメ『カイバ』(音楽) 『UBUD Tiga』(CHCB-10081) - ユニット「UBUD」名義 サラゴサ国際博覧会オープニングイベント(音楽監修) テレビアニメ『黒塚 KUROZUKA』(音楽) NHK国際放送『Asian Voices』(テーマ音楽) 2009年 テレビ朝日『ロンドンハーツ』狩野英孝『50TA』プロジェクト(アレンジ) ワールド・ベースボール・クラシック東京ラウンドオープニングセレモニー(音楽) 山本寛斎スーパーショー『Festival of Life in Indonesia』(音楽監督) 「音と動きのハーモニー2009」- 日本体育大学体操部からの委嘱による作曲 NHKスペシャル『チャイナパワー』(音楽) 2010年 ドキュメンタリー映画『ヤノマミ』(音楽) 2011年 『武士 Mononofu』(CHCB-10097) 2012年 「Cure」 - 宮本笑里のアルバム『renaissance』への提供曲 映像作品『Beyond The Tsunami』(音楽) - ダボス会議で上映 ドキュメンタリー映画『天のしずく 辰巳芳子"いのちのスープ"』(音楽) 2016年 中国のアニメ映画『紅き大魚の伝説』(原題:大魚海棠 / 音楽)
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作品・活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 02:20 UTC 版)
1993年から本格的に欧米に進出。この後日本、イギリス、アメリカの賞を多数受賞。テディベア界のアカデミー賞と言われる"TOBY®"賞に日本人として初めてノミネートされ、延べ4作品が3年連続ノミネートされた。 1996年阪神大震災チャリティーオークションに創作した作品 "Over the Rainbow" 虹の彼方に は、寬仁親王妃より直々に評価を受け、70万円で落札(国内アーティストの最高額)され全額を寄付した。 作品はミシンを一切使わない「全ての工程を半返し縫い」をポリシーとしているので、年間35作品前後しか創作できない寡作アーティストで、世界のテディベア界の中では稀少価値があると評されている。 イギリス、日本(ハウステンボスを含む)の権威あるミュージアムに特別依頼を受けた作品を多数展示。作品コンセプトは、幻想、可憐、清楚をイメージするものが多く、観て、触れて、語りかけることができる立派な芸術として確立させることに力を尽くしている。「高橋ミチ・キモノコレクション©」を通してテディベアにオリエンタルな息吹を吹きかけることにより、東洋と西洋の新しい繋がりはもちろんのこと、日本の伝統美を提唱し、文化交流のパイオニアとしても評価を受けている。 近年では、マルチーズ犬のファンシャーとして、モヘア製のリアルドッグを制作する等、他犬種(愛玩犬)にも力を入れ、"リアルモヘアドッグ©"の世界でも欧米にファンを持ち、ソフトスカルプター©として美術界で活躍中。
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作品・活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 02:21 UTC 版)
「後世に残る芸術としてのテディベア」をモットーに、ミシンを一切使わない全てを半返し縫いで仕上げ、装飾品にも手作りを心掛ける。年間20作品前後しか創作しない寡作アーティストで、殆どが「one-of-a-kind」と呼ばれている一点物。作品は、コンベンション、ミュージアム、専門誌でしか観る事ができない稀少価値の高い作品となっている。 1993年以降は、固く引き締まったボディーのアンティーク風トラディショナル・スタイル、斬新なオリジナルデザイン・スタイルの2種類をスタンダードサイズからミニチュアサイズで表現する。その作品群は日本、アメリカで数多くの賞を受賞。日本人初の本格的男性テディベアアーティストとなったパイオニアとして知名度を持つ。 近年では、地球環境保護をメッセージにとりいれた作品創りにも力を入れ、リアルスティックなポーラベア(ホッキョクグマ)やグリズリーベアを続々と作出している。世界のテディベア文化との交流、日本のテディベア文化発展、作品を通した慈善活動にも寄与し、NPO日本テディベア協会発足にも参画する。
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